リズム怪盗R
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燻る想い
タクシーの左ウィンカーがチカチカと点滅している。
建物の敷地内に入ったタクシーは間もなく停止した。
キリカは財布から紙幣を出して支払い、釣り銭をもらう。
タクシーから降りようとするのだが、着なれないドレスにまごついてしまった。
ようやく降りた先には大きな屋敷が構えていた。
ここに来るのは何年ぶりだろうか。
フランスに引っ越してきてから来ていないような気がする。
むしろ日本で暮らしていた時の方が訪れていたかもしれない。
その辺の記憶は曖昧でよく思い出せずにいる。
伯父の屋敷は全体的にライトアップされていた。
三年に一度のパリの祝祭に合わせてなのか、異様に派手に感じる。
今夜がダンスパーティのせいもあるのだろう。
ダンスパーティならばそれ相応の格好をしなくてはならない。
しかし、着る物は実家にあるため親戚の叔母を訪ねた。
それが幸か不幸か、折角だからと気合いを入れられてしまった。
普段下ろしている長い髪をハーフアップに結っているせいで、首元が風通しよく落ち着かない。
ネイビーカラーの胸元が開いたロングドレスにホワイトのエナメルヒール。
胸元にはシンプルなゴールドネックレスが輝いている。
あれよあれよという間に着飾られたキリカは自分の姿に困惑している暇もなく、タクシーに乗せられてしまった。
今一度、屋敷を見上げる。
いまさら引き返すわけにはいかない。
キリカはゴールドのミニバッグを握りしめ、玄関の階段を上った。
広々とした玄関には絵画や彫刻品が厳かに佇んでいた。
受付を済ませた後、若い執事にホールへ続く階段へ促される。
ロビーで話し込む中年の男性や、踊り場で女性を口説く若い男性。
ボーイが空のグラスをもて余している客にワインを注ぎに回っていた。
来客の中には見知った顔もいるのだが、名前と顔が一致しない。
しばらくこの社会と離れていたせいだ。
すれ違う貴婦人がにこやかに挨拶をしてきた。
戸惑いながら挨拶を返すキリカは華やかな舞台を見渡す。
やはり自分は場違いではないか。
急に背中がぞくりとした。
相手は自分を知っているが、キリカにとっては見知らぬ顔ばかりだ。
ロビーでしばらく立ち往生をしていると、ホールから来る顔ぶれの中に伯父の姿を見つけた。
彼はキリカを見つけると満面の笑みで両手を広げ、歓迎の意を示した。
「キリカ!ああ、よく来てくれた。君から返事を貰った時は夢じゃないのかと思ったよ。今日は来てくれて有難う」
「こちらこそお招き有難うございます」
「まあ、とにかくホールへ。今日君が来るのを楽しみにしている人がたくさんいるんだ」
ホールへ案内される途中もすれ違う人々と軽く会釈をかわす。
表情が強張っていたせいか、伯父に「もっとリラックスしていいんだよ」と肩を叩かれる。
どのタイミングで話を切り出せば良いだろうか。
相手の紹介が始まれば言い辛くなってしまう。
話すならば今がチャンスだ。
ホールの入り口手前で伯父に話があると声をかけようとしたが、思わぬ邪魔が入ってしまった。
「もしかして、キリカかい?」
階段を上りきった所に若い男が大袈裟に腕を広げ、信じられないという風に首を左右に振っていた。
その顔に微かに見覚えがある。記憶の糸を辿っていくとすぐにその先が見えた。
彼と最後に会ったのは高校生の時だ。
懐かしい幼馴染との再会にキリカも顔を綻ばせる。
「アラン。お久しぶりね、元気そうで何よりだわ」
「君もね。君と最後に会ったのはいつだったか……あまりに綺麗になっていたから誰かわからなかったよ」
