S・H人形劇
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Snow globe magic
クリスマス・イブまであと二週間。
我がビートン校では毎年クリスマスパーティーを行っていた。
クリスマス休暇はその後から始まるので、パーティーに参加した次の日には故郷に帰る生徒が多い。
会場である大きな講堂には天井まで届く程の巨大なツリーが登場し、壁一面、そこらじゅうクリスマス一色に飾り付けられた。
当日はたくさんのご馳走がテーブルに並び、合唱団のトレジャーズがクリスマスソングを披露し、二人一組で社交ダンスも行われる。
先生も生徒も華やかにドレスアップする。特にアドラー先生のドレス姿は毎年何人もの男子生徒の目を奪うほど綺麗だった。
もっとも、彼は一度だけ目をくれてやっただけで、あとはお得意の「興味なし」とクールに振舞っていた。
ビートン校のクリスマスパーティーに初めて参加するぼくはその日が近づけば近づくほど舞い上がっていた気がする。
一言も喋らず、部屋で鼻歌を歌っていただけでホームズに「浮かれすぎだ」と怒られたぐらいだ。
社交ダンスも行われる。このチャンスを逃す訳にはいかない。もちろん、ぼくはメアリーさんを誘った。
返事を待つ間、心臓が破裂しそうなぐらい緊張していた。でも、意外にもいい返事を貰えた。
そのせいで余計に舞い上がっていたのかもしれない。
そんな折り、ある噂を聞いたんだ。
絵画クラブの部員同士が話していたから、確実性は高いと思う。
その入手した情報をぼくは部屋で彼に話すことにした。
「ホームズ、君はまだダンスの相手を探していないのかい」
「君はぼくがクリスマスパーティーに参加するとでも思ってるのか」
「だって年に一度、特別な日じゃないか」
「ぼくにとっては至って普通の日。日常と変わらない。特別でもなんでもないよ」
「じゃあ、きっとこれも知らないんだね」
勿体ぶりながら、わざとらしく焦らす様な言い方をしてみる。
どうやら彼の興味を全く引かないようで、構わずに本の頁をいつもの調子で捲っていた。
今から話すことは重要な内容だというのに、だ。少なくともぼくはそう思っている。
「ダンカン・ロスが彼女を誘ったらしいよ。ダンスのパートナーにね」
さっきの見解は誤りのようだった。彼はぴたりと手を止めて、ぼくの方を振り向いた。
読書を邪魔されたのと元々苛立っていたのか、随分不機嫌そうな表情。
これはしめた。ぼくは彼が興味を損なわないうちに早口で話を続けた。
「気になる?」
「別に。前に彼女と話した時、あまり気乗りしないような様子だったから。そこが気になっただけさ」
「ふうん。彼女もロス先輩となら気も使わないだろうし、きっと行きたいって思ったんじゃないかな」
「どうかな」
「キリカはなんて答えたと思う?」
「さあ。ワトソン、にやにやするのやめてくれないか。気分が悪い」
「これは失礼。答えは、ノーだ。理由までは知らないけどね」
ぼくはホームズの口調を真似てかっこよく、クールに言い放った。
それがさらに気に障ってしまったようで、彼は口を曲げてむすっとする。
乱暴にソファに座り直し、長い足をまた組み直す。完璧に機嫌を損ねてしまったようだ。
この後、彼がどう行動にでるかだ。ぼくには忠告しかしてやれない。
「これは独り言だけど。彼女を誘うなら早く声をかけた方がいい。他の誰かが声をかける前にね」
*
ぼくが彼に忠告をして、二週間が経った。
いよいよクリスマス・イブ。パーティー当日だ。
校長先生の話から始まり、乾杯、雑談とスムーズに進んでいる。
講堂には大勢の生徒が集まっていた。生徒も先生方もドレスコードを決めている。
ドレスを着たアドラー先生はいつにも増して綺麗に見えた。その横にいるノートン先生と二人はつり合っていて、とてもお似合いだ。
側にいる男子生徒はみんなアドラー先生に釘付けなのに、ホームズは一人だけそっぽを向いていた。
ぼくが無理やり部屋から引っ張り出してきたんだ。当日になっても行く素振りが全然見られなかったから。
