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Step to...
俺は焦っていた。イエローウエストアイランドで待ち合わせする一時間前になっても、同室のレンが一向に起きてこないからだ。声を掛けても、肩を揺すっても微動だにしない。静かに寝息を立てて眠っている。
昨日は遅くまでリビングで司令たちと話に華を咲かせていたようだし、誕生日の余韻も含めて寝かせておいてやりたい気持ちはある。でも、確か今日午後から出掛けるって言ってた気がした。そろそろ起こしておいてやらないと、約束の時間になってもスヤスヤ寝ていそうだ。毎朝起こしてやってるから、今日も起こしてやらないとっていう変な使命感が芽生えてる。
昨日、誕生日プレゼントで受け取った時計も「これは絶対に壊したくない」とかで目覚ましには使わないと断言していた。大好きな猫を模ったフレームの時計だし、なにより司令の妹さんから貰った物だ。壊したくないっていう気持ちはわかる。でもな、起床時間セットしたいつもの目覚ましが床に転がってるぞ、レン。
こっちが身支度してる間も声を掛け続けていたけど、いよいよ時間が迫ってきた。そろそろ出ないと、余裕持って到着どころか待ち合わせ自体に遅れちまう。
そんな窮地に現れたのは眠り王子を起こしに来たお姫様、じゃなくて騎士。
司令は困り果てた俺を見るなり「私がレンを起こす。お前は現場に向かえ」と迅速な指示をくれた。頼もしすぎるだろ。うちの司令、戦闘だけじゃなくて色んな場面で頼りになる。しかも「そのコート似合ってるぞ」とファッションにグッドサインまで出してくれた。
「吉報を待っている。祝い酒となるか、盃を涙で濡らす涙酒となるか…まぁ、その時はリリーやキース、ジェイも交えて話を聞いてやろう」
「そのメンツ、ぜってぇ酔い潰す気満々だろ…!」
「今後の参考としてどんな風に潰れるか動画で残しておいてやろう。…とまぁ、冗談はここまでだ。普段通りのお前で行ってこい」
景気づけにと叩かれた背中はエリオスタワーを出た後もジンジンと痛んでいた。おかげで気合は入ったけどな。
セントラルの駅からウエスト行きの電車に飛び乗る。時間は、待ち合わせの十分前にはなんとか着けそうだ。でも、先に穂香は来てるだろうな。日本人特有の『五分前行動』とかいうやつで早めに来ることが多いんだ。いつから待ってたんだと訊いても「そんなに待ってないわよ」とあたかも今来ましたみたいに答えるし。俺と出掛けるのが楽しみで、待ち遠しいからつい早く来てるのかとも思ったけど、単に真面目なんだよな。
それに合わせるように、いつからか俺も自然に待ち合わせ時間よりも早めに着くようになっていた。
電車の窓に映る景色はあっという間にイエローウエストアイランドの街並みへ。こっちも雪が建物や歩道に積もり始めている。
クリスマスシーズンが到来すると、赤や緑の鮮やかな飾り付けで賑やかになってくる。デカいツリーも各セクターに飾られるし、夜になるとイルミネーションが綺麗なんだ。今年はその街並みを穂香と二人で眺めて歩きたい。それが叶うかどうかは今日にかかっている。
数年前から恒例となった【ディアヒーロープロジェクト】も気合いを入れなきゃならない。子どもたちを相手にするのは楽しみだ。妹も何か叶えてほしい願いがあるとか言ってたし、それも聞いてやらないとな。
そろそろイエローウエストアイランドの駅に着く。トンネルを通過中の窓ガラスに俺の顔が映り込んだ。その顔は不安そうで、情けない。
到着ホームから改札を通り過ぎ、駅の外へ。
所々に観光客が立ち止まって、地図を見ながら目的地を確認している。真っ直ぐアミューズメントパークに向かう間、道を聞かれることが無かったのはツイていた。この調子なら五分前には着けそうだ。
進行方向が同じ人たちの合間を縫うように進んで、エントランス前にようやく到着。俺の予想通り、穂香はもう待っていた。エントランスの外壁を背にして、なんか、浮かない表情をしていた。手元のスマホに目を落として。
それを見た途端、俺は足を止めそうになる。この感じ、前にもあったよな。半年前のことが一瞬、頭にチラついた。デジャヴっていうやつだ。いや、気のせいだよなきっと。
「穂香。悪い、待たせたよな」
寒空の中で晒された頬や鼻の頭が赤らんでいた。ただじっと待っていたんだ。相当冷えただろ、と詫びながら相手の反応を窺う。穂香は静かに首を横へ振って、マフラーに顔を半分うずめた。気のせいでも、見間違いでもない。曇った表情からは今にも雨が降り出しそうで。
「…どうした?なんか悪いニュースでもあったのか」
「悪いニュースどこじゃない。……昨日、夜中に知らない番号から電話、かかってきて。寝惚けてたから、つい…出ちゃったのよ。……元カレからだった」
「なっ……なんで今頃になって連絡してくるんだよ、そいつ」
非通知、見知らぬ番号からの連絡には極力応じない。客先からの連絡であれば非常識な時間に掛けてこないだろうし、家族や友人の連絡先は全て登録してあると前に話していた。けれど真夜中だったし、やむを得ない緊急連絡かと寝惚けた頭で判断したらしい。電話を掛けてきた相手は元恋人、ラブコールだった。
半年前、飲みながら愚痴を聞かされたあの日。時々黙ってスマホを弄ってたから、何してるんだと聞いたら、相手の連絡先やメッセージの履歴、アルバムの写真を消してると答えた。酔った勢いっていうのもあるんだろうけど、潔さに感動すら覚えたんだよ。でもそれは、声も顔も、文字すらも二度と見たくないという傷心の現れだった。その日以降、自分からそいつの話題を振ることは無かった。
向こうはまだ穂香の連絡先を控えていたようで、番号を変えてまでコンタクトを取ろうとしている。怒り通り越して呆れちまうぜ。どんなに傷ついたか知りもしないから出来るんだろうな。
時差があるにしても真夜中に非常識だと穂香はすぐに電話を切ったらしい。その後「また後で連絡する」とメッセージが送られてきたと、思いつめた表情で語る。今朝からぽつぽつとメッセージが届いているみたいだ。
「で、そいつはなんて言ってきてんだ。遠距離が耐えられないからって言ったのはそいつの方だろ」
「……こっちに来るんだって。来年、年明けに。…仕事でしばらく滞在するって。だから、また、会わないかって」
「……っんだよそれ。勝手すぎるだろ」
「ふざけてるわよ、ほんとに」
悪態をついたその声は震えていたし、スマホを睨みつける瞳も揺れていた。
すぐに着信拒否にしなかった理由は色々あるんだろう。雀の涙ほどの未練があるのか、冷たくあしらうと後々面倒な男なのか。でも前者だっていうんならこんな表情で訴えないよな。
「穂香はどうしたいんだ。…そいつのことがまだ好きで、よりを戻したいとか、やり直したいとか思ってんのか」
「……今さら、会いたくない」
話すことも何もない。そう呟いた声は掠れていた。マフラーに顔を深くうずめた穂香の左手にはスマホが握りしめられている。それが短い間隔で震えてるのは、通知のせいだけじゃない。
そいつのせいでこんな風に落ち込んで、悲しんでいる姿を見ることはもう無いと思ってた。
着信拒否を躊躇う手前、穏便に済ませる方法は何かないかと模索しようとしたその時だ。そのスマホが長く震えだした。例の相手からなんだろう。サッと顔色を変えた穂香の表情が強張っていた。
その手からスマホを抜き取って画面を見る。番号だけが表示されていた。
「そいつ、英語は分かるのか」
「え……う、うん。英語専攻してたから」
「それなら問題ないな。気遣わなくて済む。…最も、そんなつもりなんてねぇけど」
丁寧に話すつもりは更々無い。不安そうにしている穂香に「大丈夫だ」と笑みを返した。それから画面のアイコンをスライドさせ、着信に応答。
「もしもし」
『……すみません、掛け間違えたようで』
「間違ってねぇよ」
元カノに掛けたつもりが、あからさまに不機嫌な男の声が聞こえてくればそう疑いたくもなるか。誰だと当然の反応を返してきた。
「名乗るほどのモンじゃねぇよ。穂香があんたに迷惑してるって聞いたから代わりに話をしてる」
『…第三者が口を出さないでもらいたい。俺は穂香と話を』
「確かにあんたにとって俺は第三者だ。でも、完全に外野ってワケじゃねぇ。その第三者から言わせてもらうぜ。ちょうどいい機会だしな。…もういい加減黙ってられねぇんだ。…あんたが半年前に穂香をフッた理由は会えないのが辛いからだったな」
国内の遠距離ですら音を上げるヤツがいる。海を隔てるなら尚更辛いものがあるんだろうさ。それに耐えられなくて関係を断った。その潔さは認める。でも一つ、引っかかることがあった。
「それと…気になることが一つ。そっちで好きな子が出来たって聞いたけど。その子とはもう別れたのか?」
『それは…あんたには、関係ないことだろ』
今まで良い発音で喋っていたヤツの声に、動揺と焦りの色が浮き出てきた。ああ、成程な。そういうことか。これでハッキリした。それが分かったせいで余計に腹が立ってきた。
「母国にいる時はその子と会って、こっちにいる時は穂香と…ってか?あんた、相当な寂しがり屋だな。反吐が出るくらいだぜ。二股かけてんじゃねぇよ!…あんたの話をしていた時の穂香は幸せそうだったし、本当に嬉しそうだった。…それを、その気持ちを踏みにじりやがって。ふざけんのも大概にしろよ」
言葉で並べていくうちに、腸が煮えくり返るような怒りを覚えていた。
「散々傷つけて、泣かせておいて……てめぇの都合で穂香を振り回すんじゃねぇ!」
