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未来へ歩む
十二月二十五日。
午後六時を過ぎたグリーンイーストのカフェ店内に客は疎ら。平日であれば仕事帰りの人で賑わうのだが。上旬からクリスマスシーズンで浮かれていた街も、今日は家族や友人たちとテーブルを囲んで過ごしている。その為か、夕方の時間帯は利用客が減っていた。
テーブル席の利用は一つだけで、そこでホットコーヒーを飲みながら穂香は寛いでいる。彼女の手元には横に傾けたスマホ。その画面に映された動画をかれこれ一時間は眺めていた。お気に入りのヒーローの見せ場に思わず笑みが零れる。
欧州や諸外国ではクリスマスを家族と共に過ごす風習が根強い。クリスマスツリーを飾り、靴下を吊るした暖炉に火を灯し、温かい部屋で豪華な料理を囲む。ホリデー休暇を取って故郷に帰る人も少なくない。
それに対して日本では友達や恋人と過ごす風習が根付いている。街はカップルで溢れるので、独り身には風当たりが強い日ともなる。その点、こちらでは一人でいようが哀れみの目を向けられることは無い。この方が気楽に過ごせると思った穂香は、そういった理由でホリデーに帰国しないと決めた節もあった。
カフェ店内にクリスマスソングがゆったりと、厳かな調べを奏でている。
数時間前にエリオスタワーで行われた【クリスマス・リーグ】の配信に穂香は釘付けになっていた。赤や緑のクリスマスに相応しい衣装を纏い、設営された会場内をヒーローたちが舞う。その姿はさながらサンタクロースのようだ。
音量を絞っていても、実況者と観客の歓声が最高潮に達すると店内に響き渡る。その度に店員の顔色を窺うが、店側は特に気にしていないようだった。水を注ぎに来たウェイターに「今期のイーストのルーキー、輝いてますよねぇ」とニコニコされるぐらいだ。居住エリアの担当ヒーローを蔑ろにするわけではないが、一番はノースセクターのヒーローだとは口にできず。穂香は「頑張ってほしいですよね」とありきたりな返事でやり過ごした。
カメラワークは忙しなく切り替わり、ヒーローたちの活躍を余すことなく捉える。平面の映像ですらこれだけの迫力が伝わってくるのだ、会場の熱気はもっと凄いのだろう。
ノースセクターの試合を視聴していたが、つい目で追い掛けてしまうのはガスト・アドラーの姿ばかり。彼は風を操り、自在に宙を舞う。
今期のルーキーたちは特に注目を集めていた。その中でもガスト・アドラーが特別に輝いて見えてしまうのは、恋の魔法とやらのせいだろう。
試合を終え、歓声に応えている彼はいい笑顔を見せている。その中に飛んできた黄色い歓声を受け止めると、その口元が少し引きつった。
イベントリーグ戦に夢中になっていた彼女は「穂香」と呼ばれた方向に顔を上げた。正面に先程まで画面の中で笑っていたヒーローが立っている。ガストは申し訳なさそうに眉を顰めていた。時間は午後六時半を過ぎている。約束の時間を大幅に過ぎていた。
「悪い、遅くなった。タワー出た所で弟分のヤツらに捕まって…少しだけって思ってたら、結構長話になっちまった」
「気にしなくてもいいわよ。ファンは大事にしないとね。それに私は待ってる間、リーグ戦見てたから退屈してなかった…もうこんな時間だったのね。【クリスマス・リーグ】お疲れ様」
「サンキュ。…って、もう配信されてんのか」
彼女に着席を促され、向かいの席に腰を下ろしたガスト。視聴動画の画面を閉じたスマホがバッグに仕舞われる。本物のヒーローを前にした穂香は頷く。
「うん。ガストの活躍、カッコよかった。クリスマス衣装も似合ってたわ。…会場で観戦できなかったのホントに悔しい。次からはイベントリーグのチケット、気合い入れて臨まないとダメね」
ヒーローたちが模擬戦を繰り広げるリーグ戦。イベントリーグ戦が開催される時は競争率が何倍にも跳ね上がるという。その話をしてくれた穂香の友人はブラッド・ビームスの大が付くほどのファン。彼女は通常リーグ戦のみならず、イベントリーグ戦のチケットを必ずゲットしていた。しかも、正規のルートで。たゆまぬ努力と、幸運の女神が微笑んでいるからだろう。その彼女にチケット申し込みのコツを聞いて、試してみると穂香は話すのだが。
「声掛けてくれれば、チケットこっちで確保できると思うぜ?【HELIOS】関係者の優待チケット。まぁまだルーキーだし、一般席だろうけどな」
