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bride-to-be
「…ああ、そういえば。お前に仕事の依頼がきている。今回は直々に指名されているぞ」
「俺に?」
それは俺が司令室に立ち寄った時のことだ。
昨日貰ったバウムクーヘンを司令に差し入れに持ってきた。日本じゃ有名なメーカー品で、こっちじゃお目にかかれないと穂香が言っていた品だ。その理由を調べてみたら、焼き方にコツがいるらしい。高度な技術が必要とかで、英語圏じゃあまり作られてないみたいだった。確かに舌触りも良くて、しっとりした生地が絶妙だったな。こういう焼き菓子ってパサパサになりやすいし。
実家から大量に箱で送られてきたからって、俺の方にお裾分けしてくれたんだ。美味い菓子だし、折角だから俺も各セクターにお裾分け。司令にも一箱こうして持ってきたわけなんだが。
ただ単に差し入れにと思って来ただけなのに、引き止められちまった。俺は何の仕事だと執務机の前で首を傾げる。チームに依頼が来ることはよく聞くけど、直々に指名されるなんて珍しいよな。
「ブルーノースシティを拠点にしているブランド会社。元々は日本のブランドで、直営店も複数展開している。そこの会社から依頼があり、二人をモデルにしたいという話だ」
「……なぁ、その会社ってもしかして俺がよく知ってる所か」
「ああ、そうだ。ジューンブライドの広告を打つためにモデル起用したいという話でな」
「なんかそれ、前にも似たような話聞いた気がする。……それ、指名で来てるんだよな?」
昨日会った時はこの話題に一ミリも触れてこなかったぞ。もしかして穂香も知らない話なのか。いやでもそれなら俺を指名してこないよな。なんて、自意識過剰か。
どっちにしろ、ヒーロー宛てに来た仕事の話だし断れないよな。この間の銃器専門誌のインタビューも「仕事なんだから断る理由は無い」ってマリオンに即答されたし。いざ記者を前にした時の緊張もドクターのシミュレーションのおかげで、少し気持ちに余裕が持てた気もした。
「その様子だと水無月さんから聞いていないようだな」
「昨日会ったけど、そんな話一切なかったぜ。…仕事だから引き受けるけどさ。ところで、俺とあと一人は誰なんだ?」
「私だ」
◇◆◇
五月某日。天気に恵まれて、澄んだ青空がどこまでも広がっていた。絶好の撮影日よりだなと司令に話を振ると、意外にもそうでもないらしい。日光が強すぎると逆に被写体が白飛びして上手く撮れないとか。
撮影はノースシティの事務所で行うそうだ。室内での撮影と、天気の様子を見て外にも出るらしい。この際それはいいが、衣装を汚さないか心配だ。流石にイベント・リーグみたいに激しいアクションは無いと思うけどな。
「本日はご足労誠に有難うございます。この度は弊社の依頼をお引き受けいただき、多大に感謝しております」
「こちらこそ、ご依頼有難うございます。御社のお力になれるよう尽力させて頂きます」
事務所に入ってすぐ此処の主任と社員に出迎えられた。司令が慣れた挨拶を交わしている様を見て、この対応の仕方は見習わないといけないと思った。
「こちらは第13期のルーキー、ノースセクター所属のガスト・アドラーです」
「よ、よろしくお願いします」
急に話を振られたもんだから慌てて笑顔を作った。主任の後ろに控えている女性社員が一人、にやにやしている。あの子、確か前にショップで会った穂香の後輩だ。何で今日はこっちにいるんだ。その隣には穂香がいて、営業用のスマイルを向けてきた。
「お忙しい所、有難うございます。水無月もお世話になっております」
「あ、いえ…こちらこそ」
「主任。それは今関係ないです」
