鬼灯の冷徹
名前変換
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
桜の花よりも
ひら、ひらと小さな花弁が鬼灯の足元に落ちた。
指先ほどしかない大きさのそれは春の日本に咲く桜だった。
歩道橋の上でそれを見つけた鬼灯はきょろきょろと辺りを見渡した。
見渡す限りのビル街。この近くに公園もない。となると、遠い場所から風に運ばれてきたのだろう。
鬼灯が視察に選んだ関東地方は桜前線がもうとっくに訪れていた。
ここからまた北へ、北へと足を伸ばし五月上旬には北海道に花を咲かせる。
もうそんな季節か。手すりに寄りかかりながら鬼灯は人知れず呟いた。
なにせ地獄の四季は判りづらい。
現世に視察に来る際も季節を考慮しなければ場違いの服装になってしまう。
僅かな歪で怪しまれては視察も充分に行えない。だから毎度服装に気を使っていた。
悪戯に吹いた風で浮きかけたキャスケットを手で押さえる。
ビル街をしばらく眺めていた鬼灯は上着のポケットに片手を突っ込んだ。
現世での現時間は金曜日の昼過ぎ。
鬼灯はポケットから携帯電話を取り出した。
*
夕刻を迎えた駅は人混みに溢れ返っていた。
週末なだけあっていかなりの人の多さ。
ホームから続いてきたであろう行列は真っ直ぐ改札へ向かってくる。
それも改札口を通り過ぎれば四方八方へ散っていった。
鬼灯もこの手のラッシュは体験したことがあった。
朝の通勤、夕方の帰宅ラッシュどちらもだ。
地獄にて亡者を裁く官吏ならば現世の時代の移ろいに敏感であるべき、という考えを持っている。
今もこうして『アフター5の社会人と駅で待ち合わせ』という状態だ。
待ち合わせ相手の霧華は仕事が十七時に終わると言っていた。
十八時ぐらいなら大丈夫かと聞けば、この駅でなら間に合うと電話口から返ってきた。
そろそろ約束の時間になる。
きょろ、きょろとそれらしい人を探すと改札口から出てきた霧華を見つけた。
向こうも鬼灯にすぐ気づいたのか定期入れを鞄にしまいながら駆け寄ってきた。
「お待たせしました」
「お勤めご苦労様です。本日は急なお誘いをしてすみません」
「突然でびっくりしました。電話に出られる時間で本当に良かったです」
着信先が見知らぬ携帯番号だったため、出るのに最初は躊躇ったという。
だが、声を聞いて相手が鬼灯と知ると食事中にも関わらず直ぐに席を立って人気のない廊下へ走った。
電話の用件は『アフター5に会いましょう』というだけで、詳細はまったく知らなかった。
「そうですね。もし電話に出なければ三分おきに着信を残していました」
「怖っ!せめて留守電に残してくださいよ!」
「だってこの方が印象に残るし、こんだけかけてるんだから用があると思うじゃないですか」
「いや、まあそうですけど。……それで、ご用件は何ですか」
「桜が見たくなったので、良い場所があれば案内してください」
それだけかと聞き返しても鬼灯は頷くだけであった。
霧華は大きな溜め息をついた。身体の力が一気に抜けていく。同時に大した用事でもなかったことに安堵したのである。
桜が見れる場所。
駅周辺は建物ばかりで自然がない。
急な注文に霧華は頭を捻らせた。
仕事で疲れているせいですぐには良い場所が浮かんでこない。
桜をキーワードに検索をかける。第一候補、第二候補は名所や地元の場所しか出てこなかった。
もっとこの辺りで、桜の咲いている場所。
ふと、とある場所の映像がぱっと脳裏に浮かんだ。
「あっ。近くに公園があるんですが…そこまですごいってほどじゃないんですけど」
「構いませんよ」
「じゃあ行きましょう。五分も歩かないところです」
「それは助かりますね」
霧華と鬼灯は駅を出て左の道を歩いていった。
その公園を見つけたのは昨年の春。
仕事の後、気晴らしにと歩いた道で見つけた場所だった。
住宅街に作られた申し訳程度の小さな公園。
ブランコ一台と鉄棒が二本。緑といえば花壇と一本の桜の木のみだった。
その桜がちょうど満開で、誰もいないのをいいことにブランコを揺らしながら桜を見上げていた。
霧華自身はその一本の桜の木で満足がいったが、鬼灯もそうとは限らない。
こんなものか、と怒られでもしたらどうしようか。
公園に向かいながらばくばくと心臓が高鳴っていた。
ひらり。
二人の視界に薄紅色の花弁が舞った。
風が吹くとその数は次第に増えていく。
視線を風の先に向けると、満開の桜の木が枝を揺らしていた。
「これは見事ですね」
「公園は小さいですけど、桜はきれいなんです。私も去年見つけたばかりでして」
公園には誰もいない。
