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7.リラの花言葉
あの神社の事を調べとったせいやろか。懐かしい夢を見た。俺が小学校高学年の頃やったかな。そん時に遊び回っとったあの場所。そこで靴隠された言うて泣きじゃくってた小さい女の子が居った。
「ほら、このクツやろ?」
顔も名前も聞いたかよう覚えとらん。ただ、真っ赤な小さな靴に白い猫のキャラクターが描かれていた。
相当お気に入りの靴やったみたいで、イジメっ子から取り返してきたそれを見たら、ぐずるの止めて、こっち見て笑ったんや。
「ありがとう。おにいちゃん」
他の細かいことは忘れてしもうたが、それだけは鮮明に思い出すことができた。
セットしたアラームが仮眠室に鳴り響く。その音が耳に届くとさっきまで見ていた夢の内容が水に溶けるようにして薄まっていく。
アラームをスヌーズから停止へ。身体を起こしてぐっと腕を天井へ伸ばす。
現実へ引き戻された後も夢の余韻がまだぼんやりと残っていた。輪郭すらぼやけて、どんな女の子やったかも分からん。
結局あの猫、何のキャラやったんかな。それ気になるわ。見たことない猫のキャラやったし。女の子達の流行り知らんかったせいか。
にしても、あの泣き虫女の子、元気にしとんのかな。
◆◇◆
「あそこで環が鈴の音を聞いた。で、この辺りの上空から霧華ちゃんが落っこちてきたと。大体高さは十メートルくらいか」
「あ、あんな高い場所から?そのまま落ちてたら…ほんとに私、死んでたかも…。天喰くん、ほんとにありがとう」
「…いえ」
件の場所へ赴き、遅めの現場検証を行っていた。事件発覚と大体同じ時刻に来とるが、相変わらず交通量は少ないし、人の姿も疎らや。まあそのおかげで当時もマスコミ連中に嗅ぎつけられんですんだがな。
空き地は手入れだけはされとって、草はそんなに生えとらん。神社の建ってた場所には四角い石碑がぽつんと遺されていた。
「…広いっスね。こんだけ広いなら新しい家とか建てればいいのに」
「神社や寺の跡地はあんま買い手がつかんのや。大勢の人の念が集まっとった場所やからな。当然悪い念もある。ま、所謂曰くつきの土地やな」
レッドライオットが広い敷地内をぐるりと見渡して不思議そうに首を傾げたんで、経緯を軽く説明すると合点と頷いた。
「なるほど。にしても、ファット詳しいっスね」
「ガキん頃の遊び場の一つやったからな。あの青い屋根の一軒家、あそこは昔駄菓子屋やった。このへんもだいぶ変わってしもたな。田んぼや畑ばっかやったのに…潰されて道路になってもうた」
悲しいもんやが時代の移り変わりは止められへん。
「……葉月さん、この辺りに見覚えはありませんか。手がかりが何かあるかもしれない」
辺りを見渡して、特徴のある建物を捉えようとしていた。けど、何も記憶に留まるものは無かったようで、項垂れながら首を横へ振った。
「ごめんなさい。…どこも見たことない場所。私、関西地方は京都しか行ったことないんです。関空は乗り継ぎで利用したけど、大坂には…」
「まあそこまで落ち込まんといてな。今日はただ、なんかそういえば!ってのがあればええなあって軽い感じで来たんやし。無いならそれはそれでええ。それも捜査の第一歩や。ほな、この近辺手分けして調べるで」
「うっス!」
「はい」
極端にテンション差のある返事が二つ返ってきた。怪しいもんがあれば直ぐ声掛けるように指示。俺達は二手に分かれて敷地内の捜索に当たった。
「そこ足元気ぃつけや。草取りはしとっても砂利はそのまんまやからな」
「はい」
「霧華ちゃんはよく神社に参拝しに行くん?」
「今回は偶々です。御守り買いに行こうと思ったので」
「そか。有名な神社やさかい、ご利益もあるんやろうなぁ」
緊張しぃな所が環に似とった。ただそれもこの間までの話。今じゃだいぶ落ち着いて話してくるように。こっちもデカい声出さんように気ぃ使ってるつもりやが、偶にビビらせてまうこともある。その度に「すみません」と自分が悪いことのように謝りよる。
欲を言えばもう少し気楽にしてほしい。環や切島くんと話してる時の様に。そうボヤいたら「ワガママですね」と環に一蹴されて凹んだわ。
