S・H人形劇
名前変換
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
本日、臨時休業の為
木曜日の午前中、古くからの友人が私たちの家に訪れた。
ジョン・ワトソンとはイギリスのビートン校で出逢った。私が留学するよりも少しだけ先にオーストラリアから転校してきたそう。
ラグビー部に所属していたと聞いていたし、体格も良くて健康的に日焼けした彼からはお日様の香りが漂っていた。
その彼は今ではイギリスに診療所を開業して、町医者を務めている。
三人で小さなテーブルを囲んでお茶を楽しむ。
私たちはあの頃と変わらず、15歳の少年少女みたいに話を咲かせた。
二人と一緒にいるようになって、最初は慣れない英語に一喜一憂ばかり。
それでも二人は私に合わせて話をしてくれた。今の私がここにいるのも彼らのおかげ。そうでなければ、きっと孤独に負けていた。
シャーロックはタイムスを広げながら私たちの話を聞いている。
ジョンと私が話している内容、多分半分も覚えていない。でも、上の空で相槌を打っていたと思えば急に話に加わってくる。
だから、本当はちゃんと聞いているのかも。
一風変わったお茶会。これが私たちの変わらないスタイル。
お喋りも一時間ほど経った頃。ジョンはそろそろ帰ると言った。
「もっとゆっくりしていけばいいのに」
「今日は一日非番でね。これからメアリーと出かけるんだよ」
「そう。それなら楽しんできてね。メアリーさんによろしく」
「ワトソン。日曜日の件、覚えておいてくれ」
「わかってるよ。じゃあ、また」
玄関でジョンを見送った後、よく晴れた空を見渡した。
澄んだ青空が広がっていて、家の中にずっといるのが勿体ないぐらい。
部屋に戻ると彼はまだ新聞を広げていた。でもどこか視線が定まっていない。
右指の人差し指でテーブルをとんとんと叩く仕草。これは新聞を読んでいるようで、読んでいない彼の癖。
彼は前屈みだった体をソファに投げ出すようにもたれかかった。
ジョンが帰ってから結構時間が経つ。
異変に気づいたのは昼食を済ませてから。
今日、最後にここを訪れたのは友人のジョン。それきり依頼人がぱったりと来なくなった。
おかげで彼は暇を持て余している。
「たまにはゆっくりするのもいいけど、貴方は暇を持て余してしまうわね」
暇人。という二文字が今のシャーロックにぴったりだった。
ソファのもたれ方がまさにそのもの。頬杖をついている表情がちょっぴりご機嫌斜め。
私が彼にそう声をかけたのだけど、すぐに返事がなくて、少し気まずそうに目を逸らした。
「どうしたの?」
「……いや、なんでもない」
「そう?飲み物淹れてくるわ。紅茶と珈琲どっちがいい?」
「珈琲で」
イギリス人は紅茶を好んでいる。私が学生の頃も嗜好飲料は殆ど紅茶だった。
ハドソン夫人が淹れてくれるお茶はいつでも美味しかったのを覚えている。
私の故郷では緑茶がメインだったけど、他にも珈琲を飲むようになった。
この国で緑茶を手に入れることは容易くない。だから普段は紅茶や珈琲を飲んでいた。でも、時たま緑茶が恋しくなることもある。
さっきセットしておいたコーヒーメーカーから二人分のマグに珈琲を注ぐ。
湯気と共に香ばしい薫りが立つ。角砂糖のポットとミルクをテーブルに用意して、マグを彼に手渡した。
彼は「ありがとう」と言った後、今日は角砂糖とミルクを一つずつマグに落とした。
気分によっていつも量が違ったり、全く入れなかったりする。スプーンでぐるぐると珈琲をかき混ぜて、マグを口元に引き寄せる。
優雅なティータイムも絵になるけれど、珈琲を飲んでいる彼も好きだなといつも思う。
「そういえば、疑問に思ったことがある」
「え?」
横でこっそり見ていたのがバレたのかと思った。
思わずどきっとしたけれど、彼の疑問点は全く別のこと。
「前よりもぼくは食が進むようになった。君の作る料理が美味しいせいもあるけど。でも体重はそんなに変わらない」
「そんなに多く作ってないからだと思うわ。だって、たくさん作りすぎたら食べきれないもの」
「ああ、その考え方は全くもって正解だよ。今のでちょうどいい」
