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4.Bobby Burns
ニューミリオンに吹きすさぶ木枯らしが肌を刺すようになってきて、寒暖差の多い日が段々と増えてきた。
そろそろ冬物にシフトチェンジしないと、身体が寒さについていけなくなる。私は昔から気温差にやられやすくて、人一倍気を付ける必要があった。
体調を崩しては毎度周囲に迷惑をかけ、ガストにまで世話を焼かれていた。ニューミリオンでの惨敗記録更新を今回こそは止めないと。気合を入れてあれこれ対策を講じているし、大丈夫なはず。多分。
今夜だってお酒も控えめにして、お洒落なカクテルをゆっくりと嗜んでいる。グリーン・アイズは夏向きのカクテルらしいから、ちょっと季節外れだったかもしれない。でも、綺麗なグリーンだから気に入っている。
タンブラーを傾けている私の横で、珍しくガストが酔いに回っているようだった。本当に珍しい。いつもは大抵私の方が酔ってご機嫌になるから「飲み過ぎだ」って怒られるんだけど。制服の袖上からも分かる、程よい筋肉がついた腕を枕にして目を瞑っていた。
任務帰りのガストに偶然会って、軽くなら付き合うと飲みに来ていた。私は明日クライアントと打ち合わせがあるから深酔いするまで飲むわけにいかない。その代わりといってはなんだけど、隣人が酔っ払ってしまった。
いつものように、他愛のない話をぽつぽつと交わしていた。それが、段々口数が少なくなっていって、気がついたらこうだ。飲みすぎ、と言うには量が少ない。だってまだ一杯目だもの。彼の手元にあるカクテルグラスの中身は殆ど空になっていた。私の真似をしてお洒落なカクテルを頼んでいたようだけど、名前なんだったかしら。
カウンターに戻ってきたマスターに水を二つ頼むと「珍しいですね」とガストの方を見ていた。ほんと、珍しい。
今日の任務はハードだったと会話の冒頭で聞いていたから、その疲れも相まって酔いの回りが早かったのかもしれない。
私はガストの手元にあるカクテルグラスを退けて、水のグラスとそっと交換した。その時、指に少し触れた。ぴくりとその指が動いて、「ん」と短い声を発して、目をゆっくりと開ける。眠そうな深い緑の瞳がどうしたのかと問いかけていた。
「珍しく酔っ払ってたから。お水貰っといた」
「……あぁ。サンキュ」
「何頼んだの?そんなに度数強いカクテルだったのかしら」
「なんだったかな…ボビー・バーンズ……だったか」
左手で前髪を掻き上げながら、上体を重たそうに起こす。気怠そうにグラスの水に口をつけていた。ぼんやりしていたかと思うと片肘をついて、また目を瞑る。普段よりも表情は薄いし、笑顔も消えがちだった。
何か嫌なことでもあったのかもしれない。人の愚痴は引っ張り出そうとするくせに、自分のことは何も話そうとしない。軽く笑い飛ばして、それで終わらせてしまう。彼はそういう男だ。苦労人代表格で、お人好しで、気づかないうちに色々背負いこんでいるんじゃないかと心配になる。
「…何かあった?」
「何かって?」
こう訊ねても、質問を質問で返してくる。この場合やあからさまな話題転換をしてくる時はそれ以上詮索されたくないというサイン。今回も惚けた表情で訊き返してきたから、聞いても答えてくれないだろう。誰にでも話したくないことはあるし、無理に聞き出さない方がいい。
「話したくないなら別にいいわ。ちょっと気になっただけ」
こうしていつも私の方が引き下がっていた。
数秒で終了した話題の後、彼は黙々と水を飲んでいた。その横顔をなんとなく眺める。どこから見ても整った顔をしていて、女の子たちが放っておかない容姿だとつくづく思う。ハロウィンリーグを見に行った友達も「ノースのルーキー、イケメンがいる!」と興奮していた。でも最後には「ブラッドさまが一番かっこいいわ!」という話に落ち着いたけど。
それにしても、やっぱり惜しかったわね。あの時、先輩の方に決まってなければモデルに起用できたかもしれない。
私の視線が煩わしかったのか、ガストがグラスを置いてこっちを見てきた。少し目が据わっている。ただ眠いのを我慢しているようにも見えた。
「とりあえず、今日は酔いつぶれないでよ。エリオスタワーの居住エリアまでは送っていけないんだから」
「じゃあ穂香のとこ泊めてくれよ。そうなったら」
「構わないけど。明日仕事だし、朝早く叩き起こしても文句言わないのならいいわ」
「……構わないのかよ」
泊めてくれと言ったのはそっちなのに。とても不満そうにボヤかれた。大袈裟な溜息までついて。宿の提供を拒んだわけじゃないのに、何が気に入らないんだか。
会話が途切れると店内のBGMがよく耳に入ってくる。今夜はピアノ伴奏のジャズミュージックが流れていた。ゆったりとした寛ぎの時間。お喋りも楽しいけれど、こんな風にお互い黙って過ごすのも心地よいと感じていた。相手が一緒にいると落ち着ける関係だから余計に。
その相手の視線が再び私の方に向いていた。ぼんやりとこっちを眺めている。日の下では透き通るグリーンの瞳が今は深みを増して、初夏の緑を思わせる色に見えた。彼のイメージが夏なのは、きっと夏の空の下で会ったからかもしれない。宝石みたいに綺麗な緑で羨ましいなとさえ思った。
「どうしたのガスト」
「…綺麗だなぁと思って」
そう、呟いた。私は視線の先を振り返る。そこには天井から吊り下がった小型のガスランプ。インテリア用に模ったもので、量産型というよりは職人がひとつひとつ丹精込めて作り上げたレトロな雰囲気。
彼はこのランプ型の照明が綺麗だと褒めた。綺麗というよりはお洒落な印象が強い。
「確かにお洒落なランプだとは思うけど」
「…なんでそうなるんだ」
「違うの?」
彼の方に向き直ると、露骨に眉を顰めているガストと目が合った。続いて肺の奥底から吐き出した溜息。そんなに溜息ついてると幸せが逃げてくわよ。
彼はグラスの水をぐっと煽っていた。
一緒に飲みに行った相手が早々に酔ってしまうと、不思議なもので自分はすっと頭が冴えてくる。まとめて酔いつぶれたら面倒見てくれる人がいない。いつもは私の方が先に酔って迷惑かけてるし、偶には立場をチェンジしてもいいだろう。
「なぁ、穂香」
「んー。なに?」
「俺のことどう思ってんだ」
そう思ったけど、これは予想以上に面倒くさい感じに酔っている。普段は酔ってもこんな風に絡んでこない。話に脈絡も無いし。
「どうって……友達、でしょ?」
私の返答にまたも不満を抱えたらしく、不貞腐れたように口をへの字に曲げた。
「一ファンですって答えた方がいい?」
「それはもっと嫌だ」
「じゃあなんて答えたらいいのよ。親友?」
それ以外に表せる言葉を考えてみても思いつかない。気兼ねなく話せるし、遊びに行けるし、ご飯に行ったり飲んだりもしている。悪い関係ではないと私は思ってる。
今夜の彼はどうもご機嫌斜めになりやすい。
