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今年の冬は君と過ごしたいのに
「それじゃ、寒くなってきたんで風邪とか気をつけてください!お疲れさまでっす!」
「おぅ。お前らも気をつけろよ」
十一月を迎えたニューミリオンに吹く風はだいぶ冷たくなってきていた。冬物のコートを羽織る市民の姿もチラホラ見える。今も声を掛けてきた弟分たちと風邪を引かないようにと話していたところだ。最近あったことやハロウィン・リーグの中継を見た感想とか。ちょっと立ち話をしているだけで顔が冷たくなってくる。
俺はロイたちを見送ってから、はぐれたチームメイトの捜索を開始した。ていうか、さっきまで後ろにいたはずなんだけどな。俺が呼び止められた間にレンはどっか行っちまったようだ。前と比べてパトロール中も行動を共にしてくれることが増えたけど、ちょっとしたこういう隙に姿を消すんだよな。まるでニンジャみたいに。レンを探しがてらパトロールの続きをするか。
指先がこれ以上冷えないように、ポケットに手を突っ込む。大通りから脇道に曲がろうとした時、後ろからまた誰かに呼び止められた。
「相変わらず人気者ね」と。振り向いた先にスエードのクラッチバッグを手にした穂香がいた。
「外回りか?」
「ううん。これからランチ。午前の仕事長引いちゃって。一本向こうの通りにあるカフェで食べてくるつもり」
「そっか」
「ガストはもう休憩取ったんでしょ?」
穂香が勤めているデザイン事務所はこの近くだ。もう少し早けりゃランチ誘えたんだろうけど。パッと見、誰かと一緒にというワケでも無さそうだ。そういえば一人でランチも慣れてるって言ってたな。なんつーか、その辺も強かだ。食事は誰かと一緒の方が楽しいし、寂しく無いだろって前に言ったこともあった。その時は「一人でゆっくり食べたい時もある」と持論を述べられたな。
「さっきな。タイミング合えばランチ一緒に行けたんだけど」
「残念。そういえばパトロール中に遭遇するの久しぶりな気がする。でも、仕事帰りの時は割と会ってるわね。……待ち伏せでもされてるのかしら」
「人聞きの悪いこと言うなって…偶然に決まってるだろ。その証拠に先月はまともに顔合わせて話したのハロウィンの時ぐらいだ」
「それもそうね」
確かにその辺でバッタリ逢えればいいなと思うことはよくある。だからってストーカーみたいな真似は断じてしていない。
自然とその姿が目に留まるんだ。大衆の中に紛れていても、見つけ出せる自信もある。
「先月は大忙しだったみたいだし、今月はゆっくり…って言ったら語弊が生じるわね。そこまで忙しくはならなさそうなの?」
「んー…どうだろうな。うちのメンターも急に指導に力入れ始めたし……あ」
ハロウィンが過ぎ去った今、季節は冬支度を始めている。雪が降る前にはグリーンイーストの山々が紅葉に染まり出す。いや、むしろもう見頃が過ぎちまった気がする。
俺が表情を曇らせていると、どうしたのかと首を傾げてきた。
「あー…ほら、毎年紅葉見に行ってただろ。今年は逃しちまったかも…って思って」
「そうね。イーストの見頃は既に終わったわね。だいぶ色がくすんできたし。今週末には散ってるかも」
「だよなぁ」
今週末に見に行かないかと考えもしたけど、先約が入っていた。さっきの弟分たちに昼メシ奢る約束がある。だからといって、その次の週には枯れ木になっているか、残っていても数本程度だろう。まぁ、自然が相手だと都合良くいかない。今年は諦めるしかないな。
「紅葉狩り、そんなに好きだったのね」
「え……だって、絶景だろ。イーストの紅葉。この辺も一応色付きはするけど、イーストに比べたら全然だ。ほら、山のモミジは燃えてるみたいに真っ赤なのがいいし。黄色に色付いたのとそのままの緑が並ぶと見応えあるし」
まるで絵画の様にも思える景色が好きだった。なんとなく物悲しさを覚えるこの季節でも、それを見てると秋が深まっていくのも悪くないなって思えるんだ。夕陽に照らされた黄金色の麦畑とはまた違った良さ、風情ってのがある。
