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After work
夕闇が訪れた街並みに街灯がぽつり、またぽつりと明かりを灯し始めた。
ノースシティのパトロールが終了した後は、集合場所で点呼をとってすぐに解散。数日前からパトロールの任務にあたるようになったけど、この流れも毎度のことで慣れてきた。
ちょうど腹も空いてたし、レンをメシに誘おうかと考えて、声掛けようと思った次には姿を眩ました。集合場所に来ないこともあれば、こうして顔を合わせた後にはすぐ居なくなるんだよなあいつ。チームの纏まりってのが感じられないんだよな、今のところ。
メシに誘おうと思ってた相手には声を掛ける前にフラれちまったし、このまま真っすぐタワーに帰って何か適当に作るか。でも、今日は外で食べたい気分だ。報告書はさっきマリオンが出すと言ってたし、少し寄り道してから帰っても問題ないだろ。
俺は集合場所から飲食街のある通りに向かって歩き出した。
薄闇の夜空に一等星が輝き始めていた。穏やかな街並みを眺めながら石畳の上を進む。いっそサウスまで下って馴染みの店で食べるのもいいんだろうけど、この辺の店も開拓していきたい。そういえば、駅の近くに新しくオープンしたカフェがあったな。そこで軽く食べてからタワーに戻ろう。
この時間帯は一般企業勤めの帰宅者が多い。スーツを纏った会社員が革靴をカツカツ鳴らして歩いている。中にはお疲れモードのヤツもいて、暗い顔した同僚を宥めている姿も見られた。
飲食街に近づくにつれ人が増えてきた。行き交う人波の中に見覚えのある姿に目が留まる。向こうも俺のことに気づいたみたいで、視線が交わった。いつものように笑みを浮かべて手を振ると、穂香もひらりと手を振って返してくれる。少し疲労の色が見える表情で。
「仕事終わった帰りか?お疲れ」
「うん、ありがと。そっちは…パトロール帰りかしら」
「ああ。今日も街の平和を守ってきたぜ」
ルーキーにパトロールの許可が下りた。それが数日前のこと。研修、トレーニングに加えて街のパトロールに出ることになったが、俺のチームは好き勝手に行動しているようなもんだ。【サブスタンス】が出現すればドクターが駆け付けるし、【イクリプス】が出たとなればレンが真っ先に向かう。
今のところ、レベルの高い【サブスタンス】や【イクリプス】とは遭遇していない。今日の活躍といえば、気象異常をもたらしていた風の【サブスタンス】の被害から市民を守ったことだな。強風に煽られた瓦礫を凌いだ時に右腕を負傷しちまったけど。大した傷じゃないし、気に留める程度でもない。でも、知られたら余計な心配かけちまうだろうし、これは言わない方がいいな。捲っていた両袖をそっと下ろした。
「穂香、この後時間あるならメシ行かないか」
「いいけど。他に誘う人いなかったの」
「あー……チームメイト誘おうとしたら、もういなかった」
「そう。ご飯だけならいいよ。…駅前に新しくオープンしたカフェに行く?あそこならわりとカジュアルな感じだし、堅苦しいの苦手なガストでも入りやすいと思う」
肩から提げていた大きめのショルダーバッグを直しながらそう話した。随分重そうだ。持とうかと訊いてもそこまで重くないからと断られてしまった。
「じゃあ、そこにしよう。俺も気になってたし…なんか気ぃ遣ってもらって悪いな」
ノースの飲食店は畏まった場所が多いし、気兼ねなく入れる所が少ない気がするんだ。実は気軽に過ごせる店もあるんだろうけど、まだ探し出すまで手が回ってない。ダーツバーとか探したいんだけどな。
「こっちこそ」
そう返してきた笑みにはやっぱりどこか疲れが見える。何かあったのかと訊くより先に相手が歩き出してしまい、そのことについて触れる機会を見失ってしまった。
