鋼の錬金術師
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アプローチの結末
ひときわ強い風がひゅーんと吹き抜けた。
首に巻いたマフラーの隙間にもぐりこんで来る。
でも真冬の冷たい風ではなくて、少し暖かい湯煙のような風だった。
気温も月曜日から上がっている日が増えていた。
地面に積もった雪も昼間は解けてべちゃべちゃになり、夜になるとまた凍ってなんとも歩きにくい雪道を作り出す。
もうすぐ冬が終わって、春がやってくる。
一日がだいぶ長くなってきているけど、私が帰る頃はいつもと変わらず。
夜道を街灯が毎日飽きもせず照らしてくれている。
おかげで安心して道を歩けるのだけど。
電車のホームから帰省ラッシュの波に流され、階段を一段一段上っていく。
一本遅ければもっと混み合う。私が乗る駅からは殆どと言っていいほど座れない。
今日も空いている吊革を必死に掴んで電車に揺られてきた。
このホームを抜けて改札を通れば窮屈な人並みから開放される。
私は鞄から定期入れを出してICカードリーダーにかざした。
運よく改札は閉まることなく、スムーズに待合室へ出ることができた。
たまにお知らせ音と共に改札が閉まっちゃうことがある。
大抵前の人が原因なんだけど、自分の定期が切れているのが原因になることも。
そのときの恥ずかしさといったら、耳まで赤くなってしまう。
時間はまだ七時を過ぎたぐらい。
今日の晩御飯はどうしようかな。
昨日の残り物でパスタソースを作ることができる。それがいいかもしれない。
彼がいると毎日ご飯の献立に気を配ならきゃいけないから少し大変だ。
でも、私が作ったご飯を喜んで食べてくれるから疲れも報われている。
今夜はパスタとサラダを作って、ちょっと奮発してプリンを買っていこう。
駅地下にあるケーキ屋さんは二十時まで開いている。
あとはプリンが二つ、売れずに残っていればラッキー。
善は急げ。
駅の北口へ向かおうとした所で、誰かに引き止められた。
その人は茶色のコートを着て、フードを深々と被っている。
「お疲れさん」
「……?」
「オレだよ」
わからないのか、とでも言いたそうな声色。聞き覚えがある。
その人はすぐにフードを取り払って、顔を見せてくれた。
家にいるはずのエドが私の前にいる。
「エド。迎えに来てくれたの」
「まーな」
「ありがとう」
素直に嬉しかった。
自然と表情が緩むのが自分でもわかる。
ここ最近はエドとまともに話をした記憶がなかったから。
あの日以来、なんとなく彼の態度が変わったように感じた。
そっけないというか、口数が少なくなったというか。
だから嬉しかった。
「しっかしそんなに金髪が珍しいもんかね」
「ああ、それでフード被ってたんだ。たいぶ増えてきたとはいえ、まだまだ珍しいって感じちゃうのよ。それに、エドかっこいいから女の人振り向いちゃうんじゃない」
「ばっ、なに言って……」
私を待っている間にフードを深々と被っていた理由はわかった。
でも、またエドがフードをばさりと被ってしまった。
私たちを見ている人たちの視線がちょっと気になるかも。
事実、エドに注目しているお姉さん方もいる。
ちょっとだけ妬いてしまうかも。
フードを生え際ギリギリまで被ったエドが落ちないように両手で押さえている。
「なあキリカ。今日はどっかで飯食ってこうぜ」
「外で?」
「たまには、さ。あっ、給料日前でやばいってんならやめとくけど」
「大丈夫よ。たまにはそれもいいかなって私も思ってた。あ、その前に地下のケーキ屋さんに寄ってもいい?」
*
二人で早足で向かったケーキ屋。
冷蔵ケースの中に運良くプリンが二つ並んでいた。
保冷剤を詰めてもらった小さな白い箱を提げて、私たちは駅近くにあるイタリア料理店に向かった。
平日は意外と空いているこのお店。
窓際の二人がけテーブルに座ることができたし、席の間合いも充分ある。
これならゆっくりできそう。
ラミネートされた大きなメニューを広げて、目移りする写真を彼にも見えるように向きを変えた。
「エド、どれにする?」
「んー……キリカと同じやつでいいよ」