「ファンと言えば…ヒーローグッズって結構展開されてるのね。私も何か買おうと思って、取扱店舗に行ってみたんだけど…いつも売り切れてるのよ。ガストの分だけ。大人気みたいね」
「…へぇ」
大して興味無いといった声が返ってきた。
ヒーローの中にはグッズ化されることを喜ぶ人もいるって聞く。ガストもポスターに使われた写真を「いい顔で写ってるな」って喜んでたのに。
「…なるつもりなんてなかったし」と呟いた声が聞こえた気がした。
「少し前はルーキーフェアでプリントクッキーも売ってたわね。あと、ハンドタオルにステッカー、ブロマイド…それとぬいぐるみ。どれもガストの分は完売御礼だったわ。ポスターは売ってたんだけど…部屋に貼るのはちょっと流石に」
「恥ずかしいなそれは」
「だからぬいぐるみが欲しかったの」
「…それも恥ずかしいだろ」
「見本は愛らしい感じだったわよ。あのサイズで縫った試作の服も着せられそうだったし」
「着せ替え要員か」
「ぬいぐるみに似合ってたら、実寸サイズの実際に着てみてよ。写真送るから気に入ったら教えて」
「ん…」
ヒーローのぬいぐるみは膝上で抱えられるサイズ。型紙の縮尺を変えて、簡略化すれば縫える。小さめのサイズで作ってみた方が実寸にした時のイメージもつきやすい。どうせなら普段ガストが着なさそうなデザイン作ってみるのも楽しそう。うん、やっぱりぬいぐるみはゲットしたいわね。また頃合いを見てお店に行ってみよう。
そういえば、帰ってきたヒーローっていう特集が組まれていたコーナーがあった。第13期ヒーローズ司令のグッズが展開されていたわよ。そう話題を振ろうとした時に、バッグの中でスマホが震えた。
ごめんと一言断ってからメールのチェックをする。その内容を確認した私は溜息が出てしまった。明日の予定が泡となって消えてしまったわ。
「なぁ、穂香」
「今度はどーしたの」
「いつまでこっちにいるんだ」
脈絡が相変わらず無いその質問に、俄かに心臓が跳ね上がりそうになった。あの話は、彼にはしていない。いえ、仕事の仲間以外には話していないはず。帰国の話が出ていることは口にしていない。
液晶画面から顔を上げて、その質問を投げかけてきた方を見れば、至極真面目な表情をしているガストが目に映る。
「……いつまで、って?」
「ほら、穂香は海外赴任で日本から来てるだろ。…それなら異動も考えられるし。帰国の線だって」
「まあ、ね」
「…まさか、本当に帰るって言うんじゃ」
気怠そうに頬杖をついていた彼の瞳が見開いた。そこには焦りの色が少し見えていた気がする。
「わかんない。こっちで友達も沢山できたし、思ってた以上に過ごしやすいし。それに、日本に帰る理由も…今はないし」
間髪容れずに私はそう答えていた。
少し前の私なら異動の件に二つ返事で答えていたと思う。今までは年に最低でも一回は日本に帰省していた。ロングバケーションの時に。帰る理由があったからこそだ。でも、今となってはその理由もなくなった。
遠距離でも乗り越えられると思ってた。でも、無理だった。日本と此処までの距離以上に相手の気持ちが離れてしまった。
「だったら、居ればいいだろ。此処に。……穂香が日本に帰っちまったら、そう簡単には会えなくなるし。…俺は嫌だ。俺は、穂香に此処に居てほしい」
真っすぐに私を見る碧の瞳があまりにも真剣なもので、思わず涙腺が緩みそうになった。きっと、私はこの言葉を待っていたんだ。引き止めてくれる、誰かの言葉が欲しかったんだ。
ありがと。俯いて零した私に「泣くほど嫌なら居ればいいだろ」って優しい言葉をかけてくれる。泣いてはいないけどね。
「……うん。もう暫くは、此処にいようかな。此処の生活、気に入ってるし」
「ああ。約束だからな」
ふわりと笑ったその表情に何度救われただろう。不安になった時や、自信を失くしかけた時にいつもそうやって、笑いかけてくれた。
彼のおかげで今の私が此処にいるんだって、思うようになった。
◇◆◇
閑静な住宅街の端。そこで料金メーターが一つ上がったところでタクシーが停止した。ノースからだとバカみたいな値段になってる。公共交通機関が利用できればここまでかからなかったのに。相手がそれもままならない状態だったから、マスターに手伝ってもらってタクシーにガストを押し込んできた。
支払いを済ませて、私の肩に寄りかかって眠っているガストをゆり起こしてタクシーから降ろすのも一苦労だった。
降ろした後は相手の脇腹に腕を差し込んで、背中を支える、すると「一人で歩ける」と言ってきた。
「…タイルの上を真っ直ぐ歩けるようになってから言ってくれる?」
ここからアパートまで僅か数メートル。玄関が見えているのに中々前に進まない。私とガストの足並みが全く揃わない。ここまでちぐはぐな二人三脚は生まれて初めてよ。
「ウェイト!どこに行くつもりなのガスト。ほら、私の家こっちだから!」
「……あれ、泊めてくれんのか?優しいな、穂香は」
不機嫌だった様子はどこへやら。打って変わってガストはニコニコと笑っていた。かといって、酔いが醒めてきたわけでも無さそうだ。その証拠に足取りが覚束ない。
筋肉質の大男を支えて歩くのはそりゃもう大変で。私の力じゃ到底引っ張っていけない。方向修正をなんとかしながら目的地を目指す。まさに一歩進んで二歩下がる状態。
「ガスト。早く歩いて、ほら。こんな所誰かに見られたらどうするのよ。私が連れ込んだみたいにゴシップ書かれるわよ」
「まぁ、いーんじゃないのか」
「良くないし、笑い事でもない。…ちょっ、ストップ!首、首絞まるから腕回さないで!」
急にガストが私の首に長い腕を絡みつけてきた。ハグの力加減じゃないそれに首が絞まりそうになる。
本人はそんなこと知ったこっちゃないと、抱きついて離れようとしない。
「……いい匂いがする。香水変えたのか」
「変えてない!……ああ、シャンプー類は変えたわ。そういえば」
「この香り好きだな」
「わかった、わかったから歩く。これ以上騒いだらご近所さんに迷惑かかるでしょ」
首に回されていた二の腕を掴んで引きずっていき、ようやく家の玄関に辿り着いた。
リビングの電気をつけてから部屋が散らかっていることを思い出す。サンプル品や布、裁縫道具が申し訳程度にしか片付いていない。来客の予定なかったし、もうこれは仕方ない。
リビングルームを素通りして、隣のベッドルームへガストを押し込んだ。
ベッドサイドのルームランプをつけて、彼をベッドに座らせる。
「はい、到着。ベッド使っていいから。気分は?気持ち悪くない?」
「……ん。特には」
「それならよし。具合悪くなったら言って。しばらく隣の部屋で起きてるから」
お互いに摂取したアルコール量はカクテルグラス一杯のみ。顔面蒼白になったり、アルコール中毒を起こしたりしている様子も無いから多分大丈夫だろう。でも、なにか万が一のことがあったら嫌だ。だから一時間くらいは緊急対応できるよう起きていることにした。
ガストは眠そうにぼーっとしている。普段酔わない相手の姿を見てしまうと、自分も気を付けようと思わされる。反面教師というやつだ。
