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Nostalgic
風邪を引いたのはかなり久しい。
身体は頑丈な方だし、拗らせることも滅多になかった。今回も軽く様子を見てから対処しようと考えていたのだが、甘かったようだ。もしかしたら、見えない疲れが溜まっていたのかもしれない。
昼間は足元もおぼつかないぐらいにフラついていたという。パトロールに出たとこまでは憶えてるけど、それ以降の記憶が薄っすらとしか無い。気が付いたら医務室で横になっていた。
でも、朝と比べたらだいぶ熱も下がったみたいだし、頭もスッキリしていた。とは言え、まだ身体は重怠い。関節痛は治まってきてるし、大人しくしてれば良くなるだろう。これ以上、仲間に迷惑をかけられねぇしな。
今夜は弟分たちからの連絡が珍しく少なかった。ちょっと寂しい気もするが、ゆっくり休むにはちょうど良い夜になりそうだ。
殺風景な医務室の外は薄暗くなっていた。こんな早い時間から横になってるのも変な気分だ。病人だから仕方ないか。
俺は真っ白なベッドに潜り込み、首元まで掛布団ですっぽりと覆う。ふかふかで、雲に包まれてるみたいだ。これなら直ぐに眠りにつける気がする。寝返りを一つ打った俺は目を閉じた。
それから間もなくのことだ。コンコンと医務室を叩く控えめなノック音が聞こえてきた。目を閉じたばかりだったし、応じない理由も無い。俺はベッドから起き上がって、その来客を迎え入れることにした。ベッド脇に腰かけたところで医務室のドアが開く。
医務室を訪れに来たのは俺たちの司令と、もう一人。この角度からじゃ司令に隠れていて姿が確認できなかった。
「ガスト。起きていて大丈夫なのか?」
「ああ。熱も下がったし、そこまでツラくもないしな。それより、どうしたんだ司令」
「見舞い客を連れてきた」
「…見舞い客って」
司令の後ろにいた彼女の顔を見て、思わず驚いてしまった。なんで穂香がここにいるんだ。
穂香は少し不安そうにしていたけど、俺の顔を見るとそれが和らいだような気がした。
「な、なんで穂香がここにいるんだ?」
「如月くんから連絡貰ったのよ」
「……レンから?」
俺が街中で意識を失った後、レンが司令の妹さんに連絡をした。そこから穂香の連絡先を聞いたそうだ。穂香と司令の妹さんは面識があるし、知っていても不思議はない。ただ、レンがそういう気遣いをするなんて思いもしなかった。
「水無月さんから見舞いに行かせてもらえないか、と相談を受けてな。私が付き添ってきたというわけだ。…見たところ、調子はだいぶ良さそうだな。レンから千鳥足で歩いていたと聞いた時は流石に焦ったが」
「はは……そこまでフラついてたのか、俺」
「今後は無理をしないように。身体は資本だ。蔑ろにして良い事は何もない」
「了解。気をつけるよ」
これからは体調管理にも気を配らないとな。今回みたいに四方に迷惑かけちまうし。
徐に司令が手に提げていたビニール袋を持ち上げてみせた。中に果物やドリンク剤が入っていると説明を受ける。
見舞い品を俺に渡した後、司令は俺たちの顔を交互に見て柔らかく笑った。
「さてと…私は戻るとしよう。ガスト、明朝も具合が優れない場合はメンターに伝えるように」
「分かった」
「水無月さん。帰る時は私に声をかけてくれ。イーストまで送っていこう」
「すみません、ありがとうございます」
司令が医務室を出ていくまで、俺はぼんやりその後ろ姿を見ていた。そこでハッと気が付いて慌てて「見舞い、サンキュー」と声をかける。一度振り向いた司令は微笑んでいた。
束の間の静寂が訪れた。医務室ってどうしてこう静かなんだろうな。穂香が丸椅子を引き寄せてきた音も、コンビニの袋を持ち上げた音もやけに大きく聞こえる。彼女がいてくれることで無音にならずに済んでるけど、静まり返った空間がちょっと苦手かもしれない。
「急いで来たから、大したもの買ってこれなかったけど…とりあえずオレンジジュースとプリン、あと食べられそうなもの」
