番外編、SS詰め合わせなど
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To. you
雪が本格的に積もり始めたニューミリオンではクリスマスに向け、慌ただしく街が動き出していた。ハロウィンとはまた違う装いに包まれ、赤や緑の電飾で店舗や軒並み、木々が鮮やかに彩られる。
日が暮れ始めた頃に灯るイルミネーション。その街路樹を見上げながら霧華はエリオスタワーへと急いでいた。腕には紙袋を大事に抱えている。吐息を短い間隔で白く曇らせ、小走りでタワーのエントランスへ駆け込む。
受付で待っていた背の高い女性を見つけ、彼女の前で立ち止まる。しかし息が切れているため上手く声が出てこない。紅蓮は霧華の到着を心待ちにしていたが、息を切らしている彼女にこう声を掛けた。
「霧華。走ってきたのか?雪道で滑って転ぶと危ないだろう」
「…だ、大丈夫。雪が溶けてる道選んできたから」
霧華は心拍数の上がった胸を押さえ、呼吸を整えた。それから紅蓮に笑いかける。
仕事が長引いてしまったので、待ち合わせの時間に遅れるかもしれないと先に一報を入れていたのだ。だが、なんとか間に合うかもしれないと駅から駆けてきた。
「慌てなくとも、レンは逃げない。ガストたちが部屋に引き止めているはずだからな」
「う、うん。……喜んでくれるかしら」
腕に抱えていた紙袋の中身をちらと覗きながら、不安そうに呟く。青い包装紙で包んだ箱に同色のサテンリボンが結ばれている。レンの誕生日プレゼントを張り切って用意してきたのだが、果たして喜んでくれるものだろうか。
その不安が当日まで拭えず、不安げに身体を竦める霧華の肩に紅蓮は優しく手を置いた。彼女を見る眼差しは優しく、微笑んでいる。
「大丈夫だ。霧華がレンのことを考えて選んだ物なんだから」
そう後押しをする紅蓮の言葉が霧華の胸に響く。今となってはかけがえのない家族である姉がそう言うのだから、大丈夫だ。自信を持って渡せる。そんな気すらしてきた。
霧華はこくりと頷き、それを見た紅蓮は口元を緩める。
「よし。では行こう。来客用のID手続きは終わっている。このまま居住フロアまで向かうぞ」
紅蓮の右手指に挟まれた一枚のカード。それをホルダーに差し込んで、霧華の首へと提げた。
そして、関係者専用エレベーターに向かう。到着を待つ間も霧華の胸は逸る鼓動を刻み続けていた。
◇
エリオスタワーの上階フロアは【HELIOS】関係者のみが立ち入れる。トレーニングルーム、医療室、研究所などの施設が揃っており、さらにその上はヒーローたちが居住するフロアとなっていた。
一般市民の来客用IDでは立ち寄れる場所ではない。今回は特別にと紅蓮に計らってもらい、許可の下りたIDを発行してもらったのだ。
フロアを進む中、市内パトロールや任務から戻って来た様々なヒーローたちとすれ違う。彼らは紅蓮に挨拶を交わしていく。13期ヒーローたちだけではなく、研究者や別チームの馴染みも声を掛けてくるので、その度に霧華も軽く頭を下げていた。笑顔を返すのも忘れずに。
十二月四日はレンの誕生日だと知ったのは一ヶ月前。プレゼントは何が良いかと頭を捻らせていた。その理由は、本人が誕生日を特別視している様子が無かったからだ。大袈裟に言えば興味が無いとも捉えることができた。
遡ること六年前。家族を喪ってからというもの、毎年祝ってくれていた両親や姉はもうこの世にいない。歳を重ねるのもクリスマスイブと同列に虚無でしかない。そう思わせるほどレンにとって家族は大切な存在であった。
いずれも本人がそう口にしたわけではない。だが、以前誕生日の話になった際、その表情や言動から辛い気持ちがあるんだろうと霧華は察していた。自身もそう思う時期があったからだ。
それでも、誕生日を祝いたい気持ちがあるのはチームメイトもどうやら同じようで。当日に祝いの席をセッティングするから、良かったら来てくれないかと誘いを受けたのだ。
レンはクールな性格ゆえ、祝いの言葉や贈り物は厄介なものでしかないかもしれない。それでも、一年にたった一度の日だ。少しでも喜んでもらいたい。
霧華はそんな思いを抱きながら、紅蓮に案内されたノースチームが居住している部屋の前に立つ。インターホンを鳴らした後、すぐに住人の一人が笑顔で出迎えてきた。
「早かったな。霧華ちゃんいらっしゃい。今日はレンのバースデーを祝いに来てくれてサンキュ。遠慮なく入ってくれよ」
「お…お邪魔します」
「その様子から察するに、レン引き止め作戦は成功したようだな」
任務終了後、少しでも時間があればすぐにトレーニングルームへ向かう。その行動をいい加減知り尽くしていたガストは「今夜だけは留まらせるように」と司令より指示を受けていた。
紅蓮の問いにガストは笑みを浮かべ、頷く。