「気持ちだけ受けとっておくわ。私も仕事の都合で必ず行けるとは限らないし…そうなったら無駄になっちゃうでしょ。だから、その分はガストの熱心なファンに譲る。自分で勝ち取った方が何倍も楽しみになるし」
「そういうところ、真面目だよなぁ。俺としては穂香に応援来てもらった方が、気合も入るし嬉しいんだけど」
「なるべく行くようにする。それに、ガストの応援はヒーローになる前からずっとしてるわよ」
淀みない笑みを浮かべるものだから、ガストの頬は緩みそうになっていた。少し前から彼女の言葉が特別なものに聞こえてくるのだ。片思いをしていた時よりも遥かに、心に響きやすい。これは完全に浮かれているし、相手に夢中になっている。よく聞く話では「彼女のことしか考えられなくなる」とある。自分は周りが見えなくなるような事態は避けたいと思っているが、それも叶うかどうか。
彼女の奮闘の末、どうしてもチケットが取れなかった時の為に、一枚は確保しておこうと考える時点で駄目かもしれないなとガストは思うのである。
「いらっしゃいませ。ご注文はいかがいたしますか」と水のグラスを一つトレイに乗せてきたウェイターがにこりと微笑んだ。ホットのミルクティーを頼んだガストの後に、同じものをと穂香もオーダーを追加。オーダーを繰り返したウェイターは空になったコーヒーカップを下げていった。
「少し温まってから行こう。今日、結構冷え込んでるし…身体冷えてるでしょ?」
「ああ。じゃあ、先にクリスマスカードとプレゼント交換しようぜ」
「うん」
【クリスマス・リーグ】終了後、グリーンイーストヴィレッジのツリーやイルミネーションを見に行く約束を交わしていた。とある事件が解決した今、慌てなくてもツリーは逃げ出さない。それに、お互いクリスマスプレゼントを受け取った時の反応を早く見たいと同じことを考えていた。
穂香は膝に抱えていた紙袋から長方形の平べったい箱を取り出した。雪の結晶がちりばめられた包装紙に深緑色のサテンリボンが掛けられている。ガストがコートのポケットから取り出した細長くて小さな箱は賑やかな柄に包まれ、細い赤と緑のリボンが結んである。
それぞれクリスマスカードを上に乗せて、相手に笑顔で差し出した。
「メリークリスマス。当日にこうして顔見ながら言うの初めてだな」
「そうね。去年までは月の初めに渡してたし…メリークリスマス、ガスト」
二つ折りの赤い台紙を開くと、切り絵のクリスマスツリーが立体的に飛び出した。ツリーの頂点には黄色い星が輝いている。夜空の模様が描かれた背景に銀色のペンで手書きのメッセージが綴られていた。
『Merry Christmas!I hope I can be with you forever.』
昨年までとは一変したメッセージ。改めて互いの関係性が変わったんだと感慨深いものがある。ガストはクリスマスカードに視線を落としたまま、嬉しさと恥ずかしさの感情を噛みしめていた。
「あー…その、何て書けばいいか結構悩んだのよ。いつもは来年もよろしくって書いてたけど…取り合えず、これからも一緒にいられたらと思って。…ちょっと重かったかしら」
「そんなことない。むしろ物凄く嬉しい…それだったらこっちだって、重いって思われちまうかも」
穂香に宛てられたクリスマスカードにはこう書かれていた。
『Merry Christmas.I am happy just because you are with me.』
丁寧に綴られたメッセージ。これに目を通した穂香は顔をほころばせていた。それからくすぐったそうに笑みを返す。
「ありがと。嬉しい。…なんだか不思議な気分。だって、少し前まではこんなこと書くつもりなんてなかったんだもの」
「そうだな…俺が勇気振り絞ってなきゃ、今頃こんな風に過ごしてなかったかもな」
今年のウィンターホリデーは家でのんびりすると話していた穂香。都合さえつけばどこかに遊びに行こうと声を掛けたのだが、それすらも断られていた。今となっては懐かしい。
「クリスマスプレゼントも結構悩んだ。デザイナー相手に変なモノ贈れないし」
「私そこまで選り好みしないわよ。……じゃあ、開けてもいい?」
「ああ。俺も開けさせてもらうぜ」
ガストは細長い箱にかけられたリボンと包装紙に指をかけ、気持ち丁寧に包装を解いていく。「こっちのマナー気にしなくていいわ」と笑いながら穂香も同じように包装紙を解いた。
彼女が開けた箱の中身は金色の細いチェーンネックレス。ペンダントトップには一粒の翠色の宝石が留まっている。透き通るその色に暫し見惚れ、「きれい」と呟いた。それを聞いたガストは胸をほっと撫で下ろす。