気温が下降した日には雨から雪に変わって、その白い雪が紅葉の上に薄っすらと積もることもある。去年、偶然イーストで見ることができて、綺麗だなって言葉がすぐに出てきた。
俺の俯き加減の気持ちを察したのか、穂香が「それなら」と両手の指先で写真の枠を示すようにジェスチャーを見せる。
「通勤がてらに撮った写真ならあるけど、いる?」
「いいのか?じゃあ後で送ってくれよ」
「オーケー。写真チョイスしとくわ。…ガストもだいぶ日本かぶれになってきたよね」
「そーだな。俺も日本通になってきたぜ。穂香のおかげで」
「うどんと蕎麦を箸で食べられるようになったら完璧ね」
「…前から疑問に思ってたけど箸を使う文化圏のヤツらって、なんであんなツルツルしたもの掴めるんだ」
箸で持ち上げた側から麺が逃げていく。それを穂香は器用に掴んで持ち上げるもんだ。箸さばきが鮮やかすぎる。柔らかい豆腐も箸で掴めるっていうし。流石服飾デザイナー、手先が器用だ。
「あと二年ぐらい頑張ればうまく使えるようになるんじゃない?」
「具体的な年数だな…まぁ、頑張ってみるよ」
「ところで」
切り返すように話を遮ってきた穂香の目が鋭く光った気がした。視線が俺の胸元に向いた途端、制服のネクタイをぐっと引っ張るように掴む。上半身が前に傾かないよう足を踏ん張ってみたが、ずいっと睨みつけるように穂香の顔が近づいてきた。
「お兄さん、ちょっとネクタイ緩みすぎじゃないですかねぇ」
「さ…さっき【サブスタンス】の対処してた時に、走り回ってたからな…その時に緩ん……ちょ、なんだ?!」
こんな風にケンカを売るような言い方をする時、大抵ロクなことにならない。その勘が的中した。元々緩く結んでいるネクタイがさっき話した通り、ヒーロースーツにチェンジする前に動き回ったせいで緩みきったんだ。それを穂香が片手で解く。
「せっかくだし、結び直すわ」
そう言って自分のクラッチバッグを俺に押し付ける。細い指先がワイシャツのボタンを留める際に、肌に触れた。たったそれだけのことなのに、俄かに体温が上がりそうになる。何よりこの近い距離に落ち着かない。
制服の衿にネクタイを通した時に、首筋にまた指先が触れた。勘弁してくれ。
「い、いいって。自分でやる」
「暴れると蝶々結びかつ解けなくしてやるわよ。偶にはちゃんと締めてみたら?アカデミー時代も制服着崩してたし。まぁ、それが似合ってはいたけど」
「…貶すのか褒めてくれんのかどっちかにしてくれ」
「ハロウィン・リーグの衣装、クラバット似合ってたから。真面目にネクタイ締めたら意外と様になるかもよ」
クラバットって、確かネクタイの一種だったか。当日は衣装の質が良いと褒めてはくれた。俺自身に似合ってるかどうかは言ってくれなかったよな。結局、似合ってたってことでいいのか。
穂香の手がぴたりと止まった。大剣を長めにとったところで、うーんと唸り始める。
「どうしたんだ」
「クロスノットにしようかと思ったけど、制服だし…セミウィンザーノットの方がいいかなぁって悩んでた」
「……普通で頼む」
なんでもいいから早く離れてほしい。嫌だとかそういうんじゃない。いつも穂香が纏っている気に入りの香水が鼻を掠める度に、直視できなくて目が泳いでしまう。鼓動だって早鐘を打ち始めているし、このままじゃ俺の心臓が持ちそうにない。
俺の気持ちなんて知る由もない彼女は結び方をようやく決めたのか、軽く頷いた後に慣れた手つきでネクタイを軽やかに操り始めた。ああ、そういえば元カレは年上だって言ってたな。そいつにも同じように、こうやって結んでいたんだろう。今となっては過去の恋敵とは言え、複雑な気分だ。
急に首がぐっと締まる。結び目が普段よりもかなり上の方に持ち上げられていた。思わず情けない声を出すところだった。
「あ、ごめん。締めすぎた?……よし、完成。タイ・クリップつけたら完璧じゃない、これ」
