S・H人形劇
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問題児 前編
目の前に薄暗い廊下がずっと先まで続いているような気がした。
見慣れたはずのベイカー寮の廊下なのに、昼と夜では顔が違う。
このことを二人に話したら、ジョンが親切に「送っていこうか」と声をかけてくれた。
でも、部屋まで送ってもらう程の距離ではないし。丁重にお断りした。
221Bでお喋りを楽しんだあとは大体決まった時間に私は部屋を後にする。
生活指導のロイロット先生が見回りを始める前に自分の部屋に戻らないといけない。
カツ、カツ、カツと自分の靴音が響いて廊下を歩いていく。どんなに音を立てないよう歩いても、廊下の静けさに負けてしまう。
いっそのこと早歩きで部屋に駆け込んだ方がいいかもしれない。
先生もアーチャー寮から見回りを始めるだろうし。
そう思い込んだのが間違いだった。
歩く速度を上げた私は曲がり角でロイロット先生と鉢合わせ。
ああ、なんて運がないんだろう。今一番会いたくなかった人だわ。
私は驚きのあまり声を失いそうになる。それでも先生に挨拶をした。
「こ、こんばんは。ロイロット先生」
「ミスハヅキ。もうすぐ消灯時間だと言うのにこんな所で何をしているのかね」
「お友達の所で話が弾んでしまって……自分の部屋に帰る途中です」
「お友達とは、ホームズとワトソンのことかね」
ロイロット先生の顔が一層険しくなる。普段から厳しい先生だから、余計に怖く見えた。
私が素直に「はい」と答えると、片眉を吊り上げた。
「君はホームズと面識があるようだが、ヤツはろくでもない問題児だ。関わらない方がいい」
「え……でも」
「この学校一の問題児だ。あいつに関わると君まで落ちぶれる!今後は関わることのないようにしたまえ」
「……はい」
「それでは、早く部屋に戻りなさい。おやすみ、ミスハヅキ」
「おやすみなさい、ロイロット先生」
私は先生に頭を下げて、急ぎ足で自分の部屋に向かった。
まるで逃げるようにして部屋に滑り込んだ。
ドアを閉めたと同時に、同じ部屋の子に「おかえり」と声をかけられる。私の肩が少しだけ跳ね上がった。
「どうしたの?」と聞かれて、私は力なく笑いかけながら「なんでもない。ただいま」とだけ言った。
彼女はもう寝るみたいで、寝巻き姿で大きな欠伸をしていた。
「おやすみなさい。ちょっと早いけど、もう寝るね」
「うん。おやすみなさい」
彼女がベッドにもぐりこんで灯りを消す前に、私は慌てて自分のスペースの灯りをつけた。
一瞬だけ部屋が暗闇に包まれる。その後、すぐに私のランプがぼんやりと辺りを照らし始めた。
私はベッドに腰掛けて、首もとのスカーフを解いた。
自分の部屋に戻ってきたというのに、虚無感に包まれていた。ぽっかりと胸に穴が空いたみたい。
彼はいい人なのに。どうしてあんなに酷いことを先生方は言うのだろう。
ベッドに横になっても、さっきの先生の言葉が頭から離れなかった。
目からはいつの間にか涙がこぼれて来て、雫がシーツに吸い込まれていった。
*
私は221Bの部屋をノックしようとして手を伸ばした。
けれど、ノックをする前に私の腕は引っ込められていた。
中から彼とジョンの話し声が聞こえてくる。
私はそれに背を向けて、気づかれないよう立ち去った。
ベイカー寮を出ると真冬の太陽が中庭を照らしていた。
久しぶりに晴れたから空気もすがすがしい。
放課後のこの時間、部活動も盛んに行われていた。
私は宛てもなくふらふらと歩いている。
どこへ行こうか考えている途中、廊下でキャンバスとイーゼルを抱えた男子生徒と出会った。
カラフルな汚れのついたエプロン姿のダンカン・ロスが片手を挙げにくそうに挨拶をしてくれる。
「やあ、キリカ」
「ごきげんよう、ロス」
私は彼がこれからどこへ向かうのかすぐにピンときた。
キャンバスには描きかけの野鳥の輪郭。きっと立ち入り禁止区域に行くんだろう。
