S・H人形劇
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紙飛行機
「明日、日本からの留学生が来るそうだよ」と、ぼくは言った。
同室のシャーロック・ホームズはいつもの場所で分厚い本を読んでいた。
一度だけぼくの方へ目をくれると、それは興味のない話題だったようですぐに目を本へ向ける。
彼はいつもこうだ。ぼくが興奮冷めやらぬ状態で部屋に戻り、ビッグニュースを伝えたとしても興味が沸かなければ反応を示さない。
どうやら今回のニュースも残念ながら留めないようだ。
彼がようやく口を開いたのはぼくが机に向かい、ノートと羽ペンを用意した時だった。
「知っているよ。キリカ・ハヅキ。腰まである黒い髪に日本人らしい茶色がかった瞳。髪は一見ストレートのようにも見えるが、あれは癖っ毛だ。自分で伸ばしているんだろう。身長も日本人らしい低めの背丈、体型は普通。性格は落ち着きがあり、他人に優しい。まだこのぐらいしかわかっていないけど」
「それだけ知っていれば充分だよ。もう彼女と面識があったのかい?」
「いや、校長室に入っていくのを見かけただけ。見たことない生徒だったし、転校生かとも思ったが……明らかにイギリス人じゃない。だとしたら、留学生だ」
彼女の性格についてはハドソン夫人とのやり取りを見たとホームズが付け加えた。
相変わらず観察力が鋭い。一言も言葉を交わしていないのに、相手のことをずばりと見抜いてしまう。
ぼくは羽ペンを持ったままホームズの話に釘付けになっていた。
その時のぼくはまだ彼女とホームズが上手くいけばいいなあなんて微塵も思っていなかった。
「もしかしたらホームズと合うんじゃない?」
不思議とその一言が口をついて出た。なぜかはわからない。
恋愛とかそういう類の感情を好まない。そんなホームズに人を好きになることを知ってもらいたかったのかもしれなかった。
ぼくがそう言うと、彼はまた本から顔を上げて宙を見つめた。
やがてゆっくりと首を横に振って「興味ないな」と答えた。
「興味がないならそこまで観察しないと思うけどなあ」
「確かに君の言うとおりだ。だが、人間観察は面白いからね」
いつだったか、同じ台詞を前にも聞いた。
彼にとって人間観察は息を吸うのと同じくらい当たり前のことになっていた。
*
日本人留学生が噂になってから一週間が過ぎた。
ぼくも何度か彼女と言葉を交わしたけれど、なるほど日本人はシャイだ。
向こうも緊張がまだあるのか、会話があまり長く続かなかった。
だからこそ、あの日ぼくは目を疑うような出来事に遭遇した。
文学の授業が始まってすぐ、斜め前の席が居眠りを始めた。
開始十分も経っていない。ホームズは教科書を開いて立てて、それを壁にするように突っ伏して寝ていた。
これもいつものことだった。過去に何度か起こしたこともある。けれど、またすぐに眠ってしまう。
それに「無理に起こさなくていいよ」と言われた。それに今日は席が離れてしまっている。
いつだったか小説はつまらないものだ、とホームズが言っていたのを思い出した。
ぼくは小説が好きだし、文学の授業も好きだから寝るのは勿体無いと思っている。
先生が黒板に一文を書き始めた。すやすやと眠っているホームズをちらりと見てから、ぼくは授業に集中した。
授業が半分過ぎた頃だった。
ぼくはおもむろに窓際の方を見た。外は晴れていて、穏やかな天気だ。
窓際の席にはキリカ・ハヅキさんがいる。ホームズの言うとおり、彼女は長い黒髪で一見ストレート。でも良く見ると毛先が少しうねっていた。これは言われなければ気づかない。彼は本当に観察力が鋭い。
