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仕立て屋とぬいぐるみ
「じゃーん!ようやく手に入れました」
玄関で俺を出迎えてくれたのは愛しい彼女と、その細い腕に抱えられた俺のぬいぐるみ。これはノースのショップで取り扱っているヤツで、ヒーローコスチュームを着せたものだ。顔や胴体はデフォルメされていて、俺のものに限らず可愛らしい仕上がりになっている。市民に好評のヒーローグッズだそうだ。いつも売り切れていて、手に入れるのが大変だったらしい。
売り場で並んでいるのを見た時は、結構カワイイと思えたけど。いざこうして穂香に抱えられてるのを見ると、恥ずかしさがこみ上げてくる。ポスターやステッカーならまだいいんだけどな。
「…お、おお。なんか、改めてみると…恥ずかしいな、コレ」
「オフで暇な日があれば家に来てほしい」と誘われ、何の用かと来てみれば。これを見せたくて呼んだみたいだ。
俺を模したぬいぐるみはヒーロースーツじゃなくて、黒いジャケットを着せられていた。胸ポケットに小さなハンカチーフまで仕込まれている。
「さっそく着せられてるし」
「さっき出来上がったのよ。どう?似合ってると思わない」
短くて小さい腕を指でつまみ上げ、手を振ってみせる。笑いながらぬいぐるみの腕を操る穂香は楽しそうにしているが、見ているこっちは照れ臭い。
部屋の中は生地や裁縫道具、画材にスケッチブック、型紙でローテーブルが完全に占領されていた。角に設置した空気清浄機が強モードで稼働しているし、機械が唸りを上げてるけど大丈夫かこれ。埃は目視できないけど、見えない小さな粒子を吸い込んでいるんだろうな。
さっきの黒いジャケット以外にも、ぬいぐるみ専用の小さなハンガーに掛けられた服が洗濯物干しの竿に引っ掛けられていた。元々羽織っていたコートもそこにある。
穂香が縫い上げたものはどれも人間の服と同じクオリティで仕上がっていた。
「……穂香ってホント器用だよな。こんな小さい服まで縫えるんだから」
「縫い方は基本同じだし、手順を簡易的にして省くところもある。友達でこういうの作るの得意な子がいてね、ハンドメイドで活動してるの。その子から型紙を特別に貰えたから、それをアレンジして色んな服を仕立てているのよ」
「なるほどな。それで自慢の作品が次々出来上がってるってわけだ」
「縫いだしたら止まらなくなっちゃって」
そう言い終えた穂香は欠伸を噛み殺し、涙を目尻に薄っすらと浮かべた。疲労も溜まっている様子だと見た。熱中すると夜更かしする癖が彼女にはある。それで体調崩すこと多いから、また風邪引かなきゃいいけど。
「このぬいぐるみ、作りがいいのよ。ちゃんと特徴捉えてる。ほらピアスの形もそっくり、髪の長さと体もバランスが取れてる。フードも飾りじゃなくて頭に被せられるし。瞳の色も見事に再現されてる」
「まぁ……言われてみれば、そうだな。よくできてるよ」
髪型もいい感じにセットされてる。文句なしだ。
お気に入りポイントを次々と挙げてくれるのは嬉しい。ただ、テディベアを抱えるみたいにぎゅっとされてるのは、ちょっと恥ずかしさが上回る。
「本題に入るけど、どれがいい?」
「俺がコイツに着せるもの選ぶのか…」
「……あ。憶えてないんだっけ。ガストのぬいぐるみに合わせて作った服の中で気に入ったのがあれば、実寸で仕立ててあげるって話」
そんな話をしていたらしい。俺がカクテル一杯で潰れ、記憶飛ばした日に。この様子から察するに俺は頷いたようだ。嘘を吐くような性格じゃないからな、穂香は。
とはいえ、どれがいいって聞かれてもな。今着せられている黒いジャケットは襟に刺繍が施されていた。これは穂香の趣味だな。
