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We’re just friends,right?
グリーンイーストの駅から近いスーパーマーケットに私は立ち寄っていた。帰宅ラッシュはあと一時間もすれば始まる。こうしてスムーズに買い物が出来たのも、早上がりしてきたおかげだ。熱が下がって、体調も良くなってきたけど人ごみに揉まれるのは正直嫌なので、先輩たちに感謝しかない。
職場の仲間に「病み上がりなんだから早く帰りなさい」ともれなく全員から口を揃えられてしまった。そこでNOと突っぱねても、無理やり退勤させられてしまう。彼らに悪気が無く、善意だとしても「帰れ」コールをされると結構しんどいものがある。「分かったわよ、帰ればいいんでしょ!帰れば!」と私が躍起になると笑顔で「ゆっくり休んでね。お大事に」と言ってくるし。
他の人に風邪を移してもいけないから、体調が悪い時は休むのが前提。日本の習慣がまだ染みついている私に「頑張りすぎなのよ」と怒られたこともある。
自分では通常の業務を滞りなくこなせていたから、もう万全の体調だと思ってたんだけど。今日の木枯らしは一段と冷える。夕焼けの時間帯ですらこの体感温度。一番星が見える頃には冷え込んでいそうだ。治りかけが肝心だといつも口を酸っぱくしている友人にこれ以上迷惑かけない為にも、家に帰ったら身体が温まるスープでも作ろう。
エコバッグの一番上に食パンを乗せ、私はスーパーマーケットを出た。
この時期のニューミリオンは感謝祭のムードが高まっている。あちこちのマーケットで盛んに取り上げているし、感謝祭用の食材も山積みになっていた。これがあと一週間もすればクリスマス一色に染まる。日本ではクリスマスケーキとおせち料理のCMが混在する頃だ。
今年は時間もあるし、各地のクリスマスマーケットに足を運んでみようかと私は考えていた。可愛いアドベントカレンダーが欲しい。中身は何にしようかな。ちょっと奮発して高いチョコレートを一つずつ入れておくのも良さそう。
街がクリスマスの準備で賑わい始める頃には日本行きのチケットを取って、家族や友達のお土産、恋人への贈り物を選んでいた。今年のウィンターホリデーはこっちで過ごすと決めたから、そんなにバタバタする必要も無くなった。仲の良い友達にクリスマスカードを用意するくらいだ。頃合いを見てクリスマスカードを買いに行かなきゃ。約束したタイ・クリップのオーダーは済んでいるし、これもクリスマスまでに間に合うはず。出来上がりが待ち遠しい。
コンクリートで舗装された平らな歩道を歩きながら、リトルトーキョーへ向かう。寒さのせいか早足になっていた。吐き出す息は白くて、もうすっかり冬の空気。そろそろ厚手のトレンチコートからダウンコートに切り替えるタイミングを見極めないと。それに合わせて中の服装も考える。今年は初めてニューミリオンで冬を迎える。だから少し不安もあった。服装もそうだけど、うっかり食料を買い損ねて空腹で年を越すなんてことにはなりたくない。
私が今年帰らない理由を家族や向こうの友達には話していない。仕事の都合で、と適当に濁せばそれを信じてくれる。日本人は真面目だから、仕事なら仕方がないと。
恋人にフラれたからなんて正直に話すのも気が引けていた。勘が鋭い友達にはバレてそうな気もする。
もし、どこかでばったり元カレと遭遇してしまったら。顔を見るのも嫌なのに、最低な気分になるに違いない。
彼の連絡先、写真、トーク履歴。全て消した後、気分はすっきりした。でもそれと比例して胸にぽっかりと穴が空いた。そろそろ半年が経つんだし、いつまでも引きずっていたくない。そう考えているのに、こうして冷たい風にさらされると涙腺が緩みそうになる。
