リズム怪盗R
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揺り動かされる気持ち
「ミシェルのやつ、どこ行ったんだ」
僕は一人不満を呟いて通りを見渡した。
不満をぶつけたい相手の姿は見つからない。
今日の店番はミシェルなのに、時間になっても来ない。
あいつはサボり常習犯だから、ラルフ探してきてくれないか。
そうおじさんに頼まれてしまった。
嫌とも断れなかったので、渋々ミシェルを探し回っているのだが、一向に見つからない。
町の人に「あっちにいたわ」と情報を得ても、先に逃げられてしまう。
「逃げ足がほんとに速いんだから」
通りから戻ってきた僕はキリカさんが働いている花屋に自然と目が向いた。
彼女は接客中だった。
カーネーションの赤とピンクを揃えて何か喋っている。
客はそれで納得したのか一度頷く。キリカさんの表情が一際輝いた気がした。
僕はあの笑顔が好きだ。
店先に飾られている花のような笑顔。
いや、イングリッシュローズよりもサンフラワーよりも綺麗で眩しい。
なんて。本人の前じゃ言えないけど。
僕はお客さんが帰る頃を見計らってキリカさんに話しかけることにした。
もしかしたらこの近くをミシェルが通りかかっているかもしれない。
それから五分くらい経った後にお客さんが花束を抱えて帰っていった。
次のお客さんはすぐに来なさそうだし、話しかけるなら今がチャンスだ。
「こんにちはキリカさん」
「あら、ラルフくん。こんにちは。学校帰り?」
「はい。今から帰る所です。ミシェルを探してるんですけど、見ませんでしたか」
「見かけてないわ。今日は割と人の流れが緩やかだったから、見かけたら気づいてると思うんだけど」
ここにも居ないか。
早く見つけないと僕が代わりに店番することになってしまう。
「ありがとうございます。他を探してみますね」
「見つかるといいわね。もし見かけたら私からも声をかけておくわ」
「お願いします」
僕は名残惜しくも花屋を後にして通りへ向かった。
ショーウィンドウに太陽の光が反射していて、眩しさに目を細める。
天気予報は1日晴れのマークで埋め尽くされていた。
今夜もきれいな星空を見ることが出来そうだ。
真っ青な空に飛行機雲がすっと伸びていた。
こんなに天気がいいのに僕は何をしているんだか。
「おやラルフくん。空に飛行船でも見えたかい」
「こんにちは、ジャコブさん。飛行機雲が見えたんですよ。ほら」
頭上を指差すと白い筋の尾がうっすら消えかけていた。
ジャコブさんは郵便鞄を斜めに提げて、配達中の手紙をたくさん手に持っている。
「今は観光客が来る季節だからなあ。ああ、そうだ君に頼みたいことがあるんだけど引き受けてくれるかな?」
「何ですか?」
「真に申し訳ないんだけど、これをキリカさんに届けてもらえないだろうか」
鞄から一通の手紙を取り出して僕に渡した。
手紙に触れたとき、指先に蝋の感触があった。
溶かした蝋で封がされているんだろう。
こんな洒落た手紙、今時珍しいな。
「本来なら私が届けるべきなんだが、戻っていたら他の区域の配達が遅れてしまうし、かといって明日に回しては遅くなる。ラルフくん、キリカさんと親しいだろう?」
「はい。構いませんけど、僕からも聞いていいですか」
「どうぞ」
「ミシェルを見ませんでしたか。あいつを探してる途中なんです」
ジャコブさんはうーんと唸るように考え、明後日の方向を見上げる。
配達であちこち歩いてるから見かけてると思ったんだけど。
「確か彼ならセーヌ川で見かけたよ」
「ほんとですか!ありがとうございます。行ってみますね。あ、これは必ずキリカさんに届けますから!」
「頼んだよー!」
挨拶もそこそこに僕は駆け出した。
早く行かなければまた見失う。
ここからそこまではとおくない。
急げば逃げられる前に捕まえられそうだ。
それにしても、だ。