腹の奥底から沸いた俺の声は思ったよりも周囲に響いていた。観光客、家族連れが多い場所で揉め事を起こすのは良くない。通行人の視線がちらちらとしてきてもいる。この場にメンターリーダーがいたら、間違いなくお咎め喰らってるだろうな。でも、こればっかりは黙っていられねぇ。
相手は完全にビビったのか言い返してこなかった。
「…反論はねぇんだな?二度と連絡してくるんじゃねぇぞ。…もし、そんなことがあった時はあんたの顔、直々に拝みに行ってやるよ。じゃあな」
これだけ言っときゃ普通のヤツなら怯んで関わってこなくなるだろう。それでも来るってんなら、その時は迎え撃つ。受けて立ってやるよ。
着信履歴からさっきの番号を拒否に設定してからスマホを返そうとすると、穂香は身を竦めるようにしていた。恐怖に慄いた表情にすら感じる。
「こ…怖っ……ガスト、そんな怒り方するんだ…」
「あ、いやっ…これは……仕方ないだろ。そんだけ許せなかったし、腹が立ってたんだよ。あんな男、別れて正解だ……って、さすがに言いすぎか」
「怒鳴り型クレーマーの中でもトップに躍り出たわ。……あれだけ啖呵切っといて、今更ね」
穂香は冗談を交えながらもスマホの画面を見つめていた。それから目元を拭う仕草。
怖がらせちまったよな。穂香に向けて放ったものじゃないけど、怒鳴り声を傍で聞くってのはいい気分なんてもんじゃない。
「怒鳴って悪かった。……それに、勝手に電話出ちまったし。ごめん」
「…それも今更。…ガスト、ありがと。おかげですっきりした。言いたいこと、全部言ってくれた」
胸の内に溜め込んでいた悩みとか不安が少しは解消されただろうか。穂香は本当にしんどい時しか声を上げてくれない。三年ばかりの付き合いでも、その悪い癖は見抜いている。だから、小まめに声を掛けてはいるんだ。それでも「何でもない」って幾度もはぐらかされてきたけどな。様子が最近おかしかったのは、もしかしてこの件が絡んでいたかもしれないと思った。
「穂香。…無理に言えとは言わないけどさ、もっと頼ってくれよ。悩みとか、心配事とか…話だって聞くし、相談にも乗る。……って、何度も言ってるからしつこいとか思われてるだろうけど、それだけ穂香のこと気にかけてるんだよ。ああ、そうだ…勢い余って啖呵切っちまったし、なんかあればすぐ言ってくれ。ストーカーとか嫌がらせだとか。俺が責任を持って必ず守る」
勝手に話をつけた手前、どの口で言ってんだとか思ってるだろうな。ホント、今更になってやり過ぎた感が否めない。後の祭りってやつだな。だからこそ、何があっても守る。この決意は固い。
俯きがちだった穂香の視線が少し、持ち上がった。そしてその目を柔らかく細めて、頷く。やっと表情に光が差してきた。
「ありがとう」
「どう致しまして。さてと……仕切り直しといくか。今日は遊び倒そうぜ。…そんな気分じゃないってならやめとくけどさ」
「ううん。せっかくウエストまで来たんだもの、アトラクション全制覇するわよ」
「お、いいな。その意見に俺も賛成だ」
「但しホラーハウスは除外」
「分かってるって。…じゃあ、まずは定番のコースターから行くか」
初めてアミューズメントパークに来た時も、同じようなやり取りをしていた。ホラーハウスは絶対に嫌だと主張していたのも、チュロスはメープル味が美味しいから好きだと話していたことも。懐かしいフレーズについ口元が緩む。
俺はエントランスを抜けた先で振り返り、昔は恥ずかしくて口にできなかった言葉を向けた。
「今日のエスコートは任せてくれよ」
◇◆◇
「あー……外したぁ」
ウィンチェスター・ライフルを構えていた穂香が肩をがくりと落とした。悔しそうに三ヤード先の的を睨みつけている。
アミューズメントパーク内にあるシューティングコーナー。一回にチャレンジできる弾数は十発。指定のカウンターから離れた場所に設置された様々な形をした的を狙い、スコアを貯めていく遊びだ。玩具のライフルだが、重量は本物さながら。銃を構えた際に「こんなに重かった?」と穂香は驚いていた。
「惜しかったな。照準がもう少し上に向いてりゃ当たってた」
「悔しい。…あと一ポイントだったのに。ガストはそれ当てたらパーフェクトでしょ」
「銃は毎日扱ってるし、普段は動く的に当ててるし、動かない的なら楽勝だ」
「流石。プロの言うことは違うわね」
スコアに応じて好きな景品と交換できるシステムだ。景品はパーク内で使えるドリンク引き換え券や記念メダル、マスコットキャラの季節限定ストラップなどがある。
あと一ポイントで目当ての景品をゲットできる、といったところでのミスだったので、かなりガッカリしてるみたいだ。敵討ちまでとはいかないが、その無念を晴らす為にも、ここは俺が決めないとな。
カウンターに肘を固定し、ライフル銃を構える。狙う的は天井付近にある小さな空き缶。リアサイトを覗き、的にフロントサイトを合わせる。息を止め、微動を最小限に抑えたその瞬間にトリガーを引く。
カンッと小気味よい音を立てて空き缶の的が跳ね上がるモーション。続いてファンファーレがスピーカーから流れ出した。パーフェクトを出すと鳴るやつだ。前に来た時は一発外しちまったから、実際に聞いたのは今日が初めてだ。
「百発百中だぜ」
気分よく口笛を一つ吹く。気づけば周りにいたギャラリーから拍手が送られてきた。それに軽く礼を返していき、俺はライフル銃を所定の位置に戻した。【LOM】とはまた違う歓声。悪くないもんだな。
隣の台で撃っていた穂香は呆然と立ち尽くすようにして、俺の方を見ていた。
「どうしたんだ?……やっぱまださっきのアトラクション酔いが残ってるとか」
「あ、いや……それもある、けど。……なんか、カッコいいなぁ…と思って」
そう言いながら視線をゆっくりと横へ逸らす。頬が赤らんでるのは気のせいか。
それにしても穂香の口から「カッコいい」なんて褒め言葉あまり聞かない気がする。褒められるとしたら、服が似合ってるとか、センスがいいとか。だから新鮮だったし、嬉しさと恥ずかしさが入り混じったようになる。
「…さ、サンキュー。穂香にそう褒められんの、滅多にないな」
「そう?色々褒め言葉は掛けてるつもりだけど」
「ストレートにカッコいいって言われたことは少ない気がする」
「……そう、だったかしら。ガスト。景品、引き換えてきて。私は外で待ってるから。…さっきのアトラクション酔いがちょっと、まだ残っててクラクラする」
「大丈夫か?」
「ええ、気持ち悪いわけじゃないから」
細腕に抱えられていたライフルが所定の位置に戻される。こめかみを押さえながら、穂香は外へと姿を消した。
さっき乗車した新アトラクション、揺れと旋回が思いの外激しかったからな。安全バーにしがみついていても、振り落とされそうだった。
カウンターに付いている機械から四角い紙のカードを二人分回収し、景品交換所に向かう。景品リストと手持ちのポイントを照らし合わせて交換できるものを吟味。今気づいたけど、俺のポイントはパーフェクトボーナスで倍になっていた。これなら色々選べそうだな。
少しだけ悩んでからキャストにポイントカードを渡し、チョイスした景品を口頭で伝えて引き換えてもらった。
景品交換を済ませて、シューティングコーナーを出たすぐそこで穂香を見つける。乗り物酔いが尾を引いてるようで、渋い表情で出迎えてくれた。
「お待たせ」と声を掛けて、その顔の前にテディベアのストラップをぶら下げる。これを見た瞬間、目を瞬かせた。
「欲しかった景品、これだよな?俺のポイント、パーフェクトボーナスで倍になってたんだ。ちょうど二つゲットできたから、色違いで貰ってきた」
「……いいの?ガストも狙ってた景品あったんでしょ」
「まぁ、なんつーか…さっき褒めてくれた礼に。それに、結構カワイイよなこれ」
つぶらな瞳をしたテディベアのマスコット。焦げ茶色のふわふわした毛並みをしている。
クリスマスシーズン限定の衣装を纏っていて、頭に赤いサンタ帽を被っていた。同じ色のケープも羽織っている。首元に結ばれたリボン。その中央にはイミテーションの宝石が縫い付けられている。
リボンと宝石が色違いで赤と緑の二種類があったから、一つずつ選んできた。どっちがいいか訊くと、穂香は緑の方を選んだ。テディベアに愛らしい眼差しを向けている。
「穂香って緑が好きだよな。小物に取り入れてること多いし」
「そ…それは。……いい色、でしょ。緑って」
「まぁな。俺もカーキとか結構選ぶし…でも、穂香は澄んだ緑の方が好きっぽいよな。透き通ってるというか」
イミテーションの宝石も透き通って、キラキラしている。でもこの色味ってどこかで見たような。割と何度も目にしている気がするのに、それがどこで何だったのか思い出せない。
「…綺麗で、ずっと羨ましいと…思ってたから。これありがと。大事にするわ」
「あ、あぁ…喜んでくれたなら良かった。残りのポイントは穂香の分も合わせて、ドリンクの引換券にしてもらった。どっか入って、温かいモンでも飲もうぜ。ちょっと休憩挟んだ方が乗り物酔いも治まるだろうし」
「あ…ごめん、自分のポイント忘れてたわ」
コートのポケットに色違いのテディベアを入れて、代わりに二枚のドリンク引換券を取り出した。
「冬限定のドリンクがあるから、それにするのもいいかもな」
「…下調べちゃんとしてきてくれてるのね。ほんと、エスコートされてる気分」
「そいつは良かった。……今日は楽しみにしてたし、昨日は中々寝付けなかった…なんてな」
