sub story
名前変換
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
〇〇しないと出られない三つの部屋
目が覚めるとそこは見慣れない部屋だった。
窓が一つもなく、明かりは天井から吊り下がった蛍光管が室内を照らしている。
壁はコンクリートの打ちっぱなしで壁紙は貼られていない。椅子どころか家具が一つも存在しないこの部屋。まるで空き家みたいにがらんどうだ。荒れてないあたり、管理は行き届いてるとみえる。
何がどうなってる。俺はヒーロースーツのままだし、愛用の小銃もしっかり肩に抱えていた。
まだぼんやりする頭を起こしながら、もたれていた壁から背を浮かす。その時に、隣に同じように壁に背を預けていた穂香がいることに気がついた。
彼女の肩を軽く揺すって呼びかけると、身動いだ後にゆっくりと目を開けた。
「ん……ガスト…?」
夢うつつの状態で俺の声に応え、それから辺りを見渡す。やっぱり見覚えのない場所なのか、顔を顰めた。
「ここ、どこ?」
「俺も気がついたらこの部屋ん中にいた。…なぁ、俺たちさっきまで道端で話してたよな」
「うん。パトロール中だったし、長話は悪いと思って…そろそろ切りあげようとした時…急に意識が遠退いて」
「だよな…とりあえず、どういう状況なのか把握しねぇと…痛いとこ無いか?」
「大丈夫。どこも痛くない」
服の埃を払いながら穂香が立ち上がる。「窓がない」と気になったことを口にしていた。
俺も立ち上がり、小銃を肩に担いだ。
考えられる事象は二つ。何らかの【サブスタンス】の能力に巻き込まれた。もしくは、どっかの組織に捕まっちまったか。だとしても、武器や通信手段も奪わずに監禁するとは考えにくい。身動きもできる状態だ。
幸いお互い怪我もないみたいだし、とにかくこの場所から出ないと。
「多分、【サブスタンス】の影響だとは思う。でも、とりあえず慎重に行動した方が良さそうだ。窓がないってことは、地下の可能性もある」
「…そうね。怪しそうなドアは一つあるみたいだけど」
「これですんなり出られたら拍子抜けしちまうけど……思った通りビクともしないな」
一見どこにでもありそうな室内用のドア。黒塗りにされたもので、材質は木材みたいだな。
ドア周辺とそれ自体に仕掛けがないかチェックをしてからドアノブに手をかける。熱線や電気が流れる様子もなさそうだ。ただ、引いても押しても開きそうになかった。
「…まぁ、手段がなければ強行突破っつー手も……ん、通信…?」
インカムにノイズが入ってきた。電波は届くってことは地下じゃないのか。
クリアな音声がインカムから流れてくる。
『ガスト、聞こえるか』
「司令か?ああ、聞こえるぜ」
司令の通信を聞きながら自分のスマホを取り出した。こっちも電波状態は悪くないようだ。
『連絡がついて何よりだ。パトロール中に姿を忽然と消したと報告を受けた。レンたちに周囲の捜索を頼んでいる。まずは状況報告を頼む』
「オーケー。…現在地の把握は出来てない。わかるのはコンクリートの壁に囲まれた部屋に閉じ込められてること。ドアはあるけど、鍵がしっかりかかってる」
『……監禁か』
「いや、その線は薄そうだ。手足は自由だし、通信手段も奪われていない。見たとこ監視されてる様子もねぇし……ルーキーだからって甘く見られてる可能性はあるかもしれねぇけどな」
緊急性は無さそうだ、と司令に俺の意見を伝える。
とはいえ、俺だけならまだしも穂香を巻き込んじまってるのは事実だ。早くここから出してやらねぇと。
俺が連絡を取っている間、穂香は壁伝いに怪しいところがないか調べているようだった。
「穂香、気をつけろよ」
「うん」
このシンプルな部屋に何が仕掛けられてるかはわからない。用心深く行動しないと。
『お前の他にも誰か一緒なのか』
「ああ。…俺のダチが一人。なんか巻き込んじまったみたいで」
『…わかった。こちらも調べを尽くしてみよう』
「頼んだぜ司令」
ぷつりと通信が途切れた。外と連絡が取れるのは心強い。不安要素は一つ消えたが。ここに長居するわけにはいかない。
「司令さんと連絡取れたんだ」
「ああ。とりあえず向こうも調べてくれるってさ。…穂香、悪いな。巻き込んじまったみたいで」
コンクリートの壁を指でコンコンと叩いていた穂香に「なんて顔してんのよ」と笑われてしまう。
「なんか知らねぇけど、俺【サブスタンス】によく巻き込まれるっつーか…引き寄せるというか」
「…そういえば、前にもあちこち飛ばされて大変な目に遭ったんだっけ」
「あの時は参ったぜ。次から次へと景色が変わって酔いそうになるし」
あれは笑い話で済んだ。被害にあったのも俺だけだったし。でも今回は、原因が何にしろ穂香を巻き込んでる。
「絶対にここから脱出する。穂香を危険な目に遭わせねぇから」
何があっても、必ず。固く決意を示すと、穂香が壁に向けていた顔をこっちに向けて、静かに笑いかけてきた。
「頼りにしてるわ、ヒーロー」
「おぅ。…見たとこ、怪しいものはなさそうだよな」
「そうね…部屋一周してみたけど、壁があるだけ。隠し通路や扉とかは無さそう。床も継ぎ目とかないし」
「…っつーことは、やっぱあのドアからしか出られなさそうだな」
「ドアといえば上の方に」と上部を見る。そこにランプが設置されていた。しかも六個だ。
「あのランプ、なんだ……っと、通信だ。もしもし」
『ガスト。今いいか?』
「ああ、大丈夫だ。さっきと状況は何ら変わってないぜ」
『こちらの調べだが……やはり【サブスタンス】が関与している。この【サブスタンス】は自らが作り出した空間に対象を閉じ込める能力があるらしい。厄介なことにその空間をこちら側から目視で確認できない。ステルス状態に近い』
それを聞いただけでも厄介なヤツに絡まれちまったことだけは理解した。
「ステルスってことは…司令の方からは俺たちの居場所が特定できねぇんだな?」
『【サブスタンス】を解析した結果、おおよその座標は確認できている。お前たちが囚われた場所からそう離れていない。その場ですぐにヴィクターが回収したからな』
「おぉ、ドクターがやってくれてんなら心強いな」
【サブスタンス】の研究に詳しい人間がいてくれるとこういう時に助かるよな、前も助言通りに動いたら解決したし。でも、ここから抜け出した時はまた実験に付き合わされそうだな。
そこまで考えたところで、気がついてしまった。司令が黙っていることに。ドクターの話を持ち上げたせいで、機嫌損ねちまったか。
「し…司令、どうしたんだ」
『……いや、やはり【サブスタンス】関連はこいつの方が知識量は膨大だ』
珍しく司令がドクターのことを褒めている。かなり渋々といった感じで。
『今は人命が優先だ。ヴィクターの指示をこちらから伝える。先ほど、ドアがあると言ったな。その上にランプが見えるか?』
「ああ、ちょうどそれを見つけたところだ。丸い電球が六個横に並んでる。今はどれも点灯してない」
『…そのランプを全て点灯させなければそのドアが開かない仕組みになっている』
なるほどな。電気系統の回路が組み込まれてるのか。通電させれば電気錠が解除されるって仕掛けだな。
「でも、部屋の中にはこれを点灯させるような物は見当たらなかったぜ。スイッチや配電盤もない」
『その心配は要らん。特殊な仕掛けになってるようだ』
「…なんか、ややこしくなりそうだな。その方法もそっちで分かってるのか?」
『今さっきヴィクターが【サブスタンス】の発する信号から解読した。そのドアの前で相手の好きなところを三つずつ挙げればそのランプが点灯し、解錠される』
「……もう一度言ってくれ」
『ノイズでも入ったか。ドアの前で相手の好きなところを三つ述べればいい』
「……ふざけてんのか、それ」
聞き間違いでも、ノイズで聞き取れなかったわけでもない。目頭を押さえながら思ったことが溜息と一緒に、声に出ちまった。