満足そうに、上機嫌でそう笑った。その笑顔にまた心音が一つ静かに跳ねる。
「うん、様になってる。最近は男女問わずにファンの子増えてきてるみたいだし、偶にはギャップで攻めるのもいいと思うわよ。ま、ガストの場合は元がいいから何してもキャーキャー言われそうだけどね」
確かに、最初の頃に比べてファンが増えている気がしていた。人並みにモテたいっていう願望は叶ってるのかもしれない。でも【ハロウィン・リーグ】の時みたいな黄色い声援や押しが強いのはちょっと気後れしちまうけど。対応の仕方が分からなくなる。
そういえば、パレードで市民に詰め寄られた時は「彼女がいる」って嘘をついて切り抜けた。穂香の顔を思い浮かべながら。それが嘘だとバレなくて良かったけど、嘘をついたことが後ろめたくも感じた。
俺は持たされたクラッチバッグを穂香に返し、とりあえず礼を伝える。喉元に指一本入る隙間すらない。マリオンやレンはいつもこんな状態で過ごしてるのか。苦しくないのか、これ。
「窮屈だな…」
「息が詰まりそうなら少し緩めても良いと思うわ」
「いや、今日ぐらいはこれでパトロール続けてくるよ。せっかく穂香が結んでくれたんだしな」
俺がそう言うと、穂香が無邪気な子どもみたいな笑顔を浮かべる。機嫌が良かったり、嬉しいことがあるとこんな風に笑うんだよな。それが可愛い。
「お望みならばいつでもレクチャーするわ。【HELIOS】でも式典とかあるでしょ?その時に役立つわよ」
「ま、まぁ…それはその時だな」
「そうだ今年のクリスマスプレゼント、タイ・クリップ用意しようか」
「クリスマスって…気が早くないか。まだ感謝祭も終わってないってのに」
ハロウィンが終わった次は感謝祭、それからクリスマスだ。間の感謝祭が抜けている理由も分からなくもない。日本じゃ馴染みのないイベントらしいからな。三年住んでいてもまだこっちの風習には慣れていないようで「ああ、忘れてた」と今思い出したようだった。
「そういえば先輩が七面鳥焼かなきゃって言ってたわ。未だに日本の祝日とこっちの祝日、頭の中でごちゃごちゃになるのよね。…カレンダー見直さなきゃ。年末年始はニューミリオンでゆっくり過ごすつもりだし。お店閉まる前に食料とか備えとかないと」
「今年は日本に帰省しないのか?」
毎年ウィンターホリデーには日本に帰省しているから、意外なことを聞いた。時差で「ハッピーニューイヤー!」とメッセージが送られてくるのが恒例だったし。
「大雪で足止め食らうの嫌だもの。年始は戻って来れないかと思ったし」
「こっちでもニュースになったぐらいの酷い雪だったもんな」
「空港で寝泊まりしたの初めてだったわよ。流石にもう懲り懲り」
「暇だからって怒涛の勢いでメッセージ送りつけてきたよな。あの時は通知機能壊れたのかと一瞬思ったぜ。……ホリデーこっちにいるなら、どっか行くか」
職業柄、市内のパトロールが増える時期だとは思う。ヒーローが全員一斉にホリデー休暇取るわけにもいかないだろうし。交代で休暇を取れるならそのどこかで、と考えていた。が、首を横にゆっくりと振られてしまう。
「そこまで気遣ってくれなくていいよ。私はのんびり家でホリデー楽しむから。録り溜めた映画やドラマも消化したいし、ガストもガストで好きに過ごしなよ」
その流れでいくなら俺は穂香とホリデー過ごしたいし、ニューイヤーも迎えたいんだけど。やんわりと振られてしまった手前、その言葉を飲み込んだ。
「……じゃあ、俺も何かクリスマスプレゼント考えとく」
「クリスマスカードだけでいいわよ」
「いやいや、貰っておいてこっちは何も用意しないのは…ナシだろ」
そうは言ったものの、プレゼント選びって難しいよな。気に入ってもらえるかどうか延々と悩んじまうし。今回も相当頭を悩ませそうだ。
勿論、クリスマスカードも付ける。貰いっぱなしじゃ気が済まないと俺が食い下がれば、凛とした口元に笑みが綻ぶ。
「ん。じゃあ、楽しみにしてる。……結構長話しちゃったわね。ごめん」