暫くしたらこてんと横になって眠りそうな気配がする。ガストは目をしょぼしょぼさせていた。
「おやすみ」と彼に一声掛けて、部屋を出ようとした時。不意に「穂香」と呼ばれ足を止めると、ガストが腕を伸ばしてきた。大きなその手が頬に添えられたかと思えば、反対側の頬に軽く唇が触れた。
「おやすみ」
ガストはニコニコと笑っていた。一連のその仕草があまりにも意外で、私は呆気に取られながらベッドルームを出た。ドアを開けたままにして、リビングルームに戻って来た時にハッと思い出す。そういえば、ガストは欧米人だった。でも普段ハグやキスをしてこない。こっちの他の友達は普通にしてくるのに。だから、ガストは控えめなタイプなんだと。それでも酔っている時はスキンシップ過剰になるのかしら。
ああ、すっかり酔いが醒めてしまったわ。
ガストをここまで連れてくるので疲れたし、明日の打ち合わせが中止になって良かった。
此処にいてほしい、か。そんなこと言ってくれたのはガストだけだ。同僚や後輩は「寂しいけど次の夢に進むためのステップだ。応援するよ」って背中を押してくれた。日本に帰れば海外での経験を活かしてステップアップが出来る。みんな私の成長を望んでくれていた。それは勿論嬉しかった。でも、誰も本気で引き止めてくれる人はいなくて。ガストだけがあんなにはっきりと嫌だなんて言ってくれた。彼だけだ。私の背中を押してくれて、引き止めてもくれる。こんな人、今までいなかった。
ずっと迷っていたけれど、やっぱり異動の話断ろう。まだこの場所にいたい。
◇◇◇
薄っすらと瞼の裏に差し込んでくる朝の光。それを感じながら微睡んでいた。うつ伏せの状態で柔らかい枕を抱え直す。良い香りがする。俺が好きな甘くて、優しい柑橘系の香り。
そろそろレンのヤツ起こしてやらないと。休みの日も早く起きたいって言ってるしな、声掛けてやった方がいいだろ。あぁ、でも目覚ましの音が聞こえてこなかったな。なんでだ。
目を開けた先で映ったのは真っ白な枕。どうやら制服のままで寝ちまったようだ。袖が捲れて皺になっている。着替えないでベッドに倒れ込むほど昨日は疲れていたっけか。
欠伸をしながら体を起こす。なんだか頭がすっきりしないな。髪を掻き上げて、視界に映った部屋の様子に思わず固まった。何処だ、ここ。
ベッド脇に飾ってあるはずのモデルガンのコレクションは無いし、テーブルもダーツの的も無い。代わりにあるのは白いワードローブと木目の吊り棚。そこには小さな観葉植物が飾ってある。ちょっと待て、ここ見覚えがあるぞ。
部屋の外から人の気配を感じたから、そっちを見ると穂香が顔を覗かせていた。途端に血の気が引いていくような気さえした。
「おはよー。目、覚めた?」
「いや……え、なんで…」
「おやまぁ。もしかして憶えてないの」
「ちょ、ちょっと待て。……昨日、いつものバーに飲みに行って……」
俺は昨夜の記憶を必死になって掘り起こした。
ノースのパトロールを終えた俺は晩メシをどっかで食おうと思って、その辺をブラついていたんだ。前にシーフードが美味い店をオスカーに教えてもらったから、そこに行こうかなぁと。それで大通りに出たところで、穂香を偶然見つけた。そうだ。なんか浮かない顔してたから、軽く飲みに行かないかって声を掛けたんだ。よし、ここまではしっかり思い出せる。
それから二人で馴染みのバーに行って、飲み物を頼む。珍しく穂香がカクテルを飲んでたから、俺も試しにと何か注文。俺の記憶は情けないことにそこで途切れていた。
やらかしちまった。最悪な目覚めすぎる。温くて嫌な汗がつーっと背中を伝っていく。眩暈がしてきそうだ。
「たった一杯のカクテルで潰れるなんて。相当度数が強かったのね。具合は悪くない?」
「……悪くない。…って、たった一杯で潰れたのか…ウソだろ」
耳を疑うような話だ。でも、穂香の心配そうにしている表情から信憑性が窺える。何のカクテル頼んだかも全く憶えていない。穂香が頼んでたのは確か、グリーン・アイズとかいうヤツだ。俺、何飲んだんだ。ここまで憶えてないとか怖すぎるだろ。
「酔いが回りやすいほど疲れてたんじゃない。ガスト連れてくるの大変だったんだからね。タクシーに乗せるのもマスターに手伝ってもらわないといけなかったし、その後は私が支えながら歩いたけどフラフラして前に進まないし。同期かメンターの人に連絡取ろうとも思ったんだけど、勝手にスマホ弄るのも気が引けたから…。流石に現役『ヒーロー』をその辺に放って帰るのもね。だから我が家で一泊してもらいました」
返す言葉が全くもって一つも見つからない。うちのチームに救援を求めたところで「今は手が放せませんので」「自業自得だ」と一蹴されるのがオチだ。レンに至っては俺のところまで恐らく辿り着けない。
快く宿を提供してくれた穂香には素直に感謝してる。でも、心配なことがある。
「穂香。……俺、何か変なこと言ったり、してなかったか」
すっぽりと抜け落ちた記憶の中で、穂香に嫌われるような態度を取っていなかったか。あとは仕事のことで何かうっかり口を滑らせていないかも心配だ。
「そうね…ただのファンは嫌だとか、ぬいぐるみは恥ずかしいだろとか言ってた」
「ぬいぐるみ…?」
「あとは店の照明が綺麗だなぁって褒めてたわよ」
「褒めるほどすごかったか…あの店の照明って」
「レトロでお洒落な感じだなぁって私も思ったけど。……ガスト?」
俺は片手で顔を覆い隠して俯いた。なんでそんなことを言ったのか、後者の方は大体見当がついた。俺が無意識に口説いた台詞。それが完全にスルーされてしまっていたこともわかった。辛すぎる。
「まぁ、あとはスキンシップが過剰になってたわね。といっても、ハグとかそのぐらいだったから。あ、因みに何もないわよ。私は昨日ソファで丸まって寝たから」
「謝罪の言葉が見つからねぇ…」
「気にしなくていいわよ。そう浅い付き合いでもないんだし。朝ごはんできてるから食べてって。その前にシャワー浴びてすっきりしてくる?」
「……そうする。目、覚ましてくる」
「オーケー。バスタオル出しとく。シャンプーとか適当に使っていいから。あとドライヤーも。ヘアワックス、私が使ってるのでよければそれも出しとくわ」
いやホント、何から謝ればいいんだ。どうしてこうなった。現在進行形で迷惑かけてるに違いないし、記憶飛ばすとか一番やっちゃマズイことだろ。確かに昨日は疲れを感じていたし、気兼ねない相手だからって気が緩んだせいか。とりあえず、穂香は怒ってる様子はないけど、完全に呆れられてるよな、これ。
合わせる顔もなく、手で覆いながら溜息をついて立ち上がる。「溜息ばっかりついてると幸せ逃げるわよ」とすれ違い様に言われてしまう。それに対して苦笑いしか返せずにいた。
◇◆◇
「買い物行く予定が今日だったから、大したもの作れなくて悪いけど。あと目玉焼き少し焦がしちゃったごめん」
「…いや、文句言える立場じゃねぇし」
