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この片思いに終止符を
「女性を口説き落とす方法を教えてください」
バーのカウンター席。そこに隣り合わせで酒を飲んでいた相手に、俺は恥を忍んでそう頼んだ。
バーボンのロックグラスを傾けようとした司令がピタリと動きを止めた。
うちの司令は老若男女問わずファンが多い。特に女性市民から熱烈な声援を受けている。それもそのはず、彼女たちを夢中にさせる端正な顔立ちに振舞い。第13期ヒーローズのメンターリーダーと並んだ時の絵面はそりゃもう凄い。
その横顔が俺の方をゆっくりと振り向く。「は?」といった表情が気まずくて息が詰まりそうになる。
一秒、また一秒と時を刻んだ。時が過ぎれば過ぎるほど俺の中から羞恥心が込み上げてきて、顔が火照ってくる。酒はまだ全く回ってない。いや、そもそも酔いしれる前に切り出すような話じゃなかった。
「いや、何故私に聞く」
司令の細い眉が怪訝そうに顰められる。そりゃそうだ。男の俺が女性の司令に聞くようなことじゃない。お門違いだってのは承知の上だ。
それでも俺は笑みを強張らせながらも話を続けた。
「あー……ほら、司令は女性ファンが多いだろ?」
「私の勘違いでなければガストも女性ファンが多い。否、男女問わずに。先月の【ハロウィン・リーグ】も黄色い歓声が凄かったじゃないか」
「う……いやまぁ、そうだけど」
確かに【HELIOS】に入所した頃よりも街中で声を掛けられることが格段に増えた。昔の仲間や弟分たちだけじゃない、親しみを持って声を掛けてくれる市民もいる。声援やファンが増えることは決して嫌なわけじゃない。セクターランキングにも響くし、俺なりに市民サービスはしてきたつもりだ。それでも、ウエストに所属する同期の目には「女の子相手だと急に余所余所しくなるね」と映っているらしい。
「なんだ、意中の相手でもいるのか?」
今度こそグラスを傾け、酒を喉に流し込む。
さっきの切り出し方だと落としたい相手がいるって言ってるようなもんだよな。単にどういう風にすれば相手にちゃんと伝わるかが知りたかったんだけど。ここは一つ肯定した方が話も早いか。
司令の手元で氷がカランと音を立てた。そのグラスが静かに置かれる。切り出すタイミングを見計らっていた俺は「実は」と躊躇いがちに話し始めようとした時だ。
「まさかとは思うが……私の妹をたぶらかそうと考えているんじゃなかろうな」
殺気。一瞬にして背筋に嫌な汗が伝う。低いその声と鷹のように鋭い目つきに喉元を押さえつけられたような錯覚すら覚える。
「め…滅相もない。司令の妹さんに手なんか出したら…」
「骨の欠片も遺さず灰にしてやろう」
「出しません。絶対に」
「冗談だ」
今のは冗談なんてものに聞こえなかったぞ。確実に相手を殺る目だった。
司令の手元のグラスに浮いていたはずの氷。それが溶けきっていたことに俺は更なる恐怖を覚える。
嵩の増えた酒を煽る。そしてさっきの剣幕はどこへやら、素面で話を巻き戻してきた。
「そういったことに詳しい奴がいるだろ、ウエストに。顔面偏差値ツートップの片割れが。フェイスに教わった方法で甘い言葉でも囁けば落ちそうなものだが」
「……そういうの苦手なんだよ。聞けないから司令に聞いてるんだし。それに、フェイスは何もしなくても女の子が寄ってくるって言ってた」
フェイスと行動していると、よく女の子たちに囲まれてしまう。目当てはフェイスなんだが、話の途中で俺に飛び火してくる。その対応に困っていると、今度はフェイスの彼女たちが揉め出すのがいつもの流れだ。大抵は当事者が上手く収めるんだけど、たまにヒートアップすることも。そん時は修羅場恐ぇと一歩引いちまった。
「ふむ。【ハロウィン・リーグ】でもフェイス目当ての子たちが大勢来ていたようだしな」
「…そういや、司令もかなり目立ってたよな。そこら中が黄色い歓声に包まれてたぜ」
先月の【ハロウィン・リーグ】ではサプライズの余興が設けられていた。リーグ戦が全て終了した直後、会場が暗転。実況者のアナウンスをバックに登場したのは第13期ヒーローズの司令。燕尾服に身を包み、貴族の装いをした俺たちの司令が当時の仲間たちと共にパフォーマンスを繰り広げた。余興は大成功で、拍手喝采で【ハロウィン・リーグ】は幕を下ろしたというわけだ。
「まさか司令が出てくるとは思わなかったぜ。…サプライズってのはあれのことだったんだな」
