封神演義(WJ)
名前変換
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
遥か先を見据えて
殺人ウイルスにより壊滅の危機に陥った周の軍勢はようやく態勢を立て直し始めた。土行孫と蝉玉の働きでワクチンの接種も全ての兵に完了している。もう何日かすれば西岐から武王が到着する。味方に加わった者も加え、兵力は十万を超えた。いよいよもって殷と刃を交える時が近づいていた。
まだ空が白んでいる時間帯に天化は目を覚ました。同じテント内で寝泊りしている家族はまだそれぞれ夢の中のようだ。隣の寝台で布団を跳ねのけて寝ている天翔は何やら寝言をむにゃむにゃと呟いている。
しかし日課の朝練に汗を流す気になれない。何となく、気まぐれにだが。かといってまた目を瞑って二度寝しようにも眠気はすっかり飛んでしまっていた。
仕方なく体を起こした天化は音を立てないよう、天翔に布団をかけ直してやる。全く目を覚ます様子もなく、ぐっすりと眠っている。最近はこの末弟に稽古をつけていたので、疲れが溜まっているのかもしれない。一族の血を引いているおかげで武芸に秀でており、大人を軽々と投げるように倒していった。仙人骨があるのでは、という話もありゆくゆくは天然道士か道士となるのか。決断に迷った時期が自分にもあったと天化は末弟の頭をそっと撫でる。「うーん」と寝言を発した天翔に笑みをこぼした。
天化は朝の空気を吸いに行くため出入り口の幕を捲り、静かに潜り抜けていった。
遠くの山に朝日が差し掛かっている。色彩の薄い天を仰ぎ、ポケットに両手を入れた。起きたばかりの目には痛いほど明るい光、しばらくの間目を瞑っていた天化は宿営地の外れに向かって歩き出す。愛用の煙草とライターを手にし、火を点ける。澄んだ空気に燻ぶった匂いと煙が揺らめいた。
宿営地の外れには草木がまばらに生えている。元々荒野だった所に宿営地を敷いたので、僅かな緑でも心は少しばかり穏やかになる。ここへ来る途中は誰とも顔を合わせていない。兵士たちは皆病み上がりのせいもある。何となく、今は誰とも会いたくない気分だった天化には丁度良かった。
細い枝に葉を茂らせた木の根元に腰を下ろし、短くなった煙草の火を地面に押し付けて消火。片膝の上に肘を付き、頬杖をつく。伏せられた緑碧の目が物悲し気に見える。普段の彼を知っている者ならそう言うだろう。だが、本人にそう言ってきた者はいない。極力いつも通りに気丈に振る舞っていた。最愛の妹弟子を失ったあの日からずっと。
あれは夢だったんじゃないかと。振り向けばそこに、居るのではないかと思ってしまう。耳飾りを片方無くしたと言って、探しに来るんじゃないかと。そう、考えることが度々あった。
少しずつ明るさを増していく空をぼんやりと見上げていた天化に声をかける者がいた。「天化兄ちゃん」と遠慮がちに呼ばれ、そちらを向くと眠っていたはずの天翔が立っている。起こしてしまったのかと申し訳ない気持ちが湧いてくる。
「天翔、どうした?」
「天化兄ちゃんが、出てくの見えたから」
「……そっか」
追いかけてきた末弟の気配も分からなかった。相当ぼんやりしているようだと天化は一人苦笑いを浮かべた。天翔の方は随分としょぼくれた表情で項垂れている。どこか身体の調子が悪いのではないかと心配になる。だが、天化の考えていた予想とは異なり、逆に心配をかけられることとなった。
「天化兄ちゃん。だいじょうぶ?」
一瞬、何のことを言っているのか天化にはわからなかった。もしや、魔家四将と戦った時の傷のことを言っているのだろうか。あの時は天翔にもだいぶ泣かれる羽目となった。泣き喚く自分の末弟を宥めていた霧華の姿がふっと浮かぶ。まだ、それを案じているのかもしれない。仙人界で療養をしてきたし、完治ではないが動くには全く問題がないのだ。しょぼくれた天翔を安心させようと天化は笑みを作った。
「こんぐらい、どうってことねえさ」
「……うそだよ。そんなの、うそだ」
「天翔」
いつの間にか涙が溜まっていた大きな目からボロボロと雫が落ちていく。乾いた砂地が水を含み、固まっていく。
少しばかりのウソは含んでいるが、どうしてそれで泣き出すのか。袖でぐいと涙を拭った天翔が涙声で訴えかけてきた。
「だって、お父さんが言ってた。霧華姉ちゃんをなくして、一番かなしんでるのは天化兄ちゃんだって。天化兄ちゃん、ムリしてるって」