「わかった。すみません、モッツァレラチーズのトマトソースパスタを二つ。あとオレンジジュース二つお願いします」
パスタセットも魅力的だけど、サラダとスープ、デザートまで平らげられる自信がなかった。
それにデザートはここにあるし、単品とジュースだけでいいかな。
そう思った私は近くにいた男性店員さんを呼び止めて注文をお願いした。
顔立ちが整っててかっこいい人だった。
そういえば、この店は美男美女が多い。
きっと店の方針なんだろうな。
「なんか気になるもんでもあった?」
「あ、いや。ここのお店、噂通りかっこいい人や可愛い人多いなって思ってね」
「ふーん」
店内には注文を取るウェイター、水をコップに注いで回るウェイトレス。
隣の席に笑顔が素敵な女性がカルボナーラを運んできた。
ハデすぎない茶髪をきっちりとまとめあげている。
彼女がここから離れた席に呼ばれていくのをエドが見送っていた。
「ま、確かに」
頬杖をついたまま、気だるそうな声でそう言った。
エドはあんな子が好みなのかしら。
私が彼女の姿を探していると、一歩遅かったのかそのウェイトレスは厨房に入ったあとだった。
テーブルの隅に置いた白い化粧箱が少しはみ出ていた。
落ちないように中央に寄せて、外れそうな取っ手を直す。
「プリン、ちょうど二つ残ってて良かったわね」
「そーだな。あの店のプリン美味いからな」
さっきまでしかめっ面だったエドが笑った。
その表情に胸が高鳴る。
赤くなる顔を誤魔化すように水の入ったコップを口元へ引き寄せた。
それから何となく話が続かなかった。
お互い口をつむんだまま。
ご飯が来るのが遅い、もう三十分も待っているような気がする。
でも、実際の時計はまだ十五分しか刻んでいない。
手元の紙ナプキンを二つに折ってみたり、ガラスコップの水滴を無駄に拭いてみたり。
気まずい雰囲気。段々空気が重々しくなっていくようにすら感じる。
何か話さなくちゃ。
「あの、」
「あのさ」
私たちは顔を見合わせて一言目で止めた。
話すタイミングが被った。
きっとエドも同じように考えていたのかもしれない。
そうだとしたら、少し嬉しいかも。
「エドからどうぞ」
「いや、オレのは大したコトじゃないし。そっちから話してくれよ」
「ん……私のも大したコトじゃないけど。……エド、もう怒ってない?」
「へ?」
「この間からなんだか機嫌悪そうだったから。私が怒らせてしまったのかと」
あの日からだ。
私がエドに牛乳を頼んだ日。
あれから会話が減ったような気さえしていた。
話しかければ返事はあるけど、前みたいな感じがなかった。
「私、エドに嫌われちゃったのかと思って」
「なんで」
「苦手な牛乳、買いに行かせちゃったから」
「あのなあ、そんなコトぐらいで嫌いになるわけないだろ。たかが牛乳ぐらいで」
彼の口から「たかが牛乳」だなんて言葉が聞けるなんて思わなかった。
それが面白くて、つい笑ってしまう。
「なにがおかしいんだよ」
「ううん、ごめんなさい。……今日、エドが迎えに来てくれて嬉しかった」
「なんだよ大げさだな」
「だって、誰かに迎えに来てもらうの久しぶりだったから」
「それって誰でも同じなんじゃないの」
まるで人をからかうような笑みで問いかけてくる。
誰でもいいわけじゃない。
今の私にはわかっていた。
私が小さく首を振ると、エドは目を丸くして瞬きを繰り返す。
「他の誰でもない、エドが来てくれたからよ」
「……それって、どういう意味」
「お待たせしましたー。モッツァレラチーズとトマトソースのパスタ、オレンジジュースです」
頼んでいたパスタがちょうど良いタイミングでやってきた。
熱々のトマトソースから湯気がたっている。モッツァレラチーズも美味しそう。
お腹も空いているし、まずはご飯を食べよう。
「美味しそうね。いただきます」
「ほんとだ……って、ちょっと待った!」
エドがテーブルに手をついて立ち上がった。
揺れたフォークとスプーンがぶつかりあって、高い金属音が響く。
真面目な表情をした彼が真っ直ぐに視線を向けてくる。
「今の話、うやむやにしたくないんだけど」