「気にするなって。市民との対話も任務のうちに入るんだし」
「ありがと。お腹空いて倒れそうだからそろそろ行くわ。それじゃ、パトロールよろしくヒーロー」
「任せとけって。…あ、体調気をつけろよ。寒くなってきたんだし」
「今回は抜かりないわよ。じゃーね」
ひらひらと手を振った穂香は向こうの通りへ姿を消していった。見えなくなるまで見送った後、さっき言えなかった台詞を思い返す。いつまでもこんなんじゃ、ダメだよな。分かってはいるのに、あと一歩が踏み出せない。でも、クリスマスプレゼントの約束は一つできたし、自分としては上々ってことにしておこう。穂香が喜んでくれるもの、選ばないとな。相手の笑う顔を思い浮かべていたら、ついつい口元が緩みそうになった。その時だ。
「おい、ガスト」
「…っ?!マ、マリオン……居たのか。反対方向、パトロールしてたんじゃ…」
急に沸いて出たように、マリオンが俺の背後に立っていた。その紫色の目は三角に吊り上がっていて、見るからに怒っている様子が窺える。いや、俺は何も怒られるようなことはしていないぞ。ただ機嫌が悪いだけなのか。今にも鞭を取り出しそうなメンターが俺の胸元に目をやり、それから睨みつけられた。
「身だしなみは引き締まったようだが、顔が緩んでいる」
「い…いつものことだろ?」
「いつも以上にだ。そのニヤけた顔でパトロールを続けるつもりなら、ボクが引き締めてやる」
マリオンの右手に握られた赤いグリップ。その先に深紅のボディとテールが瞬時に形成された。それが一振りされるより先に、俺はわざと声を大にした。
「そ、そーだ!レンとはぐれちまってたんだ!捜しにいかねーと!」
嘘はついていない。鞭打ちに遭うのは勘弁だ。怒号を避けるように俺はその場を駆け出し、曲がり角へ逃げ込んだ。走りながらさっきマリオンに指摘されたことを思い返す。どうやら思った以上に自分の顔は緩んでいるらしい。レンと合流する前になんとかしないと。
その後、割と早めにレンと合流を果たした時に「顔が緩んでいる」と同じ指摘をされることになった。
「それじゃ、寒くなってきたんで風邪とか気をつけてください!お疲れさまでっす!」
「おぅ。お前らも気をつけろよ」
十一月を迎えたニューミリオンに吹く風はだいぶ冷たくなってきていた。冬物のコートを羽織る市民の姿もチラホラ見える。今も声を掛けてきた弟分たちと風邪を引かないようにと話していたところだ。最近あったことやハロウィン・リーグの中継を見た感想とか。ちょっと立ち話をしているだけで顔が冷たくなってくる。
俺はロイたちを見送ってから、はぐれたチームメイトの捜索を開始した。ていうか、さっきまで後ろにいたはずなんだけどな。俺が呼び止められた間にレンはどっか行っちまったようだ。前と比べてパトロール中も行動を共にしてくれることが増えたけど、ちょっとしたこういう隙に姿を消すんだよな。まるでニンジャみたいに。レンを探しがてらパトロールの続きをするか。
指先がこれ以上冷えないように、ポケットに手を突っ込む。大通りから脇道に曲がろうとした時、後ろからまた誰かに呼び止められた。
「相変わらず人気者ね」と。振り向いた先にスエードのクラッチバッグを手にした穂香がいた。
「外回りか?」
「ううん。これからランチ。午前の仕事長引いちゃって。一本向こうの通りにあるカフェで食べてくるつもり」
「そっか」
「ガストはもう休憩取ったんでしょ?」
穂香が勤めているデザイン事務所はこの近くだ。もう少し早けりゃランチ誘えたんだろうけど。パッと見、誰かと一緒にというワケでも無さそうだ。そういえば一人でランチも慣れてるって言ってたな。なんつーか、その辺も強かだ。食事は誰かと一緒の方が楽しいし、寂しく無いだろって前に言ったこともあった。その時は「一人でゆっくり食べたい時もある」と持論を述べられたな。
「さっきな。タイミング合えばランチ一緒に行けたんだけど」