「大いに関係あるでしょう。貴女が体調を崩した時はいつもこの方がお世話してくださっているのだし。この間だってアドラーさんがいなければ…」
「その話はいいですから!早くご案内してくださいっ!」
穂香が噛みつくように、女性の主任に対して声を大にした。
意外だな。ノースに事務所構えるぐらいだし、堅苦しい雰囲気なのかと思いきや、だ。上下関係もフラットのようで、言いたいことをお互いに言えるっていう社内の空気を感じる。
「…それもそうね。では、先ずは簡単に本日のスケジュールを説明させていただきますので、応接室までご案内致します」
「分かりました」
この後、応接間でスケジュールを確認。専門用語が時々飛び交っていたが、つまりは衣装に着替えた後、室内で何枚か試し撮りをする。慣れてきた頃合いを見てシーンに合わせた写真を撮る。その後、天気の様子を見て外で撮影もするっていう流れだ。
そんなわけで、説明を受けた後にそれぞれフィッティングルームで衣装に着替えることになった。
ハンガーに掛けられた衣装は真っ白なショール・カラーのタキシード。
白いワイシャツに袖を通してから、カーキ色のネクタイを締める。同色のベストを羽織り、その上から更にタキシードを羽織る。鏡に映った自分は結婚式でよく見る姿そのものだった。結構気恥ずかしい。
「ガスト、着替えた?」
カーテン越しから聞こえた穂香の声。それに応え、カーテンを開けた。そこで待っていた彼女に笑ってみせる。
「に、似合うか…?着方、間違ってないよな…っ!?」
俺がそう言い終わるより前に、ネクタイをぐっと掴まれる。睨んでくるこのパターン、だいぶ前にも見たな。
「新郎様、ネクタイが緩んでおります」
「ははっ…あんまりきつく締めると息が詰まりそうだし」
「撮影に影響が出ない程度に締め直すわ。細かい指示や修正は担当の人がしてくれるから、それに従って」
そう言いながら穂香は手早くネクタイを解いて、締め直していく。相変わらず鮮やかな手さばきだ。ちょっと懐かしいな。
ネクタイの結び目が苦しくない位置に留められた。パトロール中に締められた時よりも、少し首元に余裕がある。
「このくらいでいい?」
「ああ、良さそうだ。…司令はまだ着替えてるみたいだな。……今回の話って結構前から決まってたのか?」
「まぁ、ね。黙ってたのは悪かったと思ってる。本当は紅蓮さんだけの予定だったのよ」
「司令なら場数踏んでるし、間違いねぇよな。……俺はいなくても良かったんじゃないのか?」
正直、どんな顔して立てばいいのか分からねぇ。右手と右足が一緒に動きそうなぐらい緊張してるし。カメラマンの指示に上手く応えられるかどうか。司令の足を引っ張りそうだ。
俺の胸ポケットに赤いハンカチーフを仕込ませ、形を整えていた穂香の視線が上を向いた。少しむっとしたような表情だ。
「銃器専門誌のインタビューには応えられて、うちのモデルは引き受けられないっていうの」
「いやいやいや、インタビューとモデルは毛色が違い過ぎるだろ!って、なんで知ってるんだ」
「雑誌編集者の知り合いから聞いたのよ」
「……穂香も顔が広いよな。でもさ、インタビューの時だって物凄く緊張してたんだ。そん時に写真も何枚か撮られたけど、顔引きつってた気がする。今回だって、一度もやったことねぇ仕事だし。…情けないけど、正直上手く出来る自信が無いんだよ」
やるからにはベストを尽くす心構えは勿論ある。でも、それが依頼人にとって良い結果となるかどうかは別問題だ。
その時、俄かに黄色い歓声が聞こえてきた。もう一つのフィッティングルームからだ。そっちに目を向けると、白いタキシードに身を包んだ司令が女子社員に囲まれていた。真っ赤なベストのアクセントカラーが利いていて、男から見た俺でもカッコいいと思えた。っていうか、似合いすぎだろ。
