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君と過ごす夏
貸衣装屋を出る頃には西の空を赤く染めていた太陽が水平線に沈み、明るい星が輝き出した。半月も薄闇に浮かんでいる。普段ならこの辺りでも沢山星が見えるはずだが、今夜はその代わりに地上を照らす提灯が連なっていた。
毎年グリーンイーストヴィレッジのリトルトーキョーで開催される日本の夏祭り。屋台が広場に立ち並ぶと、自然に一本道が出来上がっていた。右を向いても、左を向いても屋台が目に映る。この祭り会場の空気を感じるだけでテンションも上がってくるというもの。
屋台の列に沿って浮かぶ祭り提灯。提灯は昔から外灯の代わりや携帯用の灯りとして使われていたらしい。明々と浮く提灯は赤と白の模様以外にも『祭』と描かれたものがあった。
「時代劇に出てくる御用だ!御用だ!って言ってる役者が持ってるのは使ってないんだな」
「…流石に御用提灯を祭り会場で使ってるの見たことないわ。そもそも用途が違うし」
提灯に明かりが点くだけで、祭り会場の雰囲気が昼間とはガラリと変わった様な気がした。賑やかなのは変わりないが、どこか落ち着いた様子も感じる。それに昼は小さい子を連れた親子連れをよく見かけた。夜はカップルが多い気がする。あとは仕事帰りのヤツとかも。
「日本でもそんな感じだったわ」と、金魚すくいに目を向けながら穂香が言った。水を張った長方形のプールの前に二人組がしゃがんでいる。同世代のヤツがポイとプラスチックの茶碗を両手に持ち、泳ぎ回る金魚を追いかけるが、紙の面積がだいぶ心もとない。それでも最後まで諦めず、彼女にいいとこ見せようと頑張っているようだ。
「ガスト、足大丈夫?さっきからふらついてるわよ」
俺たちは他愛ない会話を交えながら祭り会場を楽しんでいた。けど、慣れない履物に正直困惑している。こういう履物は靴と違って歩くのにコツがいるんだけど、思った以上に足元が覚束ないみたいだ。
雪駄は【ニューイヤー・ヒーローズ】でも履いた。格好がビーチサンダルと似ているから、同じような歩き方でいいんだろうと思えば、そうでもなく。鼻緒に引っ掛ける様に浅く履いてわざと踵を出し、前重心で歩く。意外とこれが難しい。雪駄の踵部分についた金具を鳴らして歩くのが粋だとかなんとか。
言ってる側から右足がずり落ちそうになった。
「あんまり意識すると歩けなくなっちゃうわよ」
「…だな。ニューイヤーの時に履いたし、慣れたつもりでいたんだけど……足が縺れて転んじまわないように気をつける」
「ゆっくり歩いて回りましょ。お祭りは逃げないし……見て、あの子が着てる浴衣。椿柄で素敵ね。帯の色が際立ってるけど、ちゃんと色が纏まってる」
綿あめ屋の前に小柄な女性がいた。白地に赤い椿が点々と咲いていて鮮やかだ。
こうして見渡してみると、浴衣を着ている人が老若男女問わずに多い。洋服で歩いているのが逆に目立つぐらいだ。
朝顔柄の浴衣を纏っている穂香が「椿柄もいいわね」と言いながら後れ毛を指で耳にかけた。その仕草に思わずドキリとしそうになる。
「浴衣って色んな柄があるから、見てるだけで楽しいわ。確か椿柄は長寿とか美しさっていう意味だったはず。樹名が長いから」
「へぇ…じゃあ、縁起が良い花なんだな」
「縁起が良いとも言われてるけど、時代によりけりかしら。江戸時代では縁起が悪い花って思われてたのよ。椿の花って花弁が一枚ずつ散るんじゃなくて、花首から丸ごとポロっと落ちるの。だから、首が落ちるとかを連想させて縁起が悪いって武士は考えていたみたい。時代によって捉え方が違うのよ」
「つまり、物はなんでも考えようってことだな」
どんな物事にも裏表がある。良い面と悪い面。人間だってそうだ。良いとこもあれば悪いとこもある。人の一面だけを見て、決めつけるような真似しなかった穂香には本当に感謝しかない。
俺が来ている浴衣の鱗紋は魔除け、厄除けを意味すると着付けの人が簡単に説明をしてくれた。あまり変なもの引き寄せたくないから有難い。下手したら穂香を巻き込むことになるし。
穂香の朝顔は固い絆、愛情の意味が込められているらしい。
「ええ、物事は良い方向に考えていかなきゃね。それにしても、人種問わず浴衣着てる人多いわね。男の人も。…ガストが一番似合っててカッコいいわ、なんて言ったら惚気かしら」
「さ、サンキュー。…最近真っ向からカッコいいって褒めてくれるよな。嬉しいけどさ」
「感じたことは素直に伝えようって決めたのよ。そうやって髪を一つに括ってるのも好き」
昔は服装やアクセに対して「似合ってる」という褒め言葉だった。そのニュアンスが俺を含めたものだと捉えられるようになってから、褒められる度にこそばゆくなる。それは気持ちが通じ合ってるからかもと思うようにもなった。
「穂香も浴衣似合ってる…というか、綺麗だ」
浴衣を着て夏祭りに行こう。年の初めにしたその約束が叶えられたのは勿論嬉しいし、初めて見る和服姿の彼女がとても綺麗だと感じた。凛とした雰囲気を纏う中、時々見せる屈託のない笑み。これがまた可愛いと思える。
忖度無しに出てきた俺の褒め言葉に穂香が頬を緩めて微笑んだ。見惚れてしまう材料には充分過ぎて、頬が熱を帯びる。
「ありがと。ガストに褒められるのが一番嬉しい」
「…あぁ。俺も」
初めて会ったあの頃から、凛としてカッコいい女性だと感じていた。自分とは住む世界が違って、見えているものも違うんだと思っていた。でも、会う度に意外な一面を見つけて、驚かされてばかりだった。ひたむきに夢を追いかける姿、夢中になると周りが見えなくなることも多い。それら全部ひっくるめるようにして、好きが募っていったんだよな。溢れるこの想いはきっと枯れることを知らない。
いつもよりも歩幅を狭め、肩を並べて歩いていく。横で無造作に揺れていた穂香の手をそっと掴んで、指先を包むように握る。細い指先がすぐに俺の手を握り返してきた。
手が届かないと思っていた存在に触れることができる。これがこの上なく幸せなことだと思った。
◇
