main story
名前変換
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
1.これでも精一杯の主張
十月三十一日。時刻は夜九時を過ぎた。あと三時間もすれば私にとって憂鬱な一日が終わる。
ニューミリオン中がお祭り騒ぎになるハロウィン。【HELIOS】のヒーローたちもこの日は仮装して街中を練り歩く。【LOM】も今月だけは特別にハロウィン・リーグとして開催される。模擬戦というよりは、ショー染みた形式で行われる所謂一つの年中行事だ。今月の観戦チケットはあっと言う間に売り切れるとかなんとか。
これらの祭事が行われている今日だけは絶対に外に出ないと私は決めている。だからパレードもリーグも関係ない。
ハロウィンが土日に被らなければ、年休をとって家に閉じこもる。職業柄、この時期は繁忙期だけどオーダーの締め切りは大体一ヶ月前、短い納期だと一週間前。納期にさえ間に合えばハロウィン当日に年休を取っても差し支えないのだ。チケットが取れたと歓喜に溢れていた同僚も今日は休みを取っている。
よって、この日だけは宅配便が来ようが、不意に訪れた親しい友人であろうが全く応じないことにしている。どうしても、どうしても応じなければならない時は丁重にお断りを入れてお帰り頂いている。もちろん、玄関のドアは閉ざしたままで。ドアを開けたら最後、何を仕掛けられるか分からないもの。トリック・オア・トリートはこの世で一番嫌いな呪文だ。
朝に一度、昼間に二度、夕方に一度。玄関チャイムが鳴ったけど、その瞬間に私は動きを止めて居留守を貫き通した。
幸いにも私の居住地であるリトルトーキョーの街はずれには子どもたちもピンポンしてこない。お菓子を全く用意してないし、する気もないから来られても困るんだけどね。
夜九時半頃、スマホがチロリンと音を立てた。私はテーブルに伏せていたそれをひっくり返し、通知の内容を確認する。また同じ相手からのメッセージ、今日で何度目だろうか。相手とのトーク画面には吹き出しが五つぐらい連なっていた。
メッセージはハロウィン・リーグも無事に終わった、とかいう内容だった。それは良かったね、と今日初めての返事を送信する。私が送ったものにすぐに既読がついた。画面を横へスワイプするよりも先に次のメッセージを受信した。
『やっと反応したな。既読無視されるのって案外傷つくんだぜ?』
そんなこと言われても困る。今日の私は無に徹していたんだから。それこそ無視してやろうと思っていたら、電話が掛かってきた。メッセージのやり取りをしていた相手、ガスト・アドラーからだ。自然と眉間に皺が寄ってしまった。今日でなければ着信に応じるんだけれど。
着信音が鳴り続ける。電話に出ることを渋っていた。でも、流石にそれも可哀相だと思い、通話ボタンをタップする。
「もしもし。こんばんは、お疲れ様です。用件は手短にどうぞ」
『…第一声から手厳しいな』
「用が無いなら切るわよ。ガストだってパレードに【ハロウィン・リーグ】で疲れてるでしょ。今日は早く休んだら?それじゃあ」
『あーっ!ちょっと待った、頼むから切らないでくれ!』
「分かった。で、どうしたの?」
『あ、いや…ほら、穂香パレード見に来なかっただろ?市民に配ってたクッキー、渡そうと思って連絡したのに音沙汰ないしよ。だから、届けに来たんだけど』
そういえば、昼間に送られてきたメッセージにそんなことが書いてあった気がする。所属のチームでクッキーを焼いて、パレードの時に市民に配るって。パレード見に来てくれたら渡すとも。
パレードを見に行くなんて全く視野に入っていない。今日の私はお家で過ごすことしか考えていないもの。
ハロウィンの日に私が出不精になることはガストも重々承知のはず。そんなに短い付き合いでもないんだし。女友達でこんなに長い付き合いは珍しいなと前に口にしてたけど、本当なんだか。素行に問題有りの時期があったそうだし、ルックスも悪くないんだから女の人にモテるだろうに。
「別にいらないよ。取っておいてくれたのは嬉しいけど、わざわざ来なくてもいいし。さっきも言ったけど疲れてるでしょ?早く汗流してお布団で寝なさい」
『…相変わらず辛辣と優しが半々だな。いや、そうしたいのも山々なんだけど』
「けど?」
『もう家の前まで来てるんだよ』
「は?」