鼻筋はぼくらイギリス人よりも低い。でも凛とした顔つきだった。可愛いというよりは綺麗な方。
ああいう女性を大和撫子、っていうんだったかな。
そんな彼女が突然羊皮紙を千切りだした。少々いびつな正方形に千切り、それを手早く折りたたんでいく。
すると彼女の手元に紙飛行機が出来上がった。
何を考えているのかぼくにはまだわからなかった。授業が飽きたのか、とすら思ったぐらいだ。
彼女はその紙飛行機を二つ前の席に飛ばした。ホームズの席にだ。
紙飛行機はすっと空中を飛行し、ホームズの手の上に落ちた。
それに気がついたホームズが目を開けて、気だるそうに起き上がった。
その直後のことだった。
「ホームズ。続きを読み上げてくれ」先生が教科書を読むようにホームズを指名した。
しまった。少し気が逸れた間にぼくもどこまで読み進んでいたのかわからなくなっていた。
今の今まで寝ていたホームズにどこから読むかなんてわかるはずがない。
ぼくが慌てて頁をめくっていたのに対して、彼は至極冷静に頁をめくり、起立して教科書を読み上げた。
一小節を読み上げたところでホームズは席に座った。
「珍しく起きていたようだな、ホームズ。……では続きを」
ホームズが読み上げた一小節を探し出し、ぼくは次の生徒が読み上げる文章を目で追いかけた。
それでもさっきの出来事が頭から離れなかった。
彼女の行動は一体なんだったのか。それにタイミングを照らし合わせたかのように当てられたホームズ。
もしかすると、ハヅキさんは寝ていたホームズを起こそうとしていたんだろうか。
それにしてもだ。なぜホームズはどこから読むのか知っていたのか。
終業のベルが鳴り終わったら、ぼくは彼にそれを聞こうと思った。
*
ぼくは廊下の先を歩くホームズを追いかけていた。
授業が終わったあと、彼の姿は教室になかった。いつの間に出たんだろう。
授業道具を慌てて片付け、廊下に飛び出すとホームズが曲がり角を曲がるのを見かけた。
長身の彼は人波に飲まれても見つけやすい。
ぼくは人の波を掻き分けながら「ホームズ!」と声をかけた。けれど、どうやらぼくの声は届いていなかったようだ。
ようやくぼくも曲がり角に辿り着いた頃、驚くべき光景を目にした。
彼が生徒に話しかけていたからだ。それもさっき紙飛行機を飛ばしていたキリカ・ハヅキに。
「さっきは助かったよ、ありがとう」
「あ、ええと……こちらこそ。余計なこと、しちゃったかしら?」
「そんなことない。絶妙なタイミングだったよ」
「そう、良かった。でも、ページしか書かなかったのに、読む行までよくわかったのね」
「簡単なことさ。授業始まりに開いたページ、黒板の板唱。そして先生の進め方を考えればどこから読めばいいかなんてすぐにわかるよ。まあ一、二行ずれたとしても読む段を間違えたぐらいにしか思われない」
「ホームズくん、すごいのね。まるで探偵みたいな推理力」
ハヅキさんの喋り方はゆっくりで優しい話し方だった。英語で話すことにまだ慣れていないことはホームズで なくてもぼくにさえわかる。時々言葉を探すように間が空いた。
そうか。だからぼくが話しかけた時も英語を探していたのか。
日本人がシャイだと思われるのはそのせいかもしれない。
でも驚いた。あのホームズが女子生徒に自ら話しかけるなんて。興味ないって言っていたのに。
ぼくは二人の後ろを見つからないようにこそこそついて歩いた。
「君はなぜイギリスに留学を?」
「……憧れ、かしら。本場で勉強したいのもあったから。でも、ネイティブイングリッシュはリスニングが難しいわ」
「ぼくにとっては日本語の方が難しい。君が英語を話せて本当に良かった」
ハヅキさんの横顔が見えた。彼女は嬉しそうに、それでいて少しはにかんで笑った。