「……司令は新婦役じゃなかったのか?」
「紅蓮さんには両方着てもらう話になってるの。主任が紅蓮さんの大ファンでね」
「……それはいいけど、大丈夫か主任。膝から崩れ落ちたぜ」
司令のタキシード姿を目の当たりにした主任が「我が人生に悔いなし」って言いながら床に崩れ落ちた。さっきのやり取りを見る限り、フランクな人だとは思っていた。どうやら「昨日から徹夜でプラン見直してたせいで、余計にハイになってるのよ」らしい。益々大丈夫か。
「俺があの隣に並ぶのか…?霞んじまいそうだ」
「二人構図も撮る予定なんだけど。……想像以上に似合いすぎね。個別ショットで起用する可能性が高いかも。まぁ、その辺はカメラマンと編集担当に任せるわ。ガスト、ちょっと待ってて」
フィッティングルームに俺を残し、穂香は司令と主任の方へ向かった。
俺の足元にはオペラパンプスが一足揃えられている。履いてきたいつもの靴は脇に避けられていた。
エナメルの光沢のそれには汚れ一つない。俺の顔が映りこむほどピカピカだ。余計に緊張してきた。サイズはぴったりだ。
「お待たせ。先に紅蓮さんの撮影始めるから、ガストはそれまで待機」
「わ、わかった」
「顔、引きつってるというか…角ばってるわよ」
「俺たちの写真が広告にデカデカと表示されるんだろ?嫌でも緊張してくるっての」
「意外ですねぇ。アドラーさん【LOM】の時はいい表情してるのに」
緊張しやすいんですかぁと間延びした特徴のある喋り方。穂香の後輩がいつの間にかこっちに来ていて、にやにやと笑っていた。
「ガストにオファーの話行くって話したら、手伝いたいって。だから来てもらってるのよ」
「そうだったのか」
「お久しぶりですアドラーさん。白タキシードばっちり似合ってますよ」
「あ、はは……サンキュー」
褒められたのは嬉しいが、恥ずかしさの方が上回っている。
そんな俺と穂香の顔を交互に見いていた彼女はポンと手を打った。
「そうだ、どうせなら穂香先輩もウェディングドレス着ちゃったらどうですかぁ?サイズちょうどいいのあるはずだし」
「…私はいい」
「えーなんでですかぁ。先輩絶対似合いますよ。それに、アドラーさんの緊張も解れるだろうし」
いや、それ逆効果だ。穂香がウェディングドレス着て、俺の目の前に現れたら。何も言えずに固まってる自分が想像できる。
なんでか知らねぇけど、穂香も乗り気じゃないし。その提案は折角だけどナシだな。
「ほら、撮影の方手伝ってきて」
「はーい。それじゃあ、アドラーさんまた後で。ベストショット期待してますから!」
「が、頑張るよ」
その期待に応えられるよう、今のうちに何とか緊張解しておかねぇと。
向こうの撮影スペースでは小物を使って撮影が進められていた。ブーケを片手にした司令が逆の手を差し伸べる構図。あれは花嫁の手を取るシーンなんだろう。表情も決まってるぜ、流石司令。
「そういや、このタキシード穂香がデザインしたものなのか?」
「…ええ。少し修正は入ったけど…ほぼ私のデザイン」
「そっか。…穂香のデザイン、やっぱ俺好きだな。前に買ったバングルも、すげぇ気に入ってるし。穂香のデザインしたヤツ、揃えたいかも…って思い始めた。この前作ってくれたジャケットもお気に入りなんだ」
あのネイビーのジャケット。オフの日に着て出かけるのが楽しみで。レンには「お前それよく着てるよな」って言われるぐらいだ。
もっと前からこうすりゃ良かったんだよな。ショップに行くこと躊躇ってた過去の自分に言ってやりたいぐらいだ。
「…あ、ありがと。…そのタキシード、ガストに似合って良かった」