それにしても、ヒーローは寒い日も、暑い日も街の見回りをしているんだから大変よね。彼も寒くなってからは「指先がかじかまないように」ってポケットに手を突っ込んでいる姿をよく見るようになった。
「さぁ、お次のマジックはスペシャルだヨ!」
広場から歓声が聞こえてきた。そこに小さな人だかりができている。どうやらストリートマジックを披露しているようで、マジシャンと思わしき青年が黒いシルクハットを掴んでいるのが遠目で見えた。
そういえば、今年の夏からマジックを披露するヒーローが現れた。そんな噂を小耳に挟んだのを私は思い出していた。実際に目にするのは初めてかも。私は人だかりの一番端について、彼の手元に注目する。
マジシャンは派手なオレンジ色の頭に、これまた黄緑色の派手なゴーグルで目元を覆っていた。彼の視界はいつも緑なんだろう。目に優しい色だとしても、逆にちょっと疲れそう。馴染みのある【HELIOS】の制服だったから、彼がグリーンイースト担当のルーキーに違いない。
「この帽子の中身は見ての通り空っぽ、これをクルクルっと……回すと」
シルクハットの中を観客に見せ、両手で三回くるくるとひっくり返す。そして、水平にした状態のシルクハットを指で軽く叩いた。すると中から真っ白な鳩が二羽飛び出して、寒空へと舞い上がった。その鳩たちは夕焼けに向かって羽ばたいていく。
「おおー!すげぇ!」
「ビリーくんすごーい!」
歓声と拍手が同時に沸き起こった。私も拍手を彼に向けて送る。マジックを間近で見られたことに感動すら覚えていた。もう少し早く会計を済ませていれば最初から見られたのかもしれない。それが少し惜しくも感じる。
拍手喝采の中、彼は恭しくお辞儀をした。ショーに幕が下りた後も観客の興奮が冷めずにいる。ビリーと呼ばれた青年の回りに小さな子が集まり、サインをねだっていた。差し出された色紙やおもちゃに慣れた手つきで彼はペンを滑らせていく。
バッグの中でスマホが震えていた。すぐにそれは途絶えたからメッセージの通知だろう。手袋のままバッグの中に手を入れて、スマホを引っ張り出す。向こうにいる友達からの連絡だった。今年はいつ帰ってくるんだという内容に『今年は仕事が忙しくて帰省できそうにないの』と定型の返事を打ち込む。その返信がまたすぐに来るものだから、ごめんと一言送り返した。
私が画面に集中している間に観客がパラパラと散っていったようで、気づけば私が最後の一人になっていた。気まずくなる前に帰ろうとした時、何故かヒーローの方から声を掛けられてしまう。
「そこのレディ、何か探し物があったりしない?」
「……探し物?いえ、特には…」
明るい声でそう話しかけてきた彼はニコニコと人の良い笑顔を浮かべている。でも、その探し物というやつに心当たりが全くない。
突然訊かれた質問にまごついていると、彼は不意にパンッと手を一度叩いた。
「それでは、特別にマジックをお見せしまショウ!ボクちんの手にご注目~」
これまた急にマジックが始まった。
彼は両手のひらを交差させながらひらひらと振る。何度かそれを繰り返した後、ぴたりと手を止めた。次の瞬間、右手の人差し指と中指の間に一枚のコインがどこからともなく現れた。
「すごい……どこから?」
「んふふ〜種も仕掛けもありませーん……って言いたいとこだけど、これに見覚えは?」
彼は銀色のコインを表に返す。左手にはそれを入れる小さな緑色の袋。それを見た私はあっと声を出した。コインには見覚えのある天使が描かれているし、その袋は自分で縫ったもの。三年前、ガストから貰ったポケットコインだ。
慌ててバッグの中を探しても、それは見当たらない。間違いなく私のものだ。いつの間に落としたんだろう。
「さっきスマホを出した時、一緒に飛び出してたみたいだヨ。元気の良いポケットコインだネ。浮かない顔してたし、これを落として探してたのかなーと思ったんだけど。違った?」