軽快な祭り囃子が会場のどこからともなく聞こえてくる。これを聞いてるだけでテンションが上がってくるのは、外国人だけじゃなく日本人もらしい。やっぱり、お祭りってのはどこの国もワクワクするもんなんだな。
ただ、その祭りで浮かれる輩が出てくるのは見過ごせそうにない。
「なぁ、あの子可愛くない?」
「おっ、美人じゃ~ん。声掛けてみっか」
しかもよりによって、俺の目の前でそんな話をしていた。どっからどう見てもナンパ目的の男二人。二人の視線は屋台から少し離れた場所、穂香の方に向いている。屋台でドリンクの会計を済ませるのに五分と経ってない。まったく油断も隙もあったもんじゃないな。その品定めしてるような目も気に喰わねぇ。沸々と腹の底が苛立ってきた。
「あー…でもちょっと気難しそうじゃね?」
「大丈夫だって。ジャパニーズは大人しい子が多いっていうし。上手くいけば…」
「上手くいけば、なんだ?」
俺はナンパ野郎二人を見下ろしながら、低めの声で言ってやった。
振り向いたそいつらの顔が一瞬にして強張る。そんなにコワい表情してるつもりはねぇんだけどな、俺としては。笑顔の類は一切ねぇけど。
「あ、いや…その」
「彼女に用があるんなら、俺が聞くぜ」
あくまで冷静に、穏便に済ませる。だから、用件があるなら聞くという姿勢でこっちは言ったつもりだ。けどこいつらは喧嘩を売られてるとでも感じたのか、顔を真っ青にして「なっ、なんでもありませんっ!」と尻尾巻いて逃げていった。まぁ、とりあえず追い払えたからいいか。
また変なヤツらに絡まれないよう、俺は穂香の所に急いで戻った。
「悪い、待たせた。ちょっと会計にもたついて」
「……さっきの人たち、なんかスゴイ勢いで逃げてったけど。何かあったの?」
「いや、別に?…ただ道塞いでたから退いてくれって言ったんだけど。……そんなにコワい表情したつもりはねぇんだけどなぁ」
片方のドリンクを穂香に手渡しながら、どこ吹く風の様に振舞う。が、何となく察したのか渋い顔をされてしまった。
「顔が本気で怒ってた。それにタピオカミルクティー両手に凄まれたら余計にコワいわよ。ギャップで。……まぁ、絡まれずに済んだからいいけど。ありがと」
「あはは……ナンパするとか、しないとか言ってたからな。つい睨んじまった」
昔の俺だったらすぐ手が出てただろうな。ヒーローになった今じゃそれは出来ない。向こうが先に手を出してきたら別の話だけど。
それにしてもだ。穂香は声を掛けられることが多い気がする。本人は適当にあしらってると言うけど、心配なんだよな。この間、海に遊びに行った時も変な虫がちらほら寄ってきてたし。水着姿が眩しすぎるんだと俺のラッシュガードを被せてやったら「ガストも人の事言えないわよ。逆ナンの的」と冷静に返されてしまった。
俺が側にいる時は追い払えるからいいけど、俺の知らない所で誰かに言い寄られてると思うと心配で仕方がない。その牽制方法が一つだけあると言えばあるんだが。
「……やっぱ考えるか」
「何を?」
「あ、いや…何でもない。おっ、そこに射的の屋台がある。覗いていこうぜ」
前方に見つけた射的場。壇上に射的用の的が等間隔で設置されていた。景品自体が的になってる射的とは違い、的を撃ち落とした数で景品を選べるシステムのようだ。
先客が撃ち終わるのを待つ間、的までの距離や銃の特徴を調べる。実際に手に持って、撃ってみないと銃自体の癖を掴めない。特にこういった屋台で使われる火縄銃に触れる機会は滅多に無いし。でも、やるからにはパーフェクト目指さないとな。
パンッとコルク弾が弾き出される音が響く。先客の連れが、わっと歓声を上げた。無事に目当ての景品をゲットできたようだ。
そいつらを見送った屋台の主人がくるりと振り向いて、俺たちに笑顔を向けてきた。
「待たせたな兄ちゃん。やってくだろ?」
「あぁ」
「よし。お代は五ドルで弾は六発だ。撃ち落とした的の数でそっから景品が選べるぜ」
「ドリンク、私が預かるわ。頑張って」
「おう」
受け取った火縄銃の重みに思わず目を見張った。普段扱っている小銃やハンドガンとは違う形状だが、マスケット銃に似ている気もしたし、屋台の射的用とはいえリアリティを追及している。
先ずは試し撃ちだな。浴衣の袖を捲り、台に肘を置く。的が乗ってる壇を見渡し、手始めに狙いやすい的をロックオン。正面に照準を合わせ、トリガーに指をかけた。
銃口から飛び出したコルク弾は緩い弧を描き、的の中央に命中。射程に対して申し分ない威力だ。これなら少し遠くの的でも狙えるな。
俺は二発目、三発目と順調に的を撃ち落としていく。「流石ね」と感嘆の声が聞こえてくれば気分も良くなるってもんだ。ラスト一発で六つ目の的を倒し、パーフェクトを達成した。
癖で火縄銃を肩に担ぎ、口笛を鳴らす。と、屋台の主人から歓声が沸き上がった。
「ブラボー!全弾命中しかも的確に撃ち落とすたぁ兄ちゃんやるねぇ。しかも、アンタよく見たら雑誌に載ってたヒーローじゃないか」
「お、あの雑誌知ってるのか?」
「おうよ。おれぁ趣味でモデルガンも集めてんだ。愛読書ってヤツよ。射撃大会一位の兄ちゃんの腕前じゃ、屋台の射的は朝飯前ってトコだな」
「サンキュー。この火縄銃、いいヤツだよな。重さも本物に近そうだし…俺も一丁欲しいぐらいだ」
持っていた火縄銃を眺めながらぽつりと呟く。それが耳に届いちまったのか、豪快に一つ笑い飛ばされる。
「そいつの名称を知ってるたぁアンタも相当マニアだな。けど、そいつはいくら何でもやれねぇな。商売が出来なくなっちまう」
「あ、いや…そういう意味じゃ」
「その代わりといっちゃぁ何だが、景品の他にコイツをおまけだ」
俺がこの火縄銃を欲しがってると思ったんだろう。台座に火縄銃を戻している間に屋台の主人がバックヤードからキーホルダーを持ってきた。指に引っ掛けられたそれを二つ差し出される。この火縄銃と同じ形をしたミニチュアサイズのキーホルダーだ。
「貰っちまってもいいのか?」
「ああ、遠慮はいらねぇ。兄ちゃんの腕っぷしに惚れ惚れさせてもらった礼よ。景品もしっかり選んでいきな!」