「宥めるのも結構大変だったぞ。主役ならソファに座ってるぜ。おーいレン、ゲストが駆け付けてくれたぞ」
ガストは紅蓮と霧華を招き入れ、振り向きざまにリビングの方に声を掛ける。
共用スペースのソファに本日の主役が腰を下ろしていた。その表情は大変不満そうにしており、口をへの字に曲げて顰め面をしている。「もういい加減にしろ」と言わんばかりにガストへ向けていた視線は、霧華の姿を捉えるなりその目を見開いてみせた。
「お、サプライズ成功みたいだな」
あくまでレンにはバースデーパーティーをするとだけ伝えていた。誰が来るとは言わずに。どうせなら驚かせようとガストとマリオンが口裏を合わせていたのだ。
本日の任務が終了した後、タワーへ真っすぐ戻って来たレンは小休止を挟んだ後にすぐトレーニングウェアに着替えていた。しかし、部屋を出ようとしたところでルームメイトに阻まれてしまう。それだけでも不満を抱えたというのに、バースデーパーティーをするというのだ。そんなことしてくれなくてもいいと断りをいれても、ダメだと一向に引き下がらない。その理由が今ここで分かり、複雑な気持ちを抱いていた。
以前のレンであれば誰であろうと静止を振り切ってでも去っていたのだが、ここ数ヶ月はそれもできずにいた。
「朝に言っただろ?夜はレンのバースデーパーティーに客が来るから時間空けといてくれって」
「…だから、聞いてない。寝てる時に話すなと言ってる」
「起きてる時に話したら断る確率が高いだろ」
この男、確信犯か。ガストの方を静かに睨みつけるが、どこ吹く風。それどころか「霧華ちゃんが来てくれて良かったなぁ」と嬉しそうに笑っている。
「あ…あの、連絡もせずに来てごめんね。…びっくりさせたくて」
「霧華は悪くない。……充分驚いた」
そう声を掛けたレンは軽く目を伏せた。その顔には僅かに喜の色を浮かべている。
「…レンってさ、霧華ちゃんには甘いよな。司令みたいに」
「霧華は可愛いからな。甘やかしたくなるのも仕方あるまい」
紅蓮はまるで愛娘を褒められたように上機嫌に頬を緩めた。その反応がリリー教官と同じようだとガストは苦笑いを浮かべる。
「ところで、マリオンとヴィクターの姿が見えないようだが」
「マリオンは自分の部屋にレンのプレゼント取りに行ってる。ドクターはさっきまでいたんだけど、一旦席を外すって研究所に戻った。あとで戻ってくるとは言ってたぜ」
「そうか。…今日は祝いの席だ。個人の感情は控えるとしよう」
マリオンはパトロールが終わった後にプレゼントを見繕ってきたようで、「ボクのセンスに間違いは無い」と自信満々にしていたそうだ。マリオンと紅蓮は共に何のしがらみも無いのだが、ヴィクターとはヒーロー時代から折が合わない。以前、紅蓮が口にしていたことだ。今年の夏に揉めたという話も風の噂で聞いていたガストは、二人を近くの席に座らせない方が良いだろうと考えていた。
「霧華。先にプレゼントを渡すといい。人が集まってきてからでは居心地も悪いだろうし」
「うん」
緊張で固まりかけていた霧華は背中を優しく紅蓮に叩かれ、一歩前へと足を踏み出した。レンがいるソファまで近づき、ラッピングを施した箱を両手で差し出す。箱の上面にバースデーカードを添えて。
「レンくん、お誕生日おめでとう」
霧華の手からプレゼントを受け取ったレンは呟くような声で「ありがとう」とお礼を伝えた。表情に変化は乏しいものの、その言葉を聞いた霧華は一先ず安堵する。それからプレゼントを開けてほしいと促した。
手袋をはめた黒い指先が青いサテンのリボンをするりと解き、包装紙をガサガサと開けていく。それに包まれていたのは白いボール紙の箱で、中にはシルバーフレームで覆われた液晶時計が入っていた。
時計本体の上部に取り付けられたニ匹の猫の飾り。それはステンレス製の金属板を切り抜いたもので、顔や毛並みなどがレーザー加工で描かれていた。繊細な模様は腕の良い職人が携わったものだと分かるくらいに精巧。
この猫の毛並み模様によく見覚えがある。霧華の家で飼われているハチワレ猫の親子、その二匹とそっくりだ。
レンはもしかしてと霧華の方を見た。
「…この猫、ポラリスとレグルスなのか」
「うん。特別に職人さんにお願いして作ってもらったの」
「すごいな……あのニ匹だってよく分かる」
「…喜んでもらえた、かな」
「ああ。……嬉しい」
レンは僅かに目を細めて微笑んだので、期待と不安の入り交じっていた霧華の目にパッと笑みが綻ぶ。「目覚まし機能も付いていて」と話を続ける表情もだいぶ和らいできた。
青の飾り付けで彩られたリビング。簡易的なものだが、派手に飾り付けるよりはレンも煩く感じないだろう。そう配慮されたリビング内を眺めながら、紅蓮は二人の様子を窺っていた。穏やかに会話を楽しんでいる。心配は無用の賜物だったようだ。自然と紅蓮の眼差しも柔らかくなる。