まあ、現状こうして普通に他愛ない会話出来てるんからええか。そんな事を考えながら敷石が転がっとるのを見つけた。元は綺麗に並べられとったもんやろ。話のネタにと思い、そう、声を掛けようとした。
歩道の近い場所に立っていた霧華ちゃんはある一点に視線を留めていた。空き地の側を通る歩道、そこをゆっくり歩いとる一人の女性。見た感じ五、六十代で紺色のスーツを着とった。
「どないしたん」
足が地面に縫いついたようにして、棒立ちでその女性を見ていた。まるで幽霊と遭遇したかみたいに、目が真ん丸になっとる。
そうこうしているうちに、その女性がこちらに気づいたのか振り向いた。向こうも少し驚いておったが、すぐにその表情がにこやかな笑みに変わった。親しい、もしくは久しい相手と再会をしたように嬉しそうな表情や。
その女性がこっちに近づいてきて、目元の皺をくしゃりとさせて霧華ちゃんに笑いかけた。
「葉月さんよね。まあ、こんな所で会うなんて…奇遇ねえ。何年ぶりかしら。元気そうね」
「……は、い。…先生も」
「最後に会ったのいつだったかしら。…五年ぐらい前の同窓会?益々綺麗になったわねえ」
「…え、えっと」
「あら……そちらの方、もしかしてプロヒーローの」
「ファットガムです!」
「まあ。…機内の紹介雑誌で見た写真よりもとても立派な方ね」
二メートル以上もある俺を見上げ、柔和な笑みを携えてそう言うた。俺ん事を知らんちゅうことは、この土地の人間とちゃう。話し方からしても訛りが少し見られる。それに、霧華ちゃんと顔見知りらしい。先生、と半信半疑のように言っていた。
「…と言う事は、念願のプロヒーロー事務所に就けたのね」
にこりと微笑んだ先生。対して俺と霧華ちゃんは何の事かと首を傾げかける。
「この子、中学生の頃からヒーローに憧れていたのよ。自分はヒーローにならなくてもいい、ヒーローを支えるポジションでありたい。卒業文集にもそう書いていたの。夢が叶ったのね」
本当に嬉しそうに微笑んでいた。それからくすりと笑みを零す。
「この子、なんて言ってはダメね。もう立派なレディですもの」
「先生…。あの、先生は…観光でこちらに?」
「それなら良かったんだけれど。仕事なのよ。教育委員会が大阪でね。この歳になると飛行機の移動も結構疲れてしまうから嫌ね。でも来年の定年までは頑張らないと。葉月さんも慣れない土地で大変でしょうけど頑張ってね」
「ほんまにええ子ですよ。葉月さん来てから色々助かってますねん」
「えっ」
ここは話を合わせておいた方がいいと片目を瞑って合図を送る。霧華ちゃんは小さく頷いてみせた。
「そう、良かったわ。ファットガムさん、葉月さんをよろしくお願いしますね」
「任しといてください!」
「それじゃあ、私はそろそろ行くわね。…そうだ、葉月さん。手を貸してちょうだい」
「あ…はい」
先生が葉月さんの左手を取り、手の平を重ねる。数秒後、そこに現れたのは短い枝に小さな白い花が沢山ついた一房咲かせたもの。この先生の個性が花か植物に関する物なんやろ。パッと見で何の花かは分からんかった。ただ、霧華ちゃんの声が少し、震えていたような気がした。
「…ライラック。先生、これ…」
「ええ。白いライラック」
「覚えてて…くれたんですか。私の好きな花」
「みんなの好きな花を聞いた時、貴女が白いライラックと答えたこと今でも覚えているわ。紫のライラックはよく見かけたけど、白いライラックは中々見つけられなくてね。街中探し回って大変だったから良く覚えてるのよ。…昔みたいに大きな物はもう出せないけど」
そのライラックの花を優しく指先で包み込むようにして、視線を落とす。喉の奥から絞り出すようにして口にしたお礼の言葉。この様子だと何か訳アリな感じがひしひしと伝わってくる。
先生は俺に向かってお辞儀をして、元来た道へ戻ろうとする。そこで顔をバッとあげた霧華ちゃんが今までに聞いたことのないような声を張り上げた。
「先生っ!…お身体に、どうか気を付けてください…っ!」
「ええ、ありがとう。葉月さんもね」
「…はいっ」
花の様に穏やかに笑う女性やった。その人の後姿が見えなくなるまでの間、俺は一つの仮説を考えていた。
この時点で矛盾が色々と生じとる。霧華ちゃんの事を昔から知っとる人間が居った。それはつまり、霧華ちゃんが元々この世界の住人ということを示唆しているのか。もしくはこの世界にもう一人の霧華ちゃんが存在している。そう考えてもおかしくはなさそうや。