思わず私は玄関を振り返った。その瞬間、玄関のチャイムが鳴る。同時に電話の向こう側からも聞こえてきた。
『な?聞こえただろ。あ、電話切るぜ。直接話した方が早いし』
「え、ちょっ…」
一方的に話を纏められた上に通話を切られてしまった。ガストを疑うわけでもないけど、やけに機嫌良さそうな声が引っかかる。
私は暫く玄関のドアを睨み付けていた。その間も「おーい。穂香ー」とドア越しに聞こえてくるガストの声。
ここで不用意にドアを開けてしまうのは危険だ。でも、ガストは私のハロウィン嫌いを熟知している。それからというもの、一度もあの禍々しい呪文を口にしたことはない。
信じてドアを開けていいものだろうか。いや、やはり用心した方がいいだろうか。葛藤する間、催促の声が聞こえてくる。
私は分かった分かったと半ば自棄に応えて、玄関の前へ立つ。
施錠をゆっくりと解除して、ドアノブを下げ、物凄くゆっくりとドアを押し開けていく。
外が見えるか見えないかぐらいの僅かな隙間から様子を窺ってみた。でもこれだと何も見えないし、相手の状態も全く分からない。
私は意を決し、ガストを信じて一気にドアを半分ほど開けた。そして後悔した。三秒前の自分を殴りたい。
「よっ。開けてくれてサンキュ…って、閉めるのかよ!」
いつものにこやかな笑みを浮かべているのはいい、格好が問題有り過ぎる。よりによって吸血鬼の仮装したまま来るやつがあるか。
私は反射的にドアを力一杯引いた。そのまま閉め出して鍵を掛けようと思ったのに、反対側のドアノブを掴まれて引っ張られる。負けじと私も引っ張り返す。まるで綱引き状態だ。
「……っお引き取りくださいっ!私の友人に吸血鬼なんていません!」
「いやいや、格好だけだろ!?俺だって!」
「オレオレ詐欺も間に合ってますう!」
火事場の馬鹿力を発揮させた私はあと数センチでドアが閉まる所まで持ち込んだ。が、その隙間に見るからに高そうな革靴が入り込んだ。それは見事にドアストッパーの役割を果たしてしまう。
ガンッと小気味よい音を立てた後、ドアが外側に引っ張られていく。綱引きに負けてしまった。
「…卑怯!足入れるのは卑怯よ!」
「卑怯って…あのなぁ、あんなこと続けてたらドア壊れちまうだろ。別に悪戯しに来たわけじゃないっての」
「そんな格好で言われても説得力ゼロ。…本格的な衣装なことで。牙まで生やしちゃって」
グッと相手を睨み付け、最大限の厭味を込めて私は言い放った。けど、機嫌を損ねるどころか、尖った犬歯を見せて笑いかけてくる。
「だろー?これ、うちのメンターが用意したやつなんだ。最初見た時は本格的過ぎて俺もびっくりしちまって。…で、その衣装を見てほしくて」
「……生地の手触りも色使いも凝ってる。派手さが売りのショー用とはいえ、リアリティも追求されていてプロの仕事ね。これ相当良い生地使ってる」
袖なし外套の裾を掴み、生地に指を滑らせた。縫製も狂いが全くない。はっきりいって素晴らしい。カラーにもしっかりと襟芯が入っている。サイズに関してはガストの体格にぴったりだし、ベストにダーツも入っていてスラッとして見えた。
私が縫製の仕事についているから、参考になるだろうと気を使ってくれたんだろう。
「な、参考になっただろ」
「生地と色使いと技術だけ。その格好は嫌」
「…ダメ出しされちまったか。まあ、それはいいや。そろそろ中に入れてくれよ。喉渇きすぎて脱水症状になりそうだ」
「知ってるガスト?喉の渇きを感じた時点で脱水症状になってるんだよ」
「そいつはマズイな。干からびちまう前に何か飲ませてくれ」
力では現ヒーローに勝てるわけない。それなら口で勝ってやろうと思ったのに。わざわざここまで来てくれたことが申し訳なくなってきた。ここで無下に帰すのも性格が悪すぎる。
私は渋々この吸血鬼を家に上げることにした。
広くもないリビングで適当に寛いでもらっている間、私は隣のキッチンスペースにある冷蔵庫を開けた。飲み物は麦茶、日本酒、珈琲が冷えている。水出しほうじ茶は丁度切らしていた。
「日本酒あるけど、飲む?」
「あー…酒って気分じゃないな」
「じゃあ麦茶ね」
喉が渇いている相手にこれは無かったかな。さらに干からびてしまう。
濃いめに作ってある麦茶のガラスポットを取り出し、二つのグラスに注いでいく。肌寒くもなってきたし、敢えて氷は入れていない。