「これから絵画クラブの活動?」
「ああ、まあ、そんなところ」
「ロスは室内で描くよりも、外で写生する方が好きなのね」
「うん。ぼくは静物画よりも生き物を描いている方が良いんだ」
「貴方が描く絵、シャーマンも褒めてたわ。かわいいって」
「そうか。なんだか照れるな。君は?暇を持て余しているようだけど」
どうして私がこんな所で油を売っているってわかったのかしら。
もしかしたら顔に書いてあったのかも。
私はとりあえず暇が潰せそうな場所を思い浮かべて、最適な場所を選んだ。
「ええ。……図書館にでも行こうかしら」
「じゃあそこまで一緒に行こう。ぼく達途中まで向かう所が一緒だからね」
「そうね」
彼と二人肩を並べて歩き出した。
私が何か道具を持つのを手伝おうかと言えば「君にそんなことさせられないよ」と断られてしまう。
真っ直ぐな廊下を歩いていくうちに、ふと彼が赤毛に扮したという事件を思い出した。
彼の髪は茶髪でごくありふれた色。だから、赤毛のロスも実際に見てみたかった。
一体どんな風なのかしらと考えていたら、自然と笑みがこぼれてしまった。
「何か面白いことでもあった?」
「ううん。なんでもない」
「そういえば、君、ホームズと仲が良いみたいだね。シャーロック・ホームズ」
そう聞かれた時、私は胸がどきりとした。
今考えていたことがばれていたのかと。その赤毛の事件を解いたのも彼だったから。
「……ええ。シャーロックとジョン、あの二人は一番の友達」
「それにしては浮かない顔をしている。喧嘩でもした?」
「ううん。違うわ。……私、そんなに浮かない顔してる?」
「試験で赤点を取ったような顔してる。ぼくでよければ話を聞くよ。話した方がすっきりするだろうし。君が話したければ、だけど」
「ありがとう」
一人で抱え込んでいても、ずっともやもやしているだけかもしれない。
確かにロスの言うとおり、誰かに話してしまった方がすっきりもするし、なにか糸口が見つかるかも。
私は昨日のことや今まで聞いたことを彼に話し始めた。
「彼、シャーロックは先生方に評判が良くないのね」
「ああ、まあ……評判は良くないかもな」
「昨日、ロイロット先生に言われたの。彼に関わるとロクなことがないぞ、って」
「ロイロット先生か。あの人、生活指導担当だから余計に厳しいな」
「彼は知識にそれこそ偏りはあるけど、とてもタメになることを話してくれる。先生方が言うほど悪い人じゃないわ」
「そうだな」と答えたロスがおかしそうに笑みを浮かべた。
私、何かおかしなこと言ったのかしら。そう尋ねると彼は笑いながら首を横に振った。
「いや、そうやってホームズを庇う人がいるんだなあと思って。初めて見たよ」
「私、変かしら」
「いいや、ちっとも。彼の周りは普段、人が集まらないだろ。でも、解決して欲しい事件があると蟻のように群がってくる」
人付き合いが悪い、と言っていたジョンの言葉がその時浮かんだ。
でも、休日になると彼の元を訪れる人は絶えない。
自分の欲求を満たそうとする時だけ、人は手の平を返したように態度を変えるんだ。とロスが言った。
「でも君はどんな時でも普段から彼のそばにいる」
「ええ」
「多分、大勢の中の誰かが彼の所を訪れるよりも、いつもそばにいる人が来てくれる方が何倍も安心できるんじゃないかな」
「……安心、できる」
「その様子だと、先生に言われたことを気にしているんだろ?もうホームズとは関わるな!とか」
「どうしてわかったの」
驚いた。一言もそんな風には言わなかったのに。
彼はキャンバスとイーゼルを抱えたまま胸を張って答える。
「絵を描く為に必要な観察力が養われるからね。まあ、ホームズまでとはいかないけど」
「……彼に会いに行ったら、迷惑じゃないかって思ってるの。だって、私が先生の忠告を無視して会っていたら、今度咎められるのはシャーロックの方だわ」
「大丈夫じゃないかな。ホームズ、そういうの気にしなさそうなタイプだと思う。だから先生方からは問題児だって言われてるんだよ。言うことを聞かないからさ」