「…中学の担任の先生だった。華道部の顧問で……こっちだと花に関する個性、みたいですね。同窓会、中々行けなくなって…年賀状だけでもやり取りはしていたんです。でも、先生…二年前に肺がんで、」
「……そうか」
声が震えとった。伏せた目から落ちた雫が白い花弁を濡らす。
彼女の世界では既に亡くなった人。それが此処では健在している。せやから先生の姿見た時に驚いて声も出なかったんやろな。
「私、先生が亡くなった事聞いたの…ずっと後だった。その年の同窓会じゃ元気だったのにって…友達に聞いて。同窓会無理してでも行けばよかった」
「霧華ちゃん」
「…だからっ、今、こうして…先生の顔が見れて、話せて…私」
俯いたままぽろぽろと涙を零し続ける。どう声を掛けてもこの涙は止まらんやろうと思うて、せめて自分を責めない様にと小さな頭を優しく撫でた。
◇◆◇
「…ファット」
「なんや環。どした」
事務所に戻ってから環に呼び止められ、振り向いたのはいい。いつも以上にジト目でこちらを睨んできおった。
「どないしたん。なんかあったか」
「……葉月さんを泣かせるなんて最低だ」
「え、なんかあったんスか…?」
「あの後、合流して事務所に戻って来る時、元気が無かった。…それに目、赤く腫れてたんだ。ファットが泣かせたとしか思えない」
「ちょお待てぇ!なんで俺が泣かした前提やねん!濡れ衣やで、切島くんもそんな目ぇせんといて!」
あらぬ濡れ衣を着せられそうになるんを、昼間出掛けた先での話を二人に説明。丁度霧華ちゃんはお茶を淹れにいっとるから良かったものの。とりあえず二人とも納得はしてくれたようやが、妙なしこりが残るような表情をしとった。
「…つまり、それって…この世界にも葉月さんが居る」
「そうやろな。どこにどうして居るかは分からん。せやけど本人同士が顔合わせるような事態は避けた方がええやろ。こっちの世界に居る霧華ちゃんはなーんも知らへんのやから。下手したらもう一人の自分見て気絶しかねんからなァ」
デスクのチェアにもたれるとギシリと音を立てた。天井をぼんやりと仰げば昼間泣いていた霧華ちゃんの顔が浮かびあがる。
「……はよ帰してあげんとなァ」
あの神社の事を調べとったせいやろか。懐かしい夢を見た。俺が小学校高学年の頃やったかな。そん時に遊び回っとったあの場所。そこで靴隠された言うて泣きじゃくってた小さい女の子が居った。
「ほら、このクツやろ?」
顔も名前も聞いたかよう覚えとらん。ただ、真っ赤な小さな靴に白い猫のキャラクターが描かれていた。
相当お気に入りの靴やったみたいで、イジメっ子から取り返してきたそれを見たら、ぐずるの止めて、こっち見て笑ったんや。
「ありがとう。おにいちゃん」
他の細かいことは忘れてしもうたが、それだけは鮮明に思い出すことができた。
セットしたアラームが仮眠室に鳴り響く。その音が耳に届くとさっきまで見ていた夢の内容が水に溶けるようにして薄まっていく。
アラームをスヌーズから停止へ。身体を起こしてぐっと腕を天井へ伸ばす。
現実へ引き戻された後も夢の余韻がまだぼんやりと残っていた。輪郭すらぼやけて、どんな女の子やったかも分からん。
結局あの猫、何のキャラやったんかな。それ気になるわ。見たことない猫のキャラやったし。女の子達の流行り知らんかったせいか。
にしても、あの泣き虫女の子、元気にしとんのかな。
◆◇◆
「あそこで環が鈴の音を聞いた。で、この辺りの上空から霧華ちゃんが落っこちてきたと。大体高さは十メートルくらいか」
「あ、あんな高い場所から?そのまま落ちてたら…ほんとに私、死んでたかも…。天喰くん、ほんとにありがとう」
「…いえ」
件の場所へ赴き、遅めの現場検証を行っていた。事件発覚と大体同じ時刻に来とるが、相変わらず交通量は少ないし、人の姿も疎らや。まあそのおかげで当時もマスコミ連中に嗅ぎつけられんですんだがな。
空き地は手入れだけはされとって、草はそんなに生えとらん。神社の建ってた場所には四角い石碑がぽつんと遺されていた。
「…広いっスね。こんだけ広いなら新しい家とか建てればいいのに」
「神社や寺の跡地はあんま買い手がつかんのや。大勢の人の念が集まっとった場所やからな。当然悪い念もある。ま、所謂曰くつきの土地やな」
