S・H人形劇
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Photograph disturbance
「ワトソン。重大な事件が発生した」
ホームズは帰ってくるなりぼくにそう告げた。
気に入った事件なら、他人の心境はどうあれ不謹慎にも楽しそうな表情をする彼だ。
しかし、今回はそうでもないらしく。ぼくから見ても本当に重大な事件なんだと思えるくらい、真面目な表情をしていた。
「どんな事件なんだい」
彼にそう尋ねるぼくの声は強張っていた。
今まで起きた学園内の事件で一番危険なのか、それとも手強いのか。
ホームズは上着のポケットから取り出した三枚の写真をテーブルに並べた。
それぞれの写真には二人ずつ、女子と男子生徒が写っている。背景の場所はバラバラだ。
写真はバストアップだったり、遠くから写されていたりしている。どれも日常的なシーンを思わせた。
三枚ともに写っている女子生徒は同一人物のようだ。長い黒髪で背が低め。
この人物がぼくらの友人であるキリカ・ハヅキであることがすぐにわかった。
「キリカは誰かに付き纏われている」
衝撃の事実を聞いたぼくは思わず声を大にしてしまった。
すぐにホームズが「声が大きい」と睨んだので、慌てて口を塞いだ。
ここにはぼくらしか居ないし、聞き耳を立てる人なんていないとは思うけど。万が一だ。
「それ、本当なのかい」と改めて尋ねると、彼は今さっき入手した情報を話し始めた。
ホームズはある事件の情報を得る為に、ラングデール・パイクの元へ立ち寄ったという。
寄宿舎裏のテント小屋に入った時、木箱に敷いたカーペットの上に並べられた写真がホームズの目に映った。
その写真に写っていたのはキリカ・ハヅキの姿。それも一枚じゃない、十枚以上はあったそうだ。
さすがにこれは妙だとホームズも思ったらしく、しばらくそれを観察していた。
ホームズに気づいたパイクが慌てて写真に覆いを被せたので、いよいよもって怪しいと睨んだ。
「今の写真。どうして同じ人物があんなに?」
「そいつは秘密事項ってヤツですよ。……先生、そんなに睨まないでくださいよ。こいつは頼まれたんです、写真を撮ってきてくれと」
「誰に」
「それは言えませんね」
「では、何故こっちのはよけてあるんだ?」
ホームズが示したのは覆いから外れた三枚の写真だった。
それらにもキリカは写っている。ただ、さっきと違うのは必ず誰かが一緒に写っていること。
「ああ、失敗作ですよ。折角のシャッターチャンスが水の泡になっちまいました」
「……なるほど。この三枚、ぼくが買い取ろう」
「まいど!」
三ペンスのコインと引換えにホームズは写真を手に入れて来た。
その写真をぼくは順番によく眺めてみた。
一枚目は寮の廊下で、二人が向かい合っている写真。何か雑談をしているように見える。
二枚目は飼育小屋の建物が写っている。鶏にエサをあげようとしてる彼女の手前に真っ赤な髪がぶれていた。
そして三枚目。背景が教室で、彼女は読書をしていたようだ。そこへ誰かに声をかけられて振り向いた、という感じ。
急に声をかけられたのか驚いた表情をしている。彼女の後ろに声をかけた男子生徒が見切れて写っていた。
茶色の制服を着ていて、筋肉質な体格、そして肌は日焼けしている。
「これ、ぼくじゃないか!いつの間に撮ったんだ」
「この時君たちは何をしていたんだ」
「教室で彼女が一人でいたから、ちょっと脅かそうと思ってね。そうしたら思いのほか驚いてくれて」
「パイクは彼女一人を写すつもりだった。だけど、君が上手い具合に邪魔をした。その瞬間を撮られたというわけだ」
ぼくは彼の横顔をじっと見つめた。
いつに増しても真剣な表情。金色の瞳の奥には赤く燻る怒りの色がちらついているのすら見える。
「君はこの三枚の写真に犯人の手がかりがあると思ったんだね」
