封神演義(WJ)
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もしも、また逢えたなら 参
珈琲の香りが対面式のキッチンから漂ってくる。ドリップ式で淹れた珈琲は香りも味も良いからと手間と時間を惜しまずにいた。慣れた手つきで淹れている事から普段もこうして珈琲を嗜んでいるのだろう。
天化の視線がキッチンからリビングへと移り、壁や棚に飾られた小物やドライフラワーに目を留める。第一印象は女の子らしい部屋。ここ数年はずっと独り暮らしだと言っていた。ざっと探った所では男の気配は無かったので内心ほっとしているのはここだけの話。
「お待たせ」
キッチンから戻って来た霧華の手にはそれぞれ不揃いのマグ。口が広めのマグが天化の前に置かれた。湯気と共に香ばしい匂いが立つ。これが一番好きな珈琲だという。コクがあり酸味は少ない、これに天化も頷いていた。
「天兄もブラック派なの?」
「ああ。こっちのが美味いさ」
「私も」
朝食を済ませた後の珈琲タイム。他愛の無い会話に華を咲かせて過ごすひと時。これが幸せだと感じているのはどちらも同じこと。朝食が美味かった。雪国に暮らしていて凍えていないのか、雪が止んだら雪合戦でもしようかと冗談も時折交じる。
昨夜の再会は神様がクリスマスだからと叶えてくれたものかも。そう聞いた天化は知り合いの顔を思い浮かべた。まさか恩恵を自分が被るとは思ってもいない。
暫くお喋りに夢中になっていた。なにせ話す事は山ほどあるのだ。飲み物はそれに比例して減っていく。あの日を境に兄弟子と共有していた時間が途切れ、歴史から存在が取り残された。転生を繰り返して人の世を渡ってきたが、仙界との縁が再び繋がる事は訪れなかった。その間、何も知らずに生きてきた事に後ろめたさすら感じる。
「傷はもう、いいの?」
「とっくにな。いつの話してるんさ」
自分が癒しきれなかった深い傷。天化にとっては遠い昔のことだが、霧華にしてみればつい昨日の様な感覚なのだ。兄弟子が語る歴史は激動の変化を遂げていったのだと思い知らされる。
霧華は真実を知る覚悟を決めていた。崑崙山と金鰲島による仙界大戦。多数の犠牲者にかつての師父が、黄飛虎が命を落とした。懸命に堪えていた感情は意図も容易く陥落する。孤児となった自分に手を差し伸べてくれた師父。娘同然に接してくれた飛虎が息子二人の前で亡くなったのだ。悲しまずにはいられない。
涙を流す端整な横顔。あの頃に比べて外見はすっかり大人の女性になっている。正直な話、昨夜顔を合わせただけでは霧華と気づかなかった。あまりに綺麗になっていたから。しかし中身はあの時のままだと小さな頭を優しく抱き寄せた。
「泣き虫なトコはちっとも変わってねえさ」
もし、自分が殷の紂王と一騎打ちを遂げた後に封神されたと伝えたら。体中の水分が枯れ果てるまで涙を流すだろう。落ち着くまでこの事は黙っていよう。霧華の頭を優しく撫でながら天化はそう考えた。
「なんか、湿っぽくなっちまったな。そんなつもりで話したワケじゃねえのに」
首を左右に振った霧華は苦しそうに息を継ぎながら、幾度も「ごめん、ごめんね」と呟く。一体何に対して謝罪を繰り返すのか。懺悔なのか、慈悲の道士と呼ばれた魂がそうさせているのか。霧華が謝るような事は一つもないと宥めるが、俯いた表情は暗く沈んでいた。
「……わからない。なんて言えばいいのか、わからないの」
もしも、自分が生き延びることができていたら。何か変わったかもしれない、と。自分に出来ることが
あったかもしれない。そうすれば、もしかしたらと仮定の話ばかりが頭に浮かんでいた。過ぎ去った事を悔やむのは後の祭りと言えど、考えずにはいられない。言葉にできない悲しみと悔しさが雫となって落ち続けていた。
その涙を掬うように指で払う。出来る事ならば抱きしめて慰めたいと思う。兄弟子の立場ならば許されるだろう。だが、今となってはそれ以上の感情が邪魔をしてくる。
「霧華。……俺っちはどういう歴史を辿ってきたとしても、今こうして霧華に逢えて良かったって思ってる。なんつーか……嬉しい気持ちではち切れそうさ」
