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星に願いを
祭りという行事はとにかく人が集まる。だんじり祭ほどの人出ではないが、七夕祭りを控えたここ一週間は商店街付近が賑わっていた。人ごみを縫うようにしなければ進めない状態に天喰は尻込みしそうになる。
数日前、本物の笹を見たことが無いと事務所で葉月が話していた。出身地である北海道には代表的な笹や竹が自生しておらず、あるとしても山奥にひっそりと生えているか草丈の低いものしかないと。七夕自体があまり普及していなかったとも言うので、それなら七夕飾りを設置している所へ見に行こうとなったのだが。
仕事帰りに事務所から葉月と二人で向かう予定が、天喰の方が仕事の都合で定時に上がれなくなってしまった。葉月がついでに寄りたい店があると話していたのを覚えていたので、パトロール先から事務所へ戻る途中、現地で待ち合わせようと連絡を入れていた。
事務所に戻った天喰は「報告書明日でええから。霧華ちゃん待たせたらあかんで」という上司のお言葉に甘え、急いで私服に着替えて飛び出し、現在に至る。
商店街に隣接した広場の時計。そこを待ち合わせ場所としているので、すぐに相手は見つかるだろう。人ごみに流され蛇行しながら進み、ようやく目的地に到着。
天喰の視界が開け、広場の時計全体が見えた。分かりやすい待ち合わせ場所なので、利用している人の数も多い。その中に葉月の姿を捉えたのだが、若い男と何か会話をしていた。知り合いだろうかと頭に過るが、にこやかに話している男に対し、葉月はどちらかというと迷惑そうにしている。すぐさまそれがナンパだと気づいた天喰が血相を変え駆け寄った。
「もう来ないんじゃないのー?だって結構待ってるじゃん。仕事とか言って、他の女と遊びにいったんじゃない」
「…彼、そんな人じゃないので。…すみませんけど、これ以上は」
天喰は葉月と男の間に割って入り、片手を突き出して相手との距離をとる。怯みそうになりながらも、ぐっと男を睨み付けた。
「……この人に用があるなら、俺が、聞きますけど」
尻すぼみになる声が男に届いたか否かは定かではないが、天喰の眼光の鋭さにたじろぐ様子を見せる。軽く舌打ちをする音も聞こえた。
「……なんだよ。兄ちゃんの連れか。わーったよ、わかったからそんな恐い目で睨まないでくれって。じゃーな」
口論になった時はどう対応すべきか。ヴィランとはまた違う。そう危惧していたのだが、男は思いの外あっさりと引き下がっていった。すると途端に天喰の心臓が早鐘を打ち始める。事なきを得て本当に良かったと。
息苦しさを感じた肺に酸素を届けようと深く息を吸い込み、それから葉月の方へ振り向く。
「遅れてすみません」
「環くん。……ありがとう」
曇っていた葉月の顔が少しだけ和らぐ。怖い目に遭わせてしまったと罪悪感に苛まれてしまった。ずんと頭を俯かせて「俺が遅れたばかりに、本当にすみませんでした」と蚊の鳴くような声で呟いた。
「ん…大丈夫。環くんが来てくれてホッとしたから。…最初はね、道を聞かれたから答えていたんだけど…しつこくて」
最寄り駅までの道を尋ねられ、丁寧に応対しているうちに話が逸れていったという。近くに美味しいご飯屋があるので良かったら行かないかと。待ち合わせ中だと断っても引いてくれずに困っていたそうだ。この話を聞いた天喰は自分のせいだと溜息を深くついてしまった。
「で、でも仕事だったんだから環くんは悪くないよ。それに、私がお店に寄りたいから先に事務所出たんだし…。そうそう、限定のお菓子買えたよ」
葉月が両手で持ち上げた小さな紙袋。それには有名な焼き菓子店のロゴが入っている。今日までの限定販売だったので、入手できて良かったと葉月が笑みを綻ばせると、顔を上げた天喰はつられる様に口元を緩めた。
「閉店時間までに間に合ったみたいで良かった」
「うん。これは明日みんなで食べようね」
「…はい。明日は切島くん達も来るし、賑やかになりそうだ」
天喰の後輩である切島と鉄哲がファットガム事務所でインターンを行っているが、夏休み前の期末試験を控えている為に明日で一度区切りとなる。
