鋼の錬金術師
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A little years ago. 後編
あの遠征から帰還して五日が過ぎた。
通常任務に携わっていたある日。そうだ、あの日は気味が悪いぐらい晴れていた。
そんな晴れた日に、司令部の休憩室で偶然彼女と鉢合わせた。
「ああ、少佐。こんな格好で失礼」
彼女はソファにだらしなく横になっていた。
今思えば少し顔色が悪かった気もする。
外からの光が眩しすぎるとでも言うように、片腕で目元を覆っていた。
「体調が悪いなら医務室で休んだ方がいいんじゃないか」
「そこまで酷くないから大丈夫ですよ」
「それならいいが」
私はパイプ椅子をソファへ引き寄せて、彼女の側で休むことにした。
調子が悪そうな部下を放置しておくほど趣味は悪くないからな。
しかし、随分と落ち着いているようだった。
普段の彼女ならば「仕事サボりですか」と嫌味の一つでも飛んでくるはずだ。
「自慢の基礎体力とやらはどうした」
「少佐、私は人間ですよ。機械じゃあるまいし、延々と働き続けることは不可能です」
「それもそうだったな。ご苦労」
「労いの御言葉感謝致します候」
まったくふざけた会話だ。
仮にも上司と部下だというのに。
腐れ縁のように同じ部署へ勤めてきたせいかもしれない。
私が他部署へ配属になれば、半年後には彼女が配属される。
逆もまた然りだ。
互いを追いかけ続けるようにして、もう何年も経った。
士官学校の友人と同じぐらい、昔からの仲間。そう呼ぶのが相応しいかもしれないな。
「力を使いすぎたんじゃないのか」
「そうですね。自分の限界をようやく知ることができて良い経験になりました」
「それは良かったな。前向きで大変よろしい」
「前向き、か」
彼女はぽつりとそう呟いたきり、黙ってしまった。
らしくない。この時から私は嫌な前兆を感じていた。
室内が妙な静けさに包まれ、見えない圧力に押しつぶされてしまいそうな。
そんな気すらしていた。
「少佐」
「なんだ」
「私はものすごく嫌になることがあるんだ。人間、世界……いや、この世界そのものが」
「急にどうした」
「この世の人間は醜い。軍に居るとそれが嫌というほど見えた。内部事情、もみ消された事実。身を粉にして救うだけの意味はあるのか、そう思うことさえある」
「君のような力を持つ人間だと、余計にそう感じるのかもしれんな」
「……すみません。上司に愚痴るなんて、相当疲れてますね」
「いや、構わんよ。部下の悩みぐらい聞いてやらなければ昇進できんからな」
「流石、いずれは大総統になるお方ですね。お優しい方だ」
「君は部下である以前に私の同期だ。放っておけるはずもなかろう」
「そうでした。それじゃあ、ついでにもう一つ話聞いてもらえます?」
「ああ、いいぞ」
外から子どもの声が聞こえた。
どうやら小さな兄弟が駆け回って遊んでいるようだ。
ここの塀はそれほど立派なものでもないから外の声が割と聞こえてくる。
「ロイは異世界というものを信じる?」
「異世界?こことは違う、もう一つの世界というやつか」
「そう。その世界に私は行ってみたいと本気で思うことがあるんだ」
「しかし、そこへ行くには十分な代価がないと行くことはできないんだろう」
白い顔が私の方を向いた。
黒い目を見開いて口を半開きにしたまま私を見ていた。
「バカらしいとか言わないんだ。この仮説を」
「どうやら私も君と同じ本を読んでいるようだな」
彼女は「人の本勝手に読んだのか、部屋荒らしめ」と顔をしかめた。
レディの部屋に入るわけがないだろう。私は置き忘れていたものを少々拝借しただけだ。
「まあ、その件は後ほど追及するとして。代価ならあるさ、私の持っている力全てを代価にしてでも、行ってみたいんだ」