こんな格調高い手紙を受けとることがあるなんて、どういうことだろう。
これは招待状だろうか。
まさか貴族にでも知り合いがいるとか。
まあとにかく今は考えてるは暇はない。
ミシェルを捕まえて店まで引っ張っていかないと。
*
雲一つない夜空に半月の舟が浮いていた。
じっと見つめているとその舟がゆらゆらと揺れそうだ。
日本の昔話で月には兎がいて餅をついていると母に教えられた。
月が欠けてきたらその舟に乗ってシーソーのように遊んでいると。
そんな遠い昔のことを思い出しながら、窓から月を眺めていた。
遠い場所に住む両親は元気にしているだろうか。
たまには連絡をしないと。
そう思いながらずっとしていない。
チカチカと光る星空を見上げていたキリカは流れ星を探していた。
もし星が流れたら願いたいことがあった。
しかしそう簡単には流れてくれないものだ。
いつかは流星群も見てみたいと思っていた。
流れ星を探していたキリカの視界から忽然と星が消えた。
代わりに映ったのは帽子を被った男の顔。
彼は帽子を押さえ、キリカの顔を覗きこんでいた。
またも突然の来訪と顔の近さに心臓が止まりかける。
「空に何か探し物?」
「R……いつも急に来るのね。心臓に悪いわ」
「ごめんごめん。急に君に会いたくなるからさ。でも、ドアをノックして入ってくる怪盗なんて居ないよ」
わざわざ自分の存在を知らせてから仕事はしない。
そのくせ予告状は送っているくせにと返したかったが、上手く言葉が出てこなかった。
キリカはRから思わず視線を反らした。
「あれ、怒らせちゃった?」
「そんなんじゃ、ないわ」
「ごめん。今日は君に手紙を届けに来たんだ」
Rはジャケットのポケットから一通の封筒をキリカに手渡した。
キリカは宛名の筆跡に見覚えがあったようだ。裏返し、封の刻印を見た途端に表情が曇った。
どうやら彼女にとって嬉しい知らせではないようだ。
手紙を表に返し、無言でそれを見つめる。
「読まないのかい」
「読まなくても、わかるから」
それよりもお茶を飲んでいかないかとRに勧めた。
「遠慮なく」と部屋に上がり込んだRはいつもの指定席の窓際へ移動する。
サイドテーブルに置かれた手紙を気にしているとキッチンから声がした。
「気になるなら開けてもいいわよ」
「でも、君に来た手紙だ」
「大した内容じゃないもの」
彼女がそう言うならば大した内容ではないのだろう。
少なくとも自分が予想していることよりも。
Rは手紙に手を伸ばし、部屋の中を見渡した。
机に置いてあるペーパーナイフを借りて丁寧に封筒を開く。
中からは二つ折りにされた紙が出てきた。
ざらざらとした手触りの上質な紙だ。
結婚式などに使われる招待状に使われそうなもの。
万年筆で書かれた丁寧な筆跡を目で追っていく。
思ったとおり、これは来週催される舞踏会の招待状だった。
これで昼間に得た情報と全てが繋がった。
「君はやっぱり"キリカ家"の人間だったんだね」
「……黙っていてごめんなさい。言えば敬遠されると思って嫌だったの」
「君が何者だろうと僕の態度は変わらないさ。でも正直驚いたよ」
昼間、奔走した末にミシェルを取っ捕まえて店に引き渡した。
その後すぐにキリカに手紙を届けようと思っていた。
だが、手紙の差出人との関連性を確かめたい気持ちが強く現れてしまった。
古い図書館や貴族に詳しい友人を尋ねて情報を集め、パリの街を駆ける。
差出人から推測し、糸を手繰って得た真実は思いがけないものだった。
キリカの家は由緒あるフランス貴族の家系。
現当主はキリカの父親だ。
貴族とはいえ、現在では身分に差はない。
貴族と言えば庶民を見下し、御高く纏った階級として歴史に残っているが。
キリカ家は貧しい庶民に優しく接してきていたようだった。
それは今も同じ。キリカを見ていても当時を容易く想像させることができた。
キリカの両親は今はフランス郊外で静かに暮らしているようだ。