期末試験で赤点を取れば補習になり、数日間ではあるがインターンにも支障が出てしまう。「あの二人、補習にならないといいけど」と天喰が呟いた。
「…仮免ヒーローとして校外活動もしてるのに、期末の試験も乗り越えなきゃいけないんて。ほんと…頭が痛くなりそうね」
「学業と両立は大変だけど…二人には頑張ってもらわないと」
明るく元気な後輩二人が居なければ、火が消えたようだと天喰も感じている。彼らの勢いに圧倒される場面も多々あるのだが、なによりファットガムの無茶ぶりが緩和されるのだ。そういった事情もあるので、なるべく居て欲しいと願っている。
周囲の待ち合わせ人が次々とこの場を離れていた。自分たちもそろそろ移動しようかと天喰が葉月の手に指を絡めて繋ぐ。
「…この人ごみではぐれたくない」
「うん。あ、短冊は先に貰っておいたよ。私が来た時はちょうど列が短かったから」
短冊を配布する列は行列を成しており、二列に折り返していた。空いていたとは言うが、わざわざ並んでくれたのかと思うと頭が上がらない。
「待たせた上に並んでくれていたなんて…」
「環くん疲れてるだろうし、明日もあるからと思って」
「何から何まで…ありがとう」
「どういたしまして。向こうの机にサインペンが用意されているから、そこで記入して、自分で笹に飾っていいみたい」
短冊を貰った際に受けた説明を口にする葉月はどこか楽しそうにしていた。初めて本物の笹に短冊を飾ることに胸を踊らせているようだ。先程までの曇りがちだった表情も和らいでいる。
会議用の長机が二つ横に並び、そこにサインペンが用意されていた。
短冊を手にした人たちが順に空きスペースを見つけて願い事を綴っている。仕事帰りの二十代と思われる人が目立つ。大きなディバッグを背負った高校生は恐らく部活帰りだろうか。その女子高生二人組が長机から離れた時、彼女たちは笑顔を咲かせていた。大事に短冊を持ち、反対側に設けられた笹の方へ歩いていく。
高さ三メートル程度の笹がずらりと並ぶ光景は正に圧巻である。色とりどりの短冊、七夕飾りを纏う。夜間のライトアップのおかげでさらに鮮やかとなっていた。
ちょうど空いたスペースに天喰と葉月は肩を並べ、サインペンを手にそれぞれ短冊と向き合った。
薄水色の細長い紙をじっと見つめる天喰。隣を見やると同じように手元を見たまま動かずにいる。
「願い事、霧華さんもまだ考えてなかったんですか」
「考えてはいたんだけど…」
「けど?」
「切島くんと鉄哲くんの期末試験、良い点取れますように…ってどうしても浮かんできちゃって」
頭から離れないとおかしそうに肩を窄めてみせた。あの二人は良くも悪くも影響を与えてくる。そう言われると自分もそう願った方がいいかもしれないという錯覚に陥るものだが、それは違うと天喰は首を横へ振った。
「七夕の願い事は自分のことを書いた方がいい。願い事の為に努力するのは自分だから…って子どもの頃に聞きました」
「…なるほど。決意表明みたいなものなんだね」
「決意表明……そう聞くと一気に重みが。目標ぐらいのレベルでいいと思う」
目標、と呟いた葉月は何か良いものを思いついたのかサインペンのキャップをポンと抜いた。手元の短冊に一行、こう綴る。
「料理のレパートリーを増やします」
「……これは、決意表明ですね」
文章の終わり方からして完全なる表明。今までに短冊に願い事を書いてこなかったせいもあるんだろう。致し方ないことだが、それがじわじわと笑いを誘う。
「お…おかしかったかな。鉄哲くんが来るようになってから、個性のこと考えて鉄分の摂れるメニューも増やしたいなって思ってたから」
「いい、と思います。霧華さんらしくて。味見ならいくらでも引き受けるから、いつでも言って」
「ありがとう。…環くんは書くこと決まった?」
キャップを外したサインペンを持ち直す天喰に尋ねると、その手がぴたりと止まる。紙に落としていた視線を少しだけ持ち上げ、葉月の方を見る。
「……霧華さんに愛想尽かされないよう、もっと色々と努力しよう…みたいなことを。今、こうして隣に居るのだって奇跡に近い…。これからも安心して俺の傍に居られるように。これらを簡潔にすると」
「すると?」
「大切な人の為に努力します」
「うん…決意表明だね」
もはやこれしか浮かばないと天喰はサインペンで先程の一行を綴っていく。