楽しみにしていたのは事実だ。でも眠れなかった理由は他にもある。今日までに幾つものパターンをシミュレーションしてきた。昨日も少し司令に愚痴を零したけど、どのパターンもバッドエンドを迎えている。朝から出鼻をくじかれるし、元カレ騒動は起きるし。好調な出だしとは決して言えない。
さっきのシューティングだって願掛けの思いでグリップを握っていた。全弾命中させて、カッコいいと思いもよらず褒められたのは嬉しかった。このままいい流れで進んでくれりゃいいけど。
「…ガスト?」
「ん……何でもない。そろそろ行こうぜ。温かいモン飲みながら次に行くアトラクション決めよう」
近くにポテトやトルティーヤを販売している店がある。そこで季節限定のドリンクも扱っているはずだ。そこで少しゆっくりするのもいいだろう。時間もまだあるし。なんて、のんびり構えていたら夕方になっちまいそうだ。楽しい時間はあっという間に流れていくから。
◇◆◇
空は茜色に染まった部分と、藍色との境目を水で薄めたようにぼやけて広がっていた。
昼間流れていたパーク内のBGMもリズミカルなものから、落ち着いた感じに変わっている。その時間帯に合わせるようにして、パーク内のイルミネーションが灯り始めた。穂香はクリスマスバージョンで飾り付けられたカルーセルが綺麗だと言って、スマホのカメラで一枚収めていた。
観覧車の小さなゴンドラがゆっくりと上昇していく。一周するのに十八分くらいかかるらしいが、それも一瞬にしか感じないんだろうな。
目に映る景色がカルーセルの屋根を眺められる高さまで上がっていた。
「ゴンドラの中もヒーター入ってるから、冬も寒くなくていいわね。それに、この時間帯だと夕焼け空が遠くまで見えるし」
「ああ、いいタイミングで乗れたな。眺めもいいし。……普段自力で上昇気流みたいなヤツに乗っかってるから、なんか新鮮だ。こうやって別の力で昇ってくのがさ。しかもかなりのロースピードで」
「ガストは風使いだものね。…だから旋回系やスピード出るアトラクションも余裕の表情なのかしら」
「風使いって…なんかそれ、恥ずかしいな。【ナイトホーク】ですらあんま口にしてないってのに」
「じゃあ、風乗りのガスト」
「サーファーかよ」
軽くふざけ合いながら、笑い合った。
知り合ったばかりの頃は緊張して上手く喋れなかった。いつからだっけな、こんな風に気楽な会話ができるようになったのは。
俺は最近読み始めたコミックスが面白くてハマってることや、この間のルーキー研修であったことを話した。面白そう、カードゲームは大人数いると盛り上がって楽しい。そんな相槌を打ってくれる。
最近の調子を訊ねても、そこそこだとしか穂香は答えてくれなかった。
会話がぷつりと途切れた。
ゴンドラの窓から見えた水平線。黄昏時に見えた大海原は辺り一面が橙色に染まっている。昔、まだ妹が小さい頃にこんな感じの海を見て「オレンジジュースみたい!」ってはしゃいでたな。
俺の真向かいに座っている穂香は水平線の向こう側を見つめていた。この横顔が綺麗で、気が付けば見惚れている。今もそうだ。ずっと眺めていたい。
ゴンドラ内にある天井の照明が点灯した。その明るさは手元が見える程度で、夜景やイルミネーション観賞の邪魔にならないよう配慮されている。
ゴンドラはイエローウエストアイランドの街並みが見える高さまで上昇していた。カジノやミュージカルなどの娯楽施設、観光客向けホテルの灯り。それらが夜空に浮かぶ星の代わりに輝いていた。
折り返し地点まであと少し。快適な空の旅も半分を切ろうとしている。
この観覧車でパーク内のアトラクションを全制覇できる。但し、ホラーハウスを除いて。観覧車を降りた後はパレードまで時間を適当に潰すわけだが。今までタイミングを窺ってきたものの、大事な話をする糸口を探れずにいた。ゆっくり話せる時間は今しかないんだろうけど。今度は切り出すタイミングを見つけられずにいた。
「ウエストに来るのも久しぶりだった。…パークの新しいエリアも楽しかったし」
「そうだな。あのキャラクターの着ぐるみ、テンション高くてビックリした」
「ガスト絡まれてたよね」
「最初は手拍子だけだったのに、ステップ踏まされそうになった時は焦ったぜ。周りは盛り上がってたみたいだけど…ああいうのは同期の方が得意そうだ」
新しくオープンしたエリアを歩いていたら、丁度キャラクターの着ぐるみが登場する時間帯だったらしく。身軽なパフォーマンスに合わせて遠くから手拍子を送っていたら、突然こっちに近づいてきて、一緒にステップを踏むように促された。他にも観客はいたのに、わざわざこっちに来たもんだから。
不意打ちで絡まれてかなり焦った。俺は気後れしちまったけど、ビリーならその場のノリでキャストと一緒になって楽しいエンターテインメントを生み出せそうだ。
俺が話した同期が誰のことか穂香もわかったらしい。「彼ならピッタリね。キャスト顔負けのパフォーマンスを披露してくれそう」と笑った。まるでその場面が目の前に見えたみたいに。
「…私がこっちに来たばかりの時、結構な頻度で色んな場所に連れて行ってくれたよね。サウスの映画館、ダーツバー。イーストのスタジアムにも行ったし、ショッピングモールもあちこち。クリスマスマーケットも一緒に行ってくれた。…ニューミリオンに詳しくなったの、ガストのおかげって言っても過言じゃない」
「そりゃ良かった。…ウザがられてないかちょっと心配だったけどな。またコイツかよ、みたいにさ」
「都合が悪い時はちゃんと断ってたでしょ。……でも、今思えば。それぐらいが丁度良かったのかもしれない」
イルミネーションを見下ろしていた穂香はぽつりと呟いた。その言い方はどこか昔を懐かしむように、哀愁を思わせるもの。
外からの光がだいぶゴンドラには届かなくなっていたせいで、細かい表情はよく見えなかった。
「これでも私、ホームシックにかかってた。仕事が上手くいかなかったり、お客さんにこっぴどく怒られたりして…めちゃくちゃ落ち込んで、家族や友達に会いたくなった。何度も日本に帰りたいって思ってた。でも、一つだけ目標作ってたから…それで何とか頑張れたのかもしれない」
「……そう、だったのか。そんな風には全然、見えなかった…時々、落ち込んでんなってことはあったけど。……目標って、仕事のか?」
穂香は明るくて、社交的な性格だ。誰とでも打ち解けてるし、こっちの友達や知り合いも沢山いるって聞いてたし。俺もそのうちの一人だ。最初に出来た友達ってことがこの前分かったから、それは少し嬉しかった。
親しい友達に囲まれていても、寂しさを紛らわせなかったんだろう。遠く離れた故郷に思いを馳せていた。
「ガストがうちのブランド一着買ったら、日本に帰ろうって考えてた」
それが当面の目標で、達成した暁には帰国しよう。そう考えていたと、衝撃的な内容を今になって語る。偶然の賜物で回避していたとはいえ、それを聞いて動揺せずにはいられなかった。
「知り合ったばかりの時、今度何か買うよって…言ってくれたの憶えてる?社交辞令だって分かってても、嬉しかった。赴任したばかりだったし、常連さんになってくれるかも…って。凹みそうになっても、まだガストに売りつけてない。それまでは帰れない。それを思い出す度に、もう少し頑張ろうって気になれた。…新作やオススメを宣伝しても一向に買ってくれる気配なくて、三年も経っちゃったけどね。今はもう、本社から強制帰還の辞令出ない限り、帰るつもりない」
ああ、お互い口約束に縛られていたんだな。社交辞令っていう言葉に。
当時は女性ブランドしか展開していなかったし、贈る相手も居なかった。その時から今に至るまで、俺に女の子のダチが多いって勘違いされて「好きな子の一人や二人にプレゼントしてあげればいいのに」と言われることが多かった。気兼ねなく話せるのも、好きな子も一人しかいない。
「俺が好きな子はたった一人しかいない」と言えずに来た結果がこの状態だ。
心地よくて生温い関係に留まり続けたくない。この関係性を変えたくて、踏み出した一歩が兼ねてからの口約束を果たすことだった。
今度、そのうち、紳士服で気に入ったものがあれば。先へ先へと延ばしたことが、逆に効をなしたのかもしれない。
コートの袖に隠れている重ね付けしたシルバーバングルが静かに音を立てる。
「私が落ち込んでる時、いつもタイミングよくガストがあちこち遊びに連れ出してくれたり、ご飯食べに行こうって誘ってくれたりした。…どうして分かるんだろうって、不思議だった。……なるべく表に出さないようにしてたのに、面倒見がいい人にはバレちゃうのかなって」
「…確かに目に見えて落ち込んでるなってこともあった。でも、俺が穂香に声掛けてた理由はそれだけじゃない。……俺」
ガタン、と音を立ててゴンドラが停止した。内部の照明は点いたままだ。
『ただいま機械点検を行っております。しばらくお待ちください』
小さなスピーカーを通じて聞こえてきた機械音声。乗降場でトラブルがあったんだろう。ゴンドラに一瞬乗り遅れたとかで一時停止するのはよくあることだ。窓から見下ろした限り、地上で騒ぎが起きている様子も無さそうだ。
俺たちが乗るゴンドラは頂上付近で停まっていた。風が弱いから、揺れが少なくてすみそうだ。
「…すぐ動くといいんだけど。観覧車には付きものよね、こういうトラブル。ゴンドラってゆっくり動いてるけど、上手く乗れないと焦っちゃうし」
「あ、あぁ。そうだな」
「ガスト、さっき何か言いかけてなかった?」
「え?……その、だな」