◇◆◇
「……ふうん。じゃあ、その【サブスタンス】の回収に貢献してたってわけなんだ。それで今日、店舗の辺りで風が強かったのかしら」
「んー…でも、そっちの方には行ってなかったはずだぜ。偶々風が強かっただけじゃないか?」
「そうかも。被害状況とか特に聞いてないし。最近は風が吹くとガストがいるのかなぁって思うようになってたから」
「…なんかそれだと、俺が風の代名詞みたいで恥ずかしいな。まぁ、被害出てないようで良かったよ」
穂香はデザイナー事務所での勤務が基本で、時たま店舗の助っ人に入ると前に話してくれた。今日はノースシティのブティックで接客に応じていたそうだ。慣れないことをすると疲れるし、そのせいで今日は少しぼんやりしているのかもしれない。
駅前にオープンしたカフェは思ったよりもカジュアルな雰囲気の場所だった。店の外観は一見クールでスタイリッシュにも思えたが、中はそうでもない。壁紙や装飾品は気取っていない物ばかりだし、店内BGMはポップ・ミュージックで聴きなれた曲が多い。客層はアフターのビジネスマンばかりでも、軽い雑談を交わしている。
畏まった雰囲気が無いから、居心地もいい。静まり返った場所よりも少しザワついている方が肩身も狭くないしな。ノースにもこういう場所がもっと増えればいいのに。
「……ベーグルって生地硬いうえに、具材挟むと厚みがこんなに増すのに…顎よく外れないわね」
「そんなヤワじゃないからな」
「だってそれ、絶対かぶりつける厚さじゃないわよ」
このカフェが気に入った理由は他にもある。メニューが気取ってないところと、何よりもサーモンのベーグルサンドを提供しているとこだ。スモークサーモンの塩気、他の具材の味付けもちょうど良いし、クリームチーズとブラックペッパーとの相性も抜群だ。この店はお気に入り決定だな。
ベーグルサンドにかぶりつく俺の方を見ながら、穂香が手元でパスタをくるくるとフォークに巻き付けようとしている。何度も巻いているけど、フォークの隙間からパスタが逃げていっている。最終的に巻けた量は少ないし、パスタの端がフォークから垂れていた。それを小さな口に運んで、口の周りについたパスタソースを紙ナプキンで拭う。一口ごとにそれを繰り返していた。
やっぱ俺の気のせいか。何となく元気が無さそうに思えたんだけど。
仕事でなんかあったのか聞いても一時的に愚痴が出ただけで、すぐに別の話にすり変わった。元々愚痴を言う方じゃないんだよな。その辺は遠慮がちだから、溜め込んでなきゃいいけど。
他に思い当たる節といえば、あれだ。故郷の恋人と別れてからまだ一か月ぐらいしか経ってないんだよな。気遣って声掛けたりはしてるけど、特に引きずってる風には見えない。弟分の中には彼女にフラれて結構長い間引きずってるようなヤツもいたし。こういうのって男女で差があるのか。
穂香が目に見えて落ち込んでいたのはあの日だけだ。相手の愚痴や悪口は聞いたことないし、たまに話題に登場しても、あくまで過去の話といった風でさらりとしていた。割り切るのが早いというか、なんというか。
「……私の顔になんかついてる?」
「え…?」
「さっきからジロジロ見られてる気がする」
「あ…いや。……穂香、パスタ巻くの下手だよな」
フォークが皿に触れていた音が止む。その先には小さな毛糸玉みたいになっているパスタ。一口の量が安定していない。
そう指摘した俺の方をジト目で睨んできた。これ、結構気にしてたことだったみたいだな。どこか気まずそうに相手が視線を横へずらす。
「……悪い?」
「いやいや、悪くないけど。いつも食いづらそうにしてんなぁと思って」
「…スプーンが無いと巻きにくいの」
