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未来からのこども
エントランスを抜けるとそこは誰もが楽しめる場所、テーマパークが見えてくる。
大きな観覧車、歓喜の悲鳴を響かせるジェットコースター、綺羅びやかな白馬と馬車が回転するカルーセルなど。家族連れや恋人たちで大変賑わっていた。
秋の空が広がる今日、このテーマパークに珍しい顔ぶれが揃うことになった。ジェイ、ディノ、ガストの三人の『ヒーロー』だ。珍しい理由は所属チームが全員異なるからである。彼らが集まった理由は特殊な【サブスタンス】の調査任務に赴く為。パーク側から【HELIOS】が調査依頼を引き受けた際、偶々手の空いていた『ヒーロー』たちが召集された。
「この三人で動くのもそう滅多にない話だな」
「そうだな。……それにしても、ジェイの人気は相変わらずだよなぁ。手を振ってくる子どもたちは目をきらきらさせてるぜ。流石レジェンドヒーロー」
「そうだ、サイン会や握手会をしてあげたら喜ばれるんじゃない?」
またひとり、ジェイたちに手を振る男の子がいた。その小さな笑顔に手を振り返すジェイとディノ。
ディノの提案にジェイは眉を寄せる。ファンの声に応えたい気持ちはあるが、といった様子で。
「そうしてやりたいところだが、勝手にしてはテーマパーク側に迷惑を掛けてしまう。個別にサインや握手を求められた分は良いとして、大々的に行っては何しに来たんだと怒られてしまうだろう」
「そうだった。今日は【サブスタンス】の調査が目的だもんな。この楽しい雰囲気につられてつい忘れちゃいそうになるよ」
パーク内に流れる軽快なBGM。ディノは度々口ずさむばかりか、ワゴンのフードに目を留めて「ピザ味のチュロスだ! 美味しそうだなぁ」とオフで遊びに来たかのように楽しんでいた。空色の目を子どものように輝かせている。
そんな彼をジェイは叱ることもなく温かい目で見守っていた。
「俺自身ここへ来るのも久しぶりだからな。気分が高揚する気持ちは分からなくもない」
「久しぶりって、そんなに来てなかったのか」
「あぁ。最後に遊びに来たのは息子を連れてきた時だな」
「あ……悪ぃ」
ガストはジェイの家庭事情を知らないわけではなかった。うっかりしての発言にジェイは目くじらを立てるどころか「気にするな」と笑う。
「もっとこういう場所に連れて行ってやれたら良かったとは思う。まぁ、後悔先に立たずと言うやつだが。ガスト、俺みたいにはなるんじゃないぞ。……ところで、彼女とはうまくいっているのか?」
「あ、あぁ」
「そうか。それなら何よりだ。未来の奥さんは勿論、子どもたちとの時間も大切にするんだぞ。何か困ったことがあれば俺に訊けばいい。経験上のアドバイスならしてやれるからな」
「サンキュ。ジェイにそう言って貰えると心強いぜ」
「俺も何でも相談に乗るぞ〜」
ガストの肩に腕を回したディノはニコニコと人の良い笑みを浮かべた。
「結婚式には呼んでくれよ〜。ウエストのみんなでお祝いに行くからな。そうだ、パーティーはジュニアとフェイスに頼んで曲を演奏してもらおう!」
「ははっ……賑やかで楽しそうだな」
「だが、少し気が早いんじゃないか?」
「そうかな。あっという間だと思うぞ。二人が結婚して、子どもが生まれて……うん、幸せなガストくん一家が想像できるよ」
任務中にも関わらずガストの話で盛り上がる二人。まだ少し先の未来をこんなにも祝福してくれる。どこかむず痒くなりながらも、はにかむガストであった。
仰いだ空はよく晴れていて、清々しさまでも感じられる。
涼風を肌に感じる季節。空は次第に高く、澄んでいく。
女の子の泣き声が聞こえてきた。
それは彼らの前方、ちょっとした広場になっている所から聞こえてくる。今まさに泣き出したばかりのようで、何事かと周囲の人間がひとりふたりと立ち止まって振り返り始めた。
泣き声を聞きつけたディノが真っ先に女の子の元へ駆けていく。調査任務中とはいえ、市民の安全が第一。次いでジェイとガストも駆け出した。くるくると回るカルーセルを背に大音声で助けを求める女の子の元へ。
◇◆◇
秋雨が明けた翌日は晴天に恵まれ、少し肌寒かった。
ハロウィン限定パレードが始まるのは一週間後。何もイベントがないこの時季が空いているのだが、通年で訪れる客も多くみられた。正午を過ぎるとテーマパークの賑わいもピークに達する。
家族連れでのんびりと過ごすには今が適している。小さな子を連れて行くのなら尚更にだ。
少し前を歩く愛娘。彼女は穂香の手をぎゅっと握っている。その姿を微笑ましく思い、ガストは穏やかに口元を綻ばせた。
「ママ! カルーセルのりたい!」
「いいわよ。どのお馬さんがいい?」
「しろいおうまさん!」
前方に見えてきたカルーセルを小さな手でぴっと指し示す。
カルーセルの中で優雅に駆ける黒や茶色、白い馬。音楽に合わせてくるくると回っていた。彼女はこのキラキラとしたカルーセルが大好きであった。
「よし、じゃあパパと乗ろうな」
「だめ!」
「えっ」
しかし、ひとりで馬に乗せるにはまだしがみつく力が弱い。誰かが後ろから支えてあげなければ。そう思い、ガストが名乗り出たのだが。まさかの拒否。
「パパはママとのるの! わたしはおにーちゃんとのる!」
数日前にも似た様なやり取りがあった。どうやら彼女にとってガストは穂香と必ず一緒でなければならないらしい。こうと言ったら絶対に譲らないのがこの子だ。
「じゃあ、ママはパパと乗るわね」
「うん。おにーちゃん、はやくいこ!」
「こら、走ったら転ぶって」
娘は母親の手を離し、代わりに兄の手をぎゅっと握った。短い脚で懸命に地面を蹴り上げ、カルーセルに向かって走っていこうとする。
繋いだ手をぶんぶんと振る兄妹。仲睦まじいふたりの背中を見守る穂香。その横でガストが複雑な表情を浮かべていた。
「どうしたの?」
「いや、実はさ……この間も似た様なこと言われたんだ。パパはママの王子様なんだから、私はもっと素敵な人と将来結婚するとかなんとか」
「あら」
「パパはママの~って言われたのは嬉しかったけど。……いつか彼氏ができて離れていっちまうんだろうなって考えたら、なんか切なくなっちまって」
「何年先の話を心配してるのよ」
「穂香に似て可愛いからな。変な虫がつかないかそりゃ心配だって」
「それならあの子だってガストに似て顔がとびっきりいいのよ。アカデミーで女の子にモテてるって噂あるんだから」
「マジかよ。……俺みたいに拗れなきゃいいけど」