「私も、私もまた天兄に逢えて良かった」
そう躊躇っていた自分が馬鹿らしくもなる。本当に嬉しいと胸に飛び込むように抱き着いてきたのだから。その細い体を天化は力強く抱き返した。
「天兄。……いつまで、ここに居られるの?」
「しばらく厄介になるさ」
「ほんと?」
不安に揺れていた瞳が柔らかく微笑んでみせる。天化の胸がざわついた。恐らく、自分の感情と彼女が抱くものは似て異なるものだ。このまま曖昧な形でいるには耐えられそうもない。ましてや兄妹弟子の絆という名の壁がある。それを取り壊したい。
「それに」と続けた天化が霧華の頬を右手で包む。覗き込む黒い光彩に自身の顔が映り込んでいる。
「まだ昨日の返事聞いてない」
「え?」
何の事だと尋ねてくるような真似はない。微かに染まる頬とその反応を見れば、昨夜の言葉は確かに届いているのだとわかる。兄弟子としてではなく、それ以上に想いを寄せていると。だが、その答えをまだ聞いていない。もう少しだけ落ち着いてからにしようと考えてもいたが、これ以上待つ余裕も無い。
「本気さ。霧華の事が好きだ。……男として、霧華を愛したい。誰にも渡したくない」
互いの鼻先が触れそうな程の距離に甘い吐息。霧華の体温は急上昇していき、いつの間にか繋がれていた手の指先まで血の巡りを感じていた。冗談だとか、からかっている要素は一つもない。真っすぐに見つめてくる緑碧の目は答えを聞くまでは離さないという意思が見て取れる。
家族のように天化を慕い、長い時間を共に過ごしてきた。側にいるのが当たり前だと霧華は思っていた。兄弟子が大怪我を負った日、それが大きく揺らぐ事になる。いくら仙道が不老不死といえ、致命傷に見舞われれば死に至る。魔家四将が現れたあの日、大好きな人が目の前から消えてしまう恐怖に襲われた。同時にどんな時でも自分を支えてきてくれた存在だと強い気持ちを抱くようになる。その直後、別れを告げる暇も、密かに抱いていた想いも叶うことなく道士としての人生に幕を下ろした。
あれから三千年以上も経っている。自分は人間としてこの大地で短い生涯を送り、相手は歴史の移り変わりを見守りながら生きている。当然のように想い人や家族がいるだろう、強く優しいこの人ならば良い人も沢山いる。そうだとばかり思っていた。自分は遠い過去の存在で、忘れているんだろうと。そう思っていたのが、今でも何一つ変わらずに接してくれている。それだけでも充分だというのに。
霧華が繋がれた手を弱く握り返すと緑碧の瞳が揺らいだ。
「私のこと忘れてると思ってた。天兄は私と違って強い人だから、色んな事も乗り越えられる。私が死んだ後も真っすぐ前を向いて進んできたんだって。そう、思ってた」
「忘れられるわけねえさ。何かある度に霧華がいれば、って考えた。……ココに空いた穴がでかすぎて、他のものじゃ埋められねえ。それだけ俺っちにとって大事な存在なんさ」
絡めた指先の体温は一つになっていた。今ここで手を離せば二度と掴む事が出来ない、そんな気さえしてくる。
気持ちを言葉にするというのはこれ程までに苦労するものだったろうか。何とか言葉を紡ごうとするも、上がり切った心拍数に邪魔をされてしまう。この先どうするのか、どうなるのか等と考えるのは止めにして、素直な気持ちを伝えたいと天化を見つめた。
「側にいたい。ずっと、貴方の側に」
鼻先が触れた。そう認識した次には柔らかい唇が重ねられる。煙草と珈琲の苦味をじわりと感じた。
ほんの数秒間の口付け。名残惜しそうに唇を離した天化は額をこつりと合わせてきた。肺に押し込んでいた空気を盛大に吐き出す。相当張り詰めていたようで、すっかり脱力している。
「……なげえ片想いだったさ」
そんな姿を見るのが珍しいと思い、霧華は笑みを零した。先程までの緊張や強張りはすっかり解けていた。
「天兄でもそんな顔するのね」
「そうさせてんのはそっちさ。……もう、遠慮はしねえかんな」
「うん」