「あ……そう、ですね。すみません、ありがとうございます」
泣きたい理由はそうじゃなかったけど、これを無くしていたらもっと落ち込んでいたに違いない。私はポケットコインが戻ってきてほっとしていた。
コインの表面に傷をつけたくなくて、薄いベルベット生地を袋状に縫い上げたこれに大事にしまって、持ち歩いていた。
私が初めて此処に来た冬のこと。ガストをクリスマスマーケットの買い物に付き合わせた。寒い中、荷物を結構持たせちゃったし悪いことしたと思ってる。渋々といった表情してたし。それにもかかわらず、クリスマスカードと旅のお守りだといってこのポケットコインをプレゼントしてくれた。
これを持ち歩いていると、不運に見舞われることが少ない。例えば、予定の飛行機が天候の関係でフライトできないかもしれない、その時は運良く別の便に乗れた。バスを逃して時間を持て余したかと思えば、近くの美術館で前から見たかった展覧会をちょうど開催していた。こんな風に不思議とアンラッキーをラッキーに変えてくれるポケットコインだった。
昨年のウィンターホリデーにうっかりこれを忘れてしまったことがあった。テーブルに置き忘れたと気づいた時には空の上。行きでトラブルは無かったけれど、帰りで大変な目に遭った。湿った大雪が降り止まず、その日のフライトは全便欠航。飛行場の外は真っ白で、目処も立たないと聞いた時はニューミリオンに帰ってくるなってことかと思ったくらい。
飛行場で寝泊まりすることになった夜、あまりにも手持ち無沙汰でガストにメッセージを何度も送り付けた。「外真っ白」「ヒマ」「これがお土産です」そんなくだらない言葉や写真でも、ちゃんとやりとりしてくれた。
「よほど大切なモノみたいだネ」
思い出と呼ぶにはまだ真新しい記憶。それに耽っていた私は、きっとそんな表情をしていたんだろう。これは私にとって大切なものだ。私は軽く頷いた。
「こっちの友達に貰ったお守りなんです。彼も13期のルーキーで…ノースセクター所属なんですけど」
彼は表情ごとぴたりと動きを止めた。刹那、ゴーグルの奥に見えた目がきらんと光ったような気がする。
「もしかして、そのルーキーの名前はガスト・アドラーだったりして?」
「あ、はい。そうです」
「ワォ!思いがけない所で大和撫子みーっけ」
この青年はテンションが高いというか、随分と楽しそうな声で話す。周囲に人が集まってきそうな印象。さっきのセリフにも語尾にハートマークすら浮かべていそうだった。
こっちの人って、日本人の女性なら誰でも大和撫子に見えるというか、そう思うらしい。私も赴任したばかりの頃は必ず「大和撫子だね!」と言われてきた。でも、私はお淑やかで物静かという自覚は無い。イメージと相違があるわよと訂正も必ず付け加えてきた。
「……私は貴方が思い描く大和撫子と違うと思いますよ。それにしても、よく私が日本人って分かりましたね。イーストは色んな国の人がいるから見た目じゃ特定できないのに」
「ブラザーが友達って聞いてピーンときちゃった。それに、大和撫子の定義は人それぞれだと思うヨ」
「…そういうものかしらね。彼とは親しいんですか?」
短時間でも話し方や身振りから彼がムードメーカー的な存在であることが分かる。同じ部類とまではいかないけど、ガストもコミュニケーション能力が高い。誰とでも仲良くなろうと声を掛けるから、似た者同士親睦を深めてそうだ。
だから【HELIOS】でもそのスキルを発揮しているものだとばかり。ところがイースト担当のヒーローは「うーん」と唸っていた。やっぱりセクターが違えば同期でも交友関係は広がらないものなんだろうか。いわば部署が違うようなものよね。
「たまーにお喋りするくらいかなぁ。こっちとしては、もっとブラザーとお話したいと思ってるんだけどネ」