「大丈夫よ、きっと」
子どもたちとの距離を一定に保ちながら並んで歩くガストと穂香。振り返った小さなふたつの顔は両親が楽しそうに会話をしている様を見て、お互いに顔を見合わせて笑った。自分たちの話をしているとは思いもせずに。
「おにーちゃん、あれなあに?」
ふたりはぴたりと足を止めた。
カルーセルを覆い隠すようにして突如現れたアーチ状のトンネル。ふたりが手をいくら伸ばしても届かない高さで、とてつもなく大きい。トンネルの向こう側は真っ暗だ。
本能的に危険を感じた兄は妹が走り出さないよう、手を繋ぎ留める。ふたりに追いついた穂香は息子の肩に手を置き、ガストの方を心配そうに見た。
「ガスト」
「父さん、もしかしてこれって【サブスタンス】かな」
「あぁ。……さっきまではこんなモン無かったよな。パーク側が設置するにしたってカルーセルの目の前は邪魔くさすぎるだろ」
【サブスタンス】が造りだした物に違いない。そう判断したガストはトンネルを睨みつけた。
昔から【サブスタンス】に付き纏われ、巻き込まれてきた経緯がある。家族との団欒さえも邪魔してくるとは趣味が悪い。しかしこうして直々に対面してしまったからには無視をする訳にもいかない。一先ず家族を安全な場所に避難させ、【HELIOS】に連絡を。
一連の流れを描いたその時であった。
ガストの娘が兄の手を振り払い、真っすぐにトンネルの向こう側へと走り出した。
穂香が娘の名前を叫ぶ。しかし、振り返らずに走っていってしまう。その姿は闇に紛れて直ぐに見えなくなってしまった。それを追い掛けるように穂香も駆け出した。
「母さんっ!」
まるでトンネルに吸い込まれるていくかの如く、今度は息子も母を追い掛け、そして姿を消した。
咄嗟の出来事だとは言え、目の前で家族が次々と姿を消されては堪ったものではない。ガストは【HELIOS】との通信で「Emergency!」と一言伝えた後、トンネルの中に飛び込んだ。
◇◆◇
小さな女の子は火が点いたように泣きぐずっていた。
これではどこから手をつけていいのか分からないというもの。周囲の大人がそう考える中、ディノは怖くないよと笑顔を見せながら女の子の頭を撫で、その場にしゃがみ込んだ。
「よしよし、どうしたのかなー。転んじゃった?」
女の子は首をぶんぶんと横に振った。質問に応えられるだけの余裕はあるようだ。ディノが次に「痛いところはない?」と優しく問い掛ける。これにも女の子は首を横に振った。
三歳ぐらいの女の子は可愛いワンピースを着せられており、オレンジ色でピカピカの靴を履いていた。両手でスカートの生地を握り、涙を一所懸命に我慢、止めようとしていた。
強い子だな。大人でも涙を止めようとするのは大変なのに。
この子を早く助けてあげないと。それは『ヒーロー』としての使命感に駆られたのとほぼ同時の事であった。
女の子の顔を見た瞬間、直感的に何かを察した。誰かに似ている、と。
「お母さんたちとはぐれちゃったのかな」
「……うん」
「どっちから来たかわかる?」
「あっち。トンネル」
「トンネル?」
目をごしごしと拭いながら女の子はそう答えた。
ディノが辺りを見渡すが、付近にトンネルらしきものはない。彼の記憶が正しければ、そもそもテーマパーク内にトンネルのようなものは存在していないはずだ。
テーマパークに来るまでの道でトンネルをくぐってきた。それなら大いに考えられる。恐らくはこの子にとって道路か電車のトンネルがよほど印象的だったのだろう。
ディノが頭を働かせている間、二人の『ヒーロー』も行動に移していた。
「ディノ。周りを見てきたが、どうやら親御さんらしき人は見当たらない」
「迷子センターにも問い合わせてみたけど、今んとこ迷子の連絡はないみたいだ」
女の子はガストの声が聞こえると、そちらをパッと見上げた。似た緑色の瞳がぶつかり合う。
刹那、女の子は顔をくしゃりとさせてガストの膝にがしっとしがみついた。
「パパぁ〜っ!!」
そう、叫びながら。
「えっ」
「……おお?」
「ええええっ⁉」
ガストの素っ頓狂な声が辺り一帯に響いた。
同時に周囲がどよめき始める。
「あれってガスト・アドラーよね。ノースセクターの」
「昔は素行が荒かったとかウワサ聞いてたけど、やっぱり……」
「ええっ、そうなの?」
「顔がイイとやっぱり、そうなのかしら」
女の子が彼をパパと呼んでいる。まさか彼の子どもなのではないか。そんなヒソヒソ話が野次馬に沸いていた。
根も葉もない噂が飛び交い始めたことに狼狽えるガスト。お構いなしにひしっと脚にしがみつく女の子。場の空気を読んだジェイは周囲に聞こえる声量でこう話し始めた。
「この子の親御さんが彼に似ているそうだ。すまないが、彼に似た人を見かけたら教えてもらいたい」
と、ジェイの一言で場の空気が変化を遂げた。
「ジェイが言うんだからそうなんだろうね」
「見掛けたら教えるね」
「ジェイがんばって!」
レジェンドヒーローへの声援のおかげで一先ず好機の目は逸らされた。しかし、ほっと胸を撫でおろしたのもつかの間。女の子はガストのスラックスの裾をくいくいと引っ張り、涙目でこう訴えてきた。
「パパ、だっこ」
「ええっ?」
「抱っこしてあげなよガストくん」
「そうだな。それで落ち着くならそうしてやった方がいい。泣き出したらまた注目の的になってしまうしな」
折角ジェイが場を納めてくれたのだ。それをまた無に帰す訳にいくはずもなく。口をへの字に曲げて裾を引っ張ってくる小さな女の子を無視するのも良心が痛む。
ガストは一度腰を落とし、女の子をひょいと慣れた手つきで抱っこの形に持っていった。
「おお、慣れているじゃないか」
「妹が小さい時はよくこうやって抱っこしてたからな」
ガストに抱っこされた女の子は短い腕を首に回し、ぎゅーっと抱きついた。ふわふわの髪から香るシャンプーの匂い。鼻を掠めたそれは憶えのあるものであった。
「……迷子になったのがよっほど怖かったみたいだな」
「しかし、随分と懐いているようだ。初めて会ったとは思えない懐き具合にも思える」
「全く身に憶えねぇんだけど」
「うーん。じゃあ、まずは認知してあげよう」
「いやいや、俺の話聞いてたのか⁉」
ディノはガストの後ろから女の子の顔を覗きこもうとする。肩にしっかりと身体を預けていた女の子がちらっと顔を上げた。空を映した目が透き通った瑞々しい小さな緑石を捉える。しばし見つめ合った後、ディノがにこりと笑った。すると女の子は恥ずかしそうに顔を伏せてしまった。
恥ずかしがりやだなぁと笑いながら、ディノは頷いた。何か確証を得たように。
