S・H人形劇
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問題児 後編
「ありがとうございました!」
ベイカー寮の男子生徒が礼儀正しく頭を下げて部屋を退出した。
今日の依頼人は一年生の彼でどうやら最後のようだった。彼が帰ったきり、誰もこの部屋をノックする人はいない。
大勢の依頼人がホームズを尋ねてきたせいで、彼はぐったりとソファにもたれかかっていた。
最初はソファに背をもたれていたのだけど、段々その姿勢が崩れていって最後には横になった。
随分お疲れの様子だ。無理もないか。だって今日は二十人近く来ていたから。
ホームズはソファの上でごろんと寝返りを打った。
今日はもうやる気が出ない。何もする気力もない。そんな疲れた顔だ。
それともう一つ。どこか浮かない表情をしていた。
ぼくは書きかけの壁新聞を床に広げて、インクの瓶と羽ペンに手を伸ばした。
依頼人が来ている間はやりたいことができない。ようやく自分のことに取り掛かることができる。
紙の四隅を本で留め、あの日記帳をぱらぱらと捲る。書き留めた事件を見ながら文章を考えて、羽ペンを動かす。その作業を繰り返した。
一つの記事が書きあがって、一息つこうとぼくは屈めていた上半身を起こした。
何気なくソファの方を見るとまだホームズは横になっていた。さっきと変わらない。目を閉じている。
「そんな所で寝ていたら風邪を引くよ」
「寝てない」
「退屈そうだね」
「話し相手もいないからね」
「普段は人の話なんて聞かないくせに。……最近、キリカも来ないね」
ぼくがぽつりと呟くとホームズは薄っすらと目を開けた。
彼と視線が交わることはない。ぼんやりと虚ろな瞳をどこかに向けている。
平日の放課後や休日はキリカがよく221Bに遊びに来ていた。
いつもなら楽しいお喋りをしている時間だ。そのはずが今はこの有様。
彼女が訪れて来なくなってからもう一週間が経つ。おかげで壁新聞の制作が捗るけど、少し寂しい。
どうして来なくなったんだろう。授業の合間とかにはいつも通り話をするけれど。
「どこかクラブに入ったのかな。まだクラブには入ってなかったみたいだし」
「それはない。入りたいクラブがないって言ってただろう」
「じゃあ、他に仲の良い友達ができて、その友達と一緒にいるとか。……ちょっと寂しいね」
「その可能性も低い。それなら移動中も一緒に行動するはずだ。特に女子は群れを作る」
「ああ、そうか。授業の合間はぼくらと話をしているものね」
「正しく言い直せば”君と”だ」
わざわざホームズが言い直した。それに違和感を覚える。
思い返してみれば、確かにそうだ。彼女はぼくに話しかけてくるけど、ホームズとは直接話をしていない。
ぼくとホームズが話をしている時に相槌を打つ程度だ。
「ホームズ。もしかして君、避けられてる?」
「傷つく言い方だな」
「ごめん。だってそう考えることができたから。でも、君でもそんな風に思うんだね。意外だなあ」
「彼女がこの部屋を訪れたのはちょうど一週間前。その翌日から彼女の態度、行動が変わった」
ホームズはぼくの話を聞かずに推理を述べ始めた。いつも通りと言えばいつも通りだ。
彼の推理がよく聞こえるように、ぼくはソファの方へ四つん這いのまま近づいた。
「何かあったと考えるなら、彼女がこの部屋を出てから翌日までの数時間。あの日、まだ早い時間帯に見回りのロイロット先生がベイカー寮を出て行くのを見かけた」
「えっ。そうなの?いつもアーチャー寮から回ってるのに」
「だからおかしいと思った。もしかしたら彼女はその時に先生に捕まってしまったのかもしれない。そして恐らくこう言われたんだ『問題児のホームズとは関わるな』と」
そこでホームズはソファから身体を起こして座り直した。