「ありがとう。その言葉は奥さんには内緒にしておくわね」
「はは、そうしてくれると有り難いよ」
二人は数年ぶりの再会につい話に華を咲かせてしまった。
気がつけば伯父の姿はなく、二人に気を利かせたのだろう。
ああ、ここで見失っては後々大変だ。
伯父の姿を探してあちこちに目を配るが見当たらない。
「ところで今日は一体どうしたんだい?」
「それが、ね。……私」
「ああ、それ以上言わなくてもわかるよ。君がずっとパーティーに来なかったのも。幼馴染としてどうにかしてやりたい気持ちはあるんだ。でも、君の伯父さんに口出しができなくて」
「私は良い幼馴染を持ったわ。その気持ちだけで嬉しいもの。……今日はその為に来たのよ」
「そうだったのか。……ボクに出来ることなら何でも協力するよ。他ならぬ、君のためだ」
「相変わらず優しいのね。フェリシテさんが貴方に見惚れた理由もわかる気がする」
不意に出た妻の名前にアランは顔を赤らめた。
間延びした単音を発言し、照れを隠そうと咳払いをする。
それはさておき、作戦を練ろうか。
そう話を切り出そうとした所へ数人の男性が近づいてきた。
彼らはさっきホールにいた顔ぶれだ。ホールへ向かう途中でキリカの姿を見つけたのだろう。
「君がキリカ?……ああ、話に聞いた通りの女性だ」
「アラン、どうしてこんな素敵な女性を紹介してくれなかったんだ」
「マドモアゼル、私と一緒に踊ってくれませんか」
「いや、俺が先に声をかけたんだ。俺が先だろう」
取り囲まれてしまった。
アランに助けを求めようにも、彼は輪から押し出されてしまっている。
その後ろで悪態をつき足を鳴らしていた。
この状況を打破するには自分で何とかしなくてはならない。
キリカの耳に届く周りの声がただの雑音と化していた。
どんな甘い台詞も心に響かない。
ただひとつ、頭に浮かんでいたのはある人の言葉だった。
その言葉がはっきりと再生される。
「ごめんなさい。私は」と全ての誘いを断ろうとキリカは口を開いた。
しかし、意を決した言葉はそこまでしか紡がれない。
それ以上言う必要もなかったのだろう。
前方に待ち望んでいた人がいたのだ。
Rはダークスーツに身を纏い、イエローのアスコットタイを首に巻いている。
いつも被っているポーラーハットにはレッドではなくブラックのラインが入っていた。
帽子に手を添えたまま彼はにやりと笑っている。
「悪いけど、彼女の相手は僕なんだ。失礼」
すっと差し出されたRの手に何の躊躇いも無くキリカは手を重ねた。
突然現れた男に女性を連れて行かれてしまった男性陣は呆然とするしかなかった。
ただ、アランだけはエスコートされているキリカの表情を見て嬉しそうに微笑む。
彼と二人でいる所をあの人が目にすれば諦めもつくだろう。
アランは急いで彼女の伯父を探しにその場を離れていった。
「R、来てくれてありがとう」
「どういたしまして。それにしても驚いたよ、君があまりにも綺麗だったから」
「なんだか、恥ずかしいわ。でも、ありがとう。貴方に言ってもらえるのが一番嬉しい」
ホールの中央に大きなシャンデリアが見えた。
無数のライトを灯しているそれはキラキラと輝いている。
フロアではすでにスローワルツを踊る男女がステップを踏んでいた。
昔聞いた覚えのある曲が静かにゆっくりと流れている。
キリカは初めて社交界で踊った時の事を思い出していた。
あの頃は緊張感に縛られていて、周りがよく見えていなかった。
今以上に表情が強張っていたし、愛想もよくなかった。
ダンスのパートナーの足をよく踏んづけていた気もする。
「せっかくのダンスパーティーなんだし、よければ僕と一曲踊ってもらえないかな」
