花と蝶

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《中学生 過去②》


雨月が依存した経緯はまあそんなところで、俺のきっかけというのは些細なことだった。








「…」


物心ついた時には母子家庭で、母は忙しなく働いていた。
時短の為に冷食やスーパーの惣菜が食卓に並ぶのはしょっちゅうで、料理が苦手なこともわかっていた。故に、既製品の味なんてどれも似たようなもので。美味しいとか不味いとか、気にしたこともなかった。


だが、問題は味ではなく量だった。


「…足りない」


中学生となれば成長期にさしかかり、まして練習の多いバスケ部に入ってしまえば。
夕食に用意されたスーパーの弁当一つで食欲が満たされるということはない。
生憎、二人暮らしの冷蔵庫は小さく、中身も明日の朝食用の卵とハムくらいしかなかった。


(かといって買いにいくのもな…)


諸々福祉制度や母の稼ぎによって貧困こそしていなかったが、裕福なわけではない。しかも、部活で疲れた体はコンビニへいくのさえ億劫がっている。

どうしたものか…、考えながら自室のベッドへ寝転べば。窓からノックが聞こえた。


「…」

『今、いい?』


窓を開ければ雨月が覗き込んでいて。
来週末はテストがあるから、勉強をみてほしいと。
どうせ寝付けなくてここへは来るのだし、片手間にならいいかと思ってそんな約束をしてしまっていたのだ。





「…違う。その式はまだ分解できる」

『んん?なんで?』

「これとこれ、」

『ああ、なるほど』


そろそろ日付が変わる…という頃。
きりのいいところまで来たのでもう終わりにしようとした時だ。


「…」

『…』


俺の腹の虫が鳴いた。
もともと物足りない夕食だったのに、夜更かししたのだから当たり前だ。
しかし、どうしようもない。


『真君、教えてくれたお礼に、夜食作るよ』


そんな俺に雨月は随分魅力的な提案をして。
俺は二つ返事で雨月の部屋へ渡った。


『すぐ食べれるものにするからダイニングにいて。おうどんでいい?』

「ああ」


階段を降りながら短い会話をして、ダイニング着くと雨月は椅子にかけてあったエプロンをつけてキッチンへ入っていった。






.
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯




程なくして何かを刻む音、湯が沸く音、冷蔵庫の明け閉めの音が響き出した。

誰かが飯を作るというのはこういう音がするものなのか。
うちで音がするものといえば精々電子レンジとトースター。あとはポットと炊飯器くらいだ。
まな板と包丁なんてついぞ見ていない。


(よく動くな)


家庭用のうちよりはるかに大きい冷蔵庫から、タッパーや袋をいくつか取り出した彼女は、くるくるとよく動く。


『葱食べれる?』

「ああ」

『アレルギーとか』

「特にない」


背中を向けたまま投げ掛けられる質問に答えながら、揺れるエプロンのリボンを眺めた。


…いい匂いがする。


暫くして湯気のたつ丼と小鉢が目の前に出された。


『七味これね。こっちは夕飯の余りだけど、よければどうぞ』


丼は肉うどんで、小鉢はキャベツの塩揉みだった。

差し出された箸を受けとり、正面を見れば。
雨月も同じようにうどんを持って椅子に座った。


「お前も食うのか」

『だって…作ってたらお腹空いちゃった』


少々罰が悪そうに、恥ずかしがりながら箸を手にした雨月に思わず少し吹き出せば。
彼女は目を丸くして、それから"冷めないうちに食べよ"と笑った。





結論からいうと、その夜食は旨かった。
美味しい、という感覚を殆ど初めて体感した衝撃は大きく、箸を休めることなく食べ進めた。


「ご馳走さま。伊達に自炊してねぇな」

『お粗末さまです、ありがとう。お礼になったかな?』

「……まあ、妥当だろ」

『そっか。こんなのでよければいくらでも出すよ』

「ふはっ、じゃあ明日もテスト勉強するか?」

『え、いいの?だって練習で疲れてるって』


こいつに勉強を教えるのなんて、大した手間じゃない。隣で勝手に問題を解いてて、行き詰まっても一言二言のやりとりで理解する。
それより、この満たされた感覚を手放したくないと思ってしまったのだ。


『…じゃあ、明日もお願いします。夜食、準備しとくね』


俺の無言から何かを察したらしい彼女は、そういって食器を下げた。









そうしてテスト中を含み、2週間程雨月の作る夜食を食べる日々が続いた。
テストが終わってしまえば夜更かしする必要もなく、彼女も眠れないとはいえ毎晩俺の部屋に来れるわけでもない。
となれば、


(…足りない)


また若干の空腹を問題にしなければならなかった。




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⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯





そして、ある夜。
母が夜勤にでかけたのを見計らい雨月が窓を叩いた。


『お願いします』

「ん」


俺は断っていいはずのこの添い寝擬きに慣れつつあって、何故承諾しているのか自分でもよくわからなかった。
寝不足の雨月の顔が酷いからとか、ぎこちない笑い方が気持ち悪かったからとか、多分そんなことだろう。


