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8.その感情の名前を知っている
「あの、今ちょっといいですか」
事務所のドアが控えめにノックされた後、葉月さんが入って来た。手には小さな紙の包みが握られている。キーホルダーやストラップを入れるような白い紙袋だ。
午後のパトロールを終え、今日の予定は全て完了した。俺達はコスチュームから私服に着替え、夕飯をどうするかと三人で話していた所だ。出前を取る事までは決まって、何にするか葉月さんも交えてから決めようと。
「ええよ。晩飯、出前何取るか話してただけやし」
「あ…じゃあ先にそれ、決めた方がいいですよね。配達に時間もかかりますし」
夕飯時には出前を度々頼むことがある。大体はファットの一声で決まり、品は各々好きな物を。ただ、量が多いから来るまでに時間がかかったりもする。それを葉月さんも経験しているので、自分の用事よりも先にと申し出たんだろう。
出前用のラミネートされたメニューから俺達は食べたい物を選び、出前先に一軒ずつ電話をかける。三十分前後で料理が揃いそうだ。
「それで、話ってなんスか?」
「うん。皆さんに渡したい物があって…これ、例の神社で買った御守りなんだけど」
「うわ、すげー買ったんスね」
切島くんの言った通り、葉月さんが小さな紙袋から取り出した御守りの数は二つや三つどころじゃなかった。様々な形と色をした根付が全部で六つ。それを丁寧にローテーブルの上に並べていく。
「自分の分だけじゃなくて、友達の分も買ってきたから。……暫くは会えそうにないし、本当は返納した方がいいんだろうけど、ファットさん達にはお世話になっているから…お礼にはならないかもしれないけど」
「おー…面白い形しとんのもあるんやなァ。でもほんまにええの?」
小さな珠を紐で繋ぎ合わせたそれは人型になっていた。鈴がついたその根付けをファットか指先で摘み上げる。小さな鈴がりんと鳴った。良い音色だ。
四角い標準的な物しか見たことがなかったから、新鮮だった。切島くんも色々手に取ってひっくり返してみたりしている。
葉月さんが細い眉を下げながら「皆さんが嫌じゃなければ、受け取ってください」と言う。
「嫌じゃあらへんよ。なあ環、切島くん」
「はいっ」
「…御守りって、その人の事を考えながら選ぶものだって聞いたことあります。最初は葉月さんがその人達のことを考えて選んだんだろうけど…今は俺達の事、考えて渡したいって思ったんですよね。…それなら、全然無駄なんかじゃないし、嫌じゃない。……嬉しいです」
ありがとうございます、と最後に呟いたのがあまりに小さかった気がしたので聞こえていたのかは分からない。でも、緩く笑ってくれたから、きっと届いていると思う。
全会一致の上でファットが大きく首を縦に振った。
「せやな。ほな、有り難く貰い受けるわ。因みにこれ、何のやつ?」
「それは厄除けです。隣が家内安全、この二つが無病息災、必勝御守り。一番端のは安産祈願です」
順番に、丁寧に説明をしてくれたのはいい。ただ、俺達三人は最後の説明を聞いて、同じ疑問を同じタイミングで浮かべたようだった。
「妊婦さんかっ!」
「マジっスか!オメデトウゴザイマっス!」
「……!身体は…冷やしたらいけない」
何の事かと目を瞬かせた葉月さんは数秒置いてから自分が言われているのだと気づき、違うと両手を慌てて振っていた。
「ち、違います。友達につわりが酷いって子がいて…その子に」
「…なんや驚いたわァ。自分のも買うた言うてたやんか。せやからてっきり」
「俺もです。早とちりしちまった…すんません」
「私の方こそ一緒に出してしまってごめんなさい。…どうぞ、お好きなの選んでください」
端にあった安産祈願の桃色の御守りを葉月さんがそっと回収した。改めてどうぞと言われてから、俺と切島くんはファットが選ぶのを待っている。ここは一番上の人間から選ぶものだから。けど、ファットは動こうとしない。どうやら向こうは俺たちに先にと考えていたらしく。