カゴから選べる景品は様々で、水鉄砲やハンドサイズのボール、ビーズのネックレスに大きなプラスチックの宝石がついた指輪。他にもぬいぐるみや日本ならではのおもちゃも。クッキーやチョコレートみたいなお菓子もある。小さい子が特に喜びそうなラインナップだ。
「懐かしい。こんな感じだったわ、景品。……あっ、アンシェルのチョコレート詰め合わせじゃないこれ」
「お目が高いねぇ。そいつは一番の目玉景品だよ」
「じゃあこれにするよ。オヤジさん、こいつもサンキュー」
「おうよ。来年もまた来てくれよ!カワイイ彼女も一緒にな」
そう言って不器用なウインクをパチンと一つ飛ばしてきた。気前が良くて、気さくなオヤジさんだったな。俺の名前が出てこなかったのは、雑誌の写真で顔だけ覚えてたって感じだろう。
穂香はアンシェルのチョコレートが入った紙袋を手首に提げ、中を覗き込んでいた。
「あとで分けましょ。ガストの戦利品なんだし」
「ん、サンキュー。俺はこっちが戦利品みたいなもんだ。二つ貰ったし、穂香にも…って流石にこっちは興味ないか」
「ううん、貰う。ガストくんコーナーに飾らせてもらうわ」
穂香の部屋には俺を模したぬいぐるみが居座っている。手作りの服を季節ごとに着せられているし、テーブルやチェア、ダーツ盤などが一角に設置されていた。遊びに行く度に何かしら小物が増えていて、待遇の良さにいつも驚かされる。そのうちミニチュアサイズのモデルガンがそこに集まりそうだな。俺もどっかで見つけた時は手に入れておこう。
そしてあれこれ話を聞いているうちに分かったことが一つ。俺の分身も浴衣を着て夏を満喫しているそうだ。
ゆっくり歩いてきた屋台の道も、いよいよ終わりに差し掛かったようだ。屋台の明かりがそこで途切れて、先は薄暗い。
「ここで行き止まりだな。……ん、でもあの開けた場所で何かやってるみたいだ。花火か?」
「そうみたい。ここで手持ち花火売ってる」
薄暗い闇にぼうっと浮かんだ光。一瞬、火の玉じゃないかとぎょっとしたが、よく見たらパチパチと赤や黄色の火花が煙と共に弾けていた。楽しそうにはしゃぐ声も聞こえてくる。
それが目に映った途端、穂香がなんだか嬉しそうに顔を輝かせた。
「私たちも花火やってかない?買ってくるわね」
そして言うが早いか、花火を売っている店に突入していった。俺が荷物を預かると声を掛ける暇もなくだ。
店先にさがってる暖簾を俺がめくった時にはもう穂香は花火セットを受け取っていた。バケツに色とりどりの花火が差し込まれている。
「水はそこで汲んでおくれ。くれぐれも火には注意するんだよ」
「はい。ありがとうございます。ガスト、行こっ」
「あ、あぁ」
店の中を見る暇もなく、外に連れ出されてしまう。そんなに花火が好きだったのか。ああ、でもこの感覚なんか懐かしいな。昔、妹も面白いものを見つけたりすると、俺の手を夢中で引っ張っていった。こんな風にはしゃいでる様子が小さい頃の妹と似ている、なんて言ったら拗ねそうだな。内緒にしておこう。
開けた場所で適当なポイントを見つけ、そこに荷物や花火を置く。空のバケツに水を汲んで戻って来た俺の顔を見た穂香が「ニヤニヤしてどうしたの」とツッコミを入れてきた。
「…い、いやー。まさか夏祭り会場で花火が出来ると思ってなかったからなぁ。嬉しくてさ」
「そういえばこっちじゃ手持ち花火は禁止されてる所、多いものね」
「そうなんだよ。花火と言えばカウントダウンとかの打ち上げ花火だからな。ライター貸してくれ、俺が点けるからさ」
底面を残して縦半分に切った空き缶。蝋を垂らしてロウソクを立てるんだけど、結構コツがいる。火傷でもしたら大変だ。俺は使い捨てライターと白いロウソクを穂香から受け取って、先端に火を点けた。じわじわと溶けてきた蝋を空き缶の上に垂らし、ロウソクを固定。風向きも悪くないし、この位置で大丈夫だろう。
「今夜は風も穏やかだし、煙が飛んでく向きも悪くなさそうだ」
「うん。花火何年ぶりかしら。ガスト、どれがいい?」
「そのヒラヒラしたヤツ。一番オーソドックスだよな、これ」
マゼンタカラーの紙がヒラヒラしている花火、その先端を火に近づける。紙の先からチリチリと燃え移り、火薬を包んだ箇所に到達。途端にシューッという音と光の筋が飛び出してきた。白煙が風に漂って消えていく。
手元の光はオレンジ、白、黄色と変化を遂げていく。日常的に火薬の燻る匂いには慣れたもんだが、花火のは平和的でいいよな。火薬の使い道一つ違うだけで人を楽しませることができるんだから。
僅か四十秒ほどで消える光の花。この短い時間を次々に繋いでいく。
「花火の匂い、夏って感じがするから好き」
「いいよな。夜空に咲く大輪の花もいいけど、こうやって手元で楽しむのも中々楽しいし。そうそうこの間、同期のヤツらと花火やったんだよ。花火やってるとその音や声聞きつけて、ぞろぞろ集まってきたな。俺もそのうちの一人だったけど」
「花火って不思議と人を集めるのよね。沢山用意しとかないとケンカになっちゃってたわ。噴き出し花火やロケット花火もやったの?」
「おお、やったやった。噴き出し花火の固定が甘くて、途中で倒れちまってさ。それでぎゃあぎゃあ騒いじまったな。あんまりウルサクすると怒られるぞって言ったのに、爆竹も鳴らし始めて…結局メンターに怒られて解散って感じだ」
穂香の手元で稲穂のような火花が散る。その光に照らされた彼女の顔は楽しそうに笑っていた。
「楽しそうだなぁって。それに、なんかガストらしいわ」
「爆竹鳴らしたの俺じゃないからな?……まぁ、昔はよく牽制とか囮に使ってたけど」
「昔から火薬の扱いに長けてたのねぇ。このセットには爆竹やねずみ花火は入ってないみたい。残念」
「…いやいや、ここで鳴らしたら他のヤツらに迷惑だろ。それに、こうやって静かに楽しむのも趣があっていい」
「冗談よ。…あ、これで最後の一本ずつね」
はい、と渡された細長い棒状の花火。火薬が直に塗り固められている。この花火が一番好きなヤツで、最後にとっておいたと話してくれた。これより細くて小さいのがよくバースデーケーキとかにささってるよな。