目の前に薄暗い廊下がずっと先まで続いているような気がした。
見慣れたはずのベイカー寮の廊下なのに、昼と夜では顔が違う。
このことを二人に話したら、ジョンが親切に「送っていこうか」と声をかけてくれた。
でも、部屋まで送ってもらう程の距離ではないし。丁重にお断りした。
221Bでお喋りを楽しんだあとは大体決まった時間に私は部屋を後にする。
生活指導のロイロット先生が見回りを始める前に自分の部屋に戻らないといけない。
カツ、カツ、カツと自分の靴音が響いて廊下を歩いていく。どんなに音を立てないよう歩いても、廊下の静けさに負けてしまう。
いっそのこと早歩きで部屋に駆け込んだ方がいいかもしれない。
先生もアーチャー寮から見回りを始めるだろうし。
そう思い込んだのが間違いだった。
歩く速度を上げた私は曲がり角でロイロット先生と鉢合わせ。
ああ、なんて運がないんだろう。今一番会いたくなかった人だわ。
私は驚きのあまり声を失いそうになる。それでも先生に挨拶をした。
「こ、こんばんは。ロイロット先生」
「ミスハヅキ。もうすぐ消灯時間だと言うのにこんな所で何をしているのかね」
「お友達の所で話が弾んでしまって……自分の部屋に帰る途中です」
「お友達とは、ホームズとワトソンのことかね」
ロイロット先生の顔が一層険しくなる。普段から厳しい先生だから、余計に怖く見えた。
私が素直に「はい」と答えると、片眉を吊り上げた。
「君はホームズと面識があるようだが、ヤツはろくでもない問題児だ。関わらない方がいい」
「え……でも」
「この学校一の問題児だ。あいつに関わると君まで落ちぶれる!今後は関わることのないようにしたまえ」
「……はい」
「それでは、早く部屋に戻りなさい。おやすみ、ミスハヅキ」
「おやすみなさい、ロイロット先生」
私は先生に頭を下げて、急ぎ足で自分の部屋に向かった。
まるで逃げるようにして部屋に滑り込んだ。
ドアを閉めたと同時に、同じ部屋の子に「おかえり」と声をかけられる。私の肩が少しだけ跳ね上がった。
「どうしたの?」と聞かれて、私は力なく笑いかけながら「なんでもない。ただいま」とだけ言った。
彼女はもう寝るみたいで、寝巻き姿で大きな欠伸をしていた。
「おやすみなさい。ちょっと早いけど、もう寝るね」
「うん。おやすみなさい」
彼女がベッドにもぐりこんで灯りを消す前に、私は慌てて自分のスペースの灯りをつけた。
一瞬だけ部屋が暗闇に包まれる。その後、すぐに私のランプがぼんやりと辺りを照らし始めた。
私はベッドに腰掛けて、首もとのスカーフを解いた。
自分の部屋に戻ってきたというのに、虚無感に包まれていた。ぽっかりと胸に穴が空いたみたい。
彼はいい人なのに。どうしてあんなに酷いことを先生方は言うのだろう。
ベッドに横になっても、さっきの先生の言葉が頭から離れなかった。
目からはいつの間にか涙がこぼれて来て、雫がシーツに吸い込まれていった。
*
私は221Bの部屋をノックしようとして手を伸ばした。
けれど、ノックをする前に私の腕は引っ込められていた。
中から彼とジョンの話し声が聞こえてくる。
私はそれに背を向けて、気づかれないよう立ち去った。
ベイカー寮を出ると真冬の太陽が中庭を照らしていた。
久しぶりに晴れたから空気もすがすがしい。
放課後のこの時間、部活動も盛んに行われていた。
私は宛てもなくふらふらと歩いている。
どこへ行こうか考えている途中、廊下でキャンバスとイーゼルを抱えた男子生徒と出会った。
カラフルな汚れのついたエプロン姿のダンカン・ロスが片手を挙げにくそうに挨拶をしてくれる。
「やあ、キリカ」
「ごきげんよう、ロス」
私は彼がこれからどこへ向かうのかすぐにピンときた。
キャンバスには描きかけの野鳥の輪郭。きっと立ち入り禁止区域に行くんだろう。
「これから絵画クラブの活動?」
「ああ、まあ、そんなところ」