「うん。この子、似てると思うよ。他人の空似とは思えないぐらいに。……まぁ、俺の勘だけどね」
「似てるって、誰に?」
「それは」
そう口を開いた矢先、三人のスマホが同時に鳴り出した。【HELIOS】からの通信だ。ジャックの音声が『ヒーロー』たちのスマホに流れ出す。
『エマージェンシー。イエローウエストアイランド、イエローウエストテーマパーク内で【サブスタンス】を検知しマシタ。現場にいる『ヒーロー』は直ちに目的地へ向かってくだサイ。検知場所は観覧車付近デス』
「ジャック、被害は?」
『被害レベルは確認されていマセン』
「わかった。【サブスタンス】がどんな物かわからない以上は早急に向かった方がいいな。俺とディノが向かおう。ガストはその子と一緒に安全な場所で待機していてくれ」
「わかった。こっちは任せてくれ。そっちも頼んだぜ」
出現した【サブスタンス】の対処、迷子対応の二手に別れた『ヒーロー』たち。ジェイとディノは観覧車のある方へ向かっていった。
残されたガストは女の子をしっかりと抱き、落とさないように支える。
しかし、任せろと言ったはいいものの。このままここに棒立ちしていては悪目立ちしてしまう。あらぬ噂が立たぬように、周囲を散策でもするか。幸い女の子は泣き止んだようで、時々鼻をすするまでに落ち着いたようであった。
ガストはゆっくりとカルーセルの周りを歩き出した。なるべく振動を与えないようにゆっくりと。
早く親が見つかればいいのだが。そんなことを考えつつ周囲に気を配りながら歩いていた。その耳元に控えめな声が聞こえてきた。
「……パパ、行っちゃうの?」
「え? ……いや、俺は行かないよ」
先程までいた『ヒーロー』ふたりが現場に駆け付けていったので、ガストも行ってしまうのだろう。そうなると、この子の父親も『ヒーロー』なのかもしれない。
ガストが優しい声で答えれば、女の子は肩口に顔をちょっぴりうずめた。
「ごめんなさい」
「ん?」
「おにーちゃんのて、はなしちゃった。あのね、トンネルからたのしそうなこえがしたの。パパのこえもしたよ。……だから、パパもいるならだいじょーぶだとおもって」
段々と尻すぼみに、もごもごと言い訳するように話す女の子。
小さな子は大人が予想だにしない行動を取ることが多々見られる。突然走り出したり、立ち止まったり。興味の対象も様々で、空を飛ぶ鳥を見上げていたかと思えば、道端にしゃがみ込み小さな花をじっと眺める。突拍子もない、大胆な行動に親は手を焼くこともしばしば。
妹が小さい頃はよく振り回されたものだ。ガストは一昔前を懐かしむようにくすりと笑った。
「そっか。それでみんなとはぐれちゃったんだな。転んだり、ぶつかったりしなかったか?」
「うん。パパ、ママとおにーちゃんどこ?」
「大丈夫だ。すぐ会えるよ」
どうやら女の子は家族四人でテーマパークに遊びに来ているようだ。両親たちは今頃必死になってはぐれた女の子を探しているに違いない。家族に会えるまでこの小さな背中を守らなければ。
ガストはどこか他人とは思えない感覚を抱いていた。ディノに言われたからではない。もっとこう、感覚的な何かが芽生えている。しかしそれを上手く言葉では表せそうになかった。
「あのね、シロスケがおうたをうたってたの。なかなかうまくうたえないっていってた。チヨスケみたいにうまくなりたいって」
「チヨスケって」
「でもね、わたしはシロスケのおうたすき。わたしがうたうとね、いっしょにうたってくれるの。あとね、おにーちゃんがね」
限られた人間しか知らないはずの名前が出てきたことにガストは驚いていた。どこでその名前を知ったのか、シロスケとは。そう訊ねたくとも、女の子のお喋りが止まらない。家族の話、チヨスケの話、友達の話。実に話題が尽きなかった。
ガストは適度な相槌を打ちながらカルーセルの周囲を歩く。その表情に浮かんでいた戸惑いの色は薄れていて、穏やかな笑みすら携えていた。
「……ガスト?」
彼を背後から呼び止めた一人の女性。その声は奇妙だ、夢でも見ているのではないかといった様子。
振り向いたガストはその目を丸くさせ、恋人の名を呼んだ。
「穂香?」
◇◆◇
一方、トンネルを潜り抜けてきたガストは焦燥感に駆られていた。
周囲を見渡すも、子どもたちどころか穂香の姿も見当たらない。同じトンネルを潜り抜けてきたはずだ。そのトンネルも今では忽然と姿を消してしまった。
場所はどうやらイエローウエストのテーマパーク内であることは確か。だが奇妙な違和感をガストは覚えていた。パーク内の雰囲気がどことなく違う。その違和感の素は飾り付けに猫のキャラクターがいること。軽食を売るワゴンや外灯にもそれらが目立つ。このテーマパークのキャラクターには違いないのだが、ガストたちが訪れた時には飾られていなかったものだ。
――今さっきスタッフが飾り付けたのか。そうとは考えにくいよな。
――それに一帯の空気というか、風が変わった。
もしかするとこの場所は。いや、まだそうとは言い切れない。【サブスタンス】の及ぼす影響は計り知れないのだ。ここがどんな場所であろうと気を抜かずに行動しなければ。
先ずは周辺の捜索が基本。特に三歳の娘が心配だ。そう遠くへは行っていないことを願う。善意ある人に助けられていればいいが、人攫いのケースも捨てきれない。常日頃、知らない人にはついていってはいけないと教えてはいる。一度そう考えだすと悪い方向へ転がり落ちるように思考が回り始めた。
――頼むからみんな無事でいてくれよ。
頭上にある観覧車を仰いだ後、正面を向いたガスト。その先に見覚えのある顔が横切っていった。
紺碧に近い髪と目を持つ、かつての同室。レンだ。
しかし、ガストが知るレンとはこれまた微妙に異なる。横顔から捉えられた表情や髪型、成人済にしてはやや若さも見られる。それらの情報を元にガストは一つの仮説を打ち立てた。
「おーい! レン!」
「……ガスト?」
振り向いたレンを見て、ひとつ確証に近づいた。
自分の呼び掛けに素っ気ない反応と表情。やはりあの頃のレンだと頷くガスト。
「やっぱレンだよな。ははっ……ちょっと懐かしいな」
「……ガスト。なんか、老けたな」
「いやいや、老けたは言い過ぎだろ。十年ぐらいしか経ってねぇんだし」
ガストの顔面をじっと観察した後に出てきた単語。老けたというダイレクトな表現にガストは苦笑いを浮かべてみせた。
そしてその台詞で先程の仮説が成り立つ。ここは過去の世界だ。