今の物音で周りのお客さんが何事かと目を向けているかもしれない。
それを確認したらもっと恥ずかしくなるから、あえて私はエドから視線を外さなかった。
きっとこの機会を逃したら伝えることはない。
二度とそんなチャンスは来ないよ。心の中の自分がそう話しかけてきた。
私は一度手にとったフォークを静かに戻した。
代わりに背の高いオレンジジュースのグラスに手を伸ばす。
ひんやりと冷たくて気持ちがいい。
赤と白のストライプ模様のストローでオレンジジュースを一口飲み込んだ。
エドはまだ立ち上がったまま。
明らかに注目の的になっている気がする。
とりあえず座ってと私が促すと彼は渋々腰を下ろした。
喉がまだ少し渇いている。
もう一口オレンジジュースを飲んで喉を潤した。
「このこと言おうかどうしようか悩んでた。言ったところで叶わないかな、って思ってたし」
「そんなの、言ってみなきゃわかんねーだろ」
「うん、そうよね。私ね、エドが今日みたいに笑ってくれたり、一緒にいてくれるのがとても嬉しくて。だから、嫌われたらどうしようって考えたら怖かった」
家に帰ってきたら「おかえり」って言ってくれる彼がいる。
それが当たり前の日常になっていた。
私は一人っ子だから、まるで弟ができたみたいだった。
毎日変わり映えのない生活リズムに彼が加わって、生きがいすら感じるようになった。
お互いに知らないことを教えあうのが楽しい。一緒にいるだけで安心する。
そこに好きという感情が隠れていたのに気づいたのはついこの間。
「前に好きな人が出来たって言ったでしょう。その人、エドだったみたい」
目の前でがたんと音が聞こえた。
椅子からエドが転げ落ちそうになっている。
金色の目をこれでもかというほど見開いて、私を見ていた。
ああ、私には顔を隠すフードがない。
自分の発言がいかに恥ずかしいかを時間差で感じ取ったのか、次第に頬が火照るぐらい熱くなってきた。
「……マジで?」
うんと呟いたつもりが、その声は音にすらならなくて。
結局は頭を縦に振ることしかできなかった。
恥ずかしくてそのまま顔をあげられない。
しばらくして「はあーっ」と深い息を吐き出すようにエドがテーブルに両肘をついた。
手袋をつけたその両手で顔を覆っている。
「まさか先に言われると思ってなかった。……人のこと言えねー」
「え?」
「オレもさずっと悩んでたんだ。……アンタにとってオレはどういう存在なのか、って」
「私にとって、エドの存在」
まるでオウムのように彼の言葉を静かに繰り返した。
私にとって彼の存在は無くてはならない。なんて言ったら大げさだと言われるかもしれない。
でも、それだけ存在感が大きくなっていた。
「今まで聞くに聞けなかったんだよ。その答えを聞いちまったらどうしようもなく動けなくなるから。良くも悪くも、さ」
ああ、彼も同じようなことで悩んでいたんだ。
表沙汰にしてしまえば、もう後には戻れない。
恋愛ってそういうものだから。わかってる。
その先の答えを聞きたいような、聞きたくないような。
臆病なのは昔から。だから、気づかないフリをして逃げていた。
恋愛って本当に難しいもの。
目の前にいる私の好きな人は笑っていた。
すこし、くすぐったそうではにかむように。
「なんつーかさ、その……オレもキリカのこと好きなんだよ。実は」
「なんだ、……私たち両思いだったんだね。気づくのがちょっと遅かっただけで」
「鈍かったからなーほんと、誰かさんは」
「ごめんなさい。エドが気づかせてくれなかったら私、一生気づかなかったかも」
「それは、困る」
あ。エドの顔が少し赤い。
きっとそれはお互い様なんだろうな。
私も頬もとても熱くて、目の奥もじんわりと熱かった。
「さ、パスタが冷めちゃうわ」
「そーだな」
フォークでパスタを持ち上げると、麺に隠れていた熱がふわっと蒸気になる。
茹でたてのパスタはまだ熱々のようだ。
適量をフォークに取って、くるくると巻きつけていく。
「今日はなんだかゆっくり寝れそう。悩み事が一つ減ったから」
「オレも」
想いを打ち明けることはこんなにも簡単なものだったろうか。
振られる確率の方がずっと高いと思っていたのに。