「驚いただろう?年に一度のハロウィンだ。実行委員会から頼まれてな。司令部からも許可が下りたしどうせならと思い、馴染みの顔に声を掛けた。まぁ、余興にブラッドたちが付き合ってくれたのは意外だったがな」
ヒーロー現役時代の仲間と居た時の司令は本当にいい顔をしていた。俺たちの前で見せる司令の顔じゃなく、一人のヒーローとしてそこにいた。共に駆け抜けてきた仲間と気兼ねなく過ごせたからだろう。
驚いた、というよりは呆気に取られてるヤツらばかりだった気がするな。アキラやジュニアは目を輝かせてたみたいだし。一部の士気が上がったのには間違いない。
「それにしたって、あんた結構目立ちたがり屋だよな」
「そうでもない。市民サービスの一環に貢献しているだけだ。……話は逸れてしまったが、振り向かせたい相手がいるにもかかわらず、どう声を掛けて良いものかと考えあぐねている…ということだな」
「……まぁ、そうだな。見知った間柄ではあるんだけど」
「良い助言が出来るかは分からんが、私でよければ話を聞こう」
快く相談に乗ると引き受けてくれたのは有難い。それは助かるんだが、何から話せばいいんだ。振り返ってみれば、人に恋愛相談なんてしたことないぞ。昔の仲間には勿論、アキラたち弟分にもそんな話するわけないし。相手の名前は流石に公表したら色々マズイだろうし、特徴とか趣味とかを話せばいいのか。
何から話せばいいのか悩んでいた俺はグラスの中に視線を落としていた。この状態が数分経過したようで、司令から催促の声が掛かる。
「…ガスト。おい、ガストどうした?そんなに長考するほど難しい恋愛をしているのか」
「あ……いや。な…何から話せばいいんだ?…話聞いてくれんのはホント有難いんだけどさ…」
長考の理由を素直に伝えると、司令が軽く目を見開いたまま固まった。その沈黙が俺にとっては物凄く重い。店内のBGMと他所の客の声が静かに流れていく。
「……お前、まさか恋愛経験が無いのか」
「う……実は、その…ガキの頃に色々あって、女の子が苦手で」
レンやマリオン、ジャクリーンにはもうバレてることだ。それでも自分から暴露する恥ずかしさは全く変わらない。俺が明らかにした話に司令は深く頷いていた。大して驚いた様子が無く、あくまで落ち着いている。
「成程、な。……今までの言動と照らし合わせれば、そう驚くことでもないか」
「……察しが良くて助かるぜ。嘘だろとか変に言われても、困っちまうしな」
「13期で一番コミュニケーション能力が高い奴だと思っていたし、意外だとは思ったが。…ではこうしよう。私が幾つか質問をする。それに答えてくれ。答えたくないことであれば伏せて構わない」
「わ、分かった」
司令は俺に恋愛経験がないからと言って、無下に嘲ったり笑ったりしない。こういう所が司令の人間性を表してる。多くの人から慕われる理由の一つかもしれないな。
「見知った相手と先程聞いたが、いつ知り合ったんだ」
「三年前にサウスストリートで。日本人で、海外赴任でこっちに来てるデザイナーなんだ。結構有名になってきたみたいだし、もしかしたら司令も知ってるかも」
穂香が勤めている会社名、ノースシティにブティック・ショップの一号店があると話せば「あの店か」と明るい声が返ってきた。認知度があるのは良いことだな。穂香が赴任当初から頑張ってブランド力強化させようとしてたし、彼女の努力が形となって報われている。これには俺も嬉しくなるってもんだ。
「リリーも気になっているブランドだと話していた。ビシっと決めたい時はそこが良さそうだともな。近年はティーンズも手が出しやすい価格になってきたし、カジュアル系にも力を入れ始めたようだな」
「お、結構詳しいんだな。人気あるみたいで俺も鼻が高いぜ」
イーストに二号店ができた、取り扱い店舗が増えたとその都度報告をくれる。良いデザインが浮かんだから、率直な意見を聞きたいってスケッチブックを広げることも。そん時に見せてくれる無邪気な笑顔、ホント好きなんだよな。
「ふむ。年は近いのか?」
「三つ上だ。…でも、あんまり年上って意識したことは無いな。俺も敬語使ったことないし、相手も気にしてないみたいだ」
「気兼ねなく話せる関係性ではあるということだな。…では、よく遊びに出掛けてもいるんだろう?」
「あぁ。【HELIOS】に入る前までは結構色んな所に遊びに行ってた。ニューミリオンの案内って形で。……向こうも喜んでくれたし、おかげですぐ友達みたいな関係にはなれたな」