「今つけてるピアスと被っちまうかなぁって悩んだんだけど。揃えて使うのもアリかと思って」
「全然ありよ。ありがとう、とっても気に入った。この色、私が一番好きな濃さだし」
「おう。喜んでもらえて何よりだ。……なぁ、俺の方はタイ・クリップて聞いてたのに、これも一緒にいいのか?」
あれは紅葉の見頃を少し過ぎた季節。パトロール中、緩んだネクタイをきっちりと締められた時の話だ。成り行きとは言え、クリスマスの約束をした日。その時にタイ・クリップを贈るとガストは彼女から聞いていた。鏡面仕上げの美しい銀の輝きを放つクリップ、その先端に飾りとして一粒のエメラルドが埋め込まれていた。
その下に黒地に深緑のストライプ模様で織られたネクタイが箱に収まっている。
「そっちはおまけ。タイ・クリップと一緒に使えそうな柄にしてみた。シンプルだから場面選ばないと思う」
「普段使いにもいいかもしれない…けど、これは特別な日に締めるよ」
「勝負ネクタイってこと?」
「あぁ、穂香がくれたものだし。良いことが起きそうな気がする。サンキュ、大事にするから」
「うん。私も大切にするね。仕事の服にも合わせられそう……あ、そういえばガストはクリスマス嫌悪騒動には巻き込まれずに済んだの?」
その騒動とは今月の上旬に起きたもの。
クリスマスシーズンが始まり、各セクターは浮かれ始めていたのだが。その最中、突然複数の市民がクリスマスを嫌悪し、忌み嫌うようになった。親の仇だと言わんばかりにクリスマス飾りを撤去し、誰もがクリスマスの話題を拒んだ。
事の始まりはトリニティによる犯行だと突き止めたが、不覚にもイーストセクターの担当ヒーローがその暗示にかかってしまう。被害はグリーンイーストヴィレッジ、イエローウエストアイランドで起きていたので、リトルトーキョーに居住する穂香をガストは案じていた。この件を報せる為に連絡をした際も、既に暗示にかかっていたらと気が気でなかったという。
「ノースにいたから私は運良く暗示にかからなかったけど、仕事から帰ってきたらクリスマスツリーも飾りも全部無くなってたからびっくりした。クリスマスがすっ飛ばされたのかと思ったぐらい。ガストから話聞いてたおかげで、白い目で見られることもなかったし…」
「迂闊にクリスマスの話題振ったら、顔真っ赤にして怒ってくるからな。聞いた話じゃ【ディアヒーロープロジェクト】のポストも撤去されてたらしい」
「ああ…そういえば無かったかも。でも、イブまでには解決できたんだし、流石【HELIOS】のヒーローね」
「俺は特に活躍してないけどな」
「身近な人に危険を報せるのも立派な務めよ」
会話に夢中になっていたところに温かいミルクティーが二つ運ばれてきた。
今日のリーグ戦の見所をガストが話せば、配信でさっきちょうど見たところだと穂香が相槌を打つ。昨夜の【ディアヒーロープロジェクト】で子どもたちからこんなお願いがあったと愉しそうに話した。
二人の話はテンポよく進んでいく。まるで半年ぶりに再会し、お喋りが楽しくて止まらないかのように。
ミルクティーのカップが空になる頃には、ガストの冷えた身体もすっかり温まっていた。
カフェで一時間ばかり過ごした後、会計を済ませて外へ出た時には新雪が道を薄っすらと覆っていた。雪は止まずに今も細かく降り続いている。
「結構降ってたんだな。足跡無くなってるし」
「この調子だと積もりそうね。足元、気を付けましょ」
舗装された道の上を二人分の足跡をつけながら、メインストリートの方へ向かう。
並んで歩く距離は以前よりも縮まっていた。肩が触れそうなほど近い。彼女の横顔に見惚れていたガストは、その顔が不意にこちらを向いたのでどきりとした。
「ガストは毎年どう過ごしてたの、クリスマス」
「俺は、毎年仲間…ダチと騒いでる。カウントダウンもそいつらと花火見に行って、その後適当にぶらついてた」
「今年はよかったの?急に付き合い悪くなった、とか言われるんじゃ」
「その辺は上手く言ってあるから心配要らないぜ」
そう返したガストではあるが、前もって仲間の一人に連絡を入れた時の話を思い出した。
彼らとの集まりは事前に打ち合わせるということがない。当日にふらりと集まり、持ち寄った物で飲み食いのパーティーを開く。そんな軽い感じの為、前もって連絡を取り合うこともなかったのだが。偶々、別件で連絡を取った際についでに話しておいたのだ。今年は俺抜きでやってくれ、と。用事がある云々は伏せていたにもかかわらず、勘繰った相手が「彼女出来たんだろう」とつついてきた。さらに、運悪く近くにいた他の仲間が騒ぎ出したのだ。「ついにガストに彼女が!こいつは祝わない手はないぜ!」「シャンパン用意しようぜ!」と電話の向こうで盛り上がり出した。こちらが否定、肯定する暇もなく、収拾がつかなくなったので、そのまま電話を切った。今頃は本人不在でシャンパンを開けてワイワイと騒いでいるのだろう。容易に想像がつく。