『私はヴィクターから聞いたことをそのまま伝えている。疑うならば奴に替わろう』
「あ、いや疑うとかじゃなくてだな…」
『お疲れ様ですガスト。気分はいかがですか?』
通信相手の声が急にドクターに替わった。落ち着いた声色はいつもと変わらない。まぁ、指示をくれる側が慌てていたらこっちも気持ちが焦るからな。そこは有難いってもんだ。
「上々…って言いたいとこだけど、今回は俺一人じゃないんだよ。早いとこ脱出したい。さっきのドアが開く条件ってホントなのか?」
『ええ、残念ながら本当です。どうやらこの【サブスタンス】は捕獲した相手に課題を示し、それをクリアさせた後に解放…。何の為にそうしているのかはまだ解明できていませんが…遊び心というのが一番当て嵌まるかもしれませんね』
「…ドクターの口から遊び心って単語が出るの、なんかコワイな」
『おや、そうですか?ガストはよく【サブスタンス】に弄ばれているようなので、そう表現した方が分かりやすかったかと』
その言い方もひでぇよな。まぁ、確かに否定はできないけど。
『理解し難いとはお思いでしょうが、部屋から出るためにはそうするしかないでしょうね。因みに、この【サブスタンス】から発する信号を解析したところ似たような部屋があと二つあるようです』
「こんなふざけた部屋があと二つもあんのかよ」
『ええ、ですから頑張って【サブスタンス】が示した課題をクリアしてください。因みにこちらからは一切映像として貴方たちの姿を捉えられません。こうして通信による音声のみでしか貴方たちの安否を確認出来ませんのでご承知を』
その道楽に付き合わされんのも癪だし、ホントならドアぶち破ってやりたいとこだ。でも、【サブスタンス】が関与してんなら下手な行動して窮地に陥っても困る。俺はドクターの話を聞きながら穂香の様子をこっそり窺った。今は特に怯えたりとか、表情変化が見られないが、この状態が長引いたら不安もでかくなる。
残り二つの部屋も判明次第連絡をくれるってことで、通信を一度切った。とにかくやってみるしかないか。
「ガスト、大丈夫?向こうの話し声は聞こえなかったから、いまいち飲み込めてないけど…なんか面倒なことになってるみたいな空気は感じた」
「……そうだな。とりあえず、わかってることは三つだ。俺たちが今いる場所は【サブスタンス】が作り出した空間の中、この部屋のドアが開く条件がお互いの好きなトコを三つずつ挙げること、こんな感じの部屋があと二つあるってことだ」
「随分とお遊びなことしてくれるのね、この【サブスタンス】」
驚いた様子もなく、天井を見上げた穂香。意外にこういう時、冷静でいられるのかもしれない。度胸があるというか。まぁ、そうじゃなきゃ単身でニューミリオンに来てないか。
「まぁ、いいや。とにかく、ガストの好きなところ言っていけばいいんでしょ?」
「っ…は、恥ずかしくないか…それ。面と向かって言うことじゃないだろうし…」
「そう?私は一杯思いつくけど」
「そんな簡単に思いつくもんなのか?」
穂香が俺の正面を見据える。胸がどきりとした。そんな俺の緊張を他所に、まるでクイズの回答をするように指を折って数えていく。
「優しくて面倒見が良いし、ダーツが上手くて教え方も上手い、風使いってところもカッコいいわよね。そのグリーンの瞳も好き、宝石みたいに綺麗で羨ましい。あと、顔がイイ」
「ちょ、ちょっと待った…」
恥ずかしい。面と向かってそう言われると、顔から火が出そうなくらいに熱くなってる。相手の顔を直視できないどころか、口元が緩みすぎて、とてもじゃないけど顔を上げていられない。嬉しいけど恥ずかしい。
こっちは火噴きそうなくらいだってのに、穂香はケロッとしている。恥じらったり、照れる様子もなさそうだし。それがなんか、複雑な気分にさせてくれる。
いやでも、こっちも何か言えば少しはリアクションしてくれるだろうか。
「ガスト、上見て」
ドアの上部についたランプが左から順に三つ煌々と点灯。不思議なことに明るさを感じない。言うならば、色がついただけのように見える。
それが奇妙に感じた。
「試しに三つ以上言ってみたけど、やっぱり三つまでしか点かないみたいね。あと三つはガストからじゃないとダメみたい」
「そ、そうみたいだな。……よし、じゃあ、いくぞ」
何となく姿勢を正して、気合を入れる。大袈裟じゃないかと笑われたが、これくらいしないと言葉にできそうにねぇし。それに、これは穂香が俺のことどう思ってるか反応を見て確かめるチャンスだ。全く意識されてないってことは最初に考えておくのはやめよう。切なすぎる。
逸る鼓動を落ち着かせ、息をゆっくりと吸い込む。
でもいざ言葉にしようとなると、喉の奥につっかえて上手く出てこない。ようやく出てきた声は我ながら頼りのない声量だった。
「……穂香はさ、その…話しやすいよな。そんな気を使わなくて…いや、使ってるけど、自然でいられるっつーか…気軽に遊びにも行けるし」
俺が懸命に考えて並べた言葉。悲しいことに何も反応が起きなかった。見上げたランプはさっきと点灯数が何ら変わりない。
「…今のは対象外みたいね」
「判定がシビアじゃないかこれ…はぁ。思ってること言ったんだけどな」
「そんな真剣にならなくても、些細なことでいいんじゃない?今日の服のコーデ、可愛くて似合ってるから好きーとか」
それはいつも思ってる。いつだって俺は真剣なんだけどな。
「確かに今日のコーデは最高に似合ってると思う。でもそれはいつも……」
カチッと音がした。何の音かと上を見ると、四つ目のランプが点灯した。
今の、相手の好きなトコにカウントされるのか。
「いやいや、おかしいだろ!服を褒めてることになるし…穂香自身のことじゃ」
「私が自分で選んだものだし。それを褒められてるなら、自分が褒められたのと同じことよ」
「……そういうモンなのか?まぁ、カウントされたならそれでいいけどさ」
「あと二つね。さ、どうぞ」
俺と違って相手はかなり軽い感じで受け止めようとしている。まぁ、そうだよな。そっちから見れば俺は気の置けない友達だもんな。わかっちゃいるが、これは辛い。いや、でもこれをきっかけに少しは意識してもらえるかも。
何度目か数えるのも馬鹿らしくなってきてそんな淡い期待を胸に、思ったことをそのまま伝えることにした。
「……全部、好きだよ。頑張り屋なとこも、負けず嫌いなとこも。あと、嬉しいことあったらいい顔で笑ってくれるし。澄んだ笑い声も心地よく響いてさ…そういうとこ、全部好きだ」
穂香の目を真っすぐ見ながら、俺はそう伝えた。我ながら上手く言えた気がする。
すると、ドアの頭上にあった残りのランプが立て続けに二つ点灯した。そしてその直後、金属の動く音が聞こえた。ドアのロックが解除された音だ。
「……開いたみたいだな」
「うん。…ガスト、ありがと。人に褒められるのって気分が良いし、上がる」
どうやら向こうにとっては褒められてるっていう感覚だったみたいだな。満足そうに笑ってるし。俺の気持ちは伝わらなかったけど、喜んでくれたならいいか。
「俺の方こそ。褒めてくれてサンキュ。……ドア、開けるけど、念の為に少し下がっててくれ」
「わかった」
【サブスタンス】の仕業だとしても、気まぐれに攻撃を仕掛けてくるかもしれない。油断は禁物だ。俺は小銃をいつでも構えられるようにして、ドアノブをゆっくりと押し下げた。
先に続いていた部屋は、今の部屋と全く同じ作りだった。壁の色も、家具が無いのも。そのままコピーしてきたような感じだ。ただ一つ違うのはドア周辺の作り。今度はランプが二つ。
「作りはさっきと同じ…よね」
「みたいだな。…とりあえず、このドアは開けたままにしとく。万が一この部屋で何かあった時の逃げ道になる。それと、戻ってまた閉じ込められることが無いようにしようぜ。忘れ物したってのはナシな」
「了解」
