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鬼が笑う話
【ニューイヤー・ヒーローズ】の放送翌日。
流石に正月気分が抜けてきたのか、リトルトーキョーも普段の光景に戻りつつあった。昨日の放送を見た視聴者がちらほらいるようで、和菓子や雑貨を売る店が混雑する様子が見られる。
日本ならではの正月飾りが軒先に見えなくなると、少し物寂しい気もする。
神社に向かう途中にある通りに出ていた屋台も一つ残らず撤退していた。聞けば、祭り事がある時に出店するらしい。あの屋台で売ってたタコ焼き、美味かったなぁ。次にありつけるのは暫く先になりそうだ。
「……でさ、獅子舞っていうヤツがいたんだ。ちょうどあの辺だな。アレに噛まれると厄除けになるって聞いた時は驚いた」
「獅子舞かぁ…私も物心つく前に親に連れてこられて、噛んでもらったらしいんだけど。怖くてギャン泣きしたって聞いた。あれ、子どもには相当怖い記憶として残るわよ」
「…だろうなぁ。大人でも初めて見たら身構えるっての」
真っ赤な頭に金色の歯。しかも顔がだいぶ厳つかった。大口を開けて、カチカチと歯を打ち鳴らしてんのは威嚇してるのかと思うほどだ。あの口の中に頭を入れろって急に言われても、躊躇っちまうよな。
「ガストは噛んでもらったの?」
「あぁ。これで今年は厄を祓えて良い年になりそうだぜ」
「ご利益あるといいわね」
「ご利益か…それならもうあった。穂香とこうして神社に来られたし。早速叶ったぜ」
カウントダウンの花火を並んで見上げて、ニューイヤーを一緒に迎えた。それだけでも嬉しかったていうのに、年が明けて割とすぐに会えたし。これは新年初デートってことでいいんだよな。
隣にいる彼女が小さく笑った。
「ご利益って言わないでしょ、それ」
「好きな子に早く会いたいってのは、俺にとって大事なことだよ。まぁ…あとは【ニューイヤー・ヒーローズ】の企画が大成功に終わったのもご利益のおかげかもな」
最初は話を聞いて、アキラの考えた企画の裏方みたいな手伝いをしていた。縁の下の力持ちのつもりが、いつの間にか俺とウィルも出演することになったし。餅つきの練習も毎日やったおかげか、ウィルとも少しは打ち解けたような気がする。
放送当日もアクシデントが多発したけど、力を合わせて乗り越えられたしな。うん、今年は仕事もいい兆しが見えそうだ。
「あ、そういや羽根つきも厄除けの遊びだって聞いた」
「え、そうなの?知らなかった」
卓球のラケットよりも横幅が狭くて、細長い四角い板で羽根がついた小さな球をバドミントンの要領で打ち返す遊び。落としたら顔に墨で容赦なく落書きされる。
ウィルはアキラとレンの幼馴染だからか、日本の正月遊びのこともよく知っていた。それを日本人でも知らないってことあるんだな。意外そうに俺が聞き返せば穂香は口を尖らせた。
「だって遊んだことないもの。学校でも詳しく…習ったのかしら。昔過ぎて憶えてないわ。家の周りじゃ羽根つきで遊べるような場所なかったし。凧揚げもそう。広い場所じゃないと電線に引っかかるから、現代日本では中々できない遊びよ」
教科書や本の中でしか紹介されないらしい。伝統的な遊びが廃れないよう配慮はしてるらしいが、実際にやってみるのは厳しい現実だと話す。
「じゃあ今度やろうぜ。道具用意するからさ」
「いいけど、今度って来年の話になるわね。正月以外に羽根つきするのも違和感あるし。……友達からヘルプ頼まれなければ、三が日で初詣行けたのに。ほんとゴメン」
着物で着飾った女性二人組が神社から出てきた。花柄って一言で表現するには沢山種類がありすぎるし、帯や髪飾りも華やかで綺麗だ。