「パイクの発言からすると依頼人は彼女だけが写っている写真を欲しがっている。誰かが写りこんだものはいらないという事だ。しかも、写りこんだのはすべて男子生徒。男と一緒に写ったものは見たくないということだ。つまり、犯人は彼女に好意を抱いている男子生徒」
「犯人は随分嫉妬深い男のようだ。まるでどこかの誰かさんみたいだね」
「少なくともこの三人は犯人じゃない。もし自分が写っていたなら写真を欲しがるはずだ。彼女とのツーショットになるからね」
「それを聞いて安心したよ」
この中に犯人がいるとされては敵わない。危うくもぼくは犯人候補から外れた。
名探偵は顎に手を当てて、思案に耽っているようだった。
集中している時に声をかけるのはご法度。というルールをいい加減ぼくは覚えていた。
そのうち彼の方から理路整然と並べた考えを確実にする為、質問を投げかけてくるんだ。
「……彼女は?」
「キリカならシャーマンの飼育小屋の掃除を手伝いに行ってる」
「いつから」
「ちょうど二時間前」
「ならそろそろ戻ってくる。行こう、ワトソン」
「行くって、どこへ?」
ホームズは写真を上着のポケットに入れて、すたすたと部屋を出て行こうとした。
「決まってるだろ。飼育小屋だ」と目的地を告げて行ってしまった。
ぼくは慌てて彼の後を追いかける。こういうパターンはいつものことだ。
置いてけぼりになりそうなこともあるけど、それでも彼はぼくを相棒として見ていてくれてる。
ぼくたちは飼育小屋へ向かった。その途中、偶然にも彼女とばったり出逢った。すぐそこの廊下で。
どうやらちょうど掃除を終えて戻ってきたらしい。
ぼくらが血相を変えて歩いていたせいか、キリカは目を丸くしていた。
「どうしたの、二人とも急ぎの用事?」
「急ぎと言えば急ぎ、かな」
「君が戻ってくるのを待っていたんだ」
「私を待っていたのね。待たせてしまったみたいで、ごめんなさい」
「キリカ。最近変わったことは起きていない?」
ホームズが単刀直入に尋ねた。あまりに唐突で、真っ向すぎる気がしないか。
なんだか居心地が悪い。被害者とは言え、彼女はぼくらの親友だ。
いきなりそう尋ねるのも気が引ける。でも、彼女を守る為には仕方なのないことかもしれない。
話を振られた彼女は当然驚いていた。
そして、少しの間を置いてから首を横にゆっくりと振る。
「特に、ないわ」
「ぼくは君を危険な目に遭わせたくない。だから本当のことを話して欲しい」
まるで彼女が隠し事をしているのがわかっているような口振り。
ホームズはあの写真の件から彼女の周囲に異変が起きていることがわかっていたんだ。
キリカは口を開きかけて、やめる。どうやら言いにくいことがあるみたいだ。
「……実はね」
「待って。ここじゃ落ち着いて話もできないだろうから、ぼくの部屋で話そう」
「ええ、いいわ」
ここで立ち話をするには周りの目が気になる。
そう判断したぼくらはUターンして221Bに戻ってきた。
これにはぼくも賛成だった。廊下のど真ん中で話をしていて犯人に聞かれでもしたら大変だ。
念の為、怪しい奴がいないか周囲に木を配りながら歩いていると、ホームズから「目立つから止めた方がいい」と言われてしまった。
ホームズは辺りを見渡すようなことは一切せずに、まっすぐ前を向いて歩いてきた。
部屋に戻ってきたホームズはそこで初めて廊下の左右を確認してからドアを閉めた。
静けさが部屋に満ちている。そのせいで余計に肌寒い空気を肌に感じた。
ホームズが彼女を中央の真紅のソファへ招いた。
まさか誰も居ないとは思うけど、ぼくは話が始まる前に口を開いた。
「ホームズ、念の為に部屋を調べておいた方がいいんじゃないか?」
「何の為に?ああ、心配しなくてもいいよ。物が動いた形跡もないし、誰も居やしない」
「それもそうだ。このごちゃごちゃした部屋じゃ隠れるのも一苦労だからね」