後日、写真を見せろとメッセージで迫られもしたが、断固として拒否。不在中に穂香が絡まれでもしたら、そう思うと気が気じゃない。
「……穂香。変な連中に声掛けられても、相手しなくていいからな」
「変なって…例えば?」
「……俺の名前を出してくるようなヤツら」
「ガストって名前利用されるぐらいまで有名になってきたの?ヒーローになると多方面で
さらに顔広くなるのね…とりあえず気を付けておくわ」
その連中とは昔からの馴染みだ、とは言えずにガストは苦笑いを浮かべた。
「それにしても、なんだか変わらないわね」と雪をさくりと踏みながら穂香が投げかける。
「何がだ?」
「私たちの距離。…友達と恋人の境界線ってすごく曖昧ね。昨日まで友達だった人が今日から恋人ですってなっても、劇的に変化するわけでもない」
「そりゃ、そうだろ。友達としての方が長かったんだし。…昨日の今日でってなっても、俺の方がついていけない。…だから、お互い丁度いいんじゃないか、今はさ」
ガストはそう笑いかけて立ち止まり、穂香の前に自身の手を差し出した。
「俺たちのペースで行こうぜ。…それに、変わったことなら一つある。手を繋ぎたい時に繋げるのは、恋人の特権だよな」
「ん……そうね」
重なる手と手。その温かい手を握り返した穂香はぴったりと肩に寄り添う。熱を帯びた頬を隠すように、マフラーに顔をうずめる。その表情は幸せに満ち足りていた。
◇◆◇
──数年後。
サウスシティの馴染みのバーに来ていた二人は酒と共にダーツに興じていた。
穂香が放ったダーツはリリース後、シングルの4を狙ったはずがダブルの枠に刺さる。これにより、持ち点がバースト。惜しくも二投目で相手と交代することに。
悔しそうにスローラインから離れた彼女は席につくとテーブルに項垂れた。反対側の席でセットアップから一部始終を眺めていたガストは「惜しかったな」と笑いながらも慰めの言葉を掛けた。
「これで俺にも挽回のチャンスが巡ってきたわけだ」
「…悔しい。調子のいいガストを抑えて勝つつもりだったのに」
「今日のコンディションはバッチリだからな、次の一投で決めさせてもらうぜ」
久しぶりにダーツバーに飲みに行こうと誘いを受けたのだが、相手はラフな格好ではなく、珍しくスーツを纏っていた。【HELIOS】で式典でもあったのかと穂香が訊ねても、特にそういうわけじゃないという。
ガストの胸元は以前クリスマスに贈ったネクタイとタイ・クリップで飾られている。ダーツを始める前にスーツの上着を脱ぎ、ワイシャツの袖を捲っていた。
酒のグラスではなく、氷水をぐいっと煽った穂香。席を立つガストをジト目で睨みつける。
「随分気合入ってるわよね。格好も珍しくスマートだし」
「決まってるだろ?……今日は絶対に負けられない試合だからな」
ガストは口の端を持ち上げて微笑み、ダーツをくるりと手の中で回した。スローラインに向かう途中でダーツの重心を確認し、グリップを握る。
すると、周囲の客がガストに注目し始めた。その視線に少し気が散るが、深呼吸をして、いつもの立ち位置でセットアップ。狙う点数は4のダブル。ガストは腕を引き寄せ、ダーツをリリース。
放たれたダーツは綺麗な弧を描き、狙いの枠へタンッと音を立てて命中した。
これで持ち点がゼロになった。ガッツポーズを決めたガストに歓声と拍手が沸き起こる。
「…おっし!決まった」
「あー……負けたぁ」
頬杖をついて溜息を吐く穂香。周囲の拍手が未だに鳴りやまない。それどころか、口笛まで聞こえてきた。今日はやけに客が多いが、彼のファンだと思い特に気に留めずにいたのだ。
スローラインから席に戻って来たガストは上機嫌で椅子の背に手を伸ばす。引っ掛けていたスーツの上着に袖を通し、緩めていたネクタイを直して襟を正す。
それから神妙な面持ちで穂香の前に立つ。そのまま穂香の左手を取り、片膝を床につけた。上着のポケットから指輪の箱を取り出し、銀の指輪を薬指に嵌める。その指にそっと口づけた。
既に頬を赤らめている穂香に真剣な眼差しを向ける。
「will you marriage me?」
──Happy end.Stay happy forever!
