S・H人形劇
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Shall we dance?
「ああ、予想していた通りだ」
リビングから彼の嘆く声が聞こえた。
家に着くなり彼は急いで部屋に上がっていったので、私もオレンジやパンが入った紙袋を抱えたままリビングへ急ぐ。
私はそこで唖然としてしまった。部屋が乱雑に荒らされていたから。
彼のデスク周りに積んであった本の山は倒れて、資料や新聞もばらばらに散らばっている。
もしかして、と脳裏に良からぬ事が浮かんだ。空き巣だろうか。
私が不安げに「シャーロック」と声をかけると、彼は首を横に振って見せた。
「さっき強い揺れがあったのを覚えているだろう。それだよ。昨夜、本を積みすぎた。おかげでこの有様だ」
「よかった。地震のせいだったのね。私てっきりドロボウだとばかり」
「誰かが侵入し、何かを探した形跡は一切ない。見てごらん、机の脇に積んであった本が真横に倒れ、一番上にあった本がローテーブルに落ちた。その衝撃でテーブルの上の資料と 新聞が気の向くままに散らばっていった。同じような現象がリビングのあちこちで起きている。幸いヴァイオリンは無事なようだ」
たった数分でこの部屋の様子を全て把握した彼に頭が上がらない。
私もようく部屋の様子を窺ってみると、確かに物が散らばっているだけで踏み荒らされたような足跡はないし、金銭や高価な物にも手をつけていない。
空き巣ではなく、地震のせい。ということは、キッチンも私の寝室も何かかしら被害が出ている可能性が高い。
彼がトレンチコートと購入した数冊の本をソファの上に一緒に放り投げた。背を屈めて床に散らばった資料を一枚一枚拾い始めている。
「私、先にキッチンの様子を見てくるわ。瓶が割れていたら大変だし」
「それがいい。くれぐれも気をつけて。割れた食器の破片が落ちているかもしれないから」
「ええ」
私も脱いだコートをソファに置いて、隣のキッチンへ急いだ。
見ただけでは大した被害はない。壁にかけてあったお玉やフライ返し、鍋が落ちて転がっているくらいだった。
幸いなことに食器や瓶が割れている様子もない。ただ、両開きの戸棚が少しだけ開いていた。
私は抱えていた紙袋を調理台に下ろし、転がった調理器具を元の場所に収めた。
キッチンの片づけを終えた私は再びリビングへ。こちらも床に散らばっている資料や本は片付けられていた。
きれいに、と言うよりは拾い上げてテーブルの上に積み直されていたのだけど。
部屋全体がそれなりに片付いているようにも見えるけど、彼の手が加わって余計に散らかったようにも思える。
だからといって勝手にあちこち動かすと怒ってしまう。
彼のテリトリーを極力荒らさないようにいつも掃除をする。
今日は夕飯を作る前に少し片づけをしよう。
私は二人分のコートを掛けながら晩御飯のメニューを考えていた。
当の本人、彼は先程から机の前でじっと佇んでいた。何か考え事でもしているのかしら。
話しかけない方がいいと思って、私は机周りを観察する。彼のおかげで私も物の見方に変化があった。全体を見て、おかしな所がないかよく観察する。
ジョンも私と同じように彼の真似をしているのだけど、ちっとも上手くいかないねと肩をすくめながら話したことがあった。
机の上には棚から落ちたもので散らかっていた。
本、ファイルから落ちた資料、飾っていた小物や小さな引き出すもひっくり返っている。
まさかとは思うけど、あまりの散らかりように呆然としている。そうも考えたけど、どうやら違ったみたい。
そっと横から彼を窺うと、彼は古びた長方形の化粧箱をじっと見つめていた。
私が静かに「シャーロック」と呼ぶと、彼は現実に呼び戻されたような目でこちらを向いた。
「ああ……考え事をちょっと、ね。キッチンは」
「大丈夫、何も割れてなかったわ。何か見つけたの?」
「こんな所にあるとは思わなかったんだ。机の上の小物入れ。今日みたいなことが起きなければずっと眠ったままだったかもしれない。”灯台下暗し”、とはまさにこのことだ」