「レン、小さな女の子見掛けなかったか? 俺に……というよりは穂香に似てる子なんだけど。あと、俺に似た背がこのぐらいの男の子。それと穂香ともはぐれちまってさ」
「……いや、見てない。さっきから何ワケの分からないこと言ってるんだ」
「あー……何から説明したらいいか。って、レンはこんな所に何しに来たんだ。誰かと一緒に来てて、はぐれちまったのか」
「いや、俺ひとりだ」
「レンっておひとりさまテーマパークするようなヤツだったっけ」
「ガストには関係ない」
記憶の限りでは騒がしい場所にひとりで楽しみにくるような性格ではなかったはず。好んでいく場所は静かなカフェ、それか猫の溜まり場だ。理由を訊ねようにも、答えてくれそうな雰囲気でもない。
ちらり。レンの視線がパーク内の飾り付けに向いた。視線の先には猫のキャラクターの飾り付け。それを見たガストは弾いた様な声を上げた。
「そういや、確か限定の猫のキャラグッズ買いに行くとか言ってたよな。この年の今限定のヤツだとかで。俺が丁度任務で行くから買ってきてやろうかって話もした記憶がある。でも、自分で行って買ってくるって……思い出してきたぞ」
「その調査任務でジェイとディノが一緒のはずじゃないのか」
「そうそう、その珍しいメンバーで調査に行ったんだよ。……この時代の俺に会えば何かわかるかもしれねぇな。でもどの辺にいたかまで記憶にねぇし。そうだ、レン。俺に連絡して今どの辺りにいるか聞いてくれないか」
「……意味がわからない」
「頼む! ……今は少しでも手掛かりが欲しいんだ」
手を合わせて頼み込むガストに折れたレンは静かに「わかった」とスマホを取り出した。
その瞬間、彼のスマホが緊急の報せを受信した。【HELIOS】からの連絡だ。
『エマージェンシー。イエローウエストアイランド、イエローウエストテーマパーク内で【サブスタンス】を検知しマシタ。現場にいる『ヒーロー』は直ちに目的地へ向かってくだサイ。検知場所は観覧車付近デス』
「ナイスタイミング。レン、行くぞ!」
「ちょ、ちょっと待て」
何がなんだか結局分からないままの状態のレン。ガストはジャックが報せた目的地に向かって走り出した。レンを誘導しながら。
◇◆◇
「やっぱりここ、過去なのね。パークの雰囲気が微妙に違うから、もしかして……と思ってた。でも、逆に未来かもしれない。今までの経験上、どこに繋がってるかわからなかったし。そう思ってた所にガストがうちの子抱っこしてた。本当に良かったわ。ありがとう」
穂香の腕にしっかりと抱っこされた女の子はガストの顔をじっと見つめていた。透き通るグリーンの目に見つめられ、どこかこそばゆくなる。
「パパ、かおがいい」
昔どこかで聞いた台詞だ。ここまで似るものなのかとガストが笑う。
「そっくりだな、穂香に。……ほら、前に穂香の実家で古いアルバム見せてもらっただろ。今思えばその時の小さい穂香にそっくりだ」
「自分じゃよくわからないのよね。でも、母さんたちもそう言ってるわ。お転婆だったお前にそっくりだって」
「ははっ……その様子だと子育てに手焼いてるみたいだな」
「そりゃ大変よ。でもガストと一緒だから」
この小さな女の子と穂香は少し先の未来からやって来た。例に漏れず【サブスタンス】の影響を受けて。
ディノが「似ている」と言っていた理由も頷ける。自分の娘だったのだから。
「パパのつくったオムライスおいしかった。またつくって」
「ん……ああ、いいぞ」
「メジロちゃんかいて」
「メジロ?」
「ケチャップで描いてあげてるのよ。すっごく可愛いのよね」
「うん!」
「それなら期待に応えられるよう今から練習しとかねぇとな」
カルーセルから観覧車の方へゆっくりとふたりは歩いていく。
急に重くなった我が子に対し「泣き疲れて眠っちゃったみたいね」と優しい目を向ける穂香。聖母のような眼差しを見るのは初めてだ。ガストにも自然と笑みが綻ぶ。
「母さん!」
前方から走ってきた少年が息を切らしながらやってきた。母親の姿を見つけ、声を上げるも妹がすやすや眠っているのに気づき声の声量を慌てて落とす。
二ふたりとも無事で良かった。そう安堵した後、ガストを見て目を丸くした。
「……父さん?」
「俺の顔に、何かついてるか?」
「いや……なんか、年取ってないよね」
「褒め言葉として受け取っておくぜ。……って、今の俺が言うのも変か。家族で【サブスタンス】に巻き込まれちまうなんて災難だったな」
今もこれからも【サブスタンス】に付き纏われる。それは少しネックだなとガストは眉を下げた。しかし息子はどうやらそうでもないらしい。
「昔の父さんに会えたからそうでもないよ」
「そっか。……それで、帰る方法はあるんだよな?」
「それはたった今確保できたトコだぜ」
少年の肩をぽんと叩いたもう一人のガスト。
ああ、確かにこれはあまり変わらない。少し、目元にシワができたぐらいか。
「よ、元気そうだな」
「そっちもな。相変わらず【サブスタンス】に振り回されてるみたいだけど」
「んー……昔よりは減ったかも、な。まぁ、今回は流石に肝が冷えたぜ」
「そりゃ、そうだろ。家族散り散りになっちまったんだし」
「でも、レンに会えたおかげで助かったぜ。……って、もういねぇし。昔から変わんねぇなアイツ」
未来のガストと共に【サブスタンス】の現場に向かったレンはジェイ達と合流。出現した【サブスタンス】がどうやら未来と一時的にワームホールのようなもので繋がってしまったようだと、本部から見解が送られてきた。過去に迷い込んできた者たちがガストとその家族だとわかり、彼らが集まるのを待っていた。
観覧車の前にはこの場に不釣り合いな大きなトンネルのようなゲートが聳えていた。
「レンがいたのか」
「ああ。ほら、この時期限定の猫のグッズ買いに来てたみたいだ」
「あれか。買ってくるって言って断られたやつだ。じゃあそれ買いに行ってんのかもな」
と、ここで二人の脳裏に同時に思い浮かぶ心配事。
「迷子になってなきゃいいけど」
同時に声をハモらせた二人は顔を見合わせて笑いあった。
「……っと、そろそろ行かねぇと。このゲート、キースたちがなんとか支えてくれてるみたいなんだ」
「そいつは早く行ってやんねぇと」
「あぁ。……何も聞かねぇんだな」
「え?」
穂香が抱っこしている娘の頭を優しく撫でる兄。
見るからに幸せそうな彼らを前に、何を聞くことがあるだろうか。
「その顔見てりゃわかるって」
「あぁ。そうだな。じゃ、そろそろ俺たちは元の時代に帰るぜ」
「お幸せに」
「何言ってんだよ。それを繋いでくのはお前自身だろ」