「残念。そういえばパトロール中に遭遇するの久しぶりな気がする。でも、仕事帰りの時は割と会ってるわね。……待ち伏せでもされてるのかしら」
「人聞きの悪いこと言うなって…偶然に決まってるだろ。その証拠に先月はまともに顔合わせて話したのハロウィンの時ぐらいだ」
「それもそうね」
確かにその辺でバッタリ逢えればいいなと思うことはよくある。だからってストーカーみたいな真似は断じてしていない。
自然とその姿が目に留まるんだ。大衆の中に紛れていても、見つけ出せる自信もある。
「先月は大忙しだったみたいだし、今月はゆっくり…って言ったら語弊が生じるわね。そこまで忙しくはならなさそうなの?」
「んー…どうだろうな。うちのメンターも急に指導に力入れ始めたし……あ」
ハロウィンが過ぎ去った今、季節は冬支度を始めている。雪が降る前にはグリーンイーストの山々が紅葉に染まり出す。いや、むしろもう見頃が過ぎちまった気がする。
俺が表情を曇らせていると、どうしたのかと首を傾げてきた。
「あー…ほら、毎年紅葉見に行ってただろ。今年は逃しちまったかも…って思って」
「そうね。イーストの見頃は既に終わったわね。だいぶ色がくすんできたし。今週末には散ってるかも」
「だよなぁ」
今週末に見に行かないかと考えもしたけど、先約が入っていた。さっきの弟分たちに昼メシ奢る約束がある。だからといって、その次の週には枯れ木になっているか、残っていても数本程度だろう。まぁ、自然が相手だと都合良くいかない。今年は諦めるしかないな。
「紅葉狩り、そんなに好きだったのね」
「え……だって、絶景だろ。イーストの紅葉。この辺も一応色付きはするけど、イーストに比べたら全然だ。ほら、山のモミジは燃えてるみたいに真っ赤なのがいいし。黄色に色付いたのとそのままの緑が並ぶと見応えあるし」
まるで絵画の様にも思える景色が好きだった。なんとなく物悲しさを覚えるこの季節でも、それを見てると秋が深まっていくのも悪くないなって思えるんだ。夕陽に照らされた黄金色の麦畑とはまた違った良さ、風情ってのがある。
気温が下降した日には雨から雪に変わって、その白い雪が紅葉の上に薄っすらと積もることもある。去年、偶然イーストで見ることができて、綺麗だなって言葉がすぐに出てきた。
俺の俯き加減の気持ちを察したのか、穂香が「それなら」と両手の指先で写真の枠を示すようにジェスチャーを見せる。
「通勤がてらに撮った写真ならあるけど、いる?」
「いいのか?じゃあ後で送ってくれよ」
「オーケー。写真チョイスしとくわ。…ガストもだいぶ日本かぶれになってきたよね」
「そーだな。俺も日本通になってきたぜ。穂香のおかげで」
「うどんと蕎麦を箸で食べられるようになったら完璧ね」
「…前から疑問に思ってたけど箸を使う文化圏のヤツらって、なんであんなツルツルしたもの掴めるんだ」
箸で持ち上げた側から麺が逃げていく。それを穂香は器用に掴んで持ち上げるもんだ。箸さばきが鮮やかすぎる。柔らかい豆腐も箸で掴めるっていうし。流石服飾デザイナー、手先が器用だ。
「あと二年ぐらい頑張ればうまく使えるようになるんじゃない?」
「具体的な年数だな…まぁ、頑張ってみるよ」
「ところで」
切り返すように話を遮ってきた穂香の目が鋭く光った気がした。視線が俺の胸元に向いた途端、制服のネクタイをぐっと引っ張るように掴む。上半身が前に傾かないよう足を踏ん張ってみたが、ずいっと睨みつけるように穂香の顔が近づいてきた。
「お兄さん、ちょっとネクタイ緩みすぎじゃないですかねぇ」
「さ…さっき【サブスタンス】の対処してた時に、走り回ってたからな…その時に緩ん……ちょ、なんだ?!」
こんな風にケンカを売るような言い方をする時、大抵ロクなことにならない。その勘が的中した。元々緩く結んでいるネクタイがさっき話した通り、ヒーロースーツにチェンジする前に動き回ったせいで緩みきったんだ。それを穂香が片手で解く。
「せっかくだし、結び直すわ」