ダイニングテーブルに二人分の朝食がセッティングされていた。白いプレート皿に目玉焼きとソーセージ。ガラスの小さな器にレタスのサラダが盛りつけられている。トーストの側にイチゴジャムの小瓶があった。漆塗りのお椀から味噌汁の良い香りが漂う。俺の方にはフォークとナイフがセットされていて、穂香の方は箸が揃えられていた。
「コーヒー苦手だったよね。ホットの緑茶淹れたけど、飲む?」
「ああ、貰う」
ティーポットから注がれる緑茶の濃い色。コーヒーとはまた違う苦みがあるんだよな。でも今は頭をリフレッシュさせるのに一役買ってほしい気持ちが強い。
テーブルについて、朝メシを食べ進める途中でふと時計に目が留まった。もうすぐ八時になりそうだ。
「……今日は仕事、休みなのか?」
「休みにしたの。ああ、ガストのせいじゃないからね。クライアントと打ち合わせの予定だったんだけど、台風で飛行機が飛ばないからこっちに来られなくなったみたいで。特に仕事詰まってもいないし、客人が起きるまで時間かかりそうだったからお休みした」
「それ、遠回しに俺のせいだって言ってるよな…。埋め合わせは今度必ずするから許してくれ」
「別にいいわよ。……もう、してもらったようなもんだし」
「…え?」
「引き止めてくれたから。それで充分」
イチゴジャムを塗ったトーストに噛り付きながら、そう話していた。何かした憶えは無いし、言った憶えもない。なんで憶えてないんだと今日で何度目かの後悔をする。
トーストの欠片を飲み込んだ穂香が「ほんとに憶えてないのね」と目を伏せた。
「……一夜限りのラブロマンスでもあったって言った方が良かった?」
「いっいいいいワケないだろ?!あ、いや…別に嫌だとかそういう……ああっもう、何言ってんだ俺」
「ウソウソ、何もないから安心して。…やっぱり、ガストはその位のテンションがらしくていいんじゃない?昨夜は拗ねたりご機嫌になったり機嫌のふり幅ひどかったし」
「…悪かったよ。面倒かけて」
曇りのない笑みからは本当に何も無かったんだと窺えた。
これは穂香にも言えることだけど、今それを口にする権利が俺には無い。酔うと上機嫌になるし、でも記憶飛ばしたことは無いんだったか。ああ、くそ。自分が情けない。
火照りかけた頬の熱を誤魔化したくて、熱い緑茶を口に含んだ。
「……なぁ、穂香。他に変なこと話してなかったか…?」
「変なことって?」
「……仕事の話、とか」
「してないわ。何か嫌なことでもあったのかなって聞いても答えてくれなかったし。ガストって愚痴あんまり言わないわよね。…溜め込み過ぎも良くないんだし、適度に発散した方がいいわよ」
「あ、あぁ……そうだな。そうする」
これで懸念材料は消えた。と言っても、本当かどうかは分からない。でも、今は穂香を信じるしかないよな。今後は迂闊に知らない酒やカクテルに手を出すのは止めよう。分が悪すぎる。
「……ん。この味噌汁美味いな。店で飲むやつより断然美味い」
「そう?余ってる適当な野菜入れたんだけど、気に入ってもらえて良かったわ」
「ああ。これなら毎日飲みたいぐらいだ。そうだ、材料と作り方教え……俺、また変なこと言ったか?」
味噌汁のお椀を持ったまま、微妙な表情でこっちを見てくるもんだから。素直にそう思ったんだけど、なんかマズかったか。
「……文化の違いってコワイと思った。それ、日本人の女の子に言わない方がいいわよ。勘違いされるから。材料と作り方はあとでメモしてあげるわ」
「お、おう…?サンキュー。…今日はこの後どうするんだ?」
「考え中。急に休みになったから仕事モード解除されてないのよ。ガストもオフなんでしょ?用事無いならゆっくりしていっていいよ」
「んー…そうだな。さっき買い物行くって言ってただろ?それに付き合う。昨夜のお詫びと礼も兼ねて荷物持ちさせてくれ」
今日のオフは何の予定も無い。それが幸いだったな。
「……お米とお醤油とみりん、あとお味噌も買うけどいい?あ、お米持ってくれればそれでいいから」
ちょうど切らしそうだったと、荷物持ちを前にしてあれもこれもと品名をあげてくる。重たい物買う時は一人暮らしだと大変だからな。俺もついでに味噌汁の材料買って、作り方教わろう。タワーでメシ作る時にでもレンたちに振舞ってみたら、喜ばれるかもしれないしな。
後日余談。
「……ガスト、もしかして味噌汁作ってるのか」
「ああ。この間友達から作り方教わったんだ。もうすぐできるぞ。レンもメシにするなら一緒に食べようぜ」
リビングルームで教わった通りに味噌汁を作っていると、トレーニングから戻ってきたレンが興味深そうにキッチンスペースを覗いてきた。もう一つの鍋にはジャンバラヤが仕込んである。
「着替えてくる」と言ってレンは自室に向かっていった。つまり、食べるって受け止めていいよな。正直、作りすぎた感があるからもう一人ぐらい招きたいところなんだが。
そう考えながら味噌を溶かしていたら、リビングルームへ良い具合に来客が訪れた。
「失礼する。レンは戻っているか」
「おお、司令。レンなら今着替えてるぜ。どうしたんだ?」
「先ほどまでスパーリングの相手をしていたんだが、忘れ物を届けに来た。……この匂い、もしかして味噌汁か」
「鼻がいいな、司令。よかったら食べていってくれよ。ドクターとマリオンは戻ってこねぇみたいだし…残したら勿体無いだろ」
「勿体無い、か。…作り方を教わった友人から一緒にその言葉も知ったようだな。よし、私も手伝おう」
「サンキュー。じゃあ、そっちの鍋からジャンバラヤ盛り付けてくれ」
◇
「ど、どうだ…味は?」
「ほぅ…これは中々。初めてにしては良い塩加減だな。大抵は薄すぎるか濃すぎたり、煮詰まらせてしまう。良い先生に教わったようだな」
「……人参が固い」
「ははっ……次はもう少し早めに入れて煮るようにする。でも、二人からの評価も上々で安心したぜ」
「俺は褒めてない。……まぁ、不味くはない」
そう言いながら味噌汁を飲むレンは満更でもなさそうだった。その言葉が何よりの評価だな。不味けりゃ箸すらつけてもらえないだろうし。
「久しぶりに飲んだよ。…妹と暮らしている時は毎日飲んでいた。今は食事が疎かになりがちだ。これを機に少し見直してみるか」
「司令の妹さんは料理するイメージあるけど、司令もするのか?」
「それなりにな。味噌汁は健康にもいいし、二日酔いにも効く。…今度キースにも勧めてみるとするか」
「毎朝飲むことになりそうだな……そういや、作り方教わった友達の味噌汁が毎日飲みたいって言ったら、変な顔されたんだよな」
俺がその時のことを話すと、二人が同時に飲み損ねた水でむせ返っていた。
「だ、大丈夫か?」
「………ガスト。それを、その友人の前で言ったのか」
「あ、ああ。だって美味かったし。毎日飲んでも問題ないんだろ?」
「無知って恐ろしいな。……少しは教養を身に着けた方がいいんじゃないのか」
氷の様に冷ややかなレンの視線が突き刺さってきた。いや、これでも多少は学んでいるつもりなんだけど。