「ん?君ら先に取ってええよ」
「…じゃあ切島くん先に」
「いーんスか。…じゃあ、お言葉に甘えて…これ戴きます!」
彼は赤くて一般的な長方形の物を手に取る。『必勝御守り』と金の刺繍が施されていた。なんとなくそれを選びそうな気がしていた。赤いし。
ニコニコと眩しい笑顔を浮かべて「大事にします!」と葉月さんにお礼を言う。相変わらず眩しくて直視できない。
「…俺は、これがいい。厄除け」
さっきファットが摘み上げていた珠を繋いだ人形を手に取った。ちりんと小さな鈴が揺れる。小さい割にいい音がして気に入った。
「それ、悪いことの身代わりにもなってくれるらしいから。…天喰くんが危ない目に遭いませんように」
「…ありがとうございます」
「ほな、俺も選ばせてもらうわ。んー。こんなかやと無病息災か」
「家内安全はどうっスか」
「…俺独身やで。まあ事務所に置くなら家内安全でもええかなとは思うけど」
「御守りは引出しとかにしまい込むより、身に付けたり日の目を見る場所にあるといいって聞きます。デスクに良いと思いますよ」
「ん。そんならこれもろうわ」
朱色の御守りと白に金糸で織られた御守りを葉月さんが手に取り、ファットに差しだした。遠慮がちな笑みを見せながら。だいぶ、慣れてきたんだなとそれを見て思う。
「どうぞ」
「一つでええよ?」
「こっちは事務所に、これはファットさんに」
「…そういえば、最近は年のせいか風邪を引きやすくなったって」
受け取りに躊躇っていたので、後押しするようにそう呟いた。顔を顰めたファットが「年のせいは余計や」と返してくる。
「そいつはいけねえ…!ファット、ここは身体の為にも!無病息災っ!」
「君らぐいぐい推すなァ…そんなら有り難く貰うわ」
切島くんの力強い一押しもあり、大人しくファットがその二つを葉月さんから受け取った。ファットが手にした物はどちらも根付けのタイプ。白い方の御守りを眺めながら何か悩む様に唸っていた。
「これはデスクに飾るんはええけど、こっちどこに付けよか悩むわ」
「携帯ならストラップとして付けられるんですけどね。スマホだとカバーにしかストラップホール付いていないし…鍵につける人もいるけど、傷がつくとあまりよくないって聞くので、私は定期券のパスケースに付けてます」
「へえ…葉月さん詳しいっスね。てか、ケイタイって二つに折り畳むやつっスよね?近代史の教科書で見た気が」
傷をつけずに大事に持ち歩くのは結構難しい。俺のも根付けタイプだし、どこにつけようかな。そんなことを考えていた。
そういえば、携帯電話を実際に使っている人、最近見かけなくなったな。両親より上の世代が主に使っているイメージが強い。
「二つ折りになるだけやないで。くるっと半回転させたり、アンテナ伸びるやつもあんねん。電話やメールきたら縁が光る機種もあったな」
「な、なんすかそれ…スゲえ!!」
「私も半回転できる機種使ってました。ただかっこいいなーって理由で」
「変形するなんてカッケぇ!」
ストラップ談議から携帯電話の話で盛り上がりを見せていた。楽しそうだ。
「女子は携帯ようデコってたなー。キラッキラしとったわ。元の機種が分からんくらいにな」
「流行ってましたね。…あと、ストラップ付けすぎてる人も。携帯よりも重そうで」
「おったなァそんな子。あとメールの早打ち選手権や着メロ自分で打っとったヤツ。出来が凄いねん」
実に楽しそうだ。ただ、話題についていけない俺と切島くんは置いてけぼりにされている。それを敢えてつっこまずにいたのだけど、切島くんが疑問符を浮かべた顔で尋ねてしまった。
「…早打ち選手権ってなんスか。あと着メロって…」
談笑していた二人の笑い声がぴたりと止んだ。その後、葉月さんが顔を手で覆って「…ジェネレーションギャップ」と呟いて小さくなってしまった。ファットも気まずそうに明後日の方向を見ている。
「…せやな。うん、そらそうなるわな。俺らが高校生ん時はそーゆうんが流行とったんやで」
「へー…そういや葉月さんって何歳なんスか?」
「き、切島くん…女性に年を聞いてはいけない」
