鋼の錬金術師
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眼鏡の男-伝承-
真っ白な空間に私は立っていた。
空も太陽もない。景色なんて皆無。地面すらなくて、自分の影すらない。
もはや立っているのか浮いているのかもわからない。
「ようこそ。お嬢さん」
突然聞こえた声に私は振り向いた。
距離の感覚がつかめないけど、そこには銀色の髪をした男の人が立っている。
銀縁の眼鏡の奥で目が笑った。
ああ、そういうことか。
不確かな不安要素がすっと消えて溶けていった。
ここは死者を案内する黄泉の国への入り口。
それなら何も不思議はない。
私の頭は恐ろしいほど冷静で、落ち着いていた。
「わたし、死んだのね」
「とんでもない。君はここにいるじゃないか、まだ此処にね」
「ここは死者を誘う分岐点、そうなんでしょ」
「少し違う。此処は世界と世界を繋ぐ場所。僕は生者を案内する役目の者さ」
「世界と、世界を……繋ぐ」
私はその言葉を繰り返した。
意味はわかるけど、いまいち信じられない。
「君も経験あるはずだ。嘘のような夢のような話。違う世界からやってきた金髪三つ編みの少年」
「……エド。彼を知っているのね」
彼を知っていた。
ということは、ここは本当に世界を繋ぐ場所なのかもしれない。
「うん。彼には色々と言葉をもらったよ。いつの話だったか……もう何年も前な気もするし、昨日だったような気もする」
その人は顎をさすって、首を捻っている。
ひとつひとつの仕草に品が見え隠れしていた。
懐中時計を取り出すのも、蓋をあける動作も、どこか執事みたいだ。
「ここは時間の概念があやふやなのさ。だから、いつとは正確にはわからない」
「時間が流れていない?」
「簡単に言えばそうだね。さて……君は此処に来た。此処は世界と世界を繋ぐエントランス。望めば別の世界へ案内することができる」
懐中時計がポケットにしまわれる。
下を向いていた視線が私に向けられた。
かつての彼もこの場所を経て、私の世界にやって来たのだろうか。
彼は一ヶ月程度で元の世界へ還っていった。
ということは、その世界に留まれる時間に制限があるのかもしれない。
「その世界に居られる期間は一ヶ月なの?」
「え?そんなことはないけれど。……ああ!そっか、彼がそうだったから。うんうん、なるほどね。いいや、期限はないよ」
「でも、彼は一ヶ月で還っていったわ」
「それはあのチビさんが此処の存在、別の世界の存在を信じてなかったから。だから、お試し期間ということで一ヶ月」
随分と変わったシステム。
別の世界を体験するのに一ヶ月だけいいよ、なんて気前が良すぎる。
でも、彼は自分の世界以外が存在することを信じていなかったんだ。
「君にはお試し期間というのは存在しない。向こうの世界へ往くか、往かないか。その二択さ」
「……その世界に、彼がいるの?」
「往きたい世界は自由に選べるよ。強く望めばその世界へ往ける。まあ、君はもう往きたい世界が決まっているみたいだけど」
「……」
私は左手の指輪をそっとなぞった。
強く望めば、もう一度彼に会うことができるかもしれない。
でも、すぐに会えるとは限らない。
彼は旅をしていると言っていた。上手い具合に鉢合わせできるなんてことは都合が良すぎる。
「ドアをくぐらない限り、自分の世界に帰ることができる。何もなかったようにね」
彼の指がぱちんと弾かれた。
すると目の前にスケッチで描くように家の輪郭が現れていく。
透明な絵の具で描かれたような家。
でも、色がなくてそこに存在しているかあやふや。
「但し。別の世界に行く為にはそれなりの代価が必要だ。財産、所持品、身体の一部、記憶や自分の名前……なんでも」
「代価を支払わないと通れないのね、このドアを」