「そうなんですか」
「大和撫子はブラザーと仲が良いみたいだネ。そのポケットコイン、結構値打ちモンだと思うヨ。そこらじゃ売ってない代物。特注品って感じかな~。だから、親しい間柄なのかもってネ」
私の手の平にあるポケットコインを示しながら彼はそう話した。ああ、やっぱりそうなんだ。これの価値が高いということは薄々感づいていた。
あの日、ガストは大したものじゃないからと言っていた。でも、同じようなものは雑貨屋で見掛けたことがない。模様が簡略化されたものなら売っていた。私が貰ったものはコインの形も厚みも均一でしっかりとした作りだし、天使が精巧に描かれている。材質も真鍮じゃない、銀の重みだ。
贈り物の値段を聞くのは野暮だから、聞こうとはしなかった。でも、当時アカデミー生だった彼は結構無理をしたんじゃないかと。そう心配もしていた。
ポケットコインの表には横向きの天使が祈りを捧げている。その横顔は綺麗で神秘的な雰囲気を醸し出している。
「ところで、ポケットコインはお守りだけじゃないって知ってる?」
「…それは、なんとなく」
「詳しくは知らないって感じだネ。ポケットコインは絵柄によっても意味が変わってくるんだ。クローバーは名声、愛情、豊かさ、健康の四つ合わせて真実の愛。クロスは災いから身を守ってくれる。鳩は平和の象徴で幸せを運んできてくれる。そんでもって天使は相手に自分の思いを伝えてくれる恋の味方なんだヨ。…これだけの絵柄があるのに、敢えてそれを選ぶなんて、ブラザーも中々シャイだよネ」
現地の人はこういったジンクスにもやっぱり詳しかった。私が調べたことよりもずっと詳しい。彼は肩を竦め、両手を広げながらカラカラと笑っていた。
でも、それだとまるでガストが私のこと。
「……そんなつもりで、渡してくれたとは思ってなかったんだけど」
だって、彼は面倒見が良くて、誰にでも優しく気遣い上手だ。確かにその優しさについ甘えることが多かった。他の人もそんな風に頼っていると。
この天使だって、単に可愛いから選んだんだろうって。ポケットコインの意味や絵柄はその時に調べて知っていた。そんなつもりで渡してきたわけじゃないと。
気兼ねない友達だと、思っていた。
「ブラザーは自分のことよりも相手のこと考えちゃうタイプに見えるヨ。ポケットコインは贈った相手が幸せになりますようにって感じでプレゼントするし。そんでもって、相手が幸せになれば自分もハッピー☆」
彼の指先がパチンと音を響かせた。その指の隙間から赤い花びらが見えたかと思えば、見る見るうちに手の平サイズのバラが現れる。次から次へと、瞬く暇すらないマジックを披露してくれる。その花をポケットコインの横に乗せてくれた。触れた花びらは良い素材でできていそうだった。
「大和撫子とお近づきの印に、なんちゃって☆バレたらブラザーに怒られちゃうかも。さてと、そろそろボクちん行かなきゃ。クライアントとの待ち合わせに遅れちゃう」
「あ…あの、コイン拾ってくれて本当にありがとうございます。あと、マジックも」
「どういたしまして。ボクちんのマジックで笑顔になれたならこっちもSo happy!」
駆け足で広場から去っていく彼は、後ろを振り向きながらも手を振ってくれた。
私はバラの造花を潰さないようにエコバッグの上にそっと乗せた。それからポケットコインを袋に入れて、紐で口を結ぶ。
あの頃の私は遠く離れた海の向こう側しか見ていなかった。彼の気持ちなんて、考えてもいなかった。だって、良い友達だと思い込んでいたから。
もう三年も前の話。もう薄れているに決まっている。私は全く気付こうとしなかったんだもの。
『俺のことどう思ってんだ』
彼が酔いつぶれたあの日。その質問に友達だと返したら不満そうにしていた。酒の席での話だし、口から出ただけに違いない。今もずっと同じ想いだなんて、そんなことあるはずがない。