鉄棒の下にプラスチックのバケツとくま手が置き去りにされていた。
桜を見上げていた鬼灯は垂れている枝の花房に手を伸ばした。
その姿は何というべきか。まるで花を愛でる昔の日本貴族のよう。
これで着物を召していればとても絵になるのに、と霧華は心の中でそっと呟いた。
「鬼灯さん、桜が似合いますね」
「そうですか?あ、そうだ写メ撮っておこう」
「撮りましょうか?」
「あ、じゃあお願いします。ここ押せば映ります」
鬼灯から渡された二つ折りの携帯を受け取り、霧華は一歩二歩と桜から下がる。
被写体がどちらも良い具合に画面に収まったところでシャッターを切った。
念のために写りを確認してもらい、鬼灯は満足げに頷いて携帯をしまった。
「日本人は本当に桜が好きだ。模った菓子に、文房具などのグッズが溢れ返っている」
「否定はできないですね。でも、鬼灯さんだってそうじゃないですか?」
「私ですか。まあ、ついでですよ。ついで。それよりも貴女の顔が見たくなりましたからね」
それが今日お誘いした一番の理由です、と鬼灯は言った。
最初は何を言っているのか理解に苦しんでいた霧華だが、次第に顔を紅潮させた。
「花より団子、とはよく言ったものです。私も今日は桜より貴女の顔が見れてどこか満足しています。お元気そうで何よりです」
「そ、そうですか。ええと……お花見、したいですけど次だともう散っちゃってますね」
「咲いていようが散ってようが関係ありません。この間行き損ねた水族館、案内してくれますよね?」
そういえば前回、一日分の給料を貰った日だ。
動物園を案内するだけで時間が過ぎてしまい、水族館へは行けなかった。
それならば次に来た時に、と約束をしていたのだが。
忘れていました、と口が裂けても言えない霧華だった。
鬼灯の視線がとても痛く感じる。
「あー……こ、今度いらっしゃる時は事前に連絡が欲しいなあ、なんて」
「じゃあメールします。というわけで、メアド教えてください」
「……そういえば電波っていうかネット回線あるんですね。そちらも」
「ありますよ。どういう仕組みかは企業秘密ですが」
スマートフォンと携帯電話の赤外線通信のやり取りは一瞬で終わった。
ホラー演出のある電話よりも、相手と内容がわかるメールのやり取りの方が気持ちに余裕が持てる。
だが、メールの文面や送信までにまた気苦労しそうだと霧華は思うのであった。
ひら、ひらと小さな花弁が鬼灯の足元に落ちた。
指先ほどしかない大きさのそれは春の日本に咲く桜だった。
歩道橋の上でそれを見つけた鬼灯はきょろきょろと辺りを見渡した。
見渡す限りのビル街。この近くに公園もない。となると、遠い場所から風に運ばれてきたのだろう。
鬼灯が視察に選んだ関東地方は桜前線がもうとっくに訪れていた。
ここからまた北へ、北へと足を伸ばし五月上旬には北海道に花を咲かせる。
もうそんな季節か。手すりに寄りかかりながら鬼灯は人知れず呟いた。
なにせ地獄の四季は判りづらい。
現世に視察に来る際も季節を考慮しなければ場違いの服装になってしまう。
僅かな歪で怪しまれては視察も充分に行えない。だから毎度服装に気を使っていた。
悪戯に吹いた風で浮きかけたキャスケットを手で押さえる。
ビル街をしばらく眺めていた鬼灯は上着のポケットに片手を突っ込んだ。
現世での現時間は金曜日の昼過ぎ。
鬼灯はポケットから携帯電話を取り出した。
*
夕刻を迎えた駅は人混みに溢れ返っていた。
週末なだけあっていかなりの人の多さ。
ホームから続いてきたであろう行列は真っ直ぐ改札へ向かってくる。
それも改札口を通り過ぎれば四方八方へ散っていった。
鬼灯もこの手のラッシュは体験したことがあった。
朝の通勤、夕方の帰宅ラッシュどちらもだ。
地獄にて亡者を裁く官吏ならば現世の時代の移ろいに敏感であるべき、という考えを持っている。
今もこうして『アフター5の社会人と駅で待ち合わせ』という状態だ。
待ち合わせ相手の霧華は仕事が十七時に終わると言っていた。
十八時ぐらいなら大丈夫かと聞けば、この駅でなら間に合うと電話口から返ってきた。
そろそろ約束の時間になる。
きょろ、きょろとそれらしい人を探すと改札口から出てきた霧華を見つけた。
向こうも鬼灯にすぐ気づいたのか定期入れを鞄にしまいながら駆け寄ってきた。
「お待たせしました」
「お勤めご苦労様です。本日は急なお誘いをしてすみません」
「突然でびっくりしました。電話に出られる時間で本当に良かったです」
着信先が見知らぬ携帯番号だったため、出るのに最初は躊躇ったという。