じゃあその意味を教えてくれよと訊いたら、今度は俺が水を噴き出す番だった。
ニューミリオンに吹きすさぶ木枯らしが肌を刺すようになってきて、寒暖差の多い日が段々と増えてきた。
そろそろ冬物にシフトチェンジしないと、身体が寒さについていけなくなる。私は昔から気温差にやられやすくて、人一倍気を付ける必要があった。
体調を崩しては毎度周囲に迷惑をかけ、ガストにまで世話を焼かれていた。ニューミリオンでの惨敗記録更新を今回こそは止めないと。気合を入れてあれこれ対策を講じているし、大丈夫なはず。多分。
今夜だってお酒も控えめにして、お洒落なカクテルをゆっくりと嗜んでいる。グリーン・アイズは夏向きのカクテルらしいから、ちょっと季節外れだったかもしれない。でも、綺麗なグリーンだから気に入っている。
タンブラーを傾けている私の横で、珍しくガストが酔いに回っているようだった。本当に珍しい。いつもは大抵私の方が酔ってご機嫌になるから「飲み過ぎだ」って怒られるんだけど。制服の袖上からも分かる、程よい筋肉がついた腕を枕にして目を瞑っていた。
任務帰りのガストに偶然会って、軽くなら付き合うと飲みに来ていた。私は明日クライアントと打ち合わせがあるから深酔いするまで飲むわけにいかない。その代わりといってはなんだけど、隣人が酔っ払ってしまった。
いつものように、他愛のない話をぽつぽつと交わしていた。それが、段々口数が少なくなっていって、気がついたらこうだ。飲みすぎ、と言うには量が少ない。だってまだ一杯目だもの。彼の手元にあるカクテルグラスの中身は殆ど空になっていた。私の真似をしてお洒落なカクテルを頼んでいたようだけど、名前なんだったかしら。
カウンターに戻ってきたマスターに水を二つ頼むと「珍しいですね」とガストの方を見ていた。ほんと、珍しい。
今日の任務はハードだったと会話の冒頭で聞いていたから、その疲れも相まって酔いの回りが早かったのかもしれない。
私はガストの手元にあるカクテルグラスを退けて、水のグラスとそっと交換した。その時、指に少し触れた。ぴくりとその指が動いて、「ん」と短い声を発して、目をゆっくりと開ける。眠そうな深い緑の瞳がどうしたのかと問いかけていた。
「珍しく酔っ払ってたから。お水貰っといた」
「……あぁ。サンキュ」
「何頼んだの?そんなに度数強いカクテルだったのかしら」
「なんだったかな…ボビー・バーンズ……だったか」
左手で前髪を掻き上げながら、上体を重たそうに起こす。気怠そうにグラスの水に口をつけていた。ぼんやりしていたかと思うと片肘をついて、また目を瞑る。普段よりも表情は薄いし、笑顔も消えがちだった。
何か嫌なことでもあったのかもしれない。人の愚痴は引っ張り出そうとするくせに、自分のことは何も話そうとしない。軽く笑い飛ばして、それで終わらせてしまう。彼はそういう男だ。苦労人代表格で、お人好しで、気づかないうちに色々背負いこんでいるんじゃないかと心配になる。
「…何かあった?」
「何かって?」
こう訊ねても、質問を質問で返してくる。この場合やあからさまな話題転換をしてくる時はそれ以上詮索されたくないというサイン。今回も惚けた表情で訊き返してきたから、聞いても答えてくれないだろう。誰にでも話したくないことはあるし、無理に聞き出さない方がいい。
「話したくないなら別にいいわ。ちょっと気になっただけ」
こうしていつも私の方が引き下がっていた。
数秒で終了した話題の後、彼は黙々と水を飲んでいた。その横顔をなんとなく眺める。どこから見ても整った顔をしていて、女の子たちが放っておかない容姿だとつくづく思う。ハロウィンリーグを見に行った友達も「ノースのルーキー、イケメンがいる!」と興奮していた。でも最後には「ブラッドさまが一番かっこいいわ!」という話に落ち着いたけど。
それにしても、やっぱり惜しかったわね。あの時、先輩の方に決まってなければモデルに起用できたかもしれない。
私の視線が煩わしかったのか、ガストがグラスを置いてこっちを見てきた。少し目が据わっている。ただ眠いのを我慢しているようにも見えた。
「とりあえず、今日は酔いつぶれないでよ。エリオスタワーの居住エリアまでは送っていけないんだから」
「じゃあ穂香のとこ泊めてくれよ。そうなったら」
「構わないけど。明日仕事だし、朝早く叩き起こしても文句言わないのならいいわ」
「……構わないのかよ」
泊めてくれと言ったのはそっちなのに。とても不満そうにボヤかれた。大袈裟な溜息までついて。宿の提供を拒んだわけじゃないのに、何が気に入らないんだか。
会話が途切れると店内のBGMがよく耳に入ってくる。今夜はピアノ伴奏のジャズミュージックが流れていた。ゆったりとした寛ぎの時間。お喋りも楽しいけれど、こんな風にお互い黙って過ごすのも心地よいと感じていた。相手が一緒にいると落ち着ける関係だから余計に。
その相手の視線が再び私の方に向いていた。ぼんやりとこっちを眺めている。日の下では透き通るグリーンの瞳が今は深みを増して、初夏の緑を思わせる色に見えた。彼のイメージが夏なのは、きっと夏の空の下で会ったからかもしれない。宝石みたいに綺麗な緑で羨ましいなとさえ思った。
「どうしたのガスト」
「…綺麗だなぁと思って」
そう、呟いた。私は視線の先を振り返る。そこには天井から吊り下がった小型のガスランプ。インテリア用に模ったもので、量産型というよりは職人がひとつひとつ丹精込めて作り上げたレトロな雰囲気。
彼はこのランプ型の照明が綺麗だと褒めた。綺麗というよりはお洒落な印象が強い。
「確かにお洒落なランプだとは思うけど」
「…なんでそうなるんだ」
「違うの?」
彼の方に向き直ると、露骨に眉を顰めているガストと目が合った。続いて肺の奥底から吐き出した溜息。そんなに溜息ついてると幸せが逃げてくわよ。
彼はグラスの水をぐっと煽っていた。
一緒に飲みに行った相手が早々に酔ってしまうと、不思議なもので自分はすっと頭が冴えてくる。まとめて酔いつぶれたら面倒見てくれる人がいない。いつもは私の方が先に酔って迷惑かけてるし、偶には立場をチェンジしてもいいだろう。
「なぁ、穂香」
「んー。なに?」
「俺のことどう思ってんだ」
そう思ったけど、これは予想以上に面倒くさい感じに酔っている。普段は酔ってもこんな風に絡んでこない。話に脈絡も無いし。
「どうって……友達、でしょ?」
私の返答にまたも不満を抱えたらしく、不貞腐れたように口をへの字に曲げた。
「一ファンですって答えた方がいい?」
「それはもっと嫌だ」
「じゃあなんて答えたらいいのよ。親友?」
それ以外に表せる言葉を考えてみても思いつかない。気兼ねなく話せるし、遊びに行けるし、ご飯に行ったり飲んだりもしている。悪い関係ではないと私は思ってる。
今夜の彼はどうもご機嫌斜めになりやすい。
「ファンと言えば…ヒーローグッズって結構展開されてるのね。私も何か買おうと思って、取扱店舗に行ってみたんだけど…いつも売り切れてるのよ。ガストの分だけ。大人気みたいね」