通り抜けていった風の冷たさに私はマフラーに顔をうずめた。
グリーンイーストの駅から近いスーパーマーケットに私は立ち寄っていた。帰宅ラッシュはあと一時間もすれば始まる。こうしてスムーズに買い物が出来たのも、早上がりしてきたおかげだ。熱が下がって、体調も良くなってきたけど人ごみに揉まれるのは正直嫌なので、先輩たちに感謝しかない。
職場の仲間に「病み上がりなんだから早く帰りなさい」ともれなく全員から口を揃えられてしまった。そこでNOと突っぱねても、無理やり退勤させられてしまう。彼らに悪気が無く、善意だとしても「帰れ」コールをされると結構しんどいものがある。「分かったわよ、帰ればいいんでしょ!帰れば!」と私が躍起になると笑顔で「ゆっくり休んでね。お大事に」と言ってくるし。
他の人に風邪を移してもいけないから、体調が悪い時は休むのが前提。日本の習慣がまだ染みついている私に「頑張りすぎなのよ」と怒られたこともある。
自分では通常の業務を滞りなくこなせていたから、もう万全の体調だと思ってたんだけど。今日の木枯らしは一段と冷える。夕焼けの時間帯ですらこの体感温度。一番星が見える頃には冷え込んでいそうだ。治りかけが肝心だといつも口を酸っぱくしている友人にこれ以上迷惑かけない為にも、家に帰ったら身体が温まるスープでも作ろう。
エコバッグの一番上に食パンを乗せ、私はスーパーマーケットを出た。
この時期のニューミリオンは感謝祭のムードが高まっている。あちこちのマーケットで盛んに取り上げているし、感謝祭用の食材も山積みになっていた。これがあと一週間もすればクリスマス一色に染まる。日本ではクリスマスケーキとおせち料理のCMが混在する頃だ。
今年は時間もあるし、各地のクリスマスマーケットに足を運んでみようかと私は考えていた。可愛いアドベントカレンダーが欲しい。中身は何にしようかな。ちょっと奮発して高いチョコレートを一つずつ入れておくのも良さそう。
街がクリスマスの準備で賑わい始める頃には日本行きのチケットを取って、家族や友達のお土産、恋人への贈り物を選んでいた。今年のウィンターホリデーはこっちで過ごすと決めたから、そんなにバタバタする必要も無くなった。仲の良い友達にクリスマスカードを用意するくらいだ。頃合いを見てクリスマスカードを買いに行かなきゃ。約束したタイ・クリップのオーダーは済んでいるし、これもクリスマスまでに間に合うはず。出来上がりが待ち遠しい。
コンクリートで舗装された平らな歩道を歩きながら、リトルトーキョーへ向かう。寒さのせいか早足になっていた。吐き出す息は白くて、もうすっかり冬の空気。そろそろ厚手のトレンチコートからダウンコートに切り替えるタイミングを見極めないと。それに合わせて中の服装も考える。今年は初めてニューミリオンで冬を迎える。だから少し不安もあった。服装もそうだけど、うっかり食料を買い損ねて空腹で年を越すなんてことにはなりたくない。
私が今年帰らない理由を家族や向こうの友達には話していない。仕事の都合で、と適当に濁せばそれを信じてくれる。日本人は真面目だから、仕事なら仕方がないと。
恋人にフラれたからなんて正直に話すのも気が引けていた。勘が鋭い友達にはバレてそうな気もする。
もし、どこかでばったり元カレと遭遇してしまったら。顔を見るのも嫌なのに、最低な気分になるに違いない。
彼の連絡先、写真、トーク履歴。全て消した後、気分はすっきりした。でもそれと比例して胸にぽっかりと穴が空いた。そろそろ半年が経つんだし、いつまでも引きずっていたくない。そう考えているのに、こうして冷たい風にさらされると涙腺が緩みそうになる。
それにしても、ヒーローは寒い日も、暑い日も街の見回りをしているんだから大変よね。彼も寒くなってからは「指先がかじかまないように」ってポケットに手を突っ込んでいる姿をよく見るようになった。