リトルショップに並ぶ洋服を拝見して、形や色を吟味する。「色違いでも作れるわよ」と専属スタッフから声が掛かった。
こんな小さな服からも気品を感じる。仕立て屋の心がこもってるせいか。春や秋に着られそうな長袖シャツも気になったけど、オールシーズンで着回しできそうなジャケットに惹かれた。こういった色もたまには着てみたいし。
「これ、良さそうだな」
「いいわね。着せてあげるわ」
カジュアルジャケットをハンガーから外し、ぬいぐるみに着せていた黒いジャケットを袖から丁寧に脱がせた。中に着ている白いワイシャツ、襟元からヒーロースーツがちらりと見える。
「これは脱がせられないのよ。しっかり縫いついてるから、無理に解くとぬいぐるみ本体が傷んじゃうし」
「いやいや、脱がせなくていいからな?!」
「なんでガストが恥ずかしがってるの。とりあえずこの上から着せるね」
ワイシャツの上からジャケットの袖を通す。短い腕を細い袖口から引っ張り出し、両手を見せる。襟足を整えた後、ぬいぐるみの正面を俺に向けた。
「こちらでよろしいですか、お客様」
「お、意外に似合うんじゃないか。ダークネイビーもイケてるな」
「お客様にとてもお似合いですよ。こちら軽くて通気性も良く、伸縮性のある生地を使用しております。アクティブなお客様にぴったりの一品です。お手持ちの開襟シャツ、長袖ニットなどと併せてもよろしいかと」
「……ショップで接客されてるみたいだな」
「一同、またのご来店をお待ちしております」
「まぁ、機会があったら」
にこりと微笑む穂香に曖昧な返事しかできなかった。行きたいのは山々だけど、あの子たちにからかわれるのは目に見えている。
「色はこれにする?」
「あぁ。これでいい」
「畏まりました。じゃあ、この色とデザインで仕立てるわね」
どうやらそのジャケットは穂香のおススメだったようだ。上機嫌で手元に抱えたぬいぐるみの頭をポンポンと撫でていた。
ところで気になる点が一つある。普段どういう扱いを受けているんだ、こいつ。見たところ、かなり可愛がられてるみたいだし。まるでテディベア扱いだ。
「でも、ホントにいいのか?仕事が忙しいんじゃ」
「この時期は暇なのよ。それにこういうのって、思い立ったが吉日って言うから。創作意欲は沸いた時が勝ち。あと、私が楽しい」
「それならいいけど。……ところで、着せ替え要員になってるのはいいとして。まさか、一緒に寝てるとか…ないよな」
テディベアを抱いて眠るのは珍しいことじゃない。こっちじゃ兄弟や友達として一緒に過ごす時間も長いんだ。俺の妹もそうだったし、今も大事にしている。
「ガストくんにはソファの上で」
「まぁ、そりゃそうだよな」
「専用のフワフワ羽毛布団と枕で眠ってもらってます」
「思った以上のVIP対応」
専用の布団と枕ってなんだよ。待遇良すぎじゃないか。
棚の上にその布団が二つに畳まれていて、ぬいぐるみサイズの枕がちょこんと乗っていた。ペット用のアイテムでこんな感じのあった気がする。猫用布団みたいなヤツ。
「友達が作ってくれたの。あと、別の友達がロッキングチェアとテーブルを作ってくれる」
「更に待遇が良くなるのか…。穂香を含めてガチ勢多すぎるだろ」
「得意分野がそれぞれ違うと楽しいわよ」
「…だろうな。楽しそうで何よりだ」
ぬいぐるみの頭を優しく撫でつけ、服についた埃をはらい落とす。俺の分身が大事に扱われているのは喜ばしいことだ。でも、本体が遊びに来てるのに、こっちに全然構ってくれない。もやもやした気持ちが胸の真ん中に集まっていた。
「…なぁ。そいつにばっかり構ってないで、俺にも構ってくれないか」