「…へぇ」
大して興味無いといった声が返ってきた。
ヒーローの中にはグッズ化されることを喜ぶ人もいるって聞く。ガストもポスターに使われた写真を「いい顔で写ってるな」って喜んでたのに。
「…なるつもりなんてなかったし」と呟いた声が聞こえた気がした。
「少し前はルーキーフェアでプリントクッキーも売ってたわね。あと、ハンドタオルにステッカー、ブロマイド…それとぬいぐるみ。どれもガストの分は完売御礼だったわ。ポスターは売ってたんだけど…部屋に貼るのはちょっと流石に」
「恥ずかしいなそれは」
「だからぬいぐるみが欲しかったの」
「…それも恥ずかしいだろ」
「見本は愛らしい感じだったわよ。あのサイズで縫った試作の服も着せられそうだったし」
「着せ替え要員か」
「ぬいぐるみに似合ってたら、実寸サイズの実際に着てみてよ。写真送るから気に入ったら教えて」
「ん…」
ヒーローのぬいぐるみは膝上で抱えられるサイズ。型紙の縮尺を変えて、簡略化すれば縫える。小さめのサイズで作ってみた方が実寸にした時のイメージもつきやすい。どうせなら普段ガストが着なさそうなデザイン作ってみるのも楽しそう。うん、やっぱりぬいぐるみはゲットしたいわね。また頃合いを見てお店に行ってみよう。
そういえば、帰ってきたヒーローっていう特集が組まれていたコーナーがあった。第13期ヒーローズ司令のグッズが展開されていたわよ。そう話題を振ろうとした時に、バッグの中でスマホが震えた。
ごめんと一言断ってからメールのチェックをする。その内容を確認した私は溜息が出てしまった。明日の予定が泡となって消えてしまったわ。
「なぁ、穂香」
「今度はどーしたの」
「いつまでこっちにいるんだ」
脈絡が相変わらず無いその質問に、俄かに心臓が跳ね上がりそうになった。あの話は、彼にはしていない。いえ、仕事の仲間以外には話していないはず。帰国の話が出ていることは口にしていない。
液晶画面から顔を上げて、その質問を投げかけてきた方を見れば、至極真面目な表情をしているガストが目に映る。
「……いつまで、って?」
「ほら、穂香は海外赴任で日本から来てるだろ。…それなら異動も考えられるし。帰国の線だって」
「まあ、ね」
「…まさか、本当に帰るって言うんじゃ」
気怠そうに頬杖をついていた彼の瞳が見開いた。そこには焦りの色が少し見えていた気がする。
「わかんない。こっちで友達も沢山できたし、思ってた以上に過ごしやすいし。それに、日本に帰る理由も…今はないし」
間髪容れずに私はそう答えていた。
少し前の私なら異動の件に二つ返事で答えていたと思う。今までは年に最低でも一回は日本に帰省していた。ロングバケーションの時に。帰る理由があったからこそだ。でも、今となってはその理由もなくなった。
遠距離でも乗り越えられると思ってた。でも、無理だった。日本と此処までの距離以上に相手の気持ちが離れてしまった。
「だったら、居ればいいだろ。此処に。……穂香が日本に帰っちまったら、そう簡単には会えなくなるし。…俺は嫌だ。俺は、穂香に此処に居てほしい」
真っすぐに私を見る碧の瞳があまりにも真剣なもので、思わず涙腺が緩みそうになった。きっと、私はこの言葉を待っていたんだ。引き止めてくれる、誰かの言葉が欲しかったんだ。
ありがと。俯いて零した私に「泣くほど嫌なら居ればいいだろ」って優しい言葉をかけてくれる。泣いてはいないけどね。
「……うん。もう暫くは、此処にいようかな。此処の生活、気に入ってるし」
「ああ。約束だからな」
ふわりと笑ったその表情に何度救われただろう。不安になった時や、自信を失くしかけた時にいつもそうやって、笑いかけてくれた。
彼のおかげで今の私が此処にいるんだって、思うようになった。
◇◆◇
閑静な住宅街の端。そこで料金メーターが一つ上がったところでタクシーが停止した。ノースからだとバカみたいな値段になってる。公共交通機関が利用できればここまでかからなかったのに。相手がそれもままならない状態だったから、マスターに手伝ってもらってタクシーにガストを押し込んできた。
支払いを済ませて、私の肩に寄りかかって眠っているガストをゆり起こしてタクシーから降ろすのも一苦労だった。
降ろした後は相手の脇腹に腕を差し込んで、背中を支える、すると「一人で歩ける」と言ってきた。
「…タイルの上を真っ直ぐ歩けるようになってから言ってくれる?」
ここからアパートまで僅か数メートル。玄関が見えているのに中々前に進まない。私とガストの足並みが全く揃わない。ここまでちぐはぐな二人三脚は生まれて初めてよ。
「ウェイト!どこに行くつもりなのガスト。ほら、私の家こっちだから!」
「……あれ、泊めてくれんのか?優しいな、穂香は」
不機嫌だった様子はどこへやら。打って変わってガストはニコニコと笑っていた。かといって、酔いが醒めてきたわけでも無さそうだ。その証拠に足取りが覚束ない。
筋肉質の大男を支えて歩くのはそりゃもう大変で。私の力じゃ到底引っ張っていけない。方向修正をなんとかしながら目的地を目指す。まさに一歩進んで二歩下がる状態。
「ガスト。早く歩いて、ほら。こんな所誰かに見られたらどうするのよ。私が連れ込んだみたいにゴシップ書かれるわよ」
「まぁ、いーんじゃないのか」
「良くないし、笑い事でもない。…ちょっ、ストップ!首、首絞まるから腕回さないで!」
急にガストが私の首に長い腕を絡みつけてきた。ハグの力加減じゃないそれに首が絞まりそうになる。
本人はそんなこと知ったこっちゃないと、抱きついて離れようとしない。
「……いい匂いがする。香水変えたのか」
「変えてない!……ああ、シャンプー類は変えたわ。そういえば」
「この香り好きだな」
「わかった、わかったから歩く。これ以上騒いだらご近所さんに迷惑かかるでしょ」
首に回されていた二の腕を掴んで引きずっていき、ようやく家の玄関に辿り着いた。
リビングの電気をつけてから部屋が散らかっていることを思い出す。サンプル品や布、裁縫道具が申し訳程度にしか片付いていない。来客の予定なかったし、もうこれは仕方ない。
リビングルームを素通りして、隣のベッドルームへガストを押し込んだ。
ベッドサイドのルームランプをつけて、彼をベッドに座らせる。
「はい、到着。ベッド使っていいから。気分は?気持ち悪くない?」
「……ん。特には」
「それならよし。具合悪くなったら言って。しばらく隣の部屋で起きてるから」
お互いに摂取したアルコール量はカクテルグラス一杯のみ。顔面蒼白になったり、アルコール中毒を起こしたりしている様子も無いから多分大丈夫だろう。でも、なにか万が一のことがあったら嫌だ。だから一時間くらいは緊急対応できるよう起きていることにした。
ガストは眠そうにぼーっとしている。普段酔わない相手の姿を見てしまうと、自分も気を付けようと思わされる。反面教師というやつだ。