今まで錘を背負ってきた心がすっと軽くなった気がする。
ひときわ強い風がひゅーんと吹き抜けた。
首に巻いたマフラーの隙間にもぐりこんで来る。
でも真冬の冷たい風ではなくて、少し暖かい湯煙のような風だった。
気温も月曜日から上がっている日が増えていた。
地面に積もった雪も昼間は解けてべちゃべちゃになり、夜になるとまた凍ってなんとも歩きにくい雪道を作り出す。
もうすぐ冬が終わって、春がやってくる。
一日がだいぶ長くなってきているけど、私が帰る頃はいつもと変わらず。
夜道を街灯が毎日飽きもせず照らしてくれている。
おかげで安心して道を歩けるのだけど。
電車のホームから帰省ラッシュの波に流され、階段を一段一段上っていく。
一本遅ければもっと混み合う。私が乗る駅からは殆どと言っていいほど座れない。
今日も空いている吊革を必死に掴んで電車に揺られてきた。
このホームを抜けて改札を通れば窮屈な人並みから開放される。
私は鞄から定期入れを出してICカードリーダーにかざした。
運よく改札は閉まることなく、スムーズに待合室へ出ることができた。
たまにお知らせ音と共に改札が閉まっちゃうことがある。
大抵前の人が原因なんだけど、自分の定期が切れているのが原因になることも。
そのときの恥ずかしさといったら、耳まで赤くなってしまう。
時間はまだ七時を過ぎたぐらい。
今日の晩御飯はどうしようかな。
昨日の残り物でパスタソースを作ることができる。それがいいかもしれない。
彼がいると毎日ご飯の献立に気を配ならきゃいけないから少し大変だ。
でも、私が作ったご飯を喜んで食べてくれるから疲れも報われている。
今夜はパスタとサラダを作って、ちょっと奮発してプリンを買っていこう。
駅地下にあるケーキ屋さんは二十時まで開いている。
あとはプリンが二つ、売れずに残っていればラッキー。
善は急げ。
駅の北口へ向かおうとした所で、誰かに引き止められた。
その人は茶色のコートを着て、フードを深々と被っている。
「お疲れさん」
「……?」
「オレだよ」
わからないのか、とでも言いたそうな声色。聞き覚えがある。
その人はすぐにフードを取り払って、顔を見せてくれた。
家にいるはずのエドが私の前にいる。
「エド。迎えに来てくれたの」
「まーな」
「ありがとう」
素直に嬉しかった。
自然と表情が緩むのが自分でもわかる。
ここ最近はエドとまともに話をした記憶がなかったから。
あの日以来、なんとなく彼の態度が変わったように感じた。
そっけないというか、口数が少なくなったというか。
だから嬉しかった。
「しっかしそんなに金髪が珍しいもんかね」
「ああ、それでフード被ってたんだ。たいぶ増えてきたとはいえ、まだまだ珍しいって感じちゃうのよ。それに、エドかっこいいから女の人振り向いちゃうんじゃない」
「ばっ、なに言って……」
私を待っている間にフードを深々と被っていた理由はわかった。
でも、またエドがフードをばさりと被ってしまった。
私たちを見ている人たちの視線がちょっと気になるかも。
事実、エドに注目しているお姉さん方もいる。
ちょっとだけ妬いてしまうかも。
フードを生え際ギリギリまで被ったエドが落ちないように両手で押さえている。
「なあキリカ。今日はどっかで飯食ってこうぜ」
「外で?」
「たまには、さ。あっ、給料日前でやばいってんならやめとくけど」
「大丈夫よ。たまにはそれもいいかなって私も思ってた。あ、その前に地下のケーキ屋さんに寄ってもいい?」
*
二人で早足で向かったケーキ屋。
冷蔵ケースの中に運良くプリンが二つ並んでいた。
保冷剤を詰めてもらった小さな白い箱を提げて、私たちは駅近くにあるイタリア料理店に向かった。
平日は意外と空いているこのお店。
窓際の二人がけテーブルに座ることができたし、席の間合いも充分ある。
これならゆっくりできそう。
ラミネートされた大きなメニューを広げて、目移りする写真を彼にも見えるように向きを変えた。
「エド、どれにする?」
「んー……キリカと同じやつでいいよ」
「わかった。すみません、モッツァレラチーズのトマトソースパスタを二つ。あとオレンジジュース二つお願いします」
