封神演義(WJ)
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回顧録 伍
彷徨い、果てに辿り着く場所を桃源郷と呼ぶ者がいた。
此処が理想の国かと問われ、そうだと答える者もいるであろう。では己はどうなのか。雲の上を歩む道士太公望は亡き戦友達に羨望にも近い眼差しを向けた。
太上老君を訪ねに来てみれば、自分と瓜二つの呂望という少年と会う。そして周りには己にしか見えない仲間の姿。これは夢か幻か。声をかければ声で返ってくる。もしかすると心の中に居る彼らが映し出されているのかもしれなかった。
親しい亡者を見かければ前を行く四不象を幾度と呼び止めた。やがてそれが自分にしか判らないものだと悟り、歩みは牛歩の様だが呂望と四不象の後をついて歩いていた。
此処で立ち止まるわけには行かない。強い意志を崩さぬように前を向いて。
風が吹いた。
頬を撫でた風が通り過ぎた時、視界の隅に雲の切れ目が映る。その切れ目に明色を見つけた太公望は瞬く間に振り向いた。色塊だったものは段々と人影を現し、崑崙に居た一人の道士を浮かび上がらせる。歩みを止めた太公望は「霧華」と道士の娘の名を呟いた。
その凛とした表情はあの最期の時に見たもので、咽が潰れるような苦しさを覚えた。手を伸ばせば触れられる距離。切なる感情が波の様に押し寄せ、太公望の右手がすっと上がりかけた。
「お待ちください」
発せれた声にびくりと身体を一度だけ振るわせ、空すら掴み損ねた右手は太公望の元へと戻っていく。まるで近付くなと圧をかけられているようだった。それが彼女の怒りから成すものだろうと太公望は目を伏せた。
気の利いた言葉は一つも浮いてこない。ただただ、あの時の事を悔やんでも悔やみきれないと。
「すまぬ」
道士の娘が怒りを露わにするのも無理はない。許しを乞うても受け入れてはもらえないと諦めていた。俯く太公望の耳に優し気な声が届く。あの時のままだと目を細めた。
「なぜ、謝られるのですか」
「わしは、……わしはおぬしを見殺しにした。あの時、他に手立てがあったはず。それだというのに、犠牲を最小限に抑えるのと引き換えにおぬしを……わしを恨んでおろう」
時が流れた今でさえもあの選択は正しかったのか、そう自問自答する日々が密かに続いていた。答えを導きだそうとするも、そうしないのは己の身勝手な傲りだと自嘲する。
「太公望師叔」と慈愛に満ちた声。久方ぶりに聞く声に胸がきゅっと締め付けられる。
彼女の面影は太公望の前で膝をついて屈み、拱手をした。かつて、初めて対峙した時のように、笑みを浮かべて。
「私は恨んでおりませぬ。ああするしか他はなかった…私が朽ちたのは己の力量不足。師叔のせいじゃありません。皆を御守りできたことが私の救いであり、誇りです」
「霧華」
真っすぐに見据えた瞳。力強いその光は正者と何ら変わりが無いとさえ思えた。それでもこの娘とは住む世界が異なるのだ。
「師叔。まだ立ち止まるべき日ではありませぬ。貴方の背負う物は重い、ですがそれは貴方の背中を押す糧ともなります」
「……もう、充分すぎるほどおぬしには支えてもらっているがのう」
頭が上がらないとやんわりと太公望が笑えば、娘も微笑んだ。
「皆がついております。……共に行けぬ私をお許しください。もし、またお逢いする事が叶うならばその時は、」
「待てっ!まだ、まだおぬしには聞きたいことが!」
風が吹く。娘の姿は雲を掻き消すように消え、太公望は一人残された。今のは夢か幻か。しかし、己自身が生み出した幻にしてはやけに現実的であり、胸の内が温かさで満たされていた。
「御主人!いつまで独り言を言ってるんスか!」
長い間立ち話をしていたようだ。呂望と四不象が彼方に見える。呼びかけに応えた太公望は真っすぐに歩き出した。前方に現れた両親の姿に三度立ち止まるるが、二人の問いに太公望は迷いの無い答えを告げた。