ドアが完全に閉まらないよう、何か噛ませようとコートのポケットを探る。小銃の手入れ用に使ってる布切れがあった。これを二枚に裂いた片割れをドアの隙間に噛ませ、注意を払いながら次のドアの前に立つ。
「…さてと。次のお題はなんだ?」
「そう複雑じゃないといいんだけど。ランプは二つ、ね」
「いいタイミングで司令からの連絡だ。……司令、一つ目の部屋を突破したぜ」
インカムのコール音に応じ、先ずこちらの状況を一番に報告する。司令だと思って話したつもりが、ドクターからの通信だった。
『おめでとうございますガスト。貴方ならクリアしてくれると思っていましたよ』
「期待に応えられて何よりだ。…こっちもマジでやってるからな。二つ目のドアを突破する条件は解読できたのか?」
『ええ、そのつもりで連絡を。では確認から始めますが…二つ目のドアにはランプが二つ付いていますね?』
「あぁ。さっきと同じサイズのランプが二つ。…一つ目の流れからすると、お互いに一つずつって感じだとは思う」
『素晴らしい読みですね。二つ目のドアを解除する方法は、お互いに欲しいものを一つ当てることのようです。少々難易度は上がると思いますが…貴方たちであれば然程難しくはないでしょう』
「……プレッシャーが重すぎる。でもとにかく、やってみるよ」
『健闘を祈ります』
ドクターの楽しそうな笑い声を耳に残したまま、俺はドアを改めて見上げた。
「欲しいもの……ねぇ」
「次の解除の条件、分かったの?」
「あ、あぁ。……お互い欲しいものを一つずつ当てたら開くらしい」
「なるほど。…それ、連想ゲームみたいな感じでヒント出せば簡単じゃないかしら?」
「そっか、その手があったな。欲しいものって言っても、その都度変わるもんだし」
若干、嫌な予感がしていたが、とにかくやってみないことにはな。相手からヒントが貰えるなら答えやすいだろうし。と、考えていたのが甘かったようだ。
穂香が答えに繋がるヒントを俺にくれようと口を開いたけど、音が全く発せられなかった。それに一番驚いていたのは穂香のようで「え?」という顔をする。喉元を押さえながら。
「どうした」
「……声、出ない」
「いや、出てるけど」
「違うのよ、その、関連するヒントを言おうとしたら…急に声が出なくなって」
「マジかよ。……つまり、ヒント出そうとしたらミュートにされちまうってことか。どんだけ意地悪いんだこの【サブスタンス】」
「ごめん、いいアイディアだと思ったんだけど」
「悪くないアイディアだったぜ。…それが通用しないとなると、勘で当ててくしかないってことだな。まぁ、それなりに付き合い長いし…お互い趣味も分かってる。適当に挙げてけばそのうち当たるだろ。気楽にいこうぜ、な?」
しょぼくれそうになる穂香を慰め、不安を煽らないよう笑顔を浮かべて見せる。「うん」と頷いた穂香も柔らかく笑い返してくれた。
「じゃあ、私から…思いついたの言ってく。この間、新しいモデルガン欲しいって言ってたわよね?最新式の…型はちょっと分からないけど、それと同じくらいの大きさのやつ。…正直私にはどれも同じように見えるんだけどね」
「あー……惜しい。この間手に入れたんだよ。ポイント値引き使ったら手頃な値段で買えてさ」
「そうなの?良かったわね。…でも、大きさが大きさだし飾るにしても場所取りそう。それを飾る為のラックとか?」
「ちょうど場所あったんだよ…でも、俺の欲しかったものよく覚えててくれたな。それだけでも嬉しいよ」
ドアのランプは点かない。過去に欲しかったもの、すでに手に入れたものは除外されるようだ。
前にモデルガンの雑誌見てたときに、興味本位で覗き込んできたことがあった。話聞いてくれるもんだから、つい熱く語りそうになって。銃の構造とか簡単に理解しておいた方が、護身にもなるんじゃないかと思った。こんな世の中だしな。
パッと見た感じ種類が分からなくても、俺の趣味の一つに興味向けてくれるのは素直に嬉しい。
「…あ、そういえば。ノースシティの駅前に出来た新しいブティック。そこのショーウインドウで見かけたスカート…あれ、穂香に似合いそうだった」
前後アシンメトリーで膝下までのスカート。裾がヒラヒラして、ふわふわ揺れるとカワイイんだろうなって思いながら眺めてたんだ。
俺たちの頭上でカチッと音を立てたランプが煌々と点灯した。
どうやらビンゴだったようだ。自分でも驚いたし、穂香も目を丸くした。
「すごい、どうしてわかったの?あれ狙ってるのよ」
「好みは大体把握してきたからな。それに、いつも見てるし。……あ、いやなんでもない。今度買い物付き合う時に、買いに行くか…?」
「あれは自分が頑張ったご褒美に買うって決めてるのよ。今手直ししてるサンプル品、もうすぐ完成するの。それ終わったら買おうと思って」
「そ…そうか。それは頑張った後のご褒美だな、うん。…それ、今度着て見せてくれよ」
「ええ、勿論」
遠回しにデートに誘えたら、と考えてみた。でも、今それどころじゃないよな。とにかくこの空間から抜け出さないと。
俺は落胆した肩に力を入れ、背筋をしゃんと戻した。
「……あとはガストの欲しいものだけど。思いつくもの挙げてっていい?」
「ああ、頼む」
「モデルガンが違うとなると…ダーツの新しいバレルかシャフト…そういえばフライトで変わった形の欲しいって……違うのね。ダーツボードは持ってるんだっけ?」
「シンプルなボードはタワーの部屋に置いてる」
「…洋服。カーキのジャケット。ブラックデニムとシンプルなカジュアルシャツと併せたら似合うと思うんだけど」
「それ、穂香がコーディネートしたいだけだろ。…いい組み合わせだとは思うけど」
「バレたか……それなら、和服着てみたいと思わない?」
「和服って、着物とか袴のことだろ?まぁ、興味はあるけど…普段着て歩くようなモンじゃないし」
「お正月やリトルトーキョー開催のお祭りで着る機会あるわよ。私の友達が和服レンタルのスタジオに勤めてるから、いつでも声掛けて。カメラマンも常駐してるし、記念写真も撮れるわ」
「……何の記念だ?」
いつも通りのやり取りをしている中に正解が無いかと期待もしていた。どれも的は得ている答えだ。ただ、既に手に入れているもの、興味はあるけどそこまではっていう感じで。
しかも、どうやら俺の嫌な予感は当たっている。『欲しいもの』には物以外も含まれているようだ。俺が今一番欲しいものは、目の前にいる好きな子の気持ちだよ。なんて口が裂けても言えねぇ。ああ、でも声に出せないからその心配は要らないな。
「……ガスト。もしかして、無欲?」
「いやいや、そんなワケないだろ。物欲普通にあるっての」
「それにしても全然当たらない。……私、意外とガストのこと知らないのね」
「そうでもないぞ。的外れでもないし、俺のことよく分かってくれてる」
「でも、一番じゃないんでしょう」
焦りが出てきたんだろうか。穂香の表情に少し影が出てきた気がする。俺が一発で当てたから余計にか。俺のは偶然の賜物に近いし、穂香がそこまで落ち込む必要ないってのに。
天井の裏では空調の動く音が僅かに聞こえる。酸欠に陥る心配は無さそうだ。中にいる対象者を殺すような真似をしないあたり、ただの【サブスタンス】の道楽だとわかる。
「一旦休憩にしようぜ。焦ってもいい答え浮かばないだろ」
「…そうね」
ドアを避けた壁際に並んで腰を下ろす。俺は小銃を肩に預けて、腕に抱え込んだ。不思議と銃身の冷たさを感じない。これもそうだが、さっきから妙な違和感を覚えていた。指先の感覚が鈍いような気がする。でも、力はちゃんと入るし、痺れているわけでもない。意識も鮮明だ。お遊びだと捉えてる【サブスタンス】なら、薬を空調に仕込んで徐々に弱らせてくっていうのは考えすぎか。
「ガスト?」
「……ん、なんでもない。それより、穂香。なんか異常とか感じたらすぐ言ってくれ」
「うん。ガストの方こそ、大丈夫なの?」
