2019
■軋む左手の苦悩
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朝霞薫、あなたに5月13日までの謹慎処分を科します。部室・ミーティングルームへの立ち入り、部活動への参加を一切禁じるわ。
そう俺に謹慎処分を科した宇部の声が頭の中でぐるぐると回っている。昨日、宇部から部でファンフェスにステージで出ると聞かされ、俺は激昂した。各班の班長たちにそれを伝える会議に俺は呼ばれていなかった。初めから頭数に入れられていなかったのだ。
日高は俺にそのことを伝えるなと宇部に言っていたそうだけど、一応は言っておいた方がいいだろうからと秘密裏に教えてくれたのだ。俺はステージがやりたくて放送部にいる。インターフェイスの活動もそりゃあ楽しいし大事だけど、本丸はやっぱりステージだ。
ステージもインターフェイスのラジオもやれる、やってやると思った。両立出来る、してやると。そう宇部に宣言した瞬間、3週間の部活動禁止処分を受けた。やり場のない怒りは今もまだ燻っている。だけど、徐々に強くなる左手の痛みが俺を我に帰らせた。
怒りに任せて壁を殴った手が、時間が経つにつれて徐々に痛みを増す。昨日のうちは大丈夫だろうと思っていたけど、土曜朝になってこれはダメだと診察を受けることを決意した。山口にはその日のうちに病院に行くように言われていたけど、結果的に病院には行ったのだからセーフだろう。
「カオルちゃん?」
「……あ、水鈴さん。ご無沙汰してます」
「どーしたの、ケガ? しかも左手。大変だね」
「はい、ちょっと」
通りがけに俺に声を掛けて来たのは、部のOGで4年生の岡島水鈴さん。背が高くて、目鼻立ちの整った美人だ。山口が憧れているアナウンサーの先輩で、今はタレントとしてローカルテレビの情報番組に出てたり、イベントMCなんかの仕事を本格的に始めたところだ。
放送部の中では一言で言うと自由とか、変人とか、そんな括りになるのかもしれない。派閥とか立場とか、そんなものを意に介さず誰とでも平等に接していたけど、それを誰もが「水鈴だからしょうがない」と受け入れていたのだから。
もちろん流刑地と呼ばれた俺たちにも良くしてくれていたんだ。いや、それは先代の監査だった萩さんもそうだった。先代の班長だった越谷さんは1年生当時部の幹部に反抗したことで流刑地送りにされて事実上幽閉されていたけれど、そんなことは関係ないと言ってくれたのもこの2人の先輩だ。
「まあ、左手がダメでも右手がありますし。両利きだとこんな時にまだいいかなって思います」
「ホント、両利きって凄いよね。カオルちゃん天才タイプかも。それはそうと、どうかした?」
「どうかって?」
「顔が怖かったから。話しかけるの躊躇うレベルで眉間にシワ入ってたし。忙しい時の裕貴みたい」
「萩さんと同じレベルで語れるシワじゃないですよ、俺のは」
「カオルちゃんこの後時間ある? 時間あるならそこの“髭”に入ってこうよ」
「いいですよ。ちょうど何か食べたかったですし」
水鈴さんと“髭”という珈琲店に入り、迷わずウインナーコーヒーを注文。いつもはブレンドコーヒーとか、そこまで高くなかったりチケットで買える物を頼むけど、今日は腹が立っているから高い物を頼む。そんなもので誤魔化しが利くとも思わないけど。
「アタシの妹の奈々がね? 向島の放送サークルに入ったんだよ」
「あ、例の妹さん。向島なんですね。じゃあもしかしたらそのうち会うかもしれませんね」
「アタシ仕事でファンフェスのステージに出るし、インターフェイスでもラジオあるんだよね? だから見に行くーッて言ってて」
「水鈴さん、ファンフェスでお仕事あるんですか?」
「うん。今から楽しみだよ。カオルちゃんももし時間あったら見てねッ!」
「……放送部が、ファンフェスにステージで出るらしいです」
「カオルちゃん、詳しく」
部の話を切り出した瞬間、それまでは妹や自分の仕事のことを楽しそうに話していた水鈴さんの表情が変わった。仕事用の明るい笑顔とは少し違った、これはこれで真面目なモードの水鈴さんの顔に。だけど俺は詳しく聞かせろと言われたそれに対する情報を持ち合わせていないのだ。どう語ろうか。いや、正直に話そう。
「詳しいことは俺も知りません。朝霞班は前提としてその話には含まれていないようなので。部長の日高が急に決めたことだという風には聞きましたけど」
「そっか。でも今までそんなステージやってなかったのに、急にやるようになったんだね」
「日高曰く、朝霞班がインターフェイスで出るなら部はステージで出ると。最初から俺に対する私怨だったんだと。それで日高とやり合って、宇部に俺はやるんだって言ったら謹慎食らいました。で、腹が立って壁を、こう」
「あ、それで左手がぐるぐる巻きになっちゃったんだね」
「そうです。みっともない話ですけど」