重い腰を上げようとしないホームズを追い立てて準備をさせた。まったく、ぼくは君の保護者じゃないんだぞ。
最初のうちは渋々文句を言いながら身支度を始め、やがてきちんとした正装に身を包んだ。
癖毛の髪を整えた髪型にブラックのテールコートはよく似合っていた。
「来るつもりなんてなかったのに、随分気合が入った格好してるよね」
「来るからにはそれ相応の格好で行くのが礼儀だよ」
「ああ、そりゃ良かった。おかげで君がこの会場で浮かなくてすみそうだ」
「お気遣い感謝するよ」
冷たいその言い方だと感謝されているように聞こえない。
これはいつものことだから良いとして、彼はしきりに視線をあちこちに走らせていた。
誰かを探しているようだった。誰を、とは聞かなくてもわかる。
そういえば、彼女の姿が見当たらなかった。校長先生の話が始まった頃は友達と一緒にいるのを見かけたはずだった。
今はどこにも見当たらない。耐えず人が動くから、目的の人物を見つけるのは難しいと実感する。
「キリカ、どこに行ったんだろうね。さっきまでクリスマスツリーの側にいたんだけど」
「それよりもワトソン、君は早くお嬢さんの所に行った方がいいと思うよ。どうやらトレジャーズの出番のようだ」
ホームズの視線の先に合唱部の四人、トレジャーズがいる。
彼らの美声が旋律を奏で始めた。クリスマスキャロルが会場のざわめきを抑え、みんなこの歌声に聞き入っているようだった。
熱心に聴いている観客の中に、メアリーの姿をぼくは見つけてしまった。その愛らしい目はトレジャーズのジョナサンに向いている。
これは大変だ。彼女の元へ急がなきゃ、でもホームズはとぼくが忙しなく一人で交互に振り返っていると彼はいつの間にか居なくなっていた。
人混みにすっかり消えてしまったようで、探しようがない。
ぼくはホームズがあとは自分で何とかすると信じて、会場の前方へ人を押し退けて進んでいった。
*
会場全体が拍手に沸いていた。
それが段々まばらになっていって、やがて静かなワルツの音楽が流れ出す。
私はその音を閉め出すように後ろ手で大きな扉を閉めた。
外はもう薄暗いけど、雪明りのおかげで少し明るく感じる。
風も無く、音も吸い込まれていく。しんしんと降り積もる雪を私はじっと眺めていた。
もうだいぶ雪が地面に積もっている。不思議なもので、雪が降らないのと降った後では後者の方が暖かく感じる。
これだけ積もるなら、かまくらが作れるほど降ればいいのに。
耳を澄ますと会場から漏れてくる音楽が聞こえた。
私は回廊の柱に背をもたれて、目を閉じて静かにそれを聴く。聞いたことがあるワルツの曲。
すこし、肌寒くなってきた。叔母から送られてきたドレスにボレロを羽織っているけど、着慣れていないせいもあって。
「こんな雪の日に、外にいたら風邪を引いてしまうよ」
会場ではダンスが始まっているのに、こんな所で声をかけてくる物好きは誰だろう。
振り向いた先に燕尾服を着たプラチナブロンドの男子生徒がいた。私の方を見ている彼の息は真っ白。
声は聞き覚えがある、でもそれがシャーロックだと気づくのに時間がかかってしまった。
「シャーロック、貴方だったのね。気づかなかったわ。だって、いつもと服も髪型も違うし……それに、来ないと思ってたから」
「ルームメイトが煩くてね。君を探すのに苦労したよ。その、いつもと違って、…魅力的だったから」
以前、クリスマスパーティーの話題になった時だった。私は参加の意思を示さなかった。人が大勢集まる場所は苦手だし。
その時の彼も興味なさそうにしていた。
二人とも肯定的じゃなかったのに、今こうしてお互い顔を合わせている。それがなんだかおかしくて、笑ってしまった。
「ありがとう。このドレス、似合ってるか心配だったの。着慣れない物を着ると落ち着かなくてダメね」
「……君はツリーだけを見に来た。日本にはないから。あと、そのドレスが叔母さんが送ってくれたものだから、ご好意を無駄にしないようにと」
「ええ、その通りよ。あんなに大きなクリスマスツリーは見たことがなかったわ。とても綺麗で、神秘的だった」
「それだけが目的で来る人も珍しいよ。ご馳走もあるのに、それにプレゼント交換もまだだ」