なんか今日は間の悪いトラブルが重なっている気がする。今がその時じゃないっていう暗示なのかは知らないけど、このままじゃいつもの雑談で終わっちまう。これを逃したら、それこそ伝える機会を失う。決めたんだろ、自分の気持ち伝えないままでいる日々を終わらせるって。
俺は膝の上で組んでいた手を握りしめた。
「あの、さ。俺、こういう話って慣れてないんだ。…いや、慣れてるって思われんも嫌だ。それに、ずっと誤解されてんのも…嫌だし。……穂香はさ、俺にイマドキの女の子のダチが沢山いるって思ってんだよな」
「…ガストは人気者だし、面倒見もいいから…モテるんだろうなって、思ってた。多方面の知り合いも多いし」
「だよな。……実はさ、俺…女の子と接するのが苦手で。ガキの頃に色々あってそれ以来…トラウマっていうか、どう接すればいいのか分かんなくて。だから、女の子のダチ、ホントに少ないんだよ」
「声、掛けてくる子結構いるのに?」
待ち合わせしてる時やパトロール中に逆ナンされることが確かに多い。フェイスと並んでると特にだ。
「……カッコ悪い風に聞こえるかもしれねぇけど、そういう時は割と頭真っ白になってる。適当に返事してたら、なんでかその後も顔見知りみたいに声掛けてくるし…だから、どういう返しが適切なのかって…いつも考えてるうちに、硬直して。……ははっ、情けないよな」
【ハロウィン・リーグ】をきっかけに、更にその機会が増えた。親しみを持って話しかけてくれる弟分たちや馴染みの仲間ならいい。最近は知らない子から差し入れを貰うようになった。市民からの厚意を無下にするワケにもいかないし、こういう時は受け取ってる。共用スペースに置いといても、あの面子だと食べてくれない。だから大体はドクターの所に持っていった。
「……その話だと、私は女の子に思われてないってことよね」
軽く笑い話にしようと極力努めていた俺に対し、穂香の声があまりに落ち着いていたから焦りを感じた。
「なっ…違うって。逆だよ、逆。めちゃくちゃ意識してる。…今だって、すげぇドキドキしてるし、心臓が破裂しそうなぐらい緊張してる」
そう言葉にした途端、落ち着いていたはずの心臓が煩く騒ぎ始めた。そっちに意識が持っていかれそうになって、言葉が出てこなくなりそうだった。頼むから、少し落ち着いてくれよ。ずっと言いたかったこと、今日こそ伝えたいんだから。
「最初っつーか…二回目に偶然会った時あっただろ。そん時、無理やり腕引っ張られてさ。初対面で『動くな!』って言ってきた人だし。すげぇ怖くていつ逃げ出そうかタイミング見計らってた。…でも、手当てしてくれたって分かった時に…嬉しかったんだよ。あんなガラ悪いガキ相手にさ。明らかに殴り合いの怪我だってのに…心配してくれた」
「待って、って言おうとしたのよ。…怖がらせたのは、ごめん。前にも言ったけど、イケメンが顔に痣作ってるのが許せなかっただけで」
「穂香の御礼がしたいっていう気持ちは伝わってたよ。……それに、俺のこと心配してくれたのは変わらないだろ」
そういえば、初めて遊びに誘った時もこんな風に緊張していた。オーケーはしてくれたけど、当日来なかったらどうしようかって。マイナスのことばかり考えてたな。実際は俺よりも先に来て待っていたけど。
「…ダーツのルール覚えてくれて嬉しかったし。俺に勝った時はすげぇいい顔で笑ってくれてさ。負けて悔しいはずなのに、その顔見られるならいいか…って思うこと多かった。だからって手加減はしてないぜ?勝負はいつだって本気で挑んでた。……俺さ、穂香が笑ってくれると嬉しくて。いいデザインが浮かんだっていう時も、楽しくて笑ってる時も…アイツの話してた時も。彼氏いるって知った時、本気で凹んだ。…でも、穂香が幸せそうならいいかって…思ってた。まぁ、ちょっとばかり悪あがきもしてみたけどな」
ポケットコインとか、ハロウィンのクッキーとか。ことごとく気づかれずに終わった。それを思い出して苦笑いを浮かべてみせる。些細なアピールじゃ届かないってことも分かったんだ。
俺と向き合っていた穂香の視線が、僅かに下がった気がした。
「……このままの関係でもいいかって思ってた。でも、それじゃ嫌だって思い始めた。自分の気持ち偽って、この先もずっと嘘吐いたままでいるのは耐えられない。…俺、穂香が好きだ。友人としてじゃなく、一人の女性として」
嘘も偽りも無い、真っすぐな気持ちを伝えた。この想いは誰にも譲ることができない。
停まったゴンドラはまだ、動き出そうとしなかった。風が強くなってきたのか、僅かに揺れて躯体の軋む音がする。
長い沈黙が流れていた。一秒経つごとに不安は増すし、気まずい空気で満ちていく。
俯きがちだった穂香は揃えた膝の上に視線を落としていた。このまま、相手の返事を待っていた方がいいんだよな。それとも何か付け加えた方がいいのか。そう悩むうちに「ガスト」と静かに呼びかけられた。
「…ガストの気持ちは嬉しい。でも、私……ずっと、ずっと気づかなかったのよ?周り、全然見えてなくて。自分のことばっかりで…貴方の気持ちに気づこうとしなかった。ずっと…三年も」
「あぁ、三年ずっと片思いしてた。…でもさ、気づかないのは仕方ないだろ。夢中になってた相手がいたんだ。俺のことなんて眼中に入らなくて当然」
「…また、そうやって。いつも、いつも…ガストは優しい言葉掛けてくれる。お前は悪くない、って。…甘やかしすぎなのよ。自分のこと、蔑ろにして…ガストは優しすぎる。私、貴方の気持ちに答えられる資格なんて何も無い」
途中、声を強めながら穂香はそう話した。ほんの少し当たった光が瞳を揺らしたように見えて。さっきの言い方、もしかして。ここ最近様子がおかしかったのって。
「…最近、俺に対する態度が変っていうか…様子おかしかったのって、もしかして」
「二週間くらい前。イーストで…ガストの同期に会ったの。その人にポケットコイン拾ってもらって。……色々、考えてみたら。……ほんとにゴメン」
「そっか。……むしろ、気づいてくれたのが今で良かったよ。だって、そうだろ?もっと前に俺の気持ちが分かってたら…振ってた、よな。穂香は一途だって痛いほど知ってたし、一刀両断されてたと思うと…そっちの方が傷深くて立ち直れてねぇかも」
「……」
「俺は今の関係が壊れんの嫌で…ここまで引きずってきた。その結果三年も経ったし、タイミング見計らってたズルいヤツだって思われても仕方ない。……でも、ずっと穂香を想ってた気持ちに嘘は一つも無い。気づけなくて悪かったとか、後ろめたさ感じてるんならそれ抜きにして、穂香が俺のことどう思ってんのか聞かせてほしい」
気づけなくて悪かったから答えられないっていうのも、確かに一つの理由になるんだと思う。でも、そういうのは抜きだ。穂香の素直な気持ちが知りたい。
俺が答えを待つ間、穂香は細い指をぎゅっと握りしめていた。
「……私、貴方が思ってる以上に面倒くさい女よ。ハロウィンの日は一歩も外に出ないし、年二回は必ず酷い風邪引くし」
「苦手で嫌いなモンは誰にだってあるだろ。ハロウィン嫌いなヤツに態々イタズラ仕掛ける真似はしないし、来年も同じように過ごそうって決めたろ?体調だって人間なんだから、崩すのは当たり前だ。見舞いにも行くから、心配すんなって」
「…寂しがり屋で、ワガママだし…それに、臆病」
どんなことが出てくると思えば、聞いてるこっちとしては随分可愛らしいものだ。それに困らされたり、腹を立てたこと一度も無い。
「人はみんなワガママだろ。我慢して生きてるヤツなんて……まぁ、いるかもしれねぇけどさ。俺だってヤキモチ妬くし、独占欲強い…かも?」
「…なんで疑問形なのよ」
おかしそうに、少しだけ口元を緩めた穂香が笑う。つられてこっちの緊張も和らいだ。
「だって彼女いたことねぇし……実際にどうなるのかなんて想像もつかない。でも、穂香がアイツの話とか、他の男と話してるの見たら嫌な気分になったから、焼いてるんだと思う」
「…そんな嫌な思いさせてたのに、ずっと好きでいてくれたの」
「ああ。だって、俺は穂香のことが好きだからな」
「ありがと。……うん。私もガストと一緒にいられたら、楽しいんだろうな…って思い始めてた。自分でも知らないうちに。色々、罪悪感とか今さらとか…ある。でも、それを抜きにしたら…ガストのこと、好き」
今にも泣きそうな表情で、伝えてくれた言葉。その目に溜まった涙が零れ落ちないようにしたいと、その時の俺は思った。自然に手が伸びて、落ちそうな雫をそっと掃う。
「……両想い、ってことでいいんだよな」
「今からでも、遅くないなら」
「遅くなんかないって。…色々迷惑かけるかもしれねぇけど、これからもよろしく頼むよ。穂香」
「うん」
瞼を閉じた穂香の目からボロボロと涙が零れていった。それを止める術が咄嗟に思いつかなくて、頭をよしよしと撫でる。なんかこれ違うよな、と気づいた時には笑われていた。
「お兄ちゃんに宥められてるみたい」
「…俺も妹あやしてるみたいだって思ったところだ」
がこん、と大きな音が外から聞こえた。ようやく観覧車がゆっくりと周り始めたようだ。
『長らくお待たせ致しました。今しばらく夜景をお楽しみの上、到着をお待ちください』
スピーカーから聞こえてきた肉声。結構長い時間停まってたし、乗降以外にもトラブルがあったんだろう。
「…やっと動き出した。何かあったのかしら」
「かもな。でも、問題なく動いてるし…大丈夫だろ」
「ん……あまり長く停まってたから、閉じ込められたらどうしようって思ってた」
「その時は俺がなんとかしてやるから、心配要らないぜ」
不安そうに顔を曇らせてそう呟くから、俺はその手を握って笑いかけた。