怒りに任せて壁を殴った結果、全治4週間の打撲だと診断された。ギリギリ折れていないけど、当たり所が悪ければ行ってたよ、と。それから、拳からはいくらか血が出ていたんだ。やってるときは気付かないけど、脳内物質が引いて来るとその痛みも実感した。いつかステージかラジドラのネタにして昇華しよう。
「水鈴さん、この話は越谷さんには言わないでもらえますか」
「どうして?」
「代替わりの時に、俺は班長として自分のことは自分でケリを付けるって決めてるんです。それまでが越谷さんにおんぶにだっこでしたから。Pとしての仕事は主にステージのことですけど、今の俺は班長としては最低なんです。自滅で班を留守にしてちゃ、何かあったときにアイツらを守れないじゃないですか」
「班員を守ることが、班長の仕事だと」
「はい。そのひとつだと思っています。アイツらがステージのことだけ考えられるように、環境を整えるのが俺の決めた班長としての役割です。アイツらを守るためなら多少の傷は痛くないつもりでした」
痛くないつもりだった。そう過去形で語るのは、今では物理的にも班事情的にも痛すぎるということを理解したからだ。それでも、山口と戸田を守る盾であるという俺の基本スタンスは変わらない。そして、これからもきっとそうしていくだろう。ただ、今後は席を空けない程度にしないと、と反省はしている。
「大丈夫。カオルちゃん、大丈夫だよ焦らなくても」
「……やっぱり、早くステージがやりたいですね」
「せっかく謹慎で時間たくさんもらったんだから、インプット期間にすればいいじゃんッ! ねッ!」
「はい、そうします」
「カオルちゃんシロネーロ食べよ、アタシ奢るし」
やっぱり、ファンフェスのステージのことに対しては理解はしたけど納得はしていない。3週間もあれば俺たちならって。でも、過ぎたことを言ってもしょうがない。謹慎をインプット期間だと前向きに言い換えることが今の俺に出来るせめてもの強がりだろう。見てろよ、引き出しとストックめっちゃ増やして復活してやるからな。
end.
++++
謹慎の翌日談、朝霞Pと水鈴さんです。案外水鈴さんもヒビキ同様人の話を聞くのが上手いのかもしれないね
こっしーさんと朝霞Pのあれこれについてはいつかしっかりとまとめていきたいんだけど、いつになるやら
朝霞Pは文字にしたり口にしたりすることで考えがぎゅーっとまとまって前に進んでいけるタイプなんやろなあ
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朝霞薫、あなたに5月13日までの謹慎処分を科します。部室・ミーティングルームへの立ち入り、部活動への参加を一切禁じるわ。
そう俺に謹慎処分を科した宇部の声が頭の中でぐるぐると回っている。昨日、宇部から部でファンフェスにステージで出ると聞かされ、俺は激昂した。各班の班長たちにそれを伝える会議に俺は呼ばれていなかった。初めから頭数に入れられていなかったのだ。
日高は俺にそのことを伝えるなと宇部に言っていたそうだけど、一応は言っておいた方がいいだろうからと秘密裏に教えてくれたのだ。俺はステージがやりたくて放送部にいる。インターフェイスの活動もそりゃあ楽しいし大事だけど、本丸はやっぱりステージだ。
ステージもインターフェイスのラジオもやれる、やってやると思った。両立出来る、してやると。そう宇部に宣言した瞬間、3週間の部活動禁止処分を受けた。やり場のない怒りは今もまだ燻っている。だけど、徐々に強くなる左手の痛みが俺を我に帰らせた。
怒りに任せて壁を殴った手が、時間が経つにつれて徐々に痛みを増す。昨日のうちは大丈夫だろうと思っていたけど、土曜朝になってこれはダメだと診察を受けることを決意した。山口にはその日のうちに病院に行くように言われていたけど、結果的に病院には行ったのだからセーフだろう。
「カオルちゃん?」
「……あ、水鈴さん。ご無沙汰してます」
「どーしたの、ケガ? しかも左手。大変だね」
「はい、ちょっと」
通りがけに俺に声を掛けて来たのは、部のOGで4年生の岡島水鈴さん。背が高くて、目鼻立ちの整った美人だ。山口が憧れているアナウンサーの先輩で、今はタレントとしてローカルテレビの情報番組に出てたり、イベントMCなんかの仕事を本格的に始めたところだ。
放送部の中では一言で言うと自由とか、変人とか、そんな括りになるのかもしれない。派閥とか立場とか、そんなものを意に介さず誰とでも平等に接していたけど、それを誰もが「水鈴だからしょうがない」と受け入れていたのだから。
もちろん流刑地と呼ばれた俺たちにも良くしてくれていたんだ。いや、それは先代の監査だった萩さんもそうだった。先代の班長だった越谷さんは1年生当時部の幹部に反抗したことで流刑地送りにされて事実上幽閉されていたけれど、そんなことは関係ないと言ってくれたのもこの2人の先輩だ。