ロウソクの火に触れた花火は一瞬にして煙と火花を噴き出し始めた。その勢いでロウソクの火が消えてしまう。花火の勢いが消えないうちに穂香がロウソクに近づけて、また火を灯した。
「よく花火が噴き出した時に消えちゃうのよね。だから、花火の火を利用してこうやって再点火するのもよくやってた」
「あるあるだな。…おっ、弾けだした」
赤く燃えていた火花が白い閃光に変わり、繊細な火花を散らし始める。見た目は線香花火の派手なバージョンって感じだ。煙も他より少なくて気にならない。
頭上の空はすっかり暗くなっていた。地上の光に照らされた薄い雲が所々に浮かんでいる。提灯の明かりも外灯に負けないぐらい明るいんだな。でも、優しくて温かみのある光だからどこか心が安らぐ。
最後の一本が燃え尽きた後、それをバケツの中に入れるとジュッと音を立てた。バケツには花火の燃えカスがぎゅうぎゅうになって詰め込まれている。
あっという間に楽しい時間は過ぎていった。ついさっきまで浴衣に袖を通して浮かれていたってのに。どうして楽しい時間は一瞬で過ぎていくんだろうか。時の流れが速すぎると司令がぼやいていたのも今なら分かる気がした。
名残惜しさにも似た感覚。夏のメインイベントが終了した気もする。今年の夏は穂香と一緒にいることが多かったし、言うことなしだ。去年に比べたらあちこち出掛けたよな。
なんて満足気に浸っていたら、穂香が「感慨深い顔してる所悪いけど、まだシメがあるわよ」と線香花火を目の前にぶら下げてきた。
「線香花火が残ってたのか」
「さっきのとは別で、花火の最後はやっぱりこれじゃなきゃね。はい、どうぞ」
「サンキュ。風向きは…このままでも大丈夫そうだな」
線香花火は繊細だから風に煽られたり、振動を与えるとすぐ落ちてしまう。少しでも長く楽しみたいのなら、風の無い所を選んで動きを止めることだとレンがこの間言っていた。
アキラが「どっちが長く火花散らしてられるか勝負しようぜ!」と言ったことに対してガキっぽいとかレンが返したもんだから。お決まりの意地の張り合いみたいになっていた。それでさっきの豆知識みたいなことをレンが実行したっていうわけだ。まぁ、結局二人の線香花火は同時に落ちて引き分け。そこで「俺の方が一瞬長かった」「いや俺の方だ」と言い合いにならなかったのには驚いたけど。
俺たちはロウソクの周りにしゃがんで、炎の先端に線香花火を近づけた。火が上に伝っていく間、なるべく揺らさないように身体の前に引き寄せる。やがて火球を形成し、ジジッと音を立ててパチパチと弾けだした。
「…やっぱ綺麗だよなぁ。この細い火花が次々に出てくるとこがさ。面白いし、繊細な感じが日本らしいって思える」
「私たちは儚く切ない夏の終わり…ってよく表現するけど、見方によってはそう感じるのね。そういう意見なんだか新鮮」
オレンジ色の火花が二つ、咲き続ける。こういう火をじっと見ていると、不思議と意識が吸い込まれそうにもなる。俺は手元に向けていた視線を僅かに持ち上げた。やわらかい褐色の瞳に映した炎の色。ゆらゆらと光が瞳の中で揺れる。ふと、似たような光景を見たことがあると思い出した。
六年前、真冬の廃トンネルに迷い込んできた女性。彼女は哀しみに暮れた表情をしていた。事情を何も知らなかったあの時は、俺は兎に角焦っていた。思い留まらせるにはどうしたらいいのか、必死に頭を巡らせてたっけ。何か気が紛れる話は、温かいものでも飲めば落ち着くだろうかとか。
彼女が消えた後、邦人に関するニュースを目で追う日が暫く続いた。悪いニュースが無いことを祈りながら。
「どうしたの?」
「線香花火が映ってる瞳が綺麗だなぁって思ってた」
俺がそう笑いかけると、柔らかい表情だった穂香が慌て始めた。その拍子に手元が少しブレる。
「ちょ、っと…急に変なこと言わないでよ。花火落ちちゃうでしょ」
「どうしたって訊かれたから答えたんだけどな?」
「……もうっ」
正直に思ってること答えたのに、ぷいっとそっぽを向かれてしまった。こんな風に拗ねる所も可愛くて。改めて彼女の表情一つ一つが好きなんだなぁと思えた。すっかり恋に溺れてしまっている。
線香花火の火花は次第に勢いが弱まり、火球が最後まで落ちることなくシュッと燃え尽きた。
「完全に燃え尽きることもあるんだな、線香花火って」
「あ、そういえば。線香花火が最後まで落ちずに燃えたら願いが叶うっていうジンクスあったの思い出した」
「へぇ…願掛けってヤツか。俺たちもしておけばよかったな」
「すっかり忘れてたわ。ガストに見惚れてて願い事考える暇なかったし」
ロウソクの火を吹き消して、花火の燃えカスが全て水に浸かっているかバケツの中を覗き込んでいた時だ。穂香がそんなことを言ってきたので、バケツの取っ手に伸ばした手が思わず空振る。イタズラっ子みたいに笑う表情からさっきの仕返しをされたんだと分かった。
俺は緩んだ口元を隠しながらバケツの取っ手を持ち上げた。
「…まぁ、夏を満喫できたから良かったと思ってるぜ。今年は海にも行けたし、ウエストパークも行けた。願い事が殆ど叶ってるようなモンだ」
「こら、まだ夏のメインイベント控えてるでしょ。再来週はガストの誕生日。旅館、良い所押さえられたから楽しみにしてて」
今年は二泊三日でイーストにある温泉旅館に行こうっていう流れになった。旅行の話はメンターと司令にも了承済。心置きなく、ゆっくりと羽を伸ばせそうだ。任務中にデカい怪我しないように気を引き締めねぇとな。折角穂香が考えてくれたプランだし、長い時間一緒にいられる。過ごす時間が長ければ長いほど互いに気を使うだろうし、不満とか苛立つ場面も出てくるかもしれない。でも、なんとなく大丈夫な予感がした。
「勿論、楽しみにしてる。…俺も一つサプライズっつーか、用意したい物あるんだ。期待しないで待っててくれよ」
正直、俺の考えてる物が喜んで貰えるかどうかはイーブンってところだ。期待と不安も半分ずつ。良い方向に転がってくれりゃあいいんだけどな。こればっかりはその時の相手の反応を見るしかない。
