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2.飲み込んだ言葉は数知れず
「ガストと会ってからもう三年も経つんだっけ?」
ロックグラスの氷がカランと空回りする音を立てた。
残り僅かとなった酒は溶け出した氷でかなり薄くなってきている。馴染みのバーで飲み始めてから二時間くらい経っただろうか。飲みの相手は既に酔いが心地よく回ってきているようで、手元の空になったグラスで遊び始めている。穂香は元々酒に強い方じゃない。その癖が酔いの兆しだと気づいたのはいつだったかな。
「そうだな。誕生日、三回祝ってもらってるし」
「私がニューミリオンに来てから三年目かぁ」
あれは三年前の夏だったな。汗ばむくらいに気温が上がってる日で、サウスのストリートを歩いている時だった。
冷たいドリンクを販売している屋台から声が聞こえてきたんだ。言い争いとまではいかねぇけど、結構な声量だったからそっちを見てみると、店員と女性客がお互いに困った顔していた。客の方は観光客なのか、髪の色や肌からアジア系な感じだった。どうも話が通じてないみたいだったから、間に入ってやったんだ。
とりあえず、二人の話を止めさせて先に店員の話を聞いた。単語の意味が分からないという意見。それから観光客の話を聞いて、正直驚いた。普通に英語が話せるじゃないか。俺の話すことも理解してるし、返しも速い。これで何が通じなかったのかとよくよく聞いてみた。その時はよく勘が働いたと思う。
店員と客の間でチョコレートの比率のことで揉めていたようだ。俺は微妙なアクセントの違いで誤解が生まれていたことに気づく。女性客はチョコレートドリンクでミルクとの比率を等しくしてほしいという主張だった。
それを店員に伝えると、すぐに分かってもらえて、用意したドリンクを女性客に渡してくれた。
「ありがとう」とお礼も言われたし、これで俺はお役御免だなとその場を離れようとした時だった。
「Freeze wait」と聞こえた気がして、立ち止まっちまった。相手にとっては咄嗟に出てきたフレーズとはいえ、そう言われて立ち去るワケにもいかない。余計な事しちまったかなとさえ思っていた。でも、それならそもそもお礼なんて言わないはずだ。
とりあえずその場で待っていると、俺の目の前にカップドリンクが差し出された。
「せめてもの御礼です」と律儀な礼をされたのが穂香との出会いだった。
三年も前になると懐かしい思い出だ。あれこれくだらない話が多いのは今と変わり映えしない。
「そーいえば、あの時」
「…ん?」
「なんで通訳に入ってくれたの」
「あ…ああ、あの時か。なんか困ってる観光客みたいのがいるなーって思ったんだ。困ってるヤツは放っておけなかったからな。まぁ、話聞いたら観光客じゃなくて仕事でこっち来てたって後から知ったけどさ」
突然振られた『あの時』の話。相手も俺と同じ様にあの日のことを思い出していたのかもしれない。同じことを考えていたんだと思うと、少しくすぐったくなる。不意の思い出話に浸るくらいには、俺も酔っているのかもしれない。
「……私の発音、だいぶネイティブになってきた?」
「ああ。もう現地の人間と変わらないぐらいに。今はふにゃふにゃしてるけどな」
「英語は発音も自信あったのに、あの時は出鼻挫かれたかと思った。…あんな些細な所で引っかかるなんて」
手放したグラスの縁を細い指先が軽く弾く。カツンと高い音が響いた。
英語には自信があるから、此処への赴任も自ら進んで来たと。夢を抱えてニューミリオンにやってくる諸外国の人間は多い。穂香もそのうちの一人だった。
「ネイティブだと言い回しやアクセントも微妙に違ってくるからな。でも、穂香の発音キレイだと思うぜ。聞き取りやすいし」