「あのフレーム加工職人、ガストが紹介してくれたのだろう?」
「相変わらず勘が鋭いよな…。霧華ちゃんに何がいいかって相談されてさ」
「そうか。私も幾つか提案したのだが…最後に選んだのはあの子自身。それを喜んで貰えるかどうか、プレゼントを抱えながら今日も不安そうにしていたよ」
「…まぁ、あの様子なら何も心配要らなかったみたいだな」
家具や雑貨は極力増やしたくないと耳にしていたガストは「実用的で好きなもの」を反映した物ならどうだろうかと霧華にアドバイスを送っていた。時計なら実用的だし、フレームの加工も自由にオーダーができるということで知り合いの工房を紹介したのだ。
「さて、そろそろパーティーを始める準備をしよう。ケーキや料理を並べている間にマリオンも戻ってくるだろうし。ガスト、手伝ってくれ」
「オーケー。あとは盛り付けて、ケーキや飲み物出すだけで始められるぜ」
「あ…姉さん、ガストさん。私も手伝います」
「霧華はそのままレンの相手を頼むよ。レン一人で待たせるのも気が引けるからな」
ちらとレンの方を覗えば「俺は別に一人で待てる」と言いたそうな目をしていた。それでも声にそう出さず、大人しく席についている。
「…あ、あのね。ペットカメラを取り付けたの。留守中の様子が分かるのよ」
雑談の引き出しもとい、話したいことは山ほどある。その中でも興味を持って聞いてもらえそうなものをと霧華は話を切り出した。
スマホから専用のアプリを起ち上げ、IDとパスワードを入力。画面が表示されたところで、レンにスマホを持たせる。
画面には霧華の部屋が映し出されている。キャットタワーが奥の方に聳え立っていた。その下に二匹の猫がいる。
一匹はクッションの上で丸くなっており、青いぬいぐるみのようなものを抱え込んでいた。もう一匹はボールのおもちゃにじゃれついていて、毬くらいの大きさをしたそれにしがみつき、ころんと転がる姿も見られる。大人しくしている方がレグルスで、慌ただしく動き回るのがポラリスだとすぐにレンは識別した。
このボールには見覚えがある。夏のある日、猫じゃらしにするか、こちらにするか悩んでいたものだ。あの時は屋外では不向きだと断念したのだが、屋内なら安心して遊べるだろうと先日プレゼントした。
「ポラリスは遊び盛りだな。……このボール、俺が渡した…」
「うん。一番のお気に入りよ。ポラリスも一緒にころころ転がってて、見てると可愛いくて」
お気に入り。しかも一番と聞いたレンの表情が緩む。自分が選んだおもちゃで楽しそうに遊んでいるのだから、嬉しいに決まっている。
「そうそう、ペットカメラにスピーカーとマイクもついてるの…レンくん、呼びかけてみて」
霧華が画面のマイクアイコンにタッチする。マイクアイコンがちかちかと点滅する。スマホの通話口に向かってレンが「ポラリス」と控えめに呼びかけた。すると、ボールと一緒になって転がっていたポラリスがぴたりと動きを止めた。三角の小さな耳をピンと立て、声がどこから聞こえたのか、探している。
「ポラリス」
『みゃー』
もう一度、はっきり呼びかけると、今度はポラリスが鳴いて答えた。そしてペットカメラの方に近寄ってくる。その前にちょこんと座り、甘えた声で鳴き始める。こうしてリアルタイムで姿を見られるのは勿論嬉しいのだが、あの温かいふわふわの毛並みが恋しくなるというもの。
それを察した霧華は優しい笑みを口元に浮かべてみせた。
「またいつでも会いに来てね」
「……あぁ」
ポラリスたちだけではない、霧華にも会いに行く。そう言おうとしたのだが、その時にタイミング悪くガストが取り分け用の皿をテーブルに置きにきた。
「ペットカメラって便利だよなぁ。外に居ても様子が見られるし、ゴハンもあげられるっていうし……って、なんで睨むんだレン」
「……別に」
「ん、あれって…レンのぬいぐるみじゃないか?」
クッションの上でレグルスが抱え込んでいる青いぬいぐるみ。それはよく見ると、人の形をしていた。髪型、ヒーロースーツはレンのものとそっくりだ。
大きな欠伸をしたレグルスは手足と身体をぐっと伸ばし、またレンのぬいぐるみを抱えて目を瞑った。
レグルスが自分を模ったぬいぐるみに寄り添っているのは嬉しくもあり、恥ずかしい。さらに霧華の部屋にあるということにも恥ずかしさを感じていた。
レンと同様に霧華も顔を赤らめ、このぬいぐるみの存在をどう言い訳しようかとしどろもどろになっていた。
「え、えっと……それはね、可愛いなぁって…思って、それで」
「私がプレゼントしたんだ。レンはあの子たちに好かれているし、喜ぶと思ってな。勿論、霧華も」
「姉さんっ!」
唐揚げを盛り付けた大皿を片手に乗せて運んできた紅蓮は意味ありげに含み笑いを浮かべていた。慌てて声を上げた霧華の頬は更に紅潮する。
「喜んでいたじゃないか。中々手に入らないから探していたと言っていたし」