あまり長々とこのスペースに留まるわけにもいかないので、願い事を綴った短冊を手に笹の前へ移動する。三メートル向こう先まで笹がずらりと並ぶ。七夕飾りの笹を間近に見た葉月は「迫力あるね」と驚いていた。
「…少し上の方だけど、ここならまだ飾れる。笹はしなるから……どうぞ。俺のもお願いします」
天喰は自分の頭より高い位置にある笹の枝を掴み、葉月の手が届く所まで下げる。顔の高さにきた笹の枝に短冊を二枚括り付け、天喰に合図を送った。しなっていた笹の枝がゆっくりと天に戻る。
街中では一等星から三等星程度の星までを肉眼で捉えることができた。悠々と夜空へ伸びる笹と夜空が二人の目に映し出されていた。
「天の川が見られたらもっと良かったんだけど」
「これだけ街が明るいと見える星の数もだいぶ減りますね。俺もちゃんと見たことはない…よく写真で見る様なやつ」
「あんな風に見えたら感動しそうよね。…いつかは見てみたいなあ」
「流石に北海道でも天の川は見られないんですか」
「…人が集まる場所は夜でも明るいから。人里離れたキャンプ場とかに行けば見えるかも」
自然の溢れる大地と言えども、天の川が綺麗に見られる場所は限られている。人工の光が干渉しない場所、空気の澄んだ冬であれば星空の鑑賞も可能だろう。
それを聞いていた天喰はぽそりと呟いた。
「今年の慰安旅行の希望地、北海道にしようかな。キャンプ場とか…」
「…慰安旅行でキャンプって聞いたことがないよ。それに先輩方からブーイングの嵐がきそう…」
「え、どうして。…日頃の疲れを自然の中で癒したいという気持ちはあると思う」
「そういうものなのかしら」
「それか温泉入りたい。星を眺めながら入る露天風呂は格別に違いない」
これらの願いを短冊に込めればよかったかと今さらぼんやり考える天喰。二人で飾った短冊は風にそよそよと揺れていた。
◆◇◆
翌日、ファットガム事務所でのインターンを終えた切島と鉄哲がファットガムに揃って頭を下げた。
「本日も有難うございましたっ!!」
「おお、また試験明けに待っとるでェ。期末試験気張りや!」
「はいっ!」
朝から夕方まで変わらないテンションの高さに圧倒されつつ「頑張って」と天喰が声を掛ける。
葉月も彼らの見送りの為に二階の執務室に来ており、応援の言葉とお土産の焼き菓子を渡した。
「今日は食べる暇がなかったから…新幹線の中で食べてね」
「あざっス!これ、美味いって評判のやつっスよね」
「マジか。そいつは楽しみだぜ!」
「あ、そういや…七夕の笹見に行ったって言ってましたよね。どうでした?」
「うん。すごく綺麗だった。短冊も書いてきたし」
「へぇー…願い事って」
ふと、切島の脇腹を鉄哲が肘で軽く小突いた。
「おい、切島。ヤボなこと聞くんじゃねーよ」
「……あ、それもそうだな。すんません、今のは聞かなかったことに」
「君たちの期末試験、赤点になりませんようにって書いてきたよ。二人で」
ぽそりと呟かれた天喰の言葉。真顔でそう言うものだから、冗談とも捉えることができずに切島と鉄哲が一時フリーズした。間もなく焦りの色が顔に現れ始める。
「気合入れて勉強します!先輩方の期待に応える為にっ!!」
「ぜってぇ赤点取れねぇぞ切島…!」
「おうっ!」
発破をかけられた二人は「それでは失礼します!」と勢いのまま執務室を出て階段を駆け下りていった。
嵐が過ぎ去った静けさの中、ファットガムが頭を傾げる。
「…え、ほんまにそう書いてきたん」
「最初は私がそう書こうかなって…話してはいたんですけど」
「こうでも言っておかないと。…補習でこっちに来られなくなって困るのは俺だし」
「私欲かいな!」
「これは二人の為でもある」
「…まァ、環も冗談言うようになってきたな。せやけど真顔のトーンで言われたら本気にしてまうで」
「気をつけます」
「で、ほんまは何て書いてきたん」
「……慰安旅行が北海道か温泉になりますように」
「いやそれ、お星さまやなくてファットさんに言うて。候補地に入れとくし」
「楽しみにしています。…本場でカニやジンギスカン食べたい。温泉にも浸かりたい」
「そんなら北海道の温泉でも良さそうやな!」
毎年の慰安旅行の予算額は分からないが、今年は高くつきそうだ。予算のやりくりで頭を抱えた経理の顔が浮かぶと苦笑いを浮かべる葉月であった。