ただそれが少しだけ拭えた気がした。あどけない笑顔で「楽しみにしてるわ」と答えてくれたから。
貸衣装屋を出る頃には西の空を赤く染めていた太陽が水平線に沈み、明るい星が輝き出した。半月も薄闇に浮かんでいる。普段ならこの辺りでも沢山星が見えるはずだが、今夜はその代わりに地上を照らす提灯が連なっていた。
毎年グリーンイーストヴィレッジのリトルトーキョーで開催される日本の夏祭り。屋台が広場に立ち並ぶと、自然に一本道が出来上がっていた。右を向いても、左を向いても屋台が目に映る。この祭り会場の空気を感じるだけでテンションも上がってくるというもの。
屋台の列に沿って浮かぶ祭り提灯。提灯は昔から外灯の代わりや携帯用の灯りとして使われていたらしい。明々と浮く提灯は赤と白の模様以外にも『祭』と描かれたものがあった。
「時代劇に出てくる御用だ!御用だ!って言ってる役者が持ってるのは使ってないんだな」
「…流石に御用提灯を祭り会場で使ってるの見たことないわ。そもそも用途が違うし」
提灯に明かりが点くだけで、祭り会場の雰囲気が昼間とはガラリと変わった様な気がした。賑やかなのは変わりないが、どこか落ち着いた様子も感じる。それに昼は小さい子を連れた親子連れをよく見かけた。夜はカップルが多い気がする。あとは仕事帰りのヤツとかも。
「日本でもそんな感じだったわ」と、金魚すくいに目を向けながら穂香が言った。水を張った長方形のプールの前に二人組がしゃがんでいる。同世代のヤツがポイとプラスチックの茶碗を両手に持ち、泳ぎ回る金魚を追いかけるが、紙の面積がだいぶ心もとない。それでも最後まで諦めず、彼女にいいとこ見せようと頑張っているようだ。
「ガスト、足大丈夫?さっきからふらついてるわよ」
俺たちは他愛ない会話を交えながら祭り会場を楽しんでいた。けど、慣れない履物に正直困惑している。こういう履物は靴と違って歩くのにコツがいるんだけど、思った以上に足元が覚束ないみたいだ。
雪駄は【ニューイヤー・ヒーローズ】でも履いた。格好がビーチサンダルと似ているから、同じような歩き方でいいんだろうと思えば、そうでもなく。鼻緒に引っ掛ける様に浅く履いてわざと踵を出し、前重心で歩く。意外とこれが難しい。雪駄の踵部分についた金具を鳴らして歩くのが粋だとかなんとか。
言ってる側から右足がずり落ちそうになった。
「あんまり意識すると歩けなくなっちゃうわよ」
「…だな。ニューイヤーの時に履いたし、慣れたつもりでいたんだけど……足が縺れて転んじまわないように気をつける」
「ゆっくり歩いて回りましょ。お祭りは逃げないし……見て、あの子が着てる浴衣。椿柄で素敵ね。帯の色が際立ってるけど、ちゃんと色が纏まってる」
綿あめ屋の前に小柄な女性がいた。白地に赤い椿が点々と咲いていて鮮やかだ。
こうして見渡してみると、浴衣を着ている人が老若男女問わずに多い。洋服で歩いているのが逆に目立つぐらいだ。
朝顔柄の浴衣を纏っている穂香が「椿柄もいいわね」と言いながら後れ毛を指で耳にかけた。その仕草に思わずドキリとしそうになる。
「浴衣って色んな柄があるから、見てるだけで楽しいわ。確か椿柄は長寿とか美しさっていう意味だったはず。樹名が長いから」
「へぇ…じゃあ、縁起が良い花なんだな」
「縁起が良いとも言われてるけど、時代によりけりかしら。江戸時代では縁起が悪い花って思われてたのよ。椿の花って花弁が一枚ずつ散るんじゃなくて、花首から丸ごとポロっと落ちるの。だから、首が落ちるとかを連想させて縁起が悪いって武士は考えていたみたい。時代によって捉え方が違うのよ」
「つまり、物はなんでも考えようってことだな」
どんな物事にも裏表がある。良い面と悪い面。人間だってそうだ。良いとこもあれば悪いとこもある。人の一面だけを見て、決めつけるような真似しなかった穂香には本当に感謝しかない。
俺が来ている浴衣の鱗紋は魔除け、厄除けを意味すると着付けの人が簡単に説明をしてくれた。あまり変なもの引き寄せたくないから有難い。下手したら穂香を巻き込むことになるし。
穂香の朝顔は固い絆、愛情の意味が込められているらしい。
「ええ、物事は良い方向に考えていかなきゃね。それにしても、人種問わず浴衣着てる人多いわね。男の人も。…ガストが一番似合っててカッコいいわ、なんて言ったら惚気かしら」
「さ、サンキュー。…最近真っ向からカッコいいって褒めてくれるよな。嬉しいけどさ」
「感じたことは素直に伝えようって決めたのよ。そうやって髪を一つに括ってるのも好き」
昔は服装やアクセに対して「似合ってる」という褒め言葉だった。そのニュアンスが俺を含めたものだと捉えられるようになってから、褒められる度にこそばゆくなる。それは気持ちが通じ合ってるからかもと思うようにもなった。
「穂香も浴衣似合ってる…というか、綺麗だ」
浴衣を着て夏祭りに行こう。年の初めにしたその約束が叶えられたのは勿論嬉しいし、初めて見る和服姿の彼女がとても綺麗だと感じた。凛とした雰囲気を纏う中、時々見せる屈託のない笑み。これがまた可愛いと思える。
忖度無しに出てきた俺の褒め言葉に穂香が頬を緩めて微笑んだ。見惚れてしまう材料には充分過ぎて、頬が熱を帯びる。
「ありがと。ガストに褒められるのが一番嬉しい」
「…あぁ。俺も」
初めて会ったあの頃から、凛としてカッコいい女性だと感じていた。自分とは住む世界が違って、見えているものも違うんだと思っていた。でも、会う度に意外な一面を見つけて、驚かされてばかりだった。ひたむきに夢を追いかける姿、夢中になると周りが見えなくなることも多い。それら全部ひっくるめるようにして、好きが募っていったんだよな。溢れるこの想いはきっと枯れることを知らない。
いつもよりも歩幅を狭め、肩を並べて歩いていく。横で無造作に揺れていた穂香の手をそっと掴んで、指先を包むように握る。細い指先がすぐに俺の手を握り返してきた。
手が届かないと思っていた存在に触れることができる。これがこの上なく幸せなことだと思った。
◇