「……にじゅうごです」
「葉月さんも素直に答えなくていい…!」
話に収拾がつかなくなっていた。上手くフォローが出来ず、どうしようかと思っていた時にデスクの内線が鳴る。その内線電話が今日ばかりは救世主の様だった。
◇◆◇
夕飯の時も何かと『あの頃』の話に華が咲いているようだった。世界は違えど、辿る文化や流行は似ているようで。共通点を見つける度に葉月さんの表情が明るくなっていた。それを見て、もう大丈夫そうだなと他人のことながら俺は安堵していたんだ。
「…シャワーありがとうございます。今、切島くんが入ってます」
「おう。明日の市内パトロールの担当は夕方からや。朝早ないからゆっくりでええで」
「あ、はい…わかりました」
それなら午前中は体力作りに時間を置こうか。ランニングか筋トレ。ああ、そういえば葉月さんが此処にいたら運動不足で太りそうだと嘆いていた。声を掛けてみようかと一瞬考えもしたけど、余計なお世話だろうか。でも滅多に運動しないと言っていたし、それなら少しは身体動かしたほうが。
「環。そんなとこに突っ立ったまま考え事かいな」
「……すみません」
入口付近で考え事に耽っていたようだ。誰か入ってきたら邪魔になってしまう。そこから横へずれて雫がまだ落ちる髪をバスタオルで拭った。
さっきのこと、声を掛けようか掛けまいかと再度悩んでいると「最近よう喋るようになったなァ」とデスクの方から声が。目を向けると書類を捌いていたファットがこっちを見て、にたりと笑う。その意味が分からずにいる。
「そうですか…?」
「せや。口数多くなったでー。それも霧華ちゃんが来てからやな」
「…何が言いたいんです?」
「いや、環は年上好みなんかなァ思て」
「…は?」
思わず素で聞き返した。好みって、つまりはそういう、あれだ。その問いかけの真意云々よりも先に不快感を覚えた。
「…パワハラに留まらずセクハラまで…!」
「ただ好みか聞いただけやん」
「それをセクハラと言う…!何なんですか…!」
「あー…分かった分かった。今のは言わんかったことにする。答えんでええよ」
面白くない奴だと言われ、手をひらひらと振られる。手にしていた書類に視線を戻し、それ以降は何も言ってこなかった。
俺はバスタオルを深く被る様にして濡れた髪を拭う。
確かに葉月さんとは言葉を交わす方だと思う。落ち着いて話せるから。だからといって、特別な何かを抱いてるわけじゃない、と思う。俺のこれは恋愛感情にはほど遠い。
性格が似ているとか、そう言われたこともあった。だからなのか、放っておけないそんな思いがあった。
「…あの人は前向きですよ。見知らぬ土地、社会に単身放り込まれても何とかしようと、馴染もうとしている。こんな短期間でもだいぶ落ち着いたようだし…とても、強い人だ」
「…せやな。笑うことも多なったし。ええ傾向やわ」
知らない場所で生きることの辛さを俺は知っている。昔、差し伸べてくれた手や声に救われた。あの時のお前のように、俺も同じように出来るだろうか。太陽にはなれないだろうけど、でも、それに近い、微かな光でもいい。
「助けたいと思った。…ただそれだけです」
手の平に視線を落としたまま俺はそう答えた。似た境遇に遭っているあの人の力になりたいと思っている。
紙の束が捲れる音が止まる。次いで大袈裟な溜息とファットのぼやきが聞こえてきた。
「…ほんまヒーロー素質充分すぎんのに。メンタルのへぼさがネックやなァ」
グサリと言葉の矢が俺に突き刺さった。フードでを被る様にバスタオルを更に思い切り手前へ引いて顔を隠す。
「……パワハラだ。……先に休みます。おやすみなさい」
「おう。おやすみ」
挨拶だけしてさっさと戻ればよかった。そんな後悔を抱きながらファットに背を向ける。ドアノブに手を掛けて、少しだけ開けたところで一度手を止めた。直ぐに部屋を出ていこうとしない俺に「忘れもんか?」と気楽な声。
「……そう言う、ファットはどうなんですか」
「どうって、何がや」
顧みたファットは体を傾ける様にして首を傾げていた。きっと、この人は全く気付いていないんだと思う。