リビングへグラス二つを持っていくと、ガストは衣装の外套を既に脱いでいた。グローブ、クラバットも外されている。襟シャツとベストだけになると、もはや何の仮装か分からなくなる。ただの紳士にも見えた。
ソファにどっかり座っていたガストがこちらを見上げ「お、サンキュー」と笑って見せる。見慣れたその笑顔に少し安堵している自分がいた。牙もどうやら取り外したようだ。
私はラグマットの上に膝を抱えて座り、麦茶に口をつける。ガストは本当に喉が渇いていたようで、グラスの中身を一気に半分ほど飲み干していた。家に最初に来た頃は「なんだ、これ」って言いながら、まるで毒味するみたいに飲んでたのが何だか懐かしい。
「はーっ……生き返った」
「それは良かった。おかわりするなら言って」
「ああ。…やっぱここ来ると落ち着くな。緊張とか張り詰めてたモンが一気に解れるっていうか……日本テイストな所が落ち着くのかもな」
この部屋のどこをどう見てそう思えるのか。襖や畳、卓袱台や座椅子も無いのに。私の部屋には諸外国の方が想像する和風な家具や装飾品は無い。西洋の家具で統一しているから、和風には程遠い。
「襖や畳も無いのに、この部屋のどこから和を感じるのか疑問だわ。今じゃ日本だって欧米や欧州の形式を取り入れている家庭が多いのよ。畳がある家はだいぶ少なくなったし」
「そうなのか?俺は畳の…イグサって言ったか。その匂い、好きだけどな」
「まあ、私も畳の匂いは癒されるけど。……ていうかガスト、衣装大事にしないと怒られるわよ。こんなに上質な生地で作られたものなんだし。メンターの人、厳しいんでしょ?」
適当に畳まれていた外套を拾い上げる。見れば見る程、本当に良い生地だ。これ、ベルベットが使われているじゃないの。外套の端が破れているのは仕様だろうけど、皺になったり、汚したりしたら勿体ない。既についた砂埃や擦れた跡はリーグ戦でついたものなんだろう。
私は空いているハンガーにそれを掛けて、コートハンガーに引っ掛けた。縫製に携わる身として、邪険に扱われるのを見ていられない。例えこんな衣装でもだ。
「ほら、クラバットも貸して。掛けとくから」
「悪いな。…これ、クラバットて言うのか」
「昔、貴族が身につけてたものよ。今でいうネクタイ。こっちだとお洒落な人は着けてる印象あるけど。社交会とかで」
「へぇ…俺にはこういう時以外、縁が無さそうな代物だな」
そう話しながら笑うガスト。疲労の色が見え隠れしていた。こうしてゆっくりするのも半日ぶりぐらいなんだろう。
時々、パトロール中の彼に出くわすけど、制服のネクタイはいつも胸元で緩んでいる。畏まった場は頼まれても行かなさそうだ。
「今さらだけど、この格好でここまで来たの。恥ずかしくない?」
「いやいや、ハロウィンだから別に恥ずかしくないって。…ああ、話に夢中で忘れるとこだった。ほら、配ってたクッキー」
私はガストから差し出された袋を受け取った。これが噂のクッキー。透明な袋にカラフルなクッキーが詰められていて、袋の口にはオレンジのリボンが結ばれている。てっきりボックスクッキーばかりだと思っていた。これは想像していたものとはだいぶ違っている。
カボチャやお化け、コウモリ、黒猫の顔などがカラフルに描かれていた。ジャックとジャクリーンが描かれているものもあって、その絵の上手さに驚かずにはいられない。
こういうのは見た目は可愛いと思う。あくまで見た目は。食欲をそそるかと聞かれたら、ちょっとそれは伏せておこう。ニューミリオンに住んで何年か経つけど、未だにド派手なカラーリングには慣れない。
「……アイシング凝りすぎ。ノースセクターには凝り性の人がいるのかしら」
「器用だよなぁ。俺も同期のヤツと一緒に焼いたんだ。オーブン焦がしちまって色々大変だったけど、お菓子作りって結構楽しいよな」
「ヒーローたちが手作りしたクッキー、好評だったんじゃないの。ガストのファンが黄色い声上げてるの目に浮かぶわ」
彼は第13期ヒーローのルーキーでも顔が良い方だ。既に女性ファンがついているという噂も耳にする。
でも、それがガストにとっては喜ばしいことではないようで。毎度「嬉しいけど素直には喜べねぇな」と顔を曇らせる。
「まーそうだね。熱烈なファンも行き過ぎるとストーカーみたくなっちゃうし。私の友達もブラッドさんの大ファンで、三年毎に居住地変えてるもの」