「サンキュ。穂香の顔見れただけですげぇ嬉しい。…にしても、レンから連絡がいったってホントなのか」
「ええ。だいぶ慌ててたわよ。電話に出た途端に『ガストが倒れた』って聞いたから…こっちも慌てちゃったわ」
「…心配かけちまったな。ただの風邪だし、大丈夫だ」
いつも落ち着いてるあのレンが随分と動揺していたみたいだな連絡先知らないってのに、わざわざ穂香と連絡取ってくれるなんて。嬉しいというよりも、類を見ない優しさに泣けてきそうだ。さっきもトレーニング帰りにマリオンと一緒に寄ってくれたし。
俺はもう何ともないって安心させようと、口角を上げて笑ってみせる。それが上手く上がらなかったようで、穂香が顔を顰めた。
「ただの風邪だなんて侮っちゃダメよ。風邪は万病の元って言うでしょ。ちゃんと治さないと私みたいに酷くなるわよ」
「……それ聞いて思い出した。やっぱまだ頭ぼんやりしてるみたいだ。穂香、うつしたらヤバいしなるべく早く帰ってくれよ」
「うん。そうするわ」
呑気に会話してる場合じゃなかった。季節の変わり目に風邪を拗らせて苦しんでる姿を毎年見てきてる。絶対うつさないようにしないと。
ふと、俺の腹が空気を読まずにぐううっと鳴いた。思い返せば今日はロクに食べてない。
「…悪ぃ。今朝から大したモン食ってなくてさ。食欲もそんな無かったんだよな…」
「食べられそうなら、何かお腹に入れておいた方がいいわ。…あ、紅蓮さんがリンゴ持ってきてくれたみたいね」
司令が持ってきた見舞い品の中に真っ赤なリンゴが一つ。穂香の手の平に収まるサイズのリンゴだ。
「リンゴ剥いてあげようか」
「…あぁ。じゃあ、お言葉に甘えて、頼むよ」
「オッケー。…って言っても、ナイフもお皿も無いわね。貸してもらえるか聞いてくるわ」
そう言って席を立ち、穂香は自分の荷物を置いて一度医務室を離れた。
トートバッグのファスナーが開けっ放しで、中が少しごちゃついているのが見えた。普段バッグの中はきっちり整頓している性分だ。それも疎かになるほど、慌てていたのが窺える。仕事が終わってから直ぐにノースから来てくれたんだろうし、なんか申し訳ないことしちまった。
でも、穂香がここまで心配してくれたのは素直に嬉しい。それに誰かに看病されるのも久しぶりだ。それこそ風邪を引いて母親に看病された時以来かもな。
遠い昔のコトを思い出した俺は目を細めた。熱を測る手の平が冷たくて、気持ちよかったな。
穂香は直ぐに戻ってきた。医療部の当直に事情を話したところ貸してもらえたようだ。白い皿と小さなフォーク、ペティナイフを持ってきた。千切ったペーパータオルも貰ったようだ。
リンゴを洗面台で軽くすすぎ、水気を切ってペーパータオルで拭き取る。それからこっちに戻ってきて、八等分に切り分けた。そのうちの一つを手に取り、芯の部分を取り除いて皮の部分に切り込みを入れる。まな板も使わずに切り分けるなんて器用だよなぁ。ぼーっとしながら俺はその手つきを眺めていた。
二本の赤い耳がぴょこんと立ち上がったウサギの形をしたリンゴが出来上がった。皿の上に一つ、また一つとそれが増えていく。あっという間にウサギのファミリーが並んだ。フォークを添えたその皿が俺に差し出される。
「はい、お待たせ」
「サンキュー。…やっぱ器用だなぁ」
「ありがと。料理はそこまで得意じゃないけどね。お母さんがよく作ってくれたの、うさちゃんリンゴ」
「ん…甘酸っぱくて美味い。そういや、穂香も風邪引いた時はよくリンゴ剥いてくれーって言ってたよな。俺は普通に切って分けたヤツだけどさ」
ここ数年、穂香が風邪を拗らせた時はよく見舞いに行っていた。その時は今みたいな関係じゃなかったし、買ってきたものを置いてくるだけってのが多かった。時間ある時は食べられそうなモンを簡単に作ったりもした。
何が食べたいって聞いた時に第一候補で挙がってくるのはリンゴ。日本じゃ風邪引いた時の定番だと話してくれた。あとはお粥、湯豆腐とか。お粥とリゾットの違いは何だって聞いたら、米粒が崩れるほど軟らかいらしい。水の量が多くて、味付けもシンプルだとか。消化にも良いらしい。