軽快な祭り囃子が会場のどこからともなく聞こえてくる。これを聞いてるだけでテンションが上がってくるのは、外国人だけじゃなく日本人もらしい。やっぱり、お祭りってのはどこの国もワクワクするもんなんだな。
ただ、その祭りで浮かれる輩が出てくるのは見過ごせそうにない。
「なぁ、あの子可愛くない?」
「おっ、美人じゃ~ん。声掛けてみっか」
しかもよりによって、俺の目の前でそんな話をしていた。どっからどう見てもナンパ目的の男二人。二人の視線は屋台から少し離れた場所、穂香の方に向いている。屋台でドリンクの会計を済ませるのに五分と経ってない。まったく油断も隙もあったもんじゃないな。その品定めしてるような目も気に喰わねぇ。沸々と腹の底が苛立ってきた。
「あー…でもちょっと気難しそうじゃね?」
「大丈夫だって。ジャパニーズは大人しい子が多いっていうし。上手くいけば…」
「上手くいけば、なんだ?」
俺はナンパ野郎二人を見下ろしながら、低めの声で言ってやった。
振り向いたそいつらの顔が一瞬にして強張る。そんなにコワい表情してるつもりはねぇんだけどな、俺としては。笑顔の類は一切ねぇけど。
「あ、いや…その」
「彼女に用があるんなら、俺が聞くぜ」
あくまで冷静に、穏便に済ませる。だから、用件があるなら聞くという姿勢でこっちは言ったつもりだ。けどこいつらは喧嘩を売られてるとでも感じたのか、顔を真っ青にして「なっ、なんでもありませんっ!」と尻尾巻いて逃げていった。まぁ、とりあえず追い払えたからいいか。
また変なヤツらに絡まれないよう、俺は穂香の所に急いで戻った。
「悪い、待たせた。ちょっと会計にもたついて」
「……さっきの人たち、なんかスゴイ勢いで逃げてったけど。何かあったの?」
「いや、別に?…ただ道塞いでたから退いてくれって言ったんだけど。……そんなにコワい表情したつもりはねぇんだけどなぁ」
片方のドリンクを穂香に手渡しながら、どこ吹く風の様に振舞う。が、何となく察したのか渋い顔をされてしまった。
「顔が本気で怒ってた。それにタピオカミルクティー両手に凄まれたら余計にコワいわよ。ギャップで。……まぁ、絡まれずに済んだからいいけど。ありがと」
「あはは……ナンパするとか、しないとか言ってたからな。つい睨んじまった」
昔の俺だったらすぐ手が出てただろうな。ヒーローになった今じゃそれは出来ない。向こうが先に手を出してきたら別の話だけど。
それにしてもだ。穂香は声を掛けられることが多い気がする。本人は適当にあしらってると言うけど、心配なんだよな。この間、海に遊びに行った時も変な虫がちらほら寄ってきてたし。水着姿が眩しすぎるんだと俺のラッシュガードを被せてやったら「ガストも人の事言えないわよ。逆ナンの的」と冷静に返されてしまった。
俺が側にいる時は追い払えるからいいけど、俺の知らない所で誰かに言い寄られてると思うと心配で仕方がない。その牽制方法が一つだけあると言えばあるんだが。
「……やっぱ考えるか」
「何を?」
「あ、いや…何でもない。おっ、そこに射的の屋台がある。覗いていこうぜ」
前方に見つけた射的場。壇上に射的用の的が等間隔で設置されていた。景品自体が的になってる射的とは違い、的を撃ち落とした数で景品を選べるシステムのようだ。
先客が撃ち終わるのを待つ間、的までの距離や銃の特徴を調べる。実際に手に持って、撃ってみないと銃自体の癖を掴めない。特にこういった屋台で使われる火縄銃に触れる機会は滅多に無いし。でも、やるからにはパーフェクト目指さないとな。
パンッとコルク弾が弾き出される音が響く。先客の連れが、わっと歓声を上げた。無事に目当ての景品をゲットできたようだ。
そいつらを見送った屋台の主人がくるりと振り向いて、俺たちに笑顔を向けてきた。
「待たせたな兄ちゃん。やってくだろ?」
「あぁ」
「よし。お代は五ドルで弾は六発だ。撃ち落とした的の数でそっから景品が選べるぜ」
「ドリンク、私が預かるわ。頑張って」
「おう」
受け取った火縄銃の重みに思わず目を見張った。普段扱っている小銃やハンドガンとは違う形状だが、マスケット銃に似ている気もしたし、屋台の射的用とはいえリアリティを追及している。
先ずは試し撃ちだな。浴衣の袖を捲り、台に肘を置く。的が乗ってる壇を見渡し、手始めに狙いやすい的をロックオン。正面に照準を合わせ、トリガーに指をかけた。
銃口から飛び出したコルク弾は緩い弧を描き、的の中央に命中。射程に対して申し分ない威力だ。これなら少し遠くの的でも狙えるな。
俺は二発目、三発目と順調に的を撃ち落としていく。「流石ね」と感嘆の声が聞こえてくれば気分も良くなるってもんだ。ラスト一発で六つ目の的を倒し、パーフェクトを達成した。
癖で火縄銃を肩に担ぎ、口笛を鳴らす。と、屋台の主人から歓声が沸き上がった。
「ブラボー!全弾命中しかも的確に撃ち落とすたぁ兄ちゃんやるねぇ。しかも、アンタよく見たら雑誌に載ってたヒーローじゃないか」
「お、あの雑誌知ってるのか?」
「おうよ。おれぁ趣味でモデルガンも集めてんだ。愛読書ってヤツよ。射撃大会一位の兄ちゃんの腕前じゃ、屋台の射的は朝飯前ってトコだな」
「サンキュー。この火縄銃、いいヤツだよな。重さも本物に近そうだし…俺も一丁欲しいぐらいだ」
持っていた火縄銃を眺めながらぽつりと呟く。それが耳に届いちまったのか、豪快に一つ笑い飛ばされる。
「そいつの名称を知ってるたぁアンタも相当マニアだな。けど、そいつはいくら何でもやれねぇな。商売が出来なくなっちまう」
「あ、いや…そういう意味じゃ」
「その代わりといっちゃぁ何だが、景品の他にコイツをおまけだ」
俺がこの火縄銃を欲しがってると思ったんだろう。台座に火縄銃を戻している間に屋台の主人がバックヤードからキーホルダーを持ってきた。指に引っ掛けられたそれを二つ差し出される。この火縄銃と同じ形をしたミニチュアサイズのキーホルダーだ。
「貰っちまってもいいのか?」
「ああ、遠慮はいらねぇ。兄ちゃんの腕っぷしに惚れ惚れさせてもらった礼よ。景品もしっかり選んでいきな!」