「…」

『…』


そしてデジャビュ、というか半月前くらいにあった。
俺の腹の虫がまた鳴いたのだ。


『真君、夕飯足りてないの?』

「…しゃーねーだろ」


ことの顛末を話し、だからさっさと寝ようとすれば。


『…取り敢えず、夜食食べにおいでよ。一緒に寝てくれるお礼』


そう言われて再び窓を渡ったのだ。









『真君、私考えたんだけどね』


そうめんと薬味、小鉢を出しながら彼女はやっぱり正面に座った。
小鉢の中身は千切り胡瓜の白ゴマ和えで、薬味にしてもいいらしい。


『夕飯私が作ろうか』

「は?」

『お弁当を買うのと同じ値段でも、もう少し量も多くできるし、栄養とかもいいと思うんだ』

「何それ、家政婦?」

『えー…違うよ。私も一緒に食べるの。二人分、もしくは真君のお母さんの分もいれて三人分まとめて作れば、コストダウンできるんだよ。食材もまとめ買いできるし、光熱費も浮く』


突拍子もない提案に思わず箸を止めたが、俺としては悪い話ではない。


「…なんでそこまでするんだよ」

『さっきも言ったよ、一緒に寝てくれるから、お礼がしたい』

「は…、とんだイイコチャンだな」


でもまあ、交換条件としてはできてるか。
あとは、それを親が認めるかどうか。


「で、親になんて説明する?まさか一人じゃ寝れないなんて言えねぇだろ』


『…うん。まあ、お父さんはきっと詳細は聞かないし、どうでもいいと思う』


相変わらず父親は殆んど帰ってこないようだ。
通帳を渡されていて、必要なだけ入金されているらしい。


「…母さんも料理が苦手だからな、そこだけ伏せて言ってみるか。勉強教える代わりに―とか通用すればいいけど」










そうして母の帰りが早かった日、二人で話してみた。

勿論最初は渋っていた。
中学生に料理や食材費を任せるなんて、そりゃあ躊躇するだろう。
コストとしても時間としてもありがたい話だが、やはり雨月は子供なのだから、と。

しかし



『 一人で作って食べるの寂しくて…』




と、涙を溢した雨月に母はあっさりと折れたのだった。




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そこから毎日、雨月は夕食を作りにうちへやってきた。


なんと盆正月問わずに。


お節を品数少ないながらに出された時はさすがに母も驚いた。
しかもその味の良さから母が雨月の料理にはまる始末で。


「仕事先でもらったから調理して欲しい」


そのメモ書きと共に、冷凍のブロック肉がいくつか置いてあった時は二人で言葉を失った。


『真君のお母さん…なんの仕事してるの?』

「なんでもやってる物流会社の営業。母子家庭で運動部の息子がいるって話したら、誤発注品をこっそりくれたんだと」

『それは…ラッキー、かな?…何食べたい?』

「なんでもいい。強いて言えばがっつり食いたい」

『豚カツとか?』

「いいな」


俺は部位とかよくわからなかったが、柔らかい赤身のカツが夕食にあがった。
そして、次の日には1日煮込んでいたらしい角煮がでてきて。
冷蔵庫にはチャーシューまでジッパーに入れて保存してあった。


雨月ちゃんありがとう!私だったら全部焼いただけだったわ…また貰ったらよろしくね!」


こうして雨月が俺の、というか花宮家と飯を共にするのは普通になって。
部署異動のせいで母の出張が続く時は、二人で食べるのが通常になっている。



彼女が俺の飯を作るようになって、量以外にも俺にはメリットがあった。

栄養バランスだ。

図書館や保健室を巡って、雨月は成長期の体に必要な栄養素や食材を調べ、金が許す限りそれを取り入れた。
おかげで、成長期が重なったのもあるだろうが、中学入学から卒業にかけて身長はこれでも大分伸びた。
因みに、今でも伸び続けている。

技術でカバーしていたとはいえ、平均身長以下でのバスケは厳しい。
あのままの食事だと体作りは難しかったと思うし、アイツには…、まあ、よくやってもらったし、今もよくやってくれてるよ。








『何考えてるの?真君』

「いや?…お前がどうして俺の飯を作って、俺の隣で寝ることになったか思い出してた」

『…そっか。あ、ねぇ』

「あ?」

『あれは本当だよ。今もそう思ってる』



あの時そばにいてくれてありがとう。
一緒に寝てくれてありがとう。


『真君と一緒にご飯食べるのも好き、一人で食べるより美味しいから』

「……そうかよ」

『うん。だからこれからもよろしくね』


無邪気に笑った雨月に、適当な相槌をうって布団に潜った。

寄り添うでも、今では手を繋ぐでもないのに、雨月は隣に寝転ぶや否や寝息をたて始める。


「布団くらいかけろ…」


ただ隣にいるだけ。
彼女は朝起きるまでそれが変わらないと信じて疑わない。

不思議な程寄せられている絶対の信頼に、たまにほくそ笑みたくなる。


(俺も寝よう)



その感情に、名前をつけるのはやめておこう。

今は、まだ邪魔になる。



彼女にも掛かるよう布団をあげながら瞼を降ろした。




Fin.
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