落とされた歯車 封神演義(WJ)
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2.目覚めた先は
悪夢に魘されている。
真っ暗闇の中、視えない恐怖から逃げ回っていた。これが夢だと気づいたのは吉か凶か。夢ならば早く覚めてほしい。そう願いながら縺れる足を前へ、前へと走る。
一筋の光が見えた。この夢から覚めたい一心で霧華は身を投じた。
眩しさに細めた目が捉えた映像は至ってシンプルな風景であった。先ず見えたのは板目の天井、照明器具は付いていないようだ。
ベッドで横になっていた事から、やはりさっきのは夢だったと霧華は確信した。しかし、上半身を起こしてみるもここは見知らぬ部屋。しかも体のあちこちが軋む。全力疾走した次の日にも似た感覚だ。矛盾に違和感を覚えながらも、現状を把握しようと頭を働かせることにした。
此処は自分の部屋ではない。見慣れない家具の配置、箪笥と机に椅子といった必要最低限のものしかなかった。モデルルームにしては質素すぎるし、そこで自分が眠っているのもおかしい。
どうやら寝起きで頭も上手く回らないようだ。ここは何処なのかとぼんやり考えていると、ドアノブを回す音を耳が捉えた。
黒髪の青年が部屋に入ってくるなり「お、目覚ましたさ」と明るい笑みを浮かべた。ベッドから動けずにいる霧華は青年がこちらへ近づいてくるのをただ見ていた。袖が千切れたデニム生地の上着を素肌に羽織り、はだけた胸元には陰陽を描いたマーク。うろ覚えではあるが、それは確か太極図といったものだ。筋骨隆々とした体は脂肪が少ないから、黙っていたら水に沈んでしまうんだろうなと、ぼんやりとした目で霧華は青年を見ていた。
その様子にまだ夢の中にいるらしい霧華の顔の前で青年が手をひらひらと振る。
「大丈夫さ?」
「あ……はい。大丈夫だと、思います」
青年は人当たりの良い笑みを浮かべ、壁際から木の椅子を引っ張って来た。ベッドの前にそれを置き、椅子を跨ぐ。背もたれの縁に両腕と顎を乗せた。
この快活な青年に霧華は妙な違和感を覚えていた。
「生きてて良かったさ。あーたが空から降ってきた時、もしかしたら死んじまったんじゃないかって焦った」
「空から?」
「覚えてないんか」
霧華は青年にそう言われてからようやく思い出すことができた。全身が浮遊感に包まれ、光の如く後方へ飛び去って行く景色の数々。意識を手放す直後、確かに死を覚悟していた。だが、目覚めたということは自分は未だ生きているようだ。そもそも、何故そうなったのかは思い出せない。
「どっか痛い?…受け止めたつもりだったけど、怪我させちまったか」
考えに耽っていた様が痛みを堪えているように青年には見えたのか、ふっと表情が曇った。そうじゃないと霧華は首を横へ振る。
「なんで落ちていたのか……思い出せなくて」
「……記憶喪失?」
「ううん。それより前のことは覚えてるから、その時のことだけ忘れてるみたい」
記憶の暦が一部分だけ剥がれ落ちたようだった。記憶が抜け落ちたことがこんなにも不安を募らせる。視線を落とした霧華に青年は然程問題ではないと言った。
「それだけで良かったさね。自分が何処の誰なのかもわかんなくなっちまったら、もっと大変さ」
まるで他人事のように、とは思えなかった。決して軽い気持ちで口にしたわけではない、前向きな考え方を示してくれたのだと霧華は感じとることができた。おかげで少しだけ不安が和らいだのだ。
お互いの名前を知らない事に気が付き、命の恩人であろうこの青年に自ら名乗ることにした。
「私、葉月霧華です。貴方が助けてくれたのよね。ありがとう」
「ほんと間一髪だったさね。俺っちは黄天化、仙人になる修行中の身で師父の所に弟子入りしてるんさ」
この青年に抱いていた違和感の正体にようやく気付くことができた。右から左にかけて鼻筋を横切った傷跡。白地の額当てを巻き、襟足が長い癖のない黒髪。澄んだエメラルドグリーンの瞳。独特な喋り方。
何よりもこの顔に見覚えがあったことに霧華は困惑する。いや、そんなはずはないと。まだ夢の中なんだと。しかし、それを完全に覆されることになった。
「おっ、目が覚めたようだね。天化が『空から人が降ってきた!』と駆けつけて来たから何事かと思ったよ」
部屋に入って来た若い男性はそう声をかけ、両手を腰に当てながら「彼女が目を覚ましたら呼んでくれと言ったはずだぞ」と天化に一言。「すまねえコーチ。話に夢中になってたさ」と答えた彼に悪びれた様子は全くない。
椅子の横に立つ男性は上下揃いのウインタースポーツで着用するウェアを身に着けていた。思えばこの二人は正反対の恰好をしている。
「天化との自己紹介はもう済んでいるようだね。俺は清虚道徳真君。仙人だ!」
「さっき話した俺の師父さね」