十二月二十五日。
午後六時を過ぎたグリーンイーストのカフェ店内に客は疎ら。平日であれば仕事帰りの人で賑わうのだが。上旬からクリスマスシーズンで浮かれていた街も、今日は家族や友人たちとテーブルを囲んで過ごしている。その為か、夕方の時間帯は利用客が減っていた。
テーブル席の利用は一つだけで、そこでホットコーヒーを飲みながら穂香は寛いでいる。彼女の手元には横に傾けたスマホ。その画面に映された動画をかれこれ一時間は眺めていた。お気に入りのヒーローの見せ場に思わず笑みが零れる。
欧州や諸外国ではクリスマスを家族と共に過ごす風習が根強い。クリスマスツリーを飾り、靴下を吊るした暖炉に火を灯し、温かい部屋で豪華な料理を囲む。ホリデー休暇を取って故郷に帰る人も少なくない。
それに対して日本では友達や恋人と過ごす風習が根付いている。街はカップルで溢れるので、独り身には風当たりが強い日ともなる。その点、こちらでは一人でいようが哀れみの目を向けられることは無い。この方が気楽に過ごせると思った穂香は、そういった理由でホリデーに帰国しないと決めた節もあった。
カフェ店内にクリスマスソングがゆったりと、厳かな調べを奏でている。
数時間前にエリオスタワーで行われた【クリスマス・リーグ】の配信に穂香は釘付けになっていた。赤や緑のクリスマスに相応しい衣装を纏い、設営された会場内をヒーローたちが舞う。その姿はさながらサンタクロースのようだ。
音量を絞っていても、実況者と観客の歓声が最高潮に達すると店内に響き渡る。その度に店員の顔色を窺うが、店側は特に気にしていないようだった。水を注ぎに来たウェイターに「今期のイーストのルーキー、輝いてますよねぇ」とニコニコされるぐらいだ。居住エリアの担当ヒーローを蔑ろにするわけではないが、一番はノースセクターのヒーローだとは口にできず。穂香は「頑張ってほしいですよね」とありきたりな返事でやり過ごした。
カメラワークは忙しなく切り替わり、ヒーローたちの活躍を余すことなく捉える。平面の映像ですらこれだけの迫力が伝わってくるのだ、会場の熱気はもっと凄いのだろう。
ノースセクターの試合を視聴していたが、つい目で追い掛けてしまうのはガスト・アドラーの姿ばかり。彼は風を操り、自在に宙を舞う。
今期のルーキーたちは特に注目を集めていた。その中でもガスト・アドラーが特別に輝いて見えてしまうのは、恋の魔法とやらのせいだろう。
試合を終え、歓声に応えている彼はいい笑顔を見せている。その中に飛んできた黄色い歓声を受け止めると、その口元が少し引きつった。
イベントリーグ戦に夢中になっていた彼女は「穂香」と呼ばれた方向に顔を上げた。正面に先程まで画面の中で笑っていたヒーローが立っている。ガストは申し訳なさそうに眉を顰めていた。時間は午後六時半を過ぎている。約束の時間を大幅に過ぎていた。
「悪い、遅くなった。タワー出た所で弟分のヤツらに捕まって…少しだけって思ってたら、結構長話になっちまった」
「気にしなくてもいいわよ。ファンは大事にしないとね。それに私は待ってる間、リーグ戦見てたから退屈してなかった…もうこんな時間だったのね。【クリスマス・リーグ】お疲れ様」
「サンキュ。…って、もう配信されてんのか」
彼女に着席を促され、向かいの席に腰を下ろしたガスト。視聴動画の画面を閉じたスマホがバッグに仕舞われる。本物のヒーローを前にした穂香は頷く。
「うん。ガストの活躍、カッコよかった。クリスマス衣装も似合ってたわ。…会場で観戦できなかったのホントに悔しい。次からはイベントリーグのチケット、気合い入れて臨まないとダメね」
ヒーローたちが模擬戦を繰り広げるリーグ戦。イベントリーグ戦が開催される時は競争率が何倍にも跳ね上がるという。その話をしてくれた穂香の友人はブラッド・ビームスの大が付くほどのファン。彼女は通常リーグ戦のみならず、イベントリーグ戦のチケットを必ずゲットしていた。しかも、正規のルートで。たゆまぬ努力と、幸運の女神が微笑んでいるからだろう。その彼女にチケット申し込みのコツを聞いて、試してみると穂香は話すのだが。
「声掛けてくれれば、チケットこっちで確保できると思うぜ?【HELIOS】関係者の優待チケット。まぁまだルーキーだし、一般席だろうけどな」
「気持ちだけ受けとっておくわ。私も仕事の都合で必ず行けるとは限らないし…そうなったら無駄になっちゃうでしょ。だから、その分はガストの熱心なファンに譲る。自分で勝ち取った方が何倍も楽しみになるし」