「今度また肉じゃがが食べたい」と、ぽつりとシャーロックが言った。
私のせいですっかり彼は和食通になってしまったみたい。
「それにしても暇だ」
「そうね」
「……」
「シャーロック。さっきからどうしたの?」
彼はさっきから暇だ、と言うたびにその後を続けようとしない。押し黙っている。
いつも暇な時は文字通りその単語を繰り返して、どうにか暇を潰そうとする。
趣味の実験に手をつけようともしないし、少し様子がおかしい。
彼は華奢な両手でマグを包み込んで膝に下ろした。
それから神妙な面持ちで口を開く。
「……いや、君がいるのに暇だ暇だと繰り返したらダメだと前に言われたんだ。失礼だからと」
あんまりにも重大なことだと言わんばかりだから、おかしくて私は笑ってしまった。
そう忠告したのはきっとお節介で世話焼きの友人に違いない。
だから自然に呟いてしまった「暇だ」という言葉に反省していたのかも。
こんな風に不器用だけど、気遣ってくれる貴方。それを知る度に胸の奥が温かくなる。
彼なりに悩んでいることなんだろう。でも不謹慎にも顔が緩んでしまって。彼の眉間にシワが寄ってしまった。
「ねえ、それじゃあどこか散歩に行きましょう?二人で」
「うん。いい提案だ。……今夜七時からヴァイオリンの演奏会がある。昨日の新聞記事に小さく載っていたんだ。良ければそこにも行こう」
「ええ、もちろん」
「決まりだ。早速出かけよう。このまま部屋にいるよりも有意義に過ごせそうだ」
彼はソファから跳ね起きて、トレンチコートを羽織った。
するべき事が見つかるとたちまち行動を起こす。ああ、いつもの彼だ。
私も身支度を整えて彼と一緒に玄関を出た。
家の鍵をバッグから取り出して、施錠しようとした。ところが、彼がじっとドアを見つめている。
どうしたの、と声をかけて私もくるりと振り向いた。そこには見慣れない看板が吊り下がっていた。
『本日、臨時休業』
そう書いてあった。
見慣れたペンキの文字。彼が吊り下げていったことぐらい、私にもわかった。
シャーロックは看板を見つめながら口を開いた。
「どうりで依頼人が来ないはずだ」
木曜日の午前中、古くからの友人が私たちの家に訪れた。
ジョン・ワトソンとはイギリスのビートン校で出逢った。私が留学するよりも少しだけ先にオーストラリアから転校してきたそう。
ラグビー部に所属していたと聞いていたし、体格も良くて健康的に日焼けした彼からはお日様の香りが漂っていた。
その彼は今ではイギリスに診療所を開業して、町医者を務めている。
三人で小さなテーブルを囲んでお茶を楽しむ。
私たちはあの頃と変わらず、15歳の少年少女みたいに話を咲かせた。
二人と一緒にいるようになって、最初は慣れない英語に一喜一憂ばかり。
それでも二人は私に合わせて話をしてくれた。今の私がここにいるのも彼らのおかげ。そうでなければ、きっと孤独に負けていた。
シャーロックはタイムスを広げながら私たちの話を聞いている。
ジョンと私が話している内容、多分半分も覚えていない。でも、上の空で相槌を打っていたと思えば急に話に加わってくる。
だから、本当はちゃんと聞いているのかも。
一風変わったお茶会。これが私たちの変わらないスタイル。
お喋りも一時間ほど経った頃。ジョンはそろそろ帰ると言った。
「もっとゆっくりしていけばいいのに」
「今日は一日非番でね。これからメアリーと出かけるんだよ」
「そう。それなら楽しんできてね。メアリーさんによろしく」
「ワトソン。日曜日の件、覚えておいてくれ」
「わかってるよ。じゃあ、また」
玄関でジョンを見送った後、よく晴れた空を見渡した。
澄んだ青空が広がっていて、家の中にずっといるのが勿体ないぐらい。
部屋に戻ると彼はまだ新聞を広げていた。でもどこか視線が定まっていない。
右指の人差し指でテーブルをとんとんと叩く仕草。これは新聞を読んでいるようで、読んでいない彼の癖。
彼は前屈みだった体をソファに投げ出すようにもたれかかった。
ジョンが帰ってから結構時間が経つ。
異変に気づいたのは昼食を済ませてから。