当主が日本へ旅行した時、出逢った女性と恋に落ちた相手がキリカの母親。
貴族が庶民と、しかも外国の血を交ぜることに快く思う者は少なくない。
周囲の反対を押し切って二人は結婚した。その二人の間に生まれたのがキリカだ。
父親の目、母親の髪を受け継いで。
彼女は様々な目を向けられて生きてきのだろう。
自分が想像するよりも遥かに大変だったに違いない。
ハーブティーの良い香りが漂ってきた。
二人分のカップを持ってきたキリカは申し訳なさそうに笑う。
「少しブレンドに失敗しちゃったわ」
「毎回違う味が楽しめるからいいじゃないか」
「そう言って貰えると助かるわね」
甘くふくよかな香り。どこかで嗅いだ覚えがある。
ローズに似たような香りだった。
どこか懐かしい、甘い味。
Rの記憶の奥底にあった名前がぽっと浮かんだ。
「これはジャスミン」
「ええ。ジャスミンをベースにしたの。……苦手だったかしら」
「その逆だよ。昔、飲んだことがあるんだ。ずっと昔にね」
Rの表情が和らいでいた。
寂しげに微笑んでいる。
暗闇とポーラーハットに顔の半分が隠されているが、声色からそう感じられる。
「それより、ダンスパーティーには行かないのかい」
キリカはゆっくりと首を横に振った。
ベッドに腰を下ろし、ティーカップに口をつける。
一口飲んでからほうっと息をついた。
「毎年この時期になると伯父さんから招待状が来るんだけれど、ここ数年は行っていないの。社交辞令やお見合いの話とかで疲れてしまうから」
「やっぱり現在の貴族も大変なんだな」
「見ず知らずの人と急に結婚しろだなんて言われても、ね」
「でもどうして君の伯父が?両親からなら話はわかるけど」
「私の父と母は寛容的だから。『家も身分も関係ない。自由に生きなさい。』と言われているの。ただ、伯父だけは私を放っておけないみたいで。……お人好しだから、憎めないのだけどね」
可愛い姪を護ってやろうという計らいなのだろう。
それも彼女にとってはありがた迷惑のようだった。
今こうしてキリカは貴族社会から離れてのんびりと生活をしているのだ。
それを壊されたくはない。その想いが強く、何度も誘いを断ってきているのだろう。
「毎年断りの返事を送るのが辛いのが唯一の悩みかしら」
「それだったら、一度行ってはっきり断ってくればいいんじゃないかな。その方が相手も諦めがつくと思うし」
「……それも考えたことはあるのだけれど。一人で行く勇気がないわ。私、流されやすいから」
これにはRも驚いた。
話をしている今も、昼間の様子からも芯がしっかりしている雰囲気を纏っているというのに。
そういえば先日の花屋のナンパ事件も本当に困っているようだった。
「じゃあ、僕が一緒に行こう」
思いがけない一言にキリカは「え?」と聞き返した。
何かの聞き間違いではないのかと。
Rは冗談などではないとにんまりと笑っていた。
「一人が嫌なら誰かと一緒に行けばいい。それに僕が立候補しただけさ」
「え……でも、悪いわ。Rだって忙しいでしょ」
「大丈夫。その日はオフなんだ。会場に予告状を送ったりもしないから安心して」
「あら、予告状を送るとしたら何を盗むつもりだったのかしら?」
招待状の話の件とは別に、Rとの話は面白い。
気兼ねなく冗談を言えるし、笑うこともできる。
冷えきった家の中に明るいキャンドルをぽっと灯すような、そんな感覚がある。
くすくすと笑っていたキリカだったが、不意に伸びてきたRの指先が唇に触れた。
「あえて盗むとしたら、君の心かな」
帽子のツバから覗いたRの瞳が見える。
彼は時々冗談なのか本気なのかわからない言動をしてくる。
いつもそれに惑わされているのだが。
「それじゃ来週の日曜日に。必ず行くよ」
窓枠を足場に、空に向かってRは高く跳び上がった。
宙で体をくるりと回転させ、隣の家の屋根に乗り移る。
あっという間に彼の姿は闇に消えていってしまった。
からかわれているのだろうか。それとも。