「誂えた様にぴったりだぜ」
「ガストは何着ても似合うわ。うちにある服でファッションショーしたいくらい」
「時間があればまぁ、それも楽しいかもな」
俺がそう言うと、ふわりと穂香が笑った。
「機会があれば依頼するわ」
「ん…専属ってワケにはいかねぇだろうけど、こういったイベント毎のモデルなら…慣れればいけると思う」
「無理しなくていいわよ。慣れるまで時間かかりそうだし」
「ははっ…反論できねぇな。でも、穂香と話してたおかげかだいぶ緊張は解れてきた」
「そう。良かった」
「…そういや、穂香って小さい頃から夢がデザイナーだったんだよな」
いつだったか、そんな話を聞いた。夢を叶えられて嬉しいと笑っていた時も、いい顔してた。
「うん。ラクガキ帳に自分が考えた服をクレヨンで描いてたし、スクール時代もノートの隅っこに描いてた。……あと、もう一つ夢があって」
「もう一つ?」
「うん。……こどもっぽいって笑わない?」
「ああ、笑わない」
夢が沢山あるのは良いことだ。俺だって昔はあれになりたい、これになりたいって言ってたし。妹も夢を沢山語ってくれる。
夢を一つ叶えた穂香は少し恥ずかしそうに、言葉を紡いでくれた。
「自分でデザインしたドレスを着て、好きな人と式を挙げるって夢。小さい頃からそれも夢だった。…デザイナーの夢が叶ったし、この夢も叶えたくて」
ああ、成程。だからさっき着たくないっていう反応だったんだ。一生に一度かもしれない衣装だもんな。その夢、叶えてほしい。
「世界でたった一つのドレス、穂香なら叶えられる。俺が保証する」
半年前に見た夢。真っ白なウェディングドレスを着た穂香が知らない男と腕を組んで歩いていた。そのドレスは最高に似合っていたし、綺麗だった。溢れる笑顔も最高だった。
その隣に居るのは自分でありたい。そう願いを込めて、穂香の手をそっと取る。
「穂香がそのドレス着る姿、楽しみにしてるぜ」
「…ああ、そういえば。お前に仕事の依頼がきている。今回は直々に指名されているぞ」
「俺に?」
それは俺が司令室に立ち寄った時のことだ。
昨日貰ったバウムクーヘンを司令に差し入れに持ってきた。日本じゃ有名なメーカー品で、こっちじゃお目にかかれないと穂香が言っていた品だ。その理由を調べてみたら、焼き方にコツがいるらしい。高度な技術が必要とかで、英語圏じゃあまり作られてないみたいだった。確かに舌触りも良くて、しっとりした生地が絶妙だったな。こういう焼き菓子ってパサパサになりやすいし。
実家から大量に箱で送られてきたからって、俺の方にお裾分けしてくれたんだ。美味い菓子だし、折角だから俺も各セクターにお裾分け。司令にも一箱こうして持ってきたわけなんだが。
ただ単に差し入れにと思って来ただけなのに、引き止められちまった。俺は何の仕事だと執務机の前で首を傾げる。チームに依頼が来ることはよく聞くけど、直々に指名されるなんて珍しいよな。
「ブルーノースシティを拠点にしているブランド会社。元々は日本のブランドで、直営店も複数展開している。そこの会社から依頼があり、二人をモデルにしたいという話だ」
「……なぁ、その会社ってもしかして俺がよく知ってる所か」
「ああ、そうだ。ジューンブライドの広告を打つためにモデル起用したいという話でな」
「なんかそれ、前にも似たような話聞いた気がする。……それ、指名で来てるんだよな?」
昨日会った時はこの話題に一ミリも触れてこなかったぞ。もしかして穂香も知らない話なのか。いやでもそれなら俺を指名してこないよな。なんて、自意識過剰か。