そっと握り返してくれた華奢な手と「ありがとう」という言葉。このままずっと、手を取り合っていたかった。
俺は焦っていた。イエローウエストアイランドで待ち合わせする一時間前になっても、同室のレンが一向に起きてこないからだ。声を掛けても、肩を揺すっても微動だにしない。静かに寝息を立てて眠っている。
昨日は遅くまでリビングで司令たちと話に華を咲かせていたようだし、誕生日の余韻も含めて寝かせておいてやりたい気持ちはある。でも、確か今日午後から出掛けるって言ってた気がした。そろそろ起こしておいてやらないと、約束の時間になってもスヤスヤ寝ていそうだ。毎朝起こしてやってるから、今日も起こしてやらないとっていう変な使命感が芽生えてる。
昨日、誕生日プレゼントで受け取った時計も「これは絶対に壊したくない」とかで目覚ましには使わないと断言していた。大好きな猫を模ったフレームの時計だし、なにより司令の妹さんから貰った物だ。壊したくないっていう気持ちはわかる。でもな、起床時間セットしたいつもの目覚ましが床に転がってるぞ、レン。
こっちが身支度してる間も声を掛け続けていたけど、いよいよ時間が迫ってきた。そろそろ出ないと、余裕持って到着どころか待ち合わせ自体に遅れちまう。
そんな窮地に現れたのは眠り王子を起こしに来たお姫様、じゃなくて騎士。
司令は困り果てた俺を見るなり「私がレンを起こす。お前は現場に向かえ」と迅速な指示をくれた。頼もしすぎるだろ。うちの司令、戦闘だけじゃなくて色んな場面で頼りになる。しかも「そのコート似合ってるぞ」とファッションにグッドサインまで出してくれた。
「吉報を待っている。祝い酒となるか、盃を涙で濡らす涙酒となるか…まぁ、その時はリリーやキース、ジェイも交えて話を聞いてやろう」
「そのメンツ、ぜってぇ酔い潰す気満々だろ…!」
「今後の参考としてどんな風に潰れるか動画で残しておいてやろう。…とまぁ、冗談はここまでだ。普段通りのお前で行ってこい」
景気づけにと叩かれた背中はエリオスタワーを出た後もジンジンと痛んでいた。おかげで気合は入ったけどな。
セントラルの駅からウエスト行きの電車に飛び乗る。時間は、待ち合わせの十分前にはなんとか着けそうだ。でも、先に穂香は来てるだろうな。日本人特有の『五分前行動』とかいうやつで早めに来ることが多いんだ。いつから待ってたんだと訊いても「そんなに待ってないわよ」とあたかも今来ましたみたいに答えるし。俺と出掛けるのが楽しみで、待ち遠しいからつい早く来てるのかとも思ったけど、単に真面目なんだよな。
それに合わせるように、いつからか俺も自然に待ち合わせ時間よりも早めに着くようになっていた。
電車の窓に映る景色はあっという間にイエローウエストアイランドの街並みへ。こっちも雪が建物や歩道に積もり始めている。
クリスマスシーズンが到来すると、赤や緑の鮮やかな飾り付けで賑やかになってくる。デカいツリーも各セクターに飾られるし、夜になるとイルミネーションが綺麗なんだ。今年はその街並みを穂香と二人で眺めて歩きたい。それが叶うかどうかは今日にかかっている。
数年前から恒例となった【ディアヒーロープロジェクト】も気合いを入れなきゃならない。子どもたちを相手にするのは楽しみだ。妹も何か叶えてほしい願いがあるとか言ってたし、それも聞いてやらないとな。
そろそろイエローウエストアイランドの駅に着く。トンネルを通過中の窓ガラスに俺の顔が映り込んだ。その顔は不安そうで、情けない。
到着ホームから改札を通り過ぎ、駅の外へ。
所々に観光客が立ち止まって、地図を見ながら目的地を確認している。真っ直ぐアミューズメントパークに向かう間、道を聞かれることが無かったのはツイていた。この調子なら五分前には着けそうだ。
進行方向が同じ人たちの合間を縫うように進んで、エントランス前にようやく到着。俺の予想通り、穂香はもう待っていた。エントランスの外壁を背にして、なんか、浮かない表情をしていた。手元のスマホに目を落として。
それを見た途端、俺は足を止めそうになる。この感じ、前にもあったよな。半年前のことが一瞬、頭にチラついた。デジャヴっていうやつだ。いや、気のせいだよなきっと。
「穂香。悪い、待たせたよな」
寒空の中で晒された頬や鼻の頭が赤らんでいた。ただじっと待っていたんだ。相当冷えただろ、と詫びながら相手の反応を窺う。穂香は静かに首を横へ振って、マフラーに顔を半分うずめた。気のせいでも、見間違いでもない。曇った表情からは今にも雨が降り出しそうで。
「…どうした?なんか悪いニュースでもあったのか」
「悪いニュースどこじゃない。……昨日、夜中に知らない番号から電話、かかってきて。寝惚けてたから、つい…出ちゃったのよ。……元カレからだった」
「なっ……なんで今頃になって連絡してくるんだよ、そいつ」
非通知、見知らぬ番号からの連絡には極力応じない。客先からの連絡であれば非常識な時間に掛けてこないだろうし、家族や友人の連絡先は全て登録してあると前に話していた。けれど真夜中だったし、やむを得ない緊急連絡かと寝惚けた頭で判断したらしい。電話を掛けてきた相手は元恋人、ラブコールだった。
半年前、飲みながら愚痴を聞かされたあの日。時々黙ってスマホを弄ってたから、何してるんだと聞いたら、相手の連絡先やメッセージの履歴、アルバムの写真を消してると答えた。酔った勢いっていうのもあるんだろうけど、潔さに感動すら覚えたんだよ。でもそれは、声も顔も、文字すらも二度と見たくないという傷心の現れだった。その日以降、自分からそいつの話題を振ることは無かった。
向こうはまだ穂香の連絡先を控えていたようで、番号を変えてまでコンタクトを取ろうとしている。怒り通り越して呆れちまうぜ。どんなに傷ついたか知りもしないから出来るんだろうな。
時差があるにしても真夜中に非常識だと穂香はすぐに電話を切ったらしい。その後「また後で連絡する」とメッセージが送られてきたと、思いつめた表情で語る。今朝からぽつぽつとメッセージが届いているみたいだ。
「で、そいつはなんて言ってきてんだ。遠距離が耐えられないからって言ったのはそいつの方だろ」
「……こっちに来るんだって。来年、年明けに。…仕事でしばらく滞在するって。だから、また、会わないかって」
「……っんだよそれ。勝手すぎるだろ」
「ふざけてるわよ、ほんとに」
悪態をついたその声は震えていたし、スマホを睨みつける瞳も揺れていた。
すぐに着信拒否にしなかった理由は色々あるんだろう。雀の涙ほどの未練があるのか、冷たくあしらうと後々面倒な男なのか。でも前者だっていうんならこんな表情で訴えないよな。
「穂香はどうしたいんだ。…そいつのことがまだ好きで、よりを戻したいとか、やり直したいとか思ってんのか」
「……今さら、会いたくない」
話すことも何もない。そう呟いた声は掠れていた。マフラーに顔を深くうずめた穂香の左手にはスマホが握りしめられている。それが短い間隔で震えてるのは、通知のせいだけじゃない。
そいつのせいでこんな風に落ち込んで、悲しんでいる姿を見ることはもう無いと思ってた。
着信拒否を躊躇う手前、穏便に済ませる方法は何かないかと模索しようとしたその時だ。そのスマホが長く震えだした。例の相手からなんだろう。サッと顔色を変えた穂香の表情が強張っていた。
その手からスマホを抜き取って画面を見る。番号だけが表示されていた。
「そいつ、英語は分かるのか」
「え……う、うん。英語専攻してたから」
「それなら問題ないな。気遣わなくて済む。…最も、そんなつもりなんてねぇけど」
丁寧に話すつもりは更々無い。不安そうにしている穂香に「大丈夫だ」と笑みを返した。それから画面のアイコンをスライドさせ、着信に応答。
「もしもし」
『……すみません、掛け間違えたようで』
「間違ってねぇよ」
元カノに掛けたつもりが、あからさまに不機嫌な男の声が聞こえてくればそう疑いたくもなるか。誰だと当然の反応を返してきた。
「名乗るほどのモンじゃねぇよ。穂香があんたに迷惑してるって聞いたから代わりに話をしてる」
『…第三者が口を出さないでもらいたい。俺は穂香と話を』
「確かにあんたにとって俺は第三者だ。でも、完全に外野ってワケじゃねぇ。その第三者から言わせてもらうぜ。ちょうどいい機会だしな。…もういい加減黙ってられねぇんだ。…あんたが半年前に穂香をフッた理由は会えないのが辛いからだったな」
国内の遠距離ですら音を上げるヤツがいる。海を隔てるなら尚更辛いものがあるんだろうさ。それに耐えられなくて関係を断った。その潔さは認める。でも一つ、引っかかることがあった。
「それと…気になることが一つ。そっちで好きな子が出来たって聞いたけど。その子とはもう別れたのか?」
『それは…あんたには、関係ないことだろ』
今まで良い発音で喋っていたヤツの声に、動揺と焦りの色が浮き出てきた。ああ、成程な。そういうことか。これでハッキリした。それが分かったせいで余計に腹が立ってきた。
「母国にいる時はその子と会って、こっちにいる時は穂香と…ってか?あんた、相当な寂しがり屋だな。反吐が出るくらいだぜ。二股かけてんじゃねぇよ!…あんたの話をしていた時の穂香は幸せそうだったし、本当に嬉しそうだった。…それを、その気持ちを踏みにじりやがって。ふざけんのも大概にしろよ」
言葉で並べていくうちに、腸が煮えくり返るような怒りを覚えていた。
「散々傷つけて、泣かせておいて……てめぇの都合で穂香を振り回すんじゃねぇ!」