「……あんま指摘したくないけどよ、それやばいヤツなんじゃ」
「そうだったらこんな軽く言ってないわよ。別に過激なことはしてないし、本人は『ブラッドさまが守っている地区でただ暮らせればそれでいい』って言ってる。彼女が出来ようが、結婚しようが推しの幸せを願うタイプのファン
「世の中には色んな形のファンがいるもんだな…勉強になるよ」
「ガストは人が良くてモテるんだから、女性問題気をつけなよ。既成事実作ってくる女だっているんだから」
「……そいつは怖いな。肝に命じとくよ」
グラスの残りが飲み干される。「もう一杯頼むよ」とグラスを渡されたので、貰ったクッキーと一緒にダイニングテーブルの方へ持っていった。そこで
袋の底にある異変を見つけた。クッキーが重なっていて気づかなかったけど、赤いハートのアイシングで彩られたものが結構入っている。疑問に思ったそれを、麦茶を注ぎながらガストに訊ねてみた。
「ハートのアイシング多いけど、ハロウィンに関係あるものだっけ?」
「え?」
意外そうに聞き返された。ガストは気づかなかったんだろうか。
「私、あまりハロウィン詳しくないからさ。流石にお化けやコウモリ、ジャック・オ・ランタンは分かるけど」
「あー……ええと、何だったかなぁ」
背もたれの低いソファから覗かせていたガストの顔がゆっくり逸れた。目を泳がせているような、そんな感じが見て取れた。
何やら様子がおかしいな。そう思いながら袋の底を下から覗き込む。すると、他にもスペード、ダイヤ、クラブが描かれたクッキーを発見。これらの共通点は、推理するまでもない。流石に日本人の私でも分かる。
「分かった」
「えっ?!」
「なんでそんなに驚くのよ。トランプのマークね、これ」
「……トランプのマークって、ハロウィンに関係あるのか?」
「え、違うの?私に聞かれても、地元の人間じゃないし分からないわ。…でも配分間違えたのかだいぶ偏ってるみたいね」
他のマークは一枚ずつなのに、ハートは七つも入ってる。パレードの時間も迫っていたというし、絵柄の配分も適当に詰め込んだんだろう。
麦茶を注いだグラスをガストの前に持っていくと、彼は肩を落とすように溜息をついた。
「どうしたの。お疲れ?」
「……そうだな。今のでどっと疲れた」
受け取ったグラスに口をつける彼の眉間には皺が寄っていた。声の調子も一つ落ちている。急に太陽が雲に隠れたみたいに。
よほど疲弊しているんだろう。それなのに、わざわざこのクッキーを届けに来てくれた。
「ガスト、ありがとね」
ハロウィン嫌いな私の為に、わざわざ重い身体引きずってまで。これに関しては感謝の言葉を伝えなきゃいけない。
ソファに深く沈みこんでいた彼の、翡翠の色をした目が丸くなった。綺麗なグリーンで、いつもそれが羨ましいと思う。
「あと、昼間は返信しなくてごめん。来年からはなるべく返すから」
「あ、ああ……まぁ、それは別にいいんだけどよ。ちょっと心配になっただけで、見たかどうかは分かるし」
「そういうところ、優しいよねガストはさ。……来年からはガストと過ごそうかなーハロウィン。…と、思ったけどヒーローになった以上は忙しいから無理よね。パレードもハロウィン・リーグもあるんだし」
今度はまるで鳩が豆鉄砲喰らったような顔をしていた。今日は随分表情がコロコロと変わる。しかも、何故か放心したように固まっていたので何度かガストの名前を呼ぶ。ハッとなって急に我に返ると慌てている。
そんなにおかしなこと言ったつもりはないんだけど。固まってるようだったから、何度かガストの名前を呼ぶ。急に我に帰って現実に戻ってくると次は慌てて始める。
「……あ、いや…その、まさかそんな風に言ってくれるとは思わなくてだな。…今日、みたいにパレードとリーグ終わってからなら…ダラダラ過ごすぐらいなら、付き合えるぜ」
愛嬌のある笑み。でも少し口元が引き攣っているのは気のせいじゃない。無理して口にしているような、そんな感じに受け取れた。
「別に無理しなくてもいいわよ。女の子たちと遊びに行く方が楽しいだろうし」
「むっ無理なんかしてないって。むしろ嬉しいっつーか…あ、いや、来年も、そうしようぜ」
「ん、分かった。じゃあ来年からはガストが来るまでハロウィンは鎖国してる」
「鎖国って…さしずめ俺は黒船のポジションってとこか?ははっ…それも悪くねぇかもな」