普段見慣れない衣装だから俺は新鮮でいいなぁと思うけど、穂香は新年早々に友達のレンタル衣装の着付け手伝いをさせられたとかで。「しばらくは着物見たくないかも」とうんざりしている様子。
「ダチが困ってたんなら仕方ないって。それにこっちは日本と違って、年明けたらすぐに仕事始まるし…休み明けの仕事はしんどいよな」
「ほんとそれ。リフレッシュは充分できたけど、その反動が辛いのよ。…慣れない着付けで倍は疲れたし。日本人だから着物の着付けは簡単でしょ、って。偏見にも程があるわ。そりゃ、着付けは習ったけど…私は洋装の方が好きだし。学生時代の微かな記憶を手繰り寄せてなんとか。大変だったんだから」
この時季は着物をレンタルして初詣に行くというのがオーソドックスだそうだ。穂香の友達が勤めてるレンタルスタジオも大繁盛で、まさに猫の手も借りたい状態だったと。もしかしたら、俺たちが放送当日に着たヤツもそこから借りたのかもしれない。
「お、お疲れさん。頑張った分、良いことあるぜきっと」
「ありがと。…まぁ、ガストに会えて話ができたから、良いことはもうあったわ。……なーんてね。さっきの真似してみた」
そこで茶目っ気たっぷりに笑うもんだから、急に頬が熱を帯びた。
こんな風に笑った顔が見られたのも、ご利益のおかげってやつかもしれない。今年も笑った顔が沢山見られるといいな。勿論、俺の隣で。
赤い鳥居をくぐり抜け、道の中央に寄ろうとしたら穂香に腕をぐいと引っ張られた。
「真ん中は歩いちゃダメよ。そこは神様の通り道だから、私たちは端を歩くの」
「そうなのか?……細かいマナーってやっぱ現地の人間の方が詳しいんだな」
「初詣一緒に行った子たちから聞かなかったの?」
「…あー。神様にお願いする前に、手を洗うってのは聞いた」
弟分の一人が初詣について調べてきたと嬉しそうに話してた。その話を聞いた上で、見様見真似で手を洗った。確か手を洗う場所に手順が描かれたものがあったはず。英語でも書いてあった。
「私も毎回来ているわけじゃないし、そんなに詳しくはないけど…とりあえず、真ん中は歩いちゃダメってことは覚えてる」
「なるほどな。それくらいなら覚えやすい。今度あいつらにも教えておくよ」
他にも、鳥居は玄関みたいなものだから「お邪魔します」っていう意味でお辞儀をしてからくぐるらしい。これも初めて聞いた。弟分たちと来た時は雑談しながらだったし、多分道の真ん中歩いてた気がする。
手水舎という名前がついた場所で手を洗う。これは洗うというより、清めると言った方が正しいそうだ。
日本の神社について少しは知識を得たつもりだったけど、なんか知ったかぶりみたいになっちまった。
そしていざお参りって時に、ふと気づいたことがある。もしかして、マナー違反になるんじゃないかこれ。
「どうしたの、ガスト?」
「なんか色々勘違いしてたり、間違って覚えてたし…俺のすることマナー違反になるかもって。穂香が参拝してる間、俺はどうしてたらいいんだ?」
「どうって…お参りしないの?」
「だって、二回もお願いしたら欲張りになるだろ」
新年を迎えてすぐに俺は弟分たちに誘われて初詣に来ている。賽銭を投げ入れて、鈴を鳴らして、手の平を打ち合わせた。願い事もしっかり伝えたし、二度も三度もするのはいけないんじゃないかって。
俺の考えをそのまま伝えると、穂香は不思議そうに首を傾げていたが、ポンと手を打って見せた。
「ああ、なるほどね。ガストは一回しかお参りしちゃいけないって思ってるんだ」
「初詣ってそういうもんじゃないのか?」
「んー…ニュアンス的にはそう感じるのかもね。初詣は一般的には三が日、松の内までに行くのが良いって言われてる。因みに松の内は七日までね。でも、場所によっては旧正月が終わるまでが初詣期間。まぁ、この際期間のことは置いといて…初詣は何回行ってもいいものなのよ。そうじゃなきゃ、この友達とは初詣に行くけど、別の友達とは約束できない…ってなっちゃうでしょ?」