その笑顔はとても印象的だった。
「ホームズくん、話しかけてくれてありがとう」
「明日、日本からの留学生が来るそうだよ」と、ぼくは言った。
同室のシャーロック・ホームズはいつもの場所で分厚い本を読んでいた。
一度だけぼくの方へ目をくれると、それは興味のない話題だったようですぐに目を本へ向ける。
彼はいつもこうだ。ぼくが興奮冷めやらぬ状態で部屋に戻り、ビッグニュースを伝えたとしても興味が沸かなければ反応を示さない。
どうやら今回のニュースも残念ながら留めないようだ。
彼がようやく口を開いたのはぼくが机に向かい、ノートと羽ペンを用意した時だった。
「知っているよ。キリカ・ハヅキ。腰まである黒い髪に日本人らしい茶色がかった瞳。髪は一見ストレートのようにも見えるが、あれは癖っ毛だ。自分で伸ばしているんだろう。身長も日本人らしい低めの背丈、体型は普通。性格は落ち着きがあり、他人に優しい。まだこのぐらいしかわかっていないけど」
「それだけ知っていれば充分だよ。もう彼女と面識があったのかい?」
「いや、校長室に入っていくのを見かけただけ。見たことない生徒だったし、転校生かとも思ったが……明らかにイギリス人じゃない。だとしたら、留学生だ」
彼女の性格についてはハドソン夫人とのやり取りを見たとホームズが付け加えた。
相変わらず観察力が鋭い。一言も言葉を交わしていないのに、相手のことをずばりと見抜いてしまう。
ぼくは羽ペンを持ったままホームズの話に釘付けになっていた。
その時のぼくはまだ彼女とホームズが上手くいけばいいなあなんて微塵も思っていなかった。
「もしかしたらホームズと合うんじゃない?」
不思議とその一言が口をついて出た。なぜかはわからない。
恋愛とかそういう類の感情を好まない。そんなホームズに人を好きになることを知ってもらいたかったのかもしれなかった。
ぼくがそう言うと、彼はまた本から顔を上げて宙を見つめた。
やがてゆっくりと首を横に振って「興味ないな」と答えた。
「興味がないならそこまで観察しないと思うけどなあ」
「確かに君の言うとおりだ。だが、人間観察は面白いからね」
いつだったか、同じ台詞を前にも聞いた。
彼にとって人間観察は息を吸うのと同じくらい当たり前のことになっていた。
*
日本人留学生が噂になってから一週間が過ぎた。
ぼくも何度か彼女と言葉を交わしたけれど、なるほど日本人はシャイだ。
向こうも緊張がまだあるのか、会話があまり長く続かなかった。
だからこそ、あの日ぼくは目を疑うような出来事に遭遇した。
文学の授業が始まってすぐ、斜め前の席が居眠りを始めた。
開始十分も経っていない。ホームズは教科書を開いて立てて、それを壁にするように突っ伏して寝ていた。
これもいつものことだった。過去に何度か起こしたこともある。けれど、またすぐに眠ってしまう。
それに「無理に起こさなくていいよ」と言われた。それに今日は席が離れてしまっている。
いつだったか小説はつまらないものだ、とホームズが言っていたのを思い出した。
ぼくは小説が好きだし、文学の授業も好きだから寝るのは勿体無いと思っている。
先生が黒板に一文を書き始めた。すやすやと眠っているホームズをちらりと見てから、ぼくは授業に集中した。
授業が半分過ぎた頃だった。
ぼくはおもむろに窓際の方を見た。外は晴れていて、穏やかな天気だ。
窓際の席にはキリカ・ハヅキさんがいる。ホームズの言うとおり、彼女は長い黒髪で一見ストレート。でも良く見ると毛先が少しうねっていた。これは言われなければ気づかない。彼は本当に観察力が鋭い。
鼻筋はぼくらイギリス人よりも低い。でも凛とした顔つきだった。可愛いというよりは綺麗な方。