この店ではパスタにスプーンが添えられていなかった。だから皿の隅を使って巻く頑張ってる姿を見ることができたワケで。スプーンがあればそれなりに巻けると本人は言い訳をする。
「スプーン使っても、だいぶ残念な巻き方だったと思うけど」
「なっ…!ガストだって、リトルトーキョーの食堂で蕎麦食べるときに「フォークください」って早々に諦めてたじゃないの!」
「流石に箸は使い慣れてないからな。あ、でもソバは美味かったよな。香りが良くてさ」
「…山葵の辛さに悶えてたわね、そういえば」
ワサビの辛さに涙目で堪えていた姿が面白かった、と笑い返された。あの時は薬味の加減が分からず、適当にワサビを溶かしたら大変な目に遭った。マスタードやタバスコとはまた違う種類の辛さで、舌や喉じゃなくて鼻や目の奥にダイレクトに響く。「擦りおろしたばかりのはもっと辛いし、こんなもんじゃないよ」と聞いた時はなんてもん食ってんだと思った。それでも、一瞬で辛みが消え去るのがせめてもの救いだった。
この笑い話、結構前のことだ。日本食に興味持ち始めた頃だったかな。
「……よく憶えてるな、そんなこと」
「だって面白かったもの。食べたことないのに、いきなり山葵全部溶かしてさ」
「ああいう大事なことは前もって言ってくれよな」
「私が声掛ける前だったから。……はぁ。箸持ち歩こうかな、マイ箸」
俺の指摘を気にしてか、一度巻いたパスタの毛糸玉を解し、巻き直しにトライし始める。今度は少なすぎて上手くフォークに巻けていない。
「店員に聞いてみるか?箸ありませんかって」
「いい。あと少しだし、ここまできて借りるのも悔しい」
「ははっ…ま、頑張れよ。ゆっくり食べてくれ」
時々、こんな風に頑固なところを見せる。負けず嫌いなんだよな。ダーツで勝負してる時も最後まで諦めたりしない。ダーツは少し教えただけでルールはすぐに覚えたし、上達も早かった。ブルの狙いも正確で、バーストになったとしてもその次でフィニッシュ決めることもある。相手が上達すると教えがいもあるし、何より共通の趣味で楽しめるってのが良かった。「ダーツって面白い」と覚えたての頃に目キラキラさせて言ってくれたのも嬉しかったな。
ベーグルサンドが俺の腹に収まって暫くしてから、穂香のパスタもようやく最後の一口となった。頑張った成果がフォークの先に出ている。きれいに巻けたと満足そうにその口元が弧を描いた。俺が見る限りでも今日一できれいに巻けてる。それが口の中に無事に収まった。
メインディッシュをようやく完食して、口の周りについたパスタソースを紙ナプキンで拭い、満足気に「ご馳走様」と手を合わせていた。
「……あ、穂香」
「ん?」
「ソース、まだ端についてるぞ」
拭いきれていないパスタソースが口の端についている。手を伸ばして、それを親指の腹で拭った。メニューを見た時、気になってたやつでもあったから、ソースの味見のつもりで拭ったそれを舐めた。サーモンのクリームパスタは思ったよりさっぱりしてて美味いな。と、一連の流れは無意識でやっていた。本当にだ。
相手が無表情のまま固まっていて、なんでそんな表情してるんだと気づいた時には、自分の顔に火が着いたかと思うぐらい熱くなった。
今しがた自分のしたことに言い訳を並べるも、何を言ってるか自分でも分からなくなっていた。
テーブルに両肘をついて、組んだ両手の上に額を乗せて俯く相手の顔も赤い気がした。が、出てきた台詞と低いトーンの声に焦りが助長される。
「……イケメンなら何しても許されると思わないでよね」
「いや、だから…ゴメン…!わ、わざとじゃ…あっ、ほらデザートきたぞ!」
ナイスタイミングでパスタとセットのデザートが運ばれてきた。白い皿に乗ったベイクドチーズケーキが穂香の前に用意される。こんがりと表面が焼けていて、美味しそうだ。