暫くしたらこてんと横になって眠りそうな気配がする。ガストは目をしょぼしょぼさせていた。
「おやすみ」と彼に一声掛けて、部屋を出ようとした時。不意に「穂香」と呼ばれ足を止めると、ガストが腕を伸ばしてきた。大きなその手が頬に添えられたかと思えば、反対側の頬に軽く唇が触れた。
「おやすみ」
ガストはニコニコと笑っていた。一連のその仕草があまりにも意外で、私は呆気に取られながらベッドルームを出た。ドアを開けたままにして、リビングルームに戻って来た時にハッと思い出す。そういえば、ガストは欧米人だった。でも普段ハグやキスをしてこない。こっちの他の友達は普通にしてくるのに。だから、ガストは控えめなタイプなんだと。それでも酔っている時はスキンシップ過剰になるのかしら。
ああ、すっかり酔いが醒めてしまったわ。
ガストをここまで連れてくるので疲れたし、明日の打ち合わせが中止になって良かった。
此処にいてほしい、か。そんなこと言ってくれたのはガストだけだ。同僚や後輩は「寂しいけど次の夢に進むためのステップだ。応援するよ」って背中を押してくれた。日本に帰れば海外での経験を活かしてステップアップが出来る。みんな私の成長を望んでくれていた。それは勿論嬉しかった。でも、誰も本気で引き止めてくれる人はいなくて。ガストだけがあんなにはっきりと嫌だなんて言ってくれた。彼だけだ。私の背中を押してくれて、引き止めてもくれる。こんな人、今までいなかった。
ずっと迷っていたけれど、やっぱり異動の話断ろう。まだこの場所にいたい。
◇◇◇
薄っすらと瞼の裏に差し込んでくる朝の光。それを感じながら微睡んでいた。うつ伏せの状態で柔らかい枕を抱え直す。良い香りがする。俺が好きな甘くて、優しい柑橘系の香り。
そろそろレンのヤツ起こしてやらないと。休みの日も早く起きたいって言ってるしな、声掛けてやった方がいいだろ。あぁ、でも目覚ましの音が聞こえてこなかったな。なんでだ。
目を開けた先で映ったのは真っ白な枕。どうやら制服のままで寝ちまったようだ。袖が捲れて皺になっている。着替えないでベッドに倒れ込むほど昨日は疲れていたっけか。
欠伸をしながら体を起こす。なんだか頭がすっきりしないな。髪を掻き上げて、視界に映った部屋の様子に思わず固まった。何処だ、ここ。
ベッド脇に飾ってあるはずのモデルガンのコレクションは無いし、テーブルもダーツの的も無い。代わりにあるのは白いワードローブと木目の吊り棚。そこには小さな観葉植物が飾ってある。ちょっと待て、ここ見覚えがあるぞ。
部屋の外から人の気配を感じたから、そっちを見ると穂香が顔を覗かせていた。途端に血の気が引いていくような気さえした。
「おはよー。目、覚めた?」
「いや……え、なんで…」
「おやまぁ。もしかして憶えてないの」
「ちょ、ちょっと待て。……昨日、いつものバーに飲みに行って……」
俺は昨夜の記憶を必死になって掘り起こした。
ノースのパトロールを終えた俺は晩メシをどっかで食おうと思って、その辺をブラついていたんだ。前にシーフードが美味い店をオスカーに教えてもらったから、そこに行こうかなぁと。それで大通りに出たところで、穂香を偶然見つけた。そうだ。なんか浮かない顔してたから、軽く飲みに行かないかって声を掛けたんだ。よし、ここまではしっかり思い出せる。
それから二人で馴染みのバーに行って、飲み物を頼む。珍しく穂香がカクテルを飲んでたから、俺も試しにと何か注文。俺の記憶は情けないことにそこで途切れていた。
やらかしちまった。最悪な目覚めすぎる。温くて嫌な汗がつーっと背中を伝っていく。眩暈がしてきそうだ。
「たった一杯のカクテルで潰れるなんて。相当度数が強かったのね。具合は悪くない?」
「……悪くない。…って、たった一杯で潰れたのか…ウソだろ」
耳を疑うような話だ。でも、穂香の心配そうにしている表情から信憑性が窺える。何のカクテル頼んだかも全く憶えていない。穂香が頼んでたのは確か、グリーン・アイズとかいうヤツだ。俺、何飲んだんだ。ここまで憶えてないとか怖すぎるだろ。
「酔いが回りやすいほど疲れてたんじゃない。ガスト連れてくるの大変だったんだからね。タクシーに乗せるのもマスターに手伝ってもらわないといけなかったし、その後は私が支えながら歩いたけどフラフラして前に進まないし。同期かメンターの人に連絡取ろうとも思ったんだけど、勝手にスマホ弄るのも気が引けたから…。流石に現役『ヒーロー』をその辺に放って帰るのもね。だから我が家で一泊してもらいました」
返す言葉が全くもって一つも見つからない。うちのチームに救援を求めたところで「今は手が放せませんので」「自業自得だ」と一蹴されるのがオチだ。レンに至っては俺のところまで恐らく辿り着けない。
快く宿を提供してくれた穂香には素直に感謝してる。でも、心配なことがある。
「穂香。……俺、何か変なこと言ったり、してなかったか」
すっぽりと抜け落ちた記憶の中で、穂香に嫌われるような態度を取っていなかったか。あとは仕事のことで何かうっかり口を滑らせていないかも心配だ。
「そうね…ただのファンは嫌だとか、ぬいぐるみは恥ずかしいだろとか言ってた」
「ぬいぐるみ…?」
「あとは店の照明が綺麗だなぁって褒めてたわよ」
「褒めるほどすごかったか…あの店の照明って」
「レトロでお洒落な感じだなぁって私も思ったけど。……ガスト?」
俺は片手で顔を覆い隠して俯いた。なんでそんなことを言ったのか、後者の方は大体見当がついた。俺が無意識に口説いた台詞。それが完全にスルーされてしまっていたこともわかった。辛すぎる。
「まぁ、あとはスキンシップが過剰になってたわね。といっても、ハグとかそのぐらいだったから。あ、因みに何もないわよ。私は昨日ソファで丸まって寝たから」
「謝罪の言葉が見つからねぇ…」
「気にしなくていいわよ。そう浅い付き合いでもないんだし。朝ごはんできてるから食べてって。その前にシャワー浴びてすっきりしてくる?」
「……そうする。目、覚ましてくる」
「オーケー。バスタオル出しとく。シャンプーとか適当に使っていいから。あとドライヤーも。ヘアワックス、私が使ってるのでよければそれも出しとくわ」
いやホント、何から謝ればいいんだ。どうしてこうなった。現在進行形で迷惑かけてるに違いないし、記憶飛ばすとか一番やっちゃマズイことだろ。確かに昨日は疲れを感じていたし、気兼ねない相手だからって気が緩んだせいか。とりあえず、穂香は怒ってる様子はないけど、完全に呆れられてるよな、これ。
合わせる顔もなく、手で覆いながら溜息をついて立ち上がる。「溜息ばっかりついてると幸せ逃げるわよ」とすれ違い様に言われてしまう。それに対して苦笑いしか返せずにいた。
◇◆◇
「買い物行く予定が今日だったから、大したもの作れなくて悪いけど。あと目玉焼き少し焦がしちゃったごめん」
「…いや、文句言える立場じゃねぇし」