ぽつりと漏らした不満。それを口にしてから初めて気づいた。なに恥ずかしいこと言ってんだ俺。こんな小さいぬいぐるみにヤキモチ焼いてどうする。
案の定、クスクスと笑われてしまった。
「そんな可愛らしいヤキモチ焼くの」
「い…今のは聞かなかったことに」
「はっきり聞こえちゃったわ。分かった、構ってあげるから」
笑みを含んだ声でそう言い、抱いていたぬいぐるみをソファに座らせた。重心がしっかりしてるみたいで、ちゃんと座った姿勢を保っている。
それから穂香はテーラーメジャーをスルスルと伸ばし、笑顔で「では、採寸よろしいかしら」と俺に近づいてきた。いや、そういう構い方を求めたわけじゃない。
「今測るのか」
「コートと上に着てるもの一枚脱いで。袖は捲らなくていいわよ。で、そこに真っすぐ立つ」
「…はいはい。分かったよ」
俺は仕立て屋の言う通りに着ているものを預けて、指定の場所に立った。
穂香が俺の背後に回り、左肩から右肩の端にメジャーを当ててくる。読み取った数値をメモ帳に書き込んだあと、着丈を測ってから前に回り込んできた。両脇腹に手を差し込んでメジャーを通すだけだと頭で分かっていても、変に緊張する。胸囲、胴囲を測る時に手や腕が掠めていくせいで、つい仰け反りそうになった。
「こら、動くな少年」
「っ……もう、少年って年じゃないだろ」
「それもそうね。会った時のことちょっと思い出してた。……よし。ついでにスラックスの方も測っていい?上下作る時に参考にしたいから」
「まぁ……いいけど。くすぐったいから早く終わらせてくれよ」
「オーケー。……やっぱりこっちの人、足長いわね。日本人男性の標準値よりだいぶ長い。日本人は胴長短足だから羨ましいわ」
「そうか?穂香はスラッとしてるだろ」
気を遣わせてしまったみたいだ。股上、股下、太腿にメジャーが手早く走っていく。くすぐったいのはあるけど、別に触れられるのは嫌じゃない。
「目の錯覚を利用してるからね。そう感じるってことはまんまと騙されてる。洋服や小物を使って足長く見せてるのよ。……ガスト、背伸びたよね」
俺の顔を見上げながらそう言った。
「…そんなに変わってないと思うけどな」
「自分じゃ分かんないか。前は肩並べて歩いてたのに、今はヒール履いても届かないもの。……よし、終了」
穂香の手元に記された数値。箇条書きされたその横に日本語で走り書きのメモが添えられている。
どこか満足そうにしていた穂香だったが、はたと何かに気づいた。
「どうした」
「慣れない採寸お疲れ様って言いたいところなんだけど……また測ることあるかも」
「え」
「だって、鍛えて筋肉ついたらその分サイズ変わるでしょ。さっき気がついたわ」
「いや…そこまで鍛えるつもりは。必要量はちゃんとこなしてるけど」
アキラやオスカーの様に打撃メインでパワータイプならまだしも、小銃メインだからな俺は。接近戦も経験を活かして得意と言えば得意だ。手よりかは足が出やすい。そういえば、アキラが得意そうに「見ろよこの鍛えぬいた腕の筋肉を!」って自慢してたな。腕相撲したら負けちまうかも。
「アカデミー時代よりもトレーニング量増えたって言ってたでしょ。ムキムキボディビルダーみたいになるかもしれないじゃない」
「それは多分ないから安心してくれ」
「…まぁ、その時はその時ね。都度採寸させてもらうわ。今回作る服も出来上がったら連絡するわね」
穂香はメジャーをくるくると巻いて裁縫箱の中へポンと置いた。
布きれや型紙が溢れているのはリビングスペースだけのようだ。ダイニングテーブルは休憩スペースとして空けているんだろう。彼女のお気に入りのチョコレートと飲みかけのコーヒーがある。
「ん、楽しみにしてる。それにしても穂香はスゴイよな。裁縫関連なんでもできちまうし…まるでオールラウンダーだ」