「そっそれは、そうだけど…」
「レグルスのお気に入りもレンのぬいぐるみらしいぞ」
その言い方では「霧華のお気に入りでもある」と証言しているようなもの。
互いに顔を赤らめて目を合わせられずにいる二人を遠目で「青春してんなぁ」とガストは温かい目で見守っていた。
メンターたちの部屋に通じるドアが静かに開く。プレゼントの包みを抱えたマリオンがリビングに戻ってきたようだ。自室に居ても聞こえてきた話し声が気になっていたのだろう。レンとガストだけではここまで会話が盛り上がることは無いと知っているだけに、紅蓮と霧華の来訪に納得した。
「随分賑やかだと思ったら…司令と霧華さんも到着していたのか」
「お…お邪魔してます、マリオンさん」
「いらっしゃい、霧華さん」
快く出迎えるといった柔らかい笑みを霧華に向けていたマリオンだが、彼女の顔が赤らんでいることに気づき、心配そうに眉を顰める。
「…ゆっくりしてほしいけど、体調が優れないなら無理しない方がいい」
「だ、大丈夫よ。どこも悪くないから」
「熱があるんじゃないのか」
「あー…マリオン、とにかく先に乾杯しないか?ドクターはいつ戻ってくるか分かんねぇし」
賑やかな会話の内容までを把握していないマリオンに詳細まで説明するのも面倒だ。そう踏んだガストが口を挟み、ワイングラスと赤ワインをチラつかせた。
「ノンアルコールのスパークリングワインも冷えてるぜ。司令は赤でいいだろ?」
「頂こう」
「マリオンはどうする」
「ボクはノンアルコールだ」
「オーケー。レンもそれだとして…霧華ちゃんは?」
「私もノンアルコールでお願いします」
それぞれのグラスにワイン、ノンアルコールのスパークリングワインが注がれていく。
レンは自分の前に用意された細いグラスを眺めていた。パチパチと細かい泡が弾けていく。
昼間、幼馴染二人から誕生日のお祝いと言葉を受け取った。幼い頃からウィルとアキラには忘れずにこの日を祝われたものだ。次第にアキラと衝突するようになっても、祝いの言葉だけは投げつけられてきた。
今年は適当に選んできたと出合い頭にプレゼントを押し付けてきた。包みの中身は一冊の文庫本。タイトルに見覚えがあったのは、文学賞を受賞した作家だったから。アキラのことだから、店頭のおススメコーナーから大した考えもせず手にとってきたのだろう。相変わらず適当な奴だとレンは呆れていたが、以前よりも煩わしさを感じなくなっていた。
「よし、それじゃあ乾杯といくか」
テーブルの中央に用意されたバースデーケーキ。ブルーベリーソースを使用した甘さを控えた仕様となっている。甘いものを得意としないレンに合わせ、試行錯誤したものだ。猫の形をしたチョコプレートとネームプレートがケーキの頂点に飾られている。少しだけそれがむず痒いとレンは感じていた。
各々グラスを掲げ、各々らしい笑みを浮かべた馴染みの顔ぶれがレンの目に映る。
アカデミーで過ごしていた頃は、片手で数えられる程度しか祝いの言葉を貰えなかった。今じゃ片手だけでは足りない。
決して望んでいる訳じゃない。家族を喪ったあの日から、誕生日が特別でもなんでもなくなった。それがまた、特別なものに変わり始めている。その兆しを薄々と感じている。
胸に灯る温かいあの感情。悪くないものだと、また、思えるようになりたい。
「カンパーイ!」
声が重なり、レンを祝う言葉と共にグラスが彼の手元へ寄せられる。その勢いで中身が零れそうになるが、嫌な顔をせずに「ありがとう」と呟いた。
雑談。
「ガスト。もうワインはいいのか」
「あぁ…今日は程々にしとく。明日、用事があるんだ」
空になったワイングラスに注がれていく赤ワイン。瓶の中身はあと一杯分しか残っていない。殆ど紅蓮が一人で空けたものだ。その顔色は全く変わっていない。
まだ飲むなら常温の物がキッチンにあるとガストが伝えるが、ガストの様子を見てにんまりと笑う。
「ほう…余程大事な用だと見受けた。もしや、例の件か」
グラスをちびちびと傾けていたガストの手がぴたりと止まる。どうしてこうも紅蓮は勘が働くのか。いや、以前に相談をしていたせいだろう。今日の主役であるレンたちが話を咲かせているようだが、聞かれないように「そうだよ」と肯定する。
「いよいよ決戦というわけか。まぁ、そう緊張せずに行ってくるといい」
「分かってる。……はぁ」
自然とガストの口から溜息が漏れた。
明日、三年来片思いをしている相手に自分の気持ちを伝える。何度も頭の中でシミュレーションをしてはいるが、どれも上手くいかずにいる。それを思い出しては、友達のままで終わりそうだと落胆していた。どうすれば本気が伝わるのだろうか。二週間ばかりそんなことばかりを考えていた。
「まぁ、そう固くなるな。当たって砕けてこい」
「砕けたくないから悩んでんだろ…!」
赤ワインをなみなみと注いだグラスをガストの方へ向けながら、悪戯な笑みを浮かべる紅蓮。
