main story
名前変換
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
9.花言葉は無邪気
ぽとり、ぽとりとライラックの白い花びらが今朝から落ち始めた。借りたグラスの水に活けたそれを窓際の机に飾っていたのだけれど、そろそろ限界なのかもしれない。恩師から戴いた花を、ライラックをこのまま枯らしてしまうのはどうにも気が引けた。
この世界の私はどんな風に人生を送っているのだろう。性格や趣味趣向は同じなのか、違うのか。会ってみたい気もするけど、きっとお互いに驚いてひっくり返ってしまう。
ドライフラワーにするには少し遅すぎるし、それなら落ちた花びらも使って押し花にしようか。そう考えた私は透明なグラスを眺めながら、習慣的に自分のスマホを手に取った。画面のロックを解除した所で、人知れず声を漏らす。私のスマートフォンは現在使えない状態にあることを思い出したのだ。
本体の外部、内部も損傷は見られない。アプリ機能も一通り使うことができる。例えばアルバムの写真を眺めたり、お気に入りの曲を流したり、目覚ましアラームを使うこともできる。
ただ、電話とインターネットに繋げることはできなかった。試しにと私の携帯番号にファットさんから掛けてもらっても、私のスマホはリンとも鳴らなかった。その代わりに繋がった先は全く見知らぬ相手。間違い電話でしたと冷静に対処して電話を切っていた。
SIMカードが無くてもネットには繋がるはずだとこの事務所のWi-Fiを教えてもらい、パスワードを打ち込んでも何も変化は無かった。
何も出来ない訳じゃないけど、ネットに繋がらないことが、初めてこんなにも不便なものだと感じた。昔は無くても差し支えなかったことなのに、今ではすっかり無くてはならないものになっていた。
テーブル代わりに使っているデスクにスマホを伏せる。鳴ることの無い携帯端末を見て自然と溜息が一つ漏れ出した。
「霧華ちゃん、今ええ?」
外からドアノックと同時に声が聞こえ、独特な喋り方と声の感じからファットさんだと分かり「どうぞ」と返事をした。
大きく開いた出入り口にひょっこり顔と体を覗かせた黄色く大きなフォルム。この丸い姿も見慣れてきた。
いつもなら顔を合わせた瞬間に喋り始める人なのだけど、何だか様子がおかしい気がした。話し始めるまでに妙な間。でも、すぐに普段通りに話し始めたから気のせいかもしれない。
「霧華ちゃんに渡したいもんがあってな」
「なんですか?」
「これや。無いと不便やろ」
そう言って差し出されたのはスマートフォン。ガーベラの様に鮮やかな橙色のグローブ。その上に乗せられたそれはとても小さく見えた。
私はそれとファットさんの顔を交互に見る。ニコニコと笑う顔に段々と申し訳なさが込み上げてきた。
「いいんですか…?」
「勿論や。お出掛け中にはぐれてしもうた時、連絡取る手段あった方がええしな」
所要で外へ出る時は必ず誰かに付き添ってもらっていた。でも、方向が分からなくなる程ではないし、何度か行ったことのある場所なら道順も分かる。この事務所から近いコンビニやスーパーも頭に地図が入っていた。それでも天喰くんか切島くんに一緒に来てくれないかといつも声を掛けている。理由は外を一人で歩くのが怖いから。此処は私にとっては未知の世界も同然。個性を使用する人達の争いに巻き込まれたらと思うと。
私は首を左右に振り続けた。
「ま、万が一でも皆さんとはぐれるなんて…嫌です」
「…いやまあ、はぐれんことには越したことないがな。霧華ちゃんが思うてるほど此処、無法地帯やあらへんで。治安維持の為に俺らヒーローもおんねん」
彼等は警察と協力して市の安全を守っている。それに水を差すような言い方をしてしまった。
「…そ、そうですね。すみません…。それでも、一人になってしまったら…やっぱり心細くなります」
「大丈夫やて。あくまで万が一の話やし」
「…はい」
いつも都合よく皆さんがついてきてくれるとは限らない。一人でも外に出掛けられるようにならないと。
スマホをファットさんからしっかりと受け取る。透明なシリコンカバーで本体背面が覆われていた。それを眺めていたら「ストラップつける穴もついてんで」と。既にメッセージアプリや皆さんの連絡先が登録されていると説明を受ける。
