皆勤賞
貴方の名前
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「その程度で音を上げるなどたるんどる!!」
「ハハッ、真田は手厳しいな……全員もう3周追加ね」
既に規定の練習メニューを終えた二人がまだ走り終えずにペースを落とし始めたメンバー達に激を飛ばしている。アメとムチが具現化したような二人……いや、弦一郎は正直なだけだ。自分にも他人にも厳しい人。だから誤解を受けやすい。それに比べて精市は一見物腰柔らかで優しそうに映って見える。でも実際は弦一郎以上に怖い人なのだ。
「二人ともあまり皆をイジメないであげてね」
「苛めてなどいない。これも常勝立海の伝統を守る為に必要な」
「それも分かるけど身体を壊したら元も子もないでしょう?」
弦一郎の言葉を遮り再び意見を通そうとすれば隣でクスクスと笑う精市の声が耳に届く。
「流石は葉月だね。真田に対して意見できるのは限られた人間だけだから」
「精市ってば酷いよ、弦一郎の事を珍獣みたいに扱っ」
「馬鹿者。幸村が言っているのはお前の方だ」
すぐ隣で声を上げられると鼓膜が振動してしまう。いや、慣れない人だと心臓がバクバクしたり肩が竦んじゃうんだろうな。私はすっかり聞き慣れて動じなくなっちゃったけどね。
「弦一郎、私はまだ耳の遠いお年寄りじゃないからそんな大声出さなくても聞こえるよ」
思っていた事をそのまま伝えると弦一郎もそれ以上は何も言おうとせずに苦虫を噛み潰したような顔をするばかり。何かおかしな事でも言ったかな。そう思っていると後ろから仁王君と赤也君の笑い声が耳に飛び込んできた。
「クックッ、流石は葉月。真田達と幼馴染と言うのは伊達じゃないのぉ」
「葉月先輩サイコーっすよ!!真田副部長を黙らせちゃうなんてそうそうできませんって」
どうやら残りのメンバーもランニングを終えて戻ってきたみたい。その顔は誰しもニヤニヤしており弦一郎の逆鱗に触れてしまうのは当然の事。
「……キョエー!!」
あーぁ、やっぱり。弦一郎が若くして高血圧で通院するなんて考えたくないよ。もう少し自分の身体を大切にして欲しいんだけどな。そんな事を考えていたら誰かの手が私の肩に掛かる。
「無用な心配をする必要はない。しかし、葉月のその発想は突飛なもので実に興味深いな」
「えっと……蓮二はどうしていつも私の心が読めるの?」
振り返るとそこに居たのは蓮二だった。いつもタイミングよく現れて私の心の中を読んでいく。さっきの弦一郎じゃないけど蓮二にとって私は面白い研究材料、珍獣扱いをされている気がするんだよね。
「葉月が分かりやすいだけだ。思っている事がすぐ顔に出るタイプとだけ言っておこう」
「葉月さんにはいつまでも変わらずに素直なままでいて貰いたいものですね」
柳生君までそう言って口を挟んでくるし。何だか二人に子供扱いされている気がするな。複雑な気持ちを覚えているとブン太から声が掛かる。
「葉月ー、ドリンク頼むわ」
そうだった、皆ランニングを終えたばかりなんだからドリンクを配らないといけない。すぐに用意していたボトルを胸に抱えて走り出す。
「遅くなってごめんね。今日も本当にお疲れ様!」
まず最初にブン太へボトルを渡すと笑顔で受け取ってくれた。
「気にすんなって。葉月こそ毎日お疲れさん!」
あー、私にとってブン太は最高の癒しだな。改めてそう実感していたら再び弦一郎の声が耳に響いてくる。
「葉月、手が止まっているぞ!」
「はーい、今行きます」
「返事は伸ばすなといつも言っているだろう!」
「はいはい」
「返事は一度だけで良い!!」
素人漫才の台詞みたいなやり取りが繰り返される日常。でも、私にとってはこれが一番の幸せだから。もうあんな思いは二度としたくない……精市が抜けた後の重責に悩む弦一郎の姿は今でもまだ覚えている。