「人混みが苦手なの。シャーロックだって私のこと言えないわ、抜け出してる」
この西洋のドレスも、パーティーに参加した理由も、そしてこっそり抜け出して帰ろうとしていることも全部お見通しだった。
彼は塀から身を乗り出して空を仰いだ。雪の結晶が彼の肩に落ちて、すっと消えていく。
「今夜はずっと降りそうだ。冒頭の校長先生の有難いお話は聞いた。それさえ聞いていれば文句は言われない。あとはどうしようとぼくの勝手だ」
「そうね。じゃあ、私がこのまま帰っても問題ないわね」
「そういうこと」
傍から見ればあまり良い顔をされない考え方。でも、彼は否定しなかった。
聞けば去年も一昨年もクリスマスパーティーに彼は参加しなかったと言う。大勢が集まる場は嫌いだと。
この意見にほっとしている私がいた。小さい頃から私も苦手だったから。まだ幼かった私は母親の後ろに隠れてばかりいた。
「仕方ない子ね」と優しく諭してくれる母はもういないから、私は逃げるように会場を出てきた。
「トレジャーズの歌声、素敵だったわね。メアリーがジョナサンを見つめていたの、ジョンが気にしていたみたいだけど」
「ぼくはワトソンが調子に乗って歌い出さないか心配だった。……彼の歌は滅びの象徴だよ」
あまりにもげんなりした顔で言うものだから、ついつい笑ってしまう。
ジョンの歌声はお世辞でも上手いとは言えないけれど。本人が気持ち良さそうに歌っていたから、咎められない。
素晴らしい音感を持つシャーロックには余計に耳障りに聞こえてしまったのかも。
私たちの会話はそこで途切れた。
しんと静まる雪景色。彼といるこの静かな空間は不思議と嫌いじゃない。
扉の向こうからは相も変わらずワルツの曲が聞こえてきていた。
ちょっとだけ、中の様子が気になった私は扉に近づいて、中をそっと覗き込んだ。
フロアの中央でワルツを踊るペアが三組。
その中にジョンとメアリーの姿があった。ぎこちない所作ながらも楽しそうな雰囲気が伝わってくる。
それを見た私はほっとした。メアリーは最初、ジョンにダンスに誘われたことを悩んでいたから。でも、もう心配はなさそうね。
支えていた扉にもう一つ手が添えられる。
彼も中を覗こうと私の頭の上に顔を出していた。
「あ、ぶつかった」
「周りをよく見ないからだ。彼は体が人一倍大きいんだから、その辺も考えてステップを踏むべきだよ」
「貴方は会場に戻らないの?」
「残念ながらパートナーがいないからね」
「私も。友達はみんな素敵な人がいるし、一人でそこに居たら浮いちゃう」
「……だったら、ダンカン・ロスの誘いを断らなければ良かったのに」
ちょうど二週間前のことだった。
私がダンスパートナーを決めかねていると風の噂で知ったのか、彼が声をかけてくれた。
ロスはいつも私のことを気にかけてくれる。とても優しい人。でも、私は彼の誘いに首を縦には振らなかった。
私に付き合うよりも、もっといい相手がいると思うから。
「いいの。元々パーティー自体乗り気じゃなかったし、彼と本当に踊りたい人がいたと思うから」
「ぼくはつくづく驚いているよ。君、そんなに内公的だった?」
「ええ。私、もともと内気……そう、シャイなのよ。日本人だもの」
「だとしたら、ぼくにも日本人の血が流れているかもしれないな」
外交的じゃないし、と彼が話した。
日本人全てが私のような性格ばかりじゃない。日本にいる友人の一人はとても明るくて、行動的。「おてんば、って言われるのも慣れたわ」と周りの揶揄も笑って受け流してしまうぐらい、強い。
私もそんな風になれたら、と夢見たこともあった。けれど、到底なれそうにないわ。
十人十色っていう言葉があるくらいだから、私は私でいいのよ。
シャーロックもそのままで、いいと思う。
扉を押さえていた手を放し、私たちはお互いに顔を見合わせて、笑った。
こうして学校行事をボイコットしているのは私たちくらいかしら。
「流石に三年連続で最初から最後までボイコットしたら先生がウルサイからね。……ダンスは教養の知識でしかないし、相手の足を踏む自信がある」