「健闘を祈る」
「……サンキュ」
雪が本格的に積もり始めたニューミリオンではクリスマスに向け、慌ただしく街が動き出していた。ハロウィンとはまた違う装いに包まれ、赤や緑の電飾で店舗や軒並み、木々が鮮やかに彩られる。
日が暮れ始めた頃に灯るイルミネーション。その街路樹を見上げながら霧華はエリオスタワーへと急いでいた。腕には紙袋を大事に抱えている。吐息を短い間隔で白く曇らせ、小走りでタワーのエントランスへ駆け込む。
受付で待っていた背の高い女性を見つけ、彼女の前で立ち止まる。しかし息が切れているため上手く声が出てこない。紅蓮は霧華の到着を心待ちにしていたが、息を切らしている彼女にこう声を掛けた。
「霧華。走ってきたのか?雪道で滑って転ぶと危ないだろう」
「…だ、大丈夫。雪が溶けてる道選んできたから」
霧華は心拍数の上がった胸を押さえ、呼吸を整えた。それから紅蓮に笑いかける。
仕事が長引いてしまったので、待ち合わせの時間に遅れるかもしれないと先に一報を入れていたのだ。だが、なんとか間に合うかもしれないと駅から駆けてきた。
「慌てなくとも、レンは逃げない。ガストたちが部屋に引き止めているはずだからな」
「う、うん。……喜んでくれるかしら」
腕に抱えていた紙袋の中身をちらと覗きながら、不安そうに呟く。青い包装紙で包んだ箱に同色のサテンリボンが結ばれている。レンの誕生日プレゼントを張り切って用意してきたのだが、果たして喜んでくれるものだろうか。
その不安が当日まで拭えず、不安げに身体を竦める霧華の肩に紅蓮は優しく手を置いた。彼女を見る眼差しは優しく、微笑んでいる。
「大丈夫だ。霧華がレンのことを考えて選んだ物なんだから」
そう後押しをする紅蓮の言葉が霧華の胸に響く。今となってはかけがえのない家族である姉がそう言うのだから、大丈夫だ。自信を持って渡せる。そんな気すらしてきた。
霧華はこくりと頷き、それを見た紅蓮は口元を緩める。
「よし。では行こう。来客用のID手続きは終わっている。このまま居住フロアまで向かうぞ」
紅蓮の右手指に挟まれた一枚のカード。それをホルダーに差し込んで、霧華の首へと提げた。
そして、関係者専用エレベーターに向かう。到着を待つ間も霧華の胸は逸る鼓動を刻み続けていた。
◇
エリオスタワーの上階フロアは【HELIOS】関係者のみが立ち入れる。トレーニングルーム、医療室、研究所などの施設が揃っており、さらにその上はヒーローたちが居住するフロアとなっていた。
一般市民の来客用IDでは立ち寄れる場所ではない。今回は特別にと紅蓮に計らってもらい、許可の下りたIDを発行してもらったのだ。
フロアを進む中、市内パトロールや任務から戻って来た様々なヒーローたちとすれ違う。彼らは紅蓮に挨拶を交わしていく。13期ヒーローたちだけではなく、研究者や別チームの馴染みも声を掛けてくるので、その度に霧華も軽く頭を下げていた。笑顔を返すのも忘れずに。
十二月四日はレンの誕生日だと知ったのは一ヶ月前。プレゼントは何が良いかと頭を捻らせていた。その理由は、本人が誕生日を特別視している様子が無かったからだ。大袈裟に言えば興味が無いとも捉えることができた。
遡ること六年前。家族を喪ってからというもの、毎年祝ってくれていた両親や姉はもうこの世にいない。歳を重ねるのもクリスマスイブと同列に虚無でしかない。そう思わせるほどレンにとって家族は大切な存在であった。
いずれも本人がそう口にしたわけではない。だが、以前誕生日の話になった際、その表情や言動から辛い気持ちがあるんだろうと霧華は察していた。自身もそう思う時期があったからだ。
それでも、誕生日を祝いたい気持ちがあるのはチームメイトもどうやら同じようで。当日に祝いの席をセッティングするから、良かったら来てくれないかと誘いを受けたのだ。
レンはクールな性格ゆえ、祝いの言葉や贈り物は厄介なものでしかないかもしれない。それでも、一年にたった一度の日だ。少しでも喜んでもらいたい。
霧華はそんな思いを抱きながら、紅蓮に案内されたノースチームが居住している部屋の前に立つ。インターホンを鳴らした後、すぐに住人の一人が笑顔で出迎えてきた。
「早かったな。霧華ちゃんいらっしゃい。今日はレンのバースデーを祝いに来てくれてサンキュ。遠慮なく入ってくれよ」
「お…お邪魔します」
「その様子から察するに、レン引き止め作戦は成功したようだな」
任務終了後、少しでも時間があればすぐにトレーニングルームへ向かう。その行動をいい加減知り尽くしていたガストは「今夜だけは留まらせるように」と司令より指示を受けていた。
紅蓮の問いにガストは笑みを浮かべ、頷く。
「宥めるのも結構大変だったぞ。主役ならソファに座ってるぜ。おーいレン、ゲストが駆け付けてくれたぞ」