祭りという行事はとにかく人が集まる。だんじり祭ほどの人出ではないが、七夕祭りを控えたここ一週間は商店街付近が賑わっていた。人ごみを縫うようにしなければ進めない状態に天喰は尻込みしそうになる。
数日前、本物の笹を見たことが無いと事務所で葉月が話していた。出身地である北海道には代表的な笹や竹が自生しておらず、あるとしても山奥にひっそりと生えているか草丈の低いものしかないと。七夕自体があまり普及していなかったとも言うので、それなら七夕飾りを設置している所へ見に行こうとなったのだが。
仕事帰りに事務所から葉月と二人で向かう予定が、天喰の方が仕事の都合で定時に上がれなくなってしまった。葉月がついでに寄りたい店があると話していたのを覚えていたので、パトロール先から事務所へ戻る途中、現地で待ち合わせようと連絡を入れていた。
事務所に戻った天喰は「報告書明日でええから。霧華ちゃん待たせたらあかんで」という上司のお言葉に甘え、急いで私服に着替えて飛び出し、現在に至る。
商店街に隣接した広場の時計。そこを待ち合わせ場所としているので、すぐに相手は見つかるだろう。人ごみに流され蛇行しながら進み、ようやく目的地に到着。
天喰の視界が開け、広場の時計全体が見えた。分かりやすい待ち合わせ場所なので、利用している人の数も多い。その中に葉月の姿を捉えたのだが、若い男と何か会話をしていた。知り合いだろうかと頭に過るが、にこやかに話している男に対し、葉月はどちらかというと迷惑そうにしている。すぐさまそれがナンパだと気づいた天喰が血相を変え駆け寄った。
「もう来ないんじゃないのー?だって結構待ってるじゃん。仕事とか言って、他の女と遊びにいったんじゃない」
「…彼、そんな人じゃないので。…すみませんけど、これ以上は」
天喰は葉月と男の間に割って入り、片手を突き出して相手との距離をとる。怯みそうになりながらも、ぐっと男を睨み付けた。
「……この人に用があるなら、俺が、聞きますけど」
尻すぼみになる声が男に届いたか否かは定かではないが、天喰の眼光の鋭さにたじろぐ様子を見せる。軽く舌打ちをする音も聞こえた。
「……なんだよ。兄ちゃんの連れか。わーったよ、わかったからそんな恐い目で睨まないでくれって。じゃーな」
口論になった時はどう対応すべきか。ヴィランとはまた違う。そう危惧していたのだが、男は思いの外あっさりと引き下がっていった。すると途端に天喰の心臓が早鐘を打ち始める。事なきを得て本当に良かったと。
息苦しさを感じた肺に酸素を届けようと深く息を吸い込み、それから葉月の方へ振り向く。
「遅れてすみません」
「環くん。……ありがとう」
曇っていた葉月の顔が少しだけ和らぐ。怖い目に遭わせてしまったと罪悪感に苛まれてしまった。ずんと頭を俯かせて「俺が遅れたばかりに、本当にすみませんでした」と蚊の鳴くような声で呟いた。
「ん…大丈夫。環くんが来てくれてホッとしたから。…最初はね、道を聞かれたから答えていたんだけど…しつこくて」
最寄り駅までの道を尋ねられ、丁寧に応対しているうちに話が逸れていったという。近くに美味しいご飯屋があるので良かったら行かないかと。待ち合わせ中だと断っても引いてくれずに困っていたそうだ。この話を聞いた天喰は自分のせいだと溜息を深くついてしまった。
「で、でも仕事だったんだから環くんは悪くないよ。それに、私がお店に寄りたいから先に事務所出たんだし…。そうそう、限定のお菓子買えたよ」
葉月が両手で持ち上げた小さな紙袋。それには有名な焼き菓子店のロゴが入っている。今日までの限定販売だったので、入手できて良かったと葉月が笑みを綻ばせると、顔を上げた天喰はつられる様に口元を緩めた。
「閉店時間までに間に合ったみたいで良かった」
「うん。これは明日みんなで食べようね」
「…はい。明日は切島くん達も来るし、賑やかになりそうだ」
天喰の後輩である切島と鉄哲がファットガム事務所でインターンを行っているが、夏休み前の期末試験を控えている為に明日で一度区切りとなる。
期末試験で赤点を取れば補習になり、数日間ではあるがインターンにも支障が出てしまう。「あの二人、補習にならないといいけど」と天喰が呟いた。