「ファットこそ、葉月さんのこと気にしてる」
「あの、今ちょっといいですか」
事務所のドアが控えめにノックされた後、葉月さんが入って来た。手には小さな紙の包みが握られている。キーホルダーやストラップを入れるような白い紙袋だ。
午後のパトロールを終え、今日の予定は全て完了した。俺達はコスチュームから私服に着替え、夕飯をどうするかと三人で話していた所だ。出前を取る事までは決まって、何にするか葉月さんも交えてから決めようと。
「ええよ。晩飯、出前何取るか話してただけやし」
「あ…じゃあ先にそれ、決めた方がいいですよね。配達に時間もかかりますし」
夕飯時には出前を度々頼むことがある。大体はファットの一声で決まり、品は各々好きな物を。ただ、量が多いから来るまでに時間がかかったりもする。それを葉月さんも経験しているので、自分の用事よりも先にと申し出たんだろう。
出前用のラミネートされたメニューから俺達は食べたい物を選び、出前先に一軒ずつ電話をかける。三十分前後で料理が揃いそうだ。
「それで、話ってなんスか?」
「うん。皆さんに渡したい物があって…これ、例の神社で買った御守りなんだけど」
「うわ、すげー買ったんスね」
切島くんの言った通り、葉月さんが小さな紙袋から取り出した御守りの数は二つや三つどころじゃなかった。様々な形と色をした根付が全部で六つ。それを丁寧にローテーブルの上に並べていく。
「自分の分だけじゃなくて、友達の分も買ってきたから。……暫くは会えそうにないし、本当は返納した方がいいんだろうけど、ファットさん達にはお世話になっているから…お礼にはならないかもしれないけど」
「おー…面白い形しとんのもあるんやなァ。でもほんまにええの?」
小さな珠を紐で繋ぎ合わせたそれは人型になっていた。鈴がついたその根付けをファットか指先で摘み上げる。小さな鈴がりんと鳴った。良い音色だ。
四角い標準的な物しか見たことがなかったから、新鮮だった。切島くんも色々手に取ってひっくり返してみたりしている。
葉月さんが細い眉を下げながら「皆さんが嫌じゃなければ、受け取ってください」と言う。
「嫌じゃあらへんよ。なあ環、切島くん」
「はいっ」
「…御守りって、その人の事を考えながら選ぶものだって聞いたことあります。最初は葉月さんがその人達のことを考えて選んだんだろうけど…今は俺達の事、考えて渡したいって思ったんですよね。…それなら、全然無駄なんかじゃないし、嫌じゃない。……嬉しいです」
ありがとうございます、と最後に呟いたのがあまりに小さかった気がしたので聞こえていたのかは分からない。でも、緩く笑ってくれたから、きっと届いていると思う。
全会一致の上でファットが大きく首を縦に振った。
「せやな。ほな、有り難く貰い受けるわ。因みにこれ、何のやつ?」
「それは厄除けです。隣が家内安全、この二つが無病息災、必勝御守り。一番端のは安産祈願です」
順番に、丁寧に説明をしてくれたのはいい。ただ、俺達三人は最後の説明を聞いて、同じ疑問を同じタイミングで浮かべたようだった。
「妊婦さんかっ!」
「マジっスか!オメデトウゴザイマっス!」
「……!身体は…冷やしたらいけない」
何の事かと目を瞬かせた葉月さんは数秒置いてから自分が言われているのだと気づき、違うと両手を慌てて振っていた。
「ち、違います。友達につわりが酷いって子がいて…その子に」
「…なんや驚いたわァ。自分のも買うた言うてたやんか。せやからてっきり」
「俺もです。早とちりしちまった…すんません」
「私の方こそ一緒に出してしまってごめんなさい。…どうぞ、お好きなの選んでください」
端にあった安産祈願の桃色の御守りを葉月さんがそっと回収した。改めてどうぞと言われてから、俺と切島くんはファットが選ぶのを待っている。ここは一番上の人間から選ぶものだから。けど、ファットは動こうとしない。どうやら向こうは俺たちに先にと考えていたらしく。
「ん?君ら先に取ってええよ」
「…じゃあ切島くん先に」