頬杖をついている彼の表情は実に不満そう。「あの先生が言いそうなことだよ」と憎たらしげに呟く。
それにしても、そこまで推理できるなんて相変わらず彼の洞察力に感心してしまう。
「なるほどね。それで君もご機嫌斜めってわけだ」
「別にぼくは普段通りだ」
「そうかな。趣味の化学実験も失敗続きじゃないか」
彼が使っている実験用の机には真っ黒になった試験管が何本も並んでいる。
「失敗だ」というホームズのぼやきをぼくは十二回はカウントした。
このままじゃ机ごと真っ黒な炭にしてしまうんじゃないかと。いらない心配をするぼくがいる。
「ホームズ。なんとかしたいなら自分から行動しなきゃダメだ。このままじゃずっとすれ違ってばかりだよ」
「ワトソン、君の言い方はまるで恋人の喧嘩を仲裁するような口振りだ」
「ぼくは君がいつか机を燃やしてしまわないか心配だよ。……彼女が先生に注意されただけで避けるようになるなんて、ぼくには考えられないな。だって、あんなに仲が良かったんだし。きっと何が理由があるはずだ」
「どんな?」
「それは、自分で確かめに行った方が早いよ。ほら、早く早く!」
案ずるより生むがやすし、だ。日本にはこんな諺があるとキリカが言っていた。
ぼくはホームズを無理やりソファから立たせて部屋から連れ出した。
勢いよく部屋を飛び出したのはいいけど、肝心の居場所がわからない。
音楽室、図書室、教室。彼女がいそうな場所を次々と回っていった。でも、彼女は見つからない。
室内と外を行き来していたせいで手足が冷たくなった。
あちこち探し回ったあとで、ぼくはある場所を思い出した。まだそこには行っていない。もしかしたらあそこにいるかもしれない。
ぼくは渋るホームズを引き連れて中庭へ向かった。
中庭に続く廊下から彼女の姿を見つけた。ベンチに座って、ぼんやりと景色を眺めている。
あのベンチはぼくらが最初に会話を交わした場所だ。彼女の隣に栞を挟んだ本が置いてあった。
幸いなことに、まだ彼女はぼくらの存在に気づいていない。
ぼくはホームズの背中を押しやって、彼女の所に行くように言った。
彼が一度振り向いてぼくを睨みつけた。ぼくが行っても仕方がないだろ。君が行かなくちゃ。
ホームズが彼女に近づいていく。ぼくは少し離れた場所、廊下と中庭を仕切る低い塀に身を潜めた。
ぱきっ、と枯れ枝を踏む音が聞こえた。どうやらホームズが踏んでしまったようだ。
その小さな音に彼女が振り向く。ぼくはぎりぎりまで隠れて、二人の様子を見守った。
お互いに驚いた顔をしている。そういえばまともに会うのは久しぶりだ。
なんとなく場が張り詰めていく、そんな気がした。
先に話を切り出したのはホームズの方だった。
「奇遇だね」
「シャーロック。え、ええ……散歩?」
「そんなところ、かな。君は読書?」
「うん。……そんなところ」
なんてぎこちない会話なんだ。聞いていて溜息が出てくる。
お互いに何をしていたのか、その確認だけの会話で終了した。
普段はもっと他愛ない話が続くのに。やっぱり、彼女は様子がおかしかった。
「今日はいい天気だね。気温も穏やかだ」
「そうね。それなのに、貴方の鼻や耳が真っ赤になってるわ」
「これは、さっきから校内を歩き回ってたからだ」
「事件の捜査?」
「半分正解で、半分違う。……君を探していた」
いくら無難な話の切り出し方といっても、天気の話から入るなんて。
二度目の溜息が出てきそうになった。でも、キリカは急に言葉を詰まらせた。
目を伏せている彼女の横顔は本当に悲しげだった。
「ごめんなさい」
「日本人がすぐ謝るっていうのは本当らしいね。別に君は謝るようなことをしていない」
「そんなことないわ。……だって、怒っているでしょう?」
「じゃあ逆に聞くけど、なぜ君はぼくが怒っていると思うんだい」