トリガーを引く利き手の感覚を確かめる仕草を見られていたのか、そう訊かれた。俺は守る側だってのに、不安そうな顔させちまったらダメだな。
「俺はいつも通りだ。…このドアが開かなくても、俺が何とかして脱出方法を見つける。だから、絶対に二人でここから抜け出そうぜ」
「……うん。ガストが一緒で良かった。頼りになるし、安心できる」
「おう。こういう時ばっかじゃなくて、いつでも頼ってくれていいんだぜ?俺、穂香に頼られるの………っ。いきなり声出なくなんの、心臓に悪ぃなコレ」
確かに発音したはずの言葉が、そこだけ盗まれたように音が消え去った。喉や気管に痛みや他の異常も無いし、突然自分の声が消えると一気に焦りが駆けあがってくる。
穂香はさっきの消えたフレーズを予想しているのか、悩むようにして視線を下げた。でも、思いつかなかったのか小さな溜息が返ってくる。
「……全然関係ない、というかさっきの話の続きなんだけど」
「ああ、なんだ?」
「和服の話。今度イーストでお祭りある時に、浴衣着て一緒に行かない?来年になっちゃうけど…ガストなら草色、鶯色の浴衣が似合うと思うし。さっき言ってた友達の勤め先、夏に浴衣のレンタルもしてるのよ」
「浴衣……穂香も着るのか?」
「そうね。せっかくだし、私もレンタルしようかな」
「…ああ!行こうぜ。穂香の和服姿見るの初めてだし、きっと似合うんだろうな。夏が待ち遠しい」
一年も先なのに、と可笑しそうに穂香が笑った。自分でもテンションの上がり方が目に見えてわかるぐらいで、今のは少し恥ずかしかった。いや、だって雑誌とかでは見たことあるけど、実際に見たことないんだ。それに穂香なら絶対に似合う。
楽しみだな、と嬉々とした表情をなるべく抑えながら俺が言った直後、ドアノブの辺りからカチッと音が聞こえてきた。二人でその方向を見て、さらに視線を上へ。二つ目のランプがいつの間にか点灯していた。
「……開いた。え、もしかして…浴衣着て夏祭りに行きたかったの?」
「……ま、まぁ…そう、だな。祭り自体は行ってたけどさ、浴衣は着てなかった…だろ?」
「季節外れ過ぎて当たらないところだったわね。偶然、和服の話出たから当たったようなもので…」
「そ、そーだな。さすが、穂香だ。よし、この調子で次に進もうぜ」
ドアの施錠が外れていることを確認し、先に少しだけ開けて右足をストッパー代わりに差し込む。それから穂香に手を差し出し、立ち上がるのを補助。ドアを大きく開け、次の部屋を見渡してから招き入れた。ハギレをドアの隙間に差し込み、警戒しながら部屋の中央へ進んでいく。
殺風景な部屋にドアが一つまではさっきと何ら変わりがない。ドアの上部にあるランプは一つだけだ。
「ここが最後の部屋だな」
俺たちがドアの前に到着すると、都合よくまた通信が入った。
「ドクター。ずっとだんまりだったから、ちょっと心配になったぜ」
『すまない。そろそろ助け舟を入れるかどうかと悩んでいた。時間が掛かっていたようだからな』
「って、司令かよ。…まぁ、さっきのトコは何とかクリアーしたぜ。で、いよいよクライマックスってわけだが……今度はランプが一つだけだ」
『ヴィクターはノヴァに呼ばれて席を外している。既に次の解錠条件は判明しているから案ずるな』
「そいつは助かる。それで、条件は?」
『壁ドンだ』
「……司令。ここまで来て、壁ぶち破って脱出していいってことか?」
『そちらの意味ではない。知らないのか?日本で少し前に流行ったシチュエーションだ。壁際に相手を追い詰め、強引に迫ることだ。イケメンがやることでドキドキ感が増すそうだな。その至近距離の状態で五分キープすればランプが点灯する。ちなみに足ドンもあるそうだが…ガストならばこちらの方が得意か』
「いやいや、それただの恐喝だろ!?って、五分とか長すぎだ!」
『五分待てば晴れて自由の身だ』
「自由と引き換えに信頼を失いそうだぜ…」
『だが、その部屋で最後だ。そこを突破しなければ一生その部屋で過ごすことになるぞ』
それは困る。怖がらせることあまりしたくないけど、絶対にここから脱出するって約束したし。ずっとこのままってわけにはいかない。
「……わかった。なんとかやってみる」
『幸運を祈る』
司令との通信が切れた後も、しばらく俺は頭を抱えていた。どうする、どうする俺。いや、やらなきゃロックが解除されない。
「ガスト。…なんかヤバそうな条件だったの?五分とか時間は聞こえたけど」
「ヤバいというか…なんつーか」
「一人で悩んでないで、相談してよ。確かに私はこういう時、ただの足手まといにしかならないけど…一緒にいるんだから、少しでもガストの力になれるようにするから」
「穂香……そこまで言われちゃ俺も腹括るしかない、よな。……よし。今から俺の言うことは、その条件に関することだと思ってくれ。…とりあえず、そこの壁際に立って」
「わかった。…こんな感じ?」
相手にドア横の壁際に立ってもらい、躊躇いが濃くならないうちに近づく。そして、そのまま両手を顔の横についた。身長差がある分、穂香が上目遣いで俺を見る形に。俄か、頬に熱が走る。やばい。ドキドキしてきた。普段この距離で顔見ることないし。
前置きをしたおかげか、抗議の声や抵抗もされなくて助かってる。むしろ、照れてるのか恥ずかしそうに目を伏せていた。その姿が堪らなく可愛くて、抱きしめたくなる。でも、余計なことしてこの部屋から出られなくなったらと思うと。
「…ご、ごめんな。こんなことされて、嫌だよ…な」
「……別に。嫌じゃない……私、」
ぼそぼそと聞こえた穂香の声。何を言っているのか聞き取れなくて、聞き返したら、真上から別の声が降ってきた。
「おい、ガスト。起きろ」
機嫌が悪そうな低い声に驚いて、俺はガバッと頭を上げた。眩しい。急激に明るくなった
視界に映ったのはカフェテラス。テラス席にいる人の姿は疎らだ。
「まだ寝惚けてるのか。…珍しいな」
「……レン。…あぁ、悪い。俺、完全に寝ちまってたか。ちょっと目つぶってただけなのに」
思い出した。パトロールでブルーノースシティにレンと来ていて、休憩時間になったからカフェで昼食を取っていたんだ。腹が満たされると、睡魔がゆっくり訪れて、五分だけって目をつぶった。周りの会話や雑踏がちょうどいい子守唄になったのか、ちょっとどころか結構眠っちまったみたいだ。って、どんだけ寝てたんだよ俺。
「もう休憩時間は終わってる」
「……だよなぁ」
「夢でも見てたのか。魘されていた」
夢。そうだよな、あんな意味不明な能力を持つ【サブスタンス】があるわけない。夢の内容全部憶えてるわけじゃないけど、結構苦労した。それにしても最後、穂香はなんて言おうとしてたんだろうな。まぁ、俺の夢だし適当に解釈しておこう。
「まぁ、なんつーか…複雑な夢だった、うん。……でも、レンに起こされるとはな。それこそまだ夢見てんのかも…なんてな」
「……もう起こさない」
「いやいや、冗談だって。起こしてくれてサンキュ。よし、パトロール後半行こうぜ」
レンの機嫌を損ねかけた時、司令部からの通信が入った。ジャックの声が【サブスタンス】の出現を報せる。場所はこのカフェからすぐ側だ。【イクリプス】の時よりも反応は悪いレンも、近隣だと聞いてその方向に目を向ける。
人々のどよめきが、聞こえた。被害が大きくなる前にさっさと片付けちまおう、レンにそう声を掛けようとした。前方に見えた人影に、俺は目を見張った。
穂香がいる。【サブスタンス】に気づいたのか、その場から離れようとしてるけど。おいおい、冗談じゃないぞ。なんかデジャヴ感じるんだけど。
インカムを取り付けた俺は、同じくヒーロースーツを纏ったレンに注意を促した。
「レン、あの【サブスタンス】に気をつけろよ。何してくるかわかったもんじゃねぇ」
「すぐに終わらせる」
「そうしようぜ。市民、巻き込まねぇようにな。…レベル2ってとこか、俺たちなら簡単にやれるよな」
先ずは足止めをする。肩に担いだ愛用の小銃を構え、照準を合わせた。