パスタセットも魅力的だけど、サラダとスープ、デザートまで平らげられる自信がなかった。
それにデザートはここにあるし、単品とジュースだけでいいかな。
そう思った私は近くにいた男性店員さんを呼び止めて注文をお願いした。
顔立ちが整っててかっこいい人だった。
そういえば、この店は美男美女が多い。
きっと店の方針なんだろうな。
「なんか気になるもんでもあった?」
「あ、いや。ここのお店、噂通りかっこいい人や可愛い人多いなって思ってね」
「ふーん」
店内には注文を取るウェイター、水をコップに注いで回るウェイトレス。
隣の席に笑顔が素敵な女性がカルボナーラを運んできた。
ハデすぎない茶髪をきっちりとまとめあげている。
彼女がここから離れた席に呼ばれていくのをエドが見送っていた。
「ま、確かに」
頬杖をついたまま、気だるそうな声でそう言った。
エドはあんな子が好みなのかしら。
私が彼女の姿を探していると、一歩遅かったのかそのウェイトレスは厨房に入ったあとだった。
テーブルの隅に置いた白い化粧箱が少しはみ出ていた。
落ちないように中央に寄せて、外れそうな取っ手を直す。
「プリン、ちょうど二つ残ってて良かったわね」
「そーだな。あの店のプリン美味いからな」
さっきまでしかめっ面だったエドが笑った。
その表情に胸が高鳴る。
赤くなる顔を誤魔化すように水の入ったコップを口元へ引き寄せた。
それから何となく話が続かなかった。
お互い口をつむんだまま。
ご飯が来るのが遅い、もう三十分も待っているような気がする。
でも、実際の時計はまだ十五分しか刻んでいない。
手元の紙ナプキンを二つに折ってみたり、ガラスコップの水滴を無駄に拭いてみたり。
気まずい雰囲気。段々空気が重々しくなっていくようにすら感じる。
何か話さなくちゃ。
「あの、」
「あのさ」
私たちは顔を見合わせて一言目で止めた。
話すタイミングが被った。
きっとエドも同じように考えていたのかもしれない。
そうだとしたら、少し嬉しいかも。
「エドからどうぞ」
「いや、オレのは大したコトじゃないし。そっちから話してくれよ」
「ん……私のも大したコトじゃないけど。……エド、もう怒ってない?」
「へ?」
「この間からなんだか機嫌悪そうだったから。私が怒らせてしまったのかと」
あの日からだ。
私がエドに牛乳を頼んだ日。
あれから会話が減ったような気さえしていた。
話しかければ返事はあるけど、前みたいな感じがなかった。
「私、エドに嫌われちゃったのかと思って」
「なんで」
「苦手な牛乳、買いに行かせちゃったから」
「あのなあ、そんなコトぐらいで嫌いになるわけないだろ。たかが牛乳ぐらいで」
彼の口から「たかが牛乳」だなんて言葉が聞けるなんて思わなかった。
それが面白くて、つい笑ってしまう。
「なにがおかしいんだよ」
「ううん、ごめんなさい。……今日、エドが迎えに来てくれて嬉しかった」
「なんだよ大げさだな」
「だって、誰かに迎えに来てもらうの久しぶりだったから」
「それって誰でも同じなんじゃないの」
まるで人をからかうような笑みで問いかけてくる。
誰でもいいわけじゃない。
今の私にはわかっていた。
私が小さく首を振ると、エドは目を丸くして瞬きを繰り返す。
「他の誰でもない、エドが来てくれたからよ」
「……それって、どういう意味」
「お待たせしましたー。モッツァレラチーズとトマトソースのパスタ、オレンジジュースです」
頼んでいたパスタがちょうど良いタイミングでやってきた。
熱々のトマトソースから湯気がたっている。モッツァレラチーズも美味しそう。
お腹も空いているし、まずはご飯を食べよう。
「美味しそうね。いただきます」
「ほんとだ……って、ちょっと待った!」
エドがテーブルに手をついて立ち上がった。
揺れたフォークとスプーンがぶつかりあって、高い金属音が響く。
真面目な表情をした彼が真っ直ぐに視線を向けてくる。
「今の話、うやむやにしたくないんだけど」
今の物音で周りのお客さんが何事かと目を向けているかもしれない。
