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カーテン越しから差し込む明るい光。煩わしくない程度の眩しさ。なんの抵抗もなく、すっと眠りの縁から浮上した俺は鼻の頭が冷たくなっていることに気がついた。
身体は羽毛布団で覆われているから温かい。それに、腕の中に穂香が寄り添うようにしている。彼女はまだ夢の中にいるようで、すうすうと寝息を立てていた。
彼女を起こさないよう、枕元に放置していた自分のスマホを手繰り寄せる。液晶画面に表示された時刻とメッセージ通知が来ているのを確認してからスマホを伏せた。
今日は特に予定があるワケじゃないし、焦って起きなくてもいい。それに、ちょっとばかり惜しい気もする。寝顔、もう少し見てたいしな。頬を指先が触れるか触れないか程度の力でなぞった。
雪が解けて春を迎えたとはいえ、朝方はまだ冷え込む日がある。起こすのは部屋が暖まってからでもいいだろう。そう思って俺は先に暖房をつけようとベッドからそろりと抜け出そうとした。片腕をマットレスについて上半身を支えたその時、逆の手を掴まれる。寝惚けた眼で睨みつけてくるけど、全く怖くない。
「…どこに行く気」
「どこって…そろそろ起きるだろ?だから、その前に暖房つけて部屋暖めておこうと思って」
「だめ」
「……いや、つけとかないと起きた時寒いだろ」
「寒いからだめ」
「矛盾してる主張だな」
「ガストがベッドから出て、暖房つけるまでの間に冷たい部屋の空気を纏ってくるわけでしょ。その冷気を感じるからいや」
こうして布団に隙間ができている時点でひんやりした空気を感じて嫌だと言う。俺の方に詰めてくる様は暖を取りに来ている猫のように見えた。意外に寒がりなんだよなぁ。これを振り解いてまでベッド抜け出す必要性は今の俺に全く無い。よって俺はまた布団に潜り込んで、彼女の背に腕を回して抱き寄せた。
「…お説教されると思ってたんだけど」
「寒いのは嫌なんだろ?俺も気が変わったし、もう少しこうしてたい。それに今日の予定は何もないしな。ゆっくりしようぜ」
最初は遠慮がちにしていた彼女の腕が俺の背に回される。薄い布越しに伝わってくる肌の温もり。普段は低いそれが今は俺と同じくらいの体温になっている。
優しく髪を撫で、額に軽く口づける。もぞもぞと腕の中で身動いだ穂香は俺にぴったりと身を寄せてきた。
心臓の鼓動が身体に伝わってくる。一定のリズムを刻んで。俺の中に伝わってくるそれに心地よさを覚えて、少しずつ意識がふわふわとしてきた。
幸せな気分に包まれながら微睡む瞼を閉じようとした時。「ガスト」と呼ぶ声に俺は夢心地に浸りながらも目を開け、優しく応じた。
「どうした」
「……呼んでみただけ」
俺の短い返事に満足したのか、何でもないと子どもの様に笑う。
先日の一件から少しだけ、甘えてくることが増えた気がする。時空を超える能力を持つ【サブスタンス】のせいで過去に飛ばされてからだ。元々本人の口から寂しがり屋だとは聞いてたけど、輪をかけるようにして。本人はいつも通りだって否定するけど。
それだけ怖かったんだろうな。元の時代に戻って来れないかもしれない、そんな恐怖を抱かせてしまった。あの時、この手が届いていたら。こんな風に甘える様子が見られないだろうけど、怖い思いをさせずに済んだかもしれない。
穂香は現在や未来が変わることを恐れていた。今の関係が壊れるのが嫌だ、と。一昔前の俺みたいなことを言っていた。それだけ好かれてるというか、愛されてるんだなぁと思うと嬉しくて頬が緩む。不謹慎だろうから目の前で言ったことはないけど。
俺も、今更穂香がいない世界は耐えられそうにない。
それはそうと、この件でドクターの実験に付き合わされてる。最初はそんなリスキーな実験に付き合うつもりなんて無かった。俺がノリ気じゃないと分かると、穂香に声掛けるとか言い出して。冗談じゃない。ドクターのことだから、あの手この手を使ってでも被験者にしようとするだろう。そんな目に遭わせるワケにはいかないから、穂香を巻き込まないこと、絶対に元の時代に戻って来れることを条件に俺が引き受けたわけだ。もうすぐ試作品が完成するとか言ってた。