ガストは紅蓮と霧華を招き入れ、振り向きざまにリビングの方に声を掛ける。
共用スペースのソファに本日の主役が腰を下ろしていた。その表情は大変不満そうにしており、口をへの字に曲げて顰め面をしている。「もういい加減にしろ」と言わんばかりにガストへ向けていた視線は、霧華の姿を捉えるなりその目を見開いてみせた。
「お、サプライズ成功みたいだな」
あくまでレンにはバースデーパーティーをするとだけ伝えていた。誰が来るとは言わずに。どうせなら驚かせようとガストとマリオンが口裏を合わせていたのだ。
本日の任務が終了した後、タワーへ真っすぐ戻って来たレンは小休止を挟んだ後にすぐトレーニングウェアに着替えていた。しかし、部屋を出ようとしたところでルームメイトに阻まれてしまう。それだけでも不満を抱えたというのに、バースデーパーティーをするというのだ。そんなことしてくれなくてもいいと断りをいれても、ダメだと一向に引き下がらない。その理由が今ここで分かり、複雑な気持ちを抱いていた。
以前のレンであれば誰であろうと静止を振り切ってでも去っていたのだが、ここ数ヶ月はそれもできずにいた。
「朝に言っただろ?夜はレンのバースデーパーティーに客が来るから時間空けといてくれって」
「…だから、聞いてない。寝てる時に話すなと言ってる」
「起きてる時に話したら断る確率が高いだろ」
この男、確信犯か。ガストの方を静かに睨みつけるが、どこ吹く風。それどころか「霧華ちゃんが来てくれて良かったなぁ」と嬉しそうに笑っている。
「あ…あの、連絡もせずに来てごめんね。…びっくりさせたくて」
「霧華は悪くない。……充分驚いた」
そう声を掛けたレンは軽く目を伏せた。その顔には僅かに喜の色を浮かべている。
「…レンってさ、霧華ちゃんには甘いよな。司令みたいに」
「霧華は可愛いからな。甘やかしたくなるのも仕方あるまい」
紅蓮はまるで愛娘を褒められたように上機嫌に頬を緩めた。その反応がリリー教官と同じようだとガストは苦笑いを浮かべる。
「ところで、マリオンとヴィクターの姿が見えないようだが」
「マリオンは自分の部屋にレンのプレゼント取りに行ってる。ドクターはさっきまでいたんだけど、一旦席を外すって研究所に戻った。あとで戻ってくるとは言ってたぜ」
「そうか。…今日は祝いの席だ。個人の感情は控えるとしよう」
マリオンはパトロールが終わった後にプレゼントを見繕ってきたようで、「ボクのセンスに間違いは無い」と自信満々にしていたそうだ。マリオンと紅蓮は共に何のしがらみも無いのだが、ヴィクターとはヒーロー時代から折が合わない。以前、紅蓮が口にしていたことだ。今年の夏に揉めたという話も風の噂で聞いていたガストは、二人を近くの席に座らせない方が良いだろうと考えていた。
「霧華。先にプレゼントを渡すといい。人が集まってきてからでは居心地も悪いだろうし」
「うん」
緊張で固まりかけていた霧華は背中を優しく紅蓮に叩かれ、一歩前へと足を踏み出した。レンがいるソファまで近づき、ラッピングを施した箱を両手で差し出す。箱の上面にバースデーカードを添えて。
「レンくん、お誕生日おめでとう」
霧華の手からプレゼントを受け取ったレンは呟くような声で「ありがとう」とお礼を伝えた。表情に変化は乏しいものの、その言葉を聞いた霧華は一先ず安堵する。それからプレゼントを開けてほしいと促した。
手袋をはめた黒い指先が青いサテンのリボンをするりと解き、包装紙をガサガサと開けていく。それに包まれていたのは白いボール紙の箱で、中にはシルバーフレームで覆われた液晶時計が入っていた。
時計本体の上部に取り付けられたニ匹の猫の飾り。それはステンレス製の金属板を切り抜いたもので、顔や毛並みなどがレーザー加工で描かれていた。繊細な模様は腕の良い職人が携わったものだと分かるくらいに精巧。
この猫の毛並み模様によく見覚えがある。霧華の家で飼われているハチワレ猫の親子、その二匹とそっくりだ。
レンはもしかしてと霧華の方を見た。
「…この猫、ポラリスとレグルスなのか」
「うん。特別に職人さんにお願いして作ってもらったの」
「すごいな……あのニ匹だってよく分かる」
「…喜んでもらえた、かな」
「ああ。……嬉しい」
レンは僅かに目を細めて微笑んだので、期待と不安の入り交じっていた霧華の目にパッと笑みが綻ぶ。「目覚まし機能も付いていて」と話を続ける表情もだいぶ和らいできた。
青の飾り付けで彩られたリビング。簡易的なものだが、派手に飾り付けるよりはレンも煩く感じないだろう。そう配慮されたリビング内を眺めながら、紅蓮は二人の様子を窺っていた。穏やかに会話を楽しんでいる。心配は無用の賜物だったようだ。自然と紅蓮の眼差しも柔らかくなる。
「あのフレーム加工職人、ガストが紹介してくれたのだろう?」
