2018(05)

■温かく、強い風が吹き抜ける

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 今後のことについて話があるからと、つばめ先輩から呼び出しの連絡があったのは昨日のこと。指定された時間に班のブースに行けばつばめ先輩がもう席に陣取っていた。机の上にはマリンがこの前提出した台本。

「おはようございます」
「おはよう」
「つばめ先輩、話って」
「まあまあゲンゴロー、来たばっかりだしもうちょっと落ち着いてからにしよう」
「はあ」

 俺も自分の席に座り、落ち着くのを待つ。だけど、そわそわして全然落ち着かない。元が狭い上にごちゃっとしていて決して広いとは言えない班のブースなのに、2人しかいないから変な空間が心をゆすって来ると言うか。やっぱりサイズも存在感も大きな2人のいないこのスペース感にはまだ慣れない。

「まあ、アンタには言っといてもいいかもしんないね。アタシ、覚悟は決めた」
「それじゃあ…!」
「その辺の詳しいことは後で話すけど、正直まだ不安っちゃ不安。朝霞班で培った常識をぶっ壊すつもりではいる。だけどアタシにも守りたいモンはある。かと言ってその想いが強すぎても今度は空回る。こう、理性と何、感情? コントロールの仕方がね、まだちょっと」
「いろいろ難しいんですね」
「あー……る~び~飲みたい」
「終わってからなら付き合えますけど」
「あんがとね。コーラ奢るわ、地下に餃子食べに行こう。ぬっるい風浴びながらさ」

 覚悟を言葉にして、形にするのはつばめ先輩にとっての最初の壁なんだ。その壁を壊すか、飛び越えるか。覚悟は決まっているけど、まだ視界がクリアにならない。多分、そのためのピースがマリンなんだ。

「つばめ先輩、ところで呼び出してたのって俺だけじゃないですよね?」
「まあね。アンタに言った時間より15分遅らせたから」
「ああ、なるほど。そういうことだったんですね」
「一応アンタとは1年やってるから、安心感が違うワケよ」

 そんなことを話しているうちに、俺がブースに入ってから15分が経とうとしていた。つばめ先輩がマリンに指定したであろうその時が、刻一刻と近付いて来る。閉じられたブースの入り口が開けばすぐわかる。外からの光はいつ届くか。

「あの~……」
「いいよ、入って」
「おはようございますです!」
「おはよう。そこ、座って」
「お邪魔しますです!」

 ブースに入るのは恐る恐るといった様子だったけど、挨拶をしてからはとても勢いがあるマリンだ。マリンにとっても勝負なんだ。最終面接くらいの気持ちでいるはずだ。泣いても笑ってもこれが最後。それっくらいの緊張感が漂っている。

「とりあえず、これに名前書いてくれる。そこ、氏名の欄」
「え、つばめ先輩この紙って」
「班異動届。出すの決まりだから。ほら、早く書いて」
「はいです!」
「あ、ハンコ持って来たよね?」
「あります!」
「はい、これでオッケ。後で提出しとくわ。これに名前書かせたってトコでわかると思うけど、マリン、アンタは今から戸田班で一緒にやってくからね。ヌルいことやってたらすぐ摘まみ出すよ」
「はいです! ありがとうございます!」
「やったねマリン!」
「ゲンゴローもありがとうですよ! よろしくお願いしますよ!」
「つばめ先輩ありがとうございます!」

 はー……本当に長かった…! マリンがつばめ先輩にアプローチを始めて3ヶ月程だよね? ようやくここまで来たかって感じ。でも、俺が思ったのはつばめ先輩の覚悟が決まるのがついこないだで良かったなって。この3ヶ月の間で俺もだし、マリンも意識が凄く変わったと思うから。
 もしこれでマリンの加入がすぐに決まってたらと思うと各々の中でいろいろ固まり切らない想いもあっただろうし、守る物と壊す物の区別もつかないままできっと衝突してたと思うから。感情のコントロールはまだたどたどしいにしても、整理は一応出来てるから、後は少しずつ新しい形を作り始めるだけ。

「多分ステージとしての最初がいきなり丸の池になるワケだけど、実戦的な練習は日頃からしときたいよねやっぱ。アタシとゲンゴローの間の連携はいいけど、マリンを入れたらどうなるかってのを見ときたい」
「そうですね」
「お願いしますです」
「マリンは定例会の方でも大変だろうけど、日頃からアンテナは張ること。台本を理不尽にボツにされても懐から次をすぐ出せるレベルにして監査を刺すくらいの勢いで」
「はいです! 書く訓練ですね!」
「発声もするんだよちゃんと」
「もちろんです!」
「あ、声は出てるね既に」
「多分このレベルでずっとやられると音が割れますね」
「それ以前にもたないっしょスタミナ」
「ですね」

 俺は俺でマリンの台本に合いそうなBGMをストックしておかなきゃいけないし、Pが変わると方針がまるっと変わるからそれに対応していかなきゃ。悠長に構えてたけど俺はまだミキサーとして半人前。うかうかしてたらこの荒波に取り残されちゃう。最近ステージのミキサーは本当にご無沙汰だから感覚を取り戻したいよね。ああ、だから実戦練習をやるのか。

「そこで! これですよ!」
「うわっ! つばめ先輩どうしたんですかこれ!」

 ごちゃっとしていたブースの一角に、つばめ先輩が隠していた布の下。そこから出て来たのは機材一式。

「緑ヶ丘からもらってきた。いちいち部室に行って申請しなくても練習出来る」
「凄いです! さすがつばめ先輩です!」
「凄いですけど、そんな脱法的なことやって大丈夫ですかね?」
「それっくらいしなきゃ戦えないからね。バレたらバレたときに考える。まあ、今日はこれくらいかな? あとは1年生を釣ってくぞってこととか?」
「釣っていくですよ!」
「そうだね」
「よーし、る~び~行くぞー! 餃子餃子!」
「えっ、餃子ですか!? つばめ先輩私も連れてってくださいです~!」
「しょうがないなあ」

 何とか新学期が始まる前に戸田班として3人で動き出すことが出来そうだ。3人しかいないってことには違いないけど、2人しかいなかったときに漂っていた絶望感はもうない。あとはもう上がっていくだけだから。春が来るのが楽しみですらある。どんな手だって使える状況には変わりないんだから。

「ほら、ゲンゴローも行くよ」
「はい!」
「でも立ち飲みにはまだちょっと時間早いからな、どこで時間潰そう」
「えっ、餃子って立ち飲みです?」
「飲みだよ」
「お、お昼からお酒です?」


end.


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無事、戸田班にマリンが加入しました。さっそく班長のつばちゃんからいろいろ要求があった様子。
マリンはお昼からお酒を飲むことに対しては「昼からやるの?」くらいの感じでちょっと引くタイプなんですね。
って言うかちょっと触れただけで崩れる山が聳える旧朝霞班ブースのどこに機材一式を置くスペースなんかあったんや

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