彼の本心がどこにあるのかわからない。
キリカの揺れる恋心はまだ焦点が定まらずにいた。
「ミシェルのやつ、どこ行ったんだ」
僕は一人不満を呟いて通りを見渡した。
不満をぶつけたい相手の姿は見つからない。
今日の店番はミシェルなのに、時間になっても来ない。
あいつはサボり常習犯だから、ラルフ探してきてくれないか。
そうおじさんに頼まれてしまった。
嫌とも断れなかったので、渋々ミシェルを探し回っているのだが、一向に見つからない。
町の人に「あっちにいたわ」と情報を得ても、先に逃げられてしまう。
「逃げ足がほんとに速いんだから」
通りから戻ってきた僕はキリカさんが働いている花屋に自然と目が向いた。
彼女は接客中だった。
カーネーションの赤とピンクを揃えて何か喋っている。
客はそれで納得したのか一度頷く。キリカさんの表情が一際輝いた気がした。
僕はあの笑顔が好きだ。
店先に飾られている花のような笑顔。
いや、イングリッシュローズよりもサンフラワーよりも綺麗で眩しい。
なんて。本人の前じゃ言えないけど。
僕はお客さんが帰る頃を見計らってキリカさんに話しかけることにした。
もしかしたらこの近くをミシェルが通りかかっているかもしれない。
それから五分くらい経った後にお客さんが花束を抱えて帰っていった。
次のお客さんはすぐに来なさそうだし、話しかけるなら今がチャンスだ。
「こんにちはキリカさん」
「あら、ラルフくん。こんにちは。学校帰り?」
「はい。今から帰る所です。ミシェルを探してるんですけど、見ませんでしたか」
「見かけてないわ。今日は割と人の流れが緩やかだったから、見かけたら気づいてると思うんだけど」
ここにも居ないか。
早く見つけないと僕が代わりに店番することになってしまう。
「ありがとうございます。他を探してみますね」
「見つかるといいわね。もし見かけたら私からも声をかけておくわ」
「お願いします」
僕は名残惜しくも花屋を後にして通りへ向かった。
ショーウィンドウに太陽の光が反射していて、眩しさに目を細める。
天気予報は1日晴れのマークで埋め尽くされていた。
今夜もきれいな星空を見ることが出来そうだ。
真っ青な空に飛行機雲がすっと伸びていた。
こんなに天気がいいのに僕は何をしているんだか。
「おやラルフくん。空に飛行船でも見えたかい」
「こんにちは、ジャコブさん。飛行機雲が見えたんですよ。ほら」
頭上を指差すと白い筋の尾がうっすら消えかけていた。
ジャコブさんは郵便鞄を斜めに提げて、配達中の手紙をたくさん手に持っている。
「今は観光客が来る季節だからなあ。ああ、そうだ君に頼みたいことがあるんだけど引き受けてくれるかな?」
「何ですか?」
「真に申し訳ないんだけど、これをキリカさんに届けてもらえないだろうか」
鞄から一通の手紙を取り出して僕に渡した。
手紙に触れたとき、指先に蝋の感触があった。
溶かした蝋で封がされているんだろう。
こんな洒落た手紙、今時珍しいな。
「本来なら私が届けるべきなんだが、戻っていたら他の区域の配達が遅れてしまうし、かといって明日に回しては遅くなる。ラルフくん、キリカさんと親しいだろう?」
「はい。構いませんけど、僕からも聞いていいですか」
「どうぞ」
「ミシェルを見ませんでしたか。あいつを探してる途中なんです」
ジャコブさんはうーんと唸るように考え、明後日の方向を見上げる。
配達であちこち歩いてるから見かけてると思ったんだけど。
「確か彼ならセーヌ川で見かけたよ」
「ほんとですか!ありがとうございます。行ってみますね。あ、これは必ずキリカさんに届けますから!」
「頼んだよー!」
挨拶もそこそこに僕は駆け出した。
早く行かなければまた見失う。
ここからそこまではとおくない。
急げば逃げられる前に捕まえられそうだ。
それにしても、だ。
こんな格調高い手紙を受けとることがあるなんて、どういうことだろう。
これは招待状だろうか。