レッドライオットが広い敷地内をぐるりと見渡して不思議そうに首を傾げたんで、経緯を軽く説明すると合点と頷いた。
「なるほど。にしても、ファット詳しいっスね」
「ガキん頃の遊び場の一つやったからな。あの青い屋根の一軒家、あそこは昔駄菓子屋やった。このへんもだいぶ変わってしもたな。田んぼや畑ばっかやったのに…潰されて道路になってもうた」
悲しいもんやが時代の移り変わりは止められへん。
「……葉月さん、この辺りに見覚えはありませんか。手がかりが何かあるかもしれない」
辺りを見渡して、特徴のある建物を捉えようとしていた。けど、何も記憶に留まるものは無かったようで、項垂れながら首を横へ振った。
「ごめんなさい。…どこも見たことない場所。私、関西地方は京都しか行ったことないんです。関空は乗り継ぎで利用したけど、大坂には…」
「まあそこまで落ち込まんといてな。今日はただ、なんかそういえば!ってのがあればええなあって軽い感じで来たんやし。無いならそれはそれでええ。それも捜査の第一歩や。ほな、この近辺手分けして調べるで」
「うっス!」
「はい」
極端にテンション差のある返事が二つ返ってきた。怪しいもんがあれば直ぐ声掛けるように指示。俺達は二手に分かれて敷地内の捜索に当たった。
「そこ足元気ぃつけや。草取りはしとっても砂利はそのまんまやからな」
「はい」
「霧華ちゃんはよく神社に参拝しに行くん?」
「今回は偶々です。御守り買いに行こうと思ったので」
「そか。有名な神社やさかい、ご利益もあるんやろうなぁ」
緊張しぃな所が環に似とった。ただそれもこの間までの話。今じゃだいぶ落ち着いて話してくるように。こっちもデカい声出さんように気ぃ使ってるつもりやが、偶にビビらせてまうこともある。その度に「すみません」と自分が悪いことのように謝りよる。
欲を言えばもう少し気楽にしてほしい。環や切島くんと話してる時の様に。そうボヤいたら「ワガママですね」と環に一蹴されて凹んだわ。
まあ、現状こうして普通に他愛ない会話出来てるんからええか。そんな事を考えながら敷石が転がっとるのを見つけた。元は綺麗に並べられとったもんやろ。話のネタにと思い、そう、声を掛けようとした。
歩道の近い場所に立っていた霧華ちゃんはある一点に視線を留めていた。空き地の側を通る歩道、そこをゆっくり歩いとる一人の女性。見た感じ五、六十代で紺色のスーツを着とった。
「どないしたん」
足が地面に縫いついたようにして、棒立ちでその女性を見ていた。まるで幽霊と遭遇したかみたいに、目が真ん丸になっとる。
そうこうしているうちに、その女性がこちらに気づいたのか振り向いた。向こうも少し驚いておったが、すぐにその表情がにこやかな笑みに変わった。親しい、もしくは久しい相手と再会をしたように嬉しそうな表情や。
その女性がこっちに近づいてきて、目元の皺をくしゃりとさせて霧華ちゃんに笑いかけた。
「葉月さんよね。まあ、こんな所で会うなんて…奇遇ねえ。何年ぶりかしら。元気そうね」
「……は、い。…先生も」
「最後に会ったのいつだったかしら。…五年ぐらい前の同窓会?益々綺麗になったわねえ」
「…え、えっと」
「あら……そちらの方、もしかしてプロヒーローの」
「ファットガムです!」
「まあ。…機内の紹介雑誌で見た写真よりもとても立派な方ね」
二メートル以上もある俺を見上げ、柔和な笑みを携えてそう言うた。俺ん事を知らんちゅうことは、この土地の人間とちゃう。話し方からしても訛りが少し見られる。それに、霧華ちゃんと顔見知りらしい。先生、と半信半疑のように言っていた。
「…と言う事は、念願のプロヒーロー事務所に就けたのね」
にこりと微笑んだ先生。対して俺と霧華ちゃんは何の事かと首を傾げかける。
「この子、中学生の頃からヒーローに憧れていたのよ。自分はヒーローにならなくてもいい、ヒーローを支えるポジションでありたい。卒業文集にもそう書いていたの。夢が叶ったのね」
本当に嬉しそうに微笑んでいた。それからくすりと笑みを零す。
「この子、なんて言ってはダメね。もう立派なレディですもの」
「先生…。あの、先生は…観光でこちらに?」
「それなら良かったんだけれど。仕事なのよ。教育委員会が大阪でね。この歳になると飛行機の移動も結構疲れてしまうから嫌ね。でも来年の定年までは頑張らないと。葉月さんも慣れない土地で大変でしょうけど頑張ってね」