正直、不安しかない。万が一、俺がこの時代から居なくなってしまったとしたら。考えたくもない話だ。
「ねぇ、ガスト。…そういえばさ、まだ話してなかったよね」
「ん…何の話だ?」
不安要素を募らせていた俺は、それを紛らわせたくて穂香の髪を撫でていた。さっきまで考えていたことは一旦無しにして、穂香の顔に目を向ける。
彼女の声はさっきよりもハッキリとしていて、眠そうな仕草も見られない。
「私がハロウィン嫌いな理由」
俺と目を合わせた穂香がぽつりと呟いた。
「あぁ……ひどいイタズラされたからだろ?前に少し話してくれたよな」
それは初めて会った年の十月に知った。前情報が無い状態でハロウィンの話題を振った時、物凄く嫌そうな表情されたんだ。その時は多く語ってくれなかったけど、ハロウィンが大嫌いだということを当時の雰囲気から読み取った。元からイタズラ仕掛けるつもりなんて無かったけど、もし悪ふざけで何かしてたら嫌われてたかもしれない。そこの地雷は踏み抜かずに済んで本当に良かったと思っている。
「…うん。小学三年生の時。私の学校、年三回くらいお楽しみ会っていうのがあったのよ。パーティーって呼べる程のものじゃないけど、みんなでお菓子やジュース持ち寄って食べる感じ。……ちょうどそのお楽しみ会がハロウィンと重なった。折り紙や色画用紙でジャックオランタンやコウモリとかの飾りを作って、教室を飾り付けてた」
穂香はグレードスクール時代のことを懐かしむように語り始めた。仲の良かったダチのことや、面白くて優しい先生が仮装に力を入れていたとか。聞いたばかりじゃ、全部が嫌な思い出じゃないみたいだった。あれ程ハロウィンを嫌ってたから、終始嫌なことがあったのかと。
「そのお楽しみ会は楽しかった。好きなお菓子と交換できた時は嬉しかったし、それにみんなちゃんとお菓子持ってたから。イタズラされることは無かったのよ」
「ちゃんとトリック・オア・トリートに則ってんな。…聞いてる限りじゃ悪い感じの思い出ばかりじゃなさそうだけど。そのお楽しみ会ってヤツが終わった後に何かあったんだな?」
「うん。…お楽しみ会が終わった後、クラスの男子がトリック・オア・トリートって言ってきたのよ、私と友達に。みんなその時間にお菓子食べちゃったから、持ってるわけないのにわざと言ってきた」
ムスッとした低い声。今思い出しても腹が立つと言いながら短い溜息をついていた。
「イタズラされるの友達が本気で嫌がってたから、二人で教室飛び出したの。しつこく追い回してくるから、校舎の中ぐるぐる走り回ったわ。走って、走って…旧校舎の教室に逃げ込んだ。二階だったかな。その教室に息を顰めて隠れた。男子たちは私たちを見失ったのか、そこで諦めてくれたけど」
「執念深いヤツらだったんだな」
「普段から友達にちょっかいかけてくる奴らだったのよ。だから、絶対にイタズラさせるもんかってこっちも意地になってた」
「ははっ…なんか穂香らしいな、そういうところ」
そいつらの行動、もしかしたら気を引きたくてやったのかもしれない。穂香のダチか、もしくは穂香が気になっていたとか。好きな子ほど構いたくなるっていうし。でも相手にとっては本気で嫌なケースもあるんだよな。
「笑い事じゃないわ」と機嫌が悪そうな声がそのケースを物語っていた。
「その後が大変だったんだから。その隠れてた教室のドア、開かなくなっちゃったのよ」
「閉じ込められちまったのか」
「ええ。旧校舎のドアは重たい木材で出来てたし、レールも歪んでガタガタ。ドアは分厚くて重たいし、子ども二人の力じゃビクともしなかった。…先生か誰か見つけてくれるまで待とうってことになったけど、誰も来なかった。みんな下校しちゃった後だし、旧校舎は殆ど使われてなかったから。誰も私たちが閉じ込められたことに気づいてくれなかった」
