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3.Nice to see you
左頬の鈍い痛みに朝から一日中悩まされていた。熱を持ってじんじんと痛むし、痣がくっきりと浮かび上がっている。
今朝は鏡を見るより先に、寮で同室のヤツに「なんて顔をしてるんだ」という目で見られた。そっちこそなんて表情で俺のこと見てくるんだよと言い返した後、鏡を見て納得。まだ夜中に遊び歩いてるのかと言いたげにもしていたけど、昨日のは不可抗力だ。
昨夜、呼び出しを受けた先でタイマンを張ったわけだが。一瞬の隙を狙われ、避けきれずに相手に一発喰らわされた。その時は劣勢だの積年の恨みだの喚いてたみたいだが、地に膝をついたのはケンカを吹っかけてきた向こう側だ。
タイマンの回数は減ってきたとはいえ、売られたケンカは買っておかないと後々面倒になるケースが多い。相手によってはその後も面倒だったりすることも稀にある。今回の場合は負けを認めてスッキリしたみたいだし、今後はもう止めてくれと釘も刺しておいたし大丈夫だろう。
さて、アカデミーの授業も終わったし放課後をどう過ごそうか。そういえば、あいつらにメシ奢るって約束をしてたな。連絡入れてみるか。アキラも誘いたいけど、保護者クンの目が光ってて難しそうだ。
そんなことをぼんやりと考えながら馴染みのレッドサウスのマゼンタアベニューを過ぎようとした時だ。
通りに面したカジュアル系のブティックから女性が一人出てきた。そこの店主と朗らかに会話を交わしながら。その相手に見覚えがあった。一週間くらい前にドリンクの屋台で注文が思うようにいかずに困っていた、アジア系の女性だ。
そこの店主と会話が終わったのか、にこやかに別れの挨拶をして、こっちの方に向かって歩いてくる。まぁ、どうせ俺のことは憶えてないだろう。向こうの人間にとっては欧米人は見分けがつきにくいらしいから。
そう思って、そのまますれ違おうとした。が、その瞬間に腕をがっしりと掴まれた。予想外すぎる展開に驚いて目を見張ると、相手はニコニコと笑いながら俺を見上げてくる。
「ちょっとそこのイケメン。お顔貸してもらえませんか?」
相変わらず流暢な英語。いや、そこに感心している場合じゃない。その笑顔は楽しいとか、嬉しいとかそういった良い意味の方じゃなくて。怒りの感情を隠すために覆い被せたようなものだった。いやいや、俺何もしてないよな。そもそも今日は一言も言葉を交わしてないだろ。
「ほら、いいからそこに座る」
意味が分からないまま、すぐ側にあったカフェテラスの席に引っ張られてきた。青銅のガーデンチェアに半ば無理やり座らされてしまう。
彼女は小ぶりのショルダーバッグをテーブルに置く。その音すら恐怖に感じた。バッグから平べったい小さな四角いポーチを取り出し、さらにその中から何か取り出そうとしていた。相手が目を離しているうちに逃げ出そう。注意が逸れている今がチャンスだ。俺がそろりと立ち上がろうとした時。
「動かない!」
「いっ…」
相手の手が俺の左頬に当たった。途端に鋭い痛みが走る。まさか追い打ちを喰らうとは思ってもいない。しかも全く何も関係ない相手にだ。思わず頬を庇った指先に触れたのは布の感触。視界の隅にベージュ色のものが映り、それがすぐに湿布薬だと分かった。
「イケメンが顔に青痣作って、何やらかしてんのよ」と目を吊り上げている。直後にデカい溜息をつかれてしまった。
「まったく…何やらかしたらそんな青痣作るのかしらね」
「あ、はは……ちょっと、転んじまってそれで」
「顔から?」
「……顔から」
「そう。偶然にも転んだ先にコンクリートブロックでもあったのね。考えただけで痛そうね」
「ま…まぁ、そんなところだな。……それ、持ち歩いてんのか」
これ以上は痣の理由を詮索されたくない。その疑惑の眼差しから逃れるように、相手の注意をそっちに引きつけた。