嫌な予感と夢が現実とならないように祈りながら、俺はトリガーに指を掛けた。
目が覚めるとそこは見慣れない部屋だった。
窓が一つもなく、明かりは天井から吊り下がった蛍光管が室内を照らしている。
壁はコンクリートの打ちっぱなしで壁紙は貼られていない。椅子どころか家具が一つも存在しないこの部屋。まるで空き家みたいにがらんどうだ。荒れてないあたり、管理は行き届いてるとみえる。
何がどうなってる。俺はヒーロースーツのままだし、愛用の小銃もしっかり肩に抱えていた。
まだぼんやりする頭を起こしながら、もたれていた壁から背を浮かす。その時に、隣に同じように壁に背を預けていた穂香がいることに気がついた。
彼女の肩を軽く揺すって呼びかけると、身動いだ後にゆっくりと目を開けた。
「ん……ガスト…?」
夢うつつの状態で俺の声に応え、それから辺りを見渡す。やっぱり見覚えのない場所なのか、顔を顰めた。
「ここ、どこ?」
「俺も気がついたらこの部屋ん中にいた。…なぁ、俺たちさっきまで道端で話してたよな」
「うん。パトロール中だったし、長話は悪いと思って…そろそろ切りあげようとした時…急に意識が遠退いて」
「だよな…とりあえず、どういう状況なのか把握しねぇと…痛いとこ無いか?」
「大丈夫。どこも痛くない」
服の埃を払いながら穂香が立ち上がる。「窓がない」と気になったことを口にしていた。
俺も立ち上がり、小銃を肩に担いだ。
考えられる事象は二つ。何らかの【サブスタンス】の能力に巻き込まれた。もしくは、どっかの組織に捕まっちまったか。だとしても、武器や通信手段も奪わずに監禁するとは考えにくい。身動きもできる状態だ。
幸いお互い怪我もないみたいだし、とにかくこの場所から出ないと。
「多分、【サブスタンス】の影響だとは思う。でも、とりあえず慎重に行動した方が良さそうだ。窓がないってことは、地下の可能性もある」
「…そうね。怪しそうなドアは一つあるみたいだけど」
「これですんなり出られたら拍子抜けしちまうけど……思った通りビクともしないな」
一見どこにでもありそうな室内用のドア。黒塗りにされたもので、材質は木材みたいだな。
ドア周辺とそれ自体に仕掛けがないかチェックをしてからドアノブに手をかける。熱線や電気が流れる様子もなさそうだ。ただ、引いても押しても開きそうになかった。
「…まぁ、手段がなければ強行突破っつー手も……ん、通信…?」
インカムにノイズが入ってきた。電波は届くってことは地下じゃないのか。
クリアな音声がインカムから流れてくる。
『ガスト、聞こえるか』
「司令か?ああ、聞こえるぜ」
司令の通信を聞きながら自分のスマホを取り出した。こっちも電波状態は悪くないようだ。
『連絡がついて何よりだ。パトロール中に姿を忽然と消したと報告を受けた。レンたちに周囲の捜索を頼んでいる。まずは状況報告を頼む』
「オーケー。…現在地の把握は出来てない。わかるのはコンクリートの壁に囲まれた部屋に閉じ込められてること。ドアはあるけど、鍵がしっかりかかってる」
『……監禁か』
「いや、その線は薄そうだ。手足は自由だし、通信手段も奪われていない。見たとこ監視されてる様子もねぇし……ルーキーだからって甘く見られてる可能性はあるかもしれねぇけどな」
緊急性は無さそうだ、と司令に俺の意見を伝える。
とはいえ、俺だけならまだしも穂香を巻き込んじまってるのは事実だ。早くここから出してやらねぇと。
俺が連絡を取っている間、穂香は壁伝いに怪しいところがないか調べているようだった。
「穂香、気をつけろよ」
「うん」
このシンプルな部屋に何が仕掛けられてるかはわからない。用心深く行動しないと。
『お前の他にも誰か一緒なのか』
「ああ。…俺のダチが一人。なんか巻き込んじまったみたいで」
『…わかった。こちらも調べを尽くしてみよう』
「頼んだぜ司令」
ぷつりと通信が途切れた。外と連絡が取れるのは心強い。不安要素は一つ消えたが。ここに長居するわけにはいかない。
「司令さんと連絡取れたんだ」
「ああ。とりあえず向こうも調べてくれるってさ。…穂香、悪いな。巻き込んじまったみたいで」
コンクリートの壁を指でコンコンと叩いていた穂香に「なんて顔してんのよ」と笑われてしまう。
「なんか知らねぇけど、俺【サブスタンス】によく巻き込まれるっつーか…引き寄せるというか」
「…そういえば、前にもあちこち飛ばされて大変な目に遭ったんだっけ」
「あの時は参ったぜ。次から次へと景色が変わって酔いそうになるし」
あれは笑い話で済んだ。被害にあったのも俺だけだったし。でも今回は、原因が何にしろ穂香を巻き込んでる。
「絶対にここから脱出する。穂香を危険な目に遭わせねぇから」
何があっても、必ず。固く決意を示すと、穂香が壁に向けていた顔をこっちに向けて、静かに笑いかけてきた。
「頼りにしてるわ、ヒーロー」
「おぅ。…見たとこ、怪しいものはなさそうだよな」
「そうね…部屋一周してみたけど、壁があるだけ。隠し通路や扉とかは無さそう。床も継ぎ目とかないし」
「…っつーことは、やっぱあのドアからしか出られなさそうだな」
「ドアといえば上の方に」と上部を見る。そこにランプが設置されていた。しかも六個だ。
「あのランプ、なんだ……っと、通信だ。もしもし」
『ガスト。今いいか?』
「ああ、大丈夫だ。さっきと状況は何ら変わってないぜ」
『こちらの調べだが……やはり【サブスタンス】が関与している。この【サブスタンス】は自らが作り出した空間に対象を閉じ込める能力があるらしい。厄介なことにその空間をこちら側から目視で確認できない。ステルス状態に近い』
それを聞いただけでも厄介なヤツに絡まれちまったことだけは理解した。
「ステルスってことは…司令の方からは俺たちの居場所が特定できねぇんだな?」
『【サブスタンス】を解析した結果、おおよその座標は確認できている。お前たちが囚われた場所からそう離れていない。その場ですぐにヴィクターが回収したからな』
「おぉ、ドクターがやってくれてんなら心強いな」
【サブスタンス】の研究に詳しい人間がいてくれるとこういう時に助かるよな、前も助言通りに動いたら解決したし。でも、ここから抜け出した時はまた実験に付き合わされそうだな。
そこまで考えたところで、気がついてしまった。司令が黙っていることに。ドクターの話を持ち上げたせいで、機嫌損ねちまったか。
「し…司令、どうしたんだ」
『……いや、やはり【サブスタンス】関連はこいつの方が知識量は膨大だ』
珍しく司令がドクターのことを褒めている。かなり渋々といった感じで。
『今は人命が優先だ。ヴィクターの指示をこちらから伝える。先ほど、ドアがあると言ったな。その上にランプが見えるか?』
「ああ、ちょうどそれを見つけたところだ。丸い電球が六個横に並んでる。今はどれも点灯してない」
『…そのランプを全て点灯させなければそのドアが開かない仕組みになっている』
なるほどな。電気系統の回路が組み込まれてるのか。通電させれば電気錠が解除されるって仕掛けだな。
「でも、部屋の中にはこれを点灯させるような物は見当たらなかったぜ。スイッチや配電盤もない」
『その心配は要らん。特殊な仕掛けになってるようだ』
「…なんか、ややこしくなりそうだな。その方法もそっちで分かってるのか?」
『今さっきヴィクターが【サブスタンス】の発する信号から解読した。そのドアの前で相手の好きなところを三つずつ挙げればそのランプが点灯し、解錠される』
「……もう一度言ってくれ」
『ノイズでも入ったか。ドアの前で相手の好きなところを三つ述べればいい』
「……ふざけてんのか、それ」
聞き間違いでも、ノイズで聞き取れなかったわけでもない。目頭を押さえながら思ったことが溜息と一緒に、声に出ちまった。
『私はヴィクターから聞いたことをそのまま伝えている。疑うならば奴に替わろう』