「…仮免ヒーローとして校外活動もしてるのに、期末の試験も乗り越えなきゃいけないんて。ほんと…頭が痛くなりそうね」
「学業と両立は大変だけど…二人には頑張ってもらわないと」
明るく元気な後輩二人が居なければ、火が消えたようだと天喰も感じている。彼らの勢いに圧倒される場面も多々あるのだが、なによりファットガムの無茶ぶりが緩和されるのだ。そういった事情もあるので、なるべく居て欲しいと願っている。
周囲の待ち合わせ人が次々とこの場を離れていた。自分たちもそろそろ移動しようかと天喰が葉月の手に指を絡めて繋ぐ。
「…この人ごみではぐれたくない」
「うん。あ、短冊は先に貰っておいたよ。私が来た時はちょうど列が短かったから」
短冊を配布する列は行列を成しており、二列に折り返していた。空いていたとは言うが、わざわざ並んでくれたのかと思うと頭が上がらない。
「待たせた上に並んでくれていたなんて…」
「環くん疲れてるだろうし、明日もあるからと思って」
「何から何まで…ありがとう」
「どういたしまして。向こうの机にサインペンが用意されているから、そこで記入して、自分で笹に飾っていいみたい」
短冊を貰った際に受けた説明を口にする葉月はどこか楽しそうにしていた。初めて本物の笹に短冊を飾ることに胸を踊らせているようだ。先程までの曇りがちだった表情も和らいでいる。
会議用の長机が二つ横に並び、そこにサインペンが用意されていた。
短冊を手にした人たちが順に空きスペースを見つけて願い事を綴っている。仕事帰りの二十代と思われる人が目立つ。大きなディバッグを背負った高校生は恐らく部活帰りだろうか。その女子高生二人組が長机から離れた時、彼女たちは笑顔を咲かせていた。大事に短冊を持ち、反対側に設けられた笹の方へ歩いていく。
高さ三メートル程度の笹がずらりと並ぶ光景は正に圧巻である。色とりどりの短冊、七夕飾りを纏う。夜間のライトアップのおかげでさらに鮮やかとなっていた。
ちょうど空いたスペースに天喰と葉月は肩を並べ、サインペンを手にそれぞれ短冊と向き合った。
薄水色の細長い紙をじっと見つめる天喰。隣を見やると同じように手元を見たまま動かずにいる。
「願い事、霧華さんもまだ考えてなかったんですか」
「考えてはいたんだけど…」
「けど?」
「切島くんと鉄哲くんの期末試験、良い点取れますように…ってどうしても浮かんできちゃって」
頭から離れないとおかしそうに肩を窄めてみせた。あの二人は良くも悪くも影響を与えてくる。そう言われると自分もそう願った方がいいかもしれないという錯覚に陥るものだが、それは違うと天喰は首を横へ振った。
「七夕の願い事は自分のことを書いた方がいい。願い事の為に努力するのは自分だから…って子どもの頃に聞きました」
「…なるほど。決意表明みたいなものなんだね」
「決意表明……そう聞くと一気に重みが。目標ぐらいのレベルでいいと思う」
目標、と呟いた葉月は何か良いものを思いついたのかサインペンのキャップをポンと抜いた。手元の短冊に一行、こう綴る。
「料理のレパートリーを増やします」
「……これは、決意表明ですね」
文章の終わり方からして完全なる表明。今までに短冊に願い事を書いてこなかったせいもあるんだろう。致し方ないことだが、それがじわじわと笑いを誘う。
「お…おかしかったかな。鉄哲くんが来るようになってから、個性のこと考えて鉄分の摂れるメニューも増やしたいなって思ってたから」
「いい、と思います。霧華さんらしくて。味見ならいくらでも引き受けるから、いつでも言って」
「ありがとう。…環くんは書くこと決まった?」
キャップを外したサインペンを持ち直す天喰に尋ねると、その手がぴたりと止まる。紙に落としていた視線を少しだけ持ち上げ、葉月の方を見る。
「……霧華さんに愛想尽かされないよう、もっと色々と努力しよう…みたいなことを。今、こうして隣に居るのだって奇跡に近い…。これからも安心して俺の傍に居られるように。これらを簡潔にすると」
「すると?」
「大切な人の為に努力します」
「うん…決意表明だね」
もはやこれしか浮かばないと天喰はサインペンで先程の一行を綴っていく。