ひらりと手を振って見送るガストは「それもそうだ」と未来の自分に笑い返した。
エントランスを抜けるとそこは誰もが楽しめる場所、テーマパークが見えてくる。
大きな観覧車、歓喜の悲鳴を響かせるジェットコースター、綺羅びやかな白馬と馬車が回転するカルーセルなど。家族連れや恋人たちで大変賑わっていた。
秋の空が広がる今日、このテーマパークに珍しい顔ぶれが揃うことになった。ジェイ、ディノ、ガストの三人の『ヒーロー』だ。珍しい理由は所属チームが全員異なるからである。彼らが集まった理由は特殊な【サブスタンス】の調査任務に赴く為。パーク側から【HELIOS】が調査依頼を引き受けた際、偶々手の空いていた『ヒーロー』たちが召集された。
「この三人で動くのもそう滅多にない話だな」
「そうだな。……それにしても、ジェイの人気は相変わらずだよなぁ。手を振ってくる子どもたちは目をきらきらさせてるぜ。流石レジェンドヒーロー」
「そうだ、サイン会や握手会をしてあげたら喜ばれるんじゃない?」
またひとり、ジェイたちに手を振る男の子がいた。その小さな笑顔に手を振り返すジェイとディノ。
ディノの提案にジェイは眉を寄せる。ファンの声に応えたい気持ちはあるが、といった様子で。
「そうしてやりたいところだが、勝手にしてはテーマパーク側に迷惑を掛けてしまう。個別にサインや握手を求められた分は良いとして、大々的に行っては何しに来たんだと怒られてしまうだろう」
「そうだった。今日は【サブスタンス】の調査が目的だもんな。この楽しい雰囲気につられてつい忘れちゃいそうになるよ」
パーク内に流れる軽快なBGM。ディノは度々口ずさむばかりか、ワゴンのフードに目を留めて「ピザ味のチュロスだ! 美味しそうだなぁ」とオフで遊びに来たかのように楽しんでいた。空色の目を子どものように輝かせている。
そんな彼をジェイは叱ることもなく温かい目で見守っていた。
「俺自身ここへ来るのも久しぶりだからな。気分が高揚する気持ちは分からなくもない」
「久しぶりって、そんなに来てなかったのか」
「あぁ。最後に遊びに来たのは息子を連れてきた時だな」
「あ……悪ぃ」
ガストはジェイの家庭事情を知らないわけではなかった。うっかりしての発言にジェイは目くじらを立てるどころか「気にするな」と笑う。
「もっとこういう場所に連れて行ってやれたら良かったとは思う。まぁ、後悔先に立たずと言うやつだが。ガスト、俺みたいにはなるんじゃないぞ。……ところで、彼女とはうまくいっているのか?」
「あ、あぁ」
「そうか。それなら何よりだ。未来の奥さんは勿論、子どもたちとの時間も大切にするんだぞ。何か困ったことがあれば俺に訊けばいい。経験上のアドバイスならしてやれるからな」
「サンキュ。ジェイにそう言って貰えると心強いぜ」
「俺も何でも相談に乗るぞ〜」
ガストの肩に腕を回したディノはニコニコと人の良い笑みを浮かべた。
「結婚式には呼んでくれよ〜。ウエストのみんなでお祝いに行くからな。そうだ、パーティーはジュニアとフェイスに頼んで曲を演奏してもらおう!」
「ははっ……賑やかで楽しそうだな」
「だが、少し気が早いんじゃないか?」
「そうかな。あっという間だと思うぞ。二人が結婚して、子どもが生まれて……うん、幸せなガストくん一家が想像できるよ」
任務中にも関わらずガストの話で盛り上がる二人。まだ少し先の未来をこんなにも祝福してくれる。どこかむず痒くなりながらも、はにかむガストであった。
仰いだ空はよく晴れていて、清々しさまでも感じられる。
涼風を肌に感じる季節。空は次第に高く、澄んでいく。
女の子の泣き声が聞こえてきた。
それは彼らの前方、ちょっとした広場になっている所から聞こえてくる。今まさに泣き出したばかりのようで、何事かと周囲の人間がひとりふたりと立ち止まって振り返り始めた。
泣き声を聞きつけたディノが真っ先に女の子の元へ駆けていく。調査任務中とはいえ、市民の安全が第一。次いでジェイとガストも駆け出した。くるくると回るカルーセルを背に大音声で助けを求める女の子の元へ。
◇◆◇
秋雨が明けた翌日は晴天に恵まれ、少し肌寒かった。
ハロウィン限定パレードが始まるのは一週間後。何もイベントがないこの時季が空いているのだが、通年で訪れる客も多くみられた。正午を過ぎるとテーマパークの賑わいもピークに達する。
家族連れでのんびりと過ごすには今が適している。小さな子を連れて行くのなら尚更にだ。
少し前を歩く愛娘。彼女は穂香の手をぎゅっと握っている。その姿を微笑ましく思い、ガストは穏やかに口元を綻ばせた。
「ママ! カルーセルのりたい!」
「いいわよ。どのお馬さんがいい?」
「しろいおうまさん!」
前方に見えてきたカルーセルを小さな手でぴっと指し示す。
カルーセルの中で優雅に駆ける黒や茶色、白い馬。音楽に合わせてくるくると回っていた。彼女はこのキラキラとしたカルーセルが大好きであった。
「よし、じゃあパパと乗ろうな」
「だめ!」
「えっ」
しかし、ひとりで馬に乗せるにはまだしがみつく力が弱い。誰かが後ろから支えてあげなければ。そう思い、ガストが名乗り出たのだが。まさかの拒否。
「パパはママとのるの! わたしはおにーちゃんとのる!」
数日前にも似た様なやり取りがあった。どうやら彼女にとってガストは穂香と必ず一緒でなければならないらしい。こうと言ったら絶対に譲らないのがこの子だ。
「じゃあ、ママはパパと乗るわね」
「うん。おにーちゃん、はやくいこ!」
「こら、走ったら転ぶって」
娘は母親の手を離し、代わりに兄の手をぎゅっと握った。短い脚で懸命に地面を蹴り上げ、カルーセルに向かって走っていこうとする。
繋いだ手をぶんぶんと振る兄妹。仲睦まじいふたりの背中を見守る穂香。その横でガストが複雑な表情を浮かべていた。
「どうしたの?」
「いや、実はさ……この間も似た様なこと言われたんだ。パパはママの王子様なんだから、私はもっと素敵な人と将来結婚するとかなんとか」
「あら」
「パパはママの~って言われたのは嬉しかったけど。……いつか彼氏ができて離れていっちまうんだろうなって考えたら、なんか切なくなっちまって」
「何年先の話を心配してるのよ」
「穂香に似て可愛いからな。変な虫がつかないかそりゃ心配だって」
「それならあの子だってガストに似て顔がとびっきりいいのよ。アカデミーで女の子にモテてるって噂あるんだから」
「マジかよ。……俺みたいに拗れなきゃいいけど」
「大丈夫よ、きっと」