雲に隠れていた陽射しが顔を出したように、ガストはふわりと楽しそうに笑っていた。
十月三十一日。時刻は夜九時を過ぎた。あと三時間もすれば私にとって憂鬱な一日が終わる。
ニューミリオン中がお祭り騒ぎになるハロウィン。【HELIOS】のヒーローたちもこの日は仮装して街中を練り歩く。【LOM】も今月だけは特別にハロウィン・リーグとして開催される。模擬戦というよりは、ショー染みた形式で行われる所謂一つの年中行事だ。今月の観戦チケットはあっと言う間に売り切れるとかなんとか。
これらの祭事が行われている今日だけは絶対に外に出ないと私は決めている。だからパレードもリーグも関係ない。
ハロウィンが土日に被らなければ、年休をとって家に閉じこもる。職業柄、この時期は繁忙期だけどオーダーの締め切りは大体一ヶ月前、短い納期だと一週間前。納期にさえ間に合えばハロウィン当日に年休を取っても差し支えないのだ。チケットが取れたと歓喜に溢れていた同僚も今日は休みを取っている。
よって、この日だけは宅配便が来ようが、不意に訪れた親しい友人であろうが全く応じないことにしている。どうしても、どうしても応じなければならない時は丁重にお断りを入れてお帰り頂いている。もちろん、玄関のドアは閉ざしたままで。ドアを開けたら最後、何を仕掛けられるか分からないもの。トリック・オア・トリートはこの世で一番嫌いな呪文だ。
朝に一度、昼間に二度、夕方に一度。玄関チャイムが鳴ったけど、その瞬間に私は動きを止めて居留守を貫き通した。
幸いにも私の居住地であるリトルトーキョーの街はずれには子どもたちもピンポンしてこない。お菓子を全く用意してないし、する気もないから来られても困るんだけどね。
夜九時半頃、スマホがチロリンと音を立てた。私はテーブルに伏せていたそれをひっくり返し、通知の内容を確認する。また同じ相手からのメッセージ、今日で何度目だろうか。相手とのトーク画面には吹き出しが五つぐらい連なっていた。
メッセージはハロウィン・リーグも無事に終わった、とかいう内容だった。それは良かったね、と今日初めての返事を送信する。私が送ったものにすぐに既読がついた。画面を横へスワイプするよりも先に次のメッセージを受信した。
『やっと反応したな。既読無視されるのって案外傷つくんだぜ?』
そんなこと言われても困る。今日の私は無に徹していたんだから。それこそ無視してやろうと思っていたら、電話が掛かってきた。メッセージのやり取りをしていた相手、ガスト・アドラーからだ。自然と眉間に皺が寄ってしまった。今日でなければ着信に応じるんだけれど。
着信音が鳴り続ける。電話に出ることを渋っていた。でも、流石にそれも可哀相だと思い、通話ボタンをタップする。
「もしもし。こんばんは、お疲れ様です。用件は手短にどうぞ」
『…第一声から手厳しいな』
「用が無いなら切るわよ。ガストだってパレードに【ハロウィン・リーグ】で疲れてるでしょ。今日は早く休んだら?それじゃあ」
『あーっ!ちょっと待った、頼むから切らないでくれ!』
「分かった。で、どうしたの?」
『あ、いや…ほら、穂香パレード見に来なかっただろ?市民に配ってたクッキー、渡そうと思って連絡したのに音沙汰ないしよ。だから、届けに来たんだけど』
そういえば、昼間に送られてきたメッセージにそんなことが書いてあった気がする。所属のチームでクッキーを焼いて、パレードの時に市民に配るって。パレード見に来てくれたら渡すとも。
パレードを見に行くなんて全く視野に入っていない。今日の私はお家で過ごすことしか考えていないもの。
ハロウィンの日に私が出不精になることはガストも重々承知のはず。そんなに短い付き合いでもないんだし。女友達でこんなに長い付き合いは珍しいなと前に口にしてたけど、本当なんだか。素行に問題有りの時期があったそうだし、ルックスも悪くないんだから女の人にモテるだろうに。
「別にいらないよ。取っておいてくれたのは嬉しいけど、わざわざ来なくてもいいし。さっきも言ったけど疲れてるでしょ?早く汗流してお布団で寝なさい」
『…相変わらず辛辣と優しが半々だな。いや、そうしたいのも山々なんだけど』
「けど?」
『もう家の前まで来てるんだよ』
「は?」
思わず私は玄関を振り返った。その瞬間、玄関のチャイムが鳴る。同時に電話の向こう側からも聞こえてきた。