関東大会の決勝戦で青学に負けた時のこと。弦一郎が青学の1年生に負けてどれだけ自分を責めたか。メンバーにも自身を叩くようにと強要して……私にも…。
『葉月、お前も頼む。このような無様な姿を二度と晒さない為にも胸に強く刻んでおきたいのだ』
『……分かった』
一度深呼吸をして気持ちを落ち着かせた。その後は拳を握り締めてスッと真っ直ぐに腕を伸ばす。周囲からは『ゲッ、マジかよ』『嘘だろっ!?』なんて声が上がっていたっけ。でも、私の拳が弦一郎の顔面に触れることはなかった。トスっと軽く触れる程度の拳を弦一郎の胸に送っただけ。これには弦一郎も驚いたようで目を見開いていた。
『葉月、俺は真面目に』
『今シッカリとこの悔しさを胸に縫い付けておいた!……弦一郎は、立海テニス部はこのままでは決して終わらない。この敗北こそが意味あるもの、価値あるものだよ。さらなる高みへと続く踏み台となる!!』
まだ勝負はついていない。全国大会でこの借りを返せばいいだけのこと。最後に笑うのは私達、常勝立海の名前は伊達じゃない。敗北を知ってこそ本当の強者となれる。弦一郎は強い人間だって知っているから……信じているから。
『……あぁ、そうだな。葉月、感謝する』
弦一郎やメンバーの纏う空気が、目の色が変わったのを感じる。私の肩に置かれた弦一郎の手の重み、暖かさがとても心地良く感じられた。
それから精市が戻ってくるまでの間をメンバー全員で自分磨きの時間に当てた。今まで以上に自分を限界まで追い込む、そのストイックさが立海テニス部の強みだと思う。その中でも頑張り過ぎちゃうのが弦一郎だから。
「はい、弦一郎も少しは休んでね」
最後のボトルを弦一郎に渡すと素直に受け取って飲んでくれる。そう、これもいつも通りのやり取りで
「今度こそお前に頂点の景色を見せてやる。それまではがむしゃらにでも前へ走り続けるだけだ……だから多少の無理は目を瞑れ」
本当に不器用な人なんだなと思わず口の端が上がってしまう。
「全く仕方無いんだから……完走しきったらシッカリと倒れ込んで休むこと。その時は私が胸を貸してあげるからさ!」
「お、お前は何を言っているのだ!?と、年頃の娘がそのようなは、はしたない」
「じゃあ代わりに俺が甘えさせて貰おうかな。真田ばかり特別扱いするのはズルいからね」
あらら、精市まで弦一郎をからかうつもりなんだ。顔を真っ赤に染める弦一郎は精市にとって最高のオモチャなんだろうな。そう思っていたら誰かに後ろから抱き締められてしまった。
「はいはーい、俺も葉月先輩に甘やかされたいッス!!……葉月先輩めっちゃいい匂いするし柔らか」
最後まで言わせて貰えずに私から引き離された赤也は他のメンバーから愛のあるお仕置きを受けることに……南無三。さーて、干してた洗濯物を取り込みにいこうかな。メンバーに背中を向けて歩き出していく。その後ろで弦一郎が精市に何やら耳打ちされていたみたいだけど私は全く気付いていなかった。
「…真田、葉月は競争率が高いってことをそろそろ自覚した方がいいんじゃないの?」
「な、何を言うか!?学生の本分は勉学や部活動に勤しむものであり色恋などに現を抜かすなど言語道だ」
「それなら俺が葉月を貰うよ。もう遠慮はしない」
いつものように他人を揶揄する口調とは違ってその声は真剣そのものだった幸村。険しい表情からもその思いが本気であることが伝わってくる。長い付き合いの中で幸村がテニス以外にここまで感情を露わにすることは無かったはずだ。思わずゴクリと音を立てて唾を飲み込んでしまう。どうして俺がここまで動揺せねばならない。
「顔色が悪いようだがどうかしたか?」
「別段問題ない!!」
蓮二から声を掛けられると必要以上に強く否定してしまった。これは少し頭を冷やしてくる必要があろう。その場から離れると向かった先は葉月の居る洗濯干し場だった。
本来であればこのような雑務は1年生にやらせればいいもの。しかし葉月は俺と幸村の負担を減らしたいと共にテニス部に入りマネージャー業務に当たってくれた。そのお陰で俺達も練習に打ち込む時間が増えたことを思い出す。