「そうやってあの時も褒めてくれた。ありがと」
あの時、お世辞なしにそう口にしたのを俺も覚えている。日本人にしては本当に話すのが上手かったし。最初こそ畏まった喋り方だったのが、段々ネイティブに近づいてきて、上達が早かった。
「三年かぁ……あっという間だなぁ最近。忙しいせいもあるんだろうけど」
頬杖をついてそう溜息を漏らす。同じことを言っている身近な人間が頭に浮かんだ。そちらは深刻そうな顔で「一年が早すぎる」とボヤいていた。
「うちの司令も同じこと言ってたぜ。時が加速して流れていってるんじゃないかって。…光陰…」
「光陰矢の如し。月日が経つのはあっという間で、二度と戻って来ないから無駄に過ごしてはならない。……年齢重ねてくとホントそれ実感する。時の流れおかしくなってるんじゃないかってぐらい。何もできてないまま過ぎ去ってく」
「そんなことないだろ。ブティックだって順調に店舗増やしてるみたいだし、売上も好調だって聞いたし」
「まあね。仕事の方はそれなりに充実してるわよ」
穂香はボヤくように呟いて、カウンターの上に腕ごと顔を伏した。その状態で何かもごもごと喋ってるみたいだけど、流石に聞き取れない。
俺は三分の一まで減ったロックグラスを傾けた。
そういえば、このバーだったな。俺がトライアウトに合格して、【HELIOS】入所前に前祝いだって飯を奢ってくれるって話があった。
勿論、喜んで行ったさ。トライアウトに向けてトレーニングとかで色々忙しかったから、その頃は中々ゆっくり話せる時間無かったし。久々だったから、嬉しかった。その時はダーツの勝負もするかって事前に打ち合わせもしてたんだよな。
穂香は待ち合わせ場所に先に来ていた。でも、電話中だったから終わるまで待とうと少し離れた場所で様子を窺っていた。
前の日には弟分たちが祝ってくれた。結構遅くまで喋り倒したせいで、眠かったのも覚えている。それでもこの日だけは断らないと決めていた。それだけ楽しみにしてたからな。
相手との電話は長引いているようだった。もしかしたら、日本にいる恋人かもしれない。寝ぼけた頭でもそう直感が働いた。
故郷に恋人がいると知ったのは割と最初の方だ。それを聞いたときは正直凹んださ。いいなって思ってた子に彼氏がいるって聞いたら、そりゃ凹むだろ。ことある毎に相手のことを話す彼女はとても嬉しそうで、その度に胸が痛んだ。それでも、友達として長く付き合っていけたら。そう、思っていた。
ぼうっと遠くからその姿を眺めていた。そのうち、電話を終えた穂香がスマホをじっと見つめていた。今思うと、少し思いつめていた表情だった気がする。この時の俺はそこまで気が回らなくて、電話が終わった彼女の方へ近づいていった。
「よ、お待たせ。…電話、もういいのか?もう少し話してて良かったんだぜ。日本からのラブコールだったんだろ」
「……その彼氏とたった今別れました」
要らない方に気を使ってしまったのと、地雷を踏んでしまったことには今でも後悔している。
あの展開は流石に予想してなかったんだよ。滅多に弱音吐いたり、泣き言を口にしない穂香が声も出さずにボロボロ泣き出すもんだから。眠気なんかも一気に吹き飛んじまった。
これじゃあ飯どころの話じゃないし、とりあえずその辺に座って泣き止むのを待ったさ。道行く人にはまるで俺が泣かしたみたいな目でも見られていた。
黙って泣いていた彼女になんて声掛けたかよく思いだせない。三か月前程度のことなのに。それだけ動揺していたんだよ、俺が。
それからようやく落ち着いた頃に帰るかと声を掛けようとした時だ。急に立ち上がって「ご飯、行くわよ」と言った。泣き腫らした目にしては、スッキリしたような顔だった。立ち直りの早さに驚きもしたが、その後は予想通りヤケ酒になったわけで。