お互いの想いが通じた。それだけでこんなにも心が満たされる。額から瞼へ順に降りてくる、そっと触れるだけのキス。幸福に包まれる中、愛の言葉を優しく囁かれた。
珈琲の香りが対面式のキッチンから漂ってくる。ドリップ式で淹れた珈琲は香りも味も良いからと手間と時間を惜しまずにいた。慣れた手つきで淹れている事から普段もこうして珈琲を嗜んでいるのだろう。
天化の視線がキッチンからリビングへと移り、壁や棚に飾られた小物やドライフラワーに目を留める。第一印象は女の子らしい部屋。ここ数年はずっと独り暮らしだと言っていた。ざっと探った所では男の気配は無かったので内心ほっとしているのはここだけの話。
「お待たせ」
キッチンから戻って来た霧華の手にはそれぞれ不揃いのマグ。口が広めのマグが天化の前に置かれた。湯気と共に香ばしい匂いが立つ。これが一番好きな珈琲だという。コクがあり酸味は少ない、これに天化も頷いていた。
「天兄もブラック派なの?」
「ああ。こっちのが美味いさ」
「私も」
朝食を済ませた後の珈琲タイム。他愛の無い会話に華を咲かせて過ごすひと時。これが幸せだと感じているのはどちらも同じこと。朝食が美味かった。雪国に暮らしていて凍えていないのか、雪が止んだら雪合戦でもしようかと冗談も時折交じる。
昨夜の再会は神様がクリスマスだからと叶えてくれたものかも。そう聞いた天化は知り合いの顔を思い浮かべた。まさか恩恵を自分が被るとは思ってもいない。
暫くお喋りに夢中になっていた。なにせ話す事は山ほどあるのだ。飲み物はそれに比例して減っていく。あの日を境に兄弟子と共有していた時間が途切れ、歴史から存在が取り残された。転生を繰り返して人の世を渡ってきたが、仙界との縁が再び繋がる事は訪れなかった。その間、何も知らずに生きてきた事に後ろめたさすら感じる。
「傷はもう、いいの?」
「とっくにな。いつの話してるんさ」
自分が癒しきれなかった深い傷。天化にとっては遠い昔のことだが、霧華にしてみればつい昨日の様な感覚なのだ。兄弟子が語る歴史は激動の変化を遂げていったのだと思い知らされる。
霧華は真実を知る覚悟を決めていた。崑崙山と金鰲島による仙界大戦。多数の犠牲者にかつての師父が、黄飛虎が命を落とした。懸命に堪えていた感情は意図も容易く陥落する。孤児となった自分に手を差し伸べてくれた師父。娘同然に接してくれた飛虎が息子二人の前で亡くなったのだ。悲しまずにはいられない。
涙を流す端整な横顔。あの頃に比べて外見はすっかり大人の女性になっている。正直な話、昨夜顔を合わせただけでは霧華と気づかなかった。あまりに綺麗になっていたから。しかし中身はあの時のままだと小さな頭を優しく抱き寄せた。
「泣き虫なトコはちっとも変わってねえさ」
もし、自分が殷の紂王と一騎打ちを遂げた後に封神されたと伝えたら。体中の水分が枯れ果てるまで涙を流すだろう。落ち着くまでこの事は黙っていよう。霧華の頭を優しく撫でながら天化はそう考えた。
「なんか、湿っぽくなっちまったな。そんなつもりで話したワケじゃねえのに」
首を左右に振った霧華は苦しそうに息を継ぎながら、幾度も「ごめん、ごめんね」と呟く。一体何に対して謝罪を繰り返すのか。懺悔なのか、慈悲の道士と呼ばれた魂がそうさせているのか。霧華が謝るような事は一つもないと宥めるが、俯いた表情は暗く沈んでいた。
「……わからない。なんて言えばいいのか、わからないの」
もしも、自分が生き延びることができていたら。何か変わったかもしれない、と。自分に出来ることが
あったかもしれない。そうすれば、もしかしたらと仮定の話ばかりが頭に浮かんでいた。過ぎ去った事を悔やむのは後の祭りと言えど、考えずにはいられない。言葉にできない悲しみと悔しさが雫となって落ち続けていた。
その涙を掬うように指で払う。出来る事ならば抱きしめて慰めたいと思う。兄弟子の立場ならば許されるだろう。だが、今となってはそれ以上の感情が邪魔をしてくる。
「霧華。……俺っちはどういう歴史を辿ってきたとしても、今こうして霧華に逢えて良かったって思ってる。なんつーか……嬉しい気持ちではち切れそうさ」