そう言って自分のクラッチバッグを俺に押し付ける。細い指先がワイシャツのボタンを留める際に、肌に触れた。たったそれだけのことなのに、俄かに体温が上がりそうになる。何よりこの近い距離に落ち着かない。
制服の衿にネクタイを通した時に、首筋にまた指先が触れた。勘弁してくれ。
「い、いいって。自分でやる」
「暴れると蝶々結びかつ解けなくしてやるわよ。偶にはちゃんと締めてみたら?アカデミー時代も制服着崩してたし。まぁ、それが似合ってはいたけど」
「…貶すのか褒めてくれんのかどっちかにしてくれ」
「ハロウィン・リーグの衣装、クラバット似合ってたから。真面目にネクタイ締めたら意外と様になるかもよ」
クラバットって、確かネクタイの一種だったか。当日は衣装の質が良いと褒めてはくれた。俺自身に似合ってるかどうかは言ってくれなかったよな。結局、似合ってたってことでいいのか。
穂香の手がぴたりと止まった。大剣を長めにとったところで、うーんと唸り始める。
「どうしたんだ」
「クロスノットにしようかと思ったけど、制服だし…セミウィンザーノットの方がいいかなぁって悩んでた」
「……普通で頼む」
なんでもいいから早く離れてほしい。嫌だとかそういうんじゃない。いつも穂香が纏っている気に入りの香水が鼻を掠める度に、直視できなくて目が泳いでしまう。鼓動だって早鐘を打ち始めているし、このままじゃ俺の心臓が持ちそうにない。
俺の気持ちなんて知る由もない彼女は結び方をようやく決めたのか、軽く頷いた後に慣れた手つきでネクタイを軽やかに操り始めた。ああ、そういえば元カレは年上だって言ってたな。そいつにも同じように、こうやって結んでいたんだろう。今となっては過去の恋敵とは言え、複雑な気分だ。
急に首がぐっと締まる。結び目が普段よりもかなり上の方に持ち上げられていた。思わず情けない声を出すところだった。
「あ、ごめん。締めすぎた?……よし、完成。タイ・クリップつけたら完璧じゃない、これ」
満足そうに、上機嫌でそう笑った。その笑顔にまた心音が一つ静かに跳ねる。
「うん、様になってる。最近は男女問わずにファンの子増えてきてるみたいだし、偶にはギャップで攻めるのもいいと思うわよ。ま、ガストの場合は元がいいから何してもキャーキャー言われそうだけどね」
確かに、最初の頃に比べてファンが増えている気がしていた。人並みにモテたいっていう願望は叶ってるのかもしれない。でも【ハロウィン・リーグ】の時みたいな黄色い声援や押しが強いのはちょっと気後れしちまうけど。対応の仕方が分からなくなる。
そういえば、パレードで市民に詰め寄られた時は「彼女がいる」って嘘をついて切り抜けた。穂香の顔を思い浮かべながら。それが嘘だとバレなくて良かったけど、嘘をついたことが後ろめたくも感じた。
俺は持たされたクラッチバッグを穂香に返し、とりあえず礼を伝える。喉元に指一本入る隙間すらない。マリオンやレンはいつもこんな状態で過ごしてるのか。苦しくないのか、これ。
「窮屈だな…」
「息が詰まりそうなら少し緩めても良いと思うわ」
「いや、今日ぐらいはこれでパトロール続けてくるよ。せっかく穂香が結んでくれたんだしな」
俺がそう言うと、穂香が無邪気な子どもみたいな笑顔を浮かべる。機嫌が良かったり、嬉しいことがあるとこんな風に笑うんだよな。それが可愛い。
「お望みならばいつでもレクチャーするわ。【HELIOS】でも式典とかあるでしょ?その時に役立つわよ」
「ま、まぁ…それはその時だな」
「そうだ今年のクリスマスプレゼント、タイ・クリップ用意しようか」
「クリスマスって…気が早くないか。まだ感謝祭も終わってないってのに」
ハロウィンが終わった次は感謝祭、それからクリスマスだ。間の感謝祭が抜けている理由も分からなくもない。日本じゃ馴染みのないイベントらしいからな。三年住んでいてもまだこっちの風習には慣れていないようで「ああ、忘れてた」と今思い出したようだった。
