鋼の錬金術師
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懐かしい名前
桜の花びらが風に舞っていた。
曇り空でどんよりしている。それに風が強い。
桜が咲く季節になると、花冷えのせいで雨が降ることが多い。
せっかく咲いた桜の花が雨に打たれて散っていく。
今散っている桜の木も、昨日の雨でだいぶ散ってしまっているんだろう。
アパートの窓からぼんやりと外を眺めていた。
雀がちゅん、ちゅんと鳴きながら灰色の空を横切っていく。
そこで私は洗濯物を取り込むのだったと思い出してベランダの鍵を開けた。
外は湿った空気の匂いがした。
雨が降る直前の独特な匂い。
東京生まれの友人にこの事を話したら、わけわからないという顔をされた。
これは田舎育ちにしかわからない感覚らしいと知ったのはつい最近。
雨が降る前に洗濯物を取り込めて良かった。
朝に干した服はまだ少し湿っていた。
だからといって、このまま外に干していたら湿るどころかびしょ濡れになる。
部屋の中に簡易的な物干し竿はあるけど、重すぎると音を立てて落ちてしまう。
私は物干し竿にかけきれなかった服を部屋のあちこちにかけた。
春物コートをおろして、代わりに湿ってる衣服をかける。
なんとか干していた洗濯物は全部部屋の中にかけることができた。
窓の外は一層空が暗くなっていた。
アスファルトにぽつりと染みができる。
その染みが何粒も繰り返し落ちてきて、真っ黒に染めていく。
小気味良い音を立てて雨が降り出した。
雨の匂いがつんと強くなる。
この雨でまた桜が散ってしまいそう。
せめてあと三日ぐらい待ってくれないかな。
ゴールデンウィークが終わるまで、待ってほしい。
祝日なら一緒に見に行けるから。
私の願いを聞いてくれる様子もなく、雨は降り続いていた。
彼と出逢ってから二年の月日が流れた。
生活に大きな変化がなかった日常。
その中で彼と過ごした一ヶ月が一番の変化だった。
彼が自分の世界に帰って以来、また平凡な毎日が過ぎていく。
いい加減彼氏を作ったらどうだ。
結婚はどうするんだ。
今が一番いい時期、逃したらいけない。
そう心配をしてくれるのはなぜか職場の同僚や先輩ばかり。
普通、親が口うるさく言ってくるものじゃないのかと思う。
でも、私の両親はそのことには触れずに「体に気をつけて」とありきたりな言葉しかかけてこない。
私にとってはそれが気楽で良かった。
春物のコートをとりあえずソファに置いた。
ソファには季節ごとに柄物のクロスをかけている。今は春らしく菜の花の柄。
一仕事終えた身体をうんと私は伸ばした。
私の左手の薬指には今も指輪が変わらずに光っている。
休日や家に居る時は指につけていた。
職場では下手につつかれたくないから、皮ひもに通して首から見えないように提げていた。
この指輪に埋め込まれている石が何のものか気になって、お店の人に見てもらった。
珍しいデザインですね、と言われて適当な言葉を返した。錬金術です、なんて言っても信じてもらえないし。
石の種類はそれぞれガーネット、ターコイズ、ムーンストーン。
それらの意味は『離ればなれになっても、また再会できるように』
この三つを組み合わせるのは恋人同士のお守りによく使われているらしい。
胸が締め付けられる思いだった。
私はその再会を心待ちにして、今を過ごしている。
いつか、また貴方が来てくれることを信じて。
ふと、カウンターの鉢植えに目が留まった。
小さな鉢に一株のポインセチアが葉を伸ばしている。
一昨年のクリスマスの時期に買った物で、二年で結構成長するものだ。
でも、去年の冬は葉っぱが赤くならないまま春を迎えてしまった。
調べてみたら、葉っぱが赤くなる条件は光にあるらしく。
昼間に光を浴びて、夜は暗いところに置かなければいけない。
昼も夜も煌々と光を浴びていては葉っぱは緑のまま。