「あ、いや疑うとかじゃなくてだな…」
『お疲れ様ですガスト。気分はいかがですか?』
通信相手の声が急にドクターに替わった。落ち着いた声色はいつもと変わらない。まぁ、指示をくれる側が慌てていたらこっちも気持ちが焦るからな。そこは有難いってもんだ。
「上々…って言いたいとこだけど、今回は俺一人じゃないんだよ。早いとこ脱出したい。さっきのドアが開く条件ってホントなのか?」
『ええ、残念ながら本当です。どうやらこの【サブスタンス】は捕獲した相手に課題を示し、それをクリアさせた後に解放…。何の為にそうしているのかはまだ解明できていませんが…遊び心というのが一番当て嵌まるかもしれませんね』
「…ドクターの口から遊び心って単語が出るの、なんかコワイな」
『おや、そうですか?ガストはよく【サブスタンス】に弄ばれているようなので、そう表現した方が分かりやすかったかと』
その言い方もひでぇよな。まぁ、確かに否定はできないけど。
『理解し難いとはお思いでしょうが、部屋から出るためにはそうするしかないでしょうね。因みに、この【サブスタンス】から発する信号を解析したところ似たような部屋があと二つあるようです』
「こんなふざけた部屋があと二つもあんのかよ」
『ええ、ですから頑張って【サブスタンス】が示した課題をクリアしてください。因みにこちらからは一切映像として貴方たちの姿を捉えられません。こうして通信による音声のみでしか貴方たちの安否を確認出来ませんのでご承知を』
その道楽に付き合わされんのも癪だし、ホントならドアぶち破ってやりたいとこだ。でも、【サブスタンス】が関与してんなら下手な行動して窮地に陥っても困る。俺はドクターの話を聞きながら穂香の様子をこっそり窺った。今は特に怯えたりとか、表情変化が見られないが、この状態が長引いたら不安もでかくなる。
残り二つの部屋も判明次第連絡をくれるってことで、通信を一度切った。とにかくやってみるしかないか。
「ガスト、大丈夫?向こうの話し声は聞こえなかったから、いまいち飲み込めてないけど…なんか面倒なことになってるみたいな空気は感じた」
「……そうだな。とりあえず、わかってることは三つだ。俺たちが今いる場所は【サブスタンス】が作り出した空間の中、この部屋のドアが開く条件がお互いの好きなトコを三つずつ挙げること、こんな感じの部屋があと二つあるってことだ」
「随分とお遊びなことしてくれるのね、この【サブスタンス】」
驚いた様子もなく、天井を見上げた穂香。意外にこういう時、冷静でいられるのかもしれない。度胸があるというか。まぁ、そうじゃなきゃ単身でニューミリオンに来てないか。
「まぁ、いいや。とにかく、ガストの好きなところ言っていけばいいんでしょ?」
「っ…は、恥ずかしくないか…それ。面と向かって言うことじゃないだろうし…」
「そう?私は一杯思いつくけど」
「そんな簡単に思いつくもんなのか?」
穂香が俺の正面を見据える。胸がどきりとした。そんな俺の緊張を他所に、まるでクイズの回答をするように指を折って数えていく。
「優しくて面倒見が良いし、ダーツが上手くて教え方も上手い、風使いってところもカッコいいわよね。そのグリーンの瞳も好き、宝石みたいに綺麗で羨ましい。あと、顔がイイ」
「ちょ、ちょっと待った…」
恥ずかしい。面と向かってそう言われると、顔から火が出そうなくらいに熱くなってる。相手の顔を直視できないどころか、口元が緩みすぎて、とてもじゃないけど顔を上げていられない。嬉しいけど恥ずかしい。
こっちは火噴きそうなくらいだってのに、穂香はケロッとしている。恥じらったり、照れる様子もなさそうだし。それがなんか、複雑な気分にさせてくれる。
いやでも、こっちも何か言えば少しはリアクションしてくれるだろうか。
「ガスト、上見て」
ドアの上部についたランプが左から順に三つ煌々と点灯。不思議なことに明るさを感じない。言うならば、色がついただけのように見える。
それが奇妙に感じた。
「試しに三つ以上言ってみたけど、やっぱり三つまでしか点かないみたいね。あと三つはガストからじゃないとダメみたい」
「そ、そうみたいだな。……よし、じゃあ、いくぞ」
何となく姿勢を正して、気合を入れる。大袈裟じゃないかと笑われたが、これくらいしないと言葉にできそうにねぇし。それに、これは穂香が俺のことどう思ってるか反応を見て確かめるチャンスだ。全く意識されてないってことは最初に考えておくのはやめよう。切なすぎる。
逸る鼓動を落ち着かせ、息をゆっくりと吸い込む。
でもいざ言葉にしようとなると、喉の奥につっかえて上手く出てこない。ようやく出てきた声は我ながら頼りのない声量だった。
「……穂香はさ、その…話しやすいよな。そんな気を使わなくて…いや、使ってるけど、自然でいられるっつーか…気軽に遊びにも行けるし」
俺が懸命に考えて並べた言葉。悲しいことに何も反応が起きなかった。見上げたランプはさっきと点灯数が何ら変わりない。
「…今のは対象外みたいね」
「判定がシビアじゃないかこれ…はぁ。思ってること言ったんだけどな」
「そんな真剣にならなくても、些細なことでいいんじゃない?今日の服のコーデ、可愛くて似合ってるから好きーとか」
それはいつも思ってる。いつだって俺は真剣なんだけどな。
「確かに今日のコーデは最高に似合ってると思う。でもそれはいつも……」
カチッと音がした。何の音かと上を見ると、四つ目のランプが点灯した。
今の、相手の好きなトコにカウントされるのか。
「いやいや、おかしいだろ!服を褒めてることになるし…穂香自身のことじゃ」
「私が自分で選んだものだし。それを褒められてるなら、自分が褒められたのと同じことよ」
「……そういうモンなのか?まぁ、カウントされたならそれでいいけどさ」
「あと二つね。さ、どうぞ」
俺と違って相手はかなり軽い感じで受け止めようとしている。まぁ、そうだよな。そっちから見れば俺は気の置けない友達だもんな。わかっちゃいるが、これは辛い。いや、でもこれをきっかけに少しは意識してもらえるかも。
何度目か数えるのも馬鹿らしくなってきてそんな淡い期待を胸に、思ったことをそのまま伝えることにした。
「……全部、好きだよ。頑張り屋なとこも、負けず嫌いなとこも。あと、嬉しいことあったらいい顔で笑ってくれるし。澄んだ笑い声も心地よく響いてさ…そういうとこ、全部好きだ」
穂香の目を真っすぐ見ながら、俺はそう伝えた。我ながら上手く言えた気がする。
すると、ドアの頭上にあった残りのランプが立て続けに二つ点灯した。そしてその直後、金属の動く音が聞こえた。ドアのロックが解除された音だ。
「……開いたみたいだな」
「うん。…ガスト、ありがと。人に褒められるのって気分が良いし、上がる」
どうやら向こうにとっては褒められてるっていう感覚だったみたいだな。満足そうに笑ってるし。俺の気持ちは伝わらなかったけど、喜んでくれたならいいか。
「俺の方こそ。褒めてくれてサンキュ。……ドア、開けるけど、念の為に少し下がっててくれ」
「わかった」
【サブスタンス】の仕業だとしても、気まぐれに攻撃を仕掛けてくるかもしれない。油断は禁物だ。俺は小銃をいつでも構えられるようにして、ドアノブをゆっくりと押し下げた。
先に続いていた部屋は、今の部屋と全く同じ作りだった。壁の色も、家具が無いのも。そのままコピーしてきたような感じだ。ただ一つ違うのはドア周辺の作り。今度はランプが二つ。
「作りはさっきと同じ…よね」
「みたいだな。…とりあえず、このドアは開けたままにしとく。万が一この部屋で何かあった時の逃げ道になる。それと、戻ってまた閉じ込められることが無いようにしようぜ。忘れ物したってのはナシな」
「了解」
ドアが完全に閉まらないよう、何か噛ませようとコートのポケットを探る。小銃の手入れ用に使ってる布切れがあった。これを二枚に裂いた片割れをドアの隙間に噛ませ、注意を払いながら次のドアの前に立つ。
