リズム怪盗R
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この先何があっても、
パリはすっかり夜のヴェールに包まれていた。
真っ暗闇ではなく、墨を流したように透明感のある空。
そこには数日前まで線のような三日月が浮かんでいた。
月がない夜はこんなにも物足りないものだったか。
パリの夜景は美しく、綺麗だ。
それでも自然の光を好む彼女にとっては今夜は物寂しい夜。
今夜も流れ星は流れそうにない。
窓から外を眺めていたキリカの前髪を夜風が揺らしていく。
ラジオが懐かしい歌を口ずさんでいた。
机の上は作業の途中で乱雑に散らかっている。
ピンセット、B5サイズのスクラップブック、木工用ボンド。
その傍らに作りかけの押し花の栞。
白い長方形の紙に四葉のクローバーが貼り付けられている。
押し花を栞やスクラップブックに纏めていた。
好きなことに没頭すると時間も忘れてしまう。
仕事から帰ってきて急に手をつけたくなり、ずっと作業を続けていた。
気がつけば三時間も経過していた。
肩が重くなった頃にようやく手を止めて、気分転換をしているというわけだ。
キリカはちかちかと瞬く星をぼんやりと眺めていた。
そろそろ作業に戻ろうか。
そう考えていた矢先に声が頭上に降ってきた。
「こんばんは、マドモアゼル」
若い男の声が聞こえた。
屋根を見上げたが誰もいない。
こっちこっち、と聞こえた声に誘われた方を見る。
そこにはベランダの手すりにスーツを着た男が腰掛けていた。
「今日は昼間に会ったから、来ないと思っていたわ」
「急に会いたくなったんだ。もっと君と一緒にいたくてね」
「奇遇ね。私も貴方に会いたかったの」
「僕たち気が合うみたいだ」
「そうね。今お茶を淹れるわ、何がいい?」
「君のオススメを」
帽子を脱いだRは指先で弄ぶようにくるりと縁を回す。
ベランダから窓へ足をかけた時、クラクションの音が遠くから嘶いた。
それを気にするフリをして外の様子を覗う。
周囲に人や見張られている気配はない。
パリ市警の警戒線はもう解かれているようだった。
それに、今頃別の警備にあたっているのだろう。
しかしそれでも丸見えの姿をさらすわけにもいかない。
Rは素早く部屋に滑り込み、外から見えない位置に背をもたれた。
キッチンではキリカがお茶の用意をしている。
右へ、左へと動く度に長い髪が揺れた。
帽子をくるくると手持ち無沙汰に回す。
その後姿を見ていたRは抱きしめたい衝動に駆られていた。
一緒に居る時は勿論。離れている間も愛情が増していく。
これは時間に比例して膨らんでいくものだった。
「お待たせ。今日はカモミールティーにしてみたわ」
「ありがとう。さっそくいただくよ」
ぽんと花の薫りが咲いたように風にそよぐ。
この香りを嗅いでいるとざわついていた心の波が収まるようだった。
先程までの不安がすっと溶けていく気がする。
花の香りはここまでリラックス効果があるものなのか。
それに気づかせてくれたのは紛れもなく彼女と出会ってからだ。
これ以上にたくさんの恩恵をうけている。
蜂蜜が入っているのか、普段より甘く爽やかな味が体を暖めた。
ハーブのバランスもちょうどいい。
人が淹れたお茶はどうしてこうも温かいのか。
ましてや好きな人が淹れたものとなれば格別だ。
Rの口数は本人でも気づかないうちに減っていた。
普段おしゃべりの怪盗がずっと黙り込んでいる。
どうかしのだろうか。
心配するように控えめなトーンでキリカは尋ねた。
「少しは落ち着いた?」
自分が長らく呆けていたことにようやく気づいたのか、Rがはっと顔を上げる。
キリカは柔らかい眼差しでRを見守っていた。
その瞳に心の中を見透かされているような気分さえしてくる。
「なんだか表情が強張っていたから」
「参ったな。君には隠し事は出来ないみたいだ」
「気づかないフリをしていた方が良かったかしら」
誰にでも触れられたくないことはある。
それを充分理解しているからこそ、無理に問いただそうとはしない。