空いた皿を回収していった女性店員に心なしか笑われた気がする。
それはそうと、一気に気まずい空気になっちまった。そういう間柄でもないのに、さっきのはマズかったよな。ダメだ。少し思い出しただけで顔が熱くなる。間接的なアレに近いワケで。ああ、ダメだ。考えないようにしろ。
締りのない口元を手で覆い隠し、頬の熱が引くまで無に徹しようとしていた。
こっちにばかりに気を引かれていたせいで、右腕の袖が肘まで捲れていたことに気づくのが遅れてしまったんだ。現れた傷口は赤黒くなっていて、既に瘡蓋を形成し始めていた。そこにいつの間にか目を留めていた穂香の表情が僅かに歪む。
「……その怪我、さっきの【サブスタンス】回収した時の?」
「あ、あぁ…。市民の避難誘導してる時に、ちょっとな。掠り傷程度だし、【サブスタンス】会得者は治癒力も高まるって話だから…すぐ治るだろ」
これで掠り傷なのか、と言いたそうにしていた。この傷が隠れる所までまた袖を下す。
「……お大事に。…そっか、ヒーローは怪我してもゆっくり休んでる暇がないってことね。なんだかそれも酷な話」
「一般人よりも少し回復が早いってだけだからな?酷い怪我や骨折とかはそれなりに時間かかるだろうし。……心配してくれてサンキュ」
頬の熱はだいぶ引いてきた。変に意識されないのはとても有難い。反面、その程度にしか思われてないんだろうなと悲しさもある。でも、あんな風に照れるのは珍しい気もした。
俺の左頬に向けられた視線。クールダウンに冷たい水を流し込んでから、そういえばと話を始めた。
「そういや、会って二度目だってのに…顔に湿布貼り付けて去っていったことあったよな」
「あー……あったね、そんなこと。あの時はイケメンが顔に痣作って何やってんだ!って腹立ってつい」
結局、あの時に渡されたスクエアポーチは俺の手元に残る形になった。返すって言っても「試作品だし、あげる」と断られた。あのデザインで商品化する予定が、最終的に修正が入って違うデザインの物になったらしい。だから世界に一つしかない作品だと。そこまで言われたら返すのも失礼で、有難く貰ったというワケだ。
今は応急手当用の湿布や常備薬入れに重宝している。持ち運びやすいサイズでちょうどいいんだ。思い出の品的な感じで持ち歩いている面もある。
穂香はようやくデザートフォークを手にして、ベイクドチーズケーキの先端にフォークを入れた。
「ここのチーズケーキ、美味しいから好きなの。さっくり固めで」
「へぇ。俺も頼めばよかったな」
「一口あげようか」
「いいのか?」
軽くそこで頷き、さっき切り分けたばかりのベイクドチーズケーキの欠片をフォークに突き刺す。そしてそれを俺の方にそのまま向けてきた。いい笑顔付きで。
「はい、どうぞ」
いや、ちょっと待て。そういうお裾分けの仕方は全く頭に無かった。完全に思考は固まっていたし、頬にまた熱が帯びてくるし、そもそもそういう関係じゃない。断ったら断ったで、いやもうどうしたらいいんだ。
にやにやと相手の笑みが深まっていく。そこでようやくふざけているんだと頭が冷静になった。
「なんてね。さっきのお返し」
「……穂香もタチが悪いよな」
「ごめんって。ほら、今度こそちゃんとしたお裾分け」
テーブルの隅に常設されている取り皿を手にとって、半分に切り分けたそれを乗せる。新しいデザートフォークを添えて俺の前に置いた。
「……一口って量じゃないだろ、これ」
「ご飯誘ってくれた御礼。…おかげで、もやもやしてたの晴れたし」
そう話した後、最初に切り分けたケーキの欠片を頬張った。美味しいと幸せそうに頬を緩めている。結局、何があったのかは分からず仕舞いだ。聞いても教えてくれないだろう。まぁ、気分が晴れたんなら良かった。その代わりに俺がもやもやする羽目になったけどな。