「私も。昔、叔母に少し習っただけ。しばらく踊っていないから、もうすっかり忘れているかも」
「それでも一度経験したことは意外と身体の記憶の奥底に残るものだ。ステップを踏めば思い出すかもしれない」
「そういうものかしら」
「案外、ね。…君の足は踏まないように細心の注意を払うよ」
彼が流暢な英語で「Shall we dance?」と。
差し伸べられた手。私はその手を見つめていたけれど、正直戸惑っていた。
ワルツを踊ったのはもう何年も前だし、足手まといになるだけかもしれない。それこそ彼の足を踏んづけてしまうかも。
「君が嫌なら仕方ないけど」と言われて、首を横に振った。どきどきしているのがバレないようにと祈りながら、私はスカートの裾を軽く持ち上げてお辞儀をした。
彼の右手にそっと手を重ねて、左手を右肩に置く。
静寂と雪に囲まれた小さなダンスフロア。
扉の向こうから聞こえてくる曲のボリュームは充分すぎる。むしろ、私の耳のすぐ側で曲が聞こえているみたいな感覚すらあった。
彼に合わせてステップを踏み始めるけれど、私は足元ばかり見ていた。ついていけるか不安で一杯、それに恥ずかしくてまともに顔を見ることができなかった。
くる、くると半時計回りにステップを踏む。
私のはとてもじゃないけど人様に見せられないと思う。ジョンたちを笑った自分が恥ずかしい。
シャーロックは口で言うほど下手じゃなくて、ちゃんと格好がついていた。私の拙い足元を上手くリードしてくれている。
やっぱり本場の人間は教養として身についている。私のように付け焼刃じゃない。
私はこっそりと顔をあげて、背の高い彼を見上げた。彼の視線は遠くに向いていて、少しほっとした。
その途端、私は躓いてバランスを崩してしまった。躓いた方向にまっすぐ倒れた私を咄嗟に彼が受け止めてくれる。
一瞬の出来事だったけど、身体全てを預ける形になってしまった。
顔を上げると、そこで目と目が合って、しばらく目を逸らすことなく見つめ合っていた。
数分、いえ数十秒だったはず。それがとても長く感じられた。
私は慌てて目を逸らして、俯いた。顔がカアッと熱くなっていく。
「ご、ごめんなさい」
「あ、いや……君が転ばなくて良かった」
「重かったでしょう」
「そんなことない、」
「…え?ごめんなさい、最後の方が聞き取れなかったわ」
羽、とも聞こえたような気がしたけれど。注意力が散漫なせいもあって、殆ど聞こえなかった。
私が聞き返しても彼は首を振るだけ。代わりに私の肩に薄っすら積もった雪を払ってくれた。
いつの間にか風が出てきて、廊下にも白い雪化粧が施されている。
「屋根のある場所へ移動した方が良さそうだ。じゃないとぼくらスノーグローブの人形みたいになってしまう」
「そうね。雪に埋もれて氷づけになってしまいそう」
「このまま部屋に戻るなら送っていくよ。それとも、パーティーの見学をしていく?」
「少し温まってから戻ろうかしら。部屋に戻っても暖炉はついていないし」
「いい考えだと思うよ。君の手、今にも凍ってしまいそうなぐらい冷たい」
まだ顔は火照っている。でも、手足はすっかり外気温で冷えてしまっていた。
私よりもほんの少しだけ温度の高い手が両手を包み込んでくれる。
それから彼は自分のジャケットを脱いで私の肩にかけた。ふわりと石鹸の香りが漂う。
扉を押し開けて会場に潜り込んだ私たちは先生の目に留まらないよう、隅っこの方へ移動した。
さっきとは違う組がワルツを踊っている。特にアドラー先生とノートン先生のペアが周囲の注目を集めていた。あの二人、とても絵になる。
壁にもたれながら雑踏を聞き流す。両手をこすり合わせながら暖を取っていたら、ふと視線を感じたので彼の方を振り向いた。
「どうしたの?」
「いや、……さっき君が躓いたのにはぼくにも責任があると思ってね。来年は、ちゃんと踊れるようにしておくよ」
「責任だなんて。私が勝手に躓いてしまったのよ。私も、ちゃんと思い出しておくわ」
来年の今頃は、二人でワルツを踊れるようになっているかしら。
なんて、もう来年の暮れの事を考えていたら鬼が笑ってしまうかも。
