2018(05)
■クマと背中
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改めて思うと、変なことをしてるなとは思う。血迷ったのかと言われても仕方がないかもしれない。どうしてか俺は今ラブホテルの大きなジャグジーでヒビキと一緒にゆったりしていて。自分でもどうしてこんなことになったのか訳がわからない。
今日は大学の健康診断と履修登録の日。だからバイトは丸一日お休み。ここのところずっと残業続きで、まだまだ棚卸に向けて忙しいことはわかっていた。だから履修登録が終わったら会社に行こうと思ったら主任から来ちゃダメって言われて。
これまでずっと働いてたから、それを突然奪われるとどこで何をしたらいいかわからなかった。当てもなく星港の街をふらふらしてたら、買い物中だっていうヒビキに会ったんだ。せっかくだからお茶でもする? そんなノリでカフェに入ってさ。
「大石クンてやっぱり水の中に落ち着くんだね。この場合水じゃなくてお湯って言う方が正しいかもだけど」
「正直なところを言うとさ、ここ最近ゆっくりお風呂に入れてなくて」
「じゃあ今ゆっくり疲れを取らないとね」
「ホントに。日付変わってから帰って来て、次の日も8時くらいからもう仕事してるもん。シャワーで済ませて寝たいよね」
「やっぱりバイトの働き方じゃないよそれ」
「でも、新学期が始まるまでだもん。さすがに大学が始まると授業もあるからね」
カフェでは互いの近況について話していた。ヒビキは資格の勉強をしたり就活にと忙しくしているようで、バイト漬けの俺とは同じ3年生でも全然違うなあと。でも、俺がバイトをしてるのは学費のためだし、あとは自分の生活もあるからやめられない。
就活についても少しは考えてたけど、今バイトでやっている仕事が好きで、何となく物流と言うか倉庫関係のことを調べ始めていた。だからこうやってバイトをするのも業界の実情を知るとかそういう意味では悪いことばかりでもないんじゃないか、って勝手に納得してる。
自分ではこんな現状を全然平気なつもりでいた。だけどつい、弱音が出たと言うか、何と言うか。ヒビキに甘えちゃったんだろうね。ヒビキは友達だけど、凄く仲がいいというワケじゃない距離感で。なのに、弱音を受け止めてくれて。さすがにカフェでこれ以上は、となって現在に至るんだけど。
「いくら体がしっかりしてて体力があっても、その労働形態はしんどいよ」
「あ、一応言っとくけどこんな働き方をするのは繁忙期だけなんだよ」
「お風呂だからってまじまじ見ちゃってゴメンね? 水泳とバイト以外に何かトレーニングとかしてこうなるの?」
「あはは、何もしてないよ。本当に。プールとバイトだけ」
「脱いだら凄いってこの事だわ。あっ、安心してね、襲ったりしないし」
「女の子が襲うパターンもあるの!?」
「あるある! 大石クンなんか特にそういう人に付け込まれたら断れなさそうだから気を付けてなきゃ! そういうのに男女関係ないからね」
「勉強になります」
のんびりお風呂に入ってると忘れそうになるんだけど、一応ここってラブホテルだった。今日はもちろんそういうことをするために入ったわけではないし、今のところまったりとした入浴タイムなんだけど。は~、でも本当に気持ちいい。
「って言うか冷静に考えたらさ、ヒビキこそ気を付けなきゃいけないんじゃない? 俺が何もしないと思い過ぎだもん」
「じゃあ聞くけど、出来るの? するならいいよ」
「……出来ないね。って言うかしないよ、ゴムもないし。あってもしないけど」
「でしょ? そもそも、誰にでもしないよこんなこと。お互い、秘密でしょ?」
「まあね」
「いつもニコニコして気遣いばかりしてる大石クンが、その自己犠牲のおかげで精神的にギリギリのところまでキてるなんていかにもじゃん」
「……やっぱり、自己犠牲って言い方は好きじゃないな」
「ゴメンね? でもわかってて言ってる。第三者から見たら本当にそうだから。余裕があって与えてるんじゃなくて、ないものを削って与えてる」
「ヒビキごめん、少しいいかな。嫌だったら、突き飛ばして」
俺は卑怯だ。嫌だったら突き飛ばしてって言っておきながら、嫌だと言えない強さでその細い体を抱き寄せてたんだから。当たり前だけど、うちにあるぬいぐるみとは質感から伝わる温度まで、何から何まで違う。
「大石クン、少しだけ力緩めてくれる?」
「……ごめん、痛かった?」
「ううん、こう」
「あっ……」
「いいよ、また力入れても」