「父上、母上。望はまだ立ち止まるわけには行きませぬ」
彷徨い、果てに辿り着く場所を桃源郷と呼ぶ者がいた。
此処が理想の国かと問われ、そうだと答える者もいるであろう。では己はどうなのか。雲の上を歩む道士太公望は亡き戦友達に羨望にも近い眼差しを向けた。
太上老君を訪ねに来てみれば、自分と瓜二つの呂望という少年と会う。そして周りには己にしか見えない仲間の姿。これは夢か幻か。声をかければ声で返ってくる。もしかすると心の中に居る彼らが映し出されているのかもしれなかった。
親しい亡者を見かければ前を行く四不象を幾度と呼び止めた。やがてそれが自分にしか判らないものだと悟り、歩みは牛歩の様だが呂望と四不象の後をついて歩いていた。
此処で立ち止まるわけには行かない。強い意志を崩さぬように前を向いて。
風が吹いた。
頬を撫でた風が通り過ぎた時、視界の隅に雲の切れ目が映る。その切れ目に明色を見つけた太公望は瞬く間に振り向いた。色塊だったものは段々と人影を現し、崑崙に居た一人の道士を浮かび上がらせる。歩みを止めた太公望は「霧華」と道士の娘の名を呟いた。
その凛とした表情はあの最期の時に見たもので、咽が潰れるような苦しさを覚えた。手を伸ばせば触れられる距離。切なる感情が波の様に押し寄せ、太公望の右手がすっと上がりかけた。
「お待ちください」
発せれた声にびくりと身体を一度だけ振るわせ、空すら掴み損ねた右手は太公望の元へと戻っていく。まるで近付くなと圧をかけられているようだった。それが彼女の怒りから成すものだろうと太公望は目を伏せた。
気の利いた言葉は一つも浮いてこない。ただただ、あの時の事を悔やんでも悔やみきれないと。
「すまぬ」
道士の娘が怒りを露わにするのも無理はない。許しを乞うても受け入れてはもらえないと諦めていた。俯く太公望の耳に優し気な声が届く。あの時のままだと目を細めた。
「なぜ、謝られるのですか」
「わしは、……わしはおぬしを見殺しにした。あの時、他に手立てがあったはず。それだというのに、犠牲を最小限に抑えるのと引き換えにおぬしを……わしを恨んでおろう」
時が流れた今でさえもあの選択は正しかったのか、そう自問自答する日々が密かに続いていた。答えを導きだそうとするも、そうしないのは己の身勝手な傲りだと自嘲する。
「太公望師叔」と慈愛に満ちた声。久方ぶりに聞く声に胸がきゅっと締め付けられる。
彼女の面影は太公望の前で膝をついて屈み、拱手をした。かつて、初めて対峙した時のように、笑みを浮かべて。
「私は恨んでおりませぬ。ああするしか他はなかった…私が朽ちたのは己の力量不足。師叔のせいじゃありません。皆を御守りできたことが私の救いであり、誇りです」
「霧華」
真っすぐに見据えた瞳。力強いその光は正者と何ら変わりが無いとさえ思えた。それでもこの娘とは住む世界が異なるのだ。
「師叔。まだ立ち止まるべき日ではありませぬ。貴方の背負う物は重い、ですがそれは貴方の背中を押す糧ともなります」
「……もう、充分すぎるほどおぬしには支えてもらっているがのう」
頭が上がらないとやんわりと太公望が笑えば、娘も微笑んだ。
「皆がついております。……共に行けぬ私をお許しください。もし、またお逢いする事が叶うならばその時は、」
「待てっ!まだ、まだおぬしには聞きたいことが!」
風が吹く。娘の姿は雲を掻き消すように消え、太公望は一人残された。今のは夢か幻か。しかし、己自身が生み出した幻にしてはやけに現実的であり、胸の内が温かさで満たされていた。
「御主人!いつまで独り言を言ってるんスか!」
長い間立ち話をしていたようだ。呂望と四不象が彼方に見える。呼びかけに応えた太公望は真っすぐに歩き出した。前方に現れた両親の姿に三度立ち止まるるが、二人の問いに太公望は迷いの無い答えを告げた。
「父上、母上。望はまだ立ち止まるわけには行きませぬ」