次第に昂ってきた感情の枷が外れ、わあわあと天翔が泣き出した。どんなに気丈に強気で振る舞っていても、血を分けた家族には筒抜けのようだった。人間界へ戻ってきた折、傷の心配をしていた黄飛虎に天化はこう言っていた「もう、大事なものを失いたくない」と。
泣くに泣けずにいた。その自分の代わりに今こうして末弟が人の悲しみを感じ取って、泣いていた。傍で泣き喚く小さな頭をあやすように、優しく撫でる。
「悪いな天翔。……兄ちゃん、泣くの下手なんだわ」
「っく……っと、きっと、また会えるよ。ううん、ぜったいにまた会える…!」
「天翔、あいつはもう」
「だって!あの日ぼく見てない!空にむかって、だれも飛んでいくの見なかった。武吉さんだって、そう言ってたよ!だから、だから霧華姉ちゃんはどこかにいるんだよ。天化兄ちゃんのこと待ってる。天化兄ちゃんがずっと、ずっと生きてれば会えるよ!」
星屑の涙が降った夜、魂魄が封神台へ飛んでいく様を目撃していなかった。ただ一人として。封神台に囚われた魂魄は輪廻へとは向かうことができない。永遠にその場に留まると、封神計画とはそう聞いていた。それならば、霧華の魂魄は輪廻転生への段階を踏んでいる可能性もある。但し、それが何十年、何百年先になるかはわからない。いつか、遠い先の未来でまた逢うことが出来るのかもしれない。人間では為せないことも、道士である自分なら可能だと幼い末弟が次兄を諭している。
「それに、霧華姉ちゃんが天化兄ちゃんのこと大好きだって言ってたの、ぼく聞いたもん。好きな人同士はいっしょにいなきゃダメなんだって、おとーさん言ってたよ」
天化はそれを聞いて思わず目を覆いたくなった。一体どこまで自分の気持ちは家族に筒抜けなのかと。不意に熱くなった顔を手の平で隠す。不思議なことに、先ほどまで重かった心が幾分かは軽くなっているような、そんな気がしていた。なんにせよ、泣きはらした天翔にこれ以上心配をかけるわけにもいかない。小さなその額に自分の額を合わせ、もう大丈夫だと呟いた。
「天翔、お前は強くなれる。人の痛みがわかる人間は強い心を持てるもんさ。……心配かけちまったな。そうさね、また、どっかで逢えるかもしんねえな」
また逢える日まで、その日が来るまで。
それが遥かな年月を経た未来だったとしても。
待っていてほしい。きっと逢いに行くから。
殺人ウイルスにより壊滅の危機に陥った周の軍勢はようやく態勢を立て直し始めた。土行孫と蝉玉の働きでワクチンの接種も全ての兵に完了している。もう何日かすれば西岐から武王が到着する。味方に加わった者も加え、兵力は十万を超えた。いよいよもって殷と刃を交える時が近づいていた。
まだ空が白んでいる時間帯に天化は目を覚ました。同じテント内で寝泊りしている家族はまだそれぞれ夢の中のようだ。隣の寝台で布団を跳ねのけて寝ている天翔は何やら寝言をむにゃむにゃと呟いている。
しかし日課の朝練に汗を流す気になれない。何となく、気まぐれにだが。かといってまた目を瞑って二度寝しようにも眠気はすっかり飛んでしまっていた。
仕方なく体を起こした天化は音を立てないよう、天翔に布団をかけ直してやる。全く目を覚ます様子もなく、ぐっすりと眠っている。最近はこの末弟に稽古をつけていたので、疲れが溜まっているのかもしれない。一族の血を引いているおかげで武芸に秀でており、大人を軽々と投げるように倒していった。仙人骨があるのでは、という話もありゆくゆくは天然道士か道士となるのか。決断に迷った時期が自分にもあったと天化は末弟の頭をそっと撫でる。「うーん」と寝言を発した天翔に笑みをこぼした。
天化は朝の空気を吸いに行くため出入り口の幕を捲り、静かに潜り抜けていった。
遠くの山に朝日が差し掛かっている。色彩の薄い天を仰ぎ、ポケットに両手を入れた。起きたばかりの目には痛いほど明るい光、しばらくの間目を瞑っていた天化は宿営地の外れに向かって歩き出す。愛用の煙草とライターを手にし、火を点ける。澄んだ空気に燻ぶった匂いと煙が揺らめいた。
宿営地の外れには草木がまばらに生えている。元々荒野だった所に宿営地を敷いたので、僅かな緑でも心は少しばかり穏やかになる。ここへ来る途中は誰とも顔を合わせていない。兵士たちは皆病み上がりのせいもある。何となく、今は誰とも会いたくない気分だった天化には丁度良かった。