どっちにしろ、ヒーロー宛てに来た仕事の話だし断れないよな。この間の銃器専門誌のインタビューも「仕事なんだから断る理由は無い」ってマリオンに即答されたし。いざ記者を前にした時の緊張もドクターのシミュレーションのおかげで、少し気持ちに余裕が持てた気もした。
「その様子だと水無月さんから聞いていないようだな」
「昨日会ったけど、そんな話一切なかったぜ。…仕事だから引き受けるけどさ。ところで、俺とあと一人は誰なんだ?」
「私だ」
◇◆◇
五月某日。天気に恵まれて、澄んだ青空がどこまでも広がっていた。絶好の撮影日よりだなと司令に話を振ると、意外にもそうでもないらしい。日光が強すぎると逆に被写体が白飛びして上手く撮れないとか。
撮影はノースシティの事務所で行うそうだ。室内での撮影と、天気の様子を見て外にも出るらしい。この際それはいいが、衣装を汚さないか心配だ。流石にイベント・リーグみたいに激しいアクションは無いと思うけどな。
「本日はご足労誠に有難うございます。この度は弊社の依頼をお引き受けいただき、多大に感謝しております」
「こちらこそ、ご依頼有難うございます。御社のお力になれるよう尽力させて頂きます」
事務所に入ってすぐ此処の主任と社員に出迎えられた。司令が慣れた挨拶を交わしている様を見て、この対応の仕方は見習わないといけないと思った。
「こちらは第13期のルーキー、ノースセクター所属のガスト・アドラーです」
「よ、よろしくお願いします」
急に話を振られたもんだから慌てて笑顔を作った。主任の後ろに控えている女性社員が一人、にやにやしている。あの子、確か前にショップで会った穂香の後輩だ。何で今日はこっちにいるんだ。その隣には穂香がいて、営業用のスマイルを向けてきた。
「お忙しい所、有難うございます。水無月もお世話になっております」
「あ、いえ…こちらこそ」
「主任。それは今関係ないです」
「大いに関係あるでしょう。貴女が体調を崩した時はいつもこの方がお世話してくださっているのだし。この間だってアドラーさんがいなければ…」
「その話はいいですから!早くご案内してくださいっ!」
穂香が噛みつくように、女性の主任に対して声を大にした。
意外だな。ノースに事務所構えるぐらいだし、堅苦しい雰囲気なのかと思いきや、だ。上下関係もフラットのようで、言いたいことをお互いに言えるっていう社内の空気を感じる。
「…それもそうね。では、先ずは簡単に本日のスケジュールを説明させていただきますので、応接室までご案内致します」
「分かりました」
この後、応接間でスケジュールを確認。専門用語が時々飛び交っていたが、つまりは衣装に着替えた後、室内で何枚か試し撮りをする。慣れてきた頃合いを見てシーンに合わせた写真を撮る。その後、天気の様子を見て外で撮影もするっていう流れだ。
そんなわけで、説明を受けた後にそれぞれフィッティングルームで衣装に着替えることになった。
ハンガーに掛けられた衣装は真っ白なショール・カラーのタキシード。
白いワイシャツに袖を通してから、カーキ色のネクタイを締める。同色のベストを羽織り、その上から更にタキシードを羽織る。鏡に映った自分は結婚式でよく見る姿そのものだった。結構気恥ずかしい。
「ガスト、着替えた?」
カーテン越しから聞こえた穂香の声。それに応え、カーテンを開けた。そこで待っていた彼女に笑ってみせる。
「に、似合うか…?着方、間違ってないよな…っ!?」
俺がそう言い終わるより前に、ネクタイをぐっと掴まれる。睨んでくるこのパターン、だいぶ前にも見たな。
「新郎様、ネクタイが緩んでおります」
「ははっ…あんまりきつく締めると息が詰まりそうだし」
「撮影に影響が出ない程度に締め直すわ。細かい指示や修正は担当の人がしてくれるから、それに従って」