「…さてと。次のお題はなんだ?」
「そう複雑じゃないといいんだけど。ランプは二つ、ね」
「いいタイミングで司令からの連絡だ。……司令、一つ目の部屋を突破したぜ」
インカムのコール音に応じ、先ずこちらの状況を一番に報告する。司令だと思って話したつもりが、ドクターからの通信だった。
『おめでとうございますガスト。貴方ならクリアしてくれると思っていましたよ』
「期待に応えられて何よりだ。…こっちもマジでやってるからな。二つ目のドアを突破する条件は解読できたのか?」
『ええ、そのつもりで連絡を。では確認から始めますが…二つ目のドアにはランプが二つ付いていますね?』
「あぁ。さっきと同じサイズのランプが二つ。…一つ目の流れからすると、お互いに一つずつって感じだとは思う」
『素晴らしい読みですね。二つ目のドアを解除する方法は、お互いに欲しいものを一つ当てることのようです。少々難易度は上がると思いますが…貴方たちであれば然程難しくはないでしょう』
「……プレッシャーが重すぎる。でもとにかく、やってみるよ」
『健闘を祈ります』
ドクターの楽しそうな笑い声を耳に残したまま、俺はドアを改めて見上げた。
「欲しいもの……ねぇ」
「次の解除の条件、分かったの?」
「あ、あぁ。……お互い欲しいものを一つずつ当てたら開くらしい」
「なるほど。…それ、連想ゲームみたいな感じでヒント出せば簡単じゃないかしら?」
「そっか、その手があったな。欲しいものって言っても、その都度変わるもんだし」
若干、嫌な予感がしていたが、とにかくやってみないことにはな。相手からヒントが貰えるなら答えやすいだろうし。と、考えていたのが甘かったようだ。
穂香が答えに繋がるヒントを俺にくれようと口を開いたけど、音が全く発せられなかった。それに一番驚いていたのは穂香のようで「え?」という顔をする。喉元を押さえながら。
「どうした」
「……声、出ない」
「いや、出てるけど」
「違うのよ、その、関連するヒントを言おうとしたら…急に声が出なくなって」
「マジかよ。……つまり、ヒント出そうとしたらミュートにされちまうってことか。どんだけ意地悪いんだこの【サブスタンス】」
「ごめん、いいアイディアだと思ったんだけど」
「悪くないアイディアだったぜ。…それが通用しないとなると、勘で当ててくしかないってことだな。まぁ、それなりに付き合い長いし…お互い趣味も分かってる。適当に挙げてけばそのうち当たるだろ。気楽にいこうぜ、な?」
しょぼくれそうになる穂香を慰め、不安を煽らないよう笑顔を浮かべて見せる。「うん」と頷いた穂香も柔らかく笑い返してくれた。
「じゃあ、私から…思いついたの言ってく。この間、新しいモデルガン欲しいって言ってたわよね?最新式の…型はちょっと分からないけど、それと同じくらいの大きさのやつ。…正直私にはどれも同じように見えるんだけどね」
「あー……惜しい。この間手に入れたんだよ。ポイント値引き使ったら手頃な値段で買えてさ」
「そうなの?良かったわね。…でも、大きさが大きさだし飾るにしても場所取りそう。それを飾る為のラックとか?」
「ちょうど場所あったんだよ…でも、俺の欲しかったものよく覚えててくれたな。それだけでも嬉しいよ」
ドアのランプは点かない。過去に欲しかったもの、すでに手に入れたものは除外されるようだ。
前にモデルガンの雑誌見てたときに、興味本位で覗き込んできたことがあった。話聞いてくれるもんだから、つい熱く語りそうになって。銃の構造とか簡単に理解しておいた方が、護身にもなるんじゃないかと思った。こんな世の中だしな。
パッと見た感じ種類が分からなくても、俺の趣味の一つに興味向けてくれるのは素直に嬉しい。
「…あ、そういえば。ノースシティの駅前に出来た新しいブティック。そこのショーウインドウで見かけたスカート…あれ、穂香に似合いそうだった」
前後アシンメトリーで膝下までのスカート。裾がヒラヒラして、ふわふわ揺れるとカワイイんだろうなって思いながら眺めてたんだ。
俺たちの頭上でカチッと音を立てたランプが煌々と点灯した。
どうやらビンゴだったようだ。自分でも驚いたし、穂香も目を丸くした。
「すごい、どうしてわかったの?あれ狙ってるのよ」
「好みは大体把握してきたからな。それに、いつも見てるし。……あ、いやなんでもない。今度買い物付き合う時に、買いに行くか…?」
「あれは自分が頑張ったご褒美に買うって決めてるのよ。今手直ししてるサンプル品、もうすぐ完成するの。それ終わったら買おうと思って」
「そ…そうか。それは頑張った後のご褒美だな、うん。…それ、今度着て見せてくれよ」
「ええ、勿論」
遠回しにデートに誘えたら、と考えてみた。でも、今それどころじゃないよな。とにかくこの空間から抜け出さないと。
俺は落胆した肩に力を入れ、背筋をしゃんと戻した。
「……あとはガストの欲しいものだけど。思いつくもの挙げてっていい?」
「ああ、頼む」
「モデルガンが違うとなると…ダーツの新しいバレルかシャフト…そういえばフライトで変わった形の欲しいって……違うのね。ダーツボードは持ってるんだっけ?」
「シンプルなボードはタワーの部屋に置いてる」
「…洋服。カーキのジャケット。ブラックデニムとシンプルなカジュアルシャツと併せたら似合うと思うんだけど」
「それ、穂香がコーディネートしたいだけだろ。…いい組み合わせだとは思うけど」
「バレたか……それなら、和服着てみたいと思わない?」
「和服って、着物とか袴のことだろ?まぁ、興味はあるけど…普段着て歩くようなモンじゃないし」
「お正月やリトルトーキョー開催のお祭りで着る機会あるわよ。私の友達が和服レンタルのスタジオに勤めてるから、いつでも声掛けて。カメラマンも常駐してるし、記念写真も撮れるわ」
「……何の記念だ?」
いつも通りのやり取りをしている中に正解が無いかと期待もしていた。どれも的は得ている答えだ。ただ、既に手に入れているもの、興味はあるけどそこまではっていう感じで。
しかも、どうやら俺の嫌な予感は当たっている。『欲しいもの』には物以外も含まれているようだ。俺が今一番欲しいものは、目の前にいる好きな子の気持ちだよ。なんて口が裂けても言えねぇ。ああ、でも声に出せないからその心配は要らないな。
「……ガスト。もしかして、無欲?」
「いやいや、そんなワケないだろ。物欲普通にあるっての」
「それにしても全然当たらない。……私、意外とガストのこと知らないのね」
「そうでもないぞ。的外れでもないし、俺のことよく分かってくれてる」
「でも、一番じゃないんでしょう」
焦りが出てきたんだろうか。穂香の表情に少し影が出てきた気がする。俺が一発で当てたから余計にか。俺のは偶然の賜物に近いし、穂香がそこまで落ち込む必要ないってのに。
天井の裏では空調の動く音が僅かに聞こえる。酸欠に陥る心配は無さそうだ。中にいる対象者を殺すような真似をしないあたり、ただの【サブスタンス】の道楽だとわかる。
「一旦休憩にしようぜ。焦ってもいい答え浮かばないだろ」
「…そうね」
ドアを避けた壁際に並んで腰を下ろす。俺は小銃を肩に預けて、腕に抱え込んだ。不思議と銃身の冷たさを感じない。これもそうだが、さっきから妙な違和感を覚えていた。指先の感覚が鈍いような気がする。でも、力はちゃんと入るし、痺れているわけでもない。意識も鮮明だ。お遊びだと捉えてる【サブスタンス】なら、薬を空調に仕込んで徐々に弱らせてくっていうのは考えすぎか。
「ガスト?」
「……ん、なんでもない。それより、穂香。なんか異常とか感じたらすぐ言ってくれ」
「うん。ガストの方こそ、大丈夫なの?」
トリガーを引く利き手の感覚を確かめる仕草を見られていたのか、そう訊かれた。俺は守る側だってのに、不安そうな顔させちまったらダメだな。