青一色のモノクロで、幾何学模様のデザインされたスクエアポーチ。その中には同じサイズに切り揃えられた湿布が何枚も入っているようだった。薬の成分が逃げ出さないようにちゃんと密封された状態で。
「職業柄、腱鞘炎になりやすいのよ」
「…腱鞘炎?」
「私、デザイナー会社に勤めてるの。自分でデザインしたり、試作品縫ったりすることもあるから。ミシン使わずに手縫いの時も結構あるのよ。今日は営業でこのエリアに御挨拶に来ているっていうわけ」
「観光客じゃなかったんだな」
彼女の右手親指の付け根から手首の筋にかけて正方形の湿布が貼られていた。
ニューミリオンに長期旅行で訪れる観光客は少なくない。各セクターをぐるりと観て回る人もいるぐらいだ。女性一人での海外旅行も増えてきているというし、一週間経った今も此処にいるということは、彼女もてっきりそうなんだと思っていた。現地の人間にとっちゃ危なっかしいのには変わりないんだけど。
聞く話によれば、勤め先のブランド会社が海外進出先としてニューミリオンを選んだという。同期や先輩と赴任してきたそうだ。
「発音がいいと思った。…あんたしっかりしてそうだし、わざわざ行くような場所でもないだろうけど、このあたりの倉庫街には近づかない方がいいぜ。治安が悪いからな。日本人はスリの標的になりやすいし」
この先もニューミリオンに長期滞在するなら、知っておくべきことだ。そう親切心で忠告をしたつもりだったんだが。
「詳しいのね」と俺の顔左側を見ながら言った彼女の視線が突き刺さってくる。
「御親切に有難う少年。仕事でもそっちには用がないと思うし、大丈夫よ」
「そ…それなら良いんだけどさ」
どうやら、テラス席で勝手に雑談を交わしていることが店の人間にバレたようだ。カフェから出てきた男の店員が「ご注文はございますか」と声を掛けてきた。客じゃないならさっさと退けというニュアンスも含まれている。
彼女はその嫌みに動じることなく「アイスティー二つ。持ち帰りでお願いします」とナチュラルな発音でオーダーを決めた。前も感じたけど、ホント上手いよな英語。
「呼び止めたお詫びに奢るわ」
「…日本人って義理堅いよな。それともあんたが律儀なだけか。この前もそうだったし」
「そうね。日本人っていうのは昔からそういうイメージがあるのかもね。ま、喉も渇いてたし。水分補給しないと干からびるわよ」
そう、言いながら青い空を仰ぐ。ここ数日は晴天が続いていた。夏の到来がすぐそこまで来ている。この夏空の下で涼しい顔をして立っている彼女のことが、少しだけ眩しいと感じたのは気のせいだろうか。
数分も経たないうちにトールサイズのアイスティーが二つ運ばれてきた。会計のやり取りもスムーズに終わらせ、アイスティーのカップを一つ俺の方に差し出してくる。「飲めなかったら誰かにあげて」と一言添えて。
「私、そろそろ行かないと。まだ二軒挨拶に回る予定だから。これあげるわ。ちゃんとその痣、治しなさいよ」
上品なネイルで彩った細長い指がテーブルの上を示す。さっきのスクエアポーチがそこに置かれたままで、その上に名刺が一枚。
「弊社ブランドに御用命がございましたら、遠慮なくご連絡をどうぞ」
そう笑ってみせた表情があまりに無邪気なものだったせいで、思わず見惚れてしまった。俺が礼を言う間もなく、その人は手をひらりと振って去っていってしまう。
前も慌ただしく去っていったけど、なんか風みたいな人だな。一瞬だけ吹く、清涼な夏風のように感じた。
テーブルに残されたポーチに手を伸ばし、名刺に目を落とす。ロゴやデザインからスマートな印象が見受けられたが、やっぱりそうだった。住所の番地を見るとブルーノースシティに支店を構えている。
中央に書かれた名前は難しい漢字が使われている。その下にローマ字が添えられていた。『ホノカ・ミナヅキ』という名前らしい。
連絡っていっても、俺には縁が無さそうなブランドだな。でも、これは返さないと駄目だよな。なんか高そうなポーチだし。それに、礼も言い損ねたままだし。
俺は暫く名刺と睨み合い、空いている手でアイスティーのカップを掴む。赤いストローを銜えて、中身を吸い出す。ただのアイスティーのはずが、その時はやけに甘い気がした。
