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少し先の約束
ローテーブルの上には白いティーセットと長方形のお菓子の包み。このティーセットは霧華さんが俺の部屋に持ち込んだものだ。紅茶は安価な物でもティーポットで淹れた方が美味しいからと。飲み比べてその理由がすぐに分かった。ティーポットからは良い香りが漂っている。
所用で後輩と連絡を取り、それを終えて戻ってくるとお茶の用意がセッティングされていた。先にソファで寛いでいた霧華さんが俺の方に振り向く。
「電話、緊急呼び出しじゃなかったの?」
「うん。明日の打ち合わせ時間が変更になっただけの連絡だから。早めに切島くん達にも伝えておこうと思って。ファットは明日の朝でもいいって言ってたけど、当日の朝にいきなり言われても困るだろうし…。前もって分かることは先に報せておかないと」
「…ふふ。しっかりしていて、頼りになる先輩ね」
白いティーポットの持ち手に添えられた華奢な手。ティーカップに注がれた紅茶の香りがより一層引き立つ。目の前に置かれたティーカップへ俺は視線を落とした。
「頼りに…されているんだろうか。俺なんかまだまだなのに…半年も経っていないし、覚えることも課題も山積みだ」
「インターンの時とは確かに勝手が違うと思う。でも、環くんに基礎は出来上がってる。これからのことは少しずつ、慌てずにね。無理はしないで…何かあったら私も相談に乗るから」
「…ありがとう。霧華さんは相変わらず優しさの塊だ…母なる大地のようで、安らぎを与えてくれる」
「お、大袈裟よ…私そんなんじゃないよ」
「俺がそう感じているだけだから。……ところでこれ、どうしたんですか」
温かい紅茶の香りと味。彼女も一緒だから尚更安らぎを感じる。前は肩が触れるくらい近い距離に座るなんて考えられなかったな。
「先週、先輩からお土産を頂いたの。美味しいって評判のチョコレートで、東京にしかお店がないらしくて。折角だから今日のお茶請けに」
「…外箱からして高そうだ」
長方形の黒い箱はマット加工が施されていて、いかにもな高級感を漂わせている。デパ地下で売っていそうな物だ。お店のロゴが赤い封蝋印の様に印刷されている。
霧華さんが外箱を持ち上げると、チョコレートの説明が書かれた小さな紙きれが出てきた。フルカラーで印刷されているそれには簡単な説明が載っている。
中は六つに仕切られていて、上品な艶を纏った一口サイズのチョコレートが一つずつ収まっていた。
「やっぱり高級品なんじゃ…!」
「わぁ美味しそう。味は…三種類、ちょうどいいね」
「…いや、俺はいいです。勿体ない…霧華さんが貰ったものなんだし」
一粒三百円以上もしそうなもの、流石に貰えない。その辺で売っているような板チョコや大袋入りのチョコレートは違う。これは直に貰った霧華さんが全部食べた方がいいに決まっている。
「甘いもの、そんなに得意じゃなかった?」
「いえ。普通に食べますけど…でも」
「遠慮しないで。美味しいものは分け合ったほうが一層美味しくなるでしょ」
「それは…そうかもしれないけど」
隣でニコニコと笑う霧華さん。その笑顔に嫌みは全く含まれていないし、本心からそう思ってくれていることは分かっている。それに、好きな人から勧められたものを無下に断るわけにもいかない。
箱へ手を伸ばす前に「いただきます」と断ってから二センチ程のチョコレートを摘まんだ。
口の中に広がる控えめな甘さと滑らかな舌触り。この優しい味わいが彼女も気に入ったみたいで、顔がほころんでいた。それを見た俺の口元も自然に緩む。
「甘さがちょうどよくて、クドくない。美味しい」
「うん。紅茶とも合うね。…そういえば、環くんチョコレート食べたらカカオ豆を再現できるの?」
「できるよ。…ただ、あまり食べないからカカオ豆の強度や特徴とかは詳しくないけど。…今度調べてみようかな」
俺の個性で再現できるもの。それを利用して臨機応変に立ち回れる様にしておかないと。
「前から気になってたんだけど…環くんが再現したものって食べられるの?」
「食用には向かないと思う。…それに、身に着ける形とはいえ、傷がついた時は僅かな痛みがあるし。でも…災害時の緊急時には……」
「…ど、どうしたの環くん」
緊急時には食用として利用できるかもしれないと考えたことが引き金になった。チョコレートというキーワードもだ。それらで思い出したことが一つ。毎年、決まった時期になって必ず突き刺さるような視線が俺に集まっていたことだ。
「……毎年、一月下旬から二月の中旬ぐらいまで…クラスの女子から突き刺さる視線があって。…今思えば俺の個性を利用しようとしていたんじゃ…再現したカカオ豆を材料として狙って…!女子…なんて恐ろしい生物なんだ」
「えっ。待って、流石にカカオ豆からチョコレート手作りする人は…いないと思う」