「向こうがどんな世界かもわからないのに、普通の人間として生きるというのか」
「私はただの人間として生きてみたい。いまさら願っても遅いかもしれないけどね。……でも、できれば私の子どもには平凡な人生を送ってほしい。何の能力も持たない、普通の人間として」
「どうとでもなるさ。君が願い、それを実行さえすれば。今からでも遅くはないと思うぞ」
「ありがとう、ロイ。やっぱり持つべきものは良い同期、だな。ロイのおかげで救われた気がする。ほんの少しだけど」
「私でよければいつでも救ってやるさ」
不意に彼女がソファから立ち上がった。
振り向いた顔は先ほどまで考えられないぐらい、健康的な顔色をしている。
「さあ、休憩終わり。私は仕事に戻ります。少佐も溜まってる書類終わらせてからの方がゆっくり休めるんじゃないですか?」
彼女は早口にそう言い放ち、休憩室から出ていこうとした。
反射的に私は彼女の名前を呼んだ。
しかし、それで呼び止めることは出来ずに一度振り向いて敬礼をしただけで去っていった。
さすが、回復が早いものだ。
私はその時ほど後悔したことはなかった。
だが、あれ以上どう言葉をかければ良いのか。
良い言葉は見つからなかった。
四日後。彼女はこの世界から消えた。
彼女の全てを代価にして、跡形もなく、この世界から消え去った。
彼女のいた痕跡、私物、人々の記憶すら消えていた。
存在自体がなかったことになっていたのだ。
私の手元に残ったのは一冊の古びた本と彼女がいたという記憶。
彼女のことを覚えているのは私だけだった。
周囲に確認を求めれば求めるほど、実在していたかどうかすら不確かになる。
この本を手放せば曖昧な記憶から解放されるだろう。
そう思いたった私は図書館にこの本を寄贈した。
「私は戦いに不向きの人間ですよ」
彼女はあちらの世界で元気にしているだろうか。
普通の人間としての人生を歩んでいるだろうか。
数年経った今でもふと彼女の事を思い出す。
君が元気にやっているなら、私はそれで構わない。
あの遠征から帰還して五日が過ぎた。
通常任務に携わっていたある日。そうだ、あの日は気味が悪いぐらい晴れていた。
そんな晴れた日に、司令部の休憩室で偶然彼女と鉢合わせた。
「ああ、少佐。こんな格好で失礼」
彼女はソファにだらしなく横になっていた。
今思えば少し顔色が悪かった気もする。
外からの光が眩しすぎるとでも言うように、片腕で目元を覆っていた。
「体調が悪いなら医務室で休んだ方がいいんじゃないか」
「そこまで酷くないから大丈夫ですよ」
「それならいいが」
私はパイプ椅子をソファへ引き寄せて、彼女の側で休むことにした。
調子が悪そうな部下を放置しておくほど趣味は悪くないからな。
しかし、随分と落ち着いているようだった。
普段の彼女ならば「仕事サボりですか」と嫌味の一つでも飛んでくるはずだ。
「自慢の基礎体力とやらはどうした」
「少佐、私は人間ですよ。機械じゃあるまいし、延々と働き続けることは不可能です」
「それもそうだったな。ご苦労」
「労いの御言葉感謝致します候」
まったくふざけた会話だ。
仮にも上司と部下だというのに。
腐れ縁のように同じ部署へ勤めてきたせいかもしれない。
私が他部署へ配属になれば、半年後には彼女が配属される。
逆もまた然りだ。
互いを追いかけ続けるようにして、もう何年も経った。
士官学校の友人と同じぐらい、昔からの仲間。そう呼ぶのが相応しいかもしれないな。
「力を使いすぎたんじゃないのか」
「そうですね。自分の限界をようやく知ることができて良い経験になりました」
「それは良かったな。前向きで大変よろしい」
「前向き、か」
彼女はぽつりとそう呟いたきり、黙ってしまった。
らしくない。この時から私は嫌な前兆を感じていた。
室内が妙な静けさに包まれ、見えない圧力に押しつぶされてしまいそうな。