腹の奥底から沸いた俺の声は思ったよりも周囲に響いていた。観光客、家族連れが多い場所で揉め事を起こすのは良くない。通行人の視線がちらちらとしてきてもいる。この場にメンターリーダーがいたら、間違いなくお咎め喰らってるだろうな。でも、こればっかりは黙っていられねぇ。
相手は完全にビビったのか言い返してこなかった。
「…反論はねぇんだな?二度と連絡してくるんじゃねぇぞ。…もし、そんなことがあった時はあんたの顔、直々に拝みに行ってやるよ。じゃあな」
これだけ言っときゃ普通のヤツなら怯んで関わってこなくなるだろう。それでも来るってんなら、その時は迎え撃つ。受けて立ってやるよ。
着信履歴からさっきの番号を拒否に設定してからスマホを返そうとすると、穂香は身を竦めるようにしていた。恐怖に慄いた表情にすら感じる。
「こ…怖っ……ガスト、そんな怒り方するんだ…」
「あ、いやっ…これは……仕方ないだろ。そんだけ許せなかったし、腹が立ってたんだよ。あんな男、別れて正解だ……って、さすがに言いすぎか」
「怒鳴り型クレーマーの中でもトップに躍り出たわ。……あれだけ啖呵切っといて、今更ね」
穂香は冗談を交えながらもスマホの画面を見つめていた。それから目元を拭う仕草。
怖がらせちまったよな。穂香に向けて放ったものじゃないけど、怒鳴り声を傍で聞くってのはいい気分なんてもんじゃない。
「怒鳴って悪かった。……それに、勝手に電話出ちまったし。ごめん」
「…それも今更。…ガスト、ありがと。おかげですっきりした。言いたいこと、全部言ってくれた」
胸の内に溜め込んでいた悩みとか不安が少しは解消されただろうか。穂香は本当にしんどい時しか声を上げてくれない。三年ばかりの付き合いでも、その悪い癖は見抜いている。だから、小まめに声を掛けてはいるんだ。それでも「何でもない」って幾度もはぐらかされてきたけどな。様子が最近おかしかったのは、もしかしてこの件が絡んでいたかもしれないと思った。
「穂香。…無理に言えとは言わないけどさ、もっと頼ってくれよ。悩みとか、心配事とか…話だって聞くし、相談にも乗る。……って、何度も言ってるからしつこいとか思われてるだろうけど、それだけ穂香のこと気にかけてるんだよ。ああ、そうだ…勢い余って啖呵切っちまったし、なんかあればすぐ言ってくれ。ストーカーとか嫌がらせだとか。俺が責任を持って必ず守る」
勝手に話をつけた手前、どの口で言ってんだとか思ってるだろうな。ホント、今更になってやり過ぎた感が否めない。後の祭りってやつだな。だからこそ、何があっても守る。この決意は固い。
俯きがちだった穂香の視線が少し、持ち上がった。そしてその目を柔らかく細めて、頷く。やっと表情に光が差してきた。
「ありがとう」
「どう致しまして。さてと……仕切り直しといくか。今日は遊び倒そうぜ。…そんな気分じゃないってならやめとくけどさ」
「ううん。せっかくウエストまで来たんだもの、アトラクション全制覇するわよ」
「お、いいな。その意見に俺も賛成だ」
「但しホラーハウスは除外」
「分かってるって。…じゃあ、まずは定番のコースターから行くか」
初めてアミューズメントパークに来た時も、同じようなやり取りをしていた。ホラーハウスは絶対に嫌だと主張していたのも、チュロスはメープル味が美味しいから好きだと話していたことも。懐かしいフレーズについ口元が緩む。
俺はエントランスを抜けた先で振り返り、昔は恥ずかしくて口にできなかった言葉を向けた。
「今日のエスコートは任せてくれよ」
◇◆◇
「あー……外したぁ」
ウィンチェスター・ライフルを構えていた穂香が肩をがくりと落とした。悔しそうに三ヤード先の的を睨みつけている。
アミューズメントパーク内にあるシューティングコーナー。一回にチャレンジできる弾数は十発。指定のカウンターから離れた場所に設置された様々な形をした的を狙い、スコアを貯めていく遊びだ。玩具のライフルだが、重量は本物さながら。銃を構えた際に「こんなに重かった?」と穂香は驚いていた。
「惜しかったな。照準がもう少し上に向いてりゃ当たってた」
「悔しい。…あと一ポイントだったのに。ガストはそれ当てたらパーフェクトでしょ」
「銃は毎日扱ってるし、普段は動く的に当ててるし、動かない的なら楽勝だ」
「流石。プロの言うことは違うわね」
スコアに応じて好きな景品と交換できるシステムだ。景品はパーク内で使えるドリンク引き換え券や記念メダル、マスコットキャラの季節限定ストラップなどがある。
あと一ポイントで目当ての景品をゲットできる、といったところでのミスだったので、かなりガッカリしてるみたいだ。敵討ちまでとはいかないが、その無念を晴らす為にも、ここは俺が決めないとな。
カウンターに肘を固定し、ライフル銃を構える。狙う的は天井付近にある小さな空き缶。リアサイトを覗き、的にフロントサイトを合わせる。息を止め、微動を最小限に抑えたその瞬間にトリガーを引く。
カンッと小気味よい音を立てて空き缶の的が跳ね上がるモーション。続いてファンファーレがスピーカーから流れ出した。パーフェクトを出すと鳴るやつだ。前に来た時は一発外しちまったから、実際に聞いたのは今日が初めてだ。
「百発百中だぜ」
気分よく口笛を一つ吹く。気づけば周りにいたギャラリーから拍手が送られてきた。それに軽く礼を返していき、俺はライフル銃を所定の位置に戻した。【LOM】とはまた違う歓声。悪くないもんだな。
隣の台で撃っていた穂香は呆然と立ち尽くすようにして、俺の方を見ていた。
「どうしたんだ?……やっぱまださっきのアトラクション酔いが残ってるとか」
「あ、いや……それもある、けど。……なんか、カッコいいなぁ…と思って」
そう言いながら視線をゆっくりと横へ逸らす。頬が赤らんでるのは気のせいか。
それにしても穂香の口から「カッコいい」なんて褒め言葉あまり聞かない気がする。褒められるとしたら、服が似合ってるとか、センスがいいとか。だから新鮮だったし、嬉しさと恥ずかしさが入り混じったようになる。
「…さ、サンキュー。穂香にそう褒められんの、滅多にないな」
「そう?色々褒め言葉は掛けてるつもりだけど」
「ストレートにカッコいいって言われたことは少ない気がする」
「……そう、だったかしら。ガスト。景品、引き換えてきて。私は外で待ってるから。…さっきのアトラクション酔いがちょっと、まだ残っててクラクラする」
「大丈夫か?」
「ええ、気持ち悪いわけじゃないから」
細腕に抱えられていたライフルが所定の位置に戻される。こめかみを押さえながら、穂香は外へと姿を消した。
さっき乗車した新アトラクション、揺れと旋回が思いの外激しかったからな。安全バーにしがみついていても、振り落とされそうだった。
カウンターに付いている機械から四角い紙のカードを二人分回収し、景品交換所に向かう。景品リストと手持ちのポイントを照らし合わせて交換できるものを吟味。今気づいたけど、俺のポイントはパーフェクトボーナスで倍になっていた。これなら色々選べそうだな。
少しだけ悩んでからキャストにポイントカードを渡し、チョイスした景品を口頭で伝えて引き換えてもらった。
景品交換を済ませて、シューティングコーナーを出たすぐそこで穂香を見つける。乗り物酔いが尾を引いてるようで、渋い表情で出迎えてくれた。
「お待たせ」と声を掛けて、その顔の前にテディベアのストラップをぶら下げる。これを見た瞬間、目を瞬かせた。
「欲しかった景品、これだよな?俺のポイント、パーフェクトボーナスで倍になってたんだ。ちょうど二つゲットできたから、色違いで貰ってきた」
「……いいの?ガストも狙ってた景品あったんでしょ」
「まぁ、なんつーか…さっき褒めてくれた礼に。それに、結構カワイイよなこれ」
つぶらな瞳をしたテディベアのマスコット。焦げ茶色のふわふわした毛並みをしている。
クリスマスシーズン限定の衣装を纏っていて、頭に赤いサンタ帽を被っていた。同じ色のケープも羽織っている。首元に結ばれたリボン。その中央にはイミテーションの宝石が縫い付けられている。
リボンと宝石が色違いで赤と緑の二種類があったから、一つずつ選んできた。どっちがいいか訊くと、穂香は緑の方を選んだ。テディベアに愛らしい眼差しを向けている。
「穂香って緑が好きだよな。小物に取り入れてること多いし」
「そ…それは。……いい色、でしょ。緑って」
「まぁな。俺もカーキとか結構選ぶし…でも、穂香は澄んだ緑の方が好きっぽいよな。透き通ってるというか」
イミテーションの宝石も透き通って、キラキラしている。でもこの色味ってどこかで見たような。割と何度も目にしている気がするのに、それがどこで何だったのか思い出せない。
「…綺麗で、ずっと羨ましいと…思ってたから。これありがと。大事にするわ」
「あ、あぁ…喜んでくれたなら良かった。残りのポイントは穂香の分も合わせて、ドリンクの引換券にしてもらった。どっか入って、温かいモンでも飲もうぜ。ちょっと休憩挟んだ方が乗り物酔いも治まるだろうし」
「あ…ごめん、自分のポイント忘れてたわ」
コートのポケットに色違いのテディベアを入れて、代わりに二枚のドリンク引換券を取り出した。
「冬限定のドリンクがあるから、それにするのもいいかもな」
「…下調べちゃんとしてきてくれてるのね。ほんと、エスコートされてる気分」
「そいつは良かった。……今日は楽しみにしてたし、昨日は中々寝付けなかった…なんてな」
楽しみにしていたのは事実だ。でも眠れなかった理由は他にもある。今日までに幾つものパターンをシミュレーションしてきた。昨日も少し司令に愚痴を零したけど、どのパターンもバッドエンドを迎えている。朝から出鼻をくじかれるし、元カレ騒動は起きるし。好調な出だしとは決して言えない。