子どもたちとの距離を一定に保ちながら並んで歩くガストと穂香。振り返った小さなふたつの顔は両親が楽しそうに会話をしている様を見て、お互いに顔を見合わせて笑った。自分たちの話をしているとは思いもせずに。
「おにーちゃん、あれなあに?」
ふたりはぴたりと足を止めた。
カルーセルを覆い隠すようにして突如現れたアーチ状のトンネル。ふたりが手をいくら伸ばしても届かない高さで、とてつもなく大きい。トンネルの向こう側は真っ暗だ。
本能的に危険を感じた兄は妹が走り出さないよう、手を繋ぎ留める。ふたりに追いついた穂香は息子の肩に手を置き、ガストの方を心配そうに見た。
「ガスト」
「父さん、もしかしてこれって【サブスタンス】かな」
「あぁ。……さっきまではこんなモン無かったよな。パーク側が設置するにしたってカルーセルの目の前は邪魔くさすぎるだろ」
【サブスタンス】が造りだした物に違いない。そう判断したガストはトンネルを睨みつけた。
昔から【サブスタンス】に付き纏われ、巻き込まれてきた経緯がある。家族との団欒さえも邪魔してくるとは趣味が悪い。しかしこうして直々に対面してしまったからには無視をする訳にもいかない。一先ず家族を安全な場所に避難させ、【HELIOS】に連絡を。
一連の流れを描いたその時であった。
ガストの娘が兄の手を振り払い、真っすぐにトンネルの向こう側へと走り出した。
穂香が娘の名前を叫ぶ。しかし、振り返らずに走っていってしまう。その姿は闇に紛れて直ぐに見えなくなってしまった。それを追い掛けるように穂香も駆け出した。
「母さんっ!」
まるでトンネルに吸い込まれるていくかの如く、今度は息子も母を追い掛け、そして姿を消した。
咄嗟の出来事だとは言え、目の前で家族が次々と姿を消されては堪ったものではない。ガストは【HELIOS】との通信で「Emergency!」と一言伝えた後、トンネルの中に飛び込んだ。
◇◆◇
小さな女の子は火が点いたように泣きぐずっていた。
これではどこから手をつけていいのか分からないというもの。周囲の大人がそう考える中、ディノは怖くないよと笑顔を見せながら女の子の頭を撫で、その場にしゃがみ込んだ。
「よしよし、どうしたのかなー。転んじゃった?」
女の子は首をぶんぶんと横に振った。質問に応えられるだけの余裕はあるようだ。ディノが次に「痛いところはない?」と優しく問い掛ける。これにも女の子は首を横に振った。
三歳ぐらいの女の子は可愛いワンピースを着せられており、オレンジ色でピカピカの靴を履いていた。両手でスカートの生地を握り、涙を一所懸命に我慢、止めようとしていた。
強い子だな。大人でも涙を止めようとするのは大変なのに。
この子を早く助けてあげないと。それは『ヒーロー』としての使命感に駆られたのとほぼ同時の事であった。
女の子の顔を見た瞬間、直感的に何かを察した。誰かに似ている、と。
「お母さんたちとはぐれちゃったのかな」
「……うん」
「どっちから来たかわかる?」
「あっち。トンネル」
「トンネル?」
目をごしごしと拭いながら女の子はそう答えた。
ディノが辺りを見渡すが、付近にトンネルらしきものはない。彼の記憶が正しければ、そもそもテーマパーク内にトンネルのようなものは存在していないはずだ。
テーマパークに来るまでの道でトンネルをくぐってきた。それなら大いに考えられる。恐らくはこの子にとって道路か電車のトンネルがよほど印象的だったのだろう。
ディノが頭を働かせている間、二人の『ヒーロー』も行動に移していた。
「ディノ。周りを見てきたが、どうやら親御さんらしき人は見当たらない」
「迷子センターにも問い合わせてみたけど、今んとこ迷子の連絡はないみたいだ」
女の子はガストの声が聞こえると、そちらをパッと見上げた。似た緑色の瞳がぶつかり合う。
刹那、女の子は顔をくしゃりとさせてガストの膝にがしっとしがみついた。
「パパぁ〜っ!!」
そう、叫びながら。
「えっ」
「……おお?」
「ええええっ⁉」
ガストの素っ頓狂な声が辺り一帯に響いた。
同時に周囲がどよめき始める。
「あれってガスト・アドラーよね。ノースセクターの」
「昔は素行が荒かったとかウワサ聞いてたけど、やっぱり……」
「ええっ、そうなの?」
「顔がイイとやっぱり、そうなのかしら」
女の子が彼をパパと呼んでいる。まさか彼の子どもなのではないか。そんなヒソヒソ話が野次馬に沸いていた。
根も葉もない噂が飛び交い始めたことに狼狽えるガスト。お構いなしにひしっと脚にしがみつく女の子。場の空気を読んだジェイは周囲に聞こえる声量でこう話し始めた。
「この子の親御さんが彼に似ているそうだ。すまないが、彼に似た人を見かけたら教えてもらいたい」
と、ジェイの一言で場の空気が変化を遂げた。
「ジェイが言うんだからそうなんだろうね」
「見掛けたら教えるね」
「ジェイがんばって!」
レジェンドヒーローへの声援のおかげで一先ず好機の目は逸らされた。しかし、ほっと胸を撫でおろしたのもつかの間。女の子はガストのスラックスの裾をくいくいと引っ張り、涙目でこう訴えてきた。
「パパ、だっこ」
「ええっ?」
「抱っこしてあげなよガストくん」
「そうだな。それで落ち着くならそうしてやった方がいい。泣き出したらまた注目の的になってしまうしな」
折角ジェイが場を納めてくれたのだ。それをまた無に帰す訳にいくはずもなく。口をへの字に曲げて裾を引っ張ってくる小さな女の子を無視するのも良心が痛む。
ガストは一度腰を落とし、女の子をひょいと慣れた手つきで抱っこの形に持っていった。
「おお、慣れているじゃないか」
「妹が小さい時はよくこうやって抱っこしてたからな」
ガストに抱っこされた女の子は短い腕を首に回し、ぎゅーっと抱きついた。ふわふわの髪から香るシャンプーの匂い。鼻を掠めたそれは憶えのあるものであった。
「……迷子になったのがよっほど怖かったみたいだな」
「しかし、随分と懐いているようだ。初めて会ったとは思えない懐き具合にも思える」
「全く身に憶えねぇんだけど」
「うーん。じゃあ、まずは認知してあげよう」
「いやいや、俺の話聞いてたのか⁉」
ディノはガストの後ろから女の子の顔を覗きこもうとする。肩にしっかりと身体を預けていた女の子がちらっと顔を上げた。空を映した目が透き通った瑞々しい小さな緑石を捉える。しばし見つめ合った後、ディノがにこりと笑った。すると女の子は恥ずかしそうに顔を伏せてしまった。
恥ずかしがりやだなぁと笑いながら、ディノは頷いた。何か確証を得たように。