まさか貴族にでも知り合いがいるとか。
まあとにかく今は考えてるは暇はない。
ミシェルを捕まえて店まで引っ張っていかないと。
*
雲一つない夜空に半月の舟が浮いていた。
じっと見つめているとその舟がゆらゆらと揺れそうだ。
日本の昔話で月には兎がいて餅をついていると母に教えられた。
月が欠けてきたらその舟に乗ってシーソーのように遊んでいると。
そんな遠い昔のことを思い出しながら、窓から月を眺めていた。
遠い場所に住む両親は元気にしているだろうか。
たまには連絡をしないと。
そう思いながらずっとしていない。
チカチカと光る星空を見上げていたキリカは流れ星を探していた。
もし星が流れたら願いたいことがあった。
しかしそう簡単には流れてくれないものだ。
いつかは流星群も見てみたいと思っていた。
流れ星を探していたキリカの視界から忽然と星が消えた。
代わりに映ったのは帽子を被った男の顔。
彼は帽子を押さえ、キリカの顔を覗きこんでいた。
またも突然の来訪と顔の近さに心臓が止まりかける。
「空に何か探し物?」
「R……いつも急に来るのね。心臓に悪いわ」
「ごめんごめん。急に君に会いたくなるからさ。でも、ドアをノックして入ってくる怪盗なんて居ないよ」
わざわざ自分の存在を知らせてから仕事はしない。
そのくせ予告状は送っているくせにと返したかったが、上手く言葉が出てこなかった。
キリカはRから思わず視線を反らした。
「あれ、怒らせちゃった?」
「そんなんじゃ、ないわ」
「ごめん。今日は君に手紙を届けに来たんだ」
Rはジャケットのポケットから一通の封筒をキリカに手渡した。
キリカは宛名の筆跡に見覚えがあったようだ。裏返し、封の刻印を見た途端に表情が曇った。
どうやら彼女にとって嬉しい知らせではないようだ。
手紙を表に返し、無言でそれを見つめる。
「読まないのかい」
「読まなくても、わかるから」
それよりもお茶を飲んでいかないかとRに勧めた。
「遠慮なく」と部屋に上がり込んだRはいつもの指定席の窓際へ移動する。
サイドテーブルに置かれた手紙を気にしているとキッチンから声がした。
「気になるなら開けてもいいわよ」
「でも、君に来た手紙だ」
「大した内容じゃないもの」
彼女がそう言うならば大した内容ではないのだろう。
少なくとも自分が予想していることよりも。
Rは手紙に手を伸ばし、部屋の中を見渡した。
机に置いてあるペーパーナイフを借りて丁寧に封筒を開く。
中からは二つ折りにされた紙が出てきた。
ざらざらとした手触りの上質な紙だ。
結婚式などに使われる招待状に使われそうなもの。
万年筆で書かれた丁寧な筆跡を目で追っていく。
思ったとおり、これは来週催される舞踏会の招待状だった。
これで昼間に得た情報と全てが繋がった。
「君はやっぱり"キリカ家"の人間だったんだね」
「……黙っていてごめんなさい。言えば敬遠されると思って嫌だったの」
「君が何者だろうと僕の態度は変わらないさ。でも正直驚いたよ」
昼間、奔走した末にミシェルを取っ捕まえて店に引き渡した。
その後すぐにキリカに手紙を届けようと思っていた。
だが、手紙の差出人との関連性を確かめたい気持ちが強く現れてしまった。
古い図書館や貴族に詳しい友人を尋ねて情報を集め、パリの街を駆ける。
差出人から推測し、糸を手繰って得た真実は思いがけないものだった。
キリカの家は由緒あるフランス貴族の家系。
現当主はキリカの父親だ。
貴族とはいえ、現在では身分に差はない。
貴族と言えば庶民を見下し、御高く纏った階級として歴史に残っているが。
キリカ家は貧しい庶民に優しく接してきていたようだった。
それは今も同じ。キリカを見ていても当時を容易く想像させることができた。
キリカの両親は今はフランス郊外で静かに暮らしているようだ。
当主が日本へ旅行した時、出逢った女性と恋に落ちた相手がキリカの母親。