その優しさについつい甘えたくなってしまう。
自分よりも年上で、余裕があるせいか。
本音は自分を頼ってほしいし、甘えてほしい。
彼女を護りたい。その感情が日に日に強くなっていく。
「どちらにしても、君が優しいことには変わりないさ。……ちょっと嫌な夢を見たんだ。でも、キリカの顔を見たら忘れちゃったよ」
「そう。それは良かった」
「もっと話をしていたいけど、そろそろお暇しないと」
「もう帰ってしまうの?」
僅かに温もりが残るティーカップを「ご馳走様」とサイドテーブルに置いた。
帽子のくるりと回転させてから頭に被せた。
この場を去るのが心底残念だと肩をすくめてみせる。
「ボードワン警視と約束があるんだ。待たせたらうるさいからね」
「……気をつけてね」
「大丈夫。そんな顔しないで、僕は絶対に捕まらないよ」
俯いたキリカの頬を片手で優しく包み込む。
その手に自分の手を重ねたキリカはRをじっと見つめた。
「キリカが信じてくれてたら、必ず帰ってくる」
「信じてるわ」
「その言葉が何よりの力だよ。それじゃあ、行ってくる」
ゆっくりとぬくもりが離れていく。
一度離れた手をキリカは握り返し、引き留めるように掴んだ。
そのままRの頬に軽く口づける。
「いってらっしゃい。気をつけてね」
Rの目は皿のように丸くなっていた。
あまりの不意打ちにどう対応をしてよかったのやら。そんな表情だ。
またしてもやられた。これで二度目だ。
固まっていたRは帽子を深くかぶり直した。
照れ隠しの様子をくすくすとキリカが笑っていると、温かい手が額に触れた。
Rはキリカの前髪をかきあげて、瞼にひとつキスを落とす。
自分から仕掛けたというのに、仕返しをされてしまった。
恥ずかしさに顔がかあっと熱くなる。
さらには「こっちの方が良かった?」と唇を指でなぞってきたのでタチが悪い。
「こっちはまた後で。行ってきます」
彼の今夜の獲物は何なのか。
絵画か、彫刻品か。はたまた宝飾品かもしれない。
どちらにせよ、今夜も一人の女性の心を鷲掴みにしたのは確かだった。
パリはすっかり夜のヴェールに包まれていた。
真っ暗闇ではなく、墨を流したように透明感のある空。
そこには数日前まで線のような三日月が浮かんでいた。
月がない夜はこんなにも物足りないものだったか。
パリの夜景は美しく、綺麗だ。
それでも自然の光を好む彼女にとっては今夜は物寂しい夜。
今夜も流れ星は流れそうにない。
窓から外を眺めていたキリカの前髪を夜風が揺らしていく。
ラジオが懐かしい歌を口ずさんでいた。
机の上は作業の途中で乱雑に散らかっている。
ピンセット、B5サイズのスクラップブック、木工用ボンド。
その傍らに作りかけの押し花の栞。
白い長方形の紙に四葉のクローバーが貼り付けられている。
押し花を栞やスクラップブックに纏めていた。
好きなことに没頭すると時間も忘れてしまう。
仕事から帰ってきて急に手をつけたくなり、ずっと作業を続けていた。
気がつけば三時間も経過していた。
肩が重くなった頃にようやく手を止めて、気分転換をしているというわけだ。
キリカはちかちかと瞬く星をぼんやりと眺めていた。
そろそろ作業に戻ろうか。
そう考えていた矢先に声が頭上に降ってきた。
「こんばんは、マドモアゼル」
若い男の声が聞こえた。
屋根を見上げたが誰もいない。
こっちこっち、と聞こえた声に誘われた方を見る。
そこにはベランダの手すりにスーツを着た男が腰掛けていた。
「今日は昼間に会ったから、来ないと思っていたわ」
「急に会いたくなったんだ。もっと君と一緒にいたくてね」
「奇遇ね。私も貴方に会いたかったの」
「僕たち気が合うみたいだ」
「そうね。今お茶を淹れるわ、何がいい?」
「君のオススメを」
帽子を脱いだRは指先で弄ぶようにくるりと縁を回す。
ベランダから窓へ足をかけた時、クラクションの音が遠くから嘶いた。
それを気にするフリをして外の様子を覗う。
周囲に人や見張られている気配はない。