「ええ……でも、私踊り方忘れているかもしれないわ」
「大丈夫。僕がリードするから」
フロアで空間を見つけ、そこに対面するように立つ。
Rは帽子を脱いで恭しく一礼。そして彼女の手の甲にそっと口付けた。
その手を繋ぎ、反対の手を腰に回す。
視線を少しでも上げればすぐ目と目が合う。
髪と同じ色の瞳が優しく笑いかけてくる。
凛とした顔立ちに思わず見惚れてしまいそうだ。
基本のステップを踏みながら惚けていると、それが伝わってしまったのか照れ臭そうにRが笑った。
「僕の顔に見惚れても構わないけど、足を踏まれてしまいそうだね」
「ご、ごめんなさい。気をつけるから」
「冗談だよ」
Rの顔が赤らんでいる。
緊張しているのは自分だけじゃない。
ぎこちなく踏み出していた足も段々と動くようになってきた。
流れるようなステップだが、あくまで優しいリードでパートナーであるキリカに負担が殆どかからない。
数分後には「踊り方を忘れていた」なんて言葉が嘘のようにキリカの足は軽かった。
楽しい時間はあっという間に過ぎ去っていくもの。
まだ曲が続けばいいのに。その願いも虚しく、曲は終止符を打ち終わった。
踊っていたペアは男性のエスコートで壁際の円卓へ向かっていく。
二人も壁際に寄り、Rが飲み物を貰って来ると席を離れた。
人の波に消えていくRをぼうっとキリカは見ていた。
まるで夢を見ているような感覚が心地良い。
両手で包み込んだ頬が熱を持っている。
Rの優しい目を思い出すだけで熱が上がりそうだ。
「キリカ。いいパートナーを見つけたな」
「アラン……その、彼は」
伯父の話を断る為に一時的に連れてきた。
そう言うつもりが相手の嬉々とした表情に中々言い出せない。
「伯父さんも君達二人を見て諦めがついたようだよ。寂しそうな顔はしていたけどね」
「いつも私のこと気にかけてくれていたもの。お人好しなのよ」
「それにしても君達お似合いだと思うよ。ああ、噂をすれば、だ。それじゃあね」
アランは戻ってきたRの肩を上機嫌に叩き、手を振っていった。
その後姿を不思議そうにRは見送る。
「彼は?」
「私の幼馴染なの」
「ふうん。そうだ、今夜は星が綺麗なんだ。バルコニーに出ないかい」
グラスをキリカに渡し、空いた手を引いていく。
開放されたバルコニーへ向かう途中、二人を恨めしそうに目で追う男性達がいた。
バルコニーには気持ちの良い風が吹いていた。
人の話し声も遮られ、うるさく感じない。
見上げた空には無数の星がキラキラと輝いていた。
雲は一つも見当たらない。西の空に猫の目のように細い三日月が浮かんでいる。
「本当ね。気づかなかったわ……ここへ来るのに気持ちに余裕がなかったせいかしら」
「少しはリラックスできたかい」
「ええ、おかげ様で。貴方が居なかったらこんなに素敵な星空見逃していたかもしれない」
「それは良かった。僕も来た甲斐があるよ」
冷たい飲み物で喉を潤すには少し肌寒い気温。
グラスに少しだけ口をつけた後はそれを側のテーブルに置いた。
汗をかいたグラスを手放した時にはもう手の平が冷たくなっていた。
夜風にさらされている両腕にその手で触れると余計にじんわりと冷たく感じる。
それを見ていたRはキリカの肩に脱いだジャケットをかけた。
ふわりと香る匂いとあたたかい温もりがキリカを包み込む。
大丈夫だからと返そうとしたが、それを制される。
「また風邪を引いたらいけないからね」
「……R。あの、今日は本当にありがとう。貴方を信じて良かった」
「君が信じてくれるならどこにだって駆けつけるさ。それに」
今夜来た理由はそれだけじゃない。
そう呟いたRは手の平でキリカの頬を包み込んだ。