「ほんまにええ子ですよ。葉月さん来てから色々助かってますねん」
「えっ」
ここは話を合わせておいた方がいいと片目を瞑って合図を送る。霧華ちゃんは小さく頷いてみせた。
「そう、良かったわ。ファットガムさん、葉月さんをよろしくお願いしますね」
「任しといてください!」
「それじゃあ、私はそろそろ行くわね。…そうだ、葉月さん。手を貸してちょうだい」
「あ…はい」
先生が葉月さんの左手を取り、手の平を重ねる。数秒後、そこに現れたのは短い枝に小さな白い花が沢山ついた一房咲かせたもの。この先生の個性が花か植物に関する物なんやろ。パッと見で何の花かは分からんかった。ただ、霧華ちゃんの声が少し、震えていたような気がした。
「…ライラック。先生、これ…」
「ええ。白いライラック」
「覚えてて…くれたんですか。私の好きな花」
「みんなの好きな花を聞いた時、貴女が白いライラックと答えたこと今でも覚えているわ。紫のライラックはよく見かけたけど、白いライラックは中々見つけられなくてね。街中探し回って大変だったから良く覚えてるのよ。…昔みたいに大きな物はもう出せないけど」
そのライラックの花を優しく指先で包み込むようにして、視線を落とす。喉の奥から絞り出すようにして口にしたお礼の言葉。この様子だと何か訳アリな感じがひしひしと伝わってくる。
先生は俺に向かってお辞儀をして、元来た道へ戻ろうとする。そこで顔をバッとあげた霧華ちゃんが今までに聞いたことのないような声を張り上げた。
「先生っ!…お身体に、どうか気を付けてください…っ!」
「ええ、ありがとう。葉月さんもね」
「…はいっ」
花の様に穏やかに笑う女性やった。その人の後姿が見えなくなるまでの間、俺は一つの仮説を考えていた。
この時点で矛盾が色々と生じとる。霧華ちゃんの事を昔から知っとる人間が居った。それはつまり、霧華ちゃんが元々この世界の住人ということを示唆しているのか。もしくはこの世界にもう一人の霧華ちゃんが存在している。そう考えてもおかしくはなさそうや。
「…中学の担任の先生だった。華道部の顧問で……こっちだと花に関する個性、みたいですね。同窓会、中々行けなくなって…年賀状だけでもやり取りはしていたんです。でも、先生…二年前に肺がんで、」
「……そうか」
声が震えとった。伏せた目から落ちた雫が白い花弁を濡らす。
彼女の世界では既に亡くなった人。それが此処では健在している。せやから先生の姿見た時に驚いて声も出なかったんやろな。
「私、先生が亡くなった事聞いたの…ずっと後だった。その年の同窓会じゃ元気だったのにって…友達に聞いて。同窓会無理してでも行けばよかった」
「霧華ちゃん」
「…だからっ、今、こうして…先生の顔が見れて、話せて…私」
俯いたままぽろぽろと涙を零し続ける。どう声を掛けてもこの涙は止まらんやろうと思うて、せめて自分を責めない様にと小さな頭を優しく撫でた。
◇◆◇
「…ファット」
「なんや環。どした」
事務所に戻ってから環に呼び止められ、振り向いたのはいい。いつも以上にジト目でこちらを睨んできおった。
「どないしたん。なんかあったか」
「……葉月さんを泣かせるなんて最低だ」
「え、なんかあったんスか…?」
「あの後、合流して事務所に戻って来る時、元気が無かった。…それに目、赤く腫れてたんだ。ファットが泣かせたとしか思えない」
「ちょお待てぇ!なんで俺が泣かした前提やねん!濡れ衣やで、切島くんもそんな目ぇせんといて!」
あらぬ濡れ衣を着せられそうになるんを、昼間出掛けた先での話を二人に説明。丁度霧華ちゃんはお茶を淹れにいっとるから良かったものの。とりあえず二人とも納得はしてくれたようやが、妙なしこりが残るような表情をしとった。
「…つまり、それって…この世界にも葉月さんが居る」
「そうやろな。どこにどうして居るかは分からん。せやけど本人同士が顔合わせるような事態は避けた方がええやろ。こっちの世界に居る霧華ちゃんはなーんも知らへんのやから。下手したらもう一人の自分見て気絶しかねんからなァ」
デスクのチェアにもたれるとギシリと音を立てた。天井をぼんやりと仰げば昼間泣いていた霧華ちゃんの顔が浮かびあがる。
「……はよ帰してあげんとなァ」