ずっと探していた物をようやく見つけた。彼は微笑すら浮かべてそう語った。
私の顔とその化粧箱を交互に見比べる。その目はどこか懐かしそうだった。
よほど大事な物なんだろう。彼はおもむろにそれを私に差し出した。
受け取った化粧箱は色褪せていて長い年月を物語っている。
そっと蓋を開けると、中には一対の女性用の白い皮手袋が収められていた。
デザインはシンプルで、全体的に細身の形。赤い刺繍糸で薔薇のワンポイント。
「それは今から七年前の君が受け取るはずの物だった」
「どういうこと?」
「君がイギリスに留学してきた年のクリスマスパーティー、その時に渡そうと思っていた。でも、結局渡しそびれてしまってね」
「そうだったの……ねえ、これ貰ってもいいかしら」
「どうぞ。でもだいぶ古ぼけている」
「いいのよ」
私は両手に手袋をはめた。サイズはぴったりだった。
あれから成長していないのか、元々大きめのサイズだったのか。
どちらでもいい。ほっこりとした温かさが胸に灯った。もうずっと前の想い出が私の前に現れたから、ちょっとくすぐったい気持ち。
甘酸っぱい想い出に耽っていると、急に部屋の中に音楽が流れ出した。
あの日と同じワルツの曲。部屋の隅でレコード盤がいつの間にか回っている。
シャーロックが私の方に手を恭しく差し出してくれた。
私の目には七年前、十五歳の少年とその姿が重なって見えた。
少し、はにかみながらあの時と同じ言葉をかけてくれる。
「キリカ。ぼくと踊ってくれないか」
「ええ、喜んで」
私は少しだけスカートを広げて見せて、彼の手を取った。
あの頃の私は下を向いてばかりいた。ステップに自信がなかったのもあるし、恥ずかしかったから。
でも今はもう平気。私は彼の手を躊躇わずに取ることができる。
狭い部屋の中をぶつからないように踊るのは少し大変。
彼のリードが変わらず上手いおかげで、ぶつからずにはすみそうだけど。
「そういえば、あの時なんて言ったの?」
「あの時?」
「ほら、私が躓いてしまった時。貴方、何か言ったけどはぐらかした」
「……ああ、あれか。昔も今も、君は羽のように軽いってことだよ」
「ああ、予想していた通りだ」
リビングから彼の嘆く声が聞こえた。
家に着くなり彼は急いで部屋に上がっていったので、私もオレンジやパンが入った紙袋を抱えたままリビングへ急ぐ。
私はそこで唖然としてしまった。部屋が乱雑に荒らされていたから。
彼のデスク周りに積んであった本の山は倒れて、資料や新聞もばらばらに散らばっている。
もしかして、と脳裏に良からぬ事が浮かんだ。空き巣だろうか。
私が不安げに「シャーロック」と声をかけると、彼は首を横に振って見せた。
「さっき強い揺れがあったのを覚えているだろう。それだよ。昨夜、本を積みすぎた。おかげでこの有様だ」
「よかった。地震のせいだったのね。私てっきりドロボウだとばかり」
「誰かが侵入し、何かを探した形跡は一切ない。見てごらん、机の脇に積んであった本が真横に倒れ、一番上にあった本がローテーブルに落ちた。その衝撃でテーブルの上の資料と 新聞が気の向くままに散らばっていった。同じような現象がリビングのあちこちで起きている。幸いヴァイオリンは無事なようだ」
たった数分でこの部屋の様子を全て把握した彼に頭が上がらない。
私もようく部屋の様子を窺ってみると、確かに物が散らばっているだけで踏み荒らされたような足跡はないし、金銭や高価な物にも手をつけていない。
空き巣ではなく、地震のせい。ということは、キッチンも私の寝室も何かかしら被害が出ている可能性が高い。
彼がトレンチコートと購入した数冊の本をソファの上に一緒に放り投げた。背を屈めて床に散らばった資料を一枚一枚拾い始めている。
「私、先にキッチンの様子を見てくるわ。瓶が割れていたら大変だし」
「それがいい。くれぐれも気をつけて。割れた食器の破片が落ちているかもしれないから」
「ええ」
私も脱いだコートをソファに置いて、隣のキッチンへ急いだ。
見ただけでは大した被害はない。壁にかけてあったお玉やフライ返し、鍋が落ちて転がっているくらいだった。