こんな風に突っ伏していた。拗ねたり、時々思い返しては泣いたり。
薄くなったバーボンを喉に流し込む。飴玉ぐらいに小さくなった氷がグラスの中に落ちた。
もう三年か。いや、三年も何してんだ俺。友達関係のまま何一つ進展してないじゃないか。
あの時はチャンスなんじゃないかと考えもしたさ。フラれて傷心状態の彼女に優しい声掛けて、俺なら君を泣かせないとかなんとか、歯の浮くような台詞で。いやいや、これだと最低な男だ。人の弱みに付け込むのはダメだ。
結局その時、肩を抱こうとした行き場のない手が納まったのは小さな頭の上。「俺でよけりゃ、いつでも話聞くからさ」と。そう慰めるだけで精一杯だった。
「Mr.アドラー!」
「うおっ…な…なんだ?」
突っ伏していた穂香が急に顔をがばっと上げて、俺の方を睨みつけてきた。目が据わってきたな。
「そういえば、まだ弊社のブランドお買い上げ頂いてませんよねぇ」
「…えーと、そうだったか?でも、宣伝効果は出てるだろ?結構気に入ってるヤツら多いし」
「宣伝はね。おかげさまで口コミで広まって、評判も上々。ですが、貴方様からはまだオーダー頂いてないですね」
ブランドの宣伝を手伝う形で、服の話題が出ればそれを口にしてきた。俺が話すよりも相手の方が詳しいことも多かったな。意外と知られてるブランドだったから。弟分たちにも教えてやったら喜んでたし。話題のネタとしてはこちらも助かっていた。
じーっと俺の方を眺めてくる視線をかわして、空になったグラスをカウンターにいるマスターの方へ持ち上げる。
「マスター。同じのもう一つ」
「私も」
「すみませんあと水二つ。…飲みすぎじゃないか」
「まだ余裕だし。話逸らさないで。いつになったら弊社ブランドお買い上げ頂けるんですかね」
知り合ったばかりの頃に「じゃあ今度買うよ」と軽々しく口にしてしまったのが仇になっているようだ。その頃は女性向けのものしか扱ってなかったけど、今はメンズも取り扱い始めたとかで。当時は「彼女たちに買ってあげたら喜ばれるんじゃないの」とも痛いところを突かれもした。
「弊社のブランドをどうぞ御贔屓に」と決まった宣伝文句を度々言われることもあった。その度に適当にはぐらかしてきたし、向こうも押し売りする気はなかった。所詮口約束だし、そのうち言ってこなくなるだろうと思ってたんだけどな。
それが今日はやけに食い下がってくる。酔いが回ってるせいもあるかもしれない。
「あー…その、プレゼントする相手が生憎だな」
いつものようにそう濁して話せば、口を尖らせて子供みたいに拗ねていた。
「紳士服やアクセも展開し始めたんだから、気に入ったのあればいつでも声掛けて」
「分かってるって」
「その子の好みがわかればコーディネート考えてあげるわよ」
「好み、ねぇ。…穂香はどういうのが好きなんだ?」
「私?」
頼んだロックグラスと水が二つずつ目の前に置かれた。穂香が先に手を付けたのは水のグラスだった。やっぱり相当酔ってるだろ。
耳元のピアスに店内の照明が反射し、一瞬だけ煌めく。水を飲み下すその横顔に少し、見惚れている自分がいた。グラスの水を半分以上飲み干した後に、さっきの答えが返ってくる。
「自分がデザインした物は好みが反映されてるから勿論気に入ってる。同僚や先輩がデザインしたやつで好きなのもあるし…一概にはどれが好きとは言えないかも」
「穂香は服のセンスいいからな。なんでも着こなしちまうし……そのピアスも気に入ってくれてるみたいで、良かったよ」
「うん。これシンプルでどの服にも合わせやすいから気に入ってるのよ」