夕闇が訪れた街並みに街灯がぽつり、またぽつりと明かりを灯し始めた。
ノースシティのパトロールが終了した後は、集合場所で点呼をとってすぐに解散。数日前からパトロールの任務にあたるようになったけど、この流れも毎度のことで慣れてきた。
ちょうど腹も空いてたし、レンをメシに誘おうかと考えて、声掛けようと思った次には姿を眩ました。集合場所に来ないこともあれば、こうして顔を合わせた後にはすぐ居なくなるんだよなあいつ。チームの纏まりってのが感じられないんだよな、今のところ。
メシに誘おうと思ってた相手には声を掛ける前にフラれちまったし、このまま真っすぐタワーに帰って何か適当に作るか。でも、今日は外で食べたい気分だ。報告書はさっきマリオンが出すと言ってたし、少し寄り道してから帰っても問題ないだろ。
俺は集合場所から飲食街のある通りに向かって歩き出した。
薄闇の夜空に一等星が輝き始めていた。穏やかな街並みを眺めながら石畳の上を進む。いっそサウスまで下って馴染みの店で食べるのもいいんだろうけど、この辺の店も開拓していきたい。そういえば、駅の近くに新しくオープンしたカフェがあったな。そこで軽く食べてからタワーに戻ろう。
この時間帯は一般企業勤めの帰宅者が多い。スーツを纏った会社員が革靴をカツカツ鳴らして歩いている。中にはお疲れモードのヤツもいて、暗い顔した同僚を宥めている姿も見られた。
飲食街に近づくにつれ人が増えてきた。行き交う人波の中に見覚えのある姿に目が留まる。向こうも俺のことに気づいたみたいで、視線が交わった。いつものように笑みを浮かべて手を振ると、穂香もひらりと手を振って返してくれる。少し疲労の色が見える表情で。
「仕事終わった帰りか?お疲れ」
「うん、ありがと。そっちは…パトロール帰りかしら」
「ああ。今日も街の平和を守ってきたぜ」
ルーキーにパトロールの許可が下りた。それが数日前のこと。研修、トレーニングに加えて街のパトロールに出ることになったが、俺のチームは好き勝手に行動しているようなもんだ。【サブスタンス】が出現すればドクターが駆け付けるし、【イクリプス】が出たとなればレンが真っ先に向かう。
今のところ、レベルの高い【サブスタンス】や【イクリプス】とは遭遇していない。今日の活躍といえば、気象異常をもたらしていた風の【サブスタンス】の被害から市民を守ったことだな。強風に煽られた瓦礫を凌いだ時に右腕を負傷しちまったけど。大した傷じゃないし、気に留める程度でもない。でも、知られたら余計な心配かけちまうだろうし、これは言わない方がいいな。捲っていた両袖をそっと下ろした。
「穂香、この後時間あるならメシ行かないか」
「いいけど。他に誘う人いなかったの」
「あー……チームメイト誘おうとしたら、もういなかった」
「そう。ご飯だけならいいよ。…駅前に新しくオープンしたカフェに行く?あそこならわりとカジュアルな感じだし、堅苦しいの苦手なガストでも入りやすいと思う」
肩から提げていた大きめのショルダーバッグを直しながらそう話した。随分重そうだ。持とうかと訊いてもそこまで重くないからと断られてしまった。
「じゃあ、そこにしよう。俺も気になってたし…なんか気ぃ遣ってもらって悪いな」
ノースの飲食店は畏まった場所が多いし、気兼ねなく入れる所が少ない気がするんだ。実は気軽に過ごせる店もあるんだろうけど、まだ探し出すまで手が回ってない。ダーツバーとか探したいんだけどな。
「こっちこそ」
そう返してきた笑みにはやっぱりどこか疲れが見える。何かあったのかと訊くより先に相手が歩き出してしまい、そのことについて触れる機会を見失ってしまった。
◇◆◇