「さぁ、お次のマジックはスペシャルだヨ!」
広場から歓声が聞こえてきた。そこに小さな人だかりができている。どうやらストリートマジックを披露しているようで、マジシャンと思わしき青年が黒いシルクハットを掴んでいるのが遠目で見えた。
そういえば、今年の夏からマジックを披露するヒーローが現れた。そんな噂を小耳に挟んだのを私は思い出していた。実際に目にするのは初めてかも。私は人だかりの一番端について、彼の手元に注目する。
マジシャンは派手なオレンジ色の頭に、これまた黄緑色の派手なゴーグルで目元を覆っていた。彼の視界はいつも緑なんだろう。目に優しい色だとしても、逆にちょっと疲れそう。馴染みのある【HELIOS】の制服だったから、彼がグリーンイースト担当のルーキーに違いない。
「この帽子の中身は見ての通り空っぽ、これをクルクルっと……回すと」
シルクハットの中を観客に見せ、両手で三回くるくるとひっくり返す。そして、水平にした状態のシルクハットを指で軽く叩いた。すると中から真っ白な鳩が二羽飛び出して、寒空へと舞い上がった。その鳩たちは夕焼けに向かって羽ばたいていく。
「おおー!すげぇ!」
「ビリーくんすごーい!」
歓声と拍手が同時に沸き起こった。私も拍手を彼に向けて送る。マジックを間近で見られたことに感動すら覚えていた。もう少し早く会計を済ませていれば最初から見られたのかもしれない。それが少し惜しくも感じる。
拍手喝采の中、彼は恭しくお辞儀をした。ショーに幕が下りた後も観客の興奮が冷めずにいる。ビリーと呼ばれた青年の回りに小さな子が集まり、サインをねだっていた。差し出された色紙やおもちゃに慣れた手つきで彼はペンを滑らせていく。
バッグの中でスマホが震えていた。すぐにそれは途絶えたからメッセージの通知だろう。手袋のままバッグの中に手を入れて、スマホを引っ張り出す。向こうにいる友達からの連絡だった。今年はいつ帰ってくるんだという内容に『今年は仕事が忙しくて帰省できそうにないの』と定型の返事を打ち込む。その返信がまたすぐに来るものだから、ごめんと一言送り返した。
私が画面に集中している間に観客がパラパラと散っていったようで、気づけば私が最後の一人になっていた。気まずくなる前に帰ろうとした時、何故かヒーローの方から声を掛けられてしまう。
「そこのレディ、何か探し物があったりしない?」
「……探し物?いえ、特には…」
明るい声でそう話しかけてきた彼はニコニコと人の良い笑顔を浮かべている。でも、その探し物というやつに心当たりが全くない。
突然訊かれた質問にまごついていると、彼は不意にパンッと手を一度叩いた。
「それでは、特別にマジックをお見せしまショウ!ボクちんの手にご注目~」
これまた急にマジックが始まった。
彼は両手のひらを交差させながらひらひらと振る。何度かそれを繰り返した後、ぴたりと手を止めた。次の瞬間、右手の人差し指と中指の間に一枚のコインがどこからともなく現れた。
「すごい……どこから?」
「んふふ〜種も仕掛けもありませーん……って言いたいとこだけど、これに見覚えは?」
彼は銀色のコインを表に返す。左手にはそれを入れる小さな緑色の袋。それを見た私はあっと声を出した。コインには見覚えのある天使が描かれているし、その袋は自分で縫ったもの。三年前、ガストから貰ったポケットコインだ。
慌ててバッグの中を探しても、それは見当たらない。間違いなく私のものだ。いつの間に落としたんだろう。
「さっきスマホを出した時、一緒に飛び出してたみたいだヨ。元気の良いポケットコインだネ。浮かない顔してたし、これを落として探してたのかなーと思ったんだけど。違った?」
「あ……そう、ですね。すみません、ありがとうございます」