おいおい、ホームズ。これじゃあケンカ売ってるみたいだよ。
そんな風に冷たく言い放ったら彼女が傷つくじゃないか。
ぼくは塀にかけた手に思わず力を入れてしまった。ぱきっという小さな音を立てて、塀の破片がぼくの方へ落ちた。
その時、ホームズがこちらを見たような気がして慌てて頭を引っ込める。
「……私が、避けているからよね。あの、ね。この間、ロイロット先生に貴方とは関わらない方がいいって言われたの」
彼の言ったとおりだった。
彼女はロイロット先生にあの晩忠告を受けていたんだ。
「私はそうするの嫌だった。どうして先生はあんなに酷いことを言うのかしら。すごく悲しかった。だって、貴方はとてもいい人だし、私の大事な友達ですもの」
「そんな風に言われるのは慣れているさ。でも。君の言動には矛盾が生じている」
「私が先生の忠告を無視して会っていたら、今度咎められるのはシャーロックの方だと思ったの。私、それが嫌だった。貴方に迷惑かけたくなかった」
控えめで大人しい、キリカらしい理由だった。
「迷惑なんかじゃない。むしろ君が居ないと調子が狂うんだ。ワトソンはぼくが実験に失敗して部屋を爆破させてしまうんじゃないかって危惧してる。……今のは例えで、それぐらい調子が悪い」
ぼくはそこまで言ってないぞ。
部屋を爆破なんてされたら堪ったもんじゃない。
塀からそっと覗いてみると、さっきまで俯いていた彼女がくすくすと笑みを零していた。
「シャーロックがそんなジョーク言うなんて珍しいわね」
「そんなに面白いことを言ったつもりはない」
「うん。でも、ね。ああ、おかしい。久々に笑った気がする」
「ぼくも君の笑った顔を見るの久しぶりだ。その、良かったら前みたいに遊びに来て欲しい。ぼくは先生からの目なんて気にしない。君さえよければ」
ホームズの言葉に彼女は小さく頷いた。
どうやらこの事件は解決したようだ。
他人にとっては小さな、いや目にも留めないような事件なんだろうけど。ぼくたちにとっては重大な事件だった。
「ありがとうございました!」
ベイカー寮の男子生徒が礼儀正しく頭を下げて部屋を退出した。
今日の依頼人は一年生の彼でどうやら最後のようだった。彼が帰ったきり、誰もこの部屋をノックする人はいない。
大勢の依頼人がホームズを尋ねてきたせいで、彼はぐったりとソファにもたれかかっていた。
最初はソファに背をもたれていたのだけど、段々その姿勢が崩れていって最後には横になった。
随分お疲れの様子だ。無理もないか。だって今日は二十人近く来ていたから。
ホームズはソファの上でごろんと寝返りを打った。
今日はもうやる気が出ない。何もする気力もない。そんな疲れた顔だ。
それともう一つ。どこか浮かない表情をしていた。
ぼくは書きかけの壁新聞を床に広げて、インクの瓶と羽ペンに手を伸ばした。
依頼人が来ている間はやりたいことができない。ようやく自分のことに取り掛かることができる。
紙の四隅を本で留め、あの日記帳をぱらぱらと捲る。書き留めた事件を見ながら文章を考えて、羽ペンを動かす。その作業を繰り返した。
一つの記事が書きあがって、一息つこうとぼくは屈めていた上半身を起こした。
何気なくソファの方を見るとまだホームズは横になっていた。さっきと変わらない。目を閉じている。
「そんな所で寝ていたら風邪を引くよ」
「寝てない」
「退屈そうだね」
「話し相手もいないからね」
「普段は人の話なんて聞かないくせに。……最近、キリカも来ないね」
ぼくがぽつりと呟くとホームズは薄っすらと目を開けた。
彼と視線が交わることはない。ぼんやりと虚ろな瞳をどこかに向けている。
平日の放課後や休日はキリカがよく221Bに遊びに来ていた。
いつもなら楽しいお喋りをしている時間だ。そのはずが今はこの有様。
彼女が訪れて来なくなってからもう一週間が経つ。おかげで壁新聞の制作が捗るけど、少し寂しい。