「うーん。支払うという意味ではないのさ。それらを此処に預けていってもらう」
「預ける?」
「このドアを通るには何かを置いていかなければならない。身軽でないと向こうの世界で暮らしにくいからね」
「なるほど。わかりやすい説明ありがとう」
私は改めて目の前の家を見上げた。
質感のない家は本当に不思議なもの。
その家をずっと見上げている私に、彼は答えを急かすことなく待っていてくれた。
「私は」
全てを投げ捨てていく勇気が自分にはあるのだろうか。
戻ってこれるとは言っているけど、保証はどこにもない。
ただ、このチャンスを逃したらこの先一生、彼に会うことはできない。
私にはそんな気がしていた。
彼の顔が、頭にちらついた。
彼に会いたい。
天秤のように揺れ動いていた私の心は大きく傾いた。
「決めたわ。代価に見合うかはわからないけど、私の、私のこの世界の記憶を全て此処に置いていくわ」
「充分すぎるよ」
「でも、ひとつだけお願い。彼のことだけは忘れたくないの。だって、名前も顔もわからなかったら、あっちで好きな人も探せない」
私は笑いながらそう言っているつもりだった。
でも、銀髪の彼は悲しげに微笑んでいた。
もしかしたら、私は笑っていないのかもしれない。
「君の言う通りだ。それじゃあ、君の世界での記憶を預かることにするよ。彼のことを除いてね」
「ありかとう」
目の前のドアがひとりでに開いた。
中にはもやが溜まっている。
色々な景色が映っているそれは前にも見たことがあった。
玄関の石段に足を踏み出した時、そこで呼び止められた。
そんな気がしていたのだけど、彼の言っている言葉が途切れ途切れでよく聞こえなかった。
「ある人から預かったモノを君に託そう。心配要らない。もう、その人にはそれが必要ないみたいだからね」
私にはよく聞こえていない、そうわかったのか彼は片手をあげてにこやかに手を振っていた。
見送りの彼に私も手を振り返した。
それから前を向いて、ドアの中へ足を踏み込んだ。
「会えるといいね、好きな人に」
真っ白な空間に私は立っていた。
空も太陽もない。景色なんて皆無。地面すらなくて、自分の影すらない。
もはや立っているのか浮いているのかもわからない。
「ようこそ。お嬢さん」
突然聞こえた声に私は振り向いた。
距離の感覚がつかめないけど、そこには銀色の髪をした男の人が立っている。
銀縁の眼鏡の奥で目が笑った。
ああ、そういうことか。
不確かな不安要素がすっと消えて溶けていった。
ここは死者を案内する黄泉の国への入り口。
それなら何も不思議はない。
私の頭は恐ろしいほど冷静で、落ち着いていた。
「わたし、死んだのね」
「とんでもない。君はここにいるじゃないか、まだ此処にね」
「ここは死者を誘う分岐点、そうなんでしょ」
「少し違う。此処は世界と世界を繋ぐ場所。僕は生者を案内する役目の者さ」
「世界と、世界を……繋ぐ」
私はその言葉を繰り返した。
意味はわかるけど、いまいち信じられない。
「君も経験あるはずだ。嘘のような夢のような話。違う世界からやってきた金髪三つ編みの少年」
「……エド。彼を知っているのね」
彼を知っていた。
ということは、ここは本当に世界を繋ぐ場所なのかもしれない。
「うん。彼には色々と言葉をもらったよ。いつの話だったか……もう何年も前な気もするし、昨日だったような気もする」
その人は顎をさすって、首を捻っている。
ひとつひとつの仕草に品が見え隠れしていた。
懐中時計を取り出すのも、蓋をあける動作も、どこか執事みたいだ。
「ここは時間の概念があやふやなのさ。だから、いつとは正確にはわからない」
「時間が流れていない?」
「簡単に言えばそうだね。さて……君は此処に来た。此処は世界と世界を繋ぐエントランス。望めば別の世界へ案内することができる」
懐中時計がポケットにしまわれる。
下を向いていた視線が私に向けられた。