「そういうところ、真面目だよなぁ。俺としては穂香に応援来てもらった方が、気合も入るし嬉しいんだけど」
「なるべく行くようにする。それに、ガストの応援はヒーローになる前からずっとしてるわよ」
淀みない笑みを浮かべるものだから、ガストの頬は緩みそうになっていた。少し前から彼女の言葉が特別なものに聞こえてくるのだ。片思いをしていた時よりも遥かに、心に響きやすい。これは完全に浮かれているし、相手に夢中になっている。よく聞く話では「彼女のことしか考えられなくなる」とある。自分は周りが見えなくなるような事態は避けたいと思っているが、それも叶うかどうか。
彼女の奮闘の末、どうしてもチケットが取れなかった時の為に、一枚は確保しておこうと考える時点で駄目かもしれないなとガストは思うのである。
「いらっしゃいませ。ご注文はいかがいたしますか」と水のグラスを一つトレイに乗せてきたウェイターがにこりと微笑んだ。ホットのミルクティーを頼んだガストの後に、同じものをと穂香もオーダーを追加。オーダーを繰り返したウェイターは空になったコーヒーカップを下げていった。
「少し温まってから行こう。今日、結構冷え込んでるし…身体冷えてるでしょ?」
「ああ。じゃあ、先にクリスマスカードとプレゼント交換しようぜ」
「うん」
【クリスマス・リーグ】終了後、グリーンイーストヴィレッジのツリーやイルミネーションを見に行く約束を交わしていた。とある事件が解決した今、慌てなくてもツリーは逃げ出さない。それに、お互いクリスマスプレゼントを受け取った時の反応を早く見たいと同じことを考えていた。
穂香は膝に抱えていた紙袋から長方形の平べったい箱を取り出した。雪の結晶がちりばめられた包装紙に深緑色のサテンリボンが掛けられている。ガストがコートのポケットから取り出した細長くて小さな箱は賑やかな柄に包まれ、細い赤と緑のリボンが結んである。
それぞれクリスマスカードを上に乗せて、相手に笑顔で差し出した。
「メリークリスマス。当日にこうして顔見ながら言うの初めてだな」
「そうね。去年までは月の初めに渡してたし…メリークリスマス、ガスト」
二つ折りの赤い台紙を開くと、切り絵のクリスマスツリーが立体的に飛び出した。ツリーの頂点には黄色い星が輝いている。夜空の模様が描かれた背景に銀色のペンで手書きのメッセージが綴られていた。
『Merry Christmas!I hope I can be with you forever.』
昨年までとは一変したメッセージ。改めて互いの関係性が変わったんだと感慨深いものがある。ガストはクリスマスカードに視線を落としたまま、嬉しさと恥ずかしさの感情を噛みしめていた。
「あー…その、何て書けばいいか結構悩んだのよ。いつもは来年もよろしくって書いてたけど…取り合えず、これからも一緒にいられたらと思って。…ちょっと重かったかしら」
「そんなことない。むしろ物凄く嬉しい…それだったらこっちだって、重いって思われちまうかも」
穂香に宛てられたクリスマスカードにはこう書かれていた。
『Merry Christmas.I am happy just because you are with me.』
丁寧に綴られたメッセージ。これに目を通した穂香は顔をほころばせていた。それからくすぐったそうに笑みを返す。
「ありがと。嬉しい。…なんだか不思議な気分。だって、少し前まではこんなこと書くつもりなんてなかったんだもの」
「そうだな…俺が勇気振り絞ってなきゃ、今頃こんな風に過ごしてなかったかもな」
今年のウィンターホリデーは家でのんびりすると話していた穂香。都合さえつけばどこかに遊びに行こうと声を掛けたのだが、それすらも断られていた。今となっては懐かしい。
「クリスマスプレゼントも結構悩んだ。デザイナー相手に変なモノ贈れないし」
「私そこまで選り好みしないわよ。……じゃあ、開けてもいい?」
「ああ。俺も開けさせてもらうぜ」
ガストは細長い箱にかけられたリボンと包装紙に指をかけ、気持ち丁寧に包装を解いていく。「こっちのマナー気にしなくていいわ」と笑いながら穂香も同じように包装紙を解いた。
彼女が開けた箱の中身は金色の細いチェーンネックレス。ペンダントトップには一粒の翠色の宝石が留まっている。透き通るその色に暫し見惚れ、「きれい」と呟いた。それを聞いたガストは胸をほっと撫で下ろす。
「今つけてるピアスと被っちまうかなぁって悩んだんだけど。揃えて使うのもアリかと思って」