「ありがとうございます」
「なんもや。…それとな、出掛けたい時はファットさんにも声掛けてくれてええんよ?遠慮せんで」
外出時はファットさんに私から声を掛けることが殆ど無い。忙しいだろうと思って敢えてのこと。けれどその気遣いが逆にしょんぼりとさせてしまったみたい。
「忙しいところ、私の都合で邪魔をしたら悪いかな…と思って」
「全然構わへん!手ぇ放せん時はそう言うし。それにな、霧華ちゃんのボディガードも立派な仕事やから」
「お、大袈裟ですよ。ボディガードなんて…」
「困ってる人を助けるんがヒーローや」
大きく胸を張ってドンと叩く。その力強い言葉がどこか不思議なもので、私の胸にじんと響いた。
「ありがとう、ごさいます。…スマホも本当に助かりました。調べたいことがちょうどあって」
「なに調べんの?」
「押し花の作り方を」
「押し花」
ライラックの花を押し花にする方法を知りたかったと説明をすれば、相手はポカンとした表情になる。何か変だったかと控えめに尋ねれば、目を細めて微笑まれた。
「かいらしいなァと思てな。俺じゃ絶対検索せぇへんわ」
「作ったのがかなり前だったので…ちゃんとした作り方で先生から戴いた花、残したかったんです」
「…ええ子やな霧華ちゃんは。センセも喜んどるできっと」
ほろりとファットさんの目尻に涙が浮かんだ。この人は情に厚いところがある。人の話を親身になって聞いてくれる。優しい人だ。
「事務所内のWi-Fi繋げてあるし、思う存分探してええよ」
「Wi-Fi……あの、ヒーロー動画見ても、いいですか」
「ん、そんなら視聴用のアプリも入れとこか。貸してみ」
スマホを彼に一度返すと慣れた手付きで操作をしていく。その手元は私の目線から見ることができない。一分も経たないうちにアプリのインストールが終わったのか、大きな体を屈めるようにして私に画面を見せてくれた。
使い方の簡単な説明を受けた後に「お気に入りのヒーローおるん」と聞かれたので「オールマイト」と即答。そこでも妙な間を置かれたことにその時の私は気づいていなかった。
「…あの、どうかしましたか」
「あ、いやな…キラッキラした目で言うもんやから。鉄板やなァ…オールマイト、か。…ん、何でもあらへん。せや、もう一個大事な話あんねん」
いつの間にか私は目を輝かせていたらしい。恥ずかしさに頬が熱くなるのも一瞬。ファットさんが次の話を切り出したので、上を向いた。
「うちで働いとる事務さんなんやけど」
「はい」
「来週から産休に入んねん。その事務さん戻ってくるまでなんやけど、霧華ちゃん働いてくれへんかなーって」
「……え、私が…?」
それは急な話だった。そういえば、お腹が少し大きい事務員さんがいた。きっとその人の事なんだろう。挨拶を交わす程度でちゃんと喋ったことはない。でもどうしてそんな話が私のところへきたのか。
「彼女、産休明けもバリバリ働く気ぃ見せてくれてんねん。せやから穴埋めの一時的な契約社員で募集かけとったんやけど…このご時世、短期契約やと中々人が来んくてなァ…。霧華ちゃんさえ良ければうちで働いてほしいんや」
「いいんですか…私なんかで」
此処へ来てから何もせずに過ごしてきたわけじゃない。今までもご飯の準備をしたり、事務所内の片付けを手伝っていた。いくら特別な事情に置かれた身だろうと、身体を動かさずにいるのは精神的に耐えられなかった。一度立ち止まると不安や焦りがじわじわと押し寄せてきて、素足が冷たい水に浸されて歩き出せなくなるような感覚になる。
それはいつ溺れてもおかしくない水位まできていた。そんな私に優しく声をかけてくれる人達のおかげで、だいぶ救われた。
「雇用契約もちゃんと交わすし、当然お給料も出る。お互い悪い話やないで」
「…お願いします!あ、でも特別な能力…個性が必要とかは」
「ないない。フツーの事務職。まァ、あの子が個性使っとるんはお茶淹れる時ぐらいやな」
その人の個性は水を紅茶に変えることが出来るそうだ。それも上等の紅茶を。それを聞いて一度飲んでみたいと思った。ファットさんの話を聞くところでは、偶には緑茶が飲みたいと事務所内で冗談を言い合うこともあったそう。
基本的に良い人達なのだけど、関西のノリについていけるのか一抹の不安が過ぎった。
「心配せんでもフォローは皆でするから任せとき」