「親しくはなれたが、相手には恋人がいた…というところか」
「……スゴイな。なんで分かったんだ?まるで探偵みたいだ」
新しいグラスに口をつけた司令がにやりと口の端を上げた。
推理力が半端じゃない。まるで見てきたかのような感じだぜ。
「三年もグダグダしていたのには理由があると考えた。既に相手に想い人がいるケース、もしくはとんだ腑抜けか」
「今の言葉、矢の様に刺さったぜ…」
至近距離から放たれたそれは鋭く俺の胸に突き刺さった気がした。
両方当て嵌まる。勇気が出せず、一歩踏み出せないままここまで来ていた。否定できる要素は無い。
「ああ、すまんな。…というよりは、お前は自己の為に略奪するよりかは相手の幸せを願うタイプであろう?好いた女の悲しむ顔は見たくない、という風に」
ここまで見透かされてると、なんか怖いな。ホントにずっと見られてたんじゃないかと思っちまう。
でも、司令の言うとおりだ。困らせたり、泣かせたりするようなことはしたくない。逆に最近は向こうに困らされることが多いような気もする。この間もそうだ。おやすみのキスを、ねだられたり。いやあれは熱で浮かされていたからだ。あの後、聞いても「そんなこと言った?」と全く記憶に無いようだったし。
「……そりゃ、好きな子にはいつも笑っててほしい」
「お前は優しい男だな。…だが、ずっと見守ってきた状態から抜け出そうとしているのには、それなりの理由があるのだろう?そうでなければ、女の口説き方を訊ねはしない」
このままでいたくない。距離を置いて見守っているだけなのは、嫌になってきた。ようやく手が届く範囲まできたんだ。もっと近づきたい。
「俺が【HELIOS】に入るちょっと前にさ、故郷の恋人と別れた現場に居合わせちまって。現場っつーよりも、電話で話し終わった後だな。…向こうから切り出されたみたいで」
電話自体の様子はそう揉めているものじゃなかった。声を荒げることも無かったし、あくまで淡々と、冷静に応じていた。その時の様子を司令に話せば「薄々感じ取っていたんだろうさ。相手の態度に変化が生じていることに」と視線を下げた。
穂香とそいつは割と長い付き合いだったらしい。こっちに赴任するって決まった時も快く、エールを送ってくれたと。帰国した時には必ず会っていたらしいし、その時の惚気話も結構聞かされた。けど、やっぱり国境を越えた遠距離は無理だってそいつが音を上げた。他に好きな人ができたとも言ってたらしく、愚痴を零してたな。中途半端に優しくしないでほしいって。
その日以来、穂香の口からそいつの話が出ることは無かった。
「その時に言えば良かったじゃないか。俺が側にいる、と」
「そっ…そんな歯の浮くような台詞言えるわけないだろ…!それに、傷心状態につけ込むなんてできねぇ」
「ふーっ……優しいな、本当に。そこが良いところでもあるんだがな。もう少し攻めなければ一生気づいてもらえんぞ」
「だから困ってんだよ。これでも、俺なりに色々試してはいるし……上手くいってないけどな」
一時間前に頼んだウィスキーの水割りを口に含む。ほとんど酒の味が残っていない。グラスについた水滴がコースターに染み込んでいた。
「ほう、例えば?」
例えばと訊かれて、俺は三年前からの記憶を呼び起こした。初めてニューミリオンから帰省する際には天使が描かれたポケットコインを渡した。季節の変わり目で体調崩した時は見舞いにも行ってるし、連絡だってウザがられない程度に取ってる。【HELIOS】に入所してからは遊びに行く回数は減った。その代わりに外で見掛けたらメシや飲みに誘うようにしているし。先月はハロウィンで市民に配るクッキーにアイシングで細工。それは絵柄の配分を間違ったんじゃないかと指摘されただけで終わった。
そう司令に話せば、次第に肩を震わせ笑いを堪えていたかと思えば、くつくつと笑いだした。
「……っ、それは、ないだろ。……そんな、気持ちに気づいてくださいみたいな……薔薇の花束ならまだ分かるが、それは……くっ、駄目だ。今年一面白い」
「笑わないでくれ……こっちは精一杯なんだよ」
「ささやかすぎるだろ。そのような回りくどい方法…」
それは俺も何となく感じていた。鈍いというよりも、冗談にしか捉えていない。俺が何をしても、伝えてもあくまで友達枠に収まっている。この間、俺が酔い物れた時に無意識下での口説いた台詞も完全にスルーされていたようだしな。