もう十年以上も前の話だ。でも、穂香にとって未だ色褪せることのない記憶。これがトラウマの根源になっていた。
「よっぽど怖かったんだな」
「日が暮れて段々暗くなってくるし、電気も点かなかったから。二人で楽しい話をして気を紛らわせようとしたけど、不安ばかり大きくなっていったわ。このまま誰も見つけてくれなかったらどうしようって。それにお化けも出そうな雰囲気だったし。…二人とも泣き出しちゃった。どっちが先に泣き出したかはもう憶えてないけど、怖くて怖くてわんわん泣いてたのは憶えてる」
「そっか……それがトラウマになっちまったんだな。だから薄暗いホラーハウスが嫌いなのか」
「薄暗くて怖い所は嫌い。…あと、長時間閉じ込められるのも」
「俺が観覧車に誘った時、嫌だったんじゃないのか…?」
去年の冬、イエローウエストのアミューズメントパークに遊びに行った時のことだ。そこでホラーハウス以外のアトラクションを制覇しようって意気込んだのはいいけど、実は観覧車も苦手だったんじゃ。機械点検で一時的に停まったし、その時不安そうにしていた。知らなかったとはいえ、無理に付き合わせちまったかと申し訳なくなる。
「別に狭い所が苦手なわけじゃないから。ただ不測の事態で長時間閉じ込められるのが嫌なだけ」
「…そっか。それならいいんだけどさ」
カーテンの隙間から差し込む一筋の光が部屋を部分的に照らしていた。
横になってするには長い会話。訪れていた睡魔はすっかり姿を晦ました。俺は念のために「そろそろ起きるか」と控えめに訊いてみる。穂香は小さく頭を横に振って答えた。
「もう少し、このまま。…目が覚めた時に好きな人の隣で微睡んでるこの時間が好きなの」なんて言われたら、無理に起こせなくなる。俺もこうして二人きりでいる時間が堪らなく好きだし、愛しさで胸が溢れそうだ。
今日は昼前に起きれたらそれでいいか。そんな緩い目標を設定する。それから穂香を抱きしめ直して、目を閉じた。
カーテン越しから差し込む明るい光。煩わしくない程度の眩しさ。なんの抵抗もなく、すっと眠りの縁から浮上した俺は鼻の頭が冷たくなっていることに気がついた。
身体は羽毛布団で覆われているから温かい。それに、腕の中に穂香が寄り添うようにしている。彼女はまだ夢の中にいるようで、すうすうと寝息を立てていた。
彼女を起こさないよう、枕元に放置していた自分のスマホを手繰り寄せる。液晶画面に表示された時刻とメッセージ通知が来ているのを確認してからスマホを伏せた。
今日は特に予定があるワケじゃないし、焦って起きなくてもいい。それに、ちょっとばかり惜しい気もする。寝顔、もう少し見てたいしな。頬を指先が触れるか触れないか程度の力でなぞった。
雪が解けて春を迎えたとはいえ、朝方はまだ冷え込む日がある。起こすのは部屋が暖まってからでもいいだろう。そう思って俺は先に暖房をつけようとベッドからそろりと抜け出そうとした。片腕をマットレスについて上半身を支えたその時、逆の手を掴まれる。寝惚けた眼で睨みつけてくるけど、全く怖くない。
「…どこに行く気」
「どこって…そろそろ起きるだろ?だから、その前に暖房つけて部屋暖めておこうと思って」
「だめ」
「……いや、つけとかないと起きた時寒いだろ」
「寒いからだめ」
「矛盾してる主張だな」
「ガストがベッドから出て、暖房つけるまでの間に冷たい部屋の空気を纏ってくるわけでしょ。その冷気を感じるからいや」
こうして布団に隙間ができている時点でひんやりした空気を感じて嫌だと言う。俺の方に詰めてくる様は暖を取りに来ている猫のように見えた。意外に寒がりなんだよなぁ。これを振り解いてまでベッド抜け出す必要性は今の俺に全く無い。よって俺はまた布団に潜り込んで、彼女の背に腕を回して抱き寄せた。
「…お説教されると思ってたんだけど」