皮肉を言ったつもりはない。でも、部屋に散らばってる本や資料は半分以上君の所有物だ。
ホームズはぼくを一瞥し、自分の椅子に腰掛けた。そしてキリカに続きを話すように促す。
ぼくも自分の椅子に座って、彼女の方を向いた。
「改めて、最近の変わった出来事について話を聞こう」
「……あのね、最近よく手紙が来るの。一日に三回、部屋のドアの下に挟められてる」
「その手紙を見つけた時間帯は?あと手紙の内容」
「大体、朝昼晩。朝は食堂へ出かける前、夜はこの部屋から帰った時によく見つけるわ。昼間はいつ来てるかわからないんだけど。内容は……いつも頑張ってるね、そんな君を応援してるよ。とか、20時にベイカー寮の前で待ってます、とか。差出人はわからないわ」
「そこに君は行ったのかい」
彼女は首を横に振った。顔色が良くない。
気味の悪い手紙がよく来るんだ。無理もない。
「怖かったし、イタズラだろうと思って。でも、その後に来た手紙の内容が……」
「なんて書いてあったの?」
「『用事があったんだね、でもぼくは気にしてないよ。これから毎日待ってるから、気が向いたら来てほしいんだ』って」
間違いなかった。ホームズの推測通り、彼女に執拗に付き纏っている人間がいる。
それは男で、彼女に好意を抱いている。でも、少し度が過ぎやしないか。
「その手紙、まだ捨てずにいるかい。見せてもらいたいんだ」
「最初に来てた頃のは捨てちゃったけど、昨日のならまだゴミ箱にあると思うわ」
「ほかに不審な点はあった?」
「文字はタイプライターじゃなくて、羽ペンで書いてあったわ。でも、時々だけど簡単な日本語が書いてあることもあったの」
「なるほど。その日本語は日本人の君から見てどう?上手いか下手か」
「ちょっと下手くそ、ね。全部ひらがなだけど、文字が左右反転してたり、バランスがひどくて」
ホームズが確信を得たのか、にやりと口元に笑みを浮かべた。
嬉しそうな反面、事件を楽しんでいる様子はどうも窺えなかった。今までのケースと少し違う。
次にホームズは力強い口調でキリカに安心するよう話した。
「犯人の目星は大体ついた。キリカ、後はぼくたちに任せてくれ。心配しなくていい、君にこれ以上の危害は絶対に加えさせない。約束しよう」
「ありがとう。でも、危ないことしないでね」
「大丈夫さ。ホームズがこう言ってるんだし、君が怖い目にあってるのをぼくらは見過ごせない」
「彼の言うとおりだ。しばらくの間は一人で行動するのを控えた方がいい。あと、手紙が来ても怖かったら封を開けなくていい。そのままぼくに渡して」
「わかったわ」
「この後の予定は」
「ハドソン夫人の所へクッキーを作るのを手伝いに行くわ」
「よし。じゃあそのまま夕食作りも手伝うといい。ハドソン夫人なら喜んで受け入れてくれるよ。ハドソン夫人の部屋まで送っていくよ。その前に君の部屋へ寄って、例の手紙を」
これからの捜査の道筋が決まったのか、ホームズはまずキリカの部屋に立ち寄って手紙を三通受け取った。
次に彼女をハドソン夫人の部屋に送り届ける。その際に夫人に部屋にあがって行きなさいと勧められたけど、「宿題をまだやっていないので」て丁重にホームズが断っていた。宿題なんてやらないくせに。口がよく回るもんだよ。
夫人の部屋から逃げるように離れたぼくらがむかったら先は図書館だった。
ここに犯人の手がかりがあるんだろうか。
そこでホームズは外国語分野の棚を隅から隅まで舐めるように探し、日本語辞典を一冊手に取った。
裏表紙を開き、貸出カードを引き抜く。そこに書いてある名前を目で追っているようだ。後ろから覗き込むとその一覧にホームズの名前を見つけた。他に借りた人が何人かいる。
ホームズは貸出カードを元に戻し、日本語辞典を棚に収めた。
「借りるんじゃないのか?」
「誰かが借りに来たら困るだろ」