泣きたい理由はそうじゃなかったけど、これを無くしていたらもっと落ち込んでいたに違いない。私はポケットコインが戻ってきてほっとしていた。
コインの表面に傷をつけたくなくて、薄いベルベット生地を袋状に縫い上げたこれに大事にしまって、持ち歩いていた。
私が初めて此処に来た冬のこと。ガストをクリスマスマーケットの買い物に付き合わせた。寒い中、荷物を結構持たせちゃったし悪いことしたと思ってる。渋々といった表情してたし。それにもかかわらず、クリスマスカードと旅のお守りだといってこのポケットコインをプレゼントしてくれた。
これを持ち歩いていると、不運に見舞われることが少ない。例えば、予定の飛行機が天候の関係でフライトできないかもしれない、その時は運良く別の便に乗れた。バスを逃して時間を持て余したかと思えば、近くの美術館で前から見たかった展覧会をちょうど開催していた。こんな風に不思議とアンラッキーをラッキーに変えてくれるポケットコインだった。
昨年のウィンターホリデーにうっかりこれを忘れてしまったことがあった。テーブルに置き忘れたと気づいた時には空の上。行きでトラブルは無かったけれど、帰りで大変な目に遭った。湿った大雪が降り止まず、その日のフライトは全便欠航。飛行場の外は真っ白で、目処も立たないと聞いた時はニューミリオンに帰ってくるなってことかと思ったくらい。
飛行場で寝泊まりすることになった夜、あまりにも手持ち無沙汰でガストにメッセージを何度も送り付けた。「外真っ白」「ヒマ」「これがお土産です」そんなくだらない言葉や写真でも、ちゃんとやりとりしてくれた。
「よほど大切なモノみたいだネ」
思い出と呼ぶにはまだ真新しい記憶。それに耽っていた私は、きっとそんな表情をしていたんだろう。これは私にとって大切なものだ。私は軽く頷いた。
「こっちの友達に貰ったお守りなんです。彼も13期のルーキーで…ノースセクター所属なんですけど」
彼は表情ごとぴたりと動きを止めた。刹那、ゴーグルの奥に見えた目がきらんと光ったような気がする。
「もしかして、そのルーキーの名前はガスト・アドラーだったりして?」
「あ、はい。そうです」
「ワォ!思いがけない所で大和撫子みーっけ」
この青年はテンションが高いというか、随分と楽しそうな声で話す。周囲に人が集まってきそうな印象。さっきのセリフにも語尾にハートマークすら浮かべていそうだった。
こっちの人って、日本人の女性なら誰でも大和撫子に見えるというか、そう思うらしい。私も赴任したばかりの頃は必ず「大和撫子だね!」と言われてきた。でも、私はお淑やかで物静かという自覚は無い。イメージと相違があるわよと訂正も必ず付け加えてきた。
「……私は貴方が思い描く大和撫子と違うと思いますよ。それにしても、よく私が日本人って分かりましたね。イーストは色んな国の人がいるから見た目じゃ特定できないのに」
「ブラザーが友達って聞いてピーンときちゃった。それに、大和撫子の定義は人それぞれだと思うヨ」
「…そういうものかしらね。彼とは親しいんですか?」
短時間でも話し方や身振りから彼がムードメーカー的な存在であることが分かる。同じ部類とまではいかないけど、ガストもコミュニケーション能力が高い。誰とでも仲良くなろうと声を掛けるから、似た者同士親睦を深めてそうだ。
だから【HELIOS】でもそのスキルを発揮しているものだとばかり。ところがイースト担当のヒーローは「うーん」と唸っていた。やっぱりセクターが違えば同期でも交友関係は広がらないものなんだろうか。いわば部署が違うようなものよね。
「たまーにお喋りするくらいかなぁ。こっちとしては、もっとブラザーとお話したいと思ってるんだけどネ」
「そうなんですか」