「いーんスか。…じゃあ、お言葉に甘えて…これ戴きます!」
彼は赤くて一般的な長方形の物を手に取る。『必勝御守り』と金の刺繍が施されていた。なんとなくそれを選びそうな気がしていた。赤いし。
ニコニコと眩しい笑顔を浮かべて「大事にします!」と葉月さんにお礼を言う。相変わらず眩しくて直視できない。
「…俺は、これがいい。厄除け」
さっきファットが摘み上げていた珠を繋いだ人形を手に取った。ちりんと小さな鈴が揺れる。小さい割にいい音がして気に入った。
「それ、悪いことの身代わりにもなってくれるらしいから。…天喰くんが危ない目に遭いませんように」
「…ありがとうございます」
「ほな、俺も選ばせてもらうわ。んー。こんなかやと無病息災か」
「家内安全はどうっスか」
「…俺独身やで。まあ事務所に置くなら家内安全でもええかなとは思うけど」
「御守りは引出しとかにしまい込むより、身に付けたり日の目を見る場所にあるといいって聞きます。デスクに良いと思いますよ」
「ん。そんならこれもろうわ」
朱色の御守りと白に金糸で織られた御守りを葉月さんが手に取り、ファットに差しだした。遠慮がちな笑みを見せながら。だいぶ、慣れてきたんだなとそれを見て思う。
「どうぞ」
「一つでええよ?」
「こっちは事務所に、これはファットさんに」
「…そういえば、最近は年のせいか風邪を引きやすくなったって」
受け取りに躊躇っていたので、後押しするようにそう呟いた。顔を顰めたファットが「年のせいは余計や」と返してくる。
「そいつはいけねえ…!ファット、ここは身体の為にも!無病息災っ!」
「君らぐいぐい推すなァ…そんなら有り難く貰うわ」
切島くんの力強い一押しもあり、大人しくファットがその二つを葉月さんから受け取った。ファットが手にした物はどちらも根付けのタイプ。白い方の御守りを眺めながら何か悩む様に唸っていた。
「これはデスクに飾るんはええけど、こっちどこに付けよか悩むわ」
「携帯ならストラップとして付けられるんですけどね。スマホだとカバーにしかストラップホール付いていないし…鍵につける人もいるけど、傷がつくとあまりよくないって聞くので、私は定期券のパスケースに付けてます」
「へえ…葉月さん詳しいっスね。てか、ケイタイって二つに折り畳むやつっスよね?近代史の教科書で見た気が」
傷をつけずに大事に持ち歩くのは結構難しい。俺のも根付けタイプだし、どこにつけようかな。そんなことを考えていた。
そういえば、携帯電話を実際に使っている人、最近見かけなくなったな。両親より上の世代が主に使っているイメージが強い。
「二つ折りになるだけやないで。くるっと半回転させたり、アンテナ伸びるやつもあんねん。電話やメールきたら縁が光る機種もあったな」
「な、なんすかそれ…スゲえ!!」
「私も半回転できる機種使ってました。ただかっこいいなーって理由で」
「変形するなんてカッケぇ!」
ストラップ談議から携帯電話の話で盛り上がりを見せていた。楽しそうだ。
「女子は携帯ようデコってたなー。キラッキラしとったわ。元の機種が分からんくらいにな」
「流行ってましたね。…あと、ストラップ付けすぎてる人も。携帯よりも重そうで」
「おったなァそんな子。あとメールの早打ち選手権や着メロ自分で打っとったヤツ。出来が凄いねん」
実に楽しそうだ。ただ、話題についていけない俺と切島くんは置いてけぼりにされている。それを敢えてつっこまずにいたのだけど、切島くんが疑問符を浮かべた顔で尋ねてしまった。
「…早打ち選手権ってなんスか。あと着メロって…」
談笑していた二人の笑い声がぴたりと止んだ。その後、葉月さんが顔を手で覆って「…ジェネレーションギャップ」と呟いて小さくなってしまった。ファットも気まずそうに明後日の方向を見ている。
「…せやな。うん、そらそうなるわな。俺らが高校生ん時はそーゆうんが流行とったんやで」
「へー…そういや葉月さんって何歳なんスか?」
「き、切島くん…女性に年を聞いてはいけない」
「……にじゅうごです」
「葉月さんも素直に答えなくていい…!」