左頬の鈍い痛みに朝から一日中悩まされていた。熱を持ってじんじんと痛むし、痣がくっきりと浮かび上がっている。
今朝は鏡を見るより先に、寮で同室のヤツに「なんて顔をしてるんだ」という目で見られた。そっちこそなんて表情で俺のこと見てくるんだよと言い返した後、鏡を見て納得。まだ夜中に遊び歩いてるのかと言いたげにもしていたけど、昨日のは不可抗力だ。
昨夜、呼び出しを受けた先でタイマンを張ったわけだが。一瞬の隙を狙われ、避けきれずに相手に一発喰らわされた。その時は劣勢だの積年の恨みだの喚いてたみたいだが、地に膝をついたのはケンカを吹っかけてきた向こう側だ。
タイマンの回数は減ってきたとはいえ、売られたケンカは買っておかないと後々面倒になるケースが多い。相手によってはその後も面倒だったりすることも稀にある。今回の場合は負けを認めてスッキリしたみたいだし、今後はもう止めてくれと釘も刺しておいたし大丈夫だろう。
さて、アカデミーの授業も終わったし放課後をどう過ごそうか。そういえば、あいつらにメシ奢るって約束をしてたな。連絡入れてみるか。アキラも誘いたいけど、保護者クンの目が光ってて難しそうだ。
そんなことをぼんやりと考えながら馴染みのレッドサウスのマゼンタアベニューを過ぎようとした時だ。
通りに面したカジュアル系のブティックから女性が一人出てきた。そこの店主と朗らかに会話を交わしながら。その相手に見覚えがあった。一週間くらい前にドリンクの屋台で注文が思うようにいかずに困っていた、アジア系の女性だ。
そこの店主と会話が終わったのか、にこやかに別れの挨拶をして、こっちの方に向かって歩いてくる。まぁ、どうせ俺のことは憶えてないだろう。向こうの人間にとっては欧米人は見分けがつきにくいらしいから。
そう思って、そのまますれ違おうとした。が、その瞬間に腕をがっしりと掴まれた。予想外すぎる展開に驚いて目を見張ると、相手はニコニコと笑いながら俺を見上げてくる。
「ちょっとそこのイケメン。お顔貸してもらえませんか?」
相変わらず流暢な英語。いや、そこに感心している場合じゃない。その笑顔は楽しいとか、嬉しいとかそういった良い意味の方じゃなくて。怒りの感情を隠すために覆い被せたようなものだった。いやいや、俺何もしてないよな。そもそも今日は一言も言葉を交わしてないだろ。
「ほら、いいからそこに座る」
意味が分からないまま、すぐ側にあったカフェテラスの席に引っ張られてきた。青銅のガーデンチェアに半ば無理やり座らされてしまう。
彼女は小ぶりのショルダーバッグをテーブルに置く。その音すら恐怖に感じた。バッグから平べったい小さな四角いポーチを取り出し、さらにその中から何か取り出そうとしていた。相手が目を離しているうちに逃げ出そう。注意が逸れている今がチャンスだ。俺がそろりと立ち上がろうとした時。
「動かない!」
「いっ…」
相手の手が俺の左頬に当たった。途端に鋭い痛みが走る。まさか追い打ちを喰らうとは思ってもいない。しかも全く何も関係ない相手にだ。思わず頬を庇った指先に触れたのは布の感触。視界の隅にベージュ色のものが映り、それがすぐに湿布薬だと分かった。
「イケメンが顔に青痣作って、何やらかしてんのよ」と目を吊り上げている。直後にデカい溜息をつかれてしまった。
「まったく…何やらかしたらそんな青痣作るのかしらね」
「あ、はは……ちょっと、転んじまってそれで」
「顔から?」
「……顔から」
「そう。偶然にも転んだ先にコンクリートブロックでもあったのね。考えただけで痛そうね」
「ま…まぁ、そんなところだな。……それ、持ち歩いてんのか」
これ以上は痣の理由を詮索されたくない。その疑惑の眼差しから逃れるように、相手の注意をそっちに引きつけた。
青一色のモノクロで、幾何学模様のデザインされたスクエアポーチ。その中には同じサイズに切り揃えられた湿布が何枚も入っているようだった。薬の成分が逃げ出さないようにちゃんと密封された状態で。