すぐに図書館を後にしたぼくらは今度は校外へ。
どこへ行くのか見当もつかないから、どこへ行くのかとホームズに尋ねた。
彼は前を向いたまま答える。
「裏山」
「裏山って、立ち入り禁止区域がある場所?」
あそこへは何度か足を運んでいるけど、本当は立ち入っちゃダメな場所だ。なんたって文字通り立ち入り禁止なんだから。
裏山には当然人の姿がなかった。沼地への道筋も人道とは言えないくらい細い。
大きな看板に枠いっぱいにバツ印が書かれていた。この先が沼地になっていて、本来なら誰も入ってはいけない場所。赤毛クラブの事件の時と、アイリスの花を摘みに来たとき以来かな。
てっきりホームズはまた沼地に向かうのかと思ったら、看板を通り過ぎて林の中に入っていった。
林と言うには樹木がまばらにしかなく、切り株が目立つ道だ。
そこをしばらく歩いていくと、正面に誰かがいた。
イーゼルに画板を立てて、画材道具が入ったカバンを道に広げている。
彼は向こう側の木に留まっている鳥を描いていた。真剣な表情で被写体を見つめている。
ホームズは止まることもせず、彼に近づいた。鳥がぼくらの気配に気づいたのか、ばさばさと羽ばたいていってしまった。
ダンカン・ロスが「あっ」と声をあげて、ぼくらの方を振り向いた。
その顔は機嫌が良さそうじゃない。
「これで絵を描くのを邪魔されたのは二回目だよ、ホームズ。何の用?」
「君に協力してもらいたいことがある。キリカを助ける為だ、手伝ってほしい」
カラフルに彩られたエプロンをつけたロス先輩はパレットと筆を持ったまま目を瞬かせた。
*
沼地から戻ってきたぼくらは部屋のソファに体をうずめた。
あちこち歩き回ったから疲れてしまった。
反対側のソファにもたれるホームズは微笑をさっきから浮かべている。
「どうやらもう犯人がわかってるみたいだね」
「どうして?」
「なんだか嬉しそうだ。いつも以上に」
彼はにやりと笑み深めてソファの背もたれから体を起こした。
両手の長い指を組み合わせて、顎をそこに乗せる。
「彼女に付き纏っている人物の名前も、性格もわかっている」
「名前も?どうして知ったんだい」
「文学の試験問題を解くより簡単さ。犯人は手紙に日本語を書いていた。それは汚い文字でしかも間違ってる。ということは、辞典で調べながらじゃなきゃ書けない程知識がない。一般のイギリス人が日本語を何も参考にしないですらすらとは書けないからね。そこで、図書館で日本語辞典の貸出履歴を調べたんだ。そこには犯人の名前がちゃんとあったよ」
「で、名前は?ベイカー寮の生徒?ぼくたちも知ってるやつなのか」
「落ち着きたまえワトソン君。名前はまだ言えない。犯人はベイカー寮の生徒だ。ぼくは知らないな。君も知らないんじゃないかな」
ちょっと待って。ホームズも顔を知らないのに、どうしてベイカー寮の生徒だってわかるんだ。
ぼくが不思議そうにしているのが伝わったのか、ホームズは彼女宛の手紙を人差し指と中指で挟みながら説明をしてくれた。
「この封筒に便箋は至ってシンプル。装飾もない。金持ちディーラー寮の生徒ならもっと良い封筒を使うよ。それに、犯人は待ち合わせ場所をベイカー寮の前に指定した。わざわざ別の寮を指定する理由がない」
「ああ、なるほど…」
「どうやら犯人は繊細で臆病、そして一途。事が大きくなる前に何とかしないと。こういった類はエスカレートすると非常に危険だからね。かといってぼくらが無理やり捕まえようとしても犯人を刺激するだけだ」
「それで彼に協力を仰いだってわけだ」
「犯人をおびき寄せるにはうってつけの人材だ。それでいて多少の信頼もある。罠とも知らずに犯人は自らかかりに来てくれるというわけさ」
犯人を炙り出す作戦をホームズはあの短時間で練っていた。
初め、ロス先輩はぼくらの話に驚いていたけど快く頷いてくれた。