表面だけ冷えていたせいか、頬に触れた体温が熱く感じる。
真剣な眼差しがキリカの顔を覗きこんでいた。
「君を他の奴に盗られたくないんだ。……君のことが好きだから」
胸が高鳴り始めると同時に体温が上がっていく。
ばくばくと打ち続ける心臓の音が外に聞こえてしまいそうなほど。
もはや相手の手が熱いのか、自分の体温が熱いのかわからない。
「キリカ」
思考が溶けそうなほどの甘い声。
その声に囁かれてはもはや逃げ様がない。
どちらからともなく目を瞑った。
ゆっくりと距離を縮め、あと数センチで触れる。
しかし、突如響いた怒声に弾かれたように飛び退いた。
キリカの肩にかけられていたジャケットが床に滑り落ちる。
「怪盗R、ここにいたかあっ!」
バルコニーに数人の男達が駆け込んできた。
眼鏡をかけたシャツ姿の渋い男性が勢いよくRを指差す。
その男の顔は新聞やニュースで度々見かけていたパリ市警のボードワン警視だった。
「ボードワン警視?!」
「今夜こそ逮捕してくれる!いけっ、奴を捕らえろ!」
ボードワンの部下である警官が一斉にRに飛び掛るが、虚しくも空振りした。
ひらりとその手をかわしたRはフェンスの上に微動だにせず立つ。
「どうして警視がここに」
「怪盗Rあるとこにパリ市警ありだ!」
拳を握り締め力説する姿には苦笑いしか出てこない。
相変わらず熱血で正義感が強い男だ。
Rはキリカへ視線を向けたが、すでに彼女は警官によって保護されていた。
どうも近づけそうにない。そう判断したRは小さな溜息を吐き出した。
「……今日ほど最高に邪魔をしてくれた日はないよ」
「何をごちゃごちゃと、奴を逃がすなー!」
もう一度キリカの方へ目を走らせる。
彼女は複雑な思いに駆られているのか、泣きそうな目でこちらを見ていた。
警官の手が足に触れようとした瞬間にRは高く跳び上がり、庭園へ降り立つ。
そのまま背を向けて走り去っていった。
タクシーの左ウィンカーがチカチカと点滅している。
建物の敷地内に入ったタクシーは間もなく停止した。
キリカは財布から紙幣を出して支払い、釣り銭をもらう。
タクシーから降りようとするのだが、着なれないドレスにまごついてしまった。
ようやく降りた先には大きな屋敷が構えていた。
ここに来るのは何年ぶりだろうか。
フランスに引っ越してきてから来ていないような気がする。
むしろ日本で暮らしていた時の方が訪れていたかもしれない。
その辺の記憶は曖昧でよく思い出せずにいる。
伯父の屋敷は全体的にライトアップされていた。
三年に一度のパリの祝祭に合わせてなのか、異様に派手に感じる。
今夜がダンスパーティのせいもあるのだろう。
ダンスパーティならばそれ相応の格好をしなくてはならない。
しかし、着る物は実家にあるため親戚の叔母を訪ねた。
それが幸か不幸か、折角だからと気合いを入れられてしまった。
普段下ろしている長い髪をハーフアップに結っているせいで、首元が風通しよく落ち着かない。
ネイビーカラーの胸元が開いたロングドレスにホワイトのエナメルヒール。
胸元にはシンプルなゴールドネックレスが輝いている。
あれよあれよという間に着飾られたキリカは自分の姿に困惑している暇もなく、タクシーに乗せられてしまった。
今一度、屋敷を見上げる。
いまさら引き返すわけにはいかない。
キリカはゴールドのミニバッグを握りしめ、玄関の階段を上った。
広々とした玄関には絵画や彫刻品が厳かに佇んでいた。
受付を済ませた後、若い執事にホールへ続く階段へ促される。
ロビーで話し込む中年の男性や、踊り場で女性を口説く若い男性。
ボーイが空のグラスをもて余している客にワインを注ぎに回っていた。