「風邪引いた時に食べるリンゴは格別なのよ。ガストが前に作ってくれたチキンのスープも美味しかった。あれ食べるといつもより治りが早かった気がする。身体もポカポカして温かくなったし」
「…すりおろしたジンジャーが決め手、だったかな」
俺がガキの頃に風邪を引いてスクールを休んだ時、母親がよく作ってくれた。骨付きのチキン、細かく切った野菜とハーブで煮込んだチキンスープ。寝てるのに飽きて、それを作ってる母親の側をうろちょろしてたっけ。キッチンに背が届くか届かないかぐらいの時だったから、背伸びして母親の手元を眺めていた。
スープの作り方を一から全部憶えていたワケじゃないけど、隠し味にすりおろしたジンジャーを入れるって言ってた。懐かしいな。
「ね、ガスト。よかったら今度レシピ教えて」
「…ああ、いいぜ。でも、俺も一から覚えてるワケじゃないし、見様見真似だから正確じゃないかも」
「家庭料理って見て覚えるものでしょ。親から子に受け継ぐ間に多少の違いが出てきて当たり前。それでもベースは変わらないだろうし…ガストのお母さんの優しい味は確実に引き継いでると思うわ」
──ガストもこのスープを誰かに作ってあげる日が来るかもしれないわね。
──……うまくつくれるかな。
──大丈夫よ。
スープを美味しく作るコツを聞いた時のことを思い出した。俺の頭を撫でながら、母親は優しく笑いかけてくれた。今でもその言葉と表情を鮮明に思い出せる。
「……早く元気になりますように。そう思いながら作れば、美味しく出来ると思う」
「料理は愛情ってこと?」
「ああ。…そうだ、それなら今度お互い郷土料理を教え合うってのはどうだ?穂香がよく向こうで食べてたモンでもいいし。思い出の味…ってヤツでもいいかもな」
「思い出の味…かぁ。…うん、考えとく」
こっちで揃えられる食材で作れそうな料理が結構ありそうだと、ふわりと笑った穂香。さっき料理は得意じゃないって言ってたけど、俺は穂香の手料理好きなんだよな。
それにだ。偶には懐かしい思い出に浸るのも悪くない気分だった。
風邪を引いたのはかなり久しい。
身体は頑丈な方だし、拗らせることも滅多になかった。今回も軽く様子を見てから対処しようと考えていたのだが、甘かったようだ。もしかしたら、見えない疲れが溜まっていたのかもしれない。
昼間は足元もおぼつかないぐらいにフラついていたという。パトロールに出たとこまでは憶えてるけど、それ以降の記憶が薄っすらとしか無い。気が付いたら医務室で横になっていた。
でも、朝と比べたらだいぶ熱も下がったみたいだし、頭もスッキリしていた。とは言え、まだ身体は重怠い。関節痛は治まってきてるし、大人しくしてれば良くなるだろう。これ以上、仲間に迷惑をかけられねぇしな。
今夜は弟分たちからの連絡が珍しく少なかった。ちょっと寂しい気もするが、ゆっくり休むにはちょうど良い夜になりそうだ。
殺風景な医務室の外は薄暗くなっていた。こんな早い時間から横になってるのも変な気分だ。病人だから仕方ないか。
俺は真っ白なベッドに潜り込み、首元まで掛布団ですっぽりと覆う。ふかふかで、雲に包まれてるみたいだ。これなら直ぐに眠りにつける気がする。寝返りを一つ打った俺は目を閉じた。
それから間もなくのことだ。コンコンと医務室を叩く控えめなノック音が聞こえてきた。目を閉じたばかりだったし、応じない理由も無い。俺はベッドから起き上がって、その来客を迎え入れることにした。ベッド脇に腰かけたところで医務室のドアが開く。
医務室を訪れに来たのは俺たちの司令と、もう一人。この角度からじゃ司令に隠れていて姿が確認できなかった。
「ガスト。起きていて大丈夫なのか?」
「ああ。熱も下がったし、そこまでツラくもないしな。それより、どうしたんだ司令」
「見舞い客を連れてきた」
「…見舞い客って」
司令の後ろにいた彼女の顔を見て、思わず驚いてしまった。なんで穂香がここにいるんだ。
穂香は少し不安そうにしていたけど、俺の顔を見るとそれが和らいだような気がした。