そこで私は夜の間だけちょうど良さそうなダンボール箱を被せて、光を遮った。
それを一ヶ月ぐらい続けた頃。
葉っぱが少しずつ赤くなって、お店でよく見かけるポインセチアにすることができた。
真っ赤な色と濃い緑色。クリスマスらしい色を見ることができたのだけど。
光を遮る時期がちょっと遅かったのか、雪解けが過ぎて春を迎えた今も葉っぱが赤い。
季節外れでも、この赤い色を見ることができて私はちょっと嬉しい。
赤い葉を指先でなぞる。
今もこの色は彼のイメージカラー。
昔は胸がときめいていたけど、今は少し切ない気持ちで満たされる。
「……あれ」
鉢植えの側に一冊の本が置いてあった。
革張りで立派そうな本。
私はこんな所に本を置いた覚えはないし、こんな本を持っていた覚えもない。
その本を手に取り、表と裏を見る。
金のインクで表紙に文字が描かれているけど、擦れていて読めない。
表紙を開いて、適当に頁を開いた。
なにかの図式が描かれていて、細かい文字がいっぱい並んでいる。
言語が日本語じゃない。英語、いやちょっと違う。何語かわからないけど、私には読めなさそうな本だった。
もしかして、彼が忘れていった本かもしれない。
でも、どうして今頃出てきたのだろう。気づかないはずがないのに。
私は裏表紙をめくり、著者の名前を探した。
一枚何も書いていない頁を捲ってみると、縦にずらりと短い文章が書かれていた。
名前、のようだった。名前がずらっと書かれている。
この本を書いた時に協力してくれた人達の名前だろうか。
それをなんとなく目で追い、一番下から二つ目に見覚えのある名前を見つけた。
「え?どうして、この本に」
そこに母親の名前が書かれていた。
確かにこれは自分の母親の名前だ。
これを見つけられたということは、自分が読むことができる言語。
その名前だけかと思っていたら、さっきまで読めなかった文字が読めるようになっていた。
目をこすって、瞬きを繰り返す。そうしてから見ても、やっぱり読める。
最初は確かにまったく読めない言語だったはずなのに。
むしろ最初から日本語で書かれていたのかという錯覚すら感じた。
私は適当な頁を開いた。
理解不能な言語で書かれていたはずの文章が読める。
母国語を読んでいるようにすらすらと読めていた。
私はさっきの頁に戻り、名前を上から順に追っていった。
明らかに日本人ではない名前がたくさん並んでいる。
名前の響きからじゃどこの国か判断はつかない。
その中に母の名前があるのが異色すぎた。
私は無意識に彼の名前をそのリストから探していた。でも、彼の名前はない。
リストの一番下に書かれている名前はロイ・マスタング大佐。その横に寄贈と書かれていた。
母もこの本の著者に協力したのだろうか。
リストをもう一度目でなぞった。よく見ると、一番最後の名前だけ自体が違う。
他の文字は印刷したものだけど、寄贈した人間の名前は手書きだった。
ペン独特の癖があるし、インクが擦れた部分がある。
部屋に携帯の呼び出し音が鳴り響いた。
ふわふわとした気持ちがその音で現実に引き戻される。
私はテーブルの上で鳴り続ける携帯を取り、液晶画面を見る。
母親からの電話だった。
「もしもし」
『もしもし。あら、どうしたの。声が擦れてるけど』
「なんでもないわ。大丈夫。……どうしたの?」
『あらあら。どうしたの?じゃないわよ。ゴールデンウィークだっていうのに帰ってこないから、どうしてるのかと心配したんじゃない』
「あ……ごめん、なさい。今年はちょっと、連休じゃなくて」
『そう。今日はお休みなの?』
「うん」
そういえば毎年ゴールデンウィークには帰省していた。
去年も今年も実家に帰省していない。流石に年末年始は帰っていたけど。
もし、彼がまた来た時には一緒に桜を見にいこうと思っていたから。
そんな理由があるとは家族は知らないけど。
『風邪とか引いてない?』