「ありがと。とりあえず全般は学んできたからね。それでも本職のフィッターには敵わないわ。私は手順省いてるところあるし…一から仕立てるのもこれが初めて」
「…元カレには作ってやらなかったのか?」
例のそいつとは付き合いも長かったと聞いていたし、試作品とか試着モデルにされていたんだとばかり思っていた。今の発言と眉を下げた様子から、そうじゃないみたいだ。穂香はゆっくりと横へ首を振ってみせた。
「あんまり興味なかったみたいだから、私の仕事。すごいね、頑張ってるね……口先だけの褒め言葉はくれてた。人の趣味は千差万別だし、無理に押しつけるつもりもなかったし」
「…そっか。じゃあ、俺が仕立て第一号ってわけだ。穂香の力作、益々楽しみになってきたぜ」
「うん。必ず満足のいく仕上がりにしてみせる」
ふわりと微笑んだ穂香は嬉しそうにしていた。ああ、やっぱりこうやって笑ってる顔が見られるのは俺も嬉しい。
趣味は興味を持っても、無理に他人と合わせるようなものじゃない。自分が楽しいと感じてこそ趣味だ。俺の趣味だって「やってみたらハマるかもしれない」と軽く声をかけただけ。そうしたら思いの外ハマってくれて、マイダーツまで持つようになった。
俺自身が服作ったり、デザインとかするようにはならないだろうけど、ショッピングに付き合ったり穂香が作った物にアドバイスしたりはできる。趣味を共有できるのは勿論楽しいだろう。でも肝心なのは共感するってことた。
「ああ、でもさ…ここまで本格的だと無償で作ってもらうのはなんか気が引けるな」
「そんなの気にしなくていいわ。私が好きでやってるんだし」
「そうは言ってもな……それこそ俺の気が済まない」
何かお礼考えとかないと。もうすぐバレンタインを控えてるし、チョコレート以外も探してこよう。そう、物で考えていた俺に対し、穂香がパッと両腕を広げてみせた。流石にこれは分かる。いい笑顔でハグの要求をされていた。
まだそういうのに慣れてなくて慌てる俺に「構って欲しいって言ったのそっち」と正論を返されてしまう。確かに言った。でも、それは話し相手というか、意識をこっちに向けて欲しかっただけで。
と、ここで言い訳を並べたところで相手の要求は取り下げられることが無い。
俺は観念して、いや恋人なんだからその言い方はおかしいか。彼女の背中に両腕をそっと回して、優しく抱きしめた。甘い、柑橘系の香りがすぐそばで漂う。力加減が未だに分からない。少し力を入れて抱きしめたら折れてしまいそうで。ハラハラする。女の子ってガラス細工みたいに繊細だから。
「……ガストあったかい。座って作業してると、身体冷えてくるのよ」
そう呟いた細い腕が俺の背に回されて、きゅっと抱きついてくる。暖房が効いてる部屋だというのに、改めて触れた体温は確かに低かった。温めてやりたいけど、砕けそうで怖い。
「…壊れ物取り扱い注意みたいな感じがヒシヒシと伝わってくるわ」
「だって、ホントにそうだろ。…折れたら取返しつかねぇし」
「ガストのそういう優しいところ、好き。…そろそろ休憩しようと思ってたの。コーヒーと紅茶、どっちがいい?」
穂香は俺の腕からするりと抜け出し、ブレイクタイムにしようと提案してきた。少し名残惜しくもある。
「そうだなぁ…紅茶の気分だ。ロイヤルミルクティー淹れてやろうか?結構美味く淹れられる自信があるぜ」
「カフェでバイトしてたんだっけ。…じゃあ、お願いしようかな」
「おう、任せてくれ。甘さはどうする?」
少し甘めがいいというリクエストを受け、キッチンでまずは小鍋に水を用意する。「家でロイヤルミルクティーが飲めるなんて、ちょっと贅沢かも」という期待を裏切るわけにはいかない。