去年の誕生日に俺から贈った一対のピアス。悩みに悩んで選んだのは一粒天然石のもの。一番扱いやすいと思って、それを選んだ。色はグリーンが好きだと前に聞いていたから、ペリドットを。
ちゃんと使ってくれてるんだな。見る度に嬉しくなるんだ。今の言葉を聞いたら尚だ。自然と笑みも綻んでくる。
水を飲み干した後、新しいグラスに手を付けずにぼうっとしているようだった。頬杖をついて前をぼんやりとみている。そして腕を枕にしてまたカウンターに伏せた。目元だけ覗かせて、瞼を閉じた。
「ねむい」
「おいおい…だから飲みすぎだって言っただろ」
「……いいのよ。明日は休みだし。昼まで惰眠を貪るんだから」
「何時まで寝ようと構わないけどさ。ちゃんと帰れるのか」
腕を抱え込んで完全に睡眠モードに入ろうとしていた。
「ヒーローが送ってくれるから問題なし」
「…そのヒーローってのは、俺のことなんだよな」
溜息も零したくなるってもんだ。信頼されてんなぁ俺。悲しいことに。
今度は眠そうな目でこっちを見上げてきた。
「同室のねぼすけ君、背負ってミーティングルームまで運んだことあるんでしょ」
「おいおい。こっからイーストヴィレッジまで背負っていけってか?注目されて恥ずかしいのはそっちだぜ」
「だいじょうぶよ、私は自分の足で歩けるから。ボディガードで付き添ってくれればそれで」
「……分かった分かった。ちゃんと家まで送り届けてやるよ」
「ありがと」
ふにゃりと笑いかけてきた顔を直視できなくて、つい目を逸らしてしまう。酒のグラスに手を伸ばそうとして、水の方に伸ばす。
「ガストは優しいよねぇ。ガストの半分は優しさで出来てるのかなー」
「あと半分は?」
「あと半分は……水分?人体は六割が水で出来ていて……あれ、それだと半分じゃなくて四割しか優しがないね。まぁいいか~」
「いいのかよ」
そうやって楽しそうに相手が笑うもんだから、このままの関係でもいいのかと思うこともある。
飲み込んだ言葉はこれで何度目だろうな。
「ガストと会ってからもう三年も経つんだっけ?」
ロックグラスの氷がカランと空回りする音を立てた。
残り僅かとなった酒は溶け出した氷でかなり薄くなってきている。馴染みのバーで飲み始めてから二時間くらい経っただろうか。飲みの相手は既に酔いが心地よく回ってきているようで、手元の空になったグラスで遊び始めている。穂香は元々酒に強い方じゃない。その癖が酔いの兆しだと気づいたのはいつだったかな。
「そうだな。誕生日、三回祝ってもらってるし」
「私がニューミリオンに来てから三年目かぁ」
あれは三年前の夏だったな。汗ばむくらいに気温が上がってる日で、サウスのストリートを歩いている時だった。
冷たいドリンクを販売している屋台から声が聞こえてきたんだ。言い争いとまではいかねぇけど、結構な声量だったからそっちを見てみると、店員と女性客がお互いに困った顔していた。客の方は観光客なのか、髪の色や肌からアジア系な感じだった。どうも話が通じてないみたいだったから、間に入ってやったんだ。
とりあえず、二人の話を止めさせて先に店員の話を聞いた。単語の意味が分からないという意見。それから観光客の話を聞いて、正直驚いた。普通に英語が話せるじゃないか。俺の話すことも理解してるし、返しも速い。これで何が通じなかったのかとよくよく聞いてみた。その時はよく勘が働いたと思う。
店員と客の間でチョコレートの比率のことで揉めていたようだ。俺は微妙なアクセントの違いで誤解が生まれていたことに気づく。女性客はチョコレートドリンクでミルクとの比率を等しくしてほしいという主張だった。
それを店員に伝えると、すぐに分かってもらえて、用意したドリンクを女性客に渡してくれた。
「ありがとう」とお礼も言われたし、これで俺はお役御免だなとその場を離れようとした時だった。