「あ……言われてみればそうだな。もう行ってきたからお前とは行けないってなっちまう」
「そうよ。だから、何回行ってもオーケー。お願い事は違うものにすればいいし」
ためになることを聞いた。これも教えてやらないとな。感嘆の声ばかりあげていれば「目から鱗って顔してる」と笑われた。恋人としてはまだ一ヶ月しか経ってないけど、友達としては長い付き合いになる。それでも知らない知識がまだまだありそうだ。
賽銭箱の上にぶら下がっている鈴を見上げる。それにしても、何度も願い事を聞いてくれる日本の神様って気前がいいもんだな。安心してお願い事ができそうだ。
俺たちはそれぞれ賽銭を投げ入れて、手首くらいの太さがある紐を掴んで鈴を鳴らした。がらん、がらんと大きな音が響く。
心の中で願い事を呟いている途中、ある違和感を覚えた。静寂に包まれている。前回来た時と違って、人が殆どいないせいで静けさが際立っていた。周囲の話し声に会話がかき消されることも無いし、願い事に集中できる。
厳かな雰囲気ってヤツを感じながらお辞儀をして、後ろに並んでいた参拝客に場所を譲った。
「帰りも端を歩いていった方がいいんだよな」
「ええ」
「穂香は何をお願いしたんだ?」
甲高い鳴き声の鳥が側にある木から何羽も飛び立っていった。鳥と言えば、初夢に鷹が出てくると縁起が良いってウィルが言ってたな。
「ガストが怪我をせずに、今年一年活躍できますようにって」
「え…嬉しいけど、自分のことお願いしなくて良かったのか」
「だってガストが怪我したら心配になるし…私のためでもあるから」
「……穂香って優しいよな、そういうとこ」
そういや、まだヒーローになりたての頃に怪我をして、結構心配された気がする。確か、パトロール終わった後に偶然会って、メシ食いに行った日だ。パスタ巻くの下手だなぁと話してた。半年ぐらい前のことを思い出してるうちに、芋づる式に記憶が甦ってきた。間接キスのことを。すると一気に恥ずかしさがこみ上げてきて、さっきの比じゃないぐらい顔が熱くなった。
「…ガスト、どうしたの?寒さで顔赤くなるにしても、赤すぎるけど」
「えっ!?あ、いや……なんでもない。ははっ……怪我には気をつけるよ」
「ガストは何お願いしたの?」
「俺は…日本に行けますようにって。穂香と一緒に」
俺の願い事が意外だったのか、驚いたように褐色の目を丸くする。穂香の瞳は光が当たると透明度が増して、濃いトパーズみたいにキラキラして見えるんだ。本人は「限りなく焦げた茶色だから、ガストの瞳の色が羨ましい」って言ってくるけど。俺は穂香の瞳、綺麗だと思う。
それに、穂香から日本の話を聞く度に実際に見てみたいとか、行ってみたいって思っていた。会話の相槌程度にそう口にしてきたフレーズ。実現させたい。定番の観光地を巡るのも良さそうだし、欲を言うなら一番見たい景色がある。薄紅色の花びらが舞う季節の日本だ。
「桜吹雪ってヤツ、実際に見てみたいんだ」
「桜吹雪か…そういえば私もしばらく見てないわ。それなら…うん、あの場所が良さそう」
「いい場所知ってるのか」
「ええ、私のお気に入りの場所。通ってたハイスクールの近所にあるの」
「へぇ…そいつは楽しみだ。ああ、あとさ…穂香が生まれ育った場所も見たい」
「いいわよ、案内するわ。家族も紹介するわね」
「……家族って、穂香のご両親ってことだよな。……何着てけばいいんだ?」
日本に行くなら、折角だし会っておきたい。でも、変なヤツだって思われたくないし。まともな格好していけばそれなりに見えるか。でも、どんな格好がいいんだ。やっぱりスーツか。ちょっと気取りすぎとか言われそうだな。