透明度が増したバーボンを喉に流し込む。空になった俺の手元を見て「何か頼むか?一杯奢ってやろう」と司令が聞いてきた。まだその顔にはニヤケが残ってる。
「……同じやつ、水割りで」
「珍しいな。普段はロックを好んで飲んでいるのに」
「……」
「さては、酒に呑まれたな」
「なぁ、なんで分かるんだ。あんたずっと俺のこと見てたのかよ」
「言動を気にしていれば大体想像がつくさ。マスター、バーボン水割り二つ」
「これは面白くなってきたな」と喉の奥で笑いを噛み殺す声。
俺はカウンターの奥で氷をアイスピックで砕くマスターの手つきを何となく眺めていた。棚にはリキュールの瓶がずらりと並んでいる。穂香が飲んでいたカクテルはグリーン・アイズだったか。夏向きのカクテルだって言われても、緑が好きだからって飲んでた。その日の記憶はそこまでしかない。
「ウィスキー一通りイケる奴が、一体何を飲んで潰れた」
「…カクテルだよ。一杯だけで潰れた。信じられねぇけどな」
「カクテルか。物にもよるが、甘いからな…その日の体調によっては回りやすい。……まぁ、その酒に酔ったというよりも、ガストの場合は相手に酔っていたんじゃないのか?」
まただ。その相手と飲みに行ったとは一言も口にしていないのに。俺ってそんなに分かりやすいのか。若しくは、司令の勘が冴えすぎているか。
新しいグラスを傾け、口角を持ち上げて笑う司令。相手に酔っていた、その台詞が酒の代わりに回りそうな気さえする。
「……今日は悪酔いしそうな気がしてきた」
口当たりが薄い水割りを一口。水割りは時間をかけて長く楽しめるが、正直飲んだ気がしない。
「そんなお前にオススメがある。水ロックだ」
「水ロックね……ってそりゃ、ただの氷水じゃないか」
「ナイスな表現だと思わないか?夏におススメだ」
「…あんた酔っ払ってるだろ」
「そうだな。酔っているかもしれんな?」
「前言撤回するぜ。素面でタチが悪い」
愉快な笑い声がカウンターに響いた。司令がご機嫌で何よりだよ。俺は物凄く複雑な気分だがな。
「ともかく、聞いた関係からして口説いても冗談にしか受け取ってもらえないぞ。直接はっきりと言った方がいい」
「……やっぱそうなるよな」
「ぐだぐだ悩んでいる暇があるなら、自分の想いを真っすぐにぶつけてこい」
それが出来れば苦労してない。
どうにかしたいと思っているくせに、何度も言葉を飲み込んできた。踏み込んだ関係を望んでいるくせに、今の関係を壊したくない。矛盾ばかりで笑っちまう。
「ガスト。一歩踏み出さなければ何ひとつ変わりやしない」
司令は俺のことを茶化す割に、臆病者だと笑いはしなかった。アンバーにも似た瞳が真剣に語り掛けてくる。
「お前が悩んでいる間に知らない男が掻っ攫っていくかもしれんぞ。それでもいいのか」
「…いいわけないだろ」
「ならばこの先をどう過ごしたいのか、お前自身が決めることだ。この先も一生、人の良い友人として関わっていくのか。恋人として寄り添うのか」
このまま居心地の良い関係が続いていけば。でもそれは無理な話だ、分かってるさ。その関係が壊れることよりも、知らないヤツにとられるのだけは御免だ。いや、仮に知っている相手でもだ。こっちが想いを告げる前にそんなことになっちまったとしたら、悔やんでも悔やみきれない。
左手の指先を握りしめる。手首のシルバーバングルが静かに音を奏でた。
「どうやら覚悟は決まったようだな」
「……あぁ。頑張ってみるよ」
「その意気だ。私からもう一つだけ忠告しておこう。事を起こすなら急げよ。……うだうだしているうちにニューイヤーを迎えてしまうからな」
今年があと二ヶ月足らずで終わってしまう。13期ヒーローズの専任司令に着任して、まだ一ヶ月ぐらいしか経っていないように感じる。ぼやく声と重い溜息が聞こえてきた。ジェイやリリー教官も同じようなこと言ってたな。
ああ、でも確かにこれ以上悩んでたら年が明けちまうな。遅くても来月頭にはデートに誘いたい。まずはそこからか。暫くダーツバー以外で遊びにいくことなかったし、この間はレンたちも一緒だったし。変に緊張しそうだ。
「ははっ……笑えねぇな、そいつは」
「お前もあと十年経てばこの感覚が分かるようになるさ。……さて、今更ではあるが」
司令は徐にグラスを持ち上げ、こちらに寄せてきた。今日はまだ乾杯していなかったな。そう思いながら自分のグラスを右手で掴む。