パリ市警の警戒線はもう解かれているようだった。
それに、今頃別の警備にあたっているのだろう。
しかしそれでも丸見えの姿をさらすわけにもいかない。
Rは素早く部屋に滑り込み、外から見えない位置に背をもたれた。
キッチンではキリカがお茶の用意をしている。
右へ、左へと動く度に長い髪が揺れた。
帽子をくるくると手持ち無沙汰に回す。
その後姿を見ていたRは抱きしめたい衝動に駆られていた。
一緒に居る時は勿論。離れている間も愛情が増していく。
これは時間に比例して膨らんでいくものだった。
「お待たせ。今日はカモミールティーにしてみたわ」
「ありがとう。さっそくいただくよ」
ぽんと花の薫りが咲いたように風にそよぐ。
この香りを嗅いでいるとざわついていた心の波が収まるようだった。
先程までの不安がすっと溶けていく気がする。
花の香りはここまでリラックス効果があるものなのか。
それに気づかせてくれたのは紛れもなく彼女と出会ってからだ。
これ以上にたくさんの恩恵をうけている。
蜂蜜が入っているのか、普段より甘く爽やかな味が体を暖めた。
ハーブのバランスもちょうどいい。
人が淹れたお茶はどうしてこうも温かいのか。
ましてや好きな人が淹れたものとなれば格別だ。
Rの口数は本人でも気づかないうちに減っていた。
普段おしゃべりの怪盗がずっと黙り込んでいる。
どうかしのだろうか。
心配するように控えめなトーンでキリカは尋ねた。
「少しは落ち着いた?」
自分が長らく呆けていたことにようやく気づいたのか、Rがはっと顔を上げる。
キリカは柔らかい眼差しでRを見守っていた。
その瞳に心の中を見透かされているような気分さえしてくる。
「なんだか表情が強張っていたから」
「参ったな。君には隠し事は出来ないみたいだ」
「気づかないフリをしていた方が良かったかしら」
誰にでも触れられたくないことはある。
それを充分理解しているからこそ、無理に問いただそうとはしない。
その優しさについつい甘えたくなってしまう。
自分よりも年上で、余裕があるせいか。
本音は自分を頼ってほしいし、甘えてほしい。
彼女を護りたい。その感情が日に日に強くなっていく。
「どちらにしても、君が優しいことには変わりないさ。……ちょっと嫌な夢を見たんだ。でも、キリカの顔を見たら忘れちゃったよ」
「そう。それは良かった」
「もっと話をしていたいけど、そろそろお暇しないと」
「もう帰ってしまうの?」
僅かに温もりが残るティーカップを「ご馳走様」とサイドテーブルに置いた。
帽子のくるりと回転させてから頭に被せた。
この場を去るのが心底残念だと肩をすくめてみせる。
「ボードワン警視と約束があるんだ。待たせたらうるさいからね」
「……気をつけてね」
「大丈夫。そんな顔しないで、僕は絶対に捕まらないよ」
俯いたキリカの頬を片手で優しく包み込む。
その手に自分の手を重ねたキリカはRをじっと見つめた。
「キリカが信じてくれてたら、必ず帰ってくる」
「信じてるわ」
「その言葉が何よりの力だよ。それじゃあ、行ってくる」
ゆっくりとぬくもりが離れていく。
一度離れた手をキリカは握り返し、引き留めるように掴んだ。
そのままRの頬に軽く口づける。
「いってらっしゃい。気をつけてね」
Rの目は皿のように丸くなっていた。
あまりの不意打ちにどう対応をしてよかったのやら。そんな表情だ。
またしてもやられた。これで二度目だ。
固まっていたRは帽子を深くかぶり直した。
照れ隠しの様子をくすくすとキリカが笑っていると、温かい手が額に触れた。
Rはキリカの前髪をかきあげて、瞼にひとつキスを落とす。
自分から仕掛けたというのに、仕返しをされてしまった。
恥ずかしさに顔がかあっと熱くなる。
さらには「こっちの方が良かった?」と唇を指でなぞってきたのでタチが悪い。
「こっちはまた後で。行ってきます」
彼の今夜の獲物は何なのか。
絵画か、彫刻品か。はたまた宝飾品かもしれない。
どちらにせよ、今夜も一人の女性の心を鷲掴みにしたのは確かだった。