来客の中には見知った顔もいるのだが、名前と顔が一致しない。
しばらくこの社会と離れていたせいだ。
すれ違う貴婦人がにこやかに挨拶をしてきた。
戸惑いながら挨拶を返すキリカは華やかな舞台を見渡す。
やはり自分は場違いではないか。
急に背中がぞくりとした。
相手は自分を知っているが、キリカにとっては見知らぬ顔ばかりだ。
ロビーでしばらく立ち往生をしていると、ホールから来る顔ぶれの中に伯父の姿を見つけた。
彼はキリカを見つけると満面の笑みで両手を広げ、歓迎の意を示した。
「キリカ!ああ、よく来てくれた。君から返事を貰った時は夢じゃないのかと思ったよ。今日は来てくれて有難う」
「こちらこそお招き有難うございます」
「まあ、とにかくホールへ。今日君が来るのを楽しみにしている人がたくさんいるんだ」
ホールへ案内される途中もすれ違う人々と軽く会釈をかわす。
表情が強張っていたせいか、伯父に「もっとリラックスしていいんだよ」と肩を叩かれる。
どのタイミングで話を切り出せば良いだろうか。
相手の紹介が始まれば言い辛くなってしまう。
話すならば今がチャンスだ。
ホールの入り口手前で伯父に話があると声をかけようとしたが、思わぬ邪魔が入ってしまった。
「もしかして、キリカかい?」
階段を上りきった所に若い男が大袈裟に腕を広げ、信じられないという風に首を左右に振っていた。
その顔に微かに見覚えがある。記憶の糸を辿っていくとすぐにその先が見えた。
彼と最後に会ったのは高校生の時だ。
懐かしい幼馴染との再会にキリカも顔を綻ばせる。
「アラン。お久しぶりね、元気そうで何よりだわ」
「君もね。君と最後に会ったのはいつだったか……あまりに綺麗になっていたから誰かわからなかったよ」
「ありがとう。その言葉は奥さんには内緒にしておくわね」
「はは、そうしてくれると有り難いよ」
二人は数年ぶりの再会につい話に華を咲かせてしまった。
気がつけば伯父の姿はなく、二人に気を利かせたのだろう。
ああ、ここで見失っては後々大変だ。
伯父の姿を探してあちこちに目を配るが見当たらない。
「ところで今日は一体どうしたんだい?」
「それが、ね。……私」
「ああ、それ以上言わなくてもわかるよ。君がずっとパーティーに来なかったのも。幼馴染としてどうにかしてやりたい気持ちはあるんだ。でも、君の伯父さんに口出しができなくて」
「私は良い幼馴染を持ったわ。その気持ちだけで嬉しいもの。……今日はその為に来たのよ」
「そうだったのか。……ボクに出来ることなら何でも協力するよ。他ならぬ、君のためだ」
「相変わらず優しいのね。フェリシテさんが貴方に見惚れた理由もわかる気がする」
不意に出た妻の名前にアランは顔を赤らめた。
間延びした単音を発言し、照れを隠そうと咳払いをする。
それはさておき、作戦を練ろうか。
そう話を切り出そうとした所へ数人の男性が近づいてきた。
彼らはさっきホールにいた顔ぶれだ。ホールへ向かう途中でキリカの姿を見つけたのだろう。
「君がキリカ?……ああ、話に聞いた通りの女性だ」
「アラン、どうしてこんな素敵な女性を紹介してくれなかったんだ」
「マドモアゼル、私と一緒に踊ってくれませんか」
「いや、俺が先に声をかけたんだ。俺が先だろう」
取り囲まれてしまった。
アランに助けを求めようにも、彼は輪から押し出されてしまっている。
その後ろで悪態をつき足を鳴らしていた。
この状況を打破するには自分で何とかしなくてはならない。
キリカの耳に届く周りの声がただの雑音と化していた。
どんな甘い台詞も心に響かない。
ただひとつ、頭に浮かんでいたのはある人の言葉だった。
その言葉がはっきりと再生される。