「な、なんで穂香がここにいるんだ?」
「如月くんから連絡貰ったのよ」
「……レンから?」
俺が街中で意識を失った後、レンが司令の妹さんに連絡をした。そこから穂香の連絡先を聞いたそうだ。穂香と司令の妹さんは面識があるし、知っていても不思議はない。ただ、レンがそういう気遣いをするなんて思いもしなかった。
「水無月さんから見舞いに行かせてもらえないか、と相談を受けてな。私が付き添ってきたというわけだ。…見たところ、調子はだいぶ良さそうだな。レンから千鳥足で歩いていたと聞いた時は流石に焦ったが」
「はは……そこまでフラついてたのか、俺」
「今後は無理をしないように。身体は資本だ。蔑ろにして良い事は何もない」
「了解。気をつけるよ」
これからは体調管理にも気を配らないとな。今回みたいに四方に迷惑かけちまうし。
徐に司令が手に提げていたビニール袋を持ち上げてみせた。中に果物やドリンク剤が入っていると説明を受ける。
見舞い品を俺に渡した後、司令は俺たちの顔を交互に見て柔らかく笑った。
「さてと…私は戻るとしよう。ガスト、明朝も具合が優れない場合はメンターに伝えるように」
「分かった」
「水無月さん。帰る時は私に声をかけてくれ。イーストまで送っていこう」
「すみません、ありがとうございます」
司令が医務室を出ていくまで、俺はぼんやりその後ろ姿を見ていた。そこでハッと気が付いて慌てて「見舞い、サンキュー」と声をかける。一度振り向いた司令は微笑んでいた。
束の間の静寂が訪れた。医務室ってどうしてこう静かなんだろうな。穂香が丸椅子を引き寄せてきた音も、コンビニの袋を持ち上げた音もやけに大きく聞こえる。彼女がいてくれることで無音にならずに済んでるけど、静まり返った空間がちょっと苦手かもしれない。
「急いで来たから、大したもの買ってこれなかったけど…とりあえずオレンジジュースとプリン、あと食べられそうなもの」
「サンキュ。穂香の顔見れただけですげぇ嬉しい。…にしても、レンから連絡がいったってホントなのか」
「ええ。だいぶ慌ててたわよ。電話に出た途端に『ガストが倒れた』って聞いたから…こっちも慌てちゃったわ」
「…心配かけちまったな。ただの風邪だし、大丈夫だ」
いつも落ち着いてるあのレンが随分と動揺していたみたいだな連絡先知らないってのに、わざわざ穂香と連絡取ってくれるなんて。嬉しいというよりも、類を見ない優しさに泣けてきそうだ。さっきもトレーニング帰りにマリオンと一緒に寄ってくれたし。
俺はもう何ともないって安心させようと、口角を上げて笑ってみせる。それが上手く上がらなかったようで、穂香が顔を顰めた。
「ただの風邪だなんて侮っちゃダメよ。風邪は万病の元って言うでしょ。ちゃんと治さないと私みたいに酷くなるわよ」
「……それ聞いて思い出した。やっぱまだ頭ぼんやりしてるみたいだ。穂香、うつしたらヤバいしなるべく早く帰ってくれよ」
「うん。そうするわ」
呑気に会話してる場合じゃなかった。季節の変わり目に風邪を拗らせて苦しんでる姿を毎年見てきてる。絶対うつさないようにしないと。
ふと、俺の腹が空気を読まずにぐううっと鳴いた。思い返せば今日はロクに食べてない。
「…悪ぃ。今朝から大したモン食ってなくてさ。食欲もそんな無かったんだよな…」
「食べられそうなら、何かお腹に入れておいた方がいいわ。…あ、紅蓮さんがリンゴ持ってきてくれたみたいね」
司令が持ってきた見舞い品の中に真っ赤なリンゴが一つ。穂香の手の平に収まるサイズのリンゴだ。
「リンゴ剥いてあげようか」
「…あぁ。じゃあ、お言葉に甘えて、頼むよ」
「オッケー。…って言っても、ナイフもお皿も無いわね。貸してもらえるか聞いてくるわ」
そう言って席を立ち、穂香は自分の荷物を置いて一度医務室を離れた。
トートバッグのファスナーが開けっ放しで、中が少しごちゃついているのが見えた。普段バッグの中はきっちり整頓している性分だ。それも疎かになるほど、慌てていたのが窺える。仕事が終わってから直ぐにノースから来てくれたんだろうし、なんか申し訳ないことしちまった。