ブレイクタイムに何を話そうか。昨日の面白い話を思い出しながら、俺は茶葉の缶に手を伸ばした。
「じゃーん!ようやく手に入れました」
玄関で俺を出迎えてくれたのは愛しい彼女と、その細い腕に抱えられた俺のぬいぐるみ。これはノースのショップで取り扱っているヤツで、ヒーローコスチュームを着せたものだ。顔や胴体はデフォルメされていて、俺のものに限らず可愛らしい仕上がりになっている。市民に好評のヒーローグッズだそうだ。いつも売り切れていて、手に入れるのが大変だったらしい。
売り場で並んでいるのを見た時は、結構カワイイと思えたけど。いざこうして穂香に抱えられてるのを見ると、恥ずかしさがこみ上げてくる。ポスターやステッカーならまだいいんだけどな。
「…お、おお。なんか、改めてみると…恥ずかしいな、コレ」
「オフで暇な日があれば家に来てほしい」と誘われ、何の用かと来てみれば。これを見せたくて呼んだみたいだ。
俺を模したぬいぐるみはヒーロースーツじゃなくて、黒いジャケットを着せられていた。胸ポケットに小さなハンカチーフまで仕込まれている。
「さっそく着せられてるし」
「さっき出来上がったのよ。どう?似合ってると思わない」
短くて小さい腕を指でつまみ上げ、手を振ってみせる。笑いながらぬいぐるみの腕を操る穂香は楽しそうにしているが、見ているこっちは照れ臭い。
部屋の中は生地や裁縫道具、画材にスケッチブック、型紙でローテーブルが完全に占領されていた。角に設置した空気清浄機が強モードで稼働しているし、機械が唸りを上げてるけど大丈夫かこれ。埃は目視できないけど、見えない小さな粒子を吸い込んでいるんだろうな。
さっきの黒いジャケット以外にも、ぬいぐるみ専用の小さなハンガーに掛けられた服が洗濯物干しの竿に引っ掛けられていた。元々羽織っていたコートもそこにある。
穂香が縫い上げたものはどれも人間の服と同じクオリティで仕上がっていた。
「……穂香ってホント器用だよな。こんな小さい服まで縫えるんだから」
「縫い方は基本同じだし、手順を簡易的にして省くところもある。友達でこういうの作るの得意な子がいてね、ハンドメイドで活動してるの。その子から型紙を特別に貰えたから、それをアレンジして色んな服を仕立てているのよ」
「なるほどな。それで自慢の作品が次々出来上がってるってわけだ」
「縫いだしたら止まらなくなっちゃって」
そう言い終えた穂香は欠伸を噛み殺し、涙を目尻に薄っすらと浮かべた。疲労も溜まっている様子だと見た。熱中すると夜更かしする癖が彼女にはある。それで体調崩すこと多いから、また風邪引かなきゃいいけど。
「このぬいぐるみ、作りがいいのよ。ちゃんと特徴捉えてる。ほらピアスの形もそっくり、髪の長さと体もバランスが取れてる。フードも飾りじゃなくて頭に被せられるし。瞳の色も見事に再現されてる」
「まぁ……言われてみれば、そうだな。よくできてるよ」
髪型もいい感じにセットされてる。文句なしだ。
お気に入りポイントを次々と挙げてくれるのは嬉しい。ただ、テディベアを抱えるみたいにぎゅっとされてるのは、ちょっと恥ずかしさが上回る。
「本題に入るけど、どれがいい?」
「俺がコイツに着せるもの選ぶのか…」
「……あ。憶えてないんだっけ。ガストのぬいぐるみに合わせて作った服の中で気に入ったのがあれば、実寸で仕立ててあげるって話」
そんな話をしていたらしい。俺がカクテル一杯で潰れ、記憶飛ばした日に。この様子から察するに俺は頷いたようだ。嘘を吐くような性格じゃないからな、穂香は。
とはいえ、どれがいいって聞かれてもな。今着せられている黒いジャケットは襟に刺繍が施されていた。これは穂香の趣味だな。