貴族が庶民と、しかも外国の血を交ぜることに快く思う者は少なくない。
周囲の反対を押し切って二人は結婚した。その二人の間に生まれたのがキリカだ。
父親の目、母親の髪を受け継いで。
彼女は様々な目を向けられて生きてきのだろう。
自分が想像するよりも遥かに大変だったに違いない。
ハーブティーの良い香りが漂ってきた。
二人分のカップを持ってきたキリカは申し訳なさそうに笑う。
「少しブレンドに失敗しちゃったわ」
「毎回違う味が楽しめるからいいじゃないか」
「そう言って貰えると助かるわね」
甘くふくよかな香り。どこかで嗅いだ覚えがある。
ローズに似たような香りだった。
どこか懐かしい、甘い味。
Rの記憶の奥底にあった名前がぽっと浮かんだ。
「これはジャスミン」
「ええ。ジャスミンをベースにしたの。……苦手だったかしら」
「その逆だよ。昔、飲んだことがあるんだ。ずっと昔にね」
Rの表情が和らいでいた。
寂しげに微笑んでいる。
暗闇とポーラーハットに顔の半分が隠されているが、声色からそう感じられる。
「それより、ダンスパーティーには行かないのかい」
キリカはゆっくりと首を横に振った。
ベッドに腰を下ろし、ティーカップに口をつける。
一口飲んでからほうっと息をついた。
「毎年この時期になると伯父さんから招待状が来るんだけれど、ここ数年は行っていないの。社交辞令やお見合いの話とかで疲れてしまうから」
「やっぱり現在の貴族も大変なんだな」
「見ず知らずの人と急に結婚しろだなんて言われても、ね」
「でもどうして君の伯父が?両親からなら話はわかるけど」
「私の父と母は寛容的だから。『家も身分も関係ない。自由に生きなさい。』と言われているの。ただ、伯父だけは私を放っておけないみたいで。……お人好しだから、憎めないのだけどね」
可愛い姪を護ってやろうという計らいなのだろう。
それも彼女にとってはありがた迷惑のようだった。
今こうしてキリカは貴族社会から離れてのんびりと生活をしているのだ。
それを壊されたくはない。その想いが強く、何度も誘いを断ってきているのだろう。
「毎年断りの返事を送るのが辛いのが唯一の悩みかしら」
「それだったら、一度行ってはっきり断ってくればいいんじゃないかな。その方が相手も諦めがつくと思うし」
「……それも考えたことはあるのだけれど。一人で行く勇気がないわ。私、流されやすいから」
これにはRも驚いた。
話をしている今も、昼間の様子からも芯がしっかりしている雰囲気を纏っているというのに。
そういえば先日の花屋のナンパ事件も本当に困っているようだった。
「じゃあ、僕が一緒に行こう」
思いがけない一言にキリカは「え?」と聞き返した。
何かの聞き間違いではないのかと。
Rは冗談などではないとにんまりと笑っていた。
「一人が嫌なら誰かと一緒に行けばいい。それに僕が立候補しただけさ」
「え……でも、悪いわ。Rだって忙しいでしょ」
「大丈夫。その日はオフなんだ。会場に予告状を送ったりもしないから安心して」
「あら、予告状を送るとしたら何を盗むつもりだったのかしら?」
招待状の話の件とは別に、Rとの話は面白い。
気兼ねなく冗談を言えるし、笑うこともできる。
冷えきった家の中に明るいキャンドルをぽっと灯すような、そんな感覚がある。
くすくすと笑っていたキリカだったが、不意に伸びてきたRの指先が唇に触れた。
「あえて盗むとしたら、君の心かな」
帽子のツバから覗いたRの瞳が見える。
彼は時々冗談なのか本気なのかわからない言動をしてくる。
いつもそれに惑わされているのだが。
「それじゃ来週の日曜日に。必ず行くよ」
窓枠を足場に、空に向かってRは高く跳び上がった。
宙で体をくるりと回転させ、隣の家の屋根に乗り移る。
あっという間に彼の姿は闇に消えていってしまった。
からかわれているのだろうか。それとも。
彼の本心がどこにあるのかわからない。
キリカの揺れる恋心はまだ焦点が定まらずにいた。