『な?聞こえただろ。あ、電話切るぜ。直接話した方が早いし』
「え、ちょっ…」
一方的に話を纏められた上に通話を切られてしまった。ガストを疑うわけでもないけど、やけに機嫌良さそうな声が引っかかる。
私は暫く玄関のドアを睨み付けていた。その間も「おーい。穂香ー」とドア越しに聞こえてくるガストの声。
ここで不用意にドアを開けてしまうのは危険だ。でも、ガストは私のハロウィン嫌いを熟知している。それからというもの、一度もあの禍々しい呪文を口にしたことはない。
信じてドアを開けていいものだろうか。いや、やはり用心した方がいいだろうか。葛藤する間、催促の声が聞こえてくる。
私は分かった分かったと半ば自棄に応えて、玄関の前へ立つ。
施錠をゆっくりと解除して、ドアノブを下げ、物凄くゆっくりとドアを押し開けていく。
外が見えるか見えないかぐらいの僅かな隙間から様子を窺ってみた。でもこれだと何も見えないし、相手の状態も全く分からない。
私は意を決し、ガストを信じて一気にドアを半分ほど開けた。そして後悔した。三秒前の自分を殴りたい。
「よっ。開けてくれてサンキュ…って、閉めるのかよ!」
いつものにこやかな笑みを浮かべているのはいい、格好が問題有り過ぎる。よりによって吸血鬼の仮装したまま来るやつがあるか。
私は反射的にドアを力一杯引いた。そのまま閉め出して鍵を掛けようと思ったのに、反対側のドアノブを掴まれて引っ張られる。負けじと私も引っ張り返す。まるで綱引き状態だ。
「……っお引き取りくださいっ!私の友人に吸血鬼なんていません!」
「いやいや、格好だけだろ!?俺だって!」
「オレオレ詐欺も間に合ってますう!」
火事場の馬鹿力を発揮させた私はあと数センチでドアが閉まる所まで持ち込んだ。が、その隙間に見るからに高そうな革靴が入り込んだ。それは見事にドアストッパーの役割を果たしてしまう。
ガンッと小気味よい音を立てた後、ドアが外側に引っ張られていく。綱引きに負けてしまった。
「…卑怯!足入れるのは卑怯よ!」
「卑怯って…あのなぁ、あんなこと続けてたらドア壊れちまうだろ。別に悪戯しに来たわけじゃないっての」
「そんな格好で言われても説得力ゼロ。…本格的な衣装なことで。牙まで生やしちゃって」
グッと相手を睨み付け、最大限の厭味を込めて私は言い放った。けど、機嫌を損ねるどころか、尖った犬歯を見せて笑いかけてくる。
「だろー?これ、うちのメンターが用意したやつなんだ。最初見た時は本格的過ぎて俺もびっくりしちまって。…で、その衣装を見てほしくて」
「……生地の手触りも色使いも凝ってる。派手さが売りのショー用とはいえ、リアリティも追求されていてプロの仕事ね。これ相当良い生地使ってる」
袖なし外套の裾を掴み、生地に指を滑らせた。縫製も狂いが全くない。はっきりいって素晴らしい。カラーにもしっかりと襟芯が入っている。サイズに関してはガストの体格にぴったりだし、ベストにダーツも入っていてスラッとして見えた。
私が縫製の仕事についているから、参考になるだろうと気を使ってくれたんだろう。
「な、参考になっただろ」
「生地と色使いと技術だけ。その格好は嫌」
「…ダメ出しされちまったか。まあ、それはいいや。そろそろ中に入れてくれよ。喉渇きすぎて脱水症状になりそうだ」
「知ってるガスト?喉の渇きを感じた時点で脱水症状になってるんだよ」
「そいつはマズイな。干からびちまう前に何か飲ませてくれ」
力では現ヒーローに勝てるわけない。それなら口で勝ってやろうと思ったのに。わざわざここまで来てくれたことが申し訳なくなってきた。ここで無下に帰すのも性格が悪すぎる。
私は渋々この吸血鬼を家に上げることにした。
広くもないリビングで適当に寛いでもらっている間、私は隣のキッチンスペースにある冷蔵庫を開けた。飲み物は麦茶、日本酒、珈琲が冷えている。水出しほうじ茶は丁度切らしていた。
「日本酒あるけど、飲む?」
「あー…酒って気分じゃないな」
「じゃあ麦茶ね」
喉が渇いている相手にこれは無かったかな。さらに干からびてしまう。
濃いめに作ってある麦茶のガラスポットを取り出し、二つのグラスに注いでいく。肌寒くもなってきたし、敢えて氷は入れていない。