「うん。この子、似てると思うよ。他人の空似とは思えないぐらいに。……まぁ、俺の勘だけどね」
「似てるって、誰に?」
「それは」
そう口を開いた矢先、三人のスマホが同時に鳴り出した。【HELIOS】からの通信だ。ジャックの音声が『ヒーロー』たちのスマホに流れ出す。
『エマージェンシー。イエローウエストアイランド、イエローウエストテーマパーク内で【サブスタンス】を検知しマシタ。現場にいる『ヒーロー』は直ちに目的地へ向かってくだサイ。検知場所は観覧車付近デス』
「ジャック、被害は?」
『被害レベルは確認されていマセン』
「わかった。【サブスタンス】がどんな物かわからない以上は早急に向かった方がいいな。俺とディノが向かおう。ガストはその子と一緒に安全な場所で待機していてくれ」
「わかった。こっちは任せてくれ。そっちも頼んだぜ」
出現した【サブスタンス】の対処、迷子対応の二手に別れた『ヒーロー』たち。ジェイとディノは観覧車のある方へ向かっていった。
残されたガストは女の子をしっかりと抱き、落とさないように支える。
しかし、任せろと言ったはいいものの。このままここに棒立ちしていては悪目立ちしてしまう。あらぬ噂が立たぬように、周囲を散策でもするか。幸い女の子は泣き止んだようで、時々鼻をすするまでに落ち着いたようであった。
ガストはゆっくりとカルーセルの周りを歩き出した。なるべく振動を与えないようにゆっくりと。
早く親が見つかればいいのだが。そんなことを考えつつ周囲に気を配りながら歩いていた。その耳元に控えめな声が聞こえてきた。
「……パパ、行っちゃうの?」
「え? ……いや、俺は行かないよ」
先程までいた『ヒーロー』ふたりが現場に駆け付けていったので、ガストも行ってしまうのだろう。そうなると、この子の父親も『ヒーロー』なのかもしれない。
ガストが優しい声で答えれば、女の子は肩口に顔をちょっぴりうずめた。
「ごめんなさい」
「ん?」
「おにーちゃんのて、はなしちゃった。あのね、トンネルからたのしそうなこえがしたの。パパのこえもしたよ。……だから、パパもいるならだいじょーぶだとおもって」
段々と尻すぼみに、もごもごと言い訳するように話す女の子。
小さな子は大人が予想だにしない行動を取ることが多々見られる。突然走り出したり、立ち止まったり。興味の対象も様々で、空を飛ぶ鳥を見上げていたかと思えば、道端にしゃがみ込み小さな花をじっと眺める。突拍子もない、大胆な行動に親は手を焼くこともしばしば。
妹が小さい頃はよく振り回されたものだ。ガストは一昔前を懐かしむようにくすりと笑った。
「そっか。それでみんなとはぐれちゃったんだな。転んだり、ぶつかったりしなかったか?」
「うん。パパ、ママとおにーちゃんどこ?」
「大丈夫だ。すぐ会えるよ」
どうやら女の子は家族四人でテーマパークに遊びに来ているようだ。両親たちは今頃必死になってはぐれた女の子を探しているに違いない。家族に会えるまでこの小さな背中を守らなければ。
ガストはどこか他人とは思えない感覚を抱いていた。ディノに言われたからではない。もっとこう、感覚的な何かが芽生えている。しかしそれを上手く言葉では表せそうになかった。
「あのね、シロスケがおうたをうたってたの。なかなかうまくうたえないっていってた。チヨスケみたいにうまくなりたいって」
「チヨスケって」
「でもね、わたしはシロスケのおうたすき。わたしがうたうとね、いっしょにうたってくれるの。あとね、おにーちゃんがね」
限られた人間しか知らないはずの名前が出てきたことにガストは驚いていた。どこでその名前を知ったのか、シロスケとは。そう訊ねたくとも、女の子のお喋りが止まらない。家族の話、チヨスケの話、友達の話。実に話題が尽きなかった。
ガストは適度な相槌を打ちながらカルーセルの周囲を歩く。その表情に浮かんでいた戸惑いの色は薄れていて、穏やかな笑みすら携えていた。
「……ガスト?」
彼を背後から呼び止めた一人の女性。その声は奇妙だ、夢でも見ているのではないかといった様子。
振り向いたガストはその目を丸くさせ、恋人の名を呼んだ。
「穂香?」
◇◆◇
一方、トンネルを潜り抜けてきたガストは焦燥感に駆られていた。
周囲を見渡すも、子どもたちどころか穂香の姿も見当たらない。同じトンネルを潜り抜けてきたはずだ。そのトンネルも今では忽然と姿を消してしまった。
場所はどうやらイエローウエストのテーマパーク内であることは確か。だが奇妙な違和感をガストは覚えていた。パーク内の雰囲気がどことなく違う。その違和感の素は飾り付けに猫のキャラクターがいること。軽食を売るワゴンや外灯にもそれらが目立つ。このテーマパークのキャラクターには違いないのだが、ガストたちが訪れた時には飾られていなかったものだ。
――今さっきスタッフが飾り付けたのか。そうとは考えにくいよな。
――それに一帯の空気というか、風が変わった。
もしかするとこの場所は。いや、まだそうとは言い切れない。【サブスタンス】の及ぼす影響は計り知れないのだ。ここがどんな場所であろうと気を抜かずに行動しなければ。
先ずは周辺の捜索が基本。特に三歳の娘が心配だ。そう遠くへは行っていないことを願う。善意ある人に助けられていればいいが、人攫いのケースも捨てきれない。常日頃、知らない人にはついていってはいけないと教えてはいる。一度そう考えだすと悪い方向へ転がり落ちるように思考が回り始めた。
――頼むからみんな無事でいてくれよ。
頭上にある観覧車を仰いだ後、正面を向いたガスト。その先に見覚えのある顔が横切っていった。
紺碧に近い髪と目を持つ、かつての同室。レンだ。
しかし、ガストが知るレンとはこれまた微妙に異なる。横顔から捉えられた表情や髪型、成人済にしてはやや若さも見られる。それらの情報を元にガストは一つの仮説を打ち立てた。
「おーい! レン!」
「……ガスト?」
振り向いたレンを見て、ひとつ確証に近づいた。
自分の呼び掛けに素っ気ない反応と表情。やはりあの頃のレンだと頷くガスト。
「やっぱレンだよな。ははっ……ちょっと懐かしいな」
「……ガスト。なんか、老けたな」
「いやいや、老けたは言い過ぎだろ。十年ぐらいしか経ってねぇんだし」
ガストの顔面をじっと観察した後に出てきた単語。老けたというダイレクトな表現にガストは苦笑いを浮かべてみせた。
そしてその台詞で先程の仮説が成り立つ。ここは過去の世界だ。
「レン、小さな女の子見掛けなかったか? 俺に……というよりは穂香に似てる子なんだけど。あと、俺に似た背がこのぐらいの男の子。それと穂香ともはぐれちまってさ」