「ロスは室内で描くよりも、外で写生する方が好きなのね」
「うん。ぼくは静物画よりも生き物を描いている方が良いんだ」
「貴方が描く絵、シャーマンも褒めてたわ。かわいいって」
「そうか。なんだか照れるな。君は?暇を持て余しているようだけど」
どうして私がこんな所で油を売っているってわかったのかしら。
もしかしたら顔に書いてあったのかも。
私はとりあえず暇が潰せそうな場所を思い浮かべて、最適な場所を選んだ。
「ええ。……図書館にでも行こうかしら」
「じゃあそこまで一緒に行こう。ぼく達途中まで向かう所が一緒だからね」
「そうね」
彼と二人肩を並べて歩き出した。
私が何か道具を持つのを手伝おうかと言えば「君にそんなことさせられないよ」と断られてしまう。
真っ直ぐな廊下を歩いていくうちに、ふと彼が赤毛に扮したという事件を思い出した。
彼の髪は茶髪でごくありふれた色。だから、赤毛のロスも実際に見てみたかった。
一体どんな風なのかしらと考えていたら、自然と笑みがこぼれてしまった。
「何か面白いことでもあった?」
「ううん。なんでもない」
「そういえば、君、ホームズと仲が良いみたいだね。シャーロック・ホームズ」
そう聞かれた時、私は胸がどきりとした。
今考えていたことがばれていたのかと。その赤毛の事件を解いたのも彼だったから。
「……ええ。シャーロックとジョン、あの二人は一番の友達」
「それにしては浮かない顔をしている。喧嘩でもした?」
「ううん。違うわ。……私、そんなに浮かない顔してる?」
「試験で赤点を取ったような顔してる。ぼくでよければ話を聞くよ。話した方がすっきりするだろうし。君が話したければ、だけど」
「ありがとう」
一人で抱え込んでいても、ずっともやもやしているだけかもしれない。
確かにロスの言うとおり、誰かに話してしまった方がすっきりもするし、なにか糸口が見つかるかも。
私は昨日のことや今まで聞いたことを彼に話し始めた。
「彼、シャーロックは先生方に評判が良くないのね」
「ああ、まあ……評判は良くないかもな」
「昨日、ロイロット先生に言われたの。彼に関わるとロクなことがないぞ、って」
「ロイロット先生か。あの人、生活指導担当だから余計に厳しいな」
「彼は知識にそれこそ偏りはあるけど、とてもタメになることを話してくれる。先生方が言うほど悪い人じゃないわ」
「そうだな」と答えたロスがおかしそうに笑みを浮かべた。
私、何かおかしなこと言ったのかしら。そう尋ねると彼は笑いながら首を横に振った。
「いや、そうやってホームズを庇う人がいるんだなあと思って。初めて見たよ」
「私、変かしら」
「いいや、ちっとも。彼の周りは普段、人が集まらないだろ。でも、解決して欲しい事件があると蟻のように群がってくる」
人付き合いが悪い、と言っていたジョンの言葉がその時浮かんだ。
でも、休日になると彼の元を訪れる人は絶えない。
自分の欲求を満たそうとする時だけ、人は手の平を返したように態度を変えるんだ。とロスが言った。
「でも君はどんな時でも普段から彼のそばにいる」
「ええ」
「多分、大勢の中の誰かが彼の所を訪れるよりも、いつもそばにいる人が来てくれる方が何倍も安心できるんじゃないかな」
「……安心、できる」
「その様子だと、先生に言われたことを気にしているんだろ?もうホームズとは関わるな!とか」
「どうしてわかったの」
驚いた。一言もそんな風には言わなかったのに。
彼はキャンバスとイーゼルを抱えたまま胸を張って答える。
「絵を描く為に必要な観察力が養われるからね。まあ、ホームズまでとはいかないけど」
「……彼に会いに行ったら、迷惑じゃないかって思ってるの。だって、私が先生の忠告を無視して会っていたら、今度咎められるのはシャーロックの方だわ」
「大丈夫じゃないかな。ホームズ、そういうの気にしなさそうなタイプだと思う。だから先生方からは問題児だって言われてるんだよ。言うことを聞かないからさ」