少し未来の話で悩んでいる俺の横から、また可笑しそうに笑う声がした。
「笑いごとじゃないって。……第一印象って大切だろ?」
「それはそうだけど。初対面…ガストの顔は向こうも知ってるけど、いきなり畏まられても身構えちゃうわよ。肩の力入れずに、普段通りでいいんじゃないかしら」
「普段通りか…。あ、日本語少しは覚えていった方がいいよな」
「そのままでいいと思うわ。逆に潔くていいと思うし、日常的な挨拶ぐらいできればそれで。通訳は私に任せて」
「そいつは心強いな。…まぁ、話せなくてもリスニングだけは出来るようにしとくよ」
日本語の勉強、時間作ってやるようにしよう。ひらがな、カタカナ、漢字って多彩な言語だから大変なんだよな。魚の名前をずらっと見た時は全部同じに見えた。
「先のこととか、来年の話を年明けにしてるのおかしいわね」
「なんでだ?」
「日本の諺に『来年の話をすると鬼が笑う』ってあるのよ。将来のことをあれこれ言っても、どうなるか分からないから意味がないのにって鬼がバカにして笑うの」
「…別に笑わなくてもいいだろ?その鬼に先の出来事を考える楽しみってのを教えてやりたいぜ」
俺がそう言えば、隣で白い吐息が震えるようにして消えていった。
「そうね。…ガストの前向きさに今年も助けられそう。…じゃあ来年は二人で着物を着て、初詣に行けたらいいわね」
「あぁ!それいいな。穂香の着物姿楽しみだ。餅つきも任せてくれよ。餅を焼くのもコツ掴んだし…アレンジもお手の物だ」
「待って。ガスト、確か餅つきの捏ねる方だったわよね?私が杵振り上げるの腕力的に厳しいんだけど」
「じゃあ、役割交代で」
「……餅つきもしたことないけど、頑張ってみるわ」
先の楽しみが一つ、また一つと増えていく。きっとこの先も益々増えていくんだろう。鬼もどうせ笑うなら、こいつら微笑ましいなって感じで笑ってくれりゃいい。
【ニューイヤー・ヒーローズ】の放送翌日。
流石に正月気分が抜けてきたのか、リトルトーキョーも普段の光景に戻りつつあった。昨日の放送を見た視聴者がちらほらいるようで、和菓子や雑貨を売る店が混雑する様子が見られる。
日本ならではの正月飾りが軒先に見えなくなると、少し物寂しい気もする。
神社に向かう途中にある通りに出ていた屋台も一つ残らず撤退していた。聞けば、祭り事がある時に出店するらしい。あの屋台で売ってたタコ焼き、美味かったなぁ。次にありつけるのは暫く先になりそうだ。
「……でさ、獅子舞っていうヤツがいたんだ。ちょうどあの辺だな。アレに噛まれると厄除けになるって聞いた時は驚いた」
「獅子舞かぁ…私も物心つく前に親に連れてこられて、噛んでもらったらしいんだけど。怖くてギャン泣きしたって聞いた。あれ、子どもには相当怖い記憶として残るわよ」
「…だろうなぁ。大人でも初めて見たら身構えるっての」
真っ赤な頭に金色の歯。しかも顔がだいぶ厳つかった。大口を開けて、カチカチと歯を打ち鳴らしてんのは威嚇してるのかと思うほどだ。あの口の中に頭を入れろって急に言われても、躊躇っちまうよな。
「ガストは噛んでもらったの?」
「あぁ。これで今年は厄を祓えて良い年になりそうだぜ」
「ご利益あるといいわね」
「ご利益か…それならもうあった。穂香とこうして神社に来られたし。早速叶ったぜ」
カウントダウンの花火を並んで見上げて、ニューイヤーを一緒に迎えた。それだけでも嬉しかったていうのに、年が明けて割とすぐに会えたし。これは新年初デートってことでいいんだよな。
隣にいる彼女が小さく笑った。
「ご利益って言わないでしょ、それ」
「好きな子に早く会いたいってのは、俺にとって大事なことだよ。まぁ…あとは【ニューイヤー・ヒーローズ】の企画が大成功に終わったのもご利益のおかげかもな」