家で抱き寄せるのは小さなぬいぐるみだから当然だけど、背中にまで腕が回ってくることはなかった。ヒビキの腕が背中に回って来たのを感じると、さっきまでみたく力任せに抱くことは出来なくなった。これ以上ぬいぐるみの代わりには出来ないな、と。
「ヒビキ、ちゃんとしたご飯食べてる?」
「抱き締めながら言うことかな、それ」
「ごめん、今気になったんだもん」
「ちなみに今はダイエット中だけど」
「言うほど要るかなあ」
「スーツ着たときにキレイに見せたくない?」
「無理な食事制限より運動の方がいいよ」
「抱き締めながら言うことじゃないよね、それ」
「プールでウォーキングとかの方が断然いいと思うよ」
「大石クンが言うと説得力ダンチなんですけど」
何でもない話をしながら腕を緩めて、ヒビキを解放した。人は言葉を送ったら返って来るのがいいな。
「胸はすぐに大きくならないにしても、このハリのないお尻は何とかなるかな」
「あの、目のやり場に困るよ」
「ゴメン、進行形で裸の付き合いしてるからうっかり」
「確かに裸の付き合いではあるけどさあ」
「開放的で正直結構楽しいんだよね今」
「へえ、俺もヒビキのそういうところは見習って行きたいなあ」
「最近のラブホってさ、何かいろいろ楽しい設備があったりするんだって。アタシそーゆー話は聞くんだけど意外にラブホ女子会やんないし行く機会ないって思ってたらでしょ? 今すごく楽しいよね」
「まあ、楽しいなら俺も良かったけど」
「あっ、もしかしたらアタシたちお風呂友達として今は廃れつつある混浴の温泉旅館にも行けちゃうんじゃ!? 良かったら行かない? 4年になって時間出来るだろうし。おいしー物食べてゆっくりしたいよね」
「そうだねー、温泉旅館はいいね、憧れるもん。うん、この春のバイト代、少し貯めとくよ。計画はお任せでいい?」
end.
++++
この時期のちーヒビの行く末はこの時間軸のナノスパで語られることがないのですが、“翌年度”には少なからず影響しています。
ただ、それも書籍化した洋朝の話で朝霞Pが「大石と大喧嘩をした」とさらっと語ってるだけのことですが。
距離が近すぎないから見せられることがあるのか、それともヒビキが相当上手いのか……って毎年そう言ってるね
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改めて思うと、変なことをしてるなとは思う。血迷ったのかと言われても仕方がないかもしれない。どうしてか俺は今ラブホテルの大きなジャグジーでヒビキと一緒にゆったりしていて。自分でもどうしてこんなことになったのか訳がわからない。
今日は大学の健康診断と履修登録の日。だからバイトは丸一日お休み。ここのところずっと残業続きで、まだまだ棚卸に向けて忙しいことはわかっていた。だから履修登録が終わったら会社に行こうと思ったら主任から来ちゃダメって言われて。
これまでずっと働いてたから、それを突然奪われるとどこで何をしたらいいかわからなかった。当てもなく星港の街をふらふらしてたら、買い物中だっていうヒビキに会ったんだ。せっかくだからお茶でもする? そんなノリでカフェに入ってさ。
「大石クンてやっぱり水の中に落ち着くんだね。この場合水じゃなくてお湯って言う方が正しいかもだけど」
「正直なところを言うとさ、ここ最近ゆっくりお風呂に入れてなくて」
「じゃあ今ゆっくり疲れを取らないとね」
「ホントに。日付変わってから帰って来て、次の日も8時くらいからもう仕事してるもん。シャワーで済ませて寝たいよね」
「やっぱりバイトの働き方じゃないよそれ」
「でも、新学期が始まるまでだもん。さすがに大学が始まると授業もあるからね」
カフェでは互いの近況について話していた。ヒビキは資格の勉強をしたり就活にと忙しくしているようで、バイト漬けの俺とは同じ3年生でも全然違うなあと。でも、俺がバイトをしてるのは学費のためだし、あとは自分の生活もあるからやめられない。
就活についても少しは考えてたけど、今バイトでやっている仕事が好きで、何となく物流と言うか倉庫関係のことを調べ始めていた。だからこうやってバイトをするのも業界の実情を知るとかそういう意味では悪いことばかりでもないんじゃないか、って勝手に納得してる。
自分ではこんな現状を全然平気なつもりでいた。だけどつい、弱音が出たと言うか、何と言うか。ヒビキに甘えちゃったんだろうね。ヒビキは友達だけど、凄く仲がいいというワケじゃない距離感で。なのに、弱音を受け止めてくれて。さすがにカフェでこれ以上は、となって現在に至るんだけど。