「は、い。…よろしくお願いします。足手まといにならないように頑張ります」
ぽとり、ぽとりとライラックの白い花びらが今朝から落ち始めた。借りたグラスの水に活けたそれを窓際の机に飾っていたのだけれど、そろそろ限界なのかもしれない。恩師から戴いた花を、ライラックをこのまま枯らしてしまうのはどうにも気が引けた。
この世界の私はどんな風に人生を送っているのだろう。性格や趣味趣向は同じなのか、違うのか。会ってみたい気もするけど、きっとお互いに驚いてひっくり返ってしまう。
ドライフラワーにするには少し遅すぎるし、それなら落ちた花びらも使って押し花にしようか。そう考えた私は透明なグラスを眺めながら、習慣的に自分のスマホを手に取った。画面のロックを解除した所で、人知れず声を漏らす。私のスマートフォンは現在使えない状態にあることを思い出したのだ。
本体の外部、内部も損傷は見られない。アプリ機能も一通り使うことができる。例えばアルバムの写真を眺めたり、お気に入りの曲を流したり、目覚ましアラームを使うこともできる。
ただ、電話とインターネットに繋げることはできなかった。試しにと私の携帯番号にファットさんから掛けてもらっても、私のスマホはリンとも鳴らなかった。その代わりに繋がった先は全く見知らぬ相手。間違い電話でしたと冷静に対処して電話を切っていた。
SIMカードが無くてもネットには繋がるはずだとこの事務所のWi-Fiを教えてもらい、パスワードを打ち込んでも何も変化は無かった。
何も出来ない訳じゃないけど、ネットに繋がらないことが、初めてこんなにも不便なものだと感じた。昔は無くても差し支えなかったことなのに、今ではすっかり無くてはならないものになっていた。
テーブル代わりに使っているデスクにスマホを伏せる。鳴ることの無い携帯端末を見て自然と溜息が一つ漏れ出した。
「霧華ちゃん、今ええ?」
外からドアノックと同時に声が聞こえ、独特な喋り方と声の感じからファットさんだと分かり「どうぞ」と返事をした。
大きく開いた出入り口にひょっこり顔と体を覗かせた黄色く大きなフォルム。この丸い姿も見慣れてきた。
いつもなら顔を合わせた瞬間に喋り始める人なのだけど、何だか様子がおかしい気がした。話し始めるまでに妙な間。でも、すぐに普段通りに話し始めたから気のせいかもしれない。
「霧華ちゃんに渡したいもんがあってな」
「なんですか?」
「これや。無いと不便やろ」
そう言って差し出されたのはスマートフォン。ガーベラの様に鮮やかな橙色のグローブ。その上に乗せられたそれはとても小さく見えた。
私はそれとファットさんの顔を交互に見る。ニコニコと笑う顔に段々と申し訳なさが込み上げてきた。
「いいんですか…?」
「勿論や。お出掛け中にはぐれてしもうた時、連絡取る手段あった方がええしな」
所要で外へ出る時は必ず誰かに付き添ってもらっていた。でも、方向が分からなくなる程ではないし、何度か行ったことのある場所なら道順も分かる。この事務所から近いコンビニやスーパーも頭に地図が入っていた。それでも天喰くんか切島くんに一緒に来てくれないかといつも声を掛けている。理由は外を一人で歩くのが怖いから。此処は私にとっては未知の世界も同然。個性を使用する人達の争いに巻き込まれたらと思うと。
私は首を左右に振り続けた。
「ま、万が一でも皆さんとはぐれるなんて…嫌です」
「…いやまあ、はぐれんことには越したことないがな。霧華ちゃんが思うてるほど此処、無法地帯やあらへんで。治安維持の為に俺らヒーローもおんねん」
彼等は警察と協力して市の安全を守っている。それに水を差すような言い方をしてしまった。
「…そ、そうですね。すみません…。それでも、一人になってしまったら…やっぱり心細くなります」
「大丈夫やて。あくまで万が一の話やし」
「…はい」
いつも都合よく皆さんがついてきてくれるとは限らない。一人でも外に出掛けられるようにならないと。
スマホをファットさんからしっかりと受け取る。透明なシリコンカバーで本体背面が覆われていた。それを眺めていたら「ストラップつける穴もついてんで」と。既にメッセージアプリや皆さんの連絡先が登録されていると説明を受ける。
「ありがとうございます」
「なんもや。…それとな、出掛けたい時はファットさんにも声掛けてくれてええんよ?遠慮せんで」