それでも、私は来年もまた素敵なクリスマス・イブが過ごせますようにとクリスマスツリーを見上げながら祈った。
クリスマス・イブまであと二週間。
我がビートン校では毎年クリスマスパーティーを行っていた。
クリスマス休暇はその後から始まるので、パーティーに参加した次の日には故郷に帰る生徒が多い。
会場である大きな講堂には天井まで届く程の巨大なツリーが登場し、壁一面、そこらじゅうクリスマス一色に飾り付けられた。
当日はたくさんのご馳走がテーブルに並び、合唱団のトレジャーズがクリスマスソングを披露し、二人一組で社交ダンスも行われる。
先生も生徒も華やかにドレスアップする。特にアドラー先生のドレス姿は毎年何人もの男子生徒の目を奪うほど綺麗だった。
もっとも、彼は一度だけ目をくれてやっただけで、あとはお得意の「興味なし」とクールに振舞っていた。
ビートン校のクリスマスパーティーに初めて参加するぼくはその日が近づけば近づくほど舞い上がっていた気がする。
一言も喋らず、部屋で鼻歌を歌っていただけでホームズに「浮かれすぎだ」と怒られたぐらいだ。
社交ダンスも行われる。このチャンスを逃す訳にはいかない。もちろん、ぼくはメアリーさんを誘った。
返事を待つ間、心臓が破裂しそうなぐらい緊張していた。でも、意外にもいい返事を貰えた。
そのせいで余計に舞い上がっていたのかもしれない。
そんな折り、ある噂を聞いたんだ。
絵画クラブの部員同士が話していたから、確実性は高いと思う。
その入手した情報をぼくは部屋で彼に話すことにした。
「ホームズ、君はまだダンスの相手を探していないのかい」
「君はぼくがクリスマスパーティーに参加するとでも思ってるのか」
「だって年に一度、特別な日じゃないか」
「ぼくにとっては至って普通の日。日常と変わらない。特別でもなんでもないよ」
「じゃあ、きっとこれも知らないんだね」
勿体ぶりながら、わざとらしく焦らす様な言い方をしてみる。
どうやら彼の興味を全く引かないようで、構わずに本の頁をいつもの調子で捲っていた。
今から話すことは重要な内容だというのに、だ。少なくともぼくはそう思っている。
「ダンカン・ロスが彼女を誘ったらしいよ。ダンスのパートナーにね」
さっきの見解は誤りのようだった。彼はぴたりと手を止めて、ぼくの方を振り向いた。
読書を邪魔されたのと元々苛立っていたのか、随分不機嫌そうな表情。
これはしめた。ぼくは彼が興味を損なわないうちに早口で話を続けた。
「気になる?」
「別に。前に彼女と話した時、あまり気乗りしないような様子だったから。そこが気になっただけさ」
「ふうん。彼女もロス先輩となら気も使わないだろうし、きっと行きたいって思ったんじゃないかな」
「どうかな」
「キリカはなんて答えたと思う?」
「さあ。ワトソン、にやにやするのやめてくれないか。気分が悪い」
「これは失礼。答えは、ノーだ。理由までは知らないけどね」
ぼくはホームズの口調を真似てかっこよく、クールに言い放った。
それがさらに気に障ってしまったようで、彼は口を曲げてむすっとする。
乱暴にソファに座り直し、長い足をまた組み直す。完璧に機嫌を損ねてしまったようだ。
この後、彼がどう行動にでるかだ。ぼくには忠告しかしてやれない。
「これは独り言だけど。彼女を誘うなら早く声をかけた方がいい。他の誰かが声をかける前にね」
*
ぼくが彼に忠告をして、二週間が経った。
いよいよクリスマス・イブ。パーティー当日だ。
校長先生の話から始まり、乾杯、雑談とスムーズに進んでいる。
講堂には大勢の生徒が集まっていた。生徒も先生方もドレスコードを決めている。
ドレスを着たアドラー先生はいつにも増して綺麗に見えた。その横にいるノートン先生と二人はつり合っていて、とてもお似合いだ。
側にいる男子生徒はみんなアドラー先生に釘付けなのに、ホームズは一人だけそっぽを向いていた。
ぼくが無理やり部屋から引っ張り出してきたんだ。当日になっても行く素振りが全然見られなかったから。
重い腰を上げようとしないホームズを追い立てて準備をさせた。まったく、ぼくは君の保護者じゃないんだぞ。