リビングへグラス二つを持っていくと、ガストは衣装の外套を既に脱いでいた。グローブ、クラバットも外されている。襟シャツとベストだけになると、もはや何の仮装か分からなくなる。ただの紳士にも見えた。
ソファにどっかり座っていたガストがこちらを見上げ「お、サンキュー」と笑って見せる。見慣れたその笑顔に少し安堵している自分がいた。牙もどうやら取り外したようだ。
私はラグマットの上に膝を抱えて座り、麦茶に口をつける。ガストは本当に喉が渇いていたようで、グラスの中身を一気に半分ほど飲み干していた。家に最初に来た頃は「なんだ、これ」って言いながら、まるで毒味するみたいに飲んでたのが何だか懐かしい。
「はーっ……生き返った」
「それは良かった。おかわりするなら言って」
「ああ。…やっぱここ来ると落ち着くな。緊張とか張り詰めてたモンが一気に解れるっていうか……日本テイストな所が落ち着くのかもな」
この部屋のどこをどう見てそう思えるのか。襖や畳、卓袱台や座椅子も無いのに。私の部屋には諸外国の方が想像する和風な家具や装飾品は無い。西洋の家具で統一しているから、和風には程遠い。
「襖や畳も無いのに、この部屋のどこから和を感じるのか疑問だわ。今じゃ日本だって欧米や欧州の形式を取り入れている家庭が多いのよ。畳がある家はだいぶ少なくなったし」
「そうなのか?俺は畳の…イグサって言ったか。その匂い、好きだけどな」
「まあ、私も畳の匂いは癒されるけど。……ていうかガスト、衣装大事にしないと怒られるわよ。こんなに上質な生地で作られたものなんだし。メンターの人、厳しいんでしょ?」
適当に畳まれていた外套を拾い上げる。見れば見る程、本当に良い生地だ。これ、ベルベットが使われているじゃないの。外套の端が破れているのは仕様だろうけど、皺になったり、汚したりしたら勿体ない。既についた砂埃や擦れた跡はリーグ戦でついたものなんだろう。
私は空いているハンガーにそれを掛けて、コートハンガーに引っ掛けた。縫製に携わる身として、邪険に扱われるのを見ていられない。例えこんな衣装でもだ。
「ほら、クラバットも貸して。掛けとくから」
「悪いな。…これ、クラバットて言うのか」
「昔、貴族が身につけてたものよ。今でいうネクタイ。こっちだとお洒落な人は着けてる印象あるけど。社交会とかで」
「へぇ…俺にはこういう時以外、縁が無さそうな代物だな」
そう話しながら笑うガスト。疲労の色が見え隠れしていた。こうしてゆっくりするのも半日ぶりぐらいなんだろう。
時々、パトロール中の彼に出くわすけど、制服のネクタイはいつも胸元で緩んでいる。畏まった場は頼まれても行かなさそうだ。
「今さらだけど、この格好でここまで来たの。恥ずかしくない?」
「いやいや、ハロウィンだから別に恥ずかしくないって。…ああ、話に夢中で忘れるとこだった。ほら、配ってたクッキー」
私はガストから差し出された袋を受け取った。これが噂のクッキー。透明な袋にカラフルなクッキーが詰められていて、袋の口にはオレンジのリボンが結ばれている。てっきりボックスクッキーばかりだと思っていた。これは想像していたものとはだいぶ違っている。
カボチャやお化け、コウモリ、黒猫の顔などがカラフルに描かれていた。ジャックとジャクリーンが描かれているものもあって、その絵の上手さに驚かずにはいられない。
こういうのは見た目は可愛いと思う。あくまで見た目は。食欲をそそるかと聞かれたら、ちょっとそれは伏せておこう。ニューミリオンに住んで何年か経つけど、未だにド派手なカラーリングには慣れない。
「……アイシング凝りすぎ。ノースセクターには凝り性の人がいるのかしら」
「器用だよなぁ。俺も同期のヤツと一緒に焼いたんだ。オーブン焦がしちまって色々大変だったけど、お菓子作りって結構楽しいよな」
「ヒーローたちが手作りしたクッキー、好評だったんじゃないの。ガストのファンが黄色い声上げてるの目に浮かぶわ」
彼は第13期ヒーローのルーキーでも顔が良い方だ。既に女性ファンがついているという噂も耳にする。
でも、それがガストにとっては喜ばしいことではないようで。毎度「嬉しいけど素直には喜べねぇな」と顔を曇らせる。
「まーそうだね。熱烈なファンも行き過ぎるとストーカーみたくなっちゃうし。私の友達もブラッドさんの大ファンで、三年毎に居住地変えてるもの」
「……あんま指摘したくないけどよ、それやばいヤツなんじゃ」