最初は話を聞いて、アキラの考えた企画の裏方みたいな手伝いをしていた。縁の下の力持ちのつもりが、いつの間にか俺とウィルも出演することになったし。餅つきの練習も毎日やったおかげか、ウィルとも少しは打ち解けたような気がする。
放送当日もアクシデントが多発したけど、力を合わせて乗り越えられたしな。うん、今年は仕事もいい兆しが見えそうだ。
「あ、そういや羽根つきも厄除けの遊びだって聞いた」
「え、そうなの?知らなかった」
卓球のラケットよりも横幅が狭くて、細長い四角い板で羽根がついた小さな球をバドミントンの要領で打ち返す遊び。落としたら顔に墨で容赦なく落書きされる。
ウィルはアキラとレンの幼馴染だからか、日本の正月遊びのこともよく知っていた。それを日本人でも知らないってことあるんだな。意外そうに俺が聞き返せば穂香は口を尖らせた。
「だって遊んだことないもの。学校でも詳しく…習ったのかしら。昔過ぎて憶えてないわ。家の周りじゃ羽根つきで遊べるような場所なかったし。凧揚げもそう。広い場所じゃないと電線に引っかかるから、現代日本では中々できない遊びよ」
教科書や本の中でしか紹介されないらしい。伝統的な遊びが廃れないよう配慮はしてるらしいが、実際にやってみるのは厳しい現実だと話す。
「じゃあ今度やろうぜ。道具用意するからさ」
「いいけど、今度って来年の話になるわね。正月以外に羽根つきするのも違和感あるし。……友達からヘルプ頼まれなければ、三が日で初詣行けたのに。ほんとゴメン」
着物で着飾った女性二人組が神社から出てきた。花柄って一言で表現するには沢山種類がありすぎるし、帯や髪飾りも華やかで綺麗だ。
普段見慣れない衣装だから俺は新鮮でいいなぁと思うけど、穂香は新年早々に友達のレンタル衣装の着付け手伝いをさせられたとかで。「しばらくは着物見たくないかも」とうんざりしている様子。
「ダチが困ってたんなら仕方ないって。それにこっちは日本と違って、年明けたらすぐに仕事始まるし…休み明けの仕事はしんどいよな」
「ほんとそれ。リフレッシュは充分できたけど、その反動が辛いのよ。…慣れない着付けで倍は疲れたし。日本人だから着物の着付けは簡単でしょ、って。偏見にも程があるわ。そりゃ、着付けは習ったけど…私は洋装の方が好きだし。学生時代の微かな記憶を手繰り寄せてなんとか。大変だったんだから」
この時季は着物をレンタルして初詣に行くというのがオーソドックスだそうだ。穂香の友達が勤めてるレンタルスタジオも大繁盛で、まさに猫の手も借りたい状態だったと。もしかしたら、俺たちが放送当日に着たヤツもそこから借りたのかもしれない。
「お、お疲れさん。頑張った分、良いことあるぜきっと」
「ありがと。…まぁ、ガストに会えて話ができたから、良いことはもうあったわ。……なーんてね。さっきの真似してみた」
そこで茶目っ気たっぷりに笑うもんだから、急に頬が熱を帯びた。
こんな風に笑った顔が見られたのも、ご利益のおかげってやつかもしれない。今年も笑った顔が沢山見られるといいな。勿論、俺の隣で。
赤い鳥居をくぐり抜け、道の中央に寄ろうとしたら穂香に腕をぐいと引っ張られた。
「真ん中は歩いちゃダメよ。そこは神様の通り道だから、私たちは端を歩くの」
「そうなのか?……細かいマナーってやっぱ現地の人間の方が詳しいんだな」
「初詣一緒に行った子たちから聞かなかったの?」
「…あー。神様にお願いする前に、手を洗うってのは聞いた」
弟分の一人が初詣について調べてきたと嬉しそうに話してた。その話を聞いた上で、見様見真似で手を洗った。確か手を洗う場所に手順が描かれたものがあったはず。英語でも書いてあった。