最初のうちは渋々文句を言いながら身支度を始め、やがてきちんとした正装に身を包んだ。
癖毛の髪を整えた髪型にブラックのテールコートはよく似合っていた。
「来るつもりなんてなかったのに、随分気合が入った格好してるよね」
「来るからにはそれ相応の格好で行くのが礼儀だよ」
「ああ、そりゃ良かった。おかげで君がこの会場で浮かなくてすみそうだ」
「お気遣い感謝するよ」
冷たいその言い方だと感謝されているように聞こえない。
これはいつものことだから良いとして、彼はしきりに視線をあちこちに走らせていた。
誰かを探しているようだった。誰を、とは聞かなくてもわかる。
そういえば、彼女の姿が見当たらなかった。校長先生の話が始まった頃は友達と一緒にいるのを見かけたはずだった。
今はどこにも見当たらない。耐えず人が動くから、目的の人物を見つけるのは難しいと実感する。
「キリカ、どこに行ったんだろうね。さっきまでクリスマスツリーの側にいたんだけど」
「それよりもワトソン、君は早くお嬢さんの所に行った方がいいと思うよ。どうやらトレジャーズの出番のようだ」
ホームズの視線の先に合唱部の四人、トレジャーズがいる。
彼らの美声が旋律を奏で始めた。クリスマスキャロルが会場のざわめきを抑え、みんなこの歌声に聞き入っているようだった。
熱心に聴いている観客の中に、メアリーの姿をぼくは見つけてしまった。その愛らしい目はトレジャーズのジョナサンに向いている。
これは大変だ。彼女の元へ急がなきゃ、でもホームズはとぼくが忙しなく一人で交互に振り返っていると彼はいつの間にか居なくなっていた。
人混みにすっかり消えてしまったようで、探しようがない。
ぼくはホームズがあとは自分で何とかすると信じて、会場の前方へ人を押し退けて進んでいった。
*
会場全体が拍手に沸いていた。
それが段々まばらになっていって、やがて静かなワルツの音楽が流れ出す。
私はその音を閉め出すように後ろ手で大きな扉を閉めた。
外はもう薄暗いけど、雪明りのおかげで少し明るく感じる。
風も無く、音も吸い込まれていく。しんしんと降り積もる雪を私はじっと眺めていた。
もうだいぶ雪が地面に積もっている。不思議なもので、雪が降らないのと降った後では後者の方が暖かく感じる。
これだけ積もるなら、かまくらが作れるほど降ればいいのに。
耳を澄ますと会場から漏れてくる音楽が聞こえた。
私は回廊の柱に背をもたれて、目を閉じて静かにそれを聴く。聞いたことがあるワルツの曲。
すこし、肌寒くなってきた。叔母から送られてきたドレスにボレロを羽織っているけど、着慣れていないせいもあって。
「こんな雪の日に、外にいたら風邪を引いてしまうよ」
会場ではダンスが始まっているのに、こんな所で声をかけてくる物好きは誰だろう。
振り向いた先に燕尾服を着たプラチナブロンドの男子生徒がいた。私の方を見ている彼の息は真っ白。
声は聞き覚えがある、でもそれがシャーロックだと気づくのに時間がかかってしまった。
「シャーロック、貴方だったのね。気づかなかったわ。だって、いつもと服も髪型も違うし……それに、来ないと思ってたから」
「ルームメイトが煩くてね。君を探すのに苦労したよ。その、いつもと違って、…魅力的だったから」
以前、クリスマスパーティーの話題になった時だった。私は参加の意思を示さなかった。人が大勢集まる場所は苦手だし。
その時の彼も興味なさそうにしていた。
二人とも肯定的じゃなかったのに、今こうしてお互い顔を合わせている。それがなんだかおかしくて、笑ってしまった。
「ありがとう。このドレス、似合ってるか心配だったの。着慣れない物を着ると落ち着かなくてダメね」
「……君はツリーだけを見に来た。日本にはないから。あと、そのドレスが叔母さんが送ってくれたものだから、ご好意を無駄にしないようにと」
「ええ、その通りよ。あんなに大きなクリスマスツリーは見たことがなかったわ。とても綺麗で、神秘的だった」
「それだけが目的で来る人も珍しいよ。ご馳走もあるのに、それにプレゼント交換もまだだ」
「人混みが苦手なの。シャーロックだって私のこと言えないわ、抜け出してる」