「全然ありよ。ありがとう、とっても気に入った。この色、私が一番好きな濃さだし」
「おう。喜んでもらえて何よりだ。……なぁ、俺の方はタイ・クリップて聞いてたのに、これも一緒にいいのか?」
あれは紅葉の見頃を少し過ぎた季節。パトロール中、緩んだネクタイをきっちりと締められた時の話だ。成り行きとは言え、クリスマスの約束をした日。その時にタイ・クリップを贈るとガストは彼女から聞いていた。鏡面仕上げの美しい銀の輝きを放つクリップ、その先端に飾りとして一粒のエメラルドが埋め込まれていた。
その下に黒地に深緑のストライプ模様で織られたネクタイが箱に収まっている。
「そっちはおまけ。タイ・クリップと一緒に使えそうな柄にしてみた。シンプルだから場面選ばないと思う」
「普段使いにもいいかもしれない…けど、これは特別な日に締めるよ」
「勝負ネクタイってこと?」
「あぁ、穂香がくれたものだし。良いことが起きそうな気がする。サンキュ、大事にするから」
「うん。私も大切にするね。仕事の服にも合わせられそう……あ、そういえばガストはクリスマス嫌悪騒動には巻き込まれずに済んだの?」
その騒動とは今月の上旬に起きたもの。
クリスマスシーズンが始まり、各セクターは浮かれ始めていたのだが。その最中、突然複数の市民がクリスマスを嫌悪し、忌み嫌うようになった。親の仇だと言わんばかりにクリスマス飾りを撤去し、誰もがクリスマスの話題を拒んだ。
事の始まりはトリニティによる犯行だと突き止めたが、不覚にもイーストセクターの担当ヒーローがその暗示にかかってしまう。被害はグリーンイーストヴィレッジ、イエローウエストアイランドで起きていたので、リトルトーキョーに居住する穂香をガストは案じていた。この件を報せる為に連絡をした際も、既に暗示にかかっていたらと気が気でなかったという。
「ノースにいたから私は運良く暗示にかからなかったけど、仕事から帰ってきたらクリスマスツリーも飾りも全部無くなってたからびっくりした。クリスマスがすっ飛ばされたのかと思ったぐらい。ガストから話聞いてたおかげで、白い目で見られることもなかったし…」
「迂闊にクリスマスの話題振ったら、顔真っ赤にして怒ってくるからな。聞いた話じゃ【ディアヒーロープロジェクト】のポストも撤去されてたらしい」
「ああ…そういえば無かったかも。でも、イブまでには解決できたんだし、流石【HELIOS】のヒーローね」
「俺は特に活躍してないけどな」
「身近な人に危険を報せるのも立派な務めよ」
会話に夢中になっていたところに温かいミルクティーが二つ運ばれてきた。
今日のリーグ戦の見所をガストが話せば、配信でさっきちょうど見たところだと穂香が相槌を打つ。昨夜の【ディアヒーロープロジェクト】で子どもたちからこんなお願いがあったと愉しそうに話した。
二人の話はテンポよく進んでいく。まるで半年ぶりに再会し、お喋りが楽しくて止まらないかのように。
ミルクティーのカップが空になる頃には、ガストの冷えた身体もすっかり温まっていた。
カフェで一時間ばかり過ごした後、会計を済ませて外へ出た時には新雪が道を薄っすらと覆っていた。雪は止まずに今も細かく降り続いている。
「結構降ってたんだな。足跡無くなってるし」
「この調子だと積もりそうね。足元、気を付けましょ」
舗装された道の上を二人分の足跡をつけながら、メインストリートの方へ向かう。
並んで歩く距離は以前よりも縮まっていた。肩が触れそうなほど近い。彼女の横顔に見惚れていたガストは、その顔が不意にこちらを向いたのでどきりとした。
「ガストは毎年どう過ごしてたの、クリスマス」
「俺は、毎年仲間…ダチと騒いでる。カウントダウンもそいつらと花火見に行って、その後適当にぶらついてた」
「今年はよかったの?急に付き合い悪くなった、とか言われるんじゃ」
「その辺は上手く言ってあるから心配要らないぜ」
そう返したガストではあるが、前もって仲間の一人に連絡を入れた時の話を思い出した。
彼らとの集まりは事前に打ち合わせるということがない。当日にふらりと集まり、持ち寄った物で飲み食いのパーティーを開く。そんな軽い感じの為、前もって連絡を取り合うこともなかったのだが。偶々、別件で連絡を取った際についでに話しておいたのだ。今年は俺抜きでやってくれ、と。用事がある云々は伏せていたにもかかわらず、勘繰った相手が「彼女出来たんだろう」とつついてきた。さらに、運悪く近くにいた他の仲間が騒ぎ出したのだ。「ついにガストに彼女が!こいつは祝わない手はないぜ!」「シャンパン用意しようぜ!」と電話の向こうで盛り上がり出した。こちらが否定、肯定する暇もなく、収拾がつかなくなったので、そのまま電話を切った。今頃は本人不在でシャンパンを開けてワイワイと騒いでいるのだろう。容易に想像がつく。