「ごめんなさい。私は」と全ての誘いを断ろうとキリカは口を開いた。
しかし、意を決した言葉はそこまでしか紡がれない。
それ以上言う必要もなかったのだろう。
前方に待ち望んでいた人がいたのだ。
Rはダークスーツに身を纏い、イエローのアスコットタイを首に巻いている。
いつも被っているポーラーハットにはレッドではなくブラックのラインが入っていた。
帽子に手を添えたまま彼はにやりと笑っている。
「悪いけど、彼女の相手は僕なんだ。失礼」
すっと差し出されたRの手に何の躊躇いも無くキリカは手を重ねた。
突然現れた男に女性を連れて行かれてしまった男性陣は呆然とするしかなかった。
ただ、アランだけはエスコートされているキリカの表情を見て嬉しそうに微笑む。
彼と二人でいる所をあの人が目にすれば諦めもつくだろう。
アランは急いで彼女の伯父を探しにその場を離れていった。
「R、来てくれてありがとう」
「どういたしまして。それにしても驚いたよ、君があまりにも綺麗だったから」
「なんだか、恥ずかしいわ。でも、ありがとう。貴方に言ってもらえるのが一番嬉しい」
ホールの中央に大きなシャンデリアが見えた。
無数のライトを灯しているそれはキラキラと輝いている。
フロアではすでにスローワルツを踊る男女がステップを踏んでいた。
昔聞いた覚えのある曲が静かにゆっくりと流れている。
キリカは初めて社交界で踊った時の事を思い出していた。
あの頃は緊張感に縛られていて、周りがよく見えていなかった。
今以上に表情が強張っていたし、愛想もよくなかった。
ダンスのパートナーの足をよく踏んづけていた気もする。
「せっかくのダンスパーティーなんだし、よければ僕と一曲踊ってもらえないかな」
「ええ……でも、私踊り方忘れているかもしれないわ」
「大丈夫。僕がリードするから」
フロアで空間を見つけ、そこに対面するように立つ。
Rは帽子を脱いで恭しく一礼。そして彼女の手の甲にそっと口付けた。
その手を繋ぎ、反対の手を腰に回す。
視線を少しでも上げればすぐ目と目が合う。
髪と同じ色の瞳が優しく笑いかけてくる。
凛とした顔立ちに思わず見惚れてしまいそうだ。
基本のステップを踏みながら惚けていると、それが伝わってしまったのか照れ臭そうにRが笑った。
「僕の顔に見惚れても構わないけど、足を踏まれてしまいそうだね」
「ご、ごめんなさい。気をつけるから」
「冗談だよ」
Rの顔が赤らんでいる。
緊張しているのは自分だけじゃない。
ぎこちなく踏み出していた足も段々と動くようになってきた。
流れるようなステップだが、あくまで優しいリードでパートナーであるキリカに負担が殆どかからない。
数分後には「踊り方を忘れていた」なんて言葉が嘘のようにキリカの足は軽かった。
楽しい時間はあっという間に過ぎ去っていくもの。
まだ曲が続けばいいのに。その願いも虚しく、曲は終止符を打ち終わった。
踊っていたペアは男性のエスコートで壁際の円卓へ向かっていく。
二人も壁際に寄り、Rが飲み物を貰って来ると席を離れた。
人の波に消えていくRをぼうっとキリカは見ていた。
まるで夢を見ているような感覚が心地良い。
両手で包み込んだ頬が熱を持っている。
Rの優しい目を思い出すだけで熱が上がりそうだ。
「キリカ。いいパートナーを見つけたな」
「アラン……その、彼は」
伯父の話を断る為に一時的に連れてきた。
そう言うつもりが相手の嬉々とした表情に中々言い出せない。
「伯父さんも君達二人を見て諦めがついたようだよ。寂しそうな顔はしていたけどね」
「いつも私のこと気にかけてくれていたもの。お人好しなのよ」