どうして来なくなったんだろう。授業の合間とかにはいつも通り話をするけれど。
「どこかクラブに入ったのかな。まだクラブには入ってなかったみたいだし」
「それはない。入りたいクラブがないって言ってただろう」
「じゃあ、他に仲の良い友達ができて、その友達と一緒にいるとか。……ちょっと寂しいね」
「その可能性も低い。それなら移動中も一緒に行動するはずだ。特に女子は群れを作る」
「ああ、そうか。授業の合間はぼくらと話をしているものね」
「正しく言い直せば”君と”だ」
わざわざホームズが言い直した。それに違和感を覚える。
思い返してみれば、確かにそうだ。彼女はぼくに話しかけてくるけど、ホームズとは直接話をしていない。
ぼくとホームズが話をしている時に相槌を打つ程度だ。
「ホームズ。もしかして君、避けられてる?」
「傷つく言い方だな」
「ごめん。だってそう考えることができたから。でも、君でもそんな風に思うんだね。意外だなあ」
「彼女がこの部屋を訪れたのはちょうど一週間前。その翌日から彼女の態度、行動が変わった」
ホームズはぼくの話を聞かずに推理を述べ始めた。いつも通りと言えばいつも通りだ。
彼の推理がよく聞こえるように、ぼくはソファの方へ四つん這いのまま近づいた。
「何かあったと考えるなら、彼女がこの部屋を出てから翌日までの数時間。あの日、まだ早い時間帯に見回りのロイロット先生がベイカー寮を出て行くのを見かけた」
「えっ。そうなの?いつもアーチャー寮から回ってるのに」
「だからおかしいと思った。もしかしたら彼女はその時に先生に捕まってしまったのかもしれない。そして恐らくこう言われたんだ『問題児のホームズとは関わるな』と」
そこでホームズはソファから身体を起こして座り直した。
頬杖をついている彼の表情は実に不満そう。「あの先生が言いそうなことだよ」と憎たらしげに呟く。
それにしても、そこまで推理できるなんて相変わらず彼の洞察力に感心してしまう。
「なるほどね。それで君もご機嫌斜めってわけだ」
「別にぼくは普段通りだ」
「そうかな。趣味の化学実験も失敗続きじゃないか」
彼が使っている実験用の机には真っ黒になった試験管が何本も並んでいる。
「失敗だ」というホームズのぼやきをぼくは十二回はカウントした。
このままじゃ机ごと真っ黒な炭にしてしまうんじゃないかと。いらない心配をするぼくがいる。
「ホームズ。なんとかしたいなら自分から行動しなきゃダメだ。このままじゃずっとすれ違ってばかりだよ」
「ワトソン、君の言い方はまるで恋人の喧嘩を仲裁するような口振りだ」
「ぼくは君がいつか机を燃やしてしまわないか心配だよ。……彼女が先生に注意されただけで避けるようになるなんて、ぼくには考えられないな。だって、あんなに仲が良かったんだし。きっと何が理由があるはずだ」
「どんな?」
「それは、自分で確かめに行った方が早いよ。ほら、早く早く!」
案ずるより生むがやすし、だ。日本にはこんな諺があるとキリカが言っていた。
ぼくはホームズを無理やりソファから立たせて部屋から連れ出した。
勢いよく部屋を飛び出したのはいいけど、肝心の居場所がわからない。
音楽室、図書室、教室。彼女がいそうな場所を次々と回っていった。でも、彼女は見つからない。
室内と外を行き来していたせいで手足が冷たくなった。
あちこち探し回ったあとで、ぼくはある場所を思い出した。まだそこには行っていない。もしかしたらあそこにいるかもしれない。
ぼくは渋るホームズを引き連れて中庭へ向かった。
中庭に続く廊下から彼女の姿を見つけた。ベンチに座って、ぼんやりと景色を眺めている。
あのベンチはぼくらが最初に会話を交わした場所だ。彼女の隣に栞を挟んだ本が置いてあった。