「そういえば先輩が七面鳥焼かなきゃって言ってたわ。未だに日本の祝日とこっちの祝日、頭の中でごちゃごちゃになるのよね。…カレンダー見直さなきゃ。年末年始はニューミリオンでゆっくり過ごすつもりだし。お店閉まる前に食料とか備えとかないと」
「今年は日本に帰省しないのか?」
毎年ウィンターホリデーには日本に帰省しているから、意外なことを聞いた。時差で「ハッピーニューイヤー!」とメッセージが送られてくるのが恒例だったし。
「大雪で足止め食らうの嫌だもの。年始は戻って来れないかと思ったし」
「こっちでもニュースになったぐらいの酷い雪だったもんな」
「空港で寝泊まりしたの初めてだったわよ。流石にもう懲り懲り」
「暇だからって怒涛の勢いでメッセージ送りつけてきたよな。あの時は通知機能壊れたのかと一瞬思ったぜ。……ホリデーこっちにいるなら、どっか行くか」
職業柄、市内のパトロールが増える時期だとは思う。ヒーローが全員一斉にホリデー休暇取るわけにもいかないだろうし。交代で休暇を取れるならそのどこかで、と考えていた。が、首を横にゆっくりと振られてしまう。
「そこまで気遣ってくれなくていいよ。私はのんびり家でホリデー楽しむから。録り溜めた映画やドラマも消化したいし、ガストもガストで好きに過ごしなよ」
その流れでいくなら俺は穂香とホリデー過ごしたいし、ニューイヤーも迎えたいんだけど。やんわりと振られてしまった手前、その言葉を飲み込んだ。
「……じゃあ、俺も何かクリスマスプレゼント考えとく」
「クリスマスカードだけでいいわよ」
「いやいや、貰っておいてこっちは何も用意しないのは…ナシだろ」
そうは言ったものの、プレゼント選びって難しいよな。気に入ってもらえるかどうか延々と悩んじまうし。今回も相当頭を悩ませそうだ。
勿論、クリスマスカードも付ける。貰いっぱなしじゃ気が済まないと俺が食い下がれば、凛とした口元に笑みが綻ぶ。
「ん。じゃあ、楽しみにしてる。……結構長話しちゃったわね。ごめん」
「気にするなって。市民との対話も任務のうちに入るんだし」
「ありがと。お腹空いて倒れそうだからそろそろ行くわ。それじゃ、パトロールよろしくヒーロー」
「任せとけって。…あ、体調気をつけろよ。寒くなってきたんだし」
「今回は抜かりないわよ。じゃーね」
ひらひらと手を振った穂香は向こうの通りへ姿を消していった。見えなくなるまで見送った後、さっき言えなかった台詞を思い返す。いつまでもこんなんじゃ、ダメだよな。分かってはいるのに、あと一歩が踏み出せない。でも、クリスマスプレゼントの約束は一つできたし、自分としては上々ってことにしておこう。穂香が喜んでくれるもの、選ばないとな。相手の笑う顔を思い浮かべていたら、ついつい口元が緩みそうになった。その時だ。
「おい、ガスト」
「…っ?!マ、マリオン……居たのか。反対方向、パトロールしてたんじゃ…」
急に沸いて出たように、マリオンが俺の背後に立っていた。その紫色の目は三角に吊り上がっていて、見るからに怒っている様子が窺える。いや、俺は何も怒られるようなことはしていないぞ。ただ機嫌が悪いだけなのか。今にも鞭を取り出しそうなメンターが俺の胸元に目をやり、それから睨みつけられた。
「身だしなみは引き締まったようだが、顔が緩んでいる」
「い…いつものことだろ?」
「いつも以上にだ。そのニヤけた顔でパトロールを続けるつもりなら、ボクが引き締めてやる」
マリオンの右手に握られた赤いグリップ。その先に深紅のボディとテールが瞬時に形成された。それが一振りされるより先に、俺はわざと声を大にした。
「そ、そーだ!レンとはぐれちまってたんだ!捜しにいかねーと!」
嘘はついていない。鞭打ちに遭うのは勘弁だ。怒号を避けるように俺はその場を駆け出し、曲がり角へ逃げ込んだ。走りながらさっきマリオンに指摘されたことを思い返す。どうやら思った以上に自分の顔は緩んでいるらしい。レンと合流する前になんとかしないと。
その後、割と早めにレンと合流を果たした時に「顔が緩んでいる」と同じ指摘をされることになった。