「寒いのは嫌なんだろ?俺も気が変わったし、もう少しこうしてたい。それに今日の予定は何もないしな。ゆっくりしようぜ」
最初は遠慮がちにしていた彼女の腕が俺の背に回される。薄い布越しに伝わってくる肌の温もり。普段は低いそれが今は俺と同じくらいの体温になっている。
優しく髪を撫で、額に軽く口づける。もぞもぞと腕の中で身動いだ穂香は俺にぴったりと身を寄せてきた。
心臓の鼓動が身体に伝わってくる。一定のリズムを刻んで。俺の中に伝わってくるそれに心地よさを覚えて、少しずつ意識がふわふわとしてきた。
幸せな気分に包まれながら微睡む瞼を閉じようとした時。「ガスト」と呼ぶ声に俺は夢心地に浸りながらも目を開け、優しく応じた。
「どうした」
「……呼んでみただけ」
俺の短い返事に満足したのか、何でもないと子どもの様に笑う。
先日の一件から少しだけ、甘えてくることが増えた気がする。時空を超える能力を持つ【サブスタンス】のせいで過去に飛ばされてからだ。元々本人の口から寂しがり屋だとは聞いてたけど、輪をかけるようにして。本人はいつも通りだって否定するけど。
それだけ怖かったんだろうな。元の時代に戻って来れないかもしれない、そんな恐怖を抱かせてしまった。あの時、この手が届いていたら。こんな風に甘える様子が見られないだろうけど、怖い思いをさせずに済んだかもしれない。
穂香は現在や未来が変わることを恐れていた。今の関係が壊れるのが嫌だ、と。一昔前の俺みたいなことを言っていた。それだけ好かれてるというか、愛されてるんだなぁと思うと嬉しくて頬が緩む。不謹慎だろうから目の前で言ったことはないけど。
俺も、今更穂香がいない世界は耐えられそうにない。
それはそうと、この件でドクターの実験に付き合わされてる。最初はそんなリスキーな実験に付き合うつもりなんて無かった。俺がノリ気じゃないと分かると、穂香に声掛けるとか言い出して。冗談じゃない。ドクターのことだから、あの手この手を使ってでも被験者にしようとするだろう。そんな目に遭わせるワケにはいかないから、穂香を巻き込まないこと、絶対に元の時代に戻って来れることを条件に俺が引き受けたわけだ。もうすぐ試作品が完成するとか言ってた。
正直、不安しかない。万が一、俺がこの時代から居なくなってしまったとしたら。考えたくもない話だ。
「ねぇ、ガスト。…そういえばさ、まだ話してなかったよね」
「ん…何の話だ?」
不安要素を募らせていた俺は、それを紛らわせたくて穂香の髪を撫でていた。さっきまで考えていたことは一旦無しにして、穂香の顔に目を向ける。
彼女の声はさっきよりもハッキリとしていて、眠そうな仕草も見られない。
「私がハロウィン嫌いな理由」
俺と目を合わせた穂香がぽつりと呟いた。
「あぁ……ひどいイタズラされたからだろ?前に少し話してくれたよな」
それは初めて会った年の十月に知った。前情報が無い状態でハロウィンの話題を振った時、物凄く嫌そうな表情されたんだ。その時は多く語ってくれなかったけど、ハロウィンが大嫌いだということを当時の雰囲気から読み取った。元からイタズラ仕掛けるつもりなんて無かったけど、もし悪ふざけで何かしてたら嫌われてたかもしれない。そこの地雷は踏み抜かずに済んで本当に良かったと思っている。
「…うん。小学三年生の時。私の学校、年三回くらいお楽しみ会っていうのがあったのよ。パーティーって呼べる程のものじゃないけど、みんなでお菓子やジュース持ち寄って食べる感じ。……ちょうどそのお楽しみ会がハロウィンと重なった。折り紙や色画用紙でジャックオランタンやコウモリとかの飾りを作って、教室を飾り付けてた」
穂香はグレードスクール時代のことを懐かしむように語り始めた。仲の良かったダチのことや、面白くて優しい先生が仮装に力を入れていたとか。聞いたばかりじゃ、全部が嫌な思い出じゃないみたいだった。あれ程ハロウィンを嫌ってたから、終始嫌なことがあったのかと。