「私も毎回来ているわけじゃないし、そんなに詳しくはないけど…とりあえず、真ん中は歩いちゃダメってことは覚えてる」
「なるほどな。それくらいなら覚えやすい。今度あいつらにも教えておくよ」
他にも、鳥居は玄関みたいなものだから「お邪魔します」っていう意味でお辞儀をしてからくぐるらしい。これも初めて聞いた。弟分たちと来た時は雑談しながらだったし、多分道の真ん中歩いてた気がする。
手水舎という名前がついた場所で手を洗う。これは洗うというより、清めると言った方が正しいそうだ。
日本の神社について少しは知識を得たつもりだったけど、なんか知ったかぶりみたいになっちまった。
そしていざお参りって時に、ふと気づいたことがある。もしかして、マナー違反になるんじゃないかこれ。
「どうしたの、ガスト?」
「なんか色々勘違いしてたり、間違って覚えてたし…俺のすることマナー違反になるかもって。穂香が参拝してる間、俺はどうしてたらいいんだ?」
「どうって…お参りしないの?」
「だって、二回もお願いしたら欲張りになるだろ」
新年を迎えてすぐに俺は弟分たちに誘われて初詣に来ている。賽銭を投げ入れて、鈴を鳴らして、手の平を打ち合わせた。願い事もしっかり伝えたし、二度も三度もするのはいけないんじゃないかって。
俺の考えをそのまま伝えると、穂香は不思議そうに首を傾げていたが、ポンと手を打って見せた。
「ああ、なるほどね。ガストは一回しかお参りしちゃいけないって思ってるんだ」
「初詣ってそういうもんじゃないのか?」
「んー…ニュアンス的にはそう感じるのかもね。初詣は一般的には三が日、松の内までに行くのが良いって言われてる。因みに松の内は七日までね。でも、場所によっては旧正月が終わるまでが初詣期間。まぁ、この際期間のことは置いといて…初詣は何回行ってもいいものなのよ。そうじゃなきゃ、この友達とは初詣に行くけど、別の友達とは約束できない…ってなっちゃうでしょ?」
「あ……言われてみればそうだな。もう行ってきたからお前とは行けないってなっちまう」
「そうよ。だから、何回行ってもオーケー。お願い事は違うものにすればいいし」
ためになることを聞いた。これも教えてやらないとな。感嘆の声ばかりあげていれば「目から鱗って顔してる」と笑われた。恋人としてはまだ一ヶ月しか経ってないけど、友達としては長い付き合いになる。それでも知らない知識がまだまだありそうだ。
賽銭箱の上にぶら下がっている鈴を見上げる。それにしても、何度も願い事を聞いてくれる日本の神様って気前がいいもんだな。安心してお願い事ができそうだ。
俺たちはそれぞれ賽銭を投げ入れて、手首くらいの太さがある紐を掴んで鈴を鳴らした。がらん、がらんと大きな音が響く。
心の中で願い事を呟いている途中、ある違和感を覚えた。静寂に包まれている。前回来た時と違って、人が殆どいないせいで静けさが際立っていた。周囲の話し声に会話がかき消されることも無いし、願い事に集中できる。
厳かな雰囲気ってヤツを感じながらお辞儀をして、後ろに並んでいた参拝客に場所を譲った。
「帰りも端を歩いていった方がいいんだよな」
「ええ」
「穂香は何をお願いしたんだ?」
甲高い鳴き声の鳥が側にある木から何羽も飛び立っていった。鳥と言えば、初夢に鷹が出てくると縁起が良いってウィルが言ってたな。
「ガストが怪我をせずに、今年一年活躍できますようにって」
「え…嬉しいけど、自分のことお願いしなくて良かったのか」
「だってガストが怪我したら心配になるし…私のためでもあるから」
「……穂香って優しいよな、そういうとこ」