だが、声を聞いて相手が鬼灯と知ると食事中にも関わらず直ぐに席を立って人気のない廊下へ走った。
電話の用件は『アフター5に会いましょう』というだけで、詳細はまったく知らなかった。
「そうですね。もし電話に出なければ三分おきに着信を残していました」
「怖っ!せめて留守電に残してくださいよ!」
「だってこの方が印象に残るし、こんだけかけてるんだから用があると思うじゃないですか」
「いや、まあそうですけど。……それで、ご用件は何ですか」
「桜が見たくなったので、良い場所があれば案内してください」
それだけかと聞き返しても鬼灯は頷くだけであった。
霧華は大きな溜め息をついた。身体の力が一気に抜けていく。同時に大した用事でもなかったことに安堵したのである。
桜が見れる場所。
駅周辺は建物ばかりで自然がない。
急な注文に霧華は頭を捻らせた。
仕事で疲れているせいですぐには良い場所が浮かんでこない。
桜をキーワードに検索をかける。第一候補、第二候補は名所や地元の場所しか出てこなかった。
もっとこの辺りで、桜の咲いている場所。
ふと、とある場所の映像がぱっと脳裏に浮かんだ。
「あっ。近くに公園があるんですが…そこまですごいってほどじゃないんですけど」
「構いませんよ」
「じゃあ行きましょう。五分も歩かないところです」
「それは助かりますね」
霧華と鬼灯は駅を出て左の道を歩いていった。
その公園を見つけたのは昨年の春。
仕事の後、気晴らしにと歩いた道で見つけた場所だった。
住宅街に作られた申し訳程度の小さな公園。
ブランコ一台と鉄棒が二本。緑といえば花壇と一本の桜の木のみだった。
その桜がちょうど満開で、誰もいないのをいいことにブランコを揺らしながら桜を見上げていた。
霧華自身はその一本の桜の木で満足がいったが、鬼灯もそうとは限らない。
こんなものか、と怒られでもしたらどうしようか。
公園に向かいながらばくばくと心臓が高鳴っていた。
ひらり。
二人の視界に薄紅色の花弁が舞った。
風が吹くとその数は次第に増えていく。
視線を風の先に向けると、満開の桜の木が枝を揺らしていた。
「これは見事ですね」
「公園は小さいですけど、桜はきれいなんです。私も去年見つけたばかりでして」
公園には誰もいない。
鉄棒の下にプラスチックのバケツとくま手が置き去りにされていた。
桜を見上げていた鬼灯は垂れている枝の花房に手を伸ばした。
その姿は何というべきか。まるで花を愛でる昔の日本貴族のよう。
これで着物を召していればとても絵になるのに、と霧華は心の中でそっと呟いた。
「鬼灯さん、桜が似合いますね」
「そうですか?あ、そうだ写メ撮っておこう」
「撮りましょうか?」
「あ、じゃあお願いします。ここ押せば映ります」
鬼灯から渡された二つ折りの携帯を受け取り、霧華は一歩二歩と桜から下がる。
被写体がどちらも良い具合に画面に収まったところでシャッターを切った。
念のために写りを確認してもらい、鬼灯は満足げに頷いて携帯をしまった。
「日本人は本当に桜が好きだ。模った菓子に、文房具などのグッズが溢れ返っている」
「否定はできないですね。でも、鬼灯さんだってそうじゃないですか?」
「私ですか。まあ、ついでですよ。ついで。それよりも貴女の顔が見たくなりましたからね」
それが今日お誘いした一番の理由です、と鬼灯は言った。
最初は何を言っているのか理解に苦しんでいた霧華だが、次第に顔を紅潮させた。
「花より団子、とはよく言ったものです。私も今日は桜より貴女の顔が見れてどこか満足しています。お元気そうで何よりです」
「そ、そうですか。ええと……お花見、したいですけど次だともう散っちゃってますね」
「咲いていようが散ってようが関係ありません。この間行き損ねた水族館、案内してくれますよね?」
そういえば前回、一日分の給料を貰った日だ。
動物園を案内するだけで時間が過ぎてしまい、水族館へは行けなかった。
それならば次に来た時に、と約束をしていたのだが。
忘れていました、と口が裂けても言えない霧華だった。
鬼灯の視線がとても痛く感じる。
「あー……こ、今度いらっしゃる時は事前に連絡が欲しいなあ、なんて」
「じゃあメールします。というわけで、メアド教えてください」
「……そういえば電波っていうかネット回線あるんですね。そちらも」
「ありますよ。どういう仕組みかは企業秘密ですが」
スマートフォンと携帯電話の赤外線通信のやり取りは一瞬で終わった。
ホラー演出のある電話よりも、相手と内容がわかるメールのやり取りの方が気持ちに余裕が持てる。
だが、メールの文面や送信までにまた気苦労しそうだと霧華は思うのであった。