「そのお楽しみ会は楽しかった。好きなお菓子と交換できた時は嬉しかったし、それにみんなちゃんとお菓子持ってたから。イタズラされることは無かったのよ」
「ちゃんとトリック・オア・トリートに則ってんな。…聞いてる限りじゃ悪い感じの思い出ばかりじゃなさそうだけど。そのお楽しみ会ってヤツが終わった後に何かあったんだな?」
「うん。…お楽しみ会が終わった後、クラスの男子がトリック・オア・トリートって言ってきたのよ、私と友達に。みんなその時間にお菓子食べちゃったから、持ってるわけないのにわざと言ってきた」
ムスッとした低い声。今思い出しても腹が立つと言いながら短い溜息をついていた。
「イタズラされるの友達が本気で嫌がってたから、二人で教室飛び出したの。しつこく追い回してくるから、校舎の中ぐるぐる走り回ったわ。走って、走って…旧校舎の教室に逃げ込んだ。二階だったかな。その教室に息を顰めて隠れた。男子たちは私たちを見失ったのか、そこで諦めてくれたけど」
「執念深いヤツらだったんだな」
「普段から友達にちょっかいかけてくる奴らだったのよ。だから、絶対にイタズラさせるもんかってこっちも意地になってた」
「ははっ…なんか穂香らしいな、そういうところ」
そいつらの行動、もしかしたら気を引きたくてやったのかもしれない。穂香のダチか、もしくは穂香が気になっていたとか。好きな子ほど構いたくなるっていうし。でも相手にとっては本気で嫌なケースもあるんだよな。
「笑い事じゃないわ」と機嫌が悪そうな声がそのケースを物語っていた。
「その後が大変だったんだから。その隠れてた教室のドア、開かなくなっちゃったのよ」
「閉じ込められちまったのか」
「ええ。旧校舎のドアは重たい木材で出来てたし、レールも歪んでガタガタ。ドアは分厚くて重たいし、子ども二人の力じゃビクともしなかった。…先生か誰か見つけてくれるまで待とうってことになったけど、誰も来なかった。みんな下校しちゃった後だし、旧校舎は殆ど使われてなかったから。誰も私たちが閉じ込められたことに気づいてくれなかった」
もう十年以上も前の話だ。でも、穂香にとって未だ色褪せることのない記憶。これがトラウマの根源になっていた。
「よっぽど怖かったんだな」
「日が暮れて段々暗くなってくるし、電気も点かなかったから。二人で楽しい話をして気を紛らわせようとしたけど、不安ばかり大きくなっていったわ。このまま誰も見つけてくれなかったらどうしようって。それにお化けも出そうな雰囲気だったし。…二人とも泣き出しちゃった。どっちが先に泣き出したかはもう憶えてないけど、怖くて怖くてわんわん泣いてたのは憶えてる」
「そっか……それがトラウマになっちまったんだな。だから薄暗いホラーハウスが嫌いなのか」
「薄暗くて怖い所は嫌い。…あと、長時間閉じ込められるのも」
「俺が観覧車に誘った時、嫌だったんじゃないのか…?」
去年の冬、イエローウエストのアミューズメントパークに遊びに行った時のことだ。そこでホラーハウス以外のアトラクションを制覇しようって意気込んだのはいいけど、実は観覧車も苦手だったんじゃ。機械点検で一時的に停まったし、その時不安そうにしていた。知らなかったとはいえ、無理に付き合わせちまったかと申し訳なくなる。
「別に狭い所が苦手なわけじゃないから。ただ不測の事態で長時間閉じ込められるのが嫌なだけ」
「…そっか。それならいいんだけどさ」
カーテンの隙間から差し込む一筋の光が部屋を部分的に照らしていた。
横になってするには長い会話。訪れていた睡魔はすっかり姿を晦ました。俺は念のために「そろそろ起きるか」と控えめに訊いてみる。穂香は小さく頭を横に振って答えた。
「もう少し、このまま。…目が覚めた時に好きな人の隣で微睡んでるこの時間が好きなの」なんて言われたら、無理に起こせなくなる。俺もこうして二人きりでいる時間が堪らなく好きだし、愛しさで胸が溢れそうだ。
今日は昼前に起きれたらそれでいいか。そんな緩い目標を設定する。それから穂香を抱きしめ直して、目を閉じた。