「俺はいつも通りだ。…このドアが開かなくても、俺が何とかして脱出方法を見つける。だから、絶対に二人でここから抜け出そうぜ」
「……うん。ガストが一緒で良かった。頼りになるし、安心できる」
「おう。こういう時ばっかじゃなくて、いつでも頼ってくれていいんだぜ?俺、穂香に頼られるの………っ。いきなり声出なくなんの、心臓に悪ぃなコレ」
確かに発音したはずの言葉が、そこだけ盗まれたように音が消え去った。喉や気管に痛みや他の異常も無いし、突然自分の声が消えると一気に焦りが駆けあがってくる。
穂香はさっきの消えたフレーズを予想しているのか、悩むようにして視線を下げた。でも、思いつかなかったのか小さな溜息が返ってくる。
「……全然関係ない、というかさっきの話の続きなんだけど」
「ああ、なんだ?」
「和服の話。今度イーストでお祭りある時に、浴衣着て一緒に行かない?来年になっちゃうけど…ガストなら草色、鶯色の浴衣が似合うと思うし。さっき言ってた友達の勤め先、夏に浴衣のレンタルもしてるのよ」
「浴衣……穂香も着るのか?」
「そうね。せっかくだし、私もレンタルしようかな」
「…ああ!行こうぜ。穂香の和服姿見るの初めてだし、きっと似合うんだろうな。夏が待ち遠しい」
一年も先なのに、と可笑しそうに穂香が笑った。自分でもテンションの上がり方が目に見えてわかるぐらいで、今のは少し恥ずかしかった。いや、だって雑誌とかでは見たことあるけど、実際に見たことないんだ。それに穂香なら絶対に似合う。
楽しみだな、と嬉々とした表情をなるべく抑えながら俺が言った直後、ドアノブの辺りからカチッと音が聞こえてきた。二人でその方向を見て、さらに視線を上へ。二つ目のランプがいつの間にか点灯していた。
「……開いた。え、もしかして…浴衣着て夏祭りに行きたかったの?」
「……ま、まぁ…そう、だな。祭り自体は行ってたけどさ、浴衣は着てなかった…だろ?」
「季節外れ過ぎて当たらないところだったわね。偶然、和服の話出たから当たったようなもので…」
「そ、そーだな。さすが、穂香だ。よし、この調子で次に進もうぜ」
ドアの施錠が外れていることを確認し、先に少しだけ開けて右足をストッパー代わりに差し込む。それから穂香に手を差し出し、立ち上がるのを補助。ドアを大きく開け、次の部屋を見渡してから招き入れた。ハギレをドアの隙間に差し込み、警戒しながら部屋の中央へ進んでいく。
殺風景な部屋にドアが一つまではさっきと何ら変わりがない。ドアの上部にあるランプは一つだけだ。
「ここが最後の部屋だな」
俺たちがドアの前に到着すると、都合よくまた通信が入った。
「ドクター。ずっとだんまりだったから、ちょっと心配になったぜ」
『すまない。そろそろ助け舟を入れるかどうかと悩んでいた。時間が掛かっていたようだからな』
「って、司令かよ。…まぁ、さっきのトコは何とかクリアーしたぜ。で、いよいよクライマックスってわけだが……今度はランプが一つだけだ」
『ヴィクターはノヴァに呼ばれて席を外している。既に次の解錠条件は判明しているから案ずるな』
「そいつは助かる。それで、条件は?」
『壁ドンだ』
「……司令。ここまで来て、壁ぶち破って脱出していいってことか?」
『そちらの意味ではない。知らないのか?日本で少し前に流行ったシチュエーションだ。壁際に相手を追い詰め、強引に迫ることだ。イケメンがやることでドキドキ感が増すそうだな。その至近距離の状態で五分キープすればランプが点灯する。ちなみに足ドンもあるそうだが…ガストならばこちらの方が得意か』
「いやいや、それただの恐喝だろ!?って、五分とか長すぎだ!」
『五分待てば晴れて自由の身だ』
「自由と引き換えに信頼を失いそうだぜ…」
『だが、その部屋で最後だ。そこを突破しなければ一生その部屋で過ごすことになるぞ』
それは困る。怖がらせることあまりしたくないけど、絶対にここから脱出するって約束したし。ずっとこのままってわけにはいかない。
「……わかった。なんとかやってみる」
『幸運を祈る』
司令との通信が切れた後も、しばらく俺は頭を抱えていた。どうする、どうする俺。いや、やらなきゃロックが解除されない。
「ガスト。…なんかヤバそうな条件だったの?五分とか時間は聞こえたけど」
「ヤバいというか…なんつーか」
「一人で悩んでないで、相談してよ。確かに私はこういう時、ただの足手まといにしかならないけど…一緒にいるんだから、少しでもガストの力になれるようにするから」
「穂香……そこまで言われちゃ俺も腹括るしかない、よな。……よし。今から俺の言うことは、その条件に関することだと思ってくれ。…とりあえず、そこの壁際に立って」
「わかった。…こんな感じ?」
相手にドア横の壁際に立ってもらい、躊躇いが濃くならないうちに近づく。そして、そのまま両手を顔の横についた。身長差がある分、穂香が上目遣いで俺を見る形に。俄か、頬に熱が走る。やばい。ドキドキしてきた。普段この距離で顔見ることないし。
前置きをしたおかげか、抗議の声や抵抗もされなくて助かってる。むしろ、照れてるのか恥ずかしそうに目を伏せていた。その姿が堪らなく可愛くて、抱きしめたくなる。でも、余計なことしてこの部屋から出られなくなったらと思うと。
「…ご、ごめんな。こんなことされて、嫌だよ…な」
「……別に。嫌じゃない……私、」
ぼそぼそと聞こえた穂香の声。何を言っているのか聞き取れなくて、聞き返したら、真上から別の声が降ってきた。
「おい、ガスト。起きろ」
機嫌が悪そうな低い声に驚いて、俺はガバッと頭を上げた。眩しい。急激に明るくなった
視界に映ったのはカフェテラス。テラス席にいる人の姿は疎らだ。
「まだ寝惚けてるのか。…珍しいな」
「……レン。…あぁ、悪い。俺、完全に寝ちまってたか。ちょっと目つぶってただけなのに」
思い出した。パトロールでブルーノースシティにレンと来ていて、休憩時間になったからカフェで昼食を取っていたんだ。腹が満たされると、睡魔がゆっくり訪れて、五分だけって目をつぶった。周りの会話や雑踏がちょうどいい子守唄になったのか、ちょっとどころか結構眠っちまったみたいだ。って、どんだけ寝てたんだよ俺。
「もう休憩時間は終わってる」
「……だよなぁ」
「夢でも見てたのか。魘されていた」
夢。そうだよな、あんな意味不明な能力を持つ【サブスタンス】があるわけない。夢の内容全部憶えてるわけじゃないけど、結構苦労した。それにしても最後、穂香はなんて言おうとしてたんだろうな。まぁ、俺の夢だし適当に解釈しておこう。
「まぁ、なんつーか…複雑な夢だった、うん。……でも、レンに起こされるとはな。それこそまだ夢見てんのかも…なんてな」
「……もう起こさない」
「いやいや、冗談だって。起こしてくれてサンキュ。よし、パトロール後半行こうぜ」
レンの機嫌を損ねかけた時、司令部からの通信が入った。ジャックの声が【サブスタンス】の出現を報せる。場所はこのカフェからすぐ側だ。【イクリプス】の時よりも反応は悪いレンも、近隣だと聞いてその方向に目を向ける。
人々のどよめきが、聞こえた。被害が大きくなる前にさっさと片付けちまおう、レンにそう声を掛けようとした。前方に見えた人影に、俺は目を見張った。
穂香がいる。【サブスタンス】に気づいたのか、その場から離れようとしてるけど。おいおい、冗談じゃないぞ。なんかデジャヴ感じるんだけど。
インカムを取り付けた俺は、同じくヒーロースーツを纏ったレンに注意を促した。
「レン、あの【サブスタンス】に気をつけろよ。何してくるかわかったもんじゃねぇ」
「すぐに終わらせる」
「そうしようぜ。市民、巻き込まねぇようにな。…レベル2ってとこか、俺たちなら簡単にやれるよな」
先ずは足止めをする。肩に担いだ愛用の小銃を構え、照準を合わせた。
嫌な予感と夢が現実とならないように祈りながら、俺はトリガーに指を掛けた。