ああいう女性を大和撫子、っていうんだったかな。
そんな彼女が突然羊皮紙を千切りだした。少々いびつな正方形に千切り、それを手早く折りたたんでいく。
すると彼女の手元に紙飛行機が出来上がった。
何を考えているのかぼくにはまだわからなかった。授業が飽きたのか、とすら思ったぐらいだ。
彼女はその紙飛行機を二つ前の席に飛ばした。ホームズの席にだ。
紙飛行機はすっと空中を飛行し、ホームズの手の上に落ちた。
それに気がついたホームズが目を開けて、気だるそうに起き上がった。
その直後のことだった。
「ホームズ。続きを読み上げてくれ」先生が教科書を読むようにホームズを指名した。
しまった。少し気が逸れた間にぼくもどこまで読み進んでいたのかわからなくなっていた。
今の今まで寝ていたホームズにどこから読むかなんてわかるはずがない。
ぼくが慌てて頁をめくっていたのに対して、彼は至極冷静に頁をめくり、起立して教科書を読み上げた。
一小節を読み上げたところでホームズは席に座った。
「珍しく起きていたようだな、ホームズ。……では続きを」
ホームズが読み上げた一小節を探し出し、ぼくは次の生徒が読み上げる文章を目で追いかけた。
それでもさっきの出来事が頭から離れなかった。
彼女の行動は一体なんだったのか。それにタイミングを照らし合わせたかのように当てられたホームズ。
もしかすると、ハヅキさんは寝ていたホームズを起こそうとしていたんだろうか。
それにしてもだ。なぜホームズはどこから読むのか知っていたのか。
終業のベルが鳴り終わったら、ぼくは彼にそれを聞こうと思った。
*
ぼくは廊下の先を歩くホームズを追いかけていた。
授業が終わったあと、彼の姿は教室になかった。いつの間に出たんだろう。
授業道具を慌てて片付け、廊下に飛び出すとホームズが曲がり角を曲がるのを見かけた。
長身の彼は人波に飲まれても見つけやすい。
ぼくは人の波を掻き分けながら「ホームズ!」と声をかけた。けれど、どうやらぼくの声は届いていなかったようだ。
ようやくぼくも曲がり角に辿り着いた頃、驚くべき光景を目にした。
彼が生徒に話しかけていたからだ。それもさっき紙飛行機を飛ばしていたキリカ・ハヅキに。
「さっきは助かったよ、ありがとう」
「あ、ええと……こちらこそ。余計なこと、しちゃったかしら?」
「そんなことない。絶妙なタイミングだったよ」
「そう、良かった。でも、ページしか書かなかったのに、読む行までよくわかったのね」
「簡単なことさ。授業始まりに開いたページ、黒板の板唱。そして先生の進め方を考えればどこから読めばいいかなんてすぐにわかるよ。まあ一、二行ずれたとしても読む段を間違えたぐらいにしか思われない」
「ホームズくん、すごいのね。まるで探偵みたいな推理力」
ハヅキさんの喋り方はゆっくりで優しい話し方だった。英語で話すことにまだ慣れていないことはホームズで なくてもぼくにさえわかる。時々言葉を探すように間が空いた。
そうか。だからぼくが話しかけた時も英語を探していたのか。
日本人がシャイだと思われるのはそのせいかもしれない。
でも驚いた。あのホームズが女子生徒に自ら話しかけるなんて。興味ないって言っていたのに。
ぼくは二人の後ろを見つからないようにこそこそついて歩いた。
「君はなぜイギリスに留学を?」
「……憧れ、かしら。本場で勉強したいのもあったから。でも、ネイティブイングリッシュはリスニングが難しいわ」
「ぼくにとっては日本語の方が難しい。君が英語を話せて本当に良かった」
ハヅキさんの横顔が見えた。彼女は嬉しそうに、それでいて少しはにかんで笑った。
その笑顔はとても印象的だった。
「ホームズくん、話しかけてくれてありがとう」