さっきのシューティングだって願掛けの思いでグリップを握っていた。全弾命中させて、カッコいいと思いもよらず褒められたのは嬉しかった。このままいい流れで進んでくれりゃいいけど。
「…ガスト?」
「ん……何でもない。そろそろ行こうぜ。温かいモン飲みながら次に行くアトラクション決めよう」
近くにポテトやトルティーヤを販売している店がある。そこで季節限定のドリンクも扱っているはずだ。そこで少しゆっくりするのもいいだろう。時間もまだあるし。なんて、のんびり構えていたら夕方になっちまいそうだ。楽しい時間はあっという間に流れていくから。
◇◆◇
空は茜色に染まった部分と、藍色との境目を水で薄めたようにぼやけて広がっていた。
昼間流れていたパーク内のBGMもリズミカルなものから、落ち着いた感じに変わっている。その時間帯に合わせるようにして、パーク内のイルミネーションが灯り始めた。穂香はクリスマスバージョンで飾り付けられたカルーセルが綺麗だと言って、スマホのカメラで一枚収めていた。
観覧車の小さなゴンドラがゆっくりと上昇していく。一周するのに十八分くらいかかるらしいが、それも一瞬にしか感じないんだろうな。
目に映る景色がカルーセルの屋根を眺められる高さまで上がっていた。
「ゴンドラの中もヒーター入ってるから、冬も寒くなくていいわね。それに、この時間帯だと夕焼け空が遠くまで見えるし」
「ああ、いいタイミングで乗れたな。眺めもいいし。……普段自力で上昇気流みたいなヤツに乗っかってるから、なんか新鮮だ。こうやって別の力で昇ってくのがさ。しかもかなりのロースピードで」
「ガストは風使いだものね。…だから旋回系やスピード出るアトラクションも余裕の表情なのかしら」
「風使いって…なんかそれ、恥ずかしいな。【ナイトホーク】ですらあんま口にしてないってのに」
「じゃあ、風乗りのガスト」
「サーファーかよ」
軽くふざけ合いながら、笑い合った。
知り合ったばかりの頃は緊張して上手く喋れなかった。いつからだっけな、こんな風に気楽な会話ができるようになったのは。
俺は最近読み始めたコミックスが面白くてハマってることや、この間のルーキー研修であったことを話した。面白そう、カードゲームは大人数いると盛り上がって楽しい。そんな相槌を打ってくれる。
最近の調子を訊ねても、そこそこだとしか穂香は答えてくれなかった。
会話がぷつりと途切れた。
ゴンドラの窓から見えた水平線。黄昏時に見えた大海原は辺り一面が橙色に染まっている。昔、まだ妹が小さい頃にこんな感じの海を見て「オレンジジュースみたい!」ってはしゃいでたな。
俺の真向かいに座っている穂香は水平線の向こう側を見つめていた。この横顔が綺麗で、気が付けば見惚れている。今もそうだ。ずっと眺めていたい。
ゴンドラ内にある天井の照明が点灯した。その明るさは手元が見える程度で、夜景やイルミネーション観賞の邪魔にならないよう配慮されている。
ゴンドラはイエローウエストアイランドの街並みが見える高さまで上昇していた。カジノやミュージカルなどの娯楽施設、観光客向けホテルの灯り。それらが夜空に浮かぶ星の代わりに輝いていた。
折り返し地点まであと少し。快適な空の旅も半分を切ろうとしている。
この観覧車でパーク内のアトラクションを全制覇できる。但し、ホラーハウスを除いて。観覧車を降りた後はパレードまで時間を適当に潰すわけだが。今までタイミングを窺ってきたものの、大事な話をする糸口を探れずにいた。ゆっくり話せる時間は今しかないんだろうけど。今度は切り出すタイミングを見つけられずにいた。
「ウエストに来るのも久しぶりだった。…パークの新しいエリアも楽しかったし」
「そうだな。あのキャラクターの着ぐるみ、テンション高くてビックリした」
「ガスト絡まれてたよね」
「最初は手拍子だけだったのに、ステップ踏まされそうになった時は焦ったぜ。周りは盛り上がってたみたいだけど…ああいうのは同期の方が得意そうだ」
新しくオープンしたエリアを歩いていたら、丁度キャラクターの着ぐるみが登場する時間帯だったらしく。身軽なパフォーマンスに合わせて遠くから手拍子を送っていたら、突然こっちに近づいてきて、一緒にステップを踏むように促された。他にも観客はいたのに、わざわざこっちに来たもんだから。
不意打ちで絡まれてかなり焦った。俺は気後れしちまったけど、ビリーならその場のノリでキャストと一緒になって楽しいエンターテインメントを生み出せそうだ。
俺が話した同期が誰のことか穂香もわかったらしい。「彼ならピッタリね。キャスト顔負けのパフォーマンスを披露してくれそう」と笑った。まるでその場面が目の前に見えたみたいに。
「…私がこっちに来たばかりの時、結構な頻度で色んな場所に連れて行ってくれたよね。サウスの映画館、ダーツバー。イーストのスタジアムにも行ったし、ショッピングモールもあちこち。クリスマスマーケットも一緒に行ってくれた。…ニューミリオンに詳しくなったの、ガストのおかげって言っても過言じゃない」
「そりゃ良かった。…ウザがられてないかちょっと心配だったけどな。またコイツかよ、みたいにさ」
「都合が悪い時はちゃんと断ってたでしょ。……でも、今思えば。それぐらいが丁度良かったのかもしれない」
イルミネーションを見下ろしていた穂香はぽつりと呟いた。その言い方はどこか昔を懐かしむように、哀愁を思わせるもの。
外からの光がだいぶゴンドラには届かなくなっていたせいで、細かい表情はよく見えなかった。
「これでも私、ホームシックにかかってた。仕事が上手くいかなかったり、お客さんにこっぴどく怒られたりして…めちゃくちゃ落ち込んで、家族や友達に会いたくなった。何度も日本に帰りたいって思ってた。でも、一つだけ目標作ってたから…それで何とか頑張れたのかもしれない」
「……そう、だったのか。そんな風には全然、見えなかった…時々、落ち込んでんなってことはあったけど。……目標って、仕事のか?」
穂香は明るくて、社交的な性格だ。誰とでも打ち解けてるし、こっちの友達や知り合いも沢山いるって聞いてたし。俺もそのうちの一人だ。最初に出来た友達ってことがこの前分かったから、それは少し嬉しかった。
親しい友達に囲まれていても、寂しさを紛らわせなかったんだろう。遠く離れた故郷に思いを馳せていた。
「ガストがうちのブランド一着買ったら、日本に帰ろうって考えてた」
それが当面の目標で、達成した暁には帰国しよう。そう考えていたと、衝撃的な内容を今になって語る。偶然の賜物で回避していたとはいえ、それを聞いて動揺せずにはいられなかった。
「知り合ったばかりの時、今度何か買うよって…言ってくれたの憶えてる?社交辞令だって分かってても、嬉しかった。赴任したばかりだったし、常連さんになってくれるかも…って。凹みそうになっても、まだガストに売りつけてない。それまでは帰れない。それを思い出す度に、もう少し頑張ろうって気になれた。…新作やオススメを宣伝しても一向に買ってくれる気配なくて、三年も経っちゃったけどね。今はもう、本社から強制帰還の辞令出ない限り、帰るつもりない」
ああ、お互い口約束に縛られていたんだな。社交辞令っていう言葉に。
当時は女性ブランドしか展開していなかったし、贈る相手も居なかった。その時から今に至るまで、俺に女の子のダチが多いって勘違いされて「好きな子の一人や二人にプレゼントしてあげればいいのに」と言われることが多かった。気兼ねなく話せるのも、好きな子も一人しかいない。
「俺が好きな子はたった一人しかいない」と言えずに来た結果がこの状態だ。
心地よくて生温い関係に留まり続けたくない。この関係性を変えたくて、踏み出した一歩が兼ねてからの口約束を果たすことだった。
今度、そのうち、紳士服で気に入ったものがあれば。先へ先へと延ばしたことが、逆に効をなしたのかもしれない。
コートの袖に隠れている重ね付けしたシルバーバングルが静かに音を立てる。
「私が落ち込んでる時、いつもタイミングよくガストがあちこち遊びに連れ出してくれたり、ご飯食べに行こうって誘ってくれたりした。…どうして分かるんだろうって、不思議だった。……なるべく表に出さないようにしてたのに、面倒見がいい人にはバレちゃうのかなって」
「…確かに目に見えて落ち込んでるなってこともあった。でも、俺が穂香に声掛けてた理由はそれだけじゃない。……俺」
ガタン、と音を立ててゴンドラが停止した。内部の照明は点いたままだ。
『ただいま機械点検を行っております。しばらくお待ちください』
小さなスピーカーを通じて聞こえてきた機械音声。乗降場でトラブルがあったんだろう。ゴンドラに一瞬乗り遅れたとかで一時停止するのはよくあることだ。窓から見下ろした限り、地上で騒ぎが起きている様子も無さそうだ。
俺たちが乗るゴンドラは頂上付近で停まっていた。風が弱いから、揺れが少なくてすみそうだ。
「…すぐ動くといいんだけど。観覧車には付きものよね、こういうトラブル。ゴンドラってゆっくり動いてるけど、上手く乗れないと焦っちゃうし」
「あ、あぁ。そうだな」
「ガスト、さっき何か言いかけてなかった?」
「え?……その、だな」
なんか今日は間の悪いトラブルが重なっている気がする。今がその時じゃないっていう暗示なのかは知らないけど、このままじゃいつもの雑談で終わっちまう。これを逃したら、それこそ伝える機会を失う。決めたんだろ、自分の気持ち伝えないままでいる日々を終わらせるって。