「その片思いに終止符が打たれることを願い、乾杯」
グラスのぶつかり合う音が響いた。
「女性を口説き落とす方法を教えてください」
バーのカウンター席。そこに隣り合わせで酒を飲んでいた相手に、俺は恥を忍んでそう頼んだ。
バーボンのロックグラスを傾けようとした司令がピタリと動きを止めた。
うちの司令は老若男女問わずファンが多い。特に女性市民から熱烈な声援を受けている。それもそのはず、彼女たちを夢中にさせる端正な顔立ちに振舞い。第13期ヒーローズのメンターリーダーと並んだ時の絵面はそりゃもう凄い。
その横顔が俺の方をゆっくりと振り向く。「は?」といった表情が気まずくて息が詰まりそうになる。
一秒、また一秒と時を刻んだ。時が過ぎれば過ぎるほど俺の中から羞恥心が込み上げてきて、顔が火照ってくる。酒はまだ全く回ってない。いや、そもそも酔いしれる前に切り出すような話じゃなかった。
「いや、何故私に聞く」
司令の細い眉が怪訝そうに顰められる。そりゃそうだ。男の俺が女性の司令に聞くようなことじゃない。お門違いだってのは承知の上だ。
それでも俺は笑みを強張らせながらも話を続けた。
「あー……ほら、司令は女性ファンが多いだろ?」
「私の勘違いでなければガストも女性ファンが多い。否、男女問わずに。先月の【ハロウィン・リーグ】も黄色い歓声が凄かったじゃないか」
「う……いやまぁ、そうだけど」
確かに【HELIOS】に入所した頃よりも街中で声を掛けられることが格段に増えた。昔の仲間や弟分たちだけじゃない、親しみを持って声を掛けてくれる市民もいる。声援やファンが増えることは決して嫌なわけじゃない。セクターランキングにも響くし、俺なりに市民サービスはしてきたつもりだ。それでも、ウエストに所属する同期の目には「女の子相手だと急に余所余所しくなるね」と映っているらしい。
「なんだ、意中の相手でもいるのか?」
今度こそグラスを傾け、酒を喉に流し込む。
さっきの切り出し方だと落としたい相手がいるって言ってるようなもんだよな。単にどういう風にすれば相手にちゃんと伝わるかが知りたかったんだけど。ここは一つ肯定した方が話も早いか。
司令の手元で氷がカランと音を立てた。そのグラスが静かに置かれる。切り出すタイミングを見計らっていた俺は「実は」と躊躇いがちに話し始めようとした時だ。
「まさかとは思うが……私の妹をたぶらかそうと考えているんじゃなかろうな」
殺気。一瞬にして背筋に嫌な汗が伝う。低いその声と鷹のように鋭い目つきに喉元を押さえつけられたような錯覚すら覚える。
「め…滅相もない。司令の妹さんに手なんか出したら…」
「骨の欠片も遺さず灰にしてやろう」
「出しません。絶対に」
「冗談だ」
今のは冗談なんてものに聞こえなかったぞ。確実に相手を殺る目だった。
司令の手元のグラスに浮いていたはずの氷。それが溶けきっていたことに俺は更なる恐怖を覚える。
嵩の増えた酒を煽る。そしてさっきの剣幕はどこへやら、素面で話を巻き戻してきた。
「そういったことに詳しい奴がいるだろ、ウエストに。顔面偏差値ツートップの片割れが。フェイスに教わった方法で甘い言葉でも囁けば落ちそうなものだが」
「……そういうの苦手なんだよ。聞けないから司令に聞いてるんだし。それに、フェイスは何もしなくても女の子が寄ってくるって言ってた」
フェイスと行動していると、よく女の子たちに囲まれてしまう。目当てはフェイスなんだが、話の途中で俺に飛び火してくる。その対応に困っていると、今度はフェイスの彼女たちが揉め出すのがいつもの流れだ。大抵は当事者が上手く収めるんだけど、たまにヒートアップすることも。そん時は修羅場恐ぇと一歩引いちまった。
「ふむ。【ハロウィン・リーグ】でもフェイス目当ての子たちが大勢来ていたようだしな」
「…そういや、司令もかなり目立ってたよな。そこら中が黄色い歓声に包まれてたぜ」
先月の【ハロウィン・リーグ】ではサプライズの余興が設けられていた。リーグ戦が全て終了した直後、会場が暗転。実況者のアナウンスをバックに登場したのは第13期ヒーローズの司令。燕尾服に身を包み、貴族の装いをした俺たちの司令が当時の仲間たちと共にパフォーマンスを繰り広げた。余興は大成功で、拍手喝采で【ハロウィン・リーグ】は幕を下ろしたというわけだ。
「まさか司令が出てくるとは思わなかったぜ。…サプライズってのはあれのことだったんだな」