「相変わらず勘が鋭いよな…。霧華ちゃんに何がいいかって相談されてさ」
「そうか。私も幾つか提案したのだが…最後に選んだのはあの子自身。それを喜んで貰えるかどうか、プレゼントを抱えながら今日も不安そうにしていたよ」
「…まぁ、あの様子なら何も心配要らなかったみたいだな」
家具や雑貨は極力増やしたくないと耳にしていたガストは「実用的で好きなもの」を反映した物ならどうだろうかと霧華にアドバイスを送っていた。時計なら実用的だし、フレームの加工も自由にオーダーができるということで知り合いの工房を紹介したのだ。
「さて、そろそろパーティーを始める準備をしよう。ケーキや料理を並べている間にマリオンも戻ってくるだろうし。ガスト、手伝ってくれ」
「オーケー。あとは盛り付けて、ケーキや飲み物出すだけで始められるぜ」
「あ…姉さん、ガストさん。私も手伝います」
「霧華はそのままレンの相手を頼むよ。レン一人で待たせるのも気が引けるからな」
ちらとレンの方を覗えば「俺は別に一人で待てる」と言いたそうな目をしていた。それでも声にそう出さず、大人しく席についている。
「…あ、あのね。ペットカメラを取り付けたの。留守中の様子が分かるのよ」
雑談の引き出しもとい、話したいことは山ほどある。その中でも興味を持って聞いてもらえそうなものをと霧華は話を切り出した。
スマホから専用のアプリを起ち上げ、IDとパスワードを入力。画面が表示されたところで、レンにスマホを持たせる。
画面には霧華の部屋が映し出されている。キャットタワーが奥の方に聳え立っていた。その下に二匹の猫がいる。
一匹はクッションの上で丸くなっており、青いぬいぐるみのようなものを抱え込んでいた。もう一匹はボールのおもちゃにじゃれついていて、毬くらいの大きさをしたそれにしがみつき、ころんと転がる姿も見られる。大人しくしている方がレグルスで、慌ただしく動き回るのがポラリスだとすぐにレンは識別した。
このボールには見覚えがある。夏のある日、猫じゃらしにするか、こちらにするか悩んでいたものだ。あの時は屋外では不向きだと断念したのだが、屋内なら安心して遊べるだろうと先日プレゼントした。
「ポラリスは遊び盛りだな。……このボール、俺が渡した…」
「うん。一番のお気に入りよ。ポラリスも一緒にころころ転がってて、見てると可愛いくて」
お気に入り。しかも一番と聞いたレンの表情が緩む。自分が選んだおもちゃで楽しそうに遊んでいるのだから、嬉しいに決まっている。
「そうそう、ペットカメラにスピーカーとマイクもついてるの…レンくん、呼びかけてみて」
霧華が画面のマイクアイコンにタッチする。マイクアイコンがちかちかと点滅する。スマホの通話口に向かってレンが「ポラリス」と控えめに呼びかけた。すると、ボールと一緒になって転がっていたポラリスがぴたりと動きを止めた。三角の小さな耳をピンと立て、声がどこから聞こえたのか、探している。
「ポラリス」
『みゃー』
もう一度、はっきり呼びかけると、今度はポラリスが鳴いて答えた。そしてペットカメラの方に近寄ってくる。その前にちょこんと座り、甘えた声で鳴き始める。こうしてリアルタイムで姿を見られるのは勿論嬉しいのだが、あの温かいふわふわの毛並みが恋しくなるというもの。
それを察した霧華は優しい笑みを口元に浮かべてみせた。
「またいつでも会いに来てね」
「……あぁ」
ポラリスたちだけではない、霧華にも会いに行く。そう言おうとしたのだが、その時にタイミング悪くガストが取り分け用の皿をテーブルに置きにきた。
「ペットカメラって便利だよなぁ。外に居ても様子が見られるし、ゴハンもあげられるっていうし……って、なんで睨むんだレン」
「……別に」
「ん、あれって…レンのぬいぐるみじゃないか?」
クッションの上でレグルスが抱え込んでいる青いぬいぐるみ。それはよく見ると、人の形をしていた。髪型、ヒーロースーツはレンのものとそっくりだ。
大きな欠伸をしたレグルスは手足と身体をぐっと伸ばし、またレンのぬいぐるみを抱えて目を瞑った。
レグルスが自分を模ったぬいぐるみに寄り添っているのは嬉しくもあり、恥ずかしい。さらに霧華の部屋にあるということにも恥ずかしさを感じていた。
レンと同様に霧華も顔を赤らめ、このぬいぐるみの存在をどう言い訳しようかとしどろもどろになっていた。
「え、えっと……それはね、可愛いなぁって…思って、それで」
「私がプレゼントしたんだ。レンはあの子たちに好かれているし、喜ぶと思ってな。勿論、霧華も」
「姉さんっ!」
唐揚げを盛り付けた大皿を片手に乗せて運んできた紅蓮は意味ありげに含み笑いを浮かべていた。慌てて声を上げた霧華の頬は更に紅潮する。
「喜んでいたじゃないか。中々手に入らないから探していたと言っていたし」
「そっそれは、そうだけど…」
「レグルスのお気に入りもレンのぬいぐるみらしいぞ」