あまり長々とこのスペースに留まるわけにもいかないので、願い事を綴った短冊を手に笹の前へ移動する。三メートル向こう先まで笹がずらりと並ぶ。七夕飾りの笹を間近に見た葉月は「迫力あるね」と驚いていた。
「…少し上の方だけど、ここならまだ飾れる。笹はしなるから……どうぞ。俺のもお願いします」
天喰は自分の頭より高い位置にある笹の枝を掴み、葉月の手が届く所まで下げる。顔の高さにきた笹の枝に短冊を二枚括り付け、天喰に合図を送った。しなっていた笹の枝がゆっくりと天に戻る。
街中では一等星から三等星程度の星までを肉眼で捉えることができた。悠々と夜空へ伸びる笹と夜空が二人の目に映し出されていた。
「天の川が見られたらもっと良かったんだけど」
「これだけ街が明るいと見える星の数もだいぶ減りますね。俺もちゃんと見たことはない…よく写真で見る様なやつ」
「あんな風に見えたら感動しそうよね。…いつかは見てみたいなあ」
「流石に北海道でも天の川は見られないんですか」
「…人が集まる場所は夜でも明るいから。人里離れたキャンプ場とかに行けば見えるかも」
自然の溢れる大地と言えども、天の川が綺麗に見られる場所は限られている。人工の光が干渉しない場所、空気の澄んだ冬であれば星空の鑑賞も可能だろう。
それを聞いていた天喰はぽそりと呟いた。
「今年の慰安旅行の希望地、北海道にしようかな。キャンプ場とか…」
「…慰安旅行でキャンプって聞いたことがないよ。それに先輩方からブーイングの嵐がきそう…」
「え、どうして。…日頃の疲れを自然の中で癒したいという気持ちはあると思う」
「そういうものなのかしら」
「それか温泉入りたい。星を眺めながら入る露天風呂は格別に違いない」
これらの願いを短冊に込めればよかったかと今さらぼんやり考える天喰。二人で飾った短冊は風にそよそよと揺れていた。
◆◇◆
翌日、ファットガム事務所でのインターンを終えた切島と鉄哲がファットガムに揃って頭を下げた。
「本日も有難うございましたっ!!」
「おお、また試験明けに待っとるでェ。期末試験気張りや!」
「はいっ!」
朝から夕方まで変わらないテンションの高さに圧倒されつつ「頑張って」と天喰が声を掛ける。
葉月も彼らの見送りの為に二階の執務室に来ており、応援の言葉とお土産の焼き菓子を渡した。
「今日は食べる暇がなかったから…新幹線の中で食べてね」
「あざっス!これ、美味いって評判のやつっスよね」
「マジか。そいつは楽しみだぜ!」
「あ、そういや…七夕の笹見に行ったって言ってましたよね。どうでした?」
「うん。すごく綺麗だった。短冊も書いてきたし」
「へぇー…願い事って」
ふと、切島の脇腹を鉄哲が肘で軽く小突いた。
「おい、切島。ヤボなこと聞くんじゃねーよ」
「……あ、それもそうだな。すんません、今のは聞かなかったことに」
「君たちの期末試験、赤点になりませんようにって書いてきたよ。二人で」
ぽそりと呟かれた天喰の言葉。真顔でそう言うものだから、冗談とも捉えることができずに切島と鉄哲が一時フリーズした。間もなく焦りの色が顔に現れ始める。
「気合入れて勉強します!先輩方の期待に応える為にっ!!」
「ぜってぇ赤点取れねぇぞ切島…!」
「おうっ!」
発破をかけられた二人は「それでは失礼します!」と勢いのまま執務室を出て階段を駆け下りていった。
嵐が過ぎ去った静けさの中、ファットガムが頭を傾げる。
「…え、ほんまにそう書いてきたん」
「最初は私がそう書こうかなって…話してはいたんですけど」
「こうでも言っておかないと。…補習でこっちに来られなくなって困るのは俺だし」
「私欲かいな!」
「これは二人の為でもある」
「…まァ、環も冗談言うようになってきたな。せやけど真顔のトーンで言われたら本気にしてまうで」
「気をつけます」
「で、ほんまは何て書いてきたん」
「……慰安旅行が北海道か温泉になりますように」
「いやそれ、お星さまやなくてファットさんに言うて。候補地に入れとくし」
「楽しみにしています。…本場でカニやジンギスカン食べたい。温泉にも浸かりたい」
「そんなら北海道の温泉でも良さそうやな!」
毎年の慰安旅行の予算額は分からないが、今年は高くつきそうだ。予算のやりくりで頭を抱えた経理の顔が浮かぶと苦笑いを浮かべる葉月であった。