でも、穂香がここまで心配してくれたのは素直に嬉しい。それに誰かに看病されるのも久しぶりだ。それこそ風邪を引いて母親に看病された時以来かもな。
遠い昔のコトを思い出した俺は目を細めた。熱を測る手の平が冷たくて、気持ちよかったな。
穂香は直ぐに戻ってきた。医療部の当直に事情を話したところ貸してもらえたようだ。白い皿と小さなフォーク、ペティナイフを持ってきた。千切ったペーパータオルも貰ったようだ。
リンゴを洗面台で軽くすすぎ、水気を切ってペーパータオルで拭き取る。それからこっちに戻ってきて、八等分に切り分けた。そのうちの一つを手に取り、芯の部分を取り除いて皮の部分に切り込みを入れる。まな板も使わずに切り分けるなんて器用だよなぁ。ぼーっとしながら俺はその手つきを眺めていた。
二本の赤い耳がぴょこんと立ち上がったウサギの形をしたリンゴが出来上がった。皿の上に一つ、また一つとそれが増えていく。あっという間にウサギのファミリーが並んだ。フォークを添えたその皿が俺に差し出される。
「はい、お待たせ」
「サンキュー。…やっぱ器用だなぁ」
「ありがと。料理はそこまで得意じゃないけどね。お母さんがよく作ってくれたの、うさちゃんリンゴ」
「ん…甘酸っぱくて美味い。そういや、穂香も風邪引いた時はよくリンゴ剥いてくれーって言ってたよな。俺は普通に切って分けたヤツだけどさ」
ここ数年、穂香が風邪を拗らせた時はよく見舞いに行っていた。その時は今みたいな関係じゃなかったし、買ってきたものを置いてくるだけってのが多かった。時間ある時は食べられそうなモンを簡単に作ったりもした。
何が食べたいって聞いた時に第一候補で挙がってくるのはリンゴ。日本じゃ風邪引いた時の定番だと話してくれた。あとはお粥、湯豆腐とか。お粥とリゾットの違いは何だって聞いたら、米粒が崩れるほど軟らかいらしい。水の量が多くて、味付けもシンプルだとか。消化にも良いらしい。
「風邪引いた時に食べるリンゴは格別なのよ。ガストが前に作ってくれたチキンのスープも美味しかった。あれ食べるといつもより治りが早かった気がする。身体もポカポカして温かくなったし」
「…すりおろしたジンジャーが決め手、だったかな」
俺がガキの頃に風邪を引いてスクールを休んだ時、母親がよく作ってくれた。骨付きのチキン、細かく切った野菜とハーブで煮込んだチキンスープ。寝てるのに飽きて、それを作ってる母親の側をうろちょろしてたっけ。キッチンに背が届くか届かないかぐらいの時だったから、背伸びして母親の手元を眺めていた。
スープの作り方を一から全部憶えていたワケじゃないけど、隠し味にすりおろしたジンジャーを入れるって言ってた。懐かしいな。
「ね、ガスト。よかったら今度レシピ教えて」
「…ああ、いいぜ。でも、俺も一から覚えてるワケじゃないし、見様見真似だから正確じゃないかも」
「家庭料理って見て覚えるものでしょ。親から子に受け継ぐ間に多少の違いが出てきて当たり前。それでもベースは変わらないだろうし…ガストのお母さんの優しい味は確実に引き継いでると思うわ」
──ガストもこのスープを誰かに作ってあげる日が来るかもしれないわね。
──……うまくつくれるかな。
──大丈夫よ。
スープを美味しく作るコツを聞いた時のことを思い出した。俺の頭を撫でながら、母親は優しく笑いかけてくれた。今でもその言葉と表情を鮮明に思い出せる。
「……早く元気になりますように。そう思いながら作れば、美味しく出来ると思う」
「料理は愛情ってこと?」
「ああ。…そうだ、それなら今度お互い郷土料理を教え合うってのはどうだ?穂香がよく向こうで食べてたモンでもいいし。思い出の味…ってヤツでもいいかもな」
「思い出の味…かぁ。…うん、考えとく」
こっちで揃えられる食材で作れそうな料理が結構ありそうだと、ふわりと笑った穂香。さっき料理は得意じゃないって言ってたけど、俺は穂香の手料理好きなんだよな。
それにだ。偶には懐かしい思い出に浸るのも悪くない気分だった。