かつての彼もこの場所を経て、私の世界にやって来たのだろうか。
彼は一ヶ月程度で元の世界へ還っていった。
ということは、その世界に留まれる時間に制限があるのかもしれない。
「その世界に居られる期間は一ヶ月なの?」
「え?そんなことはないけれど。……ああ!そっか、彼がそうだったから。うんうん、なるほどね。いいや、期限はないよ」
「でも、彼は一ヶ月で還っていったわ」
「それはあのチビさんが此処の存在、別の世界の存在を信じてなかったから。だから、お試し期間ということで一ヶ月」
随分と変わったシステム。
別の世界を体験するのに一ヶ月だけいいよ、なんて気前が良すぎる。
でも、彼は自分の世界以外が存在することを信じていなかったんだ。
「君にはお試し期間というのは存在しない。向こうの世界へ往くか、往かないか。その二択さ」
「……その世界に、彼がいるの?」
「往きたい世界は自由に選べるよ。強く望めばその世界へ往ける。まあ、君はもう往きたい世界が決まっているみたいだけど」
「……」
私は左手の指輪をそっとなぞった。
強く望めば、もう一度彼に会うことができるかもしれない。
でも、すぐに会えるとは限らない。
彼は旅をしていると言っていた。上手い具合に鉢合わせできるなんてことは都合が良すぎる。
「ドアをくぐらない限り、自分の世界に帰ることができる。何もなかったようにね」
彼の指がぱちんと弾かれた。
すると目の前にスケッチで描くように家の輪郭が現れていく。
透明な絵の具で描かれたような家。
でも、色がなくてそこに存在しているかあやふや。
「但し。別の世界に行く為にはそれなりの代価が必要だ。財産、所持品、身体の一部、記憶や自分の名前……なんでも」
「代価を支払わないと通れないのね、このドアを」
「うーん。支払うという意味ではないのさ。それらを此処に預けていってもらう」
「預ける?」
「このドアを通るには何かを置いていかなければならない。身軽でないと向こうの世界で暮らしにくいからね」
「なるほど。わかりやすい説明ありがとう」
私は改めて目の前の家を見上げた。
質感のない家は本当に不思議なもの。
その家をずっと見上げている私に、彼は答えを急かすことなく待っていてくれた。
「私は」
全てを投げ捨てていく勇気が自分にはあるのだろうか。
戻ってこれるとは言っているけど、保証はどこにもない。
ただ、このチャンスを逃したらこの先一生、彼に会うことはできない。
私にはそんな気がしていた。
彼の顔が、頭にちらついた。
彼に会いたい。
天秤のように揺れ動いていた私の心は大きく傾いた。
「決めたわ。代価に見合うかはわからないけど、私の、私のこの世界の記憶を全て此処に置いていくわ」
「充分すぎるよ」
「でも、ひとつだけお願い。彼のことだけは忘れたくないの。だって、名前も顔もわからなかったら、あっちで好きな人も探せない」
私は笑いながらそう言っているつもりだった。
でも、銀髪の彼は悲しげに微笑んでいた。
もしかしたら、私は笑っていないのかもしれない。
「君の言う通りだ。それじゃあ、君の世界での記憶を預かることにするよ。彼のことを除いてね」
「ありかとう」
目の前のドアがひとりでに開いた。
中にはもやが溜まっている。
色々な景色が映っているそれは前にも見たことがあった。
玄関の石段に足を踏み出した時、そこで呼び止められた。
そんな気がしていたのだけど、彼の言っている言葉が途切れ途切れでよく聞こえなかった。
「ある人から預かったモノを君に託そう。心配要らない。もう、その人にはそれが必要ないみたいだからね」
私にはよく聞こえていない、そうわかったのか彼は片手をあげてにこやかに手を振っていた。
見送りの彼に私も手を振り返した。
それから前を向いて、ドアの中へ足を踏み込んだ。
「会えるといいね、好きな人に」