今日、最後にここを訪れたのは友人のジョン。それきり依頼人がぱったりと来なくなった。
おかげで彼は暇を持て余している。
「たまにはゆっくりするのもいいけど、貴方は暇を持て余してしまうわね」
暇人。という二文字が今のシャーロックにぴったりだった。
ソファのもたれ方がまさにそのもの。頬杖をついている表情がちょっぴりご機嫌斜め。
私が彼にそう声をかけたのだけど、すぐに返事がなくて、少し気まずそうに目を逸らした。
「どうしたの?」
「……いや、なんでもない」
「そう?飲み物淹れてくるわ。紅茶と珈琲どっちがいい?」
「珈琲で」
イギリス人は紅茶を好んでいる。私が学生の頃も嗜好飲料は殆ど紅茶だった。
ハドソン夫人が淹れてくれるお茶はいつでも美味しかったのを覚えている。
私の故郷では緑茶がメインだったけど、他にも珈琲を飲むようになった。
この国で緑茶を手に入れることは容易くない。だから普段は紅茶や珈琲を飲んでいた。でも、時たま緑茶が恋しくなることもある。
さっきセットしておいたコーヒーメーカーから二人分のマグに珈琲を注ぐ。
湯気と共に香ばしい薫りが立つ。角砂糖のポットとミルクをテーブルに用意して、マグを彼に手渡した。
彼は「ありがとう」と言った後、今日は角砂糖とミルクを一つずつマグに落とした。
気分によっていつも量が違ったり、全く入れなかったりする。スプーンでぐるぐると珈琲をかき混ぜて、マグを口元に引き寄せる。
優雅なティータイムも絵になるけれど、珈琲を飲んでいる彼も好きだなといつも思う。
「そういえば、疑問に思ったことがある」
「え?」
横でこっそり見ていたのがバレたのかと思った。
思わずどきっとしたけれど、彼の疑問点は全く別のこと。
「前よりもぼくは食が進むようになった。君の作る料理が美味しいせいもあるけど。でも体重はそんなに変わらない」
「そんなに多く作ってないからだと思うわ。だって、たくさん作りすぎたら食べきれないもの」
「ああ、その考え方は全くもって正解だよ。今のでちょうどいい」
「今度また肉じゃがが食べたい」と、ぽつりとシャーロックが言った。
私のせいですっかり彼は和食通になってしまったみたい。
「それにしても暇だ」
「そうね」
「……」
「シャーロック。さっきからどうしたの?」
彼はさっきから暇だ、と言うたびにその後を続けようとしない。押し黙っている。
いつも暇な時は文字通りその単語を繰り返して、どうにか暇を潰そうとする。
趣味の実験に手をつけようともしないし、少し様子がおかしい。
彼は華奢な両手でマグを包み込んで膝に下ろした。
それから神妙な面持ちで口を開く。
「……いや、君がいるのに暇だ暇だと繰り返したらダメだと前に言われたんだ。失礼だからと」
あんまりにも重大なことだと言わんばかりだから、おかしくて私は笑ってしまった。
そう忠告したのはきっとお節介で世話焼きの友人に違いない。
だから自然に呟いてしまった「暇だ」という言葉に反省していたのかも。
こんな風に不器用だけど、気遣ってくれる貴方。それを知る度に胸の奥が温かくなる。
彼なりに悩んでいることなんだろう。でも不謹慎にも顔が緩んでしまって。彼の眉間にシワが寄ってしまった。
「ねえ、それじゃあどこか散歩に行きましょう?二人で」
「うん。いい提案だ。……今夜七時からヴァイオリンの演奏会がある。昨日の新聞記事に小さく載っていたんだ。良ければそこにも行こう」
「ええ、もちろん」
「決まりだ。早速出かけよう。このまま部屋にいるよりも有意義に過ごせそうだ」
彼はソファから跳ね起きて、トレンチコートを羽織った。
するべき事が見つかるとたちまち行動を起こす。ああ、いつもの彼だ。
私も身支度を整えて彼と一緒に玄関を出た。
家の鍵をバッグから取り出して、施錠しようとした。ところが、彼がじっとドアを見つめている。
どうしたの、と声をかけて私もくるりと振り向いた。そこには見慣れない看板が吊り下がっていた。
『本日、臨時休業』
そう書いてあった。
見慣れたペンキの文字。彼が吊り下げていったことぐらい、私にもわかった。
シャーロックは看板を見つめながら口を開いた。
「どうりで依頼人が来ないはずだ」