外出時はファットさんに私から声を掛けることが殆ど無い。忙しいだろうと思って敢えてのこと。けれどその気遣いが逆にしょんぼりとさせてしまったみたい。
「忙しいところ、私の都合で邪魔をしたら悪いかな…と思って」
「全然構わへん!手ぇ放せん時はそう言うし。それにな、霧華ちゃんのボディガードも立派な仕事やから」
「お、大袈裟ですよ。ボディガードなんて…」
「困ってる人を助けるんがヒーローや」
大きく胸を張ってドンと叩く。その力強い言葉がどこか不思議なもので、私の胸にじんと響いた。
「ありがとう、ごさいます。…スマホも本当に助かりました。調べたいことがちょうどあって」
「なに調べんの?」
「押し花の作り方を」
「押し花」
ライラックの花を押し花にする方法を知りたかったと説明をすれば、相手はポカンとした表情になる。何か変だったかと控えめに尋ねれば、目を細めて微笑まれた。
「かいらしいなァと思てな。俺じゃ絶対検索せぇへんわ」
「作ったのがかなり前だったので…ちゃんとした作り方で先生から戴いた花、残したかったんです」
「…ええ子やな霧華ちゃんは。センセも喜んどるできっと」
ほろりとファットさんの目尻に涙が浮かんだ。この人は情に厚いところがある。人の話を親身になって聞いてくれる。優しい人だ。
「事務所内のWi-Fi繋げてあるし、思う存分探してええよ」
「Wi-Fi……あの、ヒーロー動画見ても、いいですか」
「ん、そんなら視聴用のアプリも入れとこか。貸してみ」
スマホを彼に一度返すと慣れた手付きで操作をしていく。その手元は私の目線から見ることができない。一分も経たないうちにアプリのインストールが終わったのか、大きな体を屈めるようにして私に画面を見せてくれた。
使い方の簡単な説明を受けた後に「お気に入りのヒーローおるん」と聞かれたので「オールマイト」と即答。そこでも妙な間を置かれたことにその時の私は気づいていなかった。
「…あの、どうかしましたか」
「あ、いやな…キラッキラした目で言うもんやから。鉄板やなァ…オールマイト、か。…ん、何でもあらへん。せや、もう一個大事な話あんねん」
いつの間にか私は目を輝かせていたらしい。恥ずかしさに頬が熱くなるのも一瞬。ファットさんが次の話を切り出したので、上を向いた。
「うちで働いとる事務さんなんやけど」
「はい」
「来週から産休に入んねん。その事務さん戻ってくるまでなんやけど、霧華ちゃん働いてくれへんかなーって」
「……え、私が…?」
それは急な話だった。そういえば、お腹が少し大きい事務員さんがいた。きっとその人の事なんだろう。挨拶を交わす程度でちゃんと喋ったことはない。でもどうしてそんな話が私のところへきたのか。
「彼女、産休明けもバリバリ働く気ぃ見せてくれてんねん。せやから穴埋めの一時的な契約社員で募集かけとったんやけど…このご時世、短期契約やと中々人が来んくてなァ…。霧華ちゃんさえ良ければうちで働いてほしいんや」
「いいんですか…私なんかで」
此処へ来てから何もせずに過ごしてきたわけじゃない。今までもご飯の準備をしたり、事務所内の片付けを手伝っていた。いくら特別な事情に置かれた身だろうと、身体を動かさずにいるのは精神的に耐えられなかった。一度立ち止まると不安や焦りがじわじわと押し寄せてきて、素足が冷たい水に浸されて歩き出せなくなるような感覚になる。
それはいつ溺れてもおかしくない水位まできていた。そんな私に優しく声をかけてくれる人達のおかげで、だいぶ救われた。
「雇用契約もちゃんと交わすし、当然お給料も出る。お互い悪い話やないで」
「…お願いします!あ、でも特別な能力…個性が必要とかは」
「ないない。フツーの事務職。まァ、あの子が個性使っとるんはお茶淹れる時ぐらいやな」
その人の個性は水を紅茶に変えることが出来るそうだ。それも上等の紅茶を。それを聞いて一度飲んでみたいと思った。ファットさんの話を聞くところでは、偶には緑茶が飲みたいと事務所内で冗談を言い合うこともあったそう。
基本的に良い人達なのだけど、関西のノリについていけるのか一抹の不安が過ぎった。
「心配せんでもフォローは皆でするから任せとき」
「は、い。…よろしくお願いします。足手まといにならないように頑張ります」