「大丈夫。体調管理はちゃんとしてるわ」
『それなら良かった。あなた体調崩しやすいから心配なのよ』
「昔はそうだったけど、今はひどくても年に一回ぐらい。その時は大変だけどね」
『一人暮らしだから何でも自分でやらなきゃいけないものね。親のありがたみがわかるでしょ』
電話の向こう側で母は笑っていた。
体調を崩すたびにそのありがたみは噛み締めてる。
それからも何気ない会話をしていたけど、私はさっきの本のことで頭がいっぱいだった。
「お母さん。聞いてもいい?」
『ん。なーに?』
「ある本に、お母さんの名前が書いてあって。何の本かはよくわからないんだけど……」
『本?何の本かって、内容がわからないんじゃ答えられないわよ』
「まだ中身ちゃんと見てないの。さっき見つけたばかりだから」
『んー。お母さん、本は出版した覚えはないけどなあ』
「協力した覚えも?」
『ない。著者は?』
「著者は……わからない。けど、寄贈者の名前ならわかるわ。ロイ・マスタング大佐って人」
母の返事がなかった。
電話が切れてしまったのかと思ったけど、まだ繋がっている。
もしもし、と言うと小さな声が返ってきた。
『……懐かしい名前ね。そう……大佐、か』
「知り合い?」
母の声は優しかった。
まるで懐かしい友人と会った時のような、そんな声。
『そうね。……ねえ、キリカ。もし、その人に会うことがあったら伝えてくれないかしら。私は元気にやってる、って』
「あ……でも、私会えるかわからないわ。だって、」
『会えたら、でいいのよ。貴女が会いたいのはその人じゃないでしょうから』
私は返す言葉に困って黙り込んだ。
母には二年前のことは一言も話していない。
『それじゃあ、身体に気をつけなさいよ』
「あ、待って!」
電話を一方的に切られてしまった。
ツーツーという虚しい音しか聞こえてこない。
私は仕方なく携帯を置いて、さっきの本を手に取った。
この本には何か秘密がある。
もし、もしこの本が彼の世界と繋がっているとしたら。
私は本の一頁目から読み始めた。
桜の花びらが風に舞っていた。
曇り空でどんよりしている。それに風が強い。
桜が咲く季節になると、花冷えのせいで雨が降ることが多い。
せっかく咲いた桜の花が雨に打たれて散っていく。
今散っている桜の木も、昨日の雨でだいぶ散ってしまっているんだろう。
アパートの窓からぼんやりと外を眺めていた。
雀がちゅん、ちゅんと鳴きながら灰色の空を横切っていく。
そこで私は洗濯物を取り込むのだったと思い出してベランダの鍵を開けた。
外は湿った空気の匂いがした。
雨が降る直前の独特な匂い。
東京生まれの友人にこの事を話したら、わけわからないという顔をされた。
これは田舎育ちにしかわからない感覚らしいと知ったのはつい最近。
雨が降る前に洗濯物を取り込めて良かった。
朝に干した服はまだ少し湿っていた。
だからといって、このまま外に干していたら湿るどころかびしょ濡れになる。
部屋の中に簡易的な物干し竿はあるけど、重すぎると音を立てて落ちてしまう。
私は物干し竿にかけきれなかった服を部屋のあちこちにかけた。
春物コートをおろして、代わりに湿ってる衣服をかける。
なんとか干していた洗濯物は全部部屋の中にかけることができた。
窓の外は一層空が暗くなっていた。
アスファルトにぽつりと染みができる。
その染みが何粒も繰り返し落ちてきて、真っ黒に染めていく。
小気味良い音を立てて雨が降り出した。
雨の匂いがつんと強くなる。
この雨でまた桜が散ってしまいそう。
せめてあと三日ぐらい待ってくれないかな。
ゴールデンウィークが終わるまで、待ってほしい。
祝日なら一緒に見に行けるから。
私の願いを聞いてくれる様子もなく、雨は降り続いていた。
彼と出逢ってから二年の月日が流れた。
生活に大きな変化がなかった日常。
その中で彼と過ごした一ヶ月が一番の変化だった。