リトルショップに並ぶ洋服を拝見して、形や色を吟味する。「色違いでも作れるわよ」と専属スタッフから声が掛かった。
こんな小さな服からも気品を感じる。仕立て屋の心がこもってるせいか。春や秋に着られそうな長袖シャツも気になったけど、オールシーズンで着回しできそうなジャケットに惹かれた。こういった色もたまには着てみたいし。
「これ、良さそうだな」
「いいわね。着せてあげるわ」
カジュアルジャケットをハンガーから外し、ぬいぐるみに着せていた黒いジャケットを袖から丁寧に脱がせた。中に着ている白いワイシャツ、襟元からヒーロースーツがちらりと見える。
「これは脱がせられないのよ。しっかり縫いついてるから、無理に解くとぬいぐるみ本体が傷んじゃうし」
「いやいや、脱がせなくていいからな?!」
「なんでガストが恥ずかしがってるの。とりあえずこの上から着せるね」
ワイシャツの上からジャケットの袖を通す。短い腕を細い袖口から引っ張り出し、両手を見せる。襟足を整えた後、ぬいぐるみの正面を俺に向けた。
「こちらでよろしいですか、お客様」
「お、意外に似合うんじゃないか。ダークネイビーもイケてるな」
「お客様にとてもお似合いですよ。こちら軽くて通気性も良く、伸縮性のある生地を使用しております。アクティブなお客様にぴったりの一品です。お手持ちの開襟シャツ、長袖ニットなどと併せてもよろしいかと」
「……ショップで接客されてるみたいだな」
「一同、またのご来店をお待ちしております」
「まぁ、機会があったら」
にこりと微笑む穂香に曖昧な返事しかできなかった。行きたいのは山々だけど、あの子たちにからかわれるのは目に見えている。
「色はこれにする?」
「あぁ。これでいい」
「畏まりました。じゃあ、この色とデザインで仕立てるわね」
どうやらそのジャケットは穂香のおススメだったようだ。上機嫌で手元に抱えたぬいぐるみの頭をポンポンと撫でていた。
ところで気になる点が一つある。普段どういう扱いを受けているんだ、こいつ。見たところ、かなり可愛がられてるみたいだし。まるでテディベア扱いだ。
「でも、ホントにいいのか?仕事が忙しいんじゃ」
「この時期は暇なのよ。それにこういうのって、思い立ったが吉日って言うから。創作意欲は沸いた時が勝ち。あと、私が楽しい」
「それならいいけど。……ところで、着せ替え要員になってるのはいいとして。まさか、一緒に寝てるとか…ないよな」
テディベアを抱いて眠るのは珍しいことじゃない。こっちじゃ兄弟や友達として一緒に過ごす時間も長いんだ。俺の妹もそうだったし、今も大事にしている。
「ガストくんにはソファの上で」
「まぁ、そりゃそうだよな」
「専用のフワフワ羽毛布団と枕で眠ってもらってます」
「思った以上のVIP対応」
専用の布団と枕ってなんだよ。待遇良すぎじゃないか。
棚の上にその布団が二つに畳まれていて、ぬいぐるみサイズの枕がちょこんと乗っていた。ペット用のアイテムでこんな感じのあった気がする。猫用布団みたいなヤツ。
「友達が作ってくれたの。あと、別の友達がロッキングチェアとテーブルを作ってくれる」
「更に待遇が良くなるのか…。穂香を含めてガチ勢多すぎるだろ」
「得意分野がそれぞれ違うと楽しいわよ」
「…だろうな。楽しそうで何よりだ」
ぬいぐるみの頭を優しく撫でつけ、服についた埃をはらい落とす。俺の分身が大事に扱われているのは喜ばしいことだ。でも、本体が遊びに来てるのに、こっちに全然構ってくれない。もやもやした気持ちが胸の真ん中に集まっていた。
「…なぁ。そいつにばっかり構ってないで、俺にも構ってくれないか」
ぽつりと漏らした不満。それを口にしてから初めて気づいた。なに恥ずかしいこと言ってんだ俺。こんな小さいぬいぐるみにヤキモチ焼いてどうする。