それにしても。彼は獲物を狙う鷹のような鋭い目をしている。
「さあ、夕食の時間だ。食堂で二人と合流しよう」
「ワトソン。重大な事件が発生した」
ホームズは帰ってくるなりぼくにそう告げた。
気に入った事件なら、他人の心境はどうあれ不謹慎にも楽しそうな表情をする彼だ。
しかし、今回はそうでもないらしく。ぼくから見ても本当に重大な事件なんだと思えるくらい、真面目な表情をしていた。
「どんな事件なんだい」
彼にそう尋ねるぼくの声は強張っていた。
今まで起きた学園内の事件で一番危険なのか、それとも手強いのか。
ホームズは上着のポケットから取り出した三枚の写真をテーブルに並べた。
それぞれの写真には二人ずつ、女子と男子生徒が写っている。背景の場所はバラバラだ。
写真はバストアップだったり、遠くから写されていたりしている。どれも日常的なシーンを思わせた。
三枚ともに写っている女子生徒は同一人物のようだ。長い黒髪で背が低め。
この人物がぼくらの友人であるキリカ・ハヅキであることがすぐにわかった。
「キリカは誰かに付き纏われている」
衝撃の事実を聞いたぼくは思わず声を大にしてしまった。
すぐにホームズが「声が大きい」と睨んだので、慌てて口を塞いだ。
ここにはぼくらしか居ないし、聞き耳を立てる人なんていないとは思うけど。万が一だ。
「それ、本当なのかい」と改めて尋ねると、彼は今さっき入手した情報を話し始めた。
ホームズはある事件の情報を得る為に、ラングデール・パイクの元へ立ち寄ったという。
寄宿舎裏のテント小屋に入った時、木箱に敷いたカーペットの上に並べられた写真がホームズの目に映った。
その写真に写っていたのはキリカ・ハヅキの姿。それも一枚じゃない、十枚以上はあったそうだ。
さすがにこれは妙だとホームズも思ったらしく、しばらくそれを観察していた。
ホームズに気づいたパイクが慌てて写真に覆いを被せたので、いよいよもって怪しいと睨んだ。
「今の写真。どうして同じ人物があんなに?」
「そいつは秘密事項ってヤツですよ。……先生、そんなに睨まないでくださいよ。こいつは頼まれたんです、写真を撮ってきてくれと」
「誰に」
「それは言えませんね」
「では、何故こっちのはよけてあるんだ?」
ホームズが示したのは覆いから外れた三枚の写真だった。
それらにもキリカは写っている。ただ、さっきと違うのは必ず誰かが一緒に写っていること。
「ああ、失敗作ですよ。折角のシャッターチャンスが水の泡になっちまいました」
「……なるほど。この三枚、ぼくが買い取ろう」
「まいど!」
三ペンスのコインと引換えにホームズは写真を手に入れて来た。
その写真をぼくは順番によく眺めてみた。
一枚目は寮の廊下で、二人が向かい合っている写真。何か雑談をしているように見える。
二枚目は飼育小屋の建物が写っている。鶏にエサをあげようとしてる彼女の手前に真っ赤な髪がぶれていた。
そして三枚目。背景が教室で、彼女は読書をしていたようだ。そこへ誰かに声をかけられて振り向いた、という感じ。
急に声をかけられたのか驚いた表情をしている。彼女の後ろに声をかけた男子生徒が見切れて写っていた。
茶色の制服を着ていて、筋肉質な体格、そして肌は日焼けしている。
「これ、ぼくじゃないか!いつの間に撮ったんだ」
「この時君たちは何をしていたんだ」
「教室で彼女が一人でいたから、ちょっと脅かそうと思ってね。そうしたら思いのほか驚いてくれて」
「パイクは彼女一人を写すつもりだった。だけど、君が上手い具合に邪魔をした。その瞬間を撮られたというわけだ」
ぼくは彼の横顔をじっと見つめた。
いつに増しても真剣な表情。金色の瞳の奥には赤く燻る怒りの色がちらついているのすら見える。
「君はこの三枚の写真に犯人の手がかりがあると思ったんだね」