カゴから選べる景品は様々で、水鉄砲やハンドサイズのボール、ビーズのネックレスに大きなプラスチックの宝石がついた指輪。他にもぬいぐるみや日本ならではのおもちゃも。クッキーやチョコレートみたいなお菓子もある。小さい子が特に喜びそうなラインナップだ。
「懐かしい。こんな感じだったわ、景品。……あっ、アンシェルのチョコレート詰め合わせじゃないこれ」
「お目が高いねぇ。そいつは一番の目玉景品だよ」
「じゃあこれにするよ。オヤジさん、こいつもサンキュー」
「おうよ。来年もまた来てくれよ!カワイイ彼女も一緒にな」
そう言って不器用なウインクをパチンと一つ飛ばしてきた。気前が良くて、気さくなオヤジさんだったな。俺の名前が出てこなかったのは、雑誌の写真で顔だけ覚えてたって感じだろう。
穂香はアンシェルのチョコレートが入った紙袋を手首に提げ、中を覗き込んでいた。
「あとで分けましょ。ガストの戦利品なんだし」
「ん、サンキュー。俺はこっちが戦利品みたいなもんだ。二つ貰ったし、穂香にも…って流石にこっちは興味ないか」
「ううん、貰う。ガストくんコーナーに飾らせてもらうわ」
穂香の部屋には俺を模したぬいぐるみが居座っている。手作りの服を季節ごとに着せられているし、テーブルやチェア、ダーツ盤などが一角に設置されていた。遊びに行く度に何かしら小物が増えていて、待遇の良さにいつも驚かされる。そのうちミニチュアサイズのモデルガンがそこに集まりそうだな。俺もどっかで見つけた時は手に入れておこう。
そしてあれこれ話を聞いているうちに分かったことが一つ。俺の分身も浴衣を着て夏を満喫しているそうだ。
ゆっくり歩いてきた屋台の道も、いよいよ終わりに差し掛かったようだ。屋台の明かりがそこで途切れて、先は薄暗い。
「ここで行き止まりだな。……ん、でもあの開けた場所で何かやってるみたいだ。花火か?」
「そうみたい。ここで手持ち花火売ってる」
薄暗い闇にぼうっと浮かんだ光。一瞬、火の玉じゃないかとぎょっとしたが、よく見たらパチパチと赤や黄色の火花が煙と共に弾けていた。楽しそうにはしゃぐ声も聞こえてくる。
それが目に映った途端、穂香がなんだか嬉しそうに顔を輝かせた。
「私たちも花火やってかない?買ってくるわね」
そして言うが早いか、花火を売っている店に突入していった。俺が荷物を預かると声を掛ける暇もなくだ。
店先にさがってる暖簾を俺がめくった時にはもう穂香は花火セットを受け取っていた。バケツに色とりどりの花火が差し込まれている。
「水はそこで汲んでおくれ。くれぐれも火には注意するんだよ」
「はい。ありがとうございます。ガスト、行こっ」
「あ、あぁ」
店の中を見る暇もなく、外に連れ出されてしまう。そんなに花火が好きだったのか。ああ、でもこの感覚なんか懐かしいな。昔、妹も面白いものを見つけたりすると、俺の手を夢中で引っ張っていった。こんな風にはしゃいでる様子が小さい頃の妹と似ている、なんて言ったら拗ねそうだな。内緒にしておこう。
開けた場所で適当なポイントを見つけ、そこに荷物や花火を置く。空のバケツに水を汲んで戻って来た俺の顔を見た穂香が「ニヤニヤしてどうしたの」とツッコミを入れてきた。
「…い、いやー。まさか夏祭り会場で花火が出来ると思ってなかったからなぁ。嬉しくてさ」
「そういえばこっちじゃ手持ち花火は禁止されてる所、多いものね」
「そうなんだよ。花火と言えばカウントダウンとかの打ち上げ花火だからな。ライター貸してくれ、俺が点けるからさ」
底面を残して縦半分に切った空き缶。蝋を垂らしてロウソクを立てるんだけど、結構コツがいる。火傷でもしたら大変だ。俺は使い捨てライターと白いロウソクを穂香から受け取って、先端に火を点けた。じわじわと溶けてきた蝋を空き缶の上に垂らし、ロウソクを固定。風向きも悪くないし、この位置で大丈夫だろう。
「今夜は風も穏やかだし、煙が飛んでく向きも悪くなさそうだ」
「うん。花火何年ぶりかしら。ガスト、どれがいい?」
「そのヒラヒラしたヤツ。一番オーソドックスだよな、これ」
マゼンタカラーの紙がヒラヒラしている花火、その先端を火に近づける。紙の先からチリチリと燃え移り、火薬を包んだ箇所に到達。途端にシューッという音と光の筋が飛び出してきた。白煙が風に漂って消えていく。
手元の光はオレンジ、白、黄色と変化を遂げていく。日常的に火薬の燻る匂いには慣れたもんだが、花火のは平和的でいいよな。火薬の使い道一つ違うだけで人を楽しませることができるんだから。
僅か四十秒ほどで消える光の花。この短い時間を次々に繋いでいく。
「花火の匂い、夏って感じがするから好き」
「いいよな。夜空に咲く大輪の花もいいけど、こうやって手元で楽しむのも中々楽しいし。そうそうこの間、同期のヤツらと花火やったんだよ。花火やってるとその音や声聞きつけて、ぞろぞろ集まってきたな。俺もそのうちの一人だったけど」
「花火って不思議と人を集めるのよね。沢山用意しとかないとケンカになっちゃってたわ。噴き出し花火やロケット花火もやったの?」
「おお、やったやった。噴き出し花火の固定が甘くて、途中で倒れちまってさ。それでぎゃあぎゃあ騒いじまったな。あんまりウルサクすると怒られるぞって言ったのに、爆竹も鳴らし始めて…結局メンターに怒られて解散って感じだ」
穂香の手元で稲穂のような火花が散る。その光に照らされた彼女の顔は楽しそうに笑っていた。
「楽しそうだなぁって。それに、なんかガストらしいわ」
「爆竹鳴らしたの俺じゃないからな?……まぁ、昔はよく牽制とか囮に使ってたけど」
「昔から火薬の扱いに長けてたのねぇ。このセットには爆竹やねずみ花火は入ってないみたい。残念」
「…いやいや、ここで鳴らしたら他のヤツらに迷惑だろ。それに、こうやって静かに楽しむのも趣があっていい」
「冗談よ。…あ、これで最後の一本ずつね」
はい、と渡された細長い棒状の花火。火薬が直に塗り固められている。この花火が一番好きなヤツで、最後にとっておいたと話してくれた。これより細くて小さいのがよくバースデーケーキとかにささってるよな。