「そ、そうだろうか…恋をした女子のパワーは計り知れないって友人が前に言っていたから…」
「落ち着いて。それだと普通の女子高生が『マグロ食べたいからちょっと一本釣りして、自分で刺身にするわ』って言うのと同じぐらい…ううん、それ以上にストイックだと思うの」
中々に奇妙な例えを引き出してきた。こういう所、少し天然だと思う。マグロを一本釣りする女子高生は確かに逞しすぎる。
「もしかしたら世の中にはいるかもしれないけど。…漁師の家系とか」と小さな声で霧華さんが付け加えた。その時期になるとやたらチョコレートを勧めてきた女子がいたことは伏せておこう。あの子はマグロを一本釣りするような少数派の人間だったのかもしれない。
「…あ、もしかしてその視線。環くんにチョコレート渡したいなぁって考えてる子だったんじゃないかな」
「えっ。いや、有り得ない…」
義理チョコは何回か貰ったことはある。でもミリオのついでといった感じだったし、本気の人がいるはずない。そう話せば「環くんモテそうなのに」と返されてしまった。
「…俺の友人がいつも抱えるぐらい貰っていた。あいつは男女問わず人気だったし、友達も多い。それに比べて俺は……でも、今はそれで良かったと思えてる」
二つ目のチョコレートを摘まんだ霧華さんの方をちらりと窺う。花を模ったそれは苺のフレーバーのものだ。
「…俺の本命、霧華さんだし」
俺がそう呟けば、みるみるうちに霧華さんの頬が桜の花びらみたいに染まっていく。次第にわたわたとし始める姿に釣られて、俺も顔が熱くなってきた。自分で言っておきながらこれは無い。
「あ、その…えっと。今年は個別に用意できなくてごめんね?ほ、ほら…事務所のみんなで楽しめるもの考えたらあれになって」
「……チョコレートファウンテンも斬新なアイディアだったし、美味しかった」
二月十四日、事務所に用意されたチョコレートファウンテンの器械。テーブルに乗る小型ながらもちゃんとチョコレートが上から流れ落ちて、歓声が上がっていた。切島くんと鉄哲くんがたこ焼きをつけようとした時は「それは邪道すぎやろ!?」とファットのツッコミが鋭かったけど。あれはあれで楽しかったし、年一ぐらいならやってもいいと思う。
「来年はちゃんと用意するね」
「うん。楽しみにしてる。…今から待ち遠しいな」
これはちょっとした未来の約束。先のことを少しずつ考えていけば、半年、一年、その先も一緒に居られるような気がして、頬を緩めた。
ローテーブルの上には白いティーセットと長方形のお菓子の包み。このティーセットは霧華さんが俺の部屋に持ち込んだものだ。紅茶は安価な物でもティーポットで淹れた方が美味しいからと。飲み比べてその理由がすぐに分かった。ティーポットからは良い香りが漂っている。
所用で後輩と連絡を取り、それを終えて戻ってくるとお茶の用意がセッティングされていた。先にソファで寛いでいた霧華さんが俺の方に振り向く。
「電話、緊急呼び出しじゃなかったの?」
「うん。明日の打ち合わせ時間が変更になっただけの連絡だから。早めに切島くん達にも伝えておこうと思って。ファットは明日の朝でもいいって言ってたけど、当日の朝にいきなり言われても困るだろうし…。前もって分かることは先に報せておかないと」
「…ふふ。しっかりしていて、頼りになる先輩ね」
白いティーポットの持ち手に添えられた華奢な手。ティーカップに注がれた紅茶の香りがより一層引き立つ。目の前に置かれたティーカップへ俺は視線を落とした。
「頼りに…されているんだろうか。俺なんかまだまだなのに…半年も経っていないし、覚えることも課題も山積みだ」
「インターンの時とは確かに勝手が違うと思う。でも、環くんに基礎は出来上がってる。これからのことは少しずつ、慌てずにね。無理はしないで…何かあったら私も相談に乗るから」
「…ありがとう。霧華さんは相変わらず優しさの塊だ…母なる大地のようで、安らぎを与えてくれる」
「お、大袈裟よ…私そんなんじゃないよ」
「俺がそう感じているだけだから。……ところでこれ、どうしたんですか」
温かい紅茶の香りと味。彼女も一緒だから尚更安らぎを感じる。前は肩が触れるくらい近い距離に座るなんて考えられなかったな。
「先週、先輩からお土産を頂いたの。美味しいって評判のチョコレートで、東京にしかお店がないらしくて。折角だから今日のお茶請けに」
「…外箱からして高そうだ」
長方形の黒い箱はマット加工が施されていて、いかにもな高級感を漂わせている。デパ地下で売っていそうな物だ。お店のロゴが赤い封蝋印の様に印刷されている。
霧華さんが外箱を持ち上げると、チョコレートの説明が書かれた小さな紙きれが出てきた。フルカラーで印刷されているそれには簡単な説明が載っている。
中は六つに仕切られていて、上品な艶を纏った一口サイズのチョコレートが一つずつ収まっていた。