その言い方では「霧華のお気に入りでもある」と証言しているようなもの。
互いに顔を赤らめて目を合わせられずにいる二人を遠目で「青春してんなぁ」とガストは温かい目で見守っていた。
メンターたちの部屋に通じるドアが静かに開く。プレゼントの包みを抱えたマリオンがリビングに戻ってきたようだ。自室に居ても聞こえてきた話し声が気になっていたのだろう。レンとガストだけではここまで会話が盛り上がることは無いと知っているだけに、紅蓮と霧華の来訪に納得した。
「随分賑やかだと思ったら…司令と霧華さんも到着していたのか」
「お…お邪魔してます、マリオンさん」
「いらっしゃい、霧華さん」
快く出迎えるといった柔らかい笑みを霧華に向けていたマリオンだが、彼女の顔が赤らんでいることに気づき、心配そうに眉を顰める。
「…ゆっくりしてほしいけど、体調が優れないなら無理しない方がいい」
「だ、大丈夫よ。どこも悪くないから」
「熱があるんじゃないのか」
「あー…マリオン、とにかく先に乾杯しないか?ドクターはいつ戻ってくるか分かんねぇし」
賑やかな会話の内容までを把握していないマリオンに詳細まで説明するのも面倒だ。そう踏んだガストが口を挟み、ワイングラスと赤ワインをチラつかせた。
「ノンアルコールのスパークリングワインも冷えてるぜ。司令は赤でいいだろ?」
「頂こう」
「マリオンはどうする」
「ボクはノンアルコールだ」
「オーケー。レンもそれだとして…霧華ちゃんは?」
「私もノンアルコールでお願いします」
それぞれのグラスにワイン、ノンアルコールのスパークリングワインが注がれていく。
レンは自分の前に用意された細いグラスを眺めていた。パチパチと細かい泡が弾けていく。
昼間、幼馴染二人から誕生日のお祝いと言葉を受け取った。幼い頃からウィルとアキラには忘れずにこの日を祝われたものだ。次第にアキラと衝突するようになっても、祝いの言葉だけは投げつけられてきた。
今年は適当に選んできたと出合い頭にプレゼントを押し付けてきた。包みの中身は一冊の文庫本。タイトルに見覚えがあったのは、文学賞を受賞した作家だったから。アキラのことだから、店頭のおススメコーナーから大した考えもせず手にとってきたのだろう。相変わらず適当な奴だとレンは呆れていたが、以前よりも煩わしさを感じなくなっていた。
「よし、それじゃあ乾杯といくか」
テーブルの中央に用意されたバースデーケーキ。ブルーベリーソースを使用した甘さを控えた仕様となっている。甘いものを得意としないレンに合わせ、試行錯誤したものだ。猫の形をしたチョコプレートとネームプレートがケーキの頂点に飾られている。少しだけそれがむず痒いとレンは感じていた。
各々グラスを掲げ、各々らしい笑みを浮かべた馴染みの顔ぶれがレンの目に映る。
アカデミーで過ごしていた頃は、片手で数えられる程度しか祝いの言葉を貰えなかった。今じゃ片手だけでは足りない。
決して望んでいる訳じゃない。家族を喪ったあの日から、誕生日が特別でもなんでもなくなった。それがまた、特別なものに変わり始めている。その兆しを薄々と感じている。
胸に灯る温かいあの感情。悪くないものだと、また、思えるようになりたい。
「カンパーイ!」
声が重なり、レンを祝う言葉と共にグラスが彼の手元へ寄せられる。その勢いで中身が零れそうになるが、嫌な顔をせずに「ありがとう」と呟いた。
雑談。
「ガスト。もうワインはいいのか」
「あぁ…今日は程々にしとく。明日、用事があるんだ」
空になったワイングラスに注がれていく赤ワイン。瓶の中身はあと一杯分しか残っていない。殆ど紅蓮が一人で空けたものだ。その顔色は全く変わっていない。
まだ飲むなら常温の物がキッチンにあるとガストが伝えるが、ガストの様子を見てにんまりと笑う。
「ほう…余程大事な用だと見受けた。もしや、例の件か」
グラスをちびちびと傾けていたガストの手がぴたりと止まる。どうしてこうも紅蓮は勘が働くのか。いや、以前に相談をしていたせいだろう。今日の主役であるレンたちが話を咲かせているようだが、聞かれないように「そうだよ」と肯定する。
「いよいよ決戦というわけか。まぁ、そう緊張せずに行ってくるといい」
「分かってる。……はぁ」
自然とガストの口から溜息が漏れた。
明日、三年来片思いをしている相手に自分の気持ちを伝える。何度も頭の中でシミュレーションをしてはいるが、どれも上手くいかずにいる。それを思い出しては、友達のままで終わりそうだと落胆していた。どうすれば本気が伝わるのだろうか。二週間ばかりそんなことばかりを考えていた。
「まぁ、そう固くなるな。当たって砕けてこい」
「砕けたくないから悩んでんだろ…!」
赤ワインをなみなみと注いだグラスをガストの方へ向けながら、悪戯な笑みを浮かべる紅蓮。
「健闘を祈る」
「……サンキュ」