「それにしても君達お似合いだと思うよ。ああ、噂をすれば、だ。それじゃあね」
アランは戻ってきたRの肩を上機嫌に叩き、手を振っていった。
その後姿を不思議そうにRは見送る。
「彼は?」
「私の幼馴染なの」
「ふうん。そうだ、今夜は星が綺麗なんだ。バルコニーに出ないかい」
グラスをキリカに渡し、空いた手を引いていく。
開放されたバルコニーへ向かう途中、二人を恨めしそうに目で追う男性達がいた。
バルコニーには気持ちの良い風が吹いていた。
人の話し声も遮られ、うるさく感じない。
見上げた空には無数の星がキラキラと輝いていた。
雲は一つも見当たらない。西の空に猫の目のように細い三日月が浮かんでいる。
「本当ね。気づかなかったわ……ここへ来るのに気持ちに余裕がなかったせいかしら」
「少しはリラックスできたかい」
「ええ、おかげ様で。貴方が居なかったらこんなに素敵な星空見逃していたかもしれない」
「それは良かった。僕も来た甲斐があるよ」
冷たい飲み物で喉を潤すには少し肌寒い気温。
グラスに少しだけ口をつけた後はそれを側のテーブルに置いた。
汗をかいたグラスを手放した時にはもう手の平が冷たくなっていた。
夜風にさらされている両腕にその手で触れると余計にじんわりと冷たく感じる。
それを見ていたRはキリカの肩に脱いだジャケットをかけた。
ふわりと香る匂いとあたたかい温もりがキリカを包み込む。
大丈夫だからと返そうとしたが、それを制される。
「また風邪を引いたらいけないからね」
「……R。あの、今日は本当にありがとう。貴方を信じて良かった」
「君が信じてくれるならどこにだって駆けつけるさ。それに」
今夜来た理由はそれだけじゃない。
そう呟いたRは手の平でキリカの頬を包み込んだ。
表面だけ冷えていたせいか、頬に触れた体温が熱く感じる。
真剣な眼差しがキリカの顔を覗きこんでいた。
「君を他の奴に盗られたくないんだ。……君のことが好きだから」
胸が高鳴り始めると同時に体温が上がっていく。
ばくばくと打ち続ける心臓の音が外に聞こえてしまいそうなほど。
もはや相手の手が熱いのか、自分の体温が熱いのかわからない。
「キリカ」
思考が溶けそうなほどの甘い声。
その声に囁かれてはもはや逃げ様がない。
どちらからともなく目を瞑った。
ゆっくりと距離を縮め、あと数センチで触れる。
しかし、突如響いた怒声に弾かれたように飛び退いた。
キリカの肩にかけられていたジャケットが床に滑り落ちる。
「怪盗R、ここにいたかあっ!」
バルコニーに数人の男達が駆け込んできた。
眼鏡をかけたシャツ姿の渋い男性が勢いよくRを指差す。
その男の顔は新聞やニュースで度々見かけていたパリ市警のボードワン警視だった。
「ボードワン警視?!」
「今夜こそ逮捕してくれる!いけっ、奴を捕らえろ!」
ボードワンの部下である警官が一斉にRに飛び掛るが、虚しくも空振りした。
ひらりとその手をかわしたRはフェンスの上に微動だにせず立つ。
「どうして警視がここに」
「怪盗Rあるとこにパリ市警ありだ!」
拳を握り締め力説する姿には苦笑いしか出てこない。
相変わらず熱血で正義感が強い男だ。
Rはキリカへ視線を向けたが、すでに彼女は警官によって保護されていた。
どうも近づけそうにない。そう判断したRは小さな溜息を吐き出した。
「……今日ほど最高に邪魔をしてくれた日はないよ」
「何をごちゃごちゃと、奴を逃がすなー!」
もう一度キリカの方へ目を走らせる。
彼女は複雑な思いに駆られているのか、泣きそうな目でこちらを見ていた。
警官の手が足に触れようとした瞬間にRは高く跳び上がり、庭園へ降り立つ。
そのまま背を向けて走り去っていった。