「……ふうん。じゃあ、その【サブスタンス】の回収に貢献してたってわけなんだ。それで今日、店舗の辺りで風が強かったのかしら」
「んー…でも、そっちの方には行ってなかったはずだぜ。偶々風が強かっただけじゃないか?」
「そうかも。被害状況とか特に聞いてないし。最近は風が吹くとガストがいるのかなぁって思うようになってたから」
「…なんかそれだと、俺が風の代名詞みたいで恥ずかしいな。まぁ、被害出てないようで良かったよ」
穂香はデザイナー事務所での勤務が基本で、時たま店舗の助っ人に入ると前に話してくれた。今日はノースシティのブティックで接客に応じていたそうだ。慣れないことをすると疲れるし、そのせいで今日は少しぼんやりしているのかもしれない。
駅前にオープンしたカフェは思ったよりもカジュアルな雰囲気の場所だった。店の外観は一見クールでスタイリッシュにも思えたが、中はそうでもない。壁紙や装飾品は気取っていない物ばかりだし、店内BGMはポップ・ミュージックで聴きなれた曲が多い。客層はアフターのビジネスマンばかりでも、軽い雑談を交わしている。
畏まった雰囲気が無いから、居心地もいい。静まり返った場所よりも少しザワついている方が肩身も狭くないしな。ノースにもこういう場所がもっと増えればいいのに。
「……ベーグルって生地硬いうえに、具材挟むと厚みがこんなに増すのに…顎よく外れないわね」
「そんなヤワじゃないからな」
「だってそれ、絶対かぶりつける厚さじゃないわよ」
このカフェが気に入った理由は他にもある。メニューが気取ってないところと、何よりもサーモンのベーグルサンドを提供しているとこだ。スモークサーモンの塩気、他の具材の味付けもちょうど良いし、クリームチーズとブラックペッパーとの相性も抜群だ。この店はお気に入り決定だな。
ベーグルサンドにかぶりつく俺の方を見ながら、穂香が手元でパスタをくるくるとフォークに巻き付けようとしている。何度も巻いているけど、フォークの隙間からパスタが逃げていっている。最終的に巻けた量は少ないし、パスタの端がフォークから垂れていた。それを小さな口に運んで、口の周りについたパスタソースを紙ナプキンで拭う。一口ごとにそれを繰り返していた。
やっぱ俺の気のせいか。何となく元気が無さそうに思えたんだけど。
仕事でなんかあったのか聞いても一時的に愚痴が出ただけで、すぐに別の話にすり変わった。元々愚痴を言う方じゃないんだよな。その辺は遠慮がちだから、溜め込んでなきゃいいけど。
他に思い当たる節といえば、あれだ。故郷の恋人と別れてからまだ一か月ぐらいしか経ってないんだよな。気遣って声掛けたりはしてるけど、特に引きずってる風には見えない。弟分の中には彼女にフラれて結構長い間引きずってるようなヤツもいたし。こういうのって男女で差があるのか。
穂香が目に見えて落ち込んでいたのはあの日だけだ。相手の愚痴や悪口は聞いたことないし、たまに話題に登場しても、あくまで過去の話といった風でさらりとしていた。割り切るのが早いというか、なんというか。
「……私の顔になんかついてる?」
「え…?」
「さっきからジロジロ見られてる気がする」
「あ…いや。……穂香、パスタ巻くの下手だよな」
フォークが皿に触れていた音が止む。その先には小さな毛糸玉みたいになっているパスタ。一口の量が安定していない。
そう指摘した俺の方をジト目で睨んできた。これ、結構気にしてたことだったみたいだな。どこか気まずそうに相手が視線を横へずらす。
「……悪い?」
「いやいや、悪くないけど。いつも食いづらそうにしてんなぁと思って」
「…スプーンが無いと巻きにくいの」
この店ではパスタにスプーンが添えられていなかった。だから皿の隅を使って巻く頑張ってる姿を見ることができたワケで。スプーンがあればそれなりに巻けると本人は言い訳をする。