「私も、私もまた天兄に逢えて良かった」
そう躊躇っていた自分が馬鹿らしくもなる。本当に嬉しいと胸に飛び込むように抱き着いてきたのだから。その細い体を天化は力強く抱き返した。
「天兄。……いつまで、ここに居られるの?」
「しばらく厄介になるさ」
「ほんと?」
不安に揺れていた瞳が柔らかく微笑んでみせる。天化の胸がざわついた。恐らく、自分の感情と彼女が抱くものは似て異なるものだ。このまま曖昧な形でいるには耐えられそうもない。ましてや兄妹弟子の絆という名の壁がある。それを取り壊したい。
「それに」と続けた天化が霧華の頬を右手で包む。覗き込む黒い光彩に自身の顔が映り込んでいる。
「まだ昨日の返事聞いてない」
「え?」
何の事だと尋ねてくるような真似はない。微かに染まる頬とその反応を見れば、昨夜の言葉は確かに届いているのだとわかる。兄弟子としてではなく、それ以上に想いを寄せていると。だが、その答えをまだ聞いていない。もう少しだけ落ち着いてからにしようと考えてもいたが、これ以上待つ余裕も無い。
「本気さ。霧華の事が好きだ。……男として、霧華を愛したい。誰にも渡したくない」
互いの鼻先が触れそうな程の距離に甘い吐息。霧華の体温は急上昇していき、いつの間にか繋がれていた手の指先まで血の巡りを感じていた。冗談だとか、からかっている要素は一つもない。真っすぐに見つめてくる緑碧の目は答えを聞くまでは離さないという意思が見て取れる。
家族のように天化を慕い、長い時間を共に過ごしてきた。側にいるのが当たり前だと霧華は思っていた。兄弟子が大怪我を負った日、それが大きく揺らぐ事になる。いくら仙道が不老不死といえ、致命傷に見舞われれば死に至る。魔家四将が現れたあの日、大好きな人が目の前から消えてしまう恐怖に襲われた。同時にどんな時でも自分を支えてきてくれた存在だと強い気持ちを抱くようになる。その直後、別れを告げる暇も、密かに抱いていた想いも叶うことなく道士としての人生に幕を下ろした。
あれから三千年以上も経っている。自分は人間としてこの大地で短い生涯を送り、相手は歴史の移り変わりを見守りながら生きている。当然のように想い人や家族がいるだろう、強く優しいこの人ならば良い人も沢山いる。そうだとばかり思っていた。自分は遠い過去の存在で、忘れているんだろうと。そう思っていたのが、今でも何一つ変わらずに接してくれている。それだけでも充分だというのに。
霧華が繋がれた手を弱く握り返すと緑碧の瞳が揺らいだ。
「私のこと忘れてると思ってた。天兄は私と違って強い人だから、色んな事も乗り越えられる。私が死んだ後も真っすぐ前を向いて進んできたんだって。そう、思ってた」
「忘れられるわけねえさ。何かある度に霧華がいれば、って考えた。……ココに空いた穴がでかすぎて、他のものじゃ埋められねえ。それだけ俺っちにとって大事な存在なんさ」
絡めた指先の体温は一つになっていた。今ここで手を離せば二度と掴む事が出来ない、そんな気さえしてくる。
気持ちを言葉にするというのはこれ程までに苦労するものだったろうか。何とか言葉を紡ごうとするも、上がり切った心拍数に邪魔をされてしまう。この先どうするのか、どうなるのか等と考えるのは止めにして、素直な気持ちを伝えたいと天化を見つめた。
「側にいたい。ずっと、貴方の側に」
鼻先が触れた。そう認識した次には柔らかい唇が重ねられる。煙草と珈琲の苦味をじわりと感じた。
ほんの数秒間の口付け。名残惜しそうに唇を離した天化は額をこつりと合わせてきた。肺に押し込んでいた空気を盛大に吐き出す。相当張り詰めていたようで、すっかり脱力している。
「……なげえ片想いだったさ」
そんな姿を見るのが珍しいと思い、霧華は笑みを零した。先程までの緊張や強張りはすっかり解けていた。
「天兄でもそんな顔するのね」
「そうさせてんのはそっちさ。……もう、遠慮はしねえかんな」
「うん」
お互いの想いが通じた。それだけでこんなにも心が満たされる。額から瞼へ順に降りてくる、そっと触れるだけのキス。幸福に包まれる中、愛の言葉を優しく囁かれた。