「……いや、見てない。さっきから何ワケの分からないこと言ってるんだ」
「あー……何から説明したらいいか。って、レンはこんな所に何しに来たんだ。誰かと一緒に来てて、はぐれちまったのか」
「いや、俺ひとりだ」
「レンっておひとりさまテーマパークするようなヤツだったっけ」
「ガストには関係ない」
記憶の限りでは騒がしい場所にひとりで楽しみにくるような性格ではなかったはず。好んでいく場所は静かなカフェ、それか猫の溜まり場だ。理由を訊ねようにも、答えてくれそうな雰囲気でもない。
ちらり。レンの視線がパーク内の飾り付けに向いた。視線の先には猫のキャラクターの飾り付け。それを見たガストは弾いた様な声を上げた。
「そういや、確か限定の猫のキャラグッズ買いに行くとか言ってたよな。この年の今限定のヤツだとかで。俺が丁度任務で行くから買ってきてやろうかって話もした記憶がある。でも、自分で行って買ってくるって……思い出してきたぞ」
「その調査任務でジェイとディノが一緒のはずじゃないのか」
「そうそう、その珍しいメンバーで調査に行ったんだよ。……この時代の俺に会えば何かわかるかもしれねぇな。でもどの辺にいたかまで記憶にねぇし。そうだ、レン。俺に連絡して今どの辺りにいるか聞いてくれないか」
「……意味がわからない」
「頼む! ……今は少しでも手掛かりが欲しいんだ」
手を合わせて頼み込むガストに折れたレンは静かに「わかった」とスマホを取り出した。
その瞬間、彼のスマホが緊急の報せを受信した。【HELIOS】からの連絡だ。
『エマージェンシー。イエローウエストアイランド、イエローウエストテーマパーク内で【サブスタンス】を検知しマシタ。現場にいる『ヒーロー』は直ちに目的地へ向かってくだサイ。検知場所は観覧車付近デス』
「ナイスタイミング。レン、行くぞ!」
「ちょ、ちょっと待て」
何がなんだか結局分からないままの状態のレン。ガストはジャックが報せた目的地に向かって走り出した。レンを誘導しながら。
◇◆◇
「やっぱりここ、過去なのね。パークの雰囲気が微妙に違うから、もしかして……と思ってた。でも、逆に未来かもしれない。今までの経験上、どこに繋がってるかわからなかったし。そう思ってた所にガストがうちの子抱っこしてた。本当に良かったわ。ありがとう」
穂香の腕にしっかりと抱っこされた女の子はガストの顔をじっと見つめていた。透き通るグリーンの目に見つめられ、どこかこそばゆくなる。
「パパ、かおがいい」
昔どこかで聞いた台詞だ。ここまで似るものなのかとガストが笑う。
「そっくりだな、穂香に。……ほら、前に穂香の実家で古いアルバム見せてもらっただろ。今思えばその時の小さい穂香にそっくりだ」
「自分じゃよくわからないのよね。でも、母さんたちもそう言ってるわ。お転婆だったお前にそっくりだって」
「ははっ……その様子だと子育てに手焼いてるみたいだな」
「そりゃ大変よ。でもガストと一緒だから」
この小さな女の子と穂香は少し先の未来からやって来た。例に漏れず【サブスタンス】の影響を受けて。
ディノが「似ている」と言っていた理由も頷ける。自分の娘だったのだから。
「パパのつくったオムライスおいしかった。またつくって」
「ん……ああ、いいぞ」
「メジロちゃんかいて」
「メジロ?」
「ケチャップで描いてあげてるのよ。すっごく可愛いのよね」
「うん!」
「それなら期待に応えられるよう今から練習しとかねぇとな」
カルーセルから観覧車の方へゆっくりとふたりは歩いていく。
急に重くなった我が子に対し「泣き疲れて眠っちゃったみたいね」と優しい目を向ける穂香。聖母のような眼差しを見るのは初めてだ。ガストにも自然と笑みが綻ぶ。
「母さん!」
前方から走ってきた少年が息を切らしながらやってきた。母親の姿を見つけ、声を上げるも妹がすやすや眠っているのに気づき声の声量を慌てて落とす。
二ふたりとも無事で良かった。そう安堵した後、ガストを見て目を丸くした。
「……父さん?」
「俺の顔に、何かついてるか?」
「いや……なんか、年取ってないよね」
「褒め言葉として受け取っておくぜ。……って、今の俺が言うのも変か。家族で【サブスタンス】に巻き込まれちまうなんて災難だったな」
今もこれからも【サブスタンス】に付き纏われる。それは少しネックだなとガストは眉を下げた。しかし息子はどうやらそうでもないらしい。
「昔の父さんに会えたからそうでもないよ」
「そっか。……それで、帰る方法はあるんだよな?」
「それはたった今確保できたトコだぜ」
少年の肩をぽんと叩いたもう一人のガスト。
ああ、確かにこれはあまり変わらない。少し、目元にシワができたぐらいか。
「よ、元気そうだな」
「そっちもな。相変わらず【サブスタンス】に振り回されてるみたいだけど」
「んー……昔よりは減ったかも、な。まぁ、今回は流石に肝が冷えたぜ」
「そりゃ、そうだろ。家族散り散りになっちまったんだし」
「でも、レンに会えたおかげで助かったぜ。……って、もういねぇし。昔から変わんねぇなアイツ」
未来のガストと共に【サブスタンス】の現場に向かったレンはジェイ達と合流。出現した【サブスタンス】がどうやら未来と一時的にワームホールのようなもので繋がってしまったようだと、本部から見解が送られてきた。過去に迷い込んできた者たちがガストとその家族だとわかり、彼らが集まるのを待っていた。
観覧車の前にはこの場に不釣り合いな大きなトンネルのようなゲートが聳えていた。
「レンがいたのか」
「ああ。ほら、この時期限定の猫のグッズ買いに来てたみたいだ」
「あれか。買ってくるって言って断られたやつだ。じゃあそれ買いに行ってんのかもな」
と、ここで二人の脳裏に同時に思い浮かぶ心配事。
「迷子になってなきゃいいけど」
同時に声をハモらせた二人は顔を見合わせて笑いあった。
「……っと、そろそろ行かねぇと。このゲート、キースたちがなんとか支えてくれてるみたいなんだ」
「そいつは早く行ってやんねぇと」
「あぁ。……何も聞かねぇんだな」
「え?」
穂香が抱っこしている娘の頭を優しく撫でる兄。
見るからに幸せそうな彼らを前に、何を聞くことがあるだろうか。
「その顔見てりゃわかるって」
「あぁ。そうだな。じゃ、そろそろ俺たちは元の時代に帰るぜ」
「お幸せに」
「何言ってんだよ。それを繋いでくのはお前自身だろ」
ひらりと手を振って見送るガストは「それもそうだ」と未来の自分に笑い返した。