「Freeze wait」と聞こえた気がして、立ち止まっちまった。相手にとっては咄嗟に出てきたフレーズとはいえ、そう言われて立ち去るワケにもいかない。余計な事しちまったかなとさえ思っていた。でも、それならそもそもお礼なんて言わないはずだ。
とりあえずその場で待っていると、俺の目の前にカップドリンクが差し出された。
「せめてもの御礼です」と律儀な礼をされたのが穂香との出会いだった。
三年も前になると懐かしい思い出だ。あれこれくだらない話が多いのは今と変わり映えしない。
「そーいえば、あの時」
「…ん?」
「なんで通訳に入ってくれたの」
「あ…ああ、あの時か。なんか困ってる観光客みたいのがいるなーって思ったんだ。困ってるヤツは放っておけなかったからな。まぁ、話聞いたら観光客じゃなくて仕事でこっち来てたって後から知ったけどさ」
突然振られた『あの時』の話。相手も俺と同じ様にあの日のことを思い出していたのかもしれない。同じことを考えていたんだと思うと、少しくすぐったくなる。不意の思い出話に浸るくらいには、俺も酔っているのかもしれない。
「……私の発音、だいぶネイティブになってきた?」
「ああ。もう現地の人間と変わらないぐらいに。今はふにゃふにゃしてるけどな」
「英語は発音も自信あったのに、あの時は出鼻挫かれたかと思った。…あんな些細な所で引っかかるなんて」
手放したグラスの縁を細い指先が軽く弾く。カツンと高い音が響いた。
英語には自信があるから、此処への赴任も自ら進んで来たと。夢を抱えてニューミリオンにやってくる諸外国の人間は多い。穂香もそのうちの一人だった。
「ネイティブだと言い回しやアクセントも微妙に違ってくるからな。でも、穂香の発音キレイだと思うぜ。聞き取りやすいし」
「そうやってあの時も褒めてくれた。ありがと」
あの時、お世辞なしにそう口にしたのを俺も覚えている。日本人にしては本当に話すのが上手かったし。最初こそ畏まった喋り方だったのが、段々ネイティブに近づいてきて、上達が早かった。
「三年かぁ……あっという間だなぁ最近。忙しいせいもあるんだろうけど」
頬杖をついてそう溜息を漏らす。同じことを言っている身近な人間が頭に浮かんだ。そちらは深刻そうな顔で「一年が早すぎる」とボヤいていた。
「うちの司令も同じこと言ってたぜ。時が加速して流れていってるんじゃないかって。…光陰…」
「光陰矢の如し。月日が経つのはあっという間で、二度と戻って来ないから無駄に過ごしてはならない。……年齢重ねてくとホントそれ実感する。時の流れおかしくなってるんじゃないかってぐらい。何もできてないまま過ぎ去ってく」
「そんなことないだろ。ブティックだって順調に店舗増やしてるみたいだし、売上も好調だって聞いたし」
「まあね。仕事の方はそれなりに充実してるわよ」
穂香はボヤくように呟いて、カウンターの上に腕ごと顔を伏した。その状態で何かもごもごと喋ってるみたいだけど、流石に聞き取れない。
俺は三分の一まで減ったロックグラスを傾けた。
そういえば、このバーだったな。俺がトライアウトに合格して、【HELIOS】入所前に前祝いだって飯を奢ってくれるって話があった。
勿論、喜んで行ったさ。トライアウトに向けてトレーニングとかで色々忙しかったから、その頃は中々ゆっくり話せる時間無かったし。久々だったから、嬉しかった。その時はダーツの勝負もするかって事前に打ち合わせもしてたんだよな。
穂香は待ち合わせ場所に先に来ていた。でも、電話中だったから終わるまで待とうと少し離れた場所で様子を窺っていた。