この後も師弟の会話が続いていく。目の前の現実に呆然としていた霧華がこれを受け入れるまでにそう時間はかからなかった。
悪夢に魘されている。
真っ暗闇の中、視えない恐怖から逃げ回っていた。これが夢だと気づいたのは吉か凶か。夢ならば早く覚めてほしい。そう願いながら縺れる足を前へ、前へと走る。
一筋の光が見えた。この夢から覚めたい一心で霧華は身を投じた。
眩しさに細めた目が捉えた映像は至ってシンプルな風景であった。先ず見えたのは板目の天井、照明器具は付いていないようだ。
ベッドで横になっていた事から、やはりさっきのは夢だったと霧華は確信した。しかし、上半身を起こしてみるもここは見知らぬ部屋。しかも体のあちこちが軋む。全力疾走した次の日にも似た感覚だ。矛盾に違和感を覚えながらも、現状を把握しようと頭を働かせることにした。
此処は自分の部屋ではない。見慣れない家具の配置、箪笥と机に椅子といった必要最低限のものしかなかった。モデルルームにしては質素すぎるし、そこで自分が眠っているのもおかしい。
どうやら寝起きで頭も上手く回らないようだ。ここは何処なのかとぼんやり考えていると、ドアノブを回す音を耳が捉えた。
黒髪の青年が部屋に入ってくるなり「お、目覚ましたさ」と明るい笑みを浮かべた。ベッドから動けずにいる霧華は青年がこちらへ近づいてくるのをただ見ていた。袖が千切れたデニム生地の上着を素肌に羽織り、はだけた胸元には陰陽を描いたマーク。うろ覚えではあるが、それは確か太極図といったものだ。筋骨隆々とした体は脂肪が少ないから、黙っていたら水に沈んでしまうんだろうなと、ぼんやりとした目で霧華は青年を見ていた。
その様子にまだ夢の中にいるらしい霧華の顔の前で青年が手をひらひらと振る。
「大丈夫さ?」
「あ……はい。大丈夫だと、思います」
青年は人当たりの良い笑みを浮かべ、壁際から木の椅子を引っ張って来た。ベッドの前にそれを置き、椅子を跨ぐ。背もたれの縁に両腕と顎を乗せた。
この快活な青年に霧華は妙な違和感を覚えていた。
「生きてて良かったさ。あーたが空から降ってきた時、もしかしたら死んじまったんじゃないかって焦った」
「空から?」
「覚えてないんか」
霧華は青年にそう言われてからようやく思い出すことができた。全身が浮遊感に包まれ、光の如く後方へ飛び去って行く景色の数々。意識を手放す直後、確かに死を覚悟していた。だが、目覚めたということは自分は未だ生きているようだ。そもそも、何故そうなったのかは思い出せない。
「どっか痛い?…受け止めたつもりだったけど、怪我させちまったか」
考えに耽っていた様が痛みを堪えているように青年には見えたのか、ふっと表情が曇った。そうじゃないと霧華は首を横へ振る。
「なんで落ちていたのか……思い出せなくて」
「……記憶喪失?」
「ううん。それより前のことは覚えてるから、その時のことだけ忘れてるみたい」
記憶の暦が一部分だけ剥がれ落ちたようだった。記憶が抜け落ちたことがこんなにも不安を募らせる。視線を落とした霧華に青年は然程問題ではないと言った。
「それだけで良かったさね。自分が何処の誰なのかもわかんなくなっちまったら、もっと大変さ」
まるで他人事のように、とは思えなかった。決して軽い気持ちで口にしたわけではない、前向きな考え方を示してくれたのだと霧華は感じとることができた。おかげで少しだけ不安が和らいだのだ。
お互いの名前を知らない事に気が付き、命の恩人であろうこの青年に自ら名乗ることにした。
「私、葉月霧華です。貴方が助けてくれたのよね。ありがとう」
「ほんと間一髪だったさね。俺っちは黄天化、仙人になる修行中の身で師父の所に弟子入りしてるんさ」
この青年に抱いていた違和感の正体にようやく気付くことができた。右から左にかけて鼻筋を横切った傷跡。白地の額当てを巻き、襟足が長い癖のない黒髪。澄んだエメラルドグリーンの瞳。独特な喋り方。
何よりもこの顔に見覚えがあったことに霧華は困惑する。いや、そんなはずはないと。まだ夢の中なんだと。しかし、それを完全に覆されることになった。
「おっ、目が覚めたようだね。天化が『空から人が降ってきた!』と駆けつけて来たから何事かと思ったよ」
部屋に入って来た若い男性はそう声をかけ、両手を腰に当てながら「彼女が目を覚ましたら呼んでくれと言ったはずだぞ」と天化に一言。「すまねえコーチ。話に夢中になってたさ」と答えた彼に悪びれた様子は全くない。
椅子の横に立つ男性は上下揃いのウインタースポーツで着用するウェアを身に着けていた。思えばこの二人は正反対の恰好をしている。
「天化との自己紹介はもう済んでいるようだね。俺は清虚道徳真君。仙人だ!」
「さっき話した俺の師父さね」
この後も師弟の会話が続いていく。目の前の現実に呆然としていた霧華がこれを受け入れるまでにそう時間はかからなかった。