「パイクの発言からすると依頼人は彼女だけが写っている写真を欲しがっている。誰かが写りこんだものはいらないという事だ。しかも、写りこんだのはすべて男子生徒。男と一緒に写ったものは見たくないということだ。つまり、犯人は彼女に好意を抱いている男子生徒」
「犯人は随分嫉妬深い男のようだ。まるでどこかの誰かさんみたいだね」
「少なくともこの三人は犯人じゃない。もし自分が写っていたなら写真を欲しがるはずだ。彼女とのツーショットになるからね」
「それを聞いて安心したよ」
この中に犯人がいるとされては敵わない。危うくもぼくは犯人候補から外れた。
名探偵は顎に手を当てて、思案に耽っているようだった。
集中している時に声をかけるのはご法度。というルールをいい加減ぼくは覚えていた。
そのうち彼の方から理路整然と並べた考えを確実にする為、質問を投げかけてくるんだ。
「……彼女は?」
「キリカならシャーマンの飼育小屋の掃除を手伝いに行ってる」
「いつから」
「ちょうど二時間前」
「ならそろそろ戻ってくる。行こう、ワトソン」
「行くって、どこへ?」
ホームズは写真を上着のポケットに入れて、すたすたと部屋を出て行こうとした。
「決まってるだろ。飼育小屋だ」と目的地を告げて行ってしまった。
ぼくは慌てて彼の後を追いかける。こういうパターンはいつものことだ。
置いてけぼりになりそうなこともあるけど、それでも彼はぼくを相棒として見ていてくれてる。
ぼくたちは飼育小屋へ向かった。その途中、偶然にも彼女とばったり出逢った。すぐそこの廊下で。
どうやらちょうど掃除を終えて戻ってきたらしい。
ぼくらが血相を変えて歩いていたせいか、キリカは目を丸くしていた。
「どうしたの、二人とも急ぎの用事?」
「急ぎと言えば急ぎ、かな」
「君が戻ってくるのを待っていたんだ」
「私を待っていたのね。待たせてしまったみたいで、ごめんなさい」
「キリカ。最近変わったことは起きていない?」
ホームズが単刀直入に尋ねた。あまりに唐突で、真っ向すぎる気がしないか。
なんだか居心地が悪い。被害者とは言え、彼女はぼくらの親友だ。
いきなりそう尋ねるのも気が引ける。でも、彼女を守る為には仕方なのないことかもしれない。
話を振られた彼女は当然驚いていた。
そして、少しの間を置いてから首を横にゆっくりと振る。
「特に、ないわ」
「ぼくは君を危険な目に遭わせたくない。だから本当のことを話して欲しい」
まるで彼女が隠し事をしているのがわかっているような口振り。
ホームズはあの写真の件から彼女の周囲に異変が起きていることがわかっていたんだ。
キリカは口を開きかけて、やめる。どうやら言いにくいことがあるみたいだ。
「……実はね」
「待って。ここじゃ落ち着いて話もできないだろうから、ぼくの部屋で話そう」
「ええ、いいわ」
ここで立ち話をするには周りの目が気になる。
そう判断したぼくらはUターンして221Bに戻ってきた。
これにはぼくも賛成だった。廊下のど真ん中で話をしていて犯人に聞かれでもしたら大変だ。
念の為、怪しい奴がいないか周囲に木を配りながら歩いていると、ホームズから「目立つから止めた方がいい」と言われてしまった。
ホームズは辺りを見渡すようなことは一切せずに、まっすぐ前を向いて歩いてきた。
部屋に戻ってきたホームズはそこで初めて廊下の左右を確認してからドアを閉めた。
静けさが部屋に満ちている。そのせいで余計に肌寒い空気を肌に感じた。
ホームズが彼女を中央の真紅のソファへ招いた。
まさか誰も居ないとは思うけど、ぼくは話が始まる前に口を開いた。
「ホームズ、念の為に部屋を調べておいた方がいいんじゃないか?」
「何の為に?ああ、心配しなくてもいいよ。物が動いた形跡もないし、誰も居やしない」
「それもそうだ。このごちゃごちゃした部屋じゃ隠れるのも一苦労だからね」
皮肉を言ったつもりはない。でも、部屋に散らばってる本や資料は半分以上君の所有物だ。
