S・H人形劇
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親愛なる貴方へ
ぼくは三日ぶりにベイカー街のアパートに帰ってきた。
221Bの部屋に入ると、ルームメイトのシャーロック・ホームズが荷造りをしていたのが目に映った。
狭い部屋を行ったりきたりして、忙しなく動いている。帰ってきたぼくを気に留めるわけもない。
たった今ぼくは医学研修から帰ってきたばかりだが、彼も入れ違いでどこかへ行くのだろうか。
「ただいま」
「ああ、お帰りワトソン。良い所に帰ってきた。実は昼間に彼女から手紙が届いたんだ」
「彼女って?」とわざとらしくぼくは尋ねた。その彼女とやらが誰のことか大体の予想はついていた。
ホームズが女性の話を自ら引き合いに出す事は殆どと言っていいほど少ない。
その中でも"あの女性"と敬意を込めて呼ぶのはアイリーン・アドラー先生のことだ。
そしてそれ以外にもう一人、ホームズにとって特別な存在の女性がいることをぼくは知っている。
「キリカ・ハヅキからだよ。これがその手紙だ」
予想は大当たりだ。ぼくの推理も中々のものじゃないだろうか。
ぼくが一人にやにやしていると、怪訝そうにホームズが片眉を寄せた。
ホームズから手紙と一枚の写真を受け取った。薄いピンク色の花弁が散っている封筒。筆記体でこの部屋の住所が書かれていた。
二つに畳まれた二枚の便箋も同じ模様が描かれていた。
『親愛なるシャーロック・ホームズ様。お元気ですか?お変わりはないでしょうか。こちらは桜の花が咲き始めました。貴方たちの所にホームスティしてからもう一年が経つのね。イギリスで過ごした日々がまるで昨日のように感じるわ。ジョンは元気にしている?医者になる為の研修が忙しいのかしら。私も日本で頑張っています。学生時代をイギリスで過ごしたおかげで経験が活きているの。あの学校でシャーロックに出逢えて本当に良かったわ。ジョンにもよろしく言っておいてね。それでは、体調崩さないようにね。また手紙書きます。 キリカ・ハヅキ』
丁寧に綴られた彼女らしい文章。読んでいると声まで聞こえてくるような気がした。
彼女が帰ってからもう一年が経つのか。
キリカ・ハヅキとはイギリスのビートン校で出会った。
彼女は季節外れの日本からの留学生で、最初の印象は落ち着きのある大和撫子って感じだった。
ぼくたちが話すきっかけになったのは、彼女がホームズに紙飛行機を飛ばしたことだ。それから221Bの部屋でよく話をするようになった。
学生時代は色々なことがあった。今思い返すと本当に懐かしいことばかりだ。
ビートン校を卒業すると同時にキリカは日本に戻っていった。
ホームズとぼくはベイカー街のアパートを借りて、学生時代の頃のようにルームシェアをして暮らしている。
彼は探偵の生業をしている。と言っても、奇妙な事件や本人が気に入った事件しか請け負っていない。
それでも依頼人の中には貴族や地位の高い人もいて、報酬額も高い。おかげで生活には困っていなかった。
ぼくはというと、医者になる為に現在猛勉強中だ。
それからしばらくして、キリカがイギリスにやって来た。ちょうど今から一年前のことだ。
ぼくらの所を訪ね、一年間ホームスティすることになったんだ。
イギリスの観光案内も勿論した。ホームズは滅多に同行しなかったけど。彼女が居ようと居まいと、マイペースなんだ。
少し会わないうちに彼女はお淑やかで綺麗な女性になっていた。
日本人女性は気立てが良く、物静かだという。ホームズが「まさに彼女がそうだね」と言っていた。
彼女がホームスティ中、二人の間に何か特別なことがあったというわけでもなかった。
『P.S.桜の写真を同封します。日本の春をお裾分け』
手紙の最後にそうコメントがあった。一緒に入っていた写真にはピンク色の花を咲かせた木と一緒にキリカが写っていた。
いつだったか桜の話になって、ぼくが見てみたいなあと言ったのを覚えててくれたんだろうな。
彼女は長袖の白いカーディガンを羽織っていて、膝下までの長さの緑色のスカートを履いていた。
両手を体の前で組んで、にっこり笑っている。写真の日付は今月の頭だった。
手紙を読み終えたぼくはホームズに改めて尋ねた。
「この手紙と君が大急ぎで荷造りをしていることが関係あるのかい」
「大有りさ。今から日本へ行く。十八時のフライトだ!」
「何か事件でも?この手紙からキリカが助けを求めているのがわかったとか」
「いいや、違う。今のところ彼女の周囲で事件は起きていないよ」
「じゃあ、なぜ慌てて日本に行こうとしているんだい」
「キリカをイギリスに連れてくる為さ」
ぼくは思わず聞き返しそうになった。
今、なんて言った。ぼくの聞き間違えでなければ、彼女をイギリスに連れてくるだって?