この西洋のドレスも、パーティーに参加した理由も、そしてこっそり抜け出して帰ろうとしていることも全部お見通しだった。
彼は塀から身を乗り出して空を仰いだ。雪の結晶が彼の肩に落ちて、すっと消えていく。
「今夜はずっと降りそうだ。冒頭の校長先生の有難いお話は聞いた。それさえ聞いていれば文句は言われない。あとはどうしようとぼくの勝手だ」
「そうね。じゃあ、私がこのまま帰っても問題ないわね」
「そういうこと」
傍から見ればあまり良い顔をされない考え方。でも、彼は否定しなかった。
聞けば去年も一昨年もクリスマスパーティーに彼は参加しなかったと言う。大勢が集まる場は嫌いだと。
この意見にほっとしている私がいた。小さい頃から私も苦手だったから。まだ幼かった私は母親の後ろに隠れてばかりいた。
「仕方ない子ね」と優しく諭してくれる母はもういないから、私は逃げるように会場を出てきた。
「トレジャーズの歌声、素敵だったわね。メアリーがジョナサンを見つめていたの、ジョンが気にしていたみたいだけど」
「ぼくはワトソンが調子に乗って歌い出さないか心配だった。……彼の歌は滅びの象徴だよ」
あまりにもげんなりした顔で言うものだから、ついつい笑ってしまう。
ジョンの歌声はお世辞でも上手いとは言えないけれど。本人が気持ち良さそうに歌っていたから、咎められない。
素晴らしい音感を持つシャーロックには余計に耳障りに聞こえてしまったのかも。
私たちの会話はそこで途切れた。
しんと静まる雪景色。彼といるこの静かな空間は不思議と嫌いじゃない。
扉の向こうからは相も変わらずワルツの曲が聞こえてきていた。
ちょっとだけ、中の様子が気になった私は扉に近づいて、中をそっと覗き込んだ。
フロアの中央でワルツを踊るペアが三組。
その中にジョンとメアリーの姿があった。ぎこちない所作ながらも楽しそうな雰囲気が伝わってくる。
それを見た私はほっとした。メアリーは最初、ジョンにダンスに誘われたことを悩んでいたから。でも、もう心配はなさそうね。
支えていた扉にもう一つ手が添えられる。
彼も中を覗こうと私の頭の上に顔を出していた。
「あ、ぶつかった」
「周りをよく見ないからだ。彼は体が人一倍大きいんだから、その辺も考えてステップを踏むべきだよ」
「貴方は会場に戻らないの?」
「残念ながらパートナーがいないからね」
「私も。友達はみんな素敵な人がいるし、一人でそこに居たら浮いちゃう」
「……だったら、ダンカン・ロスの誘いを断らなければ良かったのに」
ちょうど二週間前のことだった。
私がダンスパートナーを決めかねていると風の噂で知ったのか、彼が声をかけてくれた。
ロスはいつも私のことを気にかけてくれる。とても優しい人。でも、私は彼の誘いに首を縦には振らなかった。
私に付き合うよりも、もっといい相手がいると思うから。
「いいの。元々パーティー自体乗り気じゃなかったし、彼と本当に踊りたい人がいたと思うから」
「ぼくはつくづく驚いているよ。君、そんなに内公的だった?」
「ええ。私、もともと内気……そう、シャイなのよ。日本人だもの」
「だとしたら、ぼくにも日本人の血が流れているかもしれないな」
外交的じゃないし、と彼が話した。
日本人全てが私のような性格ばかりじゃない。日本にいる友人の一人はとても明るくて、行動的。「おてんば、って言われるのも慣れたわ」と周りの揶揄も笑って受け流してしまうぐらい、強い。
私もそんな風になれたら、と夢見たこともあった。けれど、到底なれそうにないわ。
十人十色っていう言葉があるくらいだから、私は私でいいのよ。
シャーロックもそのままで、いいと思う。
扉を押さえていた手を放し、私たちはお互いに顔を見合わせて、笑った。
こうして学校行事をボイコットしているのは私たちくらいかしら。
「流石に三年連続で最初から最後までボイコットしたら先生がウルサイからね。……ダンスは教養の知識でしかないし、相手の足を踏む自信がある」
「私も。昔、叔母に少し習っただけ。しばらく踊っていないから、もうすっかり忘れているかも」