そう言いながら穂香は手早くネクタイを解いて、締め直していく。相変わらず鮮やかな手さばきだ。ちょっと懐かしいな。
ネクタイの結び目が苦しくない位置に留められた。パトロール中に締められた時よりも、少し首元に余裕がある。
「このくらいでいい?」
「ああ、良さそうだ。…司令はまだ着替えてるみたいだな。……今回の話って結構前から決まってたのか?」
「まぁ、ね。黙ってたのは悪かったと思ってる。本当は紅蓮さんだけの予定だったのよ」
「司令なら場数踏んでるし、間違いねぇよな。……俺はいなくても良かったんじゃないのか?」
正直、どんな顔して立てばいいのか分からねぇ。右手と右足が一緒に動きそうなぐらい緊張してるし。カメラマンの指示に上手く応えられるかどうか。司令の足を引っ張りそうだ。
俺の胸ポケットに赤いハンカチーフを仕込ませ、形を整えていた穂香の視線が上を向いた。少しむっとしたような表情だ。
「銃器専門誌のインタビューには応えられて、うちのモデルは引き受けられないっていうの」
「いやいやいや、インタビューとモデルは毛色が違い過ぎるだろ!って、なんで知ってるんだ」
「雑誌編集者の知り合いから聞いたのよ」
「……穂香も顔が広いよな。でもさ、インタビューの時だって物凄く緊張してたんだ。そん時に写真も何枚か撮られたけど、顔引きつってた気がする。今回だって、一度もやったことねぇ仕事だし。…情けないけど、正直上手く出来る自信が無いんだよ」
やるからにはベストを尽くす心構えは勿論ある。でも、それが依頼人にとって良い結果となるかどうかは別問題だ。
その時、俄かに黄色い歓声が聞こえてきた。もう一つのフィッティングルームからだ。そっちに目を向けると、白いタキシードに身を包んだ司令が女子社員に囲まれていた。真っ赤なベストのアクセントカラーが利いていて、男から見た俺でもカッコいいと思えた。っていうか、似合いすぎだろ。
「……司令は新婦役じゃなかったのか?」
「紅蓮さんには両方着てもらう話になってるの。主任が紅蓮さんの大ファンでね」
「……それはいいけど、大丈夫か主任。膝から崩れ落ちたぜ」
司令のタキシード姿を目の当たりにした主任が「我が人生に悔いなし」って言いながら床に崩れ落ちた。さっきのやり取りを見る限り、フランクな人だとは思っていた。どうやら「昨日から徹夜でプラン見直してたせいで、余計にハイになってるのよ」らしい。益々大丈夫か。
「俺があの隣に並ぶのか…?霞んじまいそうだ」
「二人構図も撮る予定なんだけど。……想像以上に似合いすぎね。個別ショットで起用する可能性が高いかも。まぁ、その辺はカメラマンと編集担当に任せるわ。ガスト、ちょっと待ってて」
フィッティングルームに俺を残し、穂香は司令と主任の方へ向かった。
俺の足元にはオペラパンプスが一足揃えられている。履いてきたいつもの靴は脇に避けられていた。
エナメルの光沢のそれには汚れ一つない。俺の顔が映りこむほどピカピカだ。余計に緊張してきた。サイズはぴったりだ。
「お待たせ。先に紅蓮さんの撮影始めるから、ガストはそれまで待機」
「わ、わかった」
「顔、引きつってるというか…角ばってるわよ」
「俺たちの写真が広告にデカデカと表示されるんだろ?嫌でも緊張してくるっての」
「意外ですねぇ。アドラーさん【LOM】の時はいい表情してるのに」
緊張しやすいんですかぁと間延びした特徴のある喋り方。穂香の後輩がいつの間にかこっちに来ていて、にやにやと笑っていた。
「ガストにオファーの話行くって話したら、手伝いたいって。だから来てもらってるのよ」
「そうだったのか」
「お久しぶりですアドラーさん。白タキシードばっちり似合ってますよ」
「あ、はは……サンキュー」