唖然としているぼくを他所に、彼はトランクに愛用の羽ペンとインクの瓶を詰め込んでいた。
「連れてくるって、つまり迎えに行くってこと?」
「そうさ」
「いや、ちょっと待ってくれ。ホームズ、少し落ち着いてくれよ」
「ぼくはいつだって落ち着いているよ、ワトソン君」
ホームズはトランクの蓋を閉めた。荷造りが完了したようだ。
ぼくの方を見た彼の金色の瞳に一切の迷いがなかった。それを見て本気なんだと確信する。
こうなっては何を言っても彼を留める術はない。何年も生活を共にして学んだことの一つだ。
「彼女を迎えに行くって、もし彼女が結婚していたり、交際相手がいたらどうするんだよ」
「その心配は要らない。彼女は結婚をしていないし、交際相手も恐らくいない」
「どうしてわかるんだ?」
「この写真を見てごらん。手を前で組んでいる。日本人は右手を下に、左手を前にして組むんだ。これには歴史が関係している。昔、日本には武士がいた。知っているかい、武士は腰の左にカタナを提げていた。カタナを使う時は右手だ。右利きが多かったんだろうね。右手を左手で抑えるという事はカタナを使わない、相手に敵意がないということを示す。その名残なんだ。話が逸れたようだ、彼女の左手を見てごらん。指輪をしていない」
「結婚はしていないようだ」
「婚約相手もいない。次にこの手紙の文面から読み取れるのは」
ぼくはホームズに手紙を渡した。あの手紙から何が読み取れたっていうんだ。
至って普通の手紙じゃないか。事件性はないにしても、交際相手がいないってわかるんだろうか。
彼と一緒にぼくは手紙を覗き込んだ。
「まず、恋人がいる女性は学友だった男性に手紙を書かない。まして彼女のような奥ゆかしい女性はね。もし手紙のやりとりが相手にばれでもしたらいざこざの元になってしまう」
「なるほど」
「彼女の性格からして嘘やお世辞は言わない。ということは、ここに書いてある文章はほぼ信用していい。もし交際相手がいるなら、『逢えて良かった』なんて書き方はしない。これは彼女に限っての推測だが。あと交際相手がいないと思ったのはぼくの願望も少し混ざっている」
「君が私事を挟むなんて珍しいな」
確執たる証拠を元に推理し、真実を見出している彼がし私事を挟むなんて。
それだけ彼女のことを想っているんだ、とぼくは自前の推理を展開した。
そういえば、昔学生の頃にキリカのことをどう思っているのか聞いたことがあった。
「彼女はぼくにとって空気のような存在だよ。なくてはならない存在」
「君の気持は全くあの頃と変わっていないんだね」
「ぼくは愚かだった。何故、一年前に彼女を引き留めておかなかったのか。今さら後悔しても遅いわけだが」
「大丈夫。不器用な男だってきっとキリカも思ってるよ。ぼくも二人はお似合いだと心から思う」
少なからず、キリカの気持ちもぼくは知っていた。確かに彼女は嘘をつかないしお世辞も言わない。
だけど、自分の気持ちを隠すのが上手かった。それでも何となくだけどホームズへの恋心が合間見えていた。
控えめな日本人女性と不器用な名探偵。今、何か変わろうとしているのかもしれない。
ぼくが肩をすくめて言うと、ホームズは満足したように口元に笑みを浮かべた。
「というわけだ。ワトソン君、君も早く荷物をまとめたまえ」
「ぼくも行くのかい!」
「当然だ。優秀な探偵には優秀な助手が付き添わなければ。ほら、空港に行くまで時間がない」
ポケットから金の懐中時計を取り出し、時間とぼくを見比べている。
どうやらノーとは言わせてくれなさそうだ。研修から帰って来て休む間もなくこれだ。
溜息をつきながらもぼくは持っていたトランクを自分のベッドの上で開けて、着替えを入れ替える。
それでも嫌な気がしないのは、この生活に慣れっこだからだ。
ああ、そういえば肝心な物を忘れてるんじゃないか。大事なものだ。
「ホームズ、プロポーズに必要な物はちゃんと用意してあるのかい」
「心配無用。彼女の指にぴったりの物を用意してある」
そう言ってホームズは胸ポケットを軽く叩いた。全く抜かりのない名探偵だよ。
何はともあれ、恋愛不器用な彼に最愛の人がいるってことだけで、ぼくは嬉しく思う。
あとは彼女に他の誰かが居ないことを願うだけだ。
「ワトソン、パスポートを忘れないように。さあ、行こうか」
ぼくは三日ぶりにベイカー街のアパートに帰ってきた。
221Bの部屋に入ると、ルームメイトのシャーロック・ホームズが荷造りをしていたのが目に映った。