「やっぱり高級品なんじゃ…!」
「わぁ美味しそう。味は…三種類、ちょうどいいね」
「…いや、俺はいいです。勿体ない…霧華さんが貰ったものなんだし」
一粒三百円以上もしそうなもの、流石に貰えない。その辺で売っているような板チョコや大袋入りのチョコレートは違う。これは直に貰った霧華さんが全部食べた方がいいに決まっている。
「甘いもの、そんなに得意じゃなかった?」
「いえ。普通に食べますけど…でも」
「遠慮しないで。美味しいものは分け合ったほうが一層美味しくなるでしょ」
「それは…そうかもしれないけど」
隣でニコニコと笑う霧華さん。その笑顔に嫌みは全く含まれていないし、本心からそう思ってくれていることは分かっている。それに、好きな人から勧められたものを無下に断るわけにもいかない。
箱へ手を伸ばす前に「いただきます」と断ってから二センチ程のチョコレートを摘まんだ。
口の中に広がる控えめな甘さと滑らかな舌触り。この優しい味わいが彼女も気に入ったみたいで、顔がほころんでいた。それを見た俺の口元も自然に緩む。
「甘さがちょうどよくて、クドくない。美味しい」
「うん。紅茶とも合うね。…そういえば、環くんチョコレート食べたらカカオ豆を再現できるの?」
「できるよ。…ただ、あまり食べないからカカオ豆の強度や特徴とかは詳しくないけど。…今度調べてみようかな」
俺の個性で再現できるもの。それを利用して臨機応変に立ち回れる様にしておかないと。
「前から気になってたんだけど…環くんが再現したものって食べられるの?」
「食用には向かないと思う。…それに、身に着ける形とはいえ、傷がついた時は僅かな痛みがあるし。でも…災害時の緊急時には……」
「…ど、どうしたの環くん」
緊急時には食用として利用できるかもしれないと考えたことが引き金になった。チョコレートというキーワードもだ。それらで思い出したことが一つ。毎年、決まった時期になって必ず突き刺さるような視線が俺に集まっていたことだ。
「……毎年、一月下旬から二月の中旬ぐらいまで…クラスの女子から突き刺さる視線があって。…今思えば俺の個性を利用しようとしていたんじゃ…再現したカカオ豆を材料として狙って…!女子…なんて恐ろしい生物なんだ」
「えっ。待って、流石にカカオ豆からチョコレート手作りする人は…いないと思う」
「そ、そうだろうか…恋をした女子のパワーは計り知れないって友人が前に言っていたから…」
「落ち着いて。それだと普通の女子高生が『マグロ食べたいからちょっと一本釣りして、自分で刺身にするわ』って言うのと同じぐらい…ううん、それ以上にストイックだと思うの」
中々に奇妙な例えを引き出してきた。こういう所、少し天然だと思う。マグロを一本釣りする女子高生は確かに逞しすぎる。
「もしかしたら世の中にはいるかもしれないけど。…漁師の家系とか」と小さな声で霧華さんが付け加えた。その時期になるとやたらチョコレートを勧めてきた女子がいたことは伏せておこう。あの子はマグロを一本釣りするような少数派の人間だったのかもしれない。
「…あ、もしかしてその視線。環くんにチョコレート渡したいなぁって考えてる子だったんじゃないかな」
「えっ。いや、有り得ない…」
義理チョコは何回か貰ったことはある。でもミリオのついでといった感じだったし、本気の人がいるはずない。そう話せば「環くんモテそうなのに」と返されてしまった。
「…俺の友人がいつも抱えるぐらい貰っていた。あいつは男女問わず人気だったし、友達も多い。それに比べて俺は……でも、今はそれで良かったと思えてる」
二つ目のチョコレートを摘まんだ霧華さんの方をちらりと窺う。花を模ったそれは苺のフレーバーのものだ。
「…俺の本命、霧華さんだし」
俺がそう呟けば、みるみるうちに霧華さんの頬が桜の花びらみたいに染まっていく。次第にわたわたとし始める姿に釣られて、俺も顔が熱くなってきた。自分で言っておきながらこれは無い。
「あ、その…えっと。今年は個別に用意できなくてごめんね?ほ、ほら…事務所のみんなで楽しめるもの考えたらあれになって」
「……チョコレートファウンテンも斬新なアイディアだったし、美味しかった」
二月十四日、事務所に用意されたチョコレートファウンテンの器械。テーブルに乗る小型ながらもちゃんとチョコレートが上から流れ落ちて、歓声が上がっていた。切島くんと鉄哲くんがたこ焼きをつけようとした時は「それは邪道すぎやろ!?」とファットのツッコミが鋭かったけど。あれはあれで楽しかったし、年一ぐらいならやってもいいと思う。
「来年はちゃんと用意するね」
「うん。楽しみにしてる。…今から待ち遠しいな」
これはちょっとした未来の約束。先のことを少しずつ考えていけば、半年、一年、その先も一緒に居られるような気がして、頬を緩めた。