「職業柄、腱鞘炎になりやすいのよ」
「…腱鞘炎?」
「私、デザイナー会社に勤めてるの。自分でデザインしたり、試作品縫ったりすることもあるから。ミシン使わずに手縫いの時も結構あるのよ。今日は営業でこのエリアに御挨拶に来ているっていうわけ」
「観光客じゃなかったんだな」
彼女の右手親指の付け根から手首の筋にかけて正方形の湿布が貼られていた。
ニューミリオンに長期旅行で訪れる観光客は少なくない。各セクターをぐるりと観て回る人もいるぐらいだ。女性一人での海外旅行も増えてきているというし、一週間経った今も此処にいるということは、彼女もてっきりそうなんだと思っていた。現地の人間にとっちゃ危なっかしいのには変わりないんだけど。
聞く話によれば、勤め先のブランド会社が海外進出先としてニューミリオンを選んだという。同期や先輩と赴任してきたそうだ。
「発音がいいと思った。…あんたしっかりしてそうだし、わざわざ行くような場所でもないだろうけど、このあたりの倉庫街には近づかない方がいいぜ。治安が悪いからな。日本人はスリの標的になりやすいし」
この先もニューミリオンに長期滞在するなら、知っておくべきことだ。そう親切心で忠告をしたつもりだったんだが。
「詳しいのね」と俺の顔左側を見ながら言った彼女の視線が突き刺さってくる。
「御親切に有難う少年。仕事でもそっちには用がないと思うし、大丈夫よ」
「そ…それなら良いんだけどさ」
どうやら、テラス席で勝手に雑談を交わしていることが店の人間にバレたようだ。カフェから出てきた男の店員が「ご注文はございますか」と声を掛けてきた。客じゃないならさっさと退けというニュアンスも含まれている。
彼女はその嫌みに動じることなく「アイスティー二つ。持ち帰りでお願いします」とナチュラルな発音でオーダーを決めた。前も感じたけど、ホント上手いよな英語。
「呼び止めたお詫びに奢るわ」
「…日本人って義理堅いよな。それともあんたが律儀なだけか。この前もそうだったし」
「そうね。日本人っていうのは昔からそういうイメージがあるのかもね。ま、喉も渇いてたし。水分補給しないと干からびるわよ」
そう、言いながら青い空を仰ぐ。ここ数日は晴天が続いていた。夏の到来がすぐそこまで来ている。この夏空の下で涼しい顔をして立っている彼女のことが、少しだけ眩しいと感じたのは気のせいだろうか。
数分も経たないうちにトールサイズのアイスティーが二つ運ばれてきた。会計のやり取りもスムーズに終わらせ、アイスティーのカップを一つ俺の方に差し出してくる。「飲めなかったら誰かにあげて」と一言添えて。
「私、そろそろ行かないと。まだ二軒挨拶に回る予定だから。これあげるわ。ちゃんとその痣、治しなさいよ」
上品なネイルで彩った細長い指がテーブルの上を示す。さっきのスクエアポーチがそこに置かれたままで、その上に名刺が一枚。
「弊社ブランドに御用命がございましたら、遠慮なくご連絡をどうぞ」
そう笑ってみせた表情があまりに無邪気なものだったせいで、思わず見惚れてしまった。俺が礼を言う間もなく、その人は手をひらりと振って去っていってしまう。
前も慌ただしく去っていったけど、なんか風みたいな人だな。一瞬だけ吹く、清涼な夏風のように感じた。
テーブルに残されたポーチに手を伸ばし、名刺に目を落とす。ロゴやデザインからスマートな印象が見受けられたが、やっぱりそうだった。住所の番地を見るとブルーノースシティに支店を構えている。
中央に書かれた名前は難しい漢字が使われている。その下にローマ字が添えられていた。『ホノカ・ミナヅキ』という名前らしい。
連絡っていっても、俺には縁が無さそうなブランドだな。でも、これは返さないと駄目だよな。なんか高そうなポーチだし。それに、礼も言い損ねたままだし。
俺は暫く名刺と睨み合い、空いている手でアイスティーのカップを掴む。赤いストローを銜えて、中身を吸い出す。ただのアイスティーのはずが、その時はやけに甘い気がした。