狭い部屋を行ったりきたりして、忙しなく動いている。帰ってきたぼくを気に留めるわけもない。
たった今ぼくは医学研修から帰ってきたばかりだが、彼も入れ違いでどこかへ行くのだろうか。
「ただいま」
「ああ、お帰りワトソン。良い所に帰ってきた。実は昼間に彼女から手紙が届いたんだ」
「彼女って?」とわざとらしくぼくは尋ねた。その彼女とやらが誰のことか大体の予想はついていた。
ホームズが女性の話を自ら引き合いに出す事は殆どと言っていいほど少ない。
その中でも"あの女性"と敬意を込めて呼ぶのはアイリーン・アドラー先生のことだ。
そしてそれ以外にもう一人、ホームズにとって特別な存在の女性がいることをぼくは知っている。
「キリカ・ハヅキからだよ。これがその手紙だ」
予想は大当たりだ。ぼくの推理も中々のものじゃないだろうか。
ぼくが一人にやにやしていると、怪訝そうにホームズが片眉を寄せた。
ホームズから手紙と一枚の写真を受け取った。薄いピンク色の花弁が散っている封筒。筆記体でこの部屋の住所が書かれていた。
二つに畳まれた二枚の便箋も同じ模様が描かれていた。
『親愛なるシャーロック・ホームズ様。お元気ですか?お変わりはないでしょうか。こちらは桜の花が咲き始めました。貴方たちの所にホームスティしてからもう一年が経つのね。イギリスで過ごした日々がまるで昨日のように感じるわ。ジョンは元気にしている?医者になる為の研修が忙しいのかしら。私も日本で頑張っています。学生時代をイギリスで過ごしたおかげで経験が活きているの。あの学校でシャーロックに出逢えて本当に良かったわ。ジョンにもよろしく言っておいてね。それでは、体調崩さないようにね。また手紙書きます。 キリカ・ハヅキ』
丁寧に綴られた彼女らしい文章。読んでいると声まで聞こえてくるような気がした。
彼女が帰ってからもう一年が経つのか。
キリカ・ハヅキとはイギリスのビートン校で出会った。
彼女は季節外れの日本からの留学生で、最初の印象は落ち着きのある大和撫子って感じだった。
ぼくたちが話すきっかけになったのは、彼女がホームズに紙飛行機を飛ばしたことだ。それから221Bの部屋でよく話をするようになった。
学生時代は色々なことがあった。今思い返すと本当に懐かしいことばかりだ。
ビートン校を卒業すると同時にキリカは日本に戻っていった。
ホームズとぼくはベイカー街のアパートを借りて、学生時代の頃のようにルームシェアをして暮らしている。
彼は探偵の生業をしている。と言っても、奇妙な事件や本人が気に入った事件しか請け負っていない。
それでも依頼人の中には貴族や地位の高い人もいて、報酬額も高い。おかげで生活には困っていなかった。
ぼくはというと、医者になる為に現在猛勉強中だ。
それからしばらくして、キリカがイギリスにやって来た。ちょうど今から一年前のことだ。
ぼくらの所を訪ね、一年間ホームスティすることになったんだ。
イギリスの観光案内も勿論した。ホームズは滅多に同行しなかったけど。彼女が居ようと居まいと、マイペースなんだ。
少し会わないうちに彼女はお淑やかで綺麗な女性になっていた。
日本人女性は気立てが良く、物静かだという。ホームズが「まさに彼女がそうだね」と言っていた。
彼女がホームスティ中、二人の間に何か特別なことがあったというわけでもなかった。
『P.S.桜の写真を同封します。日本の春をお裾分け』
手紙の最後にそうコメントがあった。一緒に入っていた写真にはピンク色の花を咲かせた木と一緒にキリカが写っていた。
いつだったか桜の話になって、ぼくが見てみたいなあと言ったのを覚えててくれたんだろうな。
彼女は長袖の白いカーディガンを羽織っていて、膝下までの長さの緑色のスカートを履いていた。
両手を体の前で組んで、にっこり笑っている。写真の日付は今月の頭だった。
手紙を読み終えたぼくはホームズに改めて尋ねた。
「この手紙と君が大急ぎで荷造りをしていることが関係あるのかい」
「大有りさ。今から日本へ行く。十八時のフライトだ!」
「何か事件でも?この手紙からキリカが助けを求めているのがわかったとか」
「いいや、違う。今のところ彼女の周囲で事件は起きていないよ」
「じゃあ、なぜ慌てて日本に行こうとしているんだい」
「キリカをイギリスに連れてくる為さ」
ぼくは思わず聞き返しそうになった。
今、なんて言った。ぼくの聞き間違えでなければ、彼女をイギリスに連れてくるだって?