案の定、クスクスと笑われてしまった。
「そんな可愛らしいヤキモチ焼くの」
「い…今のは聞かなかったことに」
「はっきり聞こえちゃったわ。分かった、構ってあげるから」
笑みを含んだ声でそう言い、抱いていたぬいぐるみをソファに座らせた。重心がしっかりしてるみたいで、ちゃんと座った姿勢を保っている。
それから穂香はテーラーメジャーをスルスルと伸ばし、笑顔で「では、採寸よろしいかしら」と俺に近づいてきた。いや、そういう構い方を求めたわけじゃない。
「今測るのか」
「コートと上に着てるもの一枚脱いで。袖は捲らなくていいわよ。で、そこに真っすぐ立つ」
「…はいはい。分かったよ」
俺は仕立て屋の言う通りに着ているものを預けて、指定の場所に立った。
穂香が俺の背後に回り、左肩から右肩の端にメジャーを当ててくる。読み取った数値をメモ帳に書き込んだあと、着丈を測ってから前に回り込んできた。両脇腹に手を差し込んでメジャーを通すだけだと頭で分かっていても、変に緊張する。胸囲、胴囲を測る時に手や腕が掠めていくせいで、つい仰け反りそうになった。
「こら、動くな少年」
「っ……もう、少年って年じゃないだろ」
「それもそうね。会った時のことちょっと思い出してた。……よし。ついでにスラックスの方も測っていい?上下作る時に参考にしたいから」
「まぁ……いいけど。くすぐったいから早く終わらせてくれよ」
「オーケー。……やっぱりこっちの人、足長いわね。日本人男性の標準値よりだいぶ長い。日本人は胴長短足だから羨ましいわ」
「そうか?穂香はスラッとしてるだろ」
気を遣わせてしまったみたいだ。股上、股下、太腿にメジャーが手早く走っていく。くすぐったいのはあるけど、別に触れられるのは嫌じゃない。
「目の錯覚を利用してるからね。そう感じるってことはまんまと騙されてる。洋服や小物を使って足長く見せてるのよ。……ガスト、背伸びたよね」
俺の顔を見上げながらそう言った。
「…そんなに変わってないと思うけどな」
「自分じゃ分かんないか。前は肩並べて歩いてたのに、今はヒール履いても届かないもの。……よし、終了」
穂香の手元に記された数値。箇条書きされたその横に日本語で走り書きのメモが添えられている。
どこか満足そうにしていた穂香だったが、はたと何かに気づいた。
「どうした」
「慣れない採寸お疲れ様って言いたいところなんだけど……また測ることあるかも」
「え」
「だって、鍛えて筋肉ついたらその分サイズ変わるでしょ。さっき気がついたわ」
「いや…そこまで鍛えるつもりは。必要量はちゃんとこなしてるけど」
アキラやオスカーの様に打撃メインでパワータイプならまだしも、小銃メインだからな俺は。接近戦も経験を活かして得意と言えば得意だ。手よりかは足が出やすい。そういえば、アキラが得意そうに「見ろよこの鍛えぬいた腕の筋肉を!」って自慢してたな。腕相撲したら負けちまうかも。
「アカデミー時代よりもトレーニング量増えたって言ってたでしょ。ムキムキボディビルダーみたいになるかもしれないじゃない」
「それは多分ないから安心してくれ」
「…まぁ、その時はその時ね。都度採寸させてもらうわ。今回作る服も出来上がったら連絡するわね」
穂香はメジャーをくるくると巻いて裁縫箱の中へポンと置いた。
布きれや型紙が溢れているのはリビングスペースだけのようだ。ダイニングテーブルは休憩スペースとして空けているんだろう。彼女のお気に入りのチョコレートと飲みかけのコーヒーがある。
「ん、楽しみにしてる。それにしても穂香はスゴイよな。裁縫関連なんでもできちまうし…まるでオールラウンダーだ」