「驚いただろう?年に一度のハロウィンだ。実行委員会から頼まれてな。司令部からも許可が下りたしどうせならと思い、馴染みの顔に声を掛けた。まぁ、余興にブラッドたちが付き合ってくれたのは意外だったがな」
ヒーロー現役時代の仲間と居た時の司令は本当にいい顔をしていた。俺たちの前で見せる司令の顔じゃなく、一人のヒーローとしてそこにいた。共に駆け抜けてきた仲間と気兼ねなく過ごせたからだろう。
驚いた、というよりは呆気に取られてるヤツらばかりだった気がするな。アキラやジュニアは目を輝かせてたみたいだし。一部の士気が上がったのには間違いない。
「それにしたって、あんた結構目立ちたがり屋だよな」
「そうでもない。市民サービスの一環に貢献しているだけだ。……話は逸れてしまったが、振り向かせたい相手がいるにもかかわらず、どう声を掛けて良いものかと考えあぐねている…ということだな」
「……まぁ、そうだな。見知った間柄ではあるんだけど」
「良い助言が出来るかは分からんが、私でよければ話を聞こう」
快く相談に乗ると引き受けてくれたのは有難い。それは助かるんだが、何から話せばいいんだ。振り返ってみれば、人に恋愛相談なんてしたことないぞ。昔の仲間には勿論、アキラたち弟分にもそんな話するわけないし。相手の名前は流石に公表したら色々マズイだろうし、特徴とか趣味とかを話せばいいのか。
何から話せばいいのか悩んでいた俺はグラスの中に視線を落としていた。この状態が数分経過したようで、司令から催促の声が掛かる。
「…ガスト。おい、ガストどうした?そんなに長考するほど難しい恋愛をしているのか」
「あ……いや。な…何から話せばいいんだ?…話聞いてくれんのはホント有難いんだけどさ…」
長考の理由を素直に伝えると、司令が軽く目を見開いたまま固まった。その沈黙が俺にとっては物凄く重い。店内のBGMと他所の客の声が静かに流れていく。
「……お前、まさか恋愛経験が無いのか」
「う……実は、その…ガキの頃に色々あって、女の子が苦手で」
レンやマリオン、ジャクリーンにはもうバレてることだ。それでも自分から暴露する恥ずかしさは全く変わらない。俺が明らかにした話に司令は深く頷いていた。大して驚いた様子が無く、あくまで落ち着いている。
「成程、な。……今までの言動と照らし合わせれば、そう驚くことでもないか」
「……察しが良くて助かるぜ。嘘だろとか変に言われても、困っちまうしな」
「13期で一番コミュニケーション能力が高い奴だと思っていたし、意外だとは思ったが。…ではこうしよう。私が幾つか質問をする。それに答えてくれ。答えたくないことであれば伏せて構わない」
「わ、分かった」
司令は俺に恋愛経験がないからと言って、無下に嘲ったり笑ったりしない。こういう所が司令の人間性を表してる。多くの人から慕われる理由の一つかもしれないな。
「見知った相手と先程聞いたが、いつ知り合ったんだ」
「三年前にサウスストリートで。日本人で、海外赴任でこっちに来てるデザイナーなんだ。結構有名になってきたみたいだし、もしかしたら司令も知ってるかも」
穂香が勤めている会社名、ノースシティにブティック・ショップの一号店があると話せば「あの店か」と明るい声が返ってきた。認知度があるのは良いことだな。穂香が赴任当初から頑張ってブランド力強化させようとしてたし、彼女の努力が形となって報われている。これには俺も嬉しくなるってもんだ。
「リリーも気になっているブランドだと話していた。ビシっと決めたい時はそこが良さそうだともな。近年はティーンズも手が出しやすい価格になってきたし、カジュアル系にも力を入れ始めたようだな」
「お、結構詳しいんだな。人気あるみたいで俺も鼻が高いぜ」
イーストに二号店ができた、取り扱い店舗が増えたとその都度報告をくれる。良いデザインが浮かんだから、率直な意見を聞きたいってスケッチブックを広げることも。そん時に見せてくれる無邪気な笑顔、ホント好きなんだよな。
「ふむ。年は近いのか?」
「三つ上だ。…でも、あんまり年上って意識したことは無いな。俺も敬語使ったことないし、相手も気にしてないみたいだ」
「気兼ねなく話せる関係性ではあるということだな。…では、よく遊びに出掛けてもいるんだろう?」
「あぁ。【HELIOS】に入る前までは結構色んな所に遊びに行ってた。ニューミリオンの案内って形で。……向こうも喜んでくれたし、おかげですぐ友達みたいな関係にはなれたな」