褒められたのは嬉しいが、恥ずかしさの方が上回っている。
そんな俺と穂香の顔を交互に見いていた彼女はポンと手を打った。
「そうだ、どうせなら穂香先輩もウェディングドレス着ちゃったらどうですかぁ?サイズちょうどいいのあるはずだし」
「…私はいい」
「えーなんでですかぁ。先輩絶対似合いますよ。それに、アドラーさんの緊張も解れるだろうし」
いや、それ逆効果だ。穂香がウェディングドレス着て、俺の目の前に現れたら。何も言えずに固まってる自分が想像できる。
なんでか知らねぇけど、穂香も乗り気じゃないし。その提案は折角だけどナシだな。
「ほら、撮影の方手伝ってきて」
「はーい。それじゃあ、アドラーさんまた後で。ベストショット期待してますから!」
「が、頑張るよ」
その期待に応えられるよう、今のうちに何とか緊張解しておかねぇと。
向こうの撮影スペースでは小物を使って撮影が進められていた。ブーケを片手にした司令が逆の手を差し伸べる構図。あれは花嫁の手を取るシーンなんだろう。表情も決まってるぜ、流石司令。
「そういや、このタキシード穂香がデザインしたものなのか?」
「…ええ。少し修正は入ったけど…ほぼ私のデザイン」
「そっか。…穂香のデザイン、やっぱ俺好きだな。前に買ったバングルも、すげぇ気に入ってるし。穂香のデザインしたヤツ、揃えたいかも…って思い始めた。この前作ってくれたジャケットもお気に入りなんだ」
あのネイビーのジャケット。オフの日に着て出かけるのが楽しみで。レンには「お前それよく着てるよな」って言われるぐらいだ。
もっと前からこうすりゃ良かったんだよな。ショップに行くこと躊躇ってた過去の自分に言ってやりたいぐらいだ。
「…あ、ありがと。…そのタキシード、ガストに似合って良かった」
「誂えた様にぴったりだぜ」
「ガストは何着ても似合うわ。うちにある服でファッションショーしたいくらい」
「時間があればまぁ、それも楽しいかもな」
俺がそう言うと、ふわりと穂香が笑った。
「機会があれば依頼するわ」
「ん…専属ってワケにはいかねぇだろうけど、こういったイベント毎のモデルなら…慣れればいけると思う」
「無理しなくていいわよ。慣れるまで時間かかりそうだし」
「ははっ…反論できねぇな。でも、穂香と話してたおかげかだいぶ緊張は解れてきた」
「そう。良かった」
「…そういや、穂香って小さい頃から夢がデザイナーだったんだよな」
いつだったか、そんな話を聞いた。夢を叶えられて嬉しいと笑っていた時も、いい顔してた。
「うん。ラクガキ帳に自分が考えた服をクレヨンで描いてたし、スクール時代もノートの隅っこに描いてた。……あと、もう一つ夢があって」
「もう一つ?」
「うん。……こどもっぽいって笑わない?」
「ああ、笑わない」
夢が沢山あるのは良いことだ。俺だって昔はあれになりたい、これになりたいって言ってたし。妹も夢を沢山語ってくれる。
夢を一つ叶えた穂香は少し恥ずかしそうに、言葉を紡いでくれた。
「自分でデザインしたドレスを着て、好きな人と式を挙げるって夢。小さい頃からそれも夢だった。…デザイナーの夢が叶ったし、この夢も叶えたくて」
ああ、成程。だからさっき着たくないっていう反応だったんだ。一生に一度かもしれない衣装だもんな。その夢、叶えてほしい。
「世界でたった一つのドレス、穂香なら叶えられる。俺が保証する」
半年前に見た夢。真っ白なウェディングドレスを着た穂香が知らない男と腕を組んで歩いていた。そのドレスは最高に似合っていたし、綺麗だった。溢れる笑顔も最高だった。
その隣に居るのは自分でありたい。そう願いを込めて、穂香の手をそっと取る。
「穂香がそのドレス着る姿、楽しみにしてるぜ」