それを確認したらもっと恥ずかしくなるから、あえて私はエドから視線を外さなかった。
きっとこの機会を逃したら伝えることはない。
二度とそんなチャンスは来ないよ。心の中の自分がそう話しかけてきた。
私は一度手にとったフォークを静かに戻した。
代わりに背の高いオレンジジュースのグラスに手を伸ばす。
ひんやりと冷たくて気持ちがいい。
赤と白のストライプ模様のストローでオレンジジュースを一口飲み込んだ。
エドはまだ立ち上がったまま。
明らかに注目の的になっている気がする。
とりあえず座ってと私が促すと彼は渋々腰を下ろした。
喉がまだ少し渇いている。
もう一口オレンジジュースを飲んで喉を潤した。
「このこと言おうかどうしようか悩んでた。言ったところで叶わないかな、って思ってたし」
「そんなの、言ってみなきゃわかんねーだろ」
「うん、そうよね。私ね、エドが今日みたいに笑ってくれたり、一緒にいてくれるのがとても嬉しくて。だから、嫌われたらどうしようって考えたら怖かった」
家に帰ってきたら「おかえり」って言ってくれる彼がいる。
それが当たり前の日常になっていた。
私は一人っ子だから、まるで弟ができたみたいだった。
毎日変わり映えのない生活リズムに彼が加わって、生きがいすら感じるようになった。
お互いに知らないことを教えあうのが楽しい。一緒にいるだけで安心する。
そこに好きという感情が隠れていたのに気づいたのはついこの間。
「前に好きな人が出来たって言ったでしょう。その人、エドだったみたい」
目の前でがたんと音が聞こえた。
椅子からエドが転げ落ちそうになっている。
金色の目をこれでもかというほど見開いて、私を見ていた。
ああ、私には顔を隠すフードがない。
自分の発言がいかに恥ずかしいかを時間差で感じ取ったのか、次第に頬が火照るぐらい熱くなってきた。
「……マジで?」
うんと呟いたつもりが、その声は音にすらならなくて。
結局は頭を縦に振ることしかできなかった。
恥ずかしくてそのまま顔をあげられない。
しばらくして「はあーっ」と深い息を吐き出すようにエドがテーブルに両肘をついた。
手袋をつけたその両手で顔を覆っている。
「まさか先に言われると思ってなかった。……人のこと言えねー」
「え?」
「オレもさずっと悩んでたんだ。……アンタにとってオレはどういう存在なのか、って」
「私にとって、エドの存在」
まるでオウムのように彼の言葉を静かに繰り返した。
私にとって彼の存在は無くてはならない。なんて言ったら大げさだと言われるかもしれない。
でも、それだけ存在感が大きくなっていた。
「今まで聞くに聞けなかったんだよ。その答えを聞いちまったらどうしようもなく動けなくなるから。良くも悪くも、さ」
ああ、彼も同じようなことで悩んでいたんだ。
表沙汰にしてしまえば、もう後には戻れない。
恋愛ってそういうものだから。わかってる。
その先の答えを聞きたいような、聞きたくないような。
臆病なのは昔から。だから、気づかないフリをして逃げていた。
恋愛って本当に難しいもの。
目の前にいる私の好きな人は笑っていた。
すこし、くすぐったそうではにかむように。
「なんつーかさ、その……オレもキリカのこと好きなんだよ。実は」
「なんだ、……私たち両思いだったんだね。気づくのがちょっと遅かっただけで」
「鈍かったからなーほんと、誰かさんは」
「ごめんなさい。エドが気づかせてくれなかったら私、一生気づかなかったかも」
「それは、困る」
あ。エドの顔が少し赤い。
きっとそれはお互い様なんだろうな。
私も頬もとても熱くて、目の奥もじんわりと熱かった。
「さ、パスタが冷めちゃうわ」
「そーだな」
フォークでパスタを持ち上げると、麺に隠れていた熱がふわっと蒸気になる。
茹でたてのパスタはまだ熱々のようだ。
適量をフォークに取って、くるくると巻きつけていく。
「今日はなんだかゆっくり寝れそう。悩み事が一つ減ったから」
「オレも」
想いを打ち明けることはこんなにも簡単なものだったろうか。
振られる確率の方がずっと高いと思っていたのに。
今まで錘を背負ってきた心がすっと軽くなった気がする。