ロウソクの火に触れた花火は一瞬にして煙と火花を噴き出し始めた。その勢いでロウソクの火が消えてしまう。花火の勢いが消えないうちに穂香がロウソクに近づけて、また火を灯した。
「よく花火が噴き出した時に消えちゃうのよね。だから、花火の火を利用してこうやって再点火するのもよくやってた」
「あるあるだな。…おっ、弾けだした」
赤く燃えていた火花が白い閃光に変わり、繊細な火花を散らし始める。見た目は線香花火の派手なバージョンって感じだ。煙も他より少なくて気にならない。
頭上の空はすっかり暗くなっていた。地上の光に照らされた薄い雲が所々に浮かんでいる。提灯の明かりも外灯に負けないぐらい明るいんだな。でも、優しくて温かみのある光だからどこか心が安らぐ。
最後の一本が燃え尽きた後、それをバケツの中に入れるとジュッと音を立てた。バケツには花火の燃えカスがぎゅうぎゅうになって詰め込まれている。
あっという間に楽しい時間は過ぎていった。ついさっきまで浴衣に袖を通して浮かれていたってのに。どうして楽しい時間は一瞬で過ぎていくんだろうか。時の流れが速すぎると司令がぼやいていたのも今なら分かる気がした。
名残惜しさにも似た感覚。夏のメインイベントが終了した気もする。今年の夏は穂香と一緒にいることが多かったし、言うことなしだ。去年に比べたらあちこち出掛けたよな。
なんて満足気に浸っていたら、穂香が「感慨深い顔してる所悪いけど、まだシメがあるわよ」と線香花火を目の前にぶら下げてきた。
「線香花火が残ってたのか」
「さっきのとは別で、花火の最後はやっぱりこれじゃなきゃね。はい、どうぞ」
「サンキュ。風向きは…このままでも大丈夫そうだな」
線香花火は繊細だから風に煽られたり、振動を与えるとすぐ落ちてしまう。少しでも長く楽しみたいのなら、風の無い所を選んで動きを止めることだとレンがこの間言っていた。
アキラが「どっちが長く火花散らしてられるか勝負しようぜ!」と言ったことに対してガキっぽいとかレンが返したもんだから。お決まりの意地の張り合いみたいになっていた。それでさっきの豆知識みたいなことをレンが実行したっていうわけだ。まぁ、結局二人の線香花火は同時に落ちて引き分け。そこで「俺の方が一瞬長かった」「いや俺の方だ」と言い合いにならなかったのには驚いたけど。
俺たちはロウソクの周りにしゃがんで、炎の先端に線香花火を近づけた。火が上に伝っていく間、なるべく揺らさないように身体の前に引き寄せる。やがて火球を形成し、ジジッと音を立ててパチパチと弾けだした。
「…やっぱ綺麗だよなぁ。この細い火花が次々に出てくるとこがさ。面白いし、繊細な感じが日本らしいって思える」
「私たちは儚く切ない夏の終わり…ってよく表現するけど、見方によってはそう感じるのね。そういう意見なんだか新鮮」
オレンジ色の火花が二つ、咲き続ける。こういう火をじっと見ていると、不思議と意識が吸い込まれそうにもなる。俺は手元に向けていた視線を僅かに持ち上げた。やわらかい褐色の瞳に映した炎の色。ゆらゆらと光が瞳の中で揺れる。ふと、似たような光景を見たことがあると思い出した。
六年前、真冬の廃トンネルに迷い込んできた女性。彼女は哀しみに暮れた表情をしていた。事情を何も知らなかったあの時は、俺は兎に角焦っていた。思い留まらせるにはどうしたらいいのか、必死に頭を巡らせてたっけ。何か気が紛れる話は、温かいものでも飲めば落ち着くだろうかとか。
彼女が消えた後、邦人に関するニュースを目で追う日が暫く続いた。悪いニュースが無いことを祈りながら。
「どうしたの?」
「線香花火が映ってる瞳が綺麗だなぁって思ってた」
俺がそう笑いかけると、柔らかい表情だった穂香が慌て始めた。その拍子に手元が少しブレる。
「ちょ、っと…急に変なこと言わないでよ。花火落ちちゃうでしょ」
「どうしたって訊かれたから答えたんだけどな?」
「……もうっ」
正直に思ってること答えたのに、ぷいっとそっぽを向かれてしまった。こんな風に拗ねる所も可愛くて。改めて彼女の表情一つ一つが好きなんだなぁと思えた。すっかり恋に溺れてしまっている。
線香花火の火花は次第に勢いが弱まり、火球が最後まで落ちることなくシュッと燃え尽きた。
「完全に燃え尽きることもあるんだな、線香花火って」
「あ、そういえば。線香花火が最後まで落ちずに燃えたら願いが叶うっていうジンクスあったの思い出した」
「へぇ…願掛けってヤツか。俺たちもしておけばよかったな」
「すっかり忘れてたわ。ガストに見惚れてて願い事考える暇なかったし」
ロウソクの火を吹き消して、花火の燃えカスが全て水に浸かっているかバケツの中を覗き込んでいた時だ。穂香がそんなことを言ってきたので、バケツの取っ手に伸ばした手が思わず空振る。イタズラっ子みたいに笑う表情からさっきの仕返しをされたんだと分かった。
俺は緩んだ口元を隠しながらバケツの取っ手を持ち上げた。
「…まぁ、夏を満喫できたから良かったと思ってるぜ。今年は海にも行けたし、ウエストパークも行けた。願い事が殆ど叶ってるようなモンだ」
「こら、まだ夏のメインイベント控えてるでしょ。再来週はガストの誕生日。旅館、良い所押さえられたから楽しみにしてて」
今年は二泊三日でイーストにある温泉旅館に行こうっていう流れになった。旅行の話はメンターと司令にも了承済。心置きなく、ゆっくりと羽を伸ばせそうだ。任務中にデカい怪我しないように気を引き締めねぇとな。折角穂香が考えてくれたプランだし、長い時間一緒にいられる。過ごす時間が長ければ長いほど互いに気を使うだろうし、不満とか苛立つ場面も出てくるかもしれない。でも、なんとなく大丈夫な予感がした。
「勿論、楽しみにしてる。…俺も一つサプライズっつーか、用意したい物あるんだ。期待しないで待っててくれよ」
正直、俺の考えてる物が喜んで貰えるかどうかはイーブンってところだ。期待と不安も半分ずつ。良い方向に転がってくれりゃあいいんだけどな。こればっかりはその時の相手の反応を見るしかない。
ただそれが少しだけ拭えた気がした。あどけない笑顔で「楽しみにしてるわ」と答えてくれたから。