「スプーン使っても、だいぶ残念な巻き方だったと思うけど」
「なっ…!ガストだって、リトルトーキョーの食堂で蕎麦食べるときに「フォークください」って早々に諦めてたじゃないの!」
「流石に箸は使い慣れてないからな。あ、でもソバは美味かったよな。香りが良くてさ」
「…山葵の辛さに悶えてたわね、そういえば」
ワサビの辛さに涙目で堪えていた姿が面白かった、と笑い返された。あの時は薬味の加減が分からず、適当にワサビを溶かしたら大変な目に遭った。マスタードやタバスコとはまた違う種類の辛さで、舌や喉じゃなくて鼻や目の奥にダイレクトに響く。「擦りおろしたばかりのはもっと辛いし、こんなもんじゃないよ」と聞いた時はなんてもん食ってんだと思った。それでも、一瞬で辛みが消え去るのがせめてもの救いだった。
この笑い話、結構前のことだ。日本食に興味持ち始めた頃だったかな。
「……よく憶えてるな、そんなこと」
「だって面白かったもの。食べたことないのに、いきなり山葵全部溶かしてさ」
「ああいう大事なことは前もって言ってくれよな」
「私が声掛ける前だったから。……はぁ。箸持ち歩こうかな、マイ箸」
俺の指摘を気にしてか、一度巻いたパスタの毛糸玉を解し、巻き直しにトライし始める。今度は少なすぎて上手くフォークに巻けていない。
「店員に聞いてみるか?箸ありませんかって」
「いい。あと少しだし、ここまできて借りるのも悔しい」
「ははっ…ま、頑張れよ。ゆっくり食べてくれ」
時々、こんな風に頑固なところを見せる。負けず嫌いなんだよな。ダーツで勝負してる時も最後まで諦めたりしない。ダーツは少し教えただけでルールはすぐに覚えたし、上達も早かった。ブルの狙いも正確で、バーストになったとしてもその次でフィニッシュ決めることもある。相手が上達すると教えがいもあるし、何より共通の趣味で楽しめるってのが良かった。「ダーツって面白い」と覚えたての頃に目キラキラさせて言ってくれたのも嬉しかったな。
ベーグルサンドが俺の腹に収まって暫くしてから、穂香のパスタもようやく最後の一口となった。頑張った成果がフォークの先に出ている。きれいに巻けたと満足そうにその口元が弧を描いた。俺が見る限りでも今日一できれいに巻けてる。それが口の中に無事に収まった。
メインディッシュをようやく完食して、口の周りについたパスタソースを紙ナプキンで拭い、満足気に「ご馳走様」と手を合わせていた。
「……あ、穂香」
「ん?」
「ソース、まだ端についてるぞ」
拭いきれていないパスタソースが口の端についている。手を伸ばして、それを親指の腹で拭った。メニューを見た時、気になってたやつでもあったから、ソースの味見のつもりで拭ったそれを舐めた。サーモンのクリームパスタは思ったよりさっぱりしてて美味いな。と、一連の流れは無意識でやっていた。本当にだ。
相手が無表情のまま固まっていて、なんでそんな表情してるんだと気づいた時には、自分の顔に火が着いたかと思うぐらい熱くなった。
今しがた自分のしたことに言い訳を並べるも、何を言ってるか自分でも分からなくなっていた。
テーブルに両肘をついて、組んだ両手の上に額を乗せて俯く相手の顔も赤い気がした。が、出てきた台詞と低いトーンの声に焦りが助長される。
「……イケメンなら何しても許されると思わないでよね」
「いや、だから…ゴメン…!わ、わざとじゃ…あっ、ほらデザートきたぞ!」
ナイスタイミングでパスタとセットのデザートが運ばれてきた。白い皿に乗ったベイクドチーズケーキが穂香の前に用意される。こんがりと表面が焼けていて、美味しそうだ。
空いた皿を回収していった女性店員に心なしか笑われた気がする。