ホームズはぼくを一瞥し、自分の椅子に腰掛けた。そしてキリカに続きを話すように促す。
ぼくも自分の椅子に座って、彼女の方を向いた。
「改めて、最近の変わった出来事について話を聞こう」
「……あのね、最近よく手紙が来るの。一日に三回、部屋のドアの下に挟められてる」
「その手紙を見つけた時間帯は?あと手紙の内容」
「大体、朝昼晩。朝は食堂へ出かける前、夜はこの部屋から帰った時によく見つけるわ。昼間はいつ来てるかわからないんだけど。内容は……いつも頑張ってるね、そんな君を応援してるよ。とか、20時にベイカー寮の前で待ってます、とか。差出人はわからないわ」
「そこに君は行ったのかい」
彼女は首を横に振った。顔色が良くない。
気味の悪い手紙がよく来るんだ。無理もない。
「怖かったし、イタズラだろうと思って。でも、その後に来た手紙の内容が……」
「なんて書いてあったの?」
「『用事があったんだね、でもぼくは気にしてないよ。これから毎日待ってるから、気が向いたら来てほしいんだ』って」
間違いなかった。ホームズの推測通り、彼女に執拗に付き纏っている人間がいる。
それは男で、彼女に好意を抱いている。でも、少し度が過ぎやしないか。
「その手紙、まだ捨てずにいるかい。見せてもらいたいんだ」
「最初に来てた頃のは捨てちゃったけど、昨日のならまだゴミ箱にあると思うわ」
「ほかに不審な点はあった?」
「文字はタイプライターじゃなくて、羽ペンで書いてあったわ。でも、時々だけど簡単な日本語が書いてあることもあったの」
「なるほど。その日本語は日本人の君から見てどう?上手いか下手か」
「ちょっと下手くそ、ね。全部ひらがなだけど、文字が左右反転してたり、バランスがひどくて」
ホームズが確信を得たのか、にやりと口元に笑みを浮かべた。
嬉しそうな反面、事件を楽しんでいる様子はどうも窺えなかった。今までのケースと少し違う。
次にホームズは力強い口調でキリカに安心するよう話した。
「犯人の目星は大体ついた。キリカ、後はぼくたちに任せてくれ。心配しなくていい、君にこれ以上の危害は絶対に加えさせない。約束しよう」
「ありがとう。でも、危ないことしないでね」
「大丈夫さ。ホームズがこう言ってるんだし、君が怖い目にあってるのをぼくらは見過ごせない」
「彼の言うとおりだ。しばらくの間は一人で行動するのを控えた方がいい。あと、手紙が来ても怖かったら封を開けなくていい。そのままぼくに渡して」
「わかったわ」
「この後の予定は」
「ハドソン夫人の所へクッキーを作るのを手伝いに行くわ」
「よし。じゃあそのまま夕食作りも手伝うといい。ハドソン夫人なら喜んで受け入れてくれるよ。ハドソン夫人の部屋まで送っていくよ。その前に君の部屋へ寄って、例の手紙を」
これからの捜査の道筋が決まったのか、ホームズはまずキリカの部屋に立ち寄って手紙を三通受け取った。
次に彼女をハドソン夫人の部屋に送り届ける。その際に夫人に部屋にあがって行きなさいと勧められたけど、「宿題をまだやっていないので」て丁重にホームズが断っていた。宿題なんてやらないくせに。口がよく回るもんだよ。
夫人の部屋から逃げるように離れたぼくらがむかったら先は図書館だった。
ここに犯人の手がかりがあるんだろうか。
そこでホームズは外国語分野の棚を隅から隅まで舐めるように探し、日本語辞典を一冊手に取った。
裏表紙を開き、貸出カードを引き抜く。そこに書いてある名前を目で追っているようだ。後ろから覗き込むとその一覧にホームズの名前を見つけた。他に借りた人が何人かいる。
ホームズは貸出カードを元に戻し、日本語辞典を棚に収めた。
「借りるんじゃないのか?」
「誰かが借りに来たら困るだろ」
すぐに図書館を後にしたぼくらは今度は校外へ。