そんな気すらしていた。
「少佐」
「なんだ」
「私はものすごく嫌になることがあるんだ。人間、世界……いや、この世界そのものが」
「急にどうした」
「この世の人間は醜い。軍に居るとそれが嫌というほど見えた。内部事情、もみ消された事実。身を粉にして救うだけの意味はあるのか、そう思うことさえある」
「君のような力を持つ人間だと、余計にそう感じるのかもしれんな」
「……すみません。上司に愚痴るなんて、相当疲れてますね」
「いや、構わんよ。部下の悩みぐらい聞いてやらなければ昇進できんからな」
「流石、いずれは大総統になるお方ですね。お優しい方だ」
「君は部下である以前に私の同期だ。放っておけるはずもなかろう」
「そうでした。それじゃあ、ついでにもう一つ話聞いてもらえます?」
「ああ、いいぞ」
外から子どもの声が聞こえた。
どうやら小さな兄弟が駆け回って遊んでいるようだ。
ここの塀はそれほど立派なものでもないから外の声が割と聞こえてくる。
「ロイは異世界というものを信じる?」
「異世界?こことは違う、もう一つの世界というやつか」
「そう。その世界に私は行ってみたいと本気で思うことがあるんだ」
「しかし、そこへ行くには十分な代価がないと行くことはできないんだろう」
白い顔が私の方を向いた。
黒い目を見開いて口を半開きにしたまま私を見ていた。
「バカらしいとか言わないんだ。この仮説を」
「どうやら私も君と同じ本を読んでいるようだな」
彼女は「人の本勝手に読んだのか、部屋荒らしめ」と顔をしかめた。
レディの部屋に入るわけがないだろう。私は置き忘れていたものを少々拝借しただけだ。
「まあ、その件は後ほど追及するとして。代価ならあるさ、私の持っている力全てを代価にしてでも、行ってみたいんだ」
「向こうがどんな世界かもわからないのに、普通の人間として生きるというのか」
「私はただの人間として生きてみたい。いまさら願っても遅いかもしれないけどね。……でも、できれば私の子どもには平凡な人生を送ってほしい。何の能力も持たない、普通の人間として」
「どうとでもなるさ。君が願い、それを実行さえすれば。今からでも遅くはないと思うぞ」
「ありがとう、ロイ。やっぱり持つべきものは良い同期、だな。ロイのおかげで救われた気がする。ほんの少しだけど」
「私でよければいつでも救ってやるさ」
不意に彼女がソファから立ち上がった。
振り向いた顔は先ほどまで考えられないぐらい、健康的な顔色をしている。
「さあ、休憩終わり。私は仕事に戻ります。少佐も溜まってる書類終わらせてからの方がゆっくり休めるんじゃないですか?」
彼女は早口にそう言い放ち、休憩室から出ていこうとした。
反射的に私は彼女の名前を呼んだ。
しかし、それで呼び止めることは出来ずに一度振り向いて敬礼をしただけで去っていった。
さすが、回復が早いものだ。
私はその時ほど後悔したことはなかった。
だが、あれ以上どう言葉をかければ良いのか。
良い言葉は見つからなかった。
四日後。彼女はこの世界から消えた。
彼女の全てを代価にして、跡形もなく、この世界から消え去った。
彼女のいた痕跡、私物、人々の記憶すら消えていた。
存在自体がなかったことになっていたのだ。
私の手元に残ったのは一冊の古びた本と彼女がいたという記憶。
彼女のことを覚えているのは私だけだった。
周囲に確認を求めれば求めるほど、実在していたかどうかすら不確かになる。
この本を手放せば曖昧な記憶から解放されるだろう。
そう思いたった私は図書館にこの本を寄贈した。
「私は戦いに不向きの人間ですよ」
彼女はあちらの世界で元気にしているだろうか。
普通の人間としての人生を歩んでいるだろうか。
数年経った今でもふと彼女の事を思い出す。
君が元気にやっているなら、私はそれで構わない。