唖然としているぼくを他所に、彼はトランクに愛用の羽ペンとインクの瓶を詰め込んでいた。
「連れてくるって、つまり迎えに行くってこと?」
「そうさ」
「いや、ちょっと待ってくれ。ホームズ、少し落ち着いてくれよ」
「ぼくはいつだって落ち着いているよ、ワトソン君」
ホームズはトランクの蓋を閉めた。荷造りが完了したようだ。
ぼくの方を見た彼の金色の瞳に一切の迷いがなかった。それを見て本気なんだと確信する。
こうなっては何を言っても彼を留める術はない。何年も生活を共にして学んだことの一つだ。
「彼女を迎えに行くって、もし彼女が結婚していたり、交際相手がいたらどうするんだよ」
「その心配は要らない。彼女は結婚をしていないし、交際相手も恐らくいない」
「どうしてわかるんだ?」
「この写真を見てごらん。手を前で組んでいる。日本人は右手を下に、左手を前にして組むんだ。これには歴史が関係している。昔、日本には武士がいた。知っているかい、武士は腰の左にカタナを提げていた。カタナを使う時は右手だ。右利きが多かったんだろうね。右手を左手で抑えるという事はカタナを使わない、相手に敵意がないということを示す。その名残なんだ。話が逸れたようだ、彼女の左手を見てごらん。指輪をしていない」
「結婚はしていないようだ」
「婚約相手もいない。次にこの手紙の文面から読み取れるのは」
ぼくはホームズに手紙を渡した。あの手紙から何が読み取れたっていうんだ。
至って普通の手紙じゃないか。事件性はないにしても、交際相手がいないってわかるんだろうか。
彼と一緒にぼくは手紙を覗き込んだ。
「まず、恋人がいる女性は学友だった男性に手紙を書かない。まして彼女のような奥ゆかしい女性はね。もし手紙のやりとりが相手にばれでもしたらいざこざの元になってしまう」
「なるほど」
「彼女の性格からして嘘やお世辞は言わない。ということは、ここに書いてある文章はほぼ信用していい。もし交際相手がいるなら、『逢えて良かった』なんて書き方はしない。これは彼女に限っての推測だが。あと交際相手がいないと思ったのはぼくの願望も少し混ざっている」
「君が私事を挟むなんて珍しいな」
確執たる証拠を元に推理し、真実を見出している彼がし私事を挟むなんて。
それだけ彼女のことを想っているんだ、とぼくは自前の推理を展開した。
そういえば、昔学生の頃にキリカのことをどう思っているのか聞いたことがあった。
「彼女はぼくにとって空気のような存在だよ。なくてはならない存在」
「君の気持は全くあの頃と変わっていないんだね」
「ぼくは愚かだった。何故、一年前に彼女を引き留めておかなかったのか。今さら後悔しても遅いわけだが」
「大丈夫。不器用な男だってきっとキリカも思ってるよ。ぼくも二人はお似合いだと心から思う」
少なからず、キリカの気持ちもぼくは知っていた。確かに彼女は嘘をつかないしお世辞も言わない。
だけど、自分の気持ちを隠すのが上手かった。それでも何となくだけどホームズへの恋心が合間見えていた。
控えめな日本人女性と不器用な名探偵。今、何か変わろうとしているのかもしれない。
ぼくが肩をすくめて言うと、ホームズは満足したように口元に笑みを浮かべた。
「というわけだ。ワトソン君、君も早く荷物をまとめたまえ」
「ぼくも行くのかい!」
「当然だ。優秀な探偵には優秀な助手が付き添わなければ。ほら、空港に行くまで時間がない」
ポケットから金の懐中時計を取り出し、時間とぼくを見比べている。
どうやらノーとは言わせてくれなさそうだ。研修から帰って来て休む間もなくこれだ。
溜息をつきながらもぼくは持っていたトランクを自分のベッドの上で開けて、着替えを入れ替える。
それでも嫌な気がしないのは、この生活に慣れっこだからだ。
ああ、そういえば肝心な物を忘れてるんじゃないか。大事なものだ。
「ホームズ、プロポーズに必要な物はちゃんと用意してあるのかい」
「心配無用。彼女の指にぴったりの物を用意してある」
そう言ってホームズは胸ポケットを軽く叩いた。全く抜かりのない名探偵だよ。
何はともあれ、恋愛不器用な彼に最愛の人がいるってことだけで、ぼくは嬉しく思う。
あとは彼女に他の誰かが居ないことを願うだけだ。
「ワトソン、パスポートを忘れないように。さあ、行こうか」