「それでも一度経験したことは意外と身体の記憶の奥底に残るものだ。ステップを踏めば思い出すかもしれない」
「そういうものかしら」
「案外、ね。…君の足は踏まないように細心の注意を払うよ」
彼が流暢な英語で「Shall we dance?」と。
差し伸べられた手。私はその手を見つめていたけれど、正直戸惑っていた。
ワルツを踊ったのはもう何年も前だし、足手まといになるだけかもしれない。それこそ彼の足を踏んづけてしまうかも。
「君が嫌なら仕方ないけど」と言われて、首を横に振った。どきどきしているのがバレないようにと祈りながら、私はスカートの裾を軽く持ち上げてお辞儀をした。
彼の右手にそっと手を重ねて、左手を右肩に置く。
静寂と雪に囲まれた小さなダンスフロア。
扉の向こうから聞こえてくる曲のボリュームは充分すぎる。むしろ、私の耳のすぐ側で曲が聞こえているみたいな感覚すらあった。
彼に合わせてステップを踏み始めるけれど、私は足元ばかり見ていた。ついていけるか不安で一杯、それに恥ずかしくてまともに顔を見ることができなかった。
くる、くると半時計回りにステップを踏む。
私のはとてもじゃないけど人様に見せられないと思う。ジョンたちを笑った自分が恥ずかしい。
シャーロックは口で言うほど下手じゃなくて、ちゃんと格好がついていた。私の拙い足元を上手くリードしてくれている。
やっぱり本場の人間は教養として身についている。私のように付け焼刃じゃない。
私はこっそりと顔をあげて、背の高い彼を見上げた。彼の視線は遠くに向いていて、少しほっとした。
その途端、私は躓いてバランスを崩してしまった。躓いた方向にまっすぐ倒れた私を咄嗟に彼が受け止めてくれる。
一瞬の出来事だったけど、身体全てを預ける形になってしまった。
顔を上げると、そこで目と目が合って、しばらく目を逸らすことなく見つめ合っていた。
数分、いえ数十秒だったはず。それがとても長く感じられた。
私は慌てて目を逸らして、俯いた。顔がカアッと熱くなっていく。
「ご、ごめんなさい」
「あ、いや……君が転ばなくて良かった」
「重かったでしょう」
「そんなことない、」
「…え?ごめんなさい、最後の方が聞き取れなかったわ」
羽、とも聞こえたような気がしたけれど。注意力が散漫なせいもあって、殆ど聞こえなかった。
私が聞き返しても彼は首を振るだけ。代わりに私の肩に薄っすら積もった雪を払ってくれた。
いつの間にか風が出てきて、廊下にも白い雪化粧が施されている。
「屋根のある場所へ移動した方が良さそうだ。じゃないとぼくらスノーグローブの人形みたいになってしまう」
「そうね。雪に埋もれて氷づけになってしまいそう」
「このまま部屋に戻るなら送っていくよ。それとも、パーティーの見学をしていく?」
「少し温まってから戻ろうかしら。部屋に戻っても暖炉はついていないし」
「いい考えだと思うよ。君の手、今にも凍ってしまいそうなぐらい冷たい」
まだ顔は火照っている。でも、手足はすっかり外気温で冷えてしまっていた。
私よりもほんの少しだけ温度の高い手が両手を包み込んでくれる。
それから彼は自分のジャケットを脱いで私の肩にかけた。ふわりと石鹸の香りが漂う。
扉を押し開けて会場に潜り込んだ私たちは先生の目に留まらないよう、隅っこの方へ移動した。
さっきとは違う組がワルツを踊っている。特にアドラー先生とノートン先生のペアが周囲の注目を集めていた。あの二人、とても絵になる。
壁にもたれながら雑踏を聞き流す。両手をこすり合わせながら暖を取っていたら、ふと視線を感じたので彼の方を振り向いた。
「どうしたの?」
「いや、……さっき君が躓いたのにはぼくにも責任があると思ってね。来年は、ちゃんと踊れるようにしておくよ」
「責任だなんて。私が勝手に躓いてしまったのよ。私も、ちゃんと思い出しておくわ」
来年の今頃は、二人でワルツを踊れるようになっているかしら。
なんて、もう来年の暮れの事を考えていたら鬼が笑ってしまうかも。
それでも、私は来年もまた素敵なクリスマス・イブが過ごせますようにとクリスマスツリーを見上げながら祈った。