2018(04)

■狭い部屋での忘れ物

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「ここだよ」
「わー、すげーっす! パねえっす! お邪魔します!」
「前の家より音漏れしないけど、あんまり騒がないでね」
「了解っす!」

 今日は、ヒロさんの新しい家に遊びに来させてもらった。青浪敬愛大学は星港駅の近くに新校舎が建設されて、一部の学部が4月から引っ越しすることになっている。俺の学部は引っ越さないけど、ヒロさんの学部は引っ越すんだ。
 校舎の移転自体は前々からわかっていたことだから、諏訪姉妹のように移転を前提にマンションを借りてる1年生もまあいるらしい。1年間は少し遠い今のキャンパスまで通学するけど、来年からは大学近くの部屋から通学出来るという仕組み。
 ヒロさんは3年生で残り1年。なのにわざわざ引っ越すのかと思いそうだけど、入院からの休学があるから実質的には残り1年半。それなら引っ越してもいっかってことで引っ越しを決めたらしい。病院への通院も頻度が少なくなったし、車もあるしでそこまで不便じゃないそうだから。

「綺麗なマンションっすねー……前のアパートはアパートって感じだったっすけど、今の家は「マンション!」って感じっす」
「なにそれ」
「それだけグレードアップしてるってコトっす!」

 部屋も前のアパートは6畳だったけど、新しいマンションは8畳弱とかでめっちゃ広い。片付けがまだちゃんと終わってないっぽいから段ボールがところどころに置いたままになってるんだけど、大体の中身が本だとか。ヒロさんの本って重さパねえもんなあ。
 本はとりあえず特に重要な物だけ本棚に入れていて、その他は体の調子がいいときにやってしまう計画らしい。生活に必要な物が最優先。そうやって少しずつ段ボールの山を崩してきたんだそうだ。ヒデさんにも少し手伝ってもらったとか。

「この部屋家賃いくらっすか? 駐車場もあるっすよね」
「65000円。意外に安いでしょ」
「そうっすね。駅からも近い割に。はっ…! もしや曰く付きの物件…!? 星港駅からそこそこ近いのにこの家賃って何かあったと考えるのが」
「一応不動産屋に聞いたけど、残念ながら何もないよ」
「マジすか?」
「マジで。あればいいなとはちょっと思ったけど」

 何かもうヒロさんの趣味が趣味だけにこの発言がガチかマジかわかんねーんだよな! 専攻が呪いの民俗学だし、それでなくても元々オカルト趣味っぽいし。ヒロさんと事故物件とか怖さ増すじゃんな。
 残念ながら事故物件などではなく、星港駅周辺でも探せばそこそこの家賃のマンションはあるらしい。同じ建物でも階が違えば家賃は変わるし、路地を一本入るだけで何千円も違うという世界。

「趣味抜きにしても事故物件って家賃安いイメージでしょ。やっぱ、部屋のグレードと地価が上がる分家賃も前より高くなってるしね。少しでも安くとは思うよね」
「わかるっす。でも、エレベーターもあるっすし、インターホンにはモニター付いてるっすし、コンロは2口っすし、グレードアップ感パねえっすよ」
「だよね。多少高くなるのは仕方ないにしても、安定したバイトもまだ出来ないから金銭的なことであんまり親に負担かけたくないし」
「ヒロさんて意外に親御さん想いっすよね」
「意外に?」
「何か、淡々としてる割にって」
「元々仲悪いとかじゃないしね。入院してからは親のありがたみもわかったけど、自分では何も出来ないんだってこともわかったよ」

 1人暮らしはしてるけど、それで生活能力が高くなったかと言えばそうでもなくて、好き勝手に過ごしているだけ。いざ本当に1人になった時、自分だけの力で生きていくことが出来るのだろうか。そんなことをヒロさんは考え始めたらしい。
 ぽつりぽつりとヒロさんは語り始めた。夏に前のアパートの近くの公園で具合が悪くなった時に、とある女の子が声をかけてくれたことがあったそうだ。それからその子と何回か会っているうちに、その子の優しさに甘え始めている自分に気付いたと。

「それは、別に甘えてもいーんじゃないすか」
「そういう間柄でもない、他人だよ。確かにあの子にとって俺は実験台とか被験者として最適な検体だろうけど。ずっと一緒にいるわけじゃないからね。あの子がいなくても、俺は生きていかなくちゃいけないんだよ」
「引っ越したことは、その子に伝えたんすか?」
「言わないよ」
「連絡は」
「ちょこちょこ来てるけど、スルーしてる」
「ヒロさん、それはさすがにどうかと思うっす」
「感謝はしてるよ。あの子のおかげで俺は自分でもちょっとは料理が出来るようになったし、楽しい思い出も出来た。もらったレシピは大切に使わせてもらってる。だけど、おかしいよね。あんかけうどんが食べたいんだ」
「あんかけうどん?」
「自分で作ったんじゃ美味しくないんだ。言っちゃえば他の料理もそうだけど。……片付けよう。せっかくハマちゃんいるし、本棚の整理しよう」
「手伝うっす」

 ヒロさんは1人で生きる覚悟を決めて訓練を始めたけど、まだどこかでその子のことを思い出してるんだなって思う。その子にはお別れの挨拶もお礼も何も言わずに引っ越したけど、俺は人としてそれはどうかと思う。せめて一言今までありがとうくらいは言うべきだ。
 本の整頓を手伝いながら、ヒロさんが食べたいなって言ってるあんかけうどんについて考える。きっととろみがあって熱くて美味いんだろうなとか、ヒロさんでも食える優しいうどんなんだろうなとか、いろいろなことが想像出来て。何とかヒロさんにそれを食べて欲しい。でも俺じゃ再現出来そうにない。

「ハマちゃん、ご飯どうする?」
「あー、考えてなかったっす。もしかしてヒロさんが作ってくれるヤツすか!」
「どうしてそうなるの」


end.


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そういや今年は長野っちサイドで長さとを追おうと思っていたのだけど、全然ご無沙汰なことに気付いた上視点はハマちゃん。
長野っちが引っ越していたようです。この話を書くにあたり物件サイトとか見てたんですけど楽しいね
この調子だとくっついてからのことも忘れてスルーされそうなので年度が変わるまでに2回は長さとやりたいですね

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