話に収拾がつかなくなっていた。上手くフォローが出来ず、どうしようかと思っていた時にデスクの内線が鳴る。その内線電話が今日ばかりは救世主の様だった。
◇◆◇
夕飯の時も何かと『あの頃』の話に華が咲いているようだった。世界は違えど、辿る文化や流行は似ているようで。共通点を見つける度に葉月さんの表情が明るくなっていた。それを見て、もう大丈夫そうだなと他人のことながら俺は安堵していたんだ。
「…シャワーありがとうございます。今、切島くんが入ってます」
「おう。明日の市内パトロールの担当は夕方からや。朝早ないからゆっくりでええで」
「あ、はい…わかりました」
それなら午前中は体力作りに時間を置こうか。ランニングか筋トレ。ああ、そういえば葉月さんが此処にいたら運動不足で太りそうだと嘆いていた。声を掛けてみようかと一瞬考えもしたけど、余計なお世話だろうか。でも滅多に運動しないと言っていたし、それなら少しは身体動かしたほうが。
「環。そんなとこに突っ立ったまま考え事かいな」
「……すみません」
入口付近で考え事に耽っていたようだ。誰か入ってきたら邪魔になってしまう。そこから横へずれて雫がまだ落ちる髪をバスタオルで拭った。
さっきのこと、声を掛けようか掛けまいかと再度悩んでいると「最近よう喋るようになったなァ」とデスクの方から声が。目を向けると書類を捌いていたファットがこっちを見て、にたりと笑う。その意味が分からずにいる。
「そうですか…?」
「せや。口数多くなったでー。それも霧華ちゃんが来てからやな」
「…何が言いたいんです?」
「いや、環は年上好みなんかなァ思て」
「…は?」
思わず素で聞き返した。好みって、つまりはそういう、あれだ。その問いかけの真意云々よりも先に不快感を覚えた。
「…パワハラに留まらずセクハラまで…!」
「ただ好みか聞いただけやん」
「それをセクハラと言う…!何なんですか…!」
「あー…分かった分かった。今のは言わんかったことにする。答えんでええよ」
面白くない奴だと言われ、手をひらひらと振られる。手にしていた書類に視線を戻し、それ以降は何も言ってこなかった。
俺はバスタオルを深く被る様にして濡れた髪を拭う。
確かに葉月さんとは言葉を交わす方だと思う。落ち着いて話せるから。だからといって、特別な何かを抱いてるわけじゃない、と思う。俺のこれは恋愛感情にはほど遠い。
性格が似ているとか、そう言われたこともあった。だからなのか、放っておけないそんな思いがあった。
「…あの人は前向きですよ。見知らぬ土地、社会に単身放り込まれても何とかしようと、馴染もうとしている。こんな短期間でもだいぶ落ち着いたようだし…とても、強い人だ」
「…せやな。笑うことも多なったし。ええ傾向やわ」
知らない場所で生きることの辛さを俺は知っている。昔、差し伸べてくれた手や声に救われた。あの時のお前のように、俺も同じように出来るだろうか。太陽にはなれないだろうけど、でも、それに近い、微かな光でもいい。
「助けたいと思った。…ただそれだけです」
手の平に視線を落としたまま俺はそう答えた。似た境遇に遭っているあの人の力になりたいと思っている。
紙の束が捲れる音が止まる。次いで大袈裟な溜息とファットのぼやきが聞こえてきた。
「…ほんまヒーロー素質充分すぎんのに。メンタルのへぼさがネックやなァ」
グサリと言葉の矢が俺に突き刺さった。フードでを被る様にバスタオルを更に思い切り手前へ引いて顔を隠す。
「……パワハラだ。……先に休みます。おやすみなさい」
「おう。おやすみ」
挨拶だけしてさっさと戻ればよかった。そんな後悔を抱きながらファットに背を向ける。ドアノブに手を掛けて、少しだけ開けたところで一度手を止めた。直ぐに部屋を出ていこうとしない俺に「忘れもんか?」と気楽な声。
「……そう言う、ファットはどうなんですか」
「どうって、何がや」
顧みたファットは体を傾ける様にして首を傾げていた。きっと、この人は全く気付いていないんだと思う。
「ファットこそ、葉月さんのこと気にしてる」