後日、写真を見せろとメッセージで迫られもしたが、断固として拒否。不在中に穂香が絡まれでもしたら、そう思うと気が気じゃない。
「……穂香。変な連中に声掛けられても、相手しなくていいからな」
「変なって…例えば?」
「……俺の名前を出してくるようなヤツら」
「ガストって名前利用されるぐらいまで有名になってきたの?ヒーローになると多方面で
さらに顔広くなるのね…とりあえず気を付けておくわ」
その連中とは昔からの馴染みだ、とは言えずにガストは苦笑いを浮かべた。
「それにしても、なんだか変わらないわね」と雪をさくりと踏みながら穂香が投げかける。
「何がだ?」
「私たちの距離。…友達と恋人の境界線ってすごく曖昧ね。昨日まで友達だった人が今日から恋人ですってなっても、劇的に変化するわけでもない」
「そりゃ、そうだろ。友達としての方が長かったんだし。…昨日の今日でってなっても、俺の方がついていけない。…だから、お互い丁度いいんじゃないか、今はさ」
ガストはそう笑いかけて立ち止まり、穂香の前に自身の手を差し出した。
「俺たちのペースで行こうぜ。…それに、変わったことなら一つある。手を繋ぎたい時に繋げるのは、恋人の特権だよな」
「ん……そうね」
重なる手と手。その温かい手を握り返した穂香はぴったりと肩に寄り添う。熱を帯びた頬を隠すように、マフラーに顔をうずめる。その表情は幸せに満ち足りていた。
◇◆◇
──数年後。
サウスシティの馴染みのバーに来ていた二人は酒と共にダーツに興じていた。
穂香が放ったダーツはリリース後、シングルの4を狙ったはずがダブルの枠に刺さる。これにより、持ち点がバースト。惜しくも二投目で相手と交代することに。
悔しそうにスローラインから離れた彼女は席につくとテーブルに項垂れた。反対側の席でセットアップから一部始終を眺めていたガストは「惜しかったな」と笑いながらも慰めの言葉を掛けた。
「これで俺にも挽回のチャンスが巡ってきたわけだ」
「…悔しい。調子のいいガストを抑えて勝つつもりだったのに」
「今日のコンディションはバッチリだからな、次の一投で決めさせてもらうぜ」
久しぶりにダーツバーに飲みに行こうと誘いを受けたのだが、相手はラフな格好ではなく、珍しくスーツを纏っていた。【HELIOS】で式典でもあったのかと穂香が訊ねても、特にそういうわけじゃないという。
ガストの胸元は以前クリスマスに贈ったネクタイとタイ・クリップで飾られている。ダーツを始める前にスーツの上着を脱ぎ、ワイシャツの袖を捲っていた。
酒のグラスではなく、氷水をぐいっと煽った穂香。席を立つガストをジト目で睨みつける。
「随分気合入ってるわよね。格好も珍しくスマートだし」
「決まってるだろ?……今日は絶対に負けられない試合だからな」
ガストは口の端を持ち上げて微笑み、ダーツをくるりと手の中で回した。スローラインに向かう途中でダーツの重心を確認し、グリップを握る。
すると、周囲の客がガストに注目し始めた。その視線に少し気が散るが、深呼吸をして、いつもの立ち位置でセットアップ。狙う点数は4のダブル。ガストは腕を引き寄せ、ダーツをリリース。
放たれたダーツは綺麗な弧を描き、狙いの枠へタンッと音を立てて命中した。
これで持ち点がゼロになった。ガッツポーズを決めたガストに歓声と拍手が沸き起こる。
「…おっし!決まった」
「あー……負けたぁ」
頬杖をついて溜息を吐く穂香。周囲の拍手が未だに鳴りやまない。それどころか、口笛まで聞こえてきた。今日はやけに客が多いが、彼のファンだと思い特に気に留めずにいたのだ。
スローラインから席に戻って来たガストは上機嫌で椅子の背に手を伸ばす。引っ掛けていたスーツの上着に袖を通し、緩めていたネクタイを直して襟を正す。
それから神妙な面持ちで穂香の前に立つ。そのまま穂香の左手を取り、片膝を床につけた。上着のポケットから指輪の箱を取り出し、銀の指輪を薬指に嵌める。その指にそっと口づけた。
既に頬を赤らめている穂香に真剣な眼差しを向ける。
「will you marriage me?」
──Happy end.Stay happy forever!