そういや、まだヒーローになりたての頃に怪我をして、結構心配された気がする。確か、パトロール終わった後に偶然会って、メシ食いに行った日だ。パスタ巻くの下手だなぁと話してた。半年ぐらい前のことを思い出してるうちに、芋づる式に記憶が甦ってきた。間接キスのことを。すると一気に恥ずかしさがこみ上げてきて、さっきの比じゃないぐらい顔が熱くなった。
「…ガスト、どうしたの?寒さで顔赤くなるにしても、赤すぎるけど」
「えっ!?あ、いや……なんでもない。ははっ……怪我には気をつけるよ」
「ガストは何お願いしたの?」
「俺は…日本に行けますようにって。穂香と一緒に」
俺の願い事が意外だったのか、驚いたように褐色の目を丸くする。穂香の瞳は光が当たると透明度が増して、濃いトパーズみたいにキラキラして見えるんだ。本人は「限りなく焦げた茶色だから、ガストの瞳の色が羨ましい」って言ってくるけど。俺は穂香の瞳、綺麗だと思う。
それに、穂香から日本の話を聞く度に実際に見てみたいとか、行ってみたいって思っていた。会話の相槌程度にそう口にしてきたフレーズ。実現させたい。定番の観光地を巡るのも良さそうだし、欲を言うなら一番見たい景色がある。薄紅色の花びらが舞う季節の日本だ。
「桜吹雪ってヤツ、実際に見てみたいんだ」
「桜吹雪か…そういえば私もしばらく見てないわ。それなら…うん、あの場所が良さそう」
「いい場所知ってるのか」
「ええ、私のお気に入りの場所。通ってたハイスクールの近所にあるの」
「へぇ…そいつは楽しみだ。ああ、あとさ…穂香が生まれ育った場所も見たい」
「いいわよ、案内するわ。家族も紹介するわね」
「……家族って、穂香のご両親ってことだよな。……何着てけばいいんだ?」
日本に行くなら、折角だし会っておきたい。でも、変なヤツだって思われたくないし。まともな格好していけばそれなりに見えるか。でも、どんな格好がいいんだ。やっぱりスーツか。ちょっと気取りすぎとか言われそうだな。
少し未来の話で悩んでいる俺の横から、また可笑しそうに笑う声がした。
「笑いごとじゃないって。……第一印象って大切だろ?」
「それはそうだけど。初対面…ガストの顔は向こうも知ってるけど、いきなり畏まられても身構えちゃうわよ。肩の力入れずに、普段通りでいいんじゃないかしら」
「普段通りか…。あ、日本語少しは覚えていった方がいいよな」
「そのままでいいと思うわ。逆に潔くていいと思うし、日常的な挨拶ぐらいできればそれで。通訳は私に任せて」
「そいつは心強いな。…まぁ、話せなくてもリスニングだけは出来るようにしとくよ」
日本語の勉強、時間作ってやるようにしよう。ひらがな、カタカナ、漢字って多彩な言語だから大変なんだよな。魚の名前をずらっと見た時は全部同じに見えた。
「先のこととか、来年の話を年明けにしてるのおかしいわね」
「なんでだ?」
「日本の諺に『来年の話をすると鬼が笑う』ってあるのよ。将来のことをあれこれ言っても、どうなるか分からないから意味がないのにって鬼がバカにして笑うの」
「…別に笑わなくてもいいだろ?その鬼に先の出来事を考える楽しみってのを教えてやりたいぜ」
俺がそう言えば、隣で白い吐息が震えるようにして消えていった。
「そうね。…ガストの前向きさに今年も助けられそう。…じゃあ来年は二人で着物を着て、初詣に行けたらいいわね」
「あぁ!それいいな。穂香の着物姿楽しみだ。餅つきも任せてくれよ。餅を焼くのもコツ掴んだし…アレンジもお手の物だ」
「待って。ガスト、確か餅つきの捏ねる方だったわよね?私が杵振り上げるの腕力的に厳しいんだけど」
「じゃあ、役割交代で」
「……餅つきもしたことないけど、頑張ってみるわ」
先の楽しみが一つ、また一つと増えていく。きっとこの先も益々増えていくんだろう。鬼もどうせ笑うなら、こいつら微笑ましいなって感じで笑ってくれりゃいい。