「親しくはなれたが、相手には恋人がいた…というところか」
「……スゴイな。なんで分かったんだ?まるで探偵みたいだ」
新しいグラスに口をつけた司令がにやりと口の端を上げた。
推理力が半端じゃない。まるで見てきたかのような感じだぜ。
「三年もグダグダしていたのには理由があると考えた。既に相手に想い人がいるケース、もしくはとんだ腑抜けか」
「今の言葉、矢の様に刺さったぜ…」
至近距離から放たれたそれは鋭く俺の胸に突き刺さった気がした。
両方当て嵌まる。勇気が出せず、一歩踏み出せないままここまで来ていた。否定できる要素は無い。
「ああ、すまんな。…というよりは、お前は自己の為に略奪するよりかは相手の幸せを願うタイプであろう?好いた女の悲しむ顔は見たくない、という風に」
ここまで見透かされてると、なんか怖いな。ホントにずっと見られてたんじゃないかと思っちまう。
でも、司令の言うとおりだ。困らせたり、泣かせたりするようなことはしたくない。逆に最近は向こうに困らされることが多いような気もする。この間もそうだ。おやすみのキスを、ねだられたり。いやあれは熱で浮かされていたからだ。あの後、聞いても「そんなこと言った?」と全く記憶に無いようだったし。
「……そりゃ、好きな子にはいつも笑っててほしい」
「お前は優しい男だな。…だが、ずっと見守ってきた状態から抜け出そうとしているのには、それなりの理由があるのだろう?そうでなければ、女の口説き方を訊ねはしない」
このままでいたくない。距離を置いて見守っているだけなのは、嫌になってきた。ようやく手が届く範囲まできたんだ。もっと近づきたい。
「俺が【HELIOS】に入るちょっと前にさ、故郷の恋人と別れた現場に居合わせちまって。現場っつーよりも、電話で話し終わった後だな。…向こうから切り出されたみたいで」
電話自体の様子はそう揉めているものじゃなかった。声を荒げることも無かったし、あくまで淡々と、冷静に応じていた。その時の様子を司令に話せば「薄々感じ取っていたんだろうさ。相手の態度に変化が生じていることに」と視線を下げた。
穂香とそいつは割と長い付き合いだったらしい。こっちに赴任するって決まった時も快く、エールを送ってくれたと。帰国した時には必ず会っていたらしいし、その時の惚気話も結構聞かされた。けど、やっぱり国境を越えた遠距離は無理だってそいつが音を上げた。他に好きな人ができたとも言ってたらしく、愚痴を零してたな。中途半端に優しくしないでほしいって。
その日以来、穂香の口からそいつの話が出ることは無かった。
「その時に言えば良かったじゃないか。俺が側にいる、と」
「そっ…そんな歯の浮くような台詞言えるわけないだろ…!それに、傷心状態につけ込むなんてできねぇ」
「ふーっ……優しいな、本当に。そこが良いところでもあるんだがな。もう少し攻めなければ一生気づいてもらえんぞ」
「だから困ってんだよ。これでも、俺なりに色々試してはいるし……上手くいってないけどな」
一時間前に頼んだウィスキーの水割りを口に含む。ほとんど酒の味が残っていない。グラスについた水滴がコースターに染み込んでいた。
「ほう、例えば?」
例えばと訊かれて、俺は三年前からの記憶を呼び起こした。初めてニューミリオンから帰省する際には天使が描かれたポケットコインを渡した。季節の変わり目で体調崩した時は見舞いにも行ってるし、連絡だってウザがられない程度に取ってる。【HELIOS】に入所してからは遊びに行く回数は減った。その代わりに外で見掛けたらメシや飲みに誘うようにしているし。先月はハロウィンで市民に配るクッキーにアイシングで細工。それは絵柄の配分を間違ったんじゃないかと指摘されただけで終わった。
そう司令に話せば、次第に肩を震わせ笑いを堪えていたかと思えば、くつくつと笑いだした。
「……っ、それは、ないだろ。……そんな、気持ちに気づいてくださいみたいな……薔薇の花束ならまだ分かるが、それは……くっ、駄目だ。今年一面白い」
「笑わないでくれ……こっちは精一杯なんだよ」
「ささやかすぎるだろ。そのような回りくどい方法…」
それは俺も何となく感じていた。鈍いというよりも、冗談にしか捉えていない。俺が何をしても、伝えてもあくまで友達枠に収まっている。この間、俺が酔い物れた時に無意識下での口説いた台詞も完全にスルーされていたようだしな。