前の日には弟分たちが祝ってくれた。結構遅くまで喋り倒したせいで、眠かったのも覚えている。それでもこの日だけは断らないと決めていた。それだけ楽しみにしてたからな。
相手との電話は長引いているようだった。もしかしたら、日本にいる恋人かもしれない。寝ぼけた頭でもそう直感が働いた。
故郷に恋人がいると知ったのは割と最初の方だ。それを聞いたときは正直凹んださ。いいなって思ってた子に彼氏がいるって聞いたら、そりゃ凹むだろ。ことある毎に相手のことを話す彼女はとても嬉しそうで、その度に胸が痛んだ。それでも、友達として長く付き合っていけたら。そう、思っていた。
ぼうっと遠くからその姿を眺めていた。そのうち、電話を終えた穂香がスマホをじっと見つめていた。今思うと、少し思いつめていた表情だった気がする。この時の俺はそこまで気が回らなくて、電話が終わった彼女の方へ近づいていった。
「よ、お待たせ。…電話、もういいのか?もう少し話してて良かったんだぜ。日本からのラブコールだったんだろ」
「……その彼氏とたった今別れました」
要らない方に気を使ってしまったのと、地雷を踏んでしまったことには今でも後悔している。
あの展開は流石に予想してなかったんだよ。滅多に弱音吐いたり、泣き言を口にしない穂香が声も出さずにボロボロ泣き出すもんだから。眠気なんかも一気に吹き飛んじまった。
これじゃあ飯どころの話じゃないし、とりあえずその辺に座って泣き止むのを待ったさ。道行く人にはまるで俺が泣かしたみたいな目でも見られていた。
黙って泣いていた彼女になんて声掛けたかよく思いだせない。三か月前程度のことなのに。それだけ動揺していたんだよ、俺が。
それからようやく落ち着いた頃に帰るかと声を掛けようとした時だ。急に立ち上がって「ご飯、行くわよ」と言った。泣き腫らした目にしては、スッキリしたような顔だった。立ち直りの早さに驚きもしたが、その後は予想通りヤケ酒になったわけで。
こんな風に突っ伏していた。拗ねたり、時々思い返しては泣いたり。
薄くなったバーボンを喉に流し込む。飴玉ぐらいに小さくなった氷がグラスの中に落ちた。
もう三年か。いや、三年も何してんだ俺。友達関係のまま何一つ進展してないじゃないか。
あの時はチャンスなんじゃないかと考えもしたさ。フラれて傷心状態の彼女に優しい声掛けて、俺なら君を泣かせないとかなんとか、歯の浮くような台詞で。いやいや、これだと最低な男だ。人の弱みに付け込むのはダメだ。
結局その時、肩を抱こうとした行き場のない手が納まったのは小さな頭の上。「俺でよけりゃ、いつでも話聞くからさ」と。そう慰めるだけで精一杯だった。
「Mr.アドラー!」
「うおっ…な…なんだ?」
突っ伏していた穂香が急に顔をがばっと上げて、俺の方を睨みつけてきた。目が据わってきたな。
「そういえば、まだ弊社のブランドお買い上げ頂いてませんよねぇ」
「…えーと、そうだったか?でも、宣伝効果は出てるだろ?結構気に入ってるヤツら多いし」
「宣伝はね。おかげさまで口コミで広まって、評判も上々。ですが、貴方様からはまだオーダー頂いてないですね」
ブランドの宣伝を手伝う形で、服の話題が出ればそれを口にしてきた。俺が話すよりも相手の方が詳しいことも多かったな。意外と知られてるブランドだったから。弟分たちにも教えてやったら喜んでたし。話題のネタとしてはこちらも助かっていた。
じーっと俺の方を眺めてくる視線をかわして、空になったグラスをカウンターにいるマスターの方へ持ち上げる。
「マスター。同じのもう一つ」
「私も」
「すみませんあと水二つ。…飲みすぎじゃないか」
「まだ余裕だし。話逸らさないで。いつになったら弊社ブランドお買い上げ頂けるんですかね」