「まあ、左手がダメでも右手がありますし。両利きだとこんな時にまだいいかなって思います」
「ホント、両利きって凄いよね。カオルちゃん天才タイプかも。それはそうと、どうかした?」
「どうかって?」
「顔が怖かったから。話しかけるの躊躇うレベルで眉間にシワ入ってたし。忙しい時の裕貴みたい」
「萩さんと同じレベルで語れるシワじゃないですよ、俺のは」
「カオルちゃんこの後時間ある? 時間あるならそこの“髭”に入ってこうよ」
「いいですよ。ちょうど何か食べたかったですし」
水鈴さんと“髭”という珈琲店に入り、迷わずウインナーコーヒーを注文。いつもはブレンドコーヒーとか、そこまで高くなかったりチケットで買える物を頼むけど、今日は腹が立っているから高い物を頼む。そんなもので誤魔化しが利くとも思わないけど。
「アタシの妹の奈々がね? 向島の放送サークルに入ったんだよ」
「あ、例の妹さん。向島なんですね。じゃあもしかしたらそのうち会うかもしれませんね」
「アタシ仕事でファンフェスのステージに出るし、インターフェイスでもラジオあるんだよね? だから見に行くーッて言ってて」
「水鈴さん、ファンフェスでお仕事あるんですか?」
「うん。今から楽しみだよ。カオルちゃんももし時間あったら見てねッ!」
「……放送部が、ファンフェスにステージで出るらしいです」
「カオルちゃん、詳しく」
部の話を切り出した瞬間、それまでは妹や自分の仕事のことを楽しそうに話していた水鈴さんの表情が変わった。仕事用の明るい笑顔とは少し違った、これはこれで真面目なモードの水鈴さんの顔に。だけど俺は詳しく聞かせろと言われたそれに対する情報を持ち合わせていないのだ。どう語ろうか。いや、正直に話そう。
「詳しいことは俺も知りません。朝霞班は前提としてその話には含まれていないようなので。部長の日高が急に決めたことだという風には聞きましたけど」
「そっか。でも今までそんなステージやってなかったのに、急にやるようになったんだね」
「日高曰く、朝霞班がインターフェイスで出るなら部はステージで出ると。最初から俺に対する私怨だったんだと。それで日高とやり合って、宇部に俺はやるんだって言ったら謹慎食らいました。で、腹が立って壁を、こう」
「あ、それで左手がぐるぐる巻きになっちゃったんだね」
「そうです。みっともない話ですけど」
怒りに任せて壁を殴った結果、全治4週間の打撲だと診断された。ギリギリ折れていないけど、当たり所が悪ければ行ってたよ、と。それから、拳からはいくらか血が出ていたんだ。やってるときは気付かないけど、脳内物質が引いて来るとその痛みも実感した。いつかステージかラジドラのネタにして昇華しよう。
「水鈴さん、この話は越谷さんには言わないでもらえますか」
「どうして?」
「代替わりの時に、俺は班長として自分のことは自分でケリを付けるって決めてるんです。それまでが越谷さんにおんぶにだっこでしたから。Pとしての仕事は主にステージのことですけど、今の俺は班長としては最低なんです。自滅で班を留守にしてちゃ、何かあったときにアイツらを守れないじゃないですか」
「班員を守ることが、班長の仕事だと」
「はい。そのひとつだと思っています。アイツらがステージのことだけ考えられるように、環境を整えるのが俺の決めた班長としての役割です。アイツらを守るためなら多少の傷は痛くないつもりでした」
痛くないつもりだった。そう過去形で語るのは、今では物理的にも班事情的にも痛すぎるということを理解したからだ。それでも、山口と戸田を守る盾であるという俺の基本スタンスは変わらない。そして、これからもきっとそうしていくだろう。ただ、今後は席を空けない程度にしないと、と反省はしている。
「大丈夫。カオルちゃん、大丈夫だよ焦らなくても」
「……やっぱり、早くステージがやりたいですね」
「せっかく謹慎で時間たくさんもらったんだから、インプット期間にすればいいじゃんッ! ねッ!」
「はい、そうします」
「カオルちゃんシロネーロ食べよ、アタシ奢るし」
やっぱり、ファンフェスのステージのことに対しては理解はしたけど納得はしていない。3週間もあれば俺たちならって。でも、過ぎたことを言ってもしょうがない。謹慎をインプット期間だと前向きに言い換えることが今の俺に出来るせめてもの強がりだろう。見てろよ、引き出しとストックめっちゃ増やして復活してやるからな。
end.
++++
謹慎の翌日談、朝霞Pと水鈴さんです。案外水鈴さんもヒビキ同様人の話を聞くのが上手いのかもしれないね
こっしーさんと朝霞Pのあれこれについてはいつかしっかりとまとめていきたいんだけど、いつになるやら
朝霞Pは文字にしたり口にしたりすることで考えがぎゅーっとまとまって前に進んでいけるタイプなんやろなあ
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