「ありがと。とりあえず全般は学んできたからね。それでも本職のフィッターには敵わないわ。私は手順省いてるところあるし…一から仕立てるのもこれが初めて」
「…元カレには作ってやらなかったのか?」
例のそいつとは付き合いも長かったと聞いていたし、試作品とか試着モデルにされていたんだとばかり思っていた。今の発言と眉を下げた様子から、そうじゃないみたいだ。穂香はゆっくりと横へ首を振ってみせた。
「あんまり興味なかったみたいだから、私の仕事。すごいね、頑張ってるね……口先だけの褒め言葉はくれてた。人の趣味は千差万別だし、無理に押しつけるつもりもなかったし」
「…そっか。じゃあ、俺が仕立て第一号ってわけだ。穂香の力作、益々楽しみになってきたぜ」
「うん。必ず満足のいく仕上がりにしてみせる」
ふわりと微笑んだ穂香は嬉しそうにしていた。ああ、やっぱりこうやって笑ってる顔が見られるのは俺も嬉しい。
趣味は興味を持っても、無理に他人と合わせるようなものじゃない。自分が楽しいと感じてこそ趣味だ。俺の趣味だって「やってみたらハマるかもしれない」と軽く声をかけただけ。そうしたら思いの外ハマってくれて、マイダーツまで持つようになった。
俺自身が服作ったり、デザインとかするようにはならないだろうけど、ショッピングに付き合ったり穂香が作った物にアドバイスしたりはできる。趣味を共有できるのは勿論楽しいだろう。でも肝心なのは共感するってことた。
「ああ、でもさ…ここまで本格的だと無償で作ってもらうのはなんか気が引けるな」
「そんなの気にしなくていいわ。私が好きでやってるんだし」
「そうは言ってもな……それこそ俺の気が済まない」
何かお礼考えとかないと。もうすぐバレンタインを控えてるし、チョコレート以外も探してこよう。そう、物で考えていた俺に対し、穂香がパッと両腕を広げてみせた。流石にこれは分かる。いい笑顔でハグの要求をされていた。
まだそういうのに慣れてなくて慌てる俺に「構って欲しいって言ったのそっち」と正論を返されてしまう。確かに言った。でも、それは話し相手というか、意識をこっちに向けて欲しかっただけで。
と、ここで言い訳を並べたところで相手の要求は取り下げられることが無い。
俺は観念して、いや恋人なんだからその言い方はおかしいか。彼女の背中に両腕をそっと回して、優しく抱きしめた。甘い、柑橘系の香りがすぐそばで漂う。力加減が未だに分からない。少し力を入れて抱きしめたら折れてしまいそうで。ハラハラする。女の子ってガラス細工みたいに繊細だから。
「……ガストあったかい。座って作業してると、身体冷えてくるのよ」
そう呟いた細い腕が俺の背に回されて、きゅっと抱きついてくる。暖房が効いてる部屋だというのに、改めて触れた体温は確かに低かった。温めてやりたいけど、砕けそうで怖い。
「…壊れ物取り扱い注意みたいな感じがヒシヒシと伝わってくるわ」
「だって、ホントにそうだろ。…折れたら取返しつかねぇし」
「ガストのそういう優しいところ、好き。…そろそろ休憩しようと思ってたの。コーヒーと紅茶、どっちがいい?」
穂香は俺の腕からするりと抜け出し、ブレイクタイムにしようと提案してきた。少し名残惜しくもある。
「そうだなぁ…紅茶の気分だ。ロイヤルミルクティー淹れてやろうか?結構美味く淹れられる自信があるぜ」
「カフェでバイトしてたんだっけ。…じゃあ、お願いしようかな」
「おう、任せてくれ。甘さはどうする?」
少し甘めがいいというリクエストを受け、キッチンでまずは小鍋に水を用意する。「家でロイヤルミルクティーが飲めるなんて、ちょっと贅沢かも」という期待を裏切るわけにはいかない。
ブレイクタイムに何を話そうか。昨日の面白い話を思い出しながら、俺は茶葉の缶に手を伸ばした。