「そうだったらこんな軽く言ってないわよ。別に過激なことはしてないし、本人は『ブラッドさまが守っている地区でただ暮らせればそれでいい』って言ってる。彼女が出来ようが、結婚しようが推しの幸せを願うタイプのファン
「世の中には色んな形のファンがいるもんだな…勉強になるよ」
「ガストは人が良くてモテるんだから、女性問題気をつけなよ。既成事実作ってくる女だっているんだから」
「……そいつは怖いな。肝に命じとくよ」
グラスの残りが飲み干される。「もう一杯頼むよ」とグラスを渡されたので、貰ったクッキーと一緒にダイニングテーブルの方へ持っていった。そこで
袋の底にある異変を見つけた。クッキーが重なっていて気づかなかったけど、赤いハートのアイシングで彩られたものが結構入っている。疑問に思ったそれを、麦茶を注ぎながらガストに訊ねてみた。
「ハートのアイシング多いけど、ハロウィンに関係あるものだっけ?」
「え?」
意外そうに聞き返された。ガストは気づかなかったんだろうか。
「私、あまりハロウィン詳しくないからさ。流石にお化けやコウモリ、ジャック・オ・ランタンは分かるけど」
「あー……ええと、何だったかなぁ」
背もたれの低いソファから覗かせていたガストの顔がゆっくり逸れた。目を泳がせているような、そんな感じが見て取れた。
何やら様子がおかしいな。そう思いながら袋の底を下から覗き込む。すると、他にもスペード、ダイヤ、クラブが描かれたクッキーを発見。これらの共通点は、推理するまでもない。流石に日本人の私でも分かる。
「分かった」
「えっ?!」
「なんでそんなに驚くのよ。トランプのマークね、これ」
「……トランプのマークって、ハロウィンに関係あるのか?」
「え、違うの?私に聞かれても、地元の人間じゃないし分からないわ。…でも配分間違えたのかだいぶ偏ってるみたいね」
他のマークは一枚ずつなのに、ハートは七つも入ってる。パレードの時間も迫っていたというし、絵柄の配分も適当に詰め込んだんだろう。
麦茶を注いだグラスをガストの前に持っていくと、彼は肩を落とすように溜息をついた。
「どうしたの。お疲れ?」
「……そうだな。今のでどっと疲れた」
受け取ったグラスに口をつける彼の眉間には皺が寄っていた。声の調子も一つ落ちている。急に太陽が雲に隠れたみたいに。
よほど疲弊しているんだろう。それなのに、わざわざこのクッキーを届けに来てくれた。
「ガスト、ありがとね」
ハロウィン嫌いな私の為に、わざわざ重い身体引きずってまで。これに関しては感謝の言葉を伝えなきゃいけない。
ソファに深く沈みこんでいた彼の、翡翠の色をした目が丸くなった。綺麗なグリーンで、いつもそれが羨ましいと思う。
「あと、昼間は返信しなくてごめん。来年からはなるべく返すから」
「あ、ああ……まぁ、それは別にいいんだけどよ。ちょっと心配になっただけで、見たかどうかは分かるし」
「そういうところ、優しいよねガストはさ。……来年からはガストと過ごそうかなーハロウィン。…と、思ったけどヒーローになった以上は忙しいから無理よね。パレードもハロウィン・リーグもあるんだし」
今度はまるで鳩が豆鉄砲喰らったような顔をしていた。今日は随分表情がコロコロと変わる。しかも、何故か放心したように固まっていたので何度かガストの名前を呼ぶ。ハッとなって急に我に返ると慌てている。
そんなにおかしなこと言ったつもりはないんだけど。固まってるようだったから、何度かガストの名前を呼ぶ。急に我に帰って現実に戻ってくると次は慌てて始める。
「……あ、いや…その、まさかそんな風に言ってくれるとは思わなくてだな。…今日、みたいにパレードとリーグ終わってからなら…ダラダラ過ごすぐらいなら、付き合えるぜ」
愛嬌のある笑み。でも少し口元が引き攣っているのは気のせいじゃない。無理して口にしているような、そんな感じに受け取れた。
「別に無理しなくてもいいわよ。女の子たちと遊びに行く方が楽しいだろうし」
「むっ無理なんかしてないって。むしろ嬉しいっつーか…あ、いや、来年も、そうしようぜ」
「ん、分かった。じゃあ来年からはガストが来るまでハロウィンは鎖国してる」
「鎖国って…さしずめ俺は黒船のポジションってとこか?ははっ…それも悪くねぇかもな」
雲に隠れていた陽射しが顔を出したように、ガストはふわりと楽しそうに笑っていた。