透明度が増したバーボンを喉に流し込む。空になった俺の手元を見て「何か頼むか?一杯奢ってやろう」と司令が聞いてきた。まだその顔にはニヤケが残ってる。
「……同じやつ、水割りで」
「珍しいな。普段はロックを好んで飲んでいるのに」
「……」
「さては、酒に呑まれたな」
「なぁ、なんで分かるんだ。あんたずっと俺のこと見てたのかよ」
「言動を気にしていれば大体想像がつくさ。マスター、バーボン水割り二つ」
「これは面白くなってきたな」と喉の奥で笑いを噛み殺す声。
俺はカウンターの奥で氷をアイスピックで砕くマスターの手つきを何となく眺めていた。棚にはリキュールの瓶がずらりと並んでいる。穂香が飲んでいたカクテルはグリーン・アイズだったか。夏向きのカクテルだって言われても、緑が好きだからって飲んでた。その日の記憶はそこまでしかない。
「ウィスキー一通りイケる奴が、一体何を飲んで潰れた」
「…カクテルだよ。一杯だけで潰れた。信じられねぇけどな」
「カクテルか。物にもよるが、甘いからな…その日の体調によっては回りやすい。……まぁ、その酒に酔ったというよりも、ガストの場合は相手に酔っていたんじゃないのか?」
まただ。その相手と飲みに行ったとは一言も口にしていないのに。俺ってそんなに分かりやすいのか。若しくは、司令の勘が冴えすぎているか。
新しいグラスを傾け、口角を持ち上げて笑う司令。相手に酔っていた、その台詞が酒の代わりに回りそうな気さえする。
「……今日は悪酔いしそうな気がしてきた」
口当たりが薄い水割りを一口。水割りは時間をかけて長く楽しめるが、正直飲んだ気がしない。
「そんなお前にオススメがある。水ロックだ」
「水ロックね……ってそりゃ、ただの氷水じゃないか」
「ナイスな表現だと思わないか?夏におススメだ」
「…あんた酔っ払ってるだろ」
「そうだな。酔っているかもしれんな?」
「前言撤回するぜ。素面でタチが悪い」
愉快な笑い声がカウンターに響いた。司令がご機嫌で何よりだよ。俺は物凄く複雑な気分だがな。
「ともかく、聞いた関係からして口説いても冗談にしか受け取ってもらえないぞ。直接はっきりと言った方がいい」
「……やっぱそうなるよな」
「ぐだぐだ悩んでいる暇があるなら、自分の想いを真っすぐにぶつけてこい」
それが出来れば苦労してない。
どうにかしたいと思っているくせに、何度も言葉を飲み込んできた。踏み込んだ関係を望んでいるくせに、今の関係を壊したくない。矛盾ばかりで笑っちまう。
「ガスト。一歩踏み出さなければ何ひとつ変わりやしない」
司令は俺のことを茶化す割に、臆病者だと笑いはしなかった。アンバーにも似た瞳が真剣に語り掛けてくる。
「お前が悩んでいる間に知らない男が掻っ攫っていくかもしれんぞ。それでもいいのか」
「…いいわけないだろ」
「ならばこの先をどう過ごしたいのか、お前自身が決めることだ。この先も一生、人の良い友人として関わっていくのか。恋人として寄り添うのか」
このまま居心地の良い関係が続いていけば。でもそれは無理な話だ、分かってるさ。その関係が壊れることよりも、知らないヤツにとられるのだけは御免だ。いや、仮に知っている相手でもだ。こっちが想いを告げる前にそんなことになっちまったとしたら、悔やんでも悔やみきれない。
左手の指先を握りしめる。手首のシルバーバングルが静かに音を奏でた。
「どうやら覚悟は決まったようだな」
「……あぁ。頑張ってみるよ」
「その意気だ。私からもう一つだけ忠告しておこう。事を起こすなら急げよ。……うだうだしているうちにニューイヤーを迎えてしまうからな」
今年があと二ヶ月足らずで終わってしまう。13期ヒーローズの専任司令に着任して、まだ一ヶ月ぐらいしか経っていないように感じる。ぼやく声と重い溜息が聞こえてきた。ジェイやリリー教官も同じようなこと言ってたな。
ああ、でも確かにこれ以上悩んでたら年が明けちまうな。遅くても来月頭にはデートに誘いたい。まずはそこからか。暫くダーツバー以外で遊びにいくことなかったし、この間はレンたちも一緒だったし。変に緊張しそうだ。
「ははっ……笑えねぇな、そいつは」
「お前もあと十年経てばこの感覚が分かるようになるさ。……さて、今更ではあるが」
司令は徐にグラスを持ち上げ、こちらに寄せてきた。今日はまだ乾杯していなかったな。そう思いながら自分のグラスを右手で掴む。
「その片思いに終止符が打たれることを願い、乾杯」
グラスのぶつかり合う音が響いた。