知り合ったばかりの頃に「じゃあ今度買うよ」と軽々しく口にしてしまったのが仇になっているようだ。その頃は女性向けのものしか扱ってなかったけど、今はメンズも取り扱い始めたとかで。当時は「彼女たちに買ってあげたら喜ばれるんじゃないの」とも痛いところを突かれもした。
「弊社のブランドをどうぞ御贔屓に」と決まった宣伝文句を度々言われることもあった。その度に適当にはぐらかしてきたし、向こうも押し売りする気はなかった。所詮口約束だし、そのうち言ってこなくなるだろうと思ってたんだけどな。
それが今日はやけに食い下がってくる。酔いが回ってるせいもあるかもしれない。
「あー…その、プレゼントする相手が生憎だな」
いつものようにそう濁して話せば、口を尖らせて子供みたいに拗ねていた。
「紳士服やアクセも展開し始めたんだから、気に入ったのあればいつでも声掛けて」
「分かってるって」
「その子の好みがわかればコーディネート考えてあげるわよ」
「好み、ねぇ。…穂香はどういうのが好きなんだ?」
「私?」
頼んだロックグラスと水が二つずつ目の前に置かれた。穂香が先に手を付けたのは水のグラスだった。やっぱり相当酔ってるだろ。
耳元のピアスに店内の照明が反射し、一瞬だけ煌めく。水を飲み下すその横顔に少し、見惚れている自分がいた。グラスの水を半分以上飲み干した後に、さっきの答えが返ってくる。
「自分がデザインした物は好みが反映されてるから勿論気に入ってる。同僚や先輩がデザインしたやつで好きなのもあるし…一概にはどれが好きとは言えないかも」
「穂香は服のセンスいいからな。なんでも着こなしちまうし……そのピアスも気に入ってくれてるみたいで、良かったよ」
「うん。これシンプルでどの服にも合わせやすいから気に入ってるのよ」
去年の誕生日に俺から贈った一対のピアス。悩みに悩んで選んだのは一粒天然石のもの。一番扱いやすいと思って、それを選んだ。色はグリーンが好きだと前に聞いていたから、ペリドットを。
ちゃんと使ってくれてるんだな。見る度に嬉しくなるんだ。今の言葉を聞いたら尚だ。自然と笑みも綻んでくる。
水を飲み干した後、新しいグラスに手を付けずにぼうっとしているようだった。頬杖をついて前をぼんやりとみている。そして腕を枕にしてまたカウンターに伏せた。目元だけ覗かせて、瞼を閉じた。
「ねむい」
「おいおい…だから飲みすぎだって言っただろ」
「……いいのよ。明日は休みだし。昼まで惰眠を貪るんだから」
「何時まで寝ようと構わないけどさ。ちゃんと帰れるのか」
腕を抱え込んで完全に睡眠モードに入ろうとしていた。
「ヒーローが送ってくれるから問題なし」
「…そのヒーローってのは、俺のことなんだよな」
溜息も零したくなるってもんだ。信頼されてんなぁ俺。悲しいことに。
今度は眠そうな目でこっちを見上げてきた。
「同室のねぼすけ君、背負ってミーティングルームまで運んだことあるんでしょ」
「おいおい。こっからイーストヴィレッジまで背負っていけってか?注目されて恥ずかしいのはそっちだぜ」
「だいじょうぶよ、私は自分の足で歩けるから。ボディガードで付き添ってくれればそれで」
「……分かった分かった。ちゃんと家まで送り届けてやるよ」
「ありがと」
ふにゃりと笑いかけてきた顔を直視できなくて、つい目を逸らしてしまう。酒のグラスに手を伸ばそうとして、水の方に伸ばす。
「ガストは優しいよねぇ。ガストの半分は優しさで出来てるのかなー」
「あと半分は?」
「あと半分は……水分?人体は六割が水で出来ていて……あれ、それだと半分じゃなくて四割しか優しがないね。まぁいいか~」
「いいのかよ」
そうやって楽しそうに相手が笑うもんだから、このままの関係でもいいのかと思うこともある。
飲み込んだ言葉はこれで何度目だろうな。