どこへ行くのか見当もつかないから、どこへ行くのかとホームズに尋ねた。
彼は前を向いたまま答える。
「裏山」
「裏山って、立ち入り禁止区域がある場所?」
あそこへは何度か足を運んでいるけど、本当は立ち入っちゃダメな場所だ。なんたって文字通り立ち入り禁止なんだから。
裏山には当然人の姿がなかった。沼地への道筋も人道とは言えないくらい細い。
大きな看板に枠いっぱいにバツ印が書かれていた。この先が沼地になっていて、本来なら誰も入ってはいけない場所。赤毛クラブの事件の時と、アイリスの花を摘みに来たとき以来かな。
てっきりホームズはまた沼地に向かうのかと思ったら、看板を通り過ぎて林の中に入っていった。
林と言うには樹木がまばらにしかなく、切り株が目立つ道だ。
そこをしばらく歩いていくと、正面に誰かがいた。
イーゼルに画板を立てて、画材道具が入ったカバンを道に広げている。
彼は向こう側の木に留まっている鳥を描いていた。真剣な表情で被写体を見つめている。
ホームズは止まることもせず、彼に近づいた。鳥がぼくらの気配に気づいたのか、ばさばさと羽ばたいていってしまった。
ダンカン・ロスが「あっ」と声をあげて、ぼくらの方を振り向いた。
その顔は機嫌が良さそうじゃない。
「これで絵を描くのを邪魔されたのは二回目だよ、ホームズ。何の用?」
「君に協力してもらいたいことがある。キリカを助ける為だ、手伝ってほしい」
カラフルに彩られたエプロンをつけたロス先輩はパレットと筆を持ったまま目を瞬かせた。
*
沼地から戻ってきたぼくらは部屋のソファに体をうずめた。
あちこち歩き回ったから疲れてしまった。
反対側のソファにもたれるホームズは微笑をさっきから浮かべている。
「どうやらもう犯人がわかってるみたいだね」
「どうして?」
「なんだか嬉しそうだ。いつも以上に」
彼はにやりと笑み深めてソファの背もたれから体を起こした。
両手の長い指を組み合わせて、顎をそこに乗せる。
「彼女に付き纏っている人物の名前も、性格もわかっている」
「名前も?どうして知ったんだい」
「文学の試験問題を解くより簡単さ。犯人は手紙に日本語を書いていた。それは汚い文字でしかも間違ってる。ということは、辞典で調べながらじゃなきゃ書けない程知識がない。一般のイギリス人が日本語を何も参考にしないですらすらとは書けないからね。そこで、図書館で日本語辞典の貸出履歴を調べたんだ。そこには犯人の名前がちゃんとあったよ」
「で、名前は?ベイカー寮の生徒?ぼくたちも知ってるやつなのか」
「落ち着きたまえワトソン君。名前はまだ言えない。犯人はベイカー寮の生徒だ。ぼくは知らないな。君も知らないんじゃないかな」
ちょっと待って。ホームズも顔を知らないのに、どうしてベイカー寮の生徒だってわかるんだ。
ぼくが不思議そうにしているのが伝わったのか、ホームズは彼女宛の手紙を人差し指と中指で挟みながら説明をしてくれた。
「この封筒に便箋は至ってシンプル。装飾もない。金持ちディーラー寮の生徒ならもっと良い封筒を使うよ。それに、犯人は待ち合わせ場所をベイカー寮の前に指定した。わざわざ別の寮を指定する理由がない」
「ああ、なるほど…」
「どうやら犯人は繊細で臆病、そして一途。事が大きくなる前に何とかしないと。こういった類はエスカレートすると非常に危険だからね。かといってぼくらが無理やり捕まえようとしても犯人を刺激するだけだ」
「それで彼に協力を仰いだってわけだ」
「犯人をおびき寄せるにはうってつけの人材だ。それでいて多少の信頼もある。罠とも知らずに犯人は自らかかりに来てくれるというわけさ」
犯人を炙り出す作戦をホームズはあの短時間で練っていた。
初め、ロス先輩はぼくらの話に驚いていたけど快く頷いてくれた。
それにしても。彼は獲物を狙う鷹のような鋭い目をしている。
「さあ、夕食の時間だ。食堂で二人と合流しよう」