それはそうと、一気に気まずい空気になっちまった。そういう間柄でもないのに、さっきのはマズかったよな。ダメだ。少し思い出しただけで顔が熱くなる。間接的なアレに近いワケで。ああ、ダメだ。考えないようにしろ。
締りのない口元を手で覆い隠し、頬の熱が引くまで無に徹しようとしていた。
こっちにばかりに気を引かれていたせいで、右腕の袖が肘まで捲れていたことに気づくのが遅れてしまったんだ。現れた傷口は赤黒くなっていて、既に瘡蓋を形成し始めていた。そこにいつの間にか目を留めていた穂香の表情が僅かに歪む。
「……その怪我、さっきの【サブスタンス】回収した時の?」
「あ、あぁ…。市民の避難誘導してる時に、ちょっとな。掠り傷程度だし、【サブスタンス】会得者は治癒力も高まるって話だから…すぐ治るだろ」
これで掠り傷なのか、と言いたそうにしていた。この傷が隠れる所までまた袖を下す。
「……お大事に。…そっか、ヒーローは怪我してもゆっくり休んでる暇がないってことね。なんだかそれも酷な話」
「一般人よりも少し回復が早いってだけだからな?酷い怪我や骨折とかはそれなりに時間かかるだろうし。……心配してくれてサンキュ」
頬の熱はだいぶ引いてきた。変に意識されないのはとても有難い。反面、その程度にしか思われてないんだろうなと悲しさもある。でも、あんな風に照れるのは珍しい気もした。
俺の左頬に向けられた視線。クールダウンに冷たい水を流し込んでから、そういえばと話を始めた。
「そういや、会って二度目だってのに…顔に湿布貼り付けて去っていったことあったよな」
「あー……あったね、そんなこと。あの時はイケメンが顔に痣作って何やってんだ!って腹立ってつい」
結局、あの時に渡されたスクエアポーチは俺の手元に残る形になった。返すって言っても「試作品だし、あげる」と断られた。あのデザインで商品化する予定が、最終的に修正が入って違うデザインの物になったらしい。だから世界に一つしかない作品だと。そこまで言われたら返すのも失礼で、有難く貰ったというワケだ。
今は応急手当用の湿布や常備薬入れに重宝している。持ち運びやすいサイズでちょうどいいんだ。思い出の品的な感じで持ち歩いている面もある。
穂香はようやくデザートフォークを手にして、ベイクドチーズケーキの先端にフォークを入れた。
「ここのチーズケーキ、美味しいから好きなの。さっくり固めで」
「へぇ。俺も頼めばよかったな」
「一口あげようか」
「いいのか?」
軽くそこで頷き、さっき切り分けたばかりのベイクドチーズケーキの欠片をフォークに突き刺す。そしてそれを俺の方にそのまま向けてきた。いい笑顔付きで。
「はい、どうぞ」
いや、ちょっと待て。そういうお裾分けの仕方は全く頭に無かった。完全に思考は固まっていたし、頬にまた熱が帯びてくるし、そもそもそういう関係じゃない。断ったら断ったで、いやもうどうしたらいいんだ。
にやにやと相手の笑みが深まっていく。そこでようやくふざけているんだと頭が冷静になった。
「なんてね。さっきのお返し」
「……穂香もタチが悪いよな」
「ごめんって。ほら、今度こそちゃんとしたお裾分け」
テーブルの隅に常設されている取り皿を手にとって、半分に切り分けたそれを乗せる。新しいデザートフォークを添えて俺の前に置いた。
「……一口って量じゃないだろ、これ」
「ご飯誘ってくれた御礼。…おかげで、もやもやしてたの晴れたし」
そう話した後、最初に切り分けたケーキの欠片を頬張った。美味しいと幸せそうに頬を緩めている。結局、何があったのかは分からず仕舞いだ。聞いても教えてくれないだろう。まぁ、気分が晴れたんなら良かった。その代わりに俺がもやもやする羽目になったけどな。