幸いなことに、まだ彼女はぼくらの存在に気づいていない。
ぼくはホームズの背中を押しやって、彼女の所に行くように言った。
彼が一度振り向いてぼくを睨みつけた。ぼくが行っても仕方がないだろ。君が行かなくちゃ。
ホームズが彼女に近づいていく。ぼくは少し離れた場所、廊下と中庭を仕切る低い塀に身を潜めた。
ぱきっ、と枯れ枝を踏む音が聞こえた。どうやらホームズが踏んでしまったようだ。
その小さな音に彼女が振り向く。ぼくはぎりぎりまで隠れて、二人の様子を見守った。
お互いに驚いた顔をしている。そういえばまともに会うのは久しぶりだ。
なんとなく場が張り詰めていく、そんな気がした。
先に話を切り出したのはホームズの方だった。
「奇遇だね」
「シャーロック。え、ええ……散歩?」
「そんなところ、かな。君は読書?」
「うん。……そんなところ」
なんてぎこちない会話なんだ。聞いていて溜息が出てくる。
お互いに何をしていたのか、その確認だけの会話で終了した。
普段はもっと他愛ない話が続くのに。やっぱり、彼女は様子がおかしかった。
「今日はいい天気だね。気温も穏やかだ」
「そうね。それなのに、貴方の鼻や耳が真っ赤になってるわ」
「これは、さっきから校内を歩き回ってたからだ」
「事件の捜査?」
「半分正解で、半分違う。……君を探していた」
いくら無難な話の切り出し方といっても、天気の話から入るなんて。
二度目の溜息が出てきそうになった。でも、キリカは急に言葉を詰まらせた。
目を伏せている彼女の横顔は本当に悲しげだった。
「ごめんなさい」
「日本人がすぐ謝るっていうのは本当らしいね。別に君は謝るようなことをしていない」
「そんなことないわ。……だって、怒っているでしょう?」
「じゃあ逆に聞くけど、なぜ君はぼくが怒っていると思うんだい」
おいおい、ホームズ。これじゃあケンカ売ってるみたいだよ。
そんな風に冷たく言い放ったら彼女が傷つくじゃないか。
ぼくは塀にかけた手に思わず力を入れてしまった。ぱきっという小さな音を立てて、塀の破片がぼくの方へ落ちた。
その時、ホームズがこちらを見たような気がして慌てて頭を引っ込める。
「……私が、避けているからよね。あの、ね。この間、ロイロット先生に貴方とは関わらない方がいいって言われたの」
彼の言ったとおりだった。
彼女はロイロット先生にあの晩忠告を受けていたんだ。
「私はそうするの嫌だった。どうして先生はあんなに酷いことを言うのかしら。すごく悲しかった。だって、貴方はとてもいい人だし、私の大事な友達ですもの」
「そんな風に言われるのは慣れているさ。でも。君の言動には矛盾が生じている」
「私が先生の忠告を無視して会っていたら、今度咎められるのはシャーロックの方だと思ったの。私、それが嫌だった。貴方に迷惑かけたくなかった」
控えめで大人しい、キリカらしい理由だった。
「迷惑なんかじゃない。むしろ君が居ないと調子が狂うんだ。ワトソンはぼくが実験に失敗して部屋を爆破させてしまうんじゃないかって危惧してる。……今のは例えで、それぐらい調子が悪い」
ぼくはそこまで言ってないぞ。
部屋を爆破なんてされたら堪ったもんじゃない。
塀からそっと覗いてみると、さっきまで俯いていた彼女がくすくすと笑みを零していた。
「シャーロックがそんなジョーク言うなんて珍しいわね」
「そんなに面白いことを言ったつもりはない」
「うん。でも、ね。ああ、おかしい。久々に笑った気がする」
「ぼくも君の笑った顔を見るの久しぶりだ。その、良かったら前みたいに遊びに来て欲しい。ぼくは先生からの目なんて気にしない。君さえよければ」
ホームズの言葉に彼女は小さく頷いた。
どうやらこの事件は解決したようだ。
他人にとっては小さな、いや目にも留めないような事件なんだろうけど。ぼくたちにとっては重大な事件だった。