俺は膝の上で組んでいた手を握りしめた。
「あの、さ。俺、こういう話って慣れてないんだ。…いや、慣れてるって思われんも嫌だ。それに、ずっと誤解されてんのも…嫌だし。……穂香はさ、俺にイマドキの女の子のダチが沢山いるって思ってんだよな」
「…ガストは人気者だし、面倒見もいいから…モテるんだろうなって、思ってた。多方面の知り合いも多いし」
「だよな。……実はさ、俺…女の子と接するのが苦手で。ガキの頃に色々あってそれ以来…トラウマっていうか、どう接すればいいのか分かんなくて。だから、女の子のダチ、ホントに少ないんだよ」
「声、掛けてくる子結構いるのに?」
待ち合わせしてる時やパトロール中に逆ナンされることが確かに多い。フェイスと並んでると特にだ。
「……カッコ悪い風に聞こえるかもしれねぇけど、そういう時は割と頭真っ白になってる。適当に返事してたら、なんでかその後も顔見知りみたいに声掛けてくるし…だから、どういう返しが適切なのかって…いつも考えてるうちに、硬直して。……ははっ、情けないよな」
【ハロウィン・リーグ】をきっかけに、更にその機会が増えた。親しみを持って話しかけてくれる弟分たちや馴染みの仲間ならいい。最近は知らない子から差し入れを貰うようになった。市民からの厚意を無下にするワケにもいかないし、こういう時は受け取ってる。共用スペースに置いといても、あの面子だと食べてくれない。だから大体はドクターの所に持っていった。
「……その話だと、私は女の子に思われてないってことよね」
軽く笑い話にしようと極力努めていた俺に対し、穂香の声があまりに落ち着いていたから焦りを感じた。
「なっ…違うって。逆だよ、逆。めちゃくちゃ意識してる。…今だって、すげぇドキドキしてるし、心臓が破裂しそうなぐらい緊張してる」
そう言葉にした途端、落ち着いていたはずの心臓が煩く騒ぎ始めた。そっちに意識が持っていかれそうになって、言葉が出てこなくなりそうだった。頼むから、少し落ち着いてくれよ。ずっと言いたかったこと、今日こそ伝えたいんだから。
「最初っつーか…二回目に偶然会った時あっただろ。そん時、無理やり腕引っ張られてさ。初対面で『動くな!』って言ってきた人だし。すげぇ怖くていつ逃げ出そうかタイミング見計らってた。…でも、手当てしてくれたって分かった時に…嬉しかったんだよ。あんなガラ悪いガキ相手にさ。明らかに殴り合いの怪我だってのに…心配してくれた」
「待って、って言おうとしたのよ。…怖がらせたのは、ごめん。前にも言ったけど、イケメンが顔に痣作ってるのが許せなかっただけで」
「穂香の御礼がしたいっていう気持ちは伝わってたよ。……それに、俺のこと心配してくれたのは変わらないだろ」
そういえば、初めて遊びに誘った時もこんな風に緊張していた。オーケーはしてくれたけど、当日来なかったらどうしようかって。マイナスのことばかり考えてたな。実際は俺よりも先に来て待っていたけど。
「…ダーツのルール覚えてくれて嬉しかったし。俺に勝った時はすげぇいい顔で笑ってくれてさ。負けて悔しいはずなのに、その顔見られるならいいか…って思うこと多かった。だからって手加減はしてないぜ?勝負はいつだって本気で挑んでた。……俺さ、穂香が笑ってくれると嬉しくて。いいデザインが浮かんだっていう時も、楽しくて笑ってる時も…アイツの話してた時も。彼氏いるって知った時、本気で凹んだ。…でも、穂香が幸せそうならいいかって…思ってた。まぁ、ちょっとばかり悪あがきもしてみたけどな」
ポケットコインとか、ハロウィンのクッキーとか。ことごとく気づかれずに終わった。それを思い出して苦笑いを浮かべてみせる。些細なアピールじゃ届かないってことも分かったんだ。
俺と向き合っていた穂香の視線が、僅かに下がった気がした。
「……このままの関係でもいいかって思ってた。でも、それじゃ嫌だって思い始めた。自分の気持ち偽って、この先もずっと嘘吐いたままでいるのは耐えられない。…俺、穂香が好きだ。友人としてじゃなく、一人の女性として」
嘘も偽りも無い、真っすぐな気持ちを伝えた。この想いは誰にも譲ることができない。
停まったゴンドラはまだ、動き出そうとしなかった。風が強くなってきたのか、僅かに揺れて躯体の軋む音がする。
長い沈黙が流れていた。一秒経つごとに不安は増すし、気まずい空気で満ちていく。
俯きがちだった穂香は揃えた膝の上に視線を落としていた。このまま、相手の返事を待っていた方がいいんだよな。それとも何か付け加えた方がいいのか。そう悩むうちに「ガスト」と静かに呼びかけられた。
「…ガストの気持ちは嬉しい。でも、私……ずっと、ずっと気づかなかったのよ?周り、全然見えてなくて。自分のことばっかりで…貴方の気持ちに気づこうとしなかった。ずっと…三年も」
「あぁ、三年ずっと片思いしてた。…でもさ、気づかないのは仕方ないだろ。夢中になってた相手がいたんだ。俺のことなんて眼中に入らなくて当然」
「…また、そうやって。いつも、いつも…ガストは優しい言葉掛けてくれる。お前は悪くない、って。…甘やかしすぎなのよ。自分のこと、蔑ろにして…ガストは優しすぎる。私、貴方の気持ちに答えられる資格なんて何も無い」
途中、声を強めながら穂香はそう話した。ほんの少し当たった光が瞳を揺らしたように見えて。さっきの言い方、もしかして。ここ最近様子がおかしかったのって。
「…最近、俺に対する態度が変っていうか…様子おかしかったのって、もしかして」
「二週間くらい前。イーストで…ガストの同期に会ったの。その人にポケットコイン拾ってもらって。……色々、考えてみたら。……ほんとにゴメン」
「そっか。……むしろ、気づいてくれたのが今で良かったよ。だって、そうだろ?もっと前に俺の気持ちが分かってたら…振ってた、よな。穂香は一途だって痛いほど知ってたし、一刀両断されてたと思うと…そっちの方が傷深くて立ち直れてねぇかも」
「……」
「俺は今の関係が壊れんの嫌で…ここまで引きずってきた。その結果三年も経ったし、タイミング見計らってたズルいヤツだって思われても仕方ない。……でも、ずっと穂香を想ってた気持ちに嘘は一つも無い。気づけなくて悪かったとか、後ろめたさ感じてるんならそれ抜きにして、穂香が俺のことどう思ってんのか聞かせてほしい」
気づけなくて悪かったから答えられないっていうのも、確かに一つの理由になるんだと思う。でも、そういうのは抜きだ。穂香の素直な気持ちが知りたい。
俺が答えを待つ間、穂香は細い指をぎゅっと握りしめていた。
「……私、貴方が思ってる以上に面倒くさい女よ。ハロウィンの日は一歩も外に出ないし、年二回は必ず酷い風邪引くし」
「苦手で嫌いなモンは誰にだってあるだろ。ハロウィン嫌いなヤツに態々イタズラ仕掛ける真似はしないし、来年も同じように過ごそうって決めたろ?体調だって人間なんだから、崩すのは当たり前だ。見舞いにも行くから、心配すんなって」
「…寂しがり屋で、ワガママだし…それに、臆病」
どんなことが出てくると思えば、聞いてるこっちとしては随分可愛らしいものだ。それに困らされたり、腹を立てたこと一度も無い。
「人はみんなワガママだろ。我慢して生きてるヤツなんて……まぁ、いるかもしれねぇけどさ。俺だってヤキモチ妬くし、独占欲強い…かも?」
「…なんで疑問形なのよ」
おかしそうに、少しだけ口元を緩めた穂香が笑う。つられてこっちの緊張も和らいだ。
「だって彼女いたことねぇし……実際にどうなるのかなんて想像もつかない。でも、穂香がアイツの話とか、他の男と話してるの見たら嫌な気分になったから、焼いてるんだと思う」
「…そんな嫌な思いさせてたのに、ずっと好きでいてくれたの」
「ああ。だって、俺は穂香のことが好きだからな」
「ありがと。……うん。私もガストと一緒にいられたら、楽しいんだろうな…って思い始めてた。自分でも知らないうちに。色々、罪悪感とか今さらとか…ある。でも、それを抜きにしたら…ガストのこと、好き」
今にも泣きそうな表情で、伝えてくれた言葉。その目に溜まった涙が零れ落ちないようにしたいと、その時の俺は思った。自然に手が伸びて、落ちそうな雫をそっと掃う。
「……両想い、ってことでいいんだよな」
「今からでも、遅くないなら」
「遅くなんかないって。…色々迷惑かけるかもしれねぇけど、これからもよろしく頼むよ。穂香」
「うん」
瞼を閉じた穂香の目からボロボロと涙が零れていった。それを止める術が咄嗟に思いつかなくて、頭をよしよしと撫でる。なんかこれ違うよな、と気づいた時には笑われていた。
「お兄ちゃんに宥められてるみたい」
「…俺も妹あやしてるみたいだって思ったところだ」
がこん、と大きな音が外から聞こえた。ようやく観覧車がゆっくりと周り始めたようだ。
『長らくお待たせ致しました。今しばらく夜景をお楽しみの上、到着をお待ちください』
スピーカーから聞こえてきた肉声。結構長い時間停まってたし、乗降以外にもトラブルがあったんだろう。
「…やっと動き出した。何かあったのかしら」
「かもな。でも、問題なく動いてるし…大丈夫だろ」
「ん……あまり長く停まってたから、閉じ込められたらどうしようって思ってた」
「その時は俺がなんとかしてやるから、心配要らないぜ」
不安そうに顔を曇らせてそう呟くから、俺はその手を握って笑いかけた。
そっと握り返してくれた華奢な手と「ありがとう」という言葉。このままずっと、手を取り合っていたかった。