幸いなことに食器や瓶が割れている様子もない。ただ、両開きの戸棚が少しだけ開いていた。
私は抱えていた紙袋を調理台に下ろし、転がった調理器具を元の場所に収めた。
キッチンの片づけを終えた私は再びリビングへ。こちらも床に散らばっている資料や本は片付けられていた。
きれいに、と言うよりは拾い上げてテーブルの上に積み直されていたのだけど。
部屋全体がそれなりに片付いているようにも見えるけど、彼の手が加わって余計に散らかったようにも思える。
だからといって勝手にあちこち動かすと怒ってしまう。
彼のテリトリーを極力荒らさないようにいつも掃除をする。
今日は夕飯を作る前に少し片づけをしよう。
私は二人分のコートを掛けながら晩御飯のメニューを考えていた。
当の本人、彼は先程から机の前でじっと佇んでいた。何か考え事でもしているのかしら。
話しかけない方がいいと思って、私は机周りを観察する。彼のおかげで私も物の見方に変化があった。全体を見て、おかしな所がないかよく観察する。
ジョンも私と同じように彼の真似をしているのだけど、ちっとも上手くいかないねと肩をすくめながら話したことがあった。
机の上には棚から落ちたもので散らかっていた。
本、ファイルから落ちた資料、飾っていた小物や小さな引き出すもひっくり返っている。
まさかとは思うけど、あまりの散らかりように呆然としている。そうも考えたけど、どうやら違ったみたい。
そっと横から彼を窺うと、彼は古びた長方形の化粧箱をじっと見つめていた。
私が静かに「シャーロック」と呼ぶと、彼は現実に呼び戻されたような目でこちらを向いた。
「ああ……考え事をちょっと、ね。キッチンは」
「大丈夫、何も割れてなかったわ。何か見つけたの?」
「こんな所にあるとは思わなかったんだ。机の上の小物入れ。今日みたいなことが起きなければずっと眠ったままだったかもしれない。”灯台下暗し”、とはまさにこのことだ」
ずっと探していた物をようやく見つけた。彼は微笑すら浮かべてそう語った。
私の顔とその化粧箱を交互に見比べる。その目はどこか懐かしそうだった。
よほど大事な物なんだろう。彼はおもむろにそれを私に差し出した。
受け取った化粧箱は色褪せていて長い年月を物語っている。
そっと蓋を開けると、中には一対の女性用の白い皮手袋が収められていた。
デザインはシンプルで、全体的に細身の形。赤い刺繍糸で薔薇のワンポイント。
「それは今から七年前の君が受け取るはずの物だった」
「どういうこと?」
「君がイギリスに留学してきた年のクリスマスパーティー、その時に渡そうと思っていた。でも、結局渡しそびれてしまってね」
「そうだったの……ねえ、これ貰ってもいいかしら」
「どうぞ。でもだいぶ古ぼけている」
「いいのよ」
私は両手に手袋をはめた。サイズはぴったりだった。
あれから成長していないのか、元々大きめのサイズだったのか。
どちらでもいい。ほっこりとした温かさが胸に灯った。もうずっと前の想い出が私の前に現れたから、ちょっとくすぐったい気持ち。
甘酸っぱい想い出に耽っていると、急に部屋の中に音楽が流れ出した。
あの日と同じワルツの曲。部屋の隅でレコード盤がいつの間にか回っている。
シャーロックが私の方に手を恭しく差し出してくれた。
私の目には七年前、十五歳の少年とその姿が重なって見えた。
少し、はにかみながらあの時と同じ言葉をかけてくれる。
「キリカ。ぼくと踊ってくれないか」
「ええ、喜んで」
私は少しだけスカートを広げて見せて、彼の手を取った。
あの頃の私は下を向いてばかりいた。ステップに自信がなかったのもあるし、恥ずかしかったから。
でも今はもう平気。私は彼の手を躊躇わずに取ることができる。
狭い部屋の中をぶつからないように踊るのは少し大変。
彼のリードが変わらず上手いおかげで、ぶつからずにはすみそうだけど。
「そういえば、あの時なんて言ったの?」
「あの時?」
「ほら、私が躓いてしまった時。貴方、何か言ったけどはぐらかした」
「……ああ、あれか。昔も今も、君は羽のように軽いってことだよ」