彼が自分の世界に帰って以来、また平凡な毎日が過ぎていく。
いい加減彼氏を作ったらどうだ。
結婚はどうするんだ。
今が一番いい時期、逃したらいけない。
そう心配をしてくれるのはなぜか職場の同僚や先輩ばかり。
普通、親が口うるさく言ってくるものじゃないのかと思う。
でも、私の両親はそのことには触れずに「体に気をつけて」とありきたりな言葉しかかけてこない。
私にとってはそれが気楽で良かった。
春物のコートをとりあえずソファに置いた。
ソファには季節ごとに柄物のクロスをかけている。今は春らしく菜の花の柄。
一仕事終えた身体をうんと私は伸ばした。
私の左手の薬指には今も指輪が変わらずに光っている。
休日や家に居る時は指につけていた。
職場では下手につつかれたくないから、皮ひもに通して首から見えないように提げていた。
この指輪に埋め込まれている石が何のものか気になって、お店の人に見てもらった。
珍しいデザインですね、と言われて適当な言葉を返した。錬金術です、なんて言っても信じてもらえないし。
石の種類はそれぞれガーネット、ターコイズ、ムーンストーン。
それらの意味は『離ればなれになっても、また再会できるように』
この三つを組み合わせるのは恋人同士のお守りによく使われているらしい。
胸が締め付けられる思いだった。
私はその再会を心待ちにして、今を過ごしている。
いつか、また貴方が来てくれることを信じて。
ふと、カウンターの鉢植えに目が留まった。
小さな鉢に一株のポインセチアが葉を伸ばしている。
一昨年のクリスマスの時期に買った物で、二年で結構成長するものだ。
でも、去年の冬は葉っぱが赤くならないまま春を迎えてしまった。
調べてみたら、葉っぱが赤くなる条件は光にあるらしく。
昼間に光を浴びて、夜は暗いところに置かなければいけない。
昼も夜も煌々と光を浴びていては葉っぱは緑のまま。
そこで私は夜の間だけちょうど良さそうなダンボール箱を被せて、光を遮った。
それを一ヶ月ぐらい続けた頃。
葉っぱが少しずつ赤くなって、お店でよく見かけるポインセチアにすることができた。
真っ赤な色と濃い緑色。クリスマスらしい色を見ることができたのだけど。
光を遮る時期がちょっと遅かったのか、雪解けが過ぎて春を迎えた今も葉っぱが赤い。
季節外れでも、この赤い色を見ることができて私はちょっと嬉しい。
赤い葉を指先でなぞる。
今もこの色は彼のイメージカラー。
昔は胸がときめいていたけど、今は少し切ない気持ちで満たされる。
「……あれ」
鉢植えの側に一冊の本が置いてあった。
革張りで立派そうな本。
私はこんな所に本を置いた覚えはないし、こんな本を持っていた覚えもない。
その本を手に取り、表と裏を見る。
金のインクで表紙に文字が描かれているけど、擦れていて読めない。
表紙を開いて、適当に頁を開いた。
なにかの図式が描かれていて、細かい文字がいっぱい並んでいる。
言語が日本語じゃない。英語、いやちょっと違う。何語かわからないけど、私には読めなさそうな本だった。
もしかして、彼が忘れていった本かもしれない。
でも、どうして今頃出てきたのだろう。気づかないはずがないのに。
私は裏表紙をめくり、著者の名前を探した。
一枚何も書いていない頁を捲ってみると、縦にずらりと短い文章が書かれていた。
名前、のようだった。名前がずらっと書かれている。
この本を書いた時に協力してくれた人達の名前だろうか。
それをなんとなく目で追い、一番下から二つ目に見覚えのある名前を見つけた。
「え?どうして、この本に」
そこに母親の名前が書かれていた。
確かにこれは自分の母親の名前だ。
これを見つけられたということは、自分が読むことができる言語。
その名前だけかと思っていたら、さっきまで読めなかった文字が読めるようになっていた。
目をこすって、瞬きを繰り返す。そうしてから見ても、やっぱり読める。