細い枝に葉を茂らせた木の根元に腰を下ろし、短くなった煙草の火を地面に押し付けて消火。片膝の上に肘を付き、頬杖をつく。伏せられた緑碧の目が物悲し気に見える。普段の彼を知っている者ならそう言うだろう。だが、本人にそう言ってきた者はいない。極力いつも通りに気丈に振る舞っていた。最愛の妹弟子を失ったあの日からずっと。
あれは夢だったんじゃないかと。振り向けばそこに、居るのではないかと思ってしまう。耳飾りを片方無くしたと言って、探しに来るんじゃないかと。そう、考えることが度々あった。
少しずつ明るさを増していく空をぼんやりと見上げていた天化に声をかける者がいた。「天化兄ちゃん」と遠慮がちに呼ばれ、そちらを向くと眠っていたはずの天翔が立っている。起こしてしまったのかと申し訳ない気持ちが湧いてくる。
「天翔、どうした?」
「天化兄ちゃんが、出てくの見えたから」
「……そっか」
追いかけてきた末弟の気配も分からなかった。相当ぼんやりしているようだと天化は一人苦笑いを浮かべた。天翔の方は随分としょぼくれた表情で項垂れている。どこか身体の調子が悪いのではないかと心配になる。だが、天化の考えていた予想とは異なり、逆に心配をかけられることとなった。
「天化兄ちゃん。だいじょうぶ?」
一瞬、何のことを言っているのか天化にはわからなかった。もしや、魔家四将と戦った時の傷のことを言っているのだろうか。あの時は天翔にもだいぶ泣かれる羽目となった。泣き喚く自分の末弟を宥めていた霧華の姿がふっと浮かぶ。まだ、それを案じているのかもしれない。仙人界で療養をしてきたし、完治ではないが動くには全く問題がないのだ。しょぼくれた天翔を安心させようと天化は笑みを作った。
「こんぐらい、どうってことねえさ」
「……うそだよ。そんなの、うそだ」
「天翔」
いつの間にか涙が溜まっていた大きな目からボロボロと雫が落ちていく。乾いた砂地が水を含み、固まっていく。
少しばかりのウソは含んでいるが、どうしてそれで泣き出すのか。袖でぐいと涙を拭った天翔が涙声で訴えかけてきた。
「だって、お父さんが言ってた。霧華姉ちゃんをなくして、一番かなしんでるのは天化兄ちゃんだって。天化兄ちゃん、ムリしてるって」
次第に昂ってきた感情の枷が外れ、わあわあと天翔が泣き出した。どんなに気丈に強気で振る舞っていても、血を分けた家族には筒抜けのようだった。人間界へ戻ってきた折、傷の心配をしていた黄飛虎に天化はこう言っていた「もう、大事なものを失いたくない」と。
泣くに泣けずにいた。その自分の代わりに今こうして末弟が人の悲しみを感じ取って、泣いていた。傍で泣き喚く小さな頭をあやすように、優しく撫でる。
「悪いな天翔。……兄ちゃん、泣くの下手なんだわ」
「っく……っと、きっと、また会えるよ。ううん、ぜったいにまた会える…!」
「天翔、あいつはもう」
「だって!あの日ぼく見てない!空にむかって、だれも飛んでいくの見なかった。武吉さんだって、そう言ってたよ!だから、だから霧華姉ちゃんはどこかにいるんだよ。天化兄ちゃんのこと待ってる。天化兄ちゃんがずっと、ずっと生きてれば会えるよ!」
星屑の涙が降った夜、魂魄が封神台へ飛んでいく様を目撃していなかった。ただ一人として。封神台に囚われた魂魄は輪廻へとは向かうことができない。永遠にその場に留まると、封神計画とはそう聞いていた。それならば、霧華の魂魄は輪廻転生への段階を踏んでいる可能性もある。但し、それが何十年、何百年先になるかはわからない。いつか、遠い先の未来でまた逢うことが出来るのかもしれない。人間では為せないことも、道士である自分なら可能だと幼い末弟が次兄を諭している。
「それに、霧華姉ちゃんが天化兄ちゃんのこと大好きだって言ってたの、ぼく聞いたもん。好きな人同士はいっしょにいなきゃダメなんだって、おとーさん言ってたよ」
天化はそれを聞いて思わず目を覆いたくなった。一体どこまで自分の気持ちは家族に筒抜けなのかと。不意に熱くなった顔を手の平で隠す。不思議なことに、先ほどまで重かった心が幾分かは軽くなっているような、そんな気がしていた。なんにせよ、泣きはらした天翔にこれ以上心配をかけるわけにもいかない。小さなその額に自分の額を合わせ、もう大丈夫だと呟いた。
「天翔、お前は強くなれる。人の痛みがわかる人間は強い心を持てるもんさ。……心配かけちまったな。そうさね、また、どっかで逢えるかもしんねえな」
また逢える日まで、その日が来るまで。
それが遥かな年月を経た未来だったとしても。
待っていてほしい。きっと逢いに行くから。