(葉月に甘えていたのかもしれない……俺は幼馴染に恵まれたのだろうな)
そんなことを考えながら葉月を眺めているとその視線に気付いた葉月が俺の方へ向かって駆け寄ってくる。
「あっ、弦一郎ー!こんな所で何してるの?私に用事で、も」
山積みになった洗濯物を抱えたまま走ってくれば視界も悪く、躓きやすくなるのは当然のこと。俺はすぐに葉月の両肩に手を置きその身体を支えていた。地面には洗いたての洗濯物が散らばっている。いつもの俺ならすぐに怒鳴り飛ばしていたに違いあるまい。だからこそ葉月も目を閉じ、防御体制へと入っていた。しかし、今の俺が取った行動は相反するもので。
「……そそっかしいのは昔から変わらないな。頼むからケガだけはしないでくれ」
自分でも驚くくらいに優しい言葉を紡ぎ、葉月の頭を撫でていたのだ。葉月も想定外のことに戸惑っているようで、目を開くと俺の顔を心配そうに覗き込んでくる。
「げ、弦一郎どうしたの!?熱でもあるんじゃないの!?」
そう言って俺の額に手を伸ばしてくるも届くわけがない。だから代わりにその手を掴んでやる。そしてまたいつもの俺に戻ろう。
「このたわけが!!今は何よりも優先すべきことがあろう!!」
視線の先を地面に移すと土に汚れた洗濯物が目に飛び込んでくる。
「ご、ごめんね。2度手間になっちゃって……でも、弦一郎がいつも通りで安心した。私の最優先事項は弦一郎だからさ!」
屈託のない笑みを浮かべながら爆弾発言を投下する葉月。その影響力がどれ程大きいものか本人はまるで分かっていないのであろう。だからこそすぐに意識は洗濯物へと移り変わり、俺の手から逃れて地面にしゃがみ込む。落ちた洗濯物を拾い上げれば洗い直す為に洗濯機置き場へと走り出すが何枚かの拾い忘れが目に入る。
(いつもこの量の洗濯物を一人で……いや、洗濯だけではなかったな。先程のドリンクやタオルの準備に備品の管理。メンバーに合ったトレーニングの組み立てもマネージャーの仕事になっている)
残った洗濯物を集めて持っていくと葉月がすぐに俺の腕から奪い取っていく。
「弦一郎ありがとね!それじゃあ洗濯が終わるまでの間にマッサージで」
「お前も少しは休め。葉月に今倒れられたら困るからな……いや、今だけではない。過去、現在、未来とお前には常に俺の隣に居て貰いたい」
忙しなく動き回ろうとする葉月の体を抱き締めて拘束してしまった。俺は一体何を考えているのだ。今最も優先すべき事項は全国大会で優勝すること。その為にもテニス以外のことで時間を取られるわけにはいかないと言うのに……体が勝手に動いてしまう。幸村の挑発にまんまとハマってしまったと言うわけか。
「そんなの言われなくても当然のことでしょう!弦一郎の隣は私と精市の定位置なんだから、誰にも譲るつもりはないよ」
小さな子供が母親に抱き着いて独占するように俺の背中へと回された葉月の腕。しかし、ここにきても幸村の名前が出てこようとは思わなかった。これは大分骨が折れそうだな。……まぁ、俺も葉月を他の奴に譲るつもりはない。時間ならまだある。ゆっくりと俺達のペースで進んでいけば良いだけの事。
「あぁ、そうだな。これからも頼む……頼りにしているぞ。いつも、ご苦労さん」
どうしてこうも上から目線になってしまうのかと自分でも嫌になってしまう。素直に“ありがとう”と感謝の気持ちを伝えられたらどれだけ良いものか。だが、俺を見上げる葉月の顔はとても眩しく、はち切れんばかりの笑顔を浮かべてくれていた。
「弦一郎にそう言って貰えて嬉しいよ!ありがとう」
あぁ、俺と葉月はこうしてバランスが取れているのかもしれない。しかし、俺もいずれはこの気持ちに整理をつけて葉月に自分の思いを伝えよう。
(だからもう少しだけ待っていてくれ)
そんな思いを込めて葉月の体を暫しの間抱き締めていたのであった。
→御礼