最初は確かにまったく読めない言語だったはずなのに。
むしろ最初から日本語で書かれていたのかという錯覚すら感じた。
私は適当な頁を開いた。
理解不能な言語で書かれていたはずの文章が読める。
母国語を読んでいるようにすらすらと読めていた。
私はさっきの頁に戻り、名前を上から順に追っていった。
明らかに日本人ではない名前がたくさん並んでいる。
名前の響きからじゃどこの国か判断はつかない。
その中に母の名前があるのが異色すぎた。
私は無意識に彼の名前をそのリストから探していた。でも、彼の名前はない。
リストの一番下に書かれている名前はロイ・マスタング大佐。その横に寄贈と書かれていた。
母もこの本の著者に協力したのだろうか。
リストをもう一度目でなぞった。よく見ると、一番最後の名前だけ自体が違う。
他の文字は印刷したものだけど、寄贈した人間の名前は手書きだった。
ペン独特の癖があるし、インクが擦れた部分がある。
部屋に携帯の呼び出し音が鳴り響いた。
ふわふわとした気持ちがその音で現実に引き戻される。
私はテーブルの上で鳴り続ける携帯を取り、液晶画面を見る。
母親からの電話だった。
「もしもし」
『もしもし。あら、どうしたの。声が擦れてるけど』
「なんでもないわ。大丈夫。……どうしたの?」
『あらあら。どうしたの?じゃないわよ。ゴールデンウィークだっていうのに帰ってこないから、どうしてるのかと心配したんじゃない』
「あ……ごめん、なさい。今年はちょっと、連休じゃなくて」
『そう。今日はお休みなの?』
「うん」
そういえば毎年ゴールデンウィークには帰省していた。
去年も今年も実家に帰省していない。流石に年末年始は帰っていたけど。
もし、彼がまた来た時には一緒に桜を見にいこうと思っていたから。
そんな理由があるとは家族は知らないけど。
『風邪とか引いてない?』
「大丈夫。体調管理はちゃんとしてるわ」
『それなら良かった。あなた体調崩しやすいから心配なのよ』
「昔はそうだったけど、今はひどくても年に一回ぐらい。その時は大変だけどね」
『一人暮らしだから何でも自分でやらなきゃいけないものね。親のありがたみがわかるでしょ』
電話の向こう側で母は笑っていた。
体調を崩すたびにそのありがたみは噛み締めてる。
それからも何気ない会話をしていたけど、私はさっきの本のことで頭がいっぱいだった。
「お母さん。聞いてもいい?」
『ん。なーに?』
「ある本に、お母さんの名前が書いてあって。何の本かはよくわからないんだけど……」
『本?何の本かって、内容がわからないんじゃ答えられないわよ』
「まだ中身ちゃんと見てないの。さっき見つけたばかりだから」
『んー。お母さん、本は出版した覚えはないけどなあ』
「協力した覚えも?」
『ない。著者は?』
「著者は……わからない。けど、寄贈者の名前ならわかるわ。ロイ・マスタング大佐って人」
母の返事がなかった。
電話が切れてしまったのかと思ったけど、まだ繋がっている。
もしもし、と言うと小さな声が返ってきた。
『……懐かしい名前ね。そう……大佐、か』
「知り合い?」
母の声は優しかった。
まるで懐かしい友人と会った時のような、そんな声。
『そうね。……ねえ、キリカ。もし、その人に会うことがあったら伝えてくれないかしら。私は元気にやってる、って』
「あ……でも、私会えるかわからないわ。だって、」
『会えたら、でいいのよ。貴女が会いたいのはその人じゃないでしょうから』
私は返す言葉に困って黙り込んだ。
母には二年前のことは一言も話していない。
『それじゃあ、身体に気をつけなさいよ』
「あ、待って!」
電話を一方的に切られてしまった。
ツーツーという虚しい音しか聞こえてこない。
私は仕方なく携帯を置いて、さっきの本を手に取った。
この本には何か秘密がある。
もし、もしこの本が彼の世界と繋がっているとしたら。
私は本の一頁目から読み始めた。