「いくら体がしっかりしてて体力があっても、その労働形態はしんどいよ」
「あ、一応言っとくけどこんな働き方をするのは繁忙期だけなんだよ」
「お風呂だからってまじまじ見ちゃってゴメンね? 水泳とバイト以外に何かトレーニングとかしてこうなるの?」
「あはは、何もしてないよ。本当に。プールとバイトだけ」
「脱いだら凄いってこの事だわ。あっ、安心してね、襲ったりしないし」
「女の子が襲うパターンもあるの!?」
「あるある! 大石クンなんか特にそういう人に付け込まれたら断れなさそうだから気を付けてなきゃ! そういうのに男女関係ないからね」
「勉強になります」
のんびりお風呂に入ってると忘れそうになるんだけど、一応ここってラブホテルだった。今日はもちろんそういうことをするために入ったわけではないし、今のところまったりとした入浴タイムなんだけど。は~、でも本当に気持ちいい。
「って言うか冷静に考えたらさ、ヒビキこそ気を付けなきゃいけないんじゃない? 俺が何もしないと思い過ぎだもん」
「じゃあ聞くけど、出来るの? するならいいよ」
「……出来ないね。って言うかしないよ、ゴムもないし。あってもしないけど」
「でしょ? そもそも、誰にでもしないよこんなこと。お互い、秘密でしょ?」
「まあね」
「いつもニコニコして気遣いばかりしてる大石クンが、その自己犠牲のおかげで精神的にギリギリのところまでキてるなんていかにもじゃん」
「……やっぱり、自己犠牲って言い方は好きじゃないな」
「ゴメンね? でもわかってて言ってる。第三者から見たら本当にそうだから。余裕があって与えてるんじゃなくて、ないものを削って与えてる」
「ヒビキごめん、少しいいかな。嫌だったら、突き飛ばして」
俺は卑怯だ。嫌だったら突き飛ばしてって言っておきながら、嫌だと言えない強さでその細い体を抱き寄せてたんだから。当たり前だけど、うちにあるぬいぐるみとは質感から伝わる温度まで、何から何まで違う。
「大石クン、少しだけ力緩めてくれる?」
「……ごめん、痛かった?」
「ううん、こう」
「あっ……」
「いいよ、また力入れても」
家で抱き寄せるのは小さなぬいぐるみだから当然だけど、背中にまで腕が回ってくることはなかった。ヒビキの腕が背中に回って来たのを感じると、さっきまでみたく力任せに抱くことは出来なくなった。これ以上ぬいぐるみの代わりには出来ないな、と。
「ヒビキ、ちゃんとしたご飯食べてる?」
「抱き締めながら言うことかな、それ」
「ごめん、今気になったんだもん」
「ちなみに今はダイエット中だけど」
「言うほど要るかなあ」
「スーツ着たときにキレイに見せたくない?」
「無理な食事制限より運動の方がいいよ」
「抱き締めながら言うことじゃないよね、それ」
「プールでウォーキングとかの方が断然いいと思うよ」
「大石クンが言うと説得力ダンチなんですけど」
何でもない話をしながら腕を緩めて、ヒビキを解放した。人は言葉を送ったら返って来るのがいいな。
「胸はすぐに大きくならないにしても、このハリのないお尻は何とかなるかな」
「あの、目のやり場に困るよ」
「ゴメン、進行形で裸の付き合いしてるからうっかり」
「確かに裸の付き合いではあるけどさあ」
「開放的で正直結構楽しいんだよね今」
「へえ、俺もヒビキのそういうところは見習って行きたいなあ」
「最近のラブホってさ、何かいろいろ楽しい設備があったりするんだって。アタシそーゆー話は聞くんだけど意外にラブホ女子会やんないし行く機会ないって思ってたらでしょ? 今すごく楽しいよね」
「まあ、楽しいなら俺も良かったけど」
「あっ、もしかしたらアタシたちお風呂友達として今は廃れつつある混浴の温泉旅館にも行けちゃうんじゃ!? 良かったら行かない? 4年になって時間出来るだろうし。おいしー物食べてゆっくりしたいよね」
「そうだねー、温泉旅館はいいね、憧れるもん。うん、この春のバイト代、少し貯めとくよ。計画はお任せでいい?」
end.
++++
この時期のちーヒビの行く末はこの時間軸のナノスパで語られることがないのですが、“翌年度”には少なからず影響しています。
ただ、それも書籍化した洋朝の話で朝霞Pが「大石と大喧嘩をした」とさらっと語ってるだけのことですが。
距離が近すぎないから見せられることがあるのか、それともヒビキが相当上手いのか……って毎年そう言ってるね
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