ダイニングテーブルに二人分の朝食がセッティングされていた。白いプレート皿に目玉焼きとソーセージ。ガラスの小さな器にレタスのサラダが盛りつけられている。トーストの側にイチゴジャムの小瓶があった。漆塗りのお椀から味噌汁の良い香りが漂う。俺の方にはフォークとナイフがセットされていて、穂香の方は箸が揃えられていた。
「コーヒー苦手だったよね。ホットの緑茶淹れたけど、飲む?」
「ああ、貰う」
ティーポットから注がれる緑茶の濃い色。コーヒーとはまた違う苦みがあるんだよな。でも今は頭をリフレッシュさせるのに一役買ってほしい気持ちが強い。
テーブルについて、朝メシを食べ進める途中でふと時計に目が留まった。もうすぐ八時になりそうだ。
「……今日は仕事、休みなのか?」
「休みにしたの。ああ、ガストのせいじゃないからね。クライアントと打ち合わせの予定だったんだけど、台風で飛行機が飛ばないからこっちに来られなくなったみたいで。特に仕事詰まってもいないし、客人が起きるまで時間かかりそうだったからお休みした」
「それ、遠回しに俺のせいだって言ってるよな…。埋め合わせは今度必ずするから許してくれ」
「別にいいわよ。……もう、してもらったようなもんだし」
「…え?」
「引き止めてくれたから。それで充分」
イチゴジャムを塗ったトーストに噛り付きながら、そう話していた。何かした憶えは無いし、言った憶えもない。なんで憶えてないんだと今日で何度目かの後悔をする。
トーストの欠片を飲み込んだ穂香が「ほんとに憶えてないのね」と目を伏せた。
「……一夜限りのラブロマンスでもあったって言った方が良かった?」
「いっいいいいワケないだろ?!あ、いや…別に嫌だとかそういう……ああっもう、何言ってんだ俺」
「ウソウソ、何もないから安心して。…やっぱり、ガストはその位のテンションがらしくていいんじゃない?昨夜は拗ねたりご機嫌になったり機嫌のふり幅ひどかったし」
「…悪かったよ。面倒かけて」
曇りのない笑みからは本当に何も無かったんだと窺えた。
これは穂香にも言えることだけど、今それを口にする権利が俺には無い。酔うと上機嫌になるし、でも記憶飛ばしたことは無いんだったか。ああ、くそ。自分が情けない。
火照りかけた頬の熱を誤魔化したくて、熱い緑茶を口に含んだ。
「……なぁ、穂香。他に変なこと話してなかったか…?」
「変なことって?」
「……仕事の話、とか」
「してないわ。何か嫌なことでもあったのかなって聞いても答えてくれなかったし。ガストって愚痴あんまり言わないわよね。…溜め込み過ぎも良くないんだし、適度に発散した方がいいわよ」
「あ、あぁ……そうだな。そうする」
これで懸念材料は消えた。と言っても、本当かどうかは分からない。でも、今は穂香を信じるしかないよな。今後は迂闊に知らない酒やカクテルに手を出すのは止めよう。分が悪すぎる。
「……ん。この味噌汁美味いな。店で飲むやつより断然美味い」
「そう?余ってる適当な野菜入れたんだけど、気に入ってもらえて良かったわ」
「ああ。これなら毎日飲みたいぐらいだ。そうだ、材料と作り方教え……俺、また変なこと言ったか?」
味噌汁のお椀を持ったまま、微妙な表情でこっちを見てくるもんだから。素直にそう思ったんだけど、なんかマズかったか。
「……文化の違いってコワイと思った。それ、日本人の女の子に言わない方がいいわよ。勘違いされるから。材料と作り方はあとでメモしてあげるわ」
「お、おう…?サンキュー。…今日はこの後どうするんだ?」
「考え中。急に休みになったから仕事モード解除されてないのよ。ガストもオフなんでしょ?用事無いならゆっくりしていっていいよ」
「んー…そうだな。さっき買い物行くって言ってただろ?それに付き合う。昨夜のお詫びと礼も兼ねて荷物持ちさせてくれ」
今日のオフは何の予定も無い。それが幸いだったな。
「……お米とお醤油とみりん、あとお味噌も買うけどいい?あ、お米持ってくれればそれでいいから」
ちょうど切らしそうだったと、荷物持ちを前にしてあれもこれもと品名をあげてくる。重たい物買う時は一人暮らしだと大変だからな。俺もついでに味噌汁の材料買って、作り方教わろう。タワーでメシ作る時にでもレンたちに振舞ってみたら、喜ばれるかもしれないしな。
後日余談。
「……ガスト、もしかして味噌汁作ってるのか」
「ああ。この間友達から作り方教わったんだ。もうすぐできるぞ。レンもメシにするなら一緒に食べようぜ」
リビングルームで教わった通りに味噌汁を作っていると、トレーニングから戻ってきたレンが興味深そうにキッチンスペースを覗いてきた。もう一つの鍋にはジャンバラヤが仕込んである。
「着替えてくる」と言ってレンは自室に向かっていった。つまり、食べるって受け止めていいよな。正直、作りすぎた感があるからもう一人ぐらい招きたいところなんだが。
そう考えながら味噌を溶かしていたら、リビングルームへ良い具合に来客が訪れた。
「失礼する。レンは戻っているか」
「おお、司令。レンなら今着替えてるぜ。どうしたんだ?」
「先ほどまでスパーリングの相手をしていたんだが、忘れ物を届けに来た。……この匂い、もしかして味噌汁か」
「鼻がいいな、司令。よかったら食べていってくれよ。ドクターとマリオンは戻ってこねぇみたいだし…残したら勿体無いだろ」
「勿体無い、か。…作り方を教わった友人から一緒にその言葉も知ったようだな。よし、私も手伝おう」
「サンキュー。じゃあ、そっちの鍋からジャンバラヤ盛り付けてくれ」
◇
「ど、どうだ…味は?」
「ほぅ…これは中々。初めてにしては良い塩加減だな。大抵は薄すぎるか濃すぎたり、煮詰まらせてしまう。良い先生に教わったようだな」
「……人参が固い」
「ははっ……次はもう少し早めに入れて煮るようにする。でも、二人からの評価も上々で安心したぜ」
「俺は褒めてない。……まぁ、不味くはない」
そう言いながら味噌汁を飲むレンは満更でもなさそうだった。その言葉が何よりの評価だな。不味けりゃ箸すらつけてもらえないだろうし。
「久しぶりに飲んだよ。…妹と暮らしている時は毎日飲んでいた。今は食事が疎かになりがちだ。これを機に少し見直してみるか」
「司令の妹さんは料理するイメージあるけど、司令もするのか?」
「それなりにな。味噌汁は健康にもいいし、二日酔いにも効く。…今度キースにも勧めてみるとするか」
「毎朝飲むことになりそうだな……そういや、作り方教わった友達の味噌汁が毎日飲みたいって言ったら、変な顔されたんだよな」
俺がその時のことを話すと、二人が同時に飲み損ねた水でむせ返っていた。
「だ、大丈夫か?」
「………ガスト。それを、その友人の前で言ったのか」
「あ、ああ。だって美味かったし。毎日飲んでも問題ないんだろ?」
「無知って恐ろしいな。……少しは教養を身に着けた方がいいんじゃないのか」
氷の様に冷ややかなレンの視線が突き刺さってきた。いや、これでも多少は学んでいるつもりなんだけど。
じゃあその意味を教えてくれよと訊いたら、今度は俺が水を噴き出す番だった。