「大和撫子はブラザーと仲が良いみたいだネ。そのポケットコイン、結構値打ちモンだと思うヨ。そこらじゃ売ってない代物。特注品って感じかな~。だから、親しい間柄なのかもってネ」
私の手の平にあるポケットコインを示しながら彼はそう話した。ああ、やっぱりそうなんだ。これの価値が高いということは薄々感づいていた。
あの日、ガストは大したものじゃないからと言っていた。でも、同じようなものは雑貨屋で見掛けたことがない。模様が簡略化されたものなら売っていた。私が貰ったものはコインの形も厚みも均一でしっかりとした作りだし、天使が精巧に描かれている。材質も真鍮じゃない、銀の重みだ。
贈り物の値段を聞くのは野暮だから、聞こうとはしなかった。でも、当時アカデミー生だった彼は結構無理をしたんじゃないかと。そう心配もしていた。
ポケットコインの表には横向きの天使が祈りを捧げている。その横顔は綺麗で神秘的な雰囲気を醸し出している。
「ところで、ポケットコインはお守りだけじゃないって知ってる?」
「…それは、なんとなく」
「詳しくは知らないって感じだネ。ポケットコインは絵柄によっても意味が変わってくるんだ。クローバーは名声、愛情、豊かさ、健康の四つ合わせて真実の愛。クロスは災いから身を守ってくれる。鳩は平和の象徴で幸せを運んできてくれる。そんでもって天使は相手に自分の思いを伝えてくれる恋の味方なんだヨ。…これだけの絵柄があるのに、敢えてそれを選ぶなんて、ブラザーも中々シャイだよネ」
現地の人はこういったジンクスにもやっぱり詳しかった。私が調べたことよりもずっと詳しい。彼は肩を竦め、両手を広げながらカラカラと笑っていた。
でも、それだとまるでガストが私のこと。
「……そんなつもりで、渡してくれたとは思ってなかったんだけど」
だって、彼は面倒見が良くて、誰にでも優しく気遣い上手だ。確かにその優しさについ甘えることが多かった。他の人もそんな風に頼っていると。
この天使だって、単に可愛いから選んだんだろうって。ポケットコインの意味や絵柄はその時に調べて知っていた。そんなつもりで渡してきたわけじゃないと。
気兼ねない友達だと、思っていた。
「ブラザーは自分のことよりも相手のこと考えちゃうタイプに見えるヨ。ポケットコインは贈った相手が幸せになりますようにって感じでプレゼントするし。そんでもって、相手が幸せになれば自分もハッピー☆」
彼の指先がパチンと音を響かせた。その指の隙間から赤い花びらが見えたかと思えば、見る見るうちに手の平サイズのバラが現れる。次から次へと、瞬く暇すらないマジックを披露してくれる。その花をポケットコインの横に乗せてくれた。触れた花びらは良い素材でできていそうだった。
「大和撫子とお近づきの印に、なんちゃって☆バレたらブラザーに怒られちゃうかも。さてと、そろそろボクちん行かなきゃ。クライアントとの待ち合わせに遅れちゃう」
「あ…あの、コイン拾ってくれて本当にありがとうございます。あと、マジックも」
「どういたしまして。ボクちんのマジックで笑顔になれたならこっちもSo happy!」
駆け足で広場から去っていく彼は、後ろを振り向きながらも手を振ってくれた。
私はバラの造花を潰さないようにエコバッグの上にそっと乗せた。それからポケットコインを袋に入れて、紐で口を結ぶ。
あの頃の私は遠く離れた海の向こう側しか見ていなかった。彼の気持ちなんて、考えてもいなかった。だって、良い友達だと思い込んでいたから。
もう三年も前の話。もう薄れているに決まっている。私は全く気付こうとしなかったんだもの。
『俺のことどう思ってんだ』
彼が酔いつぶれたあの日。その質問に友達だと返したら不満そうにしていた。酒の席での話だし、口から出ただけに違いない。今もずっと同じ想